15年戦争資料 @wiki内検索 / 「「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(10)」で検索した結果

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  • 集団自決などをめぐって
    ...背景」反論(9) 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(10) 「沖縄戦」から未来へ向って・曽野綾子 曽野綾子氏の反論1985年5月1日~6日(5日は休載) 「「沖縄戦」から未来へ向って(太田良博氏へのお答え)(1)」 「「沖縄戦」から未来へ向って(太田良博氏へのお答え)(2)」 「「沖縄戦」から未来へ向って(太田良博氏へのお答え)(3)」 「「沖縄戦」から未来へ向って(太田良博氏へのお答え)(4)」 「「沖縄戦」から未来へ向って(太田良博氏へのお答え)(5)」 「土俵をまちがえた人」太田良博 太田良博氏の曽野氏への再反論1985年5月11~17日(12日は休載) 「土俵をまちがえた人」(1) 「土俵をまちがえた人」(2) 「土俵をまちがえた人」(3) 「土俵をまちがえた人」(4) 「土俵をまちがえた人」(5) 「土俵をまちがえ...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(1)
    愛・蔵太氏採録 http //d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060908/oota01 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(1)(太田良博・沖縄タイムス1985年4月8日掲載) はじめに 沖縄戦でいつも話題になる事件の一つに渡嘉敷島の集団自決と住民虐殺がある。 この事件について作家の曽野綾子氏は『ある神話の背景』のなかで、当時渡嘉敷島の指揮官であった赤松嘉次大尉が「完璧な悪玉にされている。赤松元大尉は、沖縄戦史における数少ない、神話的悪人の一人であった」と述べる。その神話の源になっているのが『鉄の暴風』のなかの赤松に関する記述だとしてその赤松神話を突き崩すために書かれたのが『ある神話の背景』である。 曽野氏は、沖縄タイムス社刊『鉄の暴風』を、戦後、沖縄住民によって書かれた沖縄戦記録の原典と見ているが、その中の第...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(10)
    「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載10回目 終戦直後、日本の中尉と下士官が赤松のところに降伏勧告にきている。しかも、下士官は米軍の服装をしていた。降伏勧告にきた住民がことごとく殺された事実からすれば、相手が軍人であれば、なおさら厳格に対処すべきである。だが、赤松は降伏勧告にきた二人の軍人をおとなしく帰している。 大城訓導は民間人 また、家族に会いに行ったというだけの理由による大城訓導の処刑がある。渡嘉敷国民学校の大城徳安訓導が、島内の別の場所にいた妻にこっそり会いに行ったという理由だけで、縄でしばられて陣地に連行され、斬首(ざんしゅ)されたのである。この事件について、曽野綾子氏は、大城訓導が「招集された正規兵」(曽野氏は、防衛隊員を正規兵と解釈している)だったことをあげて、赤松の処置が「民間人」に対するものでなく、軍律により軍人に対してとられた処置(処...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(4)
    「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載4回目 体験者の証言記録 『鉄の暴風」の渡嘉敷島に関する記録が、伝聞証拠によるものでないことは、その文章をよく読めばわかることである。 直接体験者でないものが、あんなにくわしく事実を知っていたはずもなければ、直接体験者でもないものが、直接体験者をさしおいて、そのような重要な事件の証言を、新聞社に対して買って出るはずがないし、記録者である私も、直接体験者でないものの言葉を「証言」として採用するほどでたらめではなかった。永久に残る戦記として新聞社が真剣にとり組んでいた事業に、私(『鉄の暴風』には「伊佐」としてある)は、そんな不まじめな態度でのぞんだのではなかった。 『鉄の暴風』の渡嘉敷島に関する記録のなかで、具体的に名前が出てくるのは、住民の生存者では、当時の「古波蔵村長」と「渡嘉敷国民学校の宇久眞成校長」の二人だけ...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(2)
    「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」2回目 赤松大尉の暴状 まず、曽野綾子氏の「伝聞情報説」が事実に反することを立証するために、事のいきさつをのべておく。『鉄の暴走』の渡嘉敷島に関する話は、だれから聞いて取材したかと曽野氏に聞かれたとき、私は、はっきり覚えてないと答えたのである。事実、そのときは、確かな記憶がなかったのである。ただ、はっきり覚えていることは、宮平栄治氏と山城安次郎氏が沖縄タイムス社に訪ねてきて、私と会い、渡嘉敷島の赤松大尉の暴状について語り、ぜひ、そのことを戦記に載せてくれとたのんだことである。そのとき、はじめて私は「赤松事件」を知ったのである。 宮平、山城の両氏は、曽野氏が言うように「新聞社がやっと那覇で捕えることのできた証言者」ではなく、向こうからやってきた情報提供者であって、「それでは調べよう」と私は答えたにすぎない。そのとき、私は二人を単...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(5)
    「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載5回目 『鉄の暴風』の渡嘉敷島に関する記録は、伝聞証拠によるもので、そのまま信ずることはできないという前提で、『ある神話の背景』は、集団自決の問題をもち出す。 渡嘉敷島住民の集団自決に関し、赤松大尉は命令を下したおぼえはないという。この“赤松証言”に曽野綾子は重点を置いている。しかし、その言葉の信憑(ぴょう)性をどう検証できるだろうか。もし、これが検証できないとすれば、『鉄の暴風』の記述を崩す根拠とはならないわけだが、『ある神話の背景』で、「赤松証言」の客観的真実性が証明されてはいない。たとえ赤松の命令があったとしても、赤松本人が「私が命令した」というはずはないのである。自分に不利な証言となるからである。命令は、あったとしても、おそらく口頭命令であったはずで、そうであれば、「命令された」「いや、命令しなかった」と、結局は...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(7)
    「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載7回目 初め壕や洞穴に 米軍上陸と同時に住民は追われるように陣地付近に逃げてきたと『ある神話の背景』では説明する。砲撃と米軍上陸、この事実に直面した住民たちはとっさに、それぞれ安全とおもわれる場所、つまり壕や洞穴にかくれたようだ。それが当然である。いきなり猛攻をうけたときの反射的な初動である。『鉄の暴風』には「住民はいち早く各部落の待避壕に避難し…」と書いたが、実際はあわてふためいた本能的な行動だったと思う。そして、住民たちは各個に孤立し、そこには統一された意思はなかった。軍の意思により駐在巡査がかり集めたというのが真相であろう。その理由は「住民は捕虜になるおそれがある。軍が保護してやる」というのである。 米軍上陸が三月二十六日で、その翌日、赤松隊は西山A高地に陣地を移動している。その陣地の位置がまた問題である。赤松隊長...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(3)
    「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載3回目。 実は『鉄の暴風』は伝聞証拠によって書かれたものではないのである。それを明らかにする前に一言ことわっておきたいことがある。私は、曽野綾子氏に、取材した相手をはっきりおぼえていないと答えた。事実、そのときは、そうであった。取材相手をおぼえていないというのは、取材者としては、うかつのように聞こえるかもしれないが、それにはそれなりの理由があった。  記録は取材の一部 一つの理由は、『鉄の暴風』を書くに当たっては、あまりにたくさんの人と会ったので、話を聞いた、それらの人たちがいちいちだれであったか、おぼえていないということである。一つの座談会に、多いときは二十人近くも集まる。座談会だけでもいくらやったかわからない。それも沖縄戦全般にわたっての取材で、渡嘉敷島の記録は、そのごく一部である。取材期間三ヵ月、まったく突貫工事で...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(8)
    「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載8回目 信頼どこにおくか 将校会議があったかなったか、赤松隊の陣地がどうだったかということは、付帯的な問題にすぎない。『鉄の暴風』が伝聞証拠によって書かれたものであり、また、なかには創作的な記述があることを証明するためにそれらは持ち出されたものだが、『鉄の暴風』の記述がすべて実体験者の証言によるものであり、記述者の創作は介入していないことを言明することで答えとしたい。あとは、赤松側の言葉を信用するか、住民側の証言に信頼を置くかの選択が残されるだけである。 ありもしない「赤松神話」を崩すべく、曽野綾子氏は、新しい神話を創造しているにすぎない。そのやり方は手がこんでいる。『鉄の暴風』だけでなく渡嘉敷島に関するほかの戦記もすべて信用できないとする。なぜなら、それらの戦記にも『鉄の暴風』とおなじようなことが書かれているからで、そ...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(9)
    「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載9回目 任務放棄に失望 赤松嘉次大尉の証言は信用しがたい。その一例をあげておく。赤松隊の任務は舟艇による特攻であった。だが、赤松隊は、渡嘉敷島に米軍が来攻したとき、みずから舟艇を破壊して、米艦船に対する特攻という本来の任務を放棄してしまった。 この任務放棄に関し、赤松は、慶良間巡視中の船舶隊長大町大佐の命令があったからだとしている。大町大佐は慶良間近海で戦死しているので死人に口なしである。大町大佐がわざわざ特攻中止を命ずるために慶良間巡視に出かけたとは思えないが、この出撃中止が軍司令部の意向ではなかったことだけはっきりしている。 沖縄守備第三十二軍の高級参謀であった八原博道大佐の手記『沖縄決戦』によると、慶良間の海上特攻に一縷の望みをかけていたことがわかる。「好機断固として海上に出撃すべきである。願わくば出撃して...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(6)
    「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載6回目 赤松大尉の言葉 赤松大尉の命令または暗黙の許可がなければ、手りゅう弾は住民の手に渡らなかったと考えるのが妥当である。それ以外のことは考えられない。 曽野綾子氏は軍隊の組織を知らないから単純に赤松の言葉を信ずるのである。軍の指揮官は、武器の所在と実数を確実に掌握していなければならない。武器の取り扱いについては、指揮官の命令(注:原文傍点)が絶対に必要である。防衛隊員が、指揮官の命令がないのに勝手に武器を処分することは絶対に許されない行為である。それがわかったら、それこそ大変なことになる。敵前歩哨が居眠りをするだけで、死刑、ときめられている陸軍刑法のなかで、軍の生命である武器を指揮官の命令なくして処分することが何を意味するか、容易に理解できることである。防衛隊員を通じて手りゅう弾が住民に渡された事実を、赤松が知らなかっ...
  • 「沖縄戦神話論争」の時系列
    「沖縄戦神話論争」の時系列 愛・蔵太氏による採録は、まさしくGood-jobです。 以下のファイル(http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/62.html)は、愛・蔵太氏が電子テキスト化したもの(http //d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060908/oota01以下)を再録させていただきました。 愛・蔵太氏の「合いの手」抜きに「素」で原文を読んでみます。 *********** 「沖縄戦神話論争」の時系列は、 「鉄の暴風」(沖縄タイムス社1993/08)を曽野氏が「ある神話の背景」(『諸君』1971年10月から1972年9月連載、文芸春秋社1973年単行本刊) で批判したので、 「鉄の暴風」著者の太田氏が1973年7月琉球新報紙上で反論「渡嘉敷島の惨劇は果して神話か」 沖縄タイムズ紙上での論争再開。「沖...
  • 「ある神話の背景」の研究
    今日の訪問者 - 沖縄戦資料index 「ある神話の背景」の研究」 沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index 1968~1973の関係者経緯 『切りとられた時間』抜粋 1970年3月赤松来沖時の報道 赤松嘉次・赤松隊資料 3月25日「転進命令」の怪 戦隊長殿!ジブン達は一体、何処へ向えばイイのでありますか? 「あるペテンの背景」=渡嘉敷島米軍上陸日を巡って 沖縄戦資料index
  • 第4・5(4)ウ 「ある神話の背景」及びその指摘に関わる文献について
    通101 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(4) 集団自決に関する文献等の評価について 第4・5(4)ウ 「ある神話の背景」及びその指摘に関わる文献について 第4・5(4)ウ 「ある神話の背景」及びその指摘に関わる文献について(ア)(「ある神話の背景」は赤松命令説記載の書籍を批判した)*a(「鉄の暴風」等否定論)* b(「鉄の暴風」否定論はあたらない)*‘ c(他2書についても原告主張は必ずしもあたらない)* (イ)(大城将保は「ある神話の背景」を評価した)* (ウ)(「ある神話の背景」は赤松命令説否定を表明したものではない)* (エ)(「ある神話の背景」は住民供述を詳細に記述してない)* (オ)(大城将保は軍関与を肯定している)* (...
  • (原)ウ ある神話の背景及びその指摘に係る文献について
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-110 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(4) 集団自決に関する文献等の評価について (原)ウ ある神話の背景及びその指摘に係る文献について (判決本文p217~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)ウ ある神話の背景及びその指摘に係る文献について(ア)(「ある神話の背景」は赤松命令説記載の書籍を批判した)*a(「鉄の暴風」等否定論)* b(「鉄の暴風」否定論はあたらない)*...
  • d 「ある神話の背景」(昭和48年)曽野綾子著(ha)
    通089 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(イ) (赤松命令説を否定等する文献)* d 「ある神話の背景」(昭和48年)曽野綾子著(ha) 「ある神話の背景」は,作家の曽野綾子が,渡嘉敷島の住民や赤松大尉,第三戦隊の元隊員らに取材して執筆したものである。 「ある神話の背景」には,軍の自決命令により座間味,渡嘉敷で集団自決が行われたと最初に記載したのは「鉄の暴風」であるところ,「鉄の暴風」は直接の体験者ではない山城安次郎と宮平栄治に対する取材に基づいて書かれたものであり,これを基に作成したのが「戦闘概要」であり,さらにこれらを基に作成されたものが「戦争の様相」であるとの記述,「...
  • d 「ある神話の背景」(昭和48年)曽野綾子著(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-090 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(イ)(赤松命令説を否定等する文献)   赤松命令説について否定し, 又はその存在の推認を妨げる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 d 「ある神話の背景」(昭和48年)曽野綾子著(2ha) (判決本文p178~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。   「ある神話の...
  • 論争史ガイド
    論争史ガイド 石川為丸氏 http //www.h3.dion.ne.jp/~kuikui/hihyou.htm 【「集団自決」論争】 『ある神話の背景』の背景 〈神話〉を作る身振りと〈事実〉へ向かう姿勢            石川為丸 曽野綾子の『ある神話の背景』は、いささか挑発的な、右よりの論調を特徴とする雑誌『諸君』に1971年10月から1972年8月まで11ヶ月にわたって連載された後、1973年に、単行本として文芸春秋社から刊行された。この『ある神話の背景』を書き上げた曽野の意図はあまりにも明白であると言ってよい。 「神話」とは、言うまでもなく、古くから人々の間に語り継がれている神を中心にした物語のことである。が、普通は、「客観的根拠なしに人々によって広く信じられていることがら」といった意味で使われている。曽野はかつての沖縄戦における日本軍のなした悪業の...
  • 1968~1973の関係者経緯
    「ある神話の背景」の研究 今日の訪問者 - 1968~1973を中心とする関係者経緯 1958 昭和33年の春ごろ。『週刊朝日』『サンデー毎日』 1961 曽野綾子、文芸春秋社の講演で今東光、中村光夫と共に沖縄行 1963.4号 『家の光』宮城初枝手記「沖縄戦最後の日」 1967.12 ※5曽野、仲宗根政善と三人の元師範生と会う 1968.1 防衛研修所戦史室『戦史叢書・沖縄方面陸軍作戦』刊  渡嘉敷島赤松戦隊長、中村、富野、皆本中隊長の回想反映(引用文献に、「戦闘記録」赤松著(昭和21年1月浦賀復員時復員局に提出)はあるが『第3戦隊陣中日誌』はない) 1968.1.14 戦後23年目にはじめて開かれた「渡嘉敷島海上挺身(ママ)隊第三戦隊」の"同窓会" 1968.4.6号 ※1『週刊新潮』赤松氏談話(マスコミデビュー) 1968 4.8朝刊...
  • 第3・4(1)ウ(イ) 原告ら主張の文献等に対する反論
    通023 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第3 争点及びこれに対する当事者の主張 第3・4 争点4(真実性の有無)について 第3・4(1) 被告らの主張 第3・4(1)ウ 渡嘉敷島について 第3・4(1)ウ(イ) 原告ら主張の文献等に対する反論 第3・4(1)ウ(イ) 原告ら主張の文献等に対する反論a 「ある神話の背景」について b 「陣中日誌」について c 「沖縄戦ショウダウン」について d 照屋昇雄の供述について a 「ある神話の背景」について 「ある神話の背景」では,前記のとおり,集団自決の直接体験者から取材を行い執筆された「鉄の暴風』(乙2)を直接体験者からの取材に基づくものではないとしている(甲B18・51頁)。また,その著者である曽野綾子は,取材過程において富山兵事主任に会ったことはないと記しているが(...
  • (原)第3・4(1)ウ(イ) 控訴人ら主張の文献等に対する反論
    目次 戻る 通2-021 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第2 事案の概要等 第2の3 前提事実及び争点 【原判決の引用】 (原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張 (原)4 争点4(真実性の有無)について (1)被控訴人らの主張 第3の4(1)ウ 渡嘉敷島について (原)第3・4(1)ウ(イ) 控訴人ら主張の文献等に対する反論 (判決本文p52~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)第3・4(1)ウ(イ) 控訴人ら主張の文献等に対する反論a 「ある神話の背景」について b 「陣中日誌」について c 「沖縄戦ショウダウン」について d 照屋昇雄の供述について a 「あ...
  • 第4・5(4)ア 「鉄の暴風」について
    通099 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(4) 集団自決に関する文献等の評価について 第4・5(4)ア 「鉄の暴風」について 第4・5(4)ア 「鉄の暴風」について(ア)(取材方法について)* (イ)(初版の誤記)* (ウ)(上陸日時の誤記)* (エ)(取材方法についての曽野綾子の批判は)* (オ)(資料価値は有る)* (カ)(調査不足を謝罪したという梅澤陳述書は疑問)* (ア)(取材方法について)* 第4・5(2)ア(ア)aに記載したとおり,「鉄の暴風」は,軍の作戦上の動きをとらえることを目的とせず,あくまでも,住民の動き,非戦闘員の動きに重点を置いた戦記であり,戦後5年しか経過していない昭和25年に出版されたものである。...
  • 沖縄戦資料index
    今日の訪問者 - 沖縄戦資料index 【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 証言記録「沖縄住民虐殺」―日兵逆殺と米軍犯罪 沖縄戦と民衆(目次) 歴博「集団自決」展示問題 大田昌秀講演「沖縄戦と集団自決裁判について」 読める判決「集団自決」=大阪地裁判決と裁判資料 読める控訴審判決「集団自決」 =大阪高裁判決と裁判資料 「ある神話の背景」の研究 「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 Index 沖縄戦資料index地理渡嘉敷村ガイド 文献 沖縄戦根元史料作戦と戦闘経緯 沖縄戦前夜 慶良間諸島の戦闘と集団自決 住民虐殺 体験証言沖縄県史渡嘉敷 座間味 阿嘉 慶留間 渡嘉敷村史 座間味村史 その他 軍政と住民動員 富山証言と手榴弾配布 朝鮮人軍夫と朝鮮人慰安婦 援護法 米軍資料 戦時報道 防衛研究所資料 論争史戦後ルポ 潮1971年11月号 青い海1971年6月号 曽...
  • 沖縄集団自決「軍の命令ではない」 地元誌が特集記事
    http //sankei.jp.msn.com/life/education/090610/edc0906102117005-n1.htm 沖縄集団自決「軍の命令ではない」 地元誌が特集記事 2009.6.10 21 15  第2次大戦末期の沖縄戦で守備隊長が住民に自決を強いたとされる「沖縄集団自決」について「軍命による自決ではなく、切羽詰まった住民が自殺した悲惨な事件だった」とする特集記事が沖縄県浦添市文化協会発刊の「うらそえ文藝」第14号に掲載され、波紋を広げている。特集には、自決現場を目撃した当時の米軍の報告書や住民の証言などが収録され、問題の発端となった地元紙、沖縄タイムス発刊の「鉄の暴風」こそが訂正すべきと結論づけている。  「鉄の暴風」で自決を強いたと名指しされた守備隊長や遺族らは、この記述を元に書かれた大江健三郎氏の「沖縄ノート」に対し出版差し止めなど...
  • (原)ア 鉄の暴風について
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-108 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(4) 集団自決に関する文献等の評価について (原)ア 鉄の暴風について (判決本文p204~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)ア 鉄の暴風について(ア)(取材方法について)* (イ)(初版の誤記)* (ウ)(上陸日時の誤記)* (エ)(取材方法についての曽野綾子の批判は)* (オ)(資料価値は有る)* (カ)(調査不足を謝罪したと...
  • 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について
    index10 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(1) 前提となる事実-----p110 ア 太平洋戦争当時の沖縄の状況、体制等 イ 集団自決の発生(ア) 座間味島 (イ) 渡嘉敷島 (ウ) 自決者の人数 (エ) 座間味島及び渡嘉敷島以外の集団自決 ウ 日本軍による住民加害 第4・5(2) 集団自決に関する文献等-----p118 ア 座間味島について-----p118(ア) 梅澤命令説を記載している等の文献等 (イ) 梅澤命令説を否定する等の文献等 イ 渡嘉敷島について-----p140(ア) 赤松命令説を記載している等の文献等 (イ) 赤松命令説を否定する等の文献等 第4・5(3) 援護法の適用問題について-----p159 ア(まず援護法の適用問題について判断する)*...
  • 「土俵をまちがえた人」(6)
    「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(6) 議論にならない ▼曽野さんは、沖縄の社会、教育、新聞なども批判している。皮相的な、困った偏見である。たとえば、「沖縄の社会は閉鎖的である」という。その理由は、なにも述べていないから、答えようがない。もし私が「本土は沖縄よりも閉鎖社会である。日本の地方の中で、沖縄ほど世界に開かれたところはない」と言ったとする。それだけでは議論になるまい。私なら、その理由を述べる。 今度の論争で、私は根本問題を踏まえて、土俵の真ん中に立っているのに、曽野さんは、枝葉末節のことや論点からはずれたことばかり言って、土俵のまわりを逃げまわっていたような気がする。 ▼住民処刑の明確な不当性を、私は証明した。これについては、いかなる人も反論できないはずだ。曽野さんも、沈黙して、曽野点は避けている。そうとわかれば、エチオピアの話をもち出す前に、不...
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  • (原)第3・4(2)エ(エ) 自決命令を否定する文献,見解等
    目次 戻る 通2-037 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第2 事案の概要等 第2の3 前提事実及び争点 【原判決の引用】 (原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張 (原)4 争点4(真実性の有無)について (2)控訴人らの主張 第3・4(2)エ 渡嘉敷島について (原)第3・4(2)エ(エ) 自決命令を否定する文献,見解等 (判決本文p79~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)第3・4(2)エ(エ) 自決命令を否定する文献,見解等a 赤松大尉の手記(a) (「住民の処置は頭になかった」)* (b) (赤松によるマスコミ批判)* b 「ある神話の背景」(甲B18) c 「...
  • 第3・4(2)エ(エ) 自決命令を否定する文献,見解等
    通039 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第3 争点及びこれに対する当事者の主張 第3・4 争点4(真実性の有無)について 第3・4(2)原告らの主張 第3・4(2)エ 渡嘉敷島について 第3・4(2)エ(エ) 自決命令を否定する文献,見解等 第3・4(2)エ(エ) 自決命令を否定する文献,見解等a 赤松大尉の手記(a) (「住民の処置は頭になかった」)* (b) (赤松によるマスコミ批判)* b 「ある神話の背景」(甲B18) c 「陣中日誌」(甲B19) d 「沖縄戦ショウダウン」(甲B44) e 知念証人及ぴ皆本証人の各証言(a) (知念証言)* (b) (皆本証言)* f 照屋昇雄の供述 g 徳平秀雄の供述 a 赤松大尉の手記 (a) (「住民の処置は頭になかった」)* 自決命令を出したとされる赤松大...
  • 書証一覧
    判決全文 と 準備書面一式 とから調べ 引用は自己責任にてお願いします m(- -)m 書証一覧  サイト内検索 書証一覧本件書籍(結審時) 調書 原告側提出甲A 甲B1~20 甲B21~40 甲B41~60 甲B61~80 甲B81~100 甲B101~120 甲B121~140 甲B141~160 甲C1~ 被告側提出乙1~20 乙21~40 乙41~60 乙61~80 乙81~100 乙101~120 乙121~140 本件書籍(結審時) 番号 証拠名 by whom 成立 本件書籍(1) 「太平洋戦争」岩波現代文庫版 家永三郎・岩波書店 2002年平成14年7月16日 本件書籍(2) 「沖縄ノート」  大江健三郎・岩波書店 1970年昭和45年9月21日 調書 略称 氏名 法...
  • PHP文庫「ある神話の背景」田村隆一解説
    PHP文庫「ある神話の背景」 沖縄・渡嘉敷島の集団自決 1992年6月15日第1版第1刷 著者曽野綾子 発行者江口克彦 発行所PHP研究所 この作品は、昭和四十八年五月に文芸春秋より刊行された 解説―いわぱ馥郁たる優しさ― 田村隆一 赤松嘉次大尉、海上挺進第三戦隊長、陸士五三期卒。 彼はオキナワ戦史の「神話的悪人」として記録されている。彼の任務はマルレと呼ばれるベニヤ板製の特攻舟艇でアメリカの艦船を攻撃することであった。しかし、沖縄・渡嘉敷島に上陸した彼とその部下は、圧倒的なアメリカ軍の攻撃にあって、島の二三四・二高地(西山)に複廓陣地をきずいてたてこもることを余儀なくされた。そこで赤松大尉は、渡嘉敷村の住民から戦いの遂行のためと称して食糧を強制的に徴発した。さらに駐在巡査・安里喜順(当時二十九歳)と村長.古波蔵惟好を通じて住民を西山の恩納...
  • 「「沖縄戦」から未来へ向って(太田良博氏へのお答え)(1)」
    「「沖縄戦」から未来へ向って」(曽野綾子・沖縄タイムス)(1) この原稿を書いている今、私の体は痣(あざ)だらけである。私はつい一週間ほど前に、エチオピアから帰ってきたばかりである。 私の心の中には、エチオピアがマスコミのハイライトを浴びているような時に行くのは避けたい、という思いが強かった。しかし、私の遠慮とは別に、そういう時ほどわたしがそういう場所へ行くような機運が不思議と向いてくるのである。 痣はのみいと南京虫に食われた後の引っかき傷、ラバに十時間も乗って被災状況も分からぬ村に行った時に蹴られたり、岩で擦りむいた傷跡などで、実に薄汚い。 エチオピアへ行くことを決意したのは、人道主義の立場から出たことではないのである。私は作家ではあるが、作家が特に人道主義的であらねばならない、などと思ったことの一度もない人間である。ただ、私はここ数年、不思議な偶然から、韓国...
  • 沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index
    「ある神話の背景」の研究 WAC版 沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index 曽野綾子 書籍本文は公開してません 新版まえがき(引用者注)まえがきは、著者あるいは編集者から何の注釈も無いが、平成18年のWAC版になって初めて付けられた。 沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二 後記次のものを資料として・・・・ 解説 石川水穂 分析ツール香盤表 『ある神話の背景』連載版との異同(非公開) (引用者注)WAC版には小見出しはついてないが、諸君連載版でのリードから「 」を、私からの要点を▼で記し、indexとした。一切の敬称を略す。 一  (『諸君』1971年10月号に相応) 一 (1)P11~16 「島との出会い ― 夢の中でのこと」 ▼曽野綾子の夢想 一 (2)P16~25 「告発」 ▼赤松告発書の...
  • 【産経】主張:沖縄集団自決訴訟 判決と歴史の真実は別だ
    http //sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081101/trl0811010338001-n1.htm 【産経】主張:沖縄集団自決訴訟 判決と歴史の真実は別だ 2008.11.1 03 37  沖縄戦で旧日本軍の隊長が集団自決を命じたとする大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」などの記述をめぐり、大阪高裁も同地裁同様、大江氏側の主張をほぼ全面的に認める判決を言い渡した。  訴訟は、大江氏らが沖縄県渡嘉敷・座間味両島での集団自決は隊長の命令によるものと断定的に書いて隊長を断罪した記述の信憑(しんぴょう)性が問われた。  大阪高裁は「狭い意味での直接的な隊長命令」に限れば、大江氏らの記述に「真実性の証明があるとはいえない」としながら、出版当時(昭和40年代)は隊長命令説が学会の通説であり、不法行為にはあたらないとした。つまり、広い意味...
  • 準備書面(3)3/3
    http //okinawasen.web5.jp/html/kousai/2_syomen_03.html 被控訴人準備書面(3)3/3 準備書面(3)1/3 準備書面(3)2/3 被控訴人準備書面(3)3/3第3 同第3(真実相当性に関する事実認定上の問題点)について7 同7(集団自決にかかる証拠評価の誤り(その3)―渡嘉敷島―)(84頁)について(1)同(1)(『ある神話の背景』に対する原判決の評価)についてア 同ア(曽野は〈赤松命令説〉を否定するのか)について イ 同イ(『ある神話の背景』の住民の供述は詳細でないのか)について ウ 同ウ(曽野の取材には偏りがあるのか)について エ 同エ(大城将保の『ある神話の背景』に対する評価の変遷)について オ 同オ(命令の伝達経路の不明確)について カ 同カ(古波蔵蓉子のエピソードが物語る《赤松命令説》の不存在)について (2)同(2)...
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か4
    渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―4 太田良博 昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで 琉球新報朝刊に連載 『太田良博著作集3』p179-183 目次 4 【引用者註】言動が信用できない赤松に信をおく 赤松隊「陣中日誌」に、「三月二十九日も曇雨。昨夜より自決したるもの約二百名。首を縛つた者、手榴弾で一団となって爆発したる者、棒で頭を打ち合った者、刃物で頚部を切断した者、戦いとは言え、言葉に表し尽し得ない情景であった」と、あたかも目撃したように記録してある。 ところが、『ある神話の背景』では、「集団自決の情景」をみたものは、赤松隊には誰もいなかったことになっている。 179 赤松の話では、第三戦隊陣中日誌は主に谷本候補生(伍長)が書いたという。 陣中日誌に関しては、作戦要務令第三〇八条から第三一七条の各条で...
  • 沖縄作戦 殉国日記 index
    防衛研究所資料<沖台 沖縄> 沖縄作戦 殉国日記 index <沖台 沖縄234> 図版01 【資料データ】 沖縄戦関係資料閲覧室 整理番号: B03-5-331 収蔵文書名: 簿冊名: 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄234 (「沖縄作戦 殉国日記」が正しいが、誤登録の為「沖縄作戦 殉国日誌」でないとヒットしない) 画像閲覧 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305331 (アジ歴ではみつかりませんでした) 【殉国日記とは】 沖縄で「集団自決」が起こった島の一つ、渡嘉敷島に駐留していた海上挺進第三戦隊第三中隊所属の中島一郎少尉は、戦後もなお行方不明であった。千葉県の実家へ...
  • 第3・4(1)ウ(カ) 自決命令を記載していた文献の絶版等について
    通027 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第3 争点及びこれに対する当事者の主張 第3・4 争点4(真実性の有無)について 第3・4(1) 被告らの主張 第3・4(1)ウ 渡嘉敷島について 第3・4(1)ウ(カ) 自決命令を記載していた文献の絶版等について 「沖縄問題20年」が昭和49年に出庫終了となったのは,「ある神話の背景」により赤松大尉の自決命令が虚偽であることが露見したからではない。「沖縄問題20年」の著者である新崎盛睴と中野好夫は,昭和40年6月に「沖縄問題20年」を出版した後,昭和45年8月に「沖縄・70年前後」を出版した。その後,両者は,昭和51年10月,「沖縄問題20年」と「沖縄・70年前後」を併せて「沖縄戦後史」を出版した。「沖縄問題20年」は,このような経緯から昭和49年に出庫終了となったのである。 ...
  • 第4 渡嘉敷島における隊長命令の不在(1)
    第4 渡嘉敷島における隊長命令の不在(1) (※<藤色>部分は、曽野綾子の論拠借用と著書引用) 第4 渡嘉敷島における隊長命令の不在(1)1 赤松命令説の問題の所在 2 赤松命令説の成立(1)『鉄の暴風』(昭和25年)(乙2)の記載ア イ ウ (2) 『戦闘概要』(昭和28年)(乙10)の記載ア イ (3) 『慶良間島・座間味村及び渡嘉敷村「戦況報告書」戦争の様相』 と呼ぶ(乙3)の記載ア イ ウ (4) その後の出版物の類似性 (5) 3 赤松隊長の反論(1) 『私は自決を命令していない』ア イ (2) 赤松隊長の「血の叫び」ア イ 4 赤松命令説の破綻(1) 『ある神話の背景』の内容ア イ ウ エ オ カ キ 1 赤松命令説の問題の所在 渡嘉敷島において発生した住民の集団自決については、かつて赤松隊長から発せられた《部隊の行動を妨げないため、また、部隊に食糧を供給す...
  • (原)5 争点5(真実相当性の有無)について
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-042 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第2 事案の概要等 第2の3 前提事実及び争点 【原判決の引用】 (原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張 (原)5 争点5(真実相当性の有無)について (判決本文p86~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)5 争点5(真実相当性の有無)について第3・5(1) 被控訴人らの主張ア(自決命令は通説だった)* イ(神戸新聞や「母の遺したもの」によって自決命令の虚偽性が明らかになったとはいえない)* ウ(「ある神話の背景」よって自決命令の真実性が失われたわけではない)* 第3・5(2) 控訴人らの主張ア...
  • 「裁かれた沖縄戦」安仁屋政昭
    「裁かれた沖縄戦」安仁屋政昭の編集 紹介dj19さん:「dj19の日記」より http //d.hatena.ne.jp/dj19/20071012 「裁かれた沖縄戦」安仁屋政昭 編(晩聲社・1989年)。同書は*1第三次教科書訴訟で家永氏が取り上げた沖縄戦に関連する裁判記録が収められたものです。 「裁かれた沖縄戦」P68.69.70.71  安仁屋政昭証人調書 ―――(曽野綾子氏の著作に)赤松隊長によって集団自決が命令されたのだという事実がなかったのではないかということを立証された文章がございます。該当部分だけを読みますと、「自決命令はなかったこと。集団自決の実態がかなり誇大化されている点などを立証した。この事実関係については、今のところ曽野説をくつがえすだけの反証は出てきていない。」こういう表現がございます。この点について証人はどのようにお考えに...
  • 被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その2
    被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その2 ソース:http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/syomen3.html 被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その1 被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その2 第2 同書面第2(渡嘉敷島における集団自決の神話と実相)について1 同1(渡嘉敷島の集団自決の神話)について 2 同2(渡嘉敷島における集団自決の経過の概要)について(1)渡嘉敷島における集団自決の経緯ア 原告らは、安里喜順元巡査の手記(甲B16)や イ 前記のとおり、沖縄においては、「皇民化教育」が強力に推し進められ、 (2)原告ら主張の「渡嘉敷島における集団自決の経過の概要」についてア 原告らが、「渡嘉敷島における集団自決の経過の概要」と主張するところのものは、 イ また、原告らが星氏の「集団自決を追って」とともに挙...
  • 「土俵をまちがえた人」(4)
    「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(4) 侮辱した言葉 曽野綾子さんは、さる五月三日の本紙面で、「太田氏という人は分裂症なのだろうか」と書いてある。しかも、そう思わせる文脈の中で、そう書いてあるのである。これは、たんに言論の自由のワクをふみはずしたという程度では、すまされない言葉である。論争の相手に、そういう言葉を投げるのは、品がよくないだけでなく、読者公衆の面前で、相手を侮辱し、相手の名誉を毀損したことになる。しかも、新聞に書かれたものは、いつまでも残るのである。私の近親者に「綾子」という名の娘がいる。その母親の話によると、「曽野綾子さんにあやかってつけた名前」らしい。その娘は、いま、東京の両国高校(旧府立三中)の三年生である。私の身近にも、曽野さんのファンがいたわけだ。言葉はつつしむべきである。 知念少尉について、「鉄の暴風」では、同情的なことを書いた私が、こ...
  • 被告準備書面(6)要旨2006年11月10日
    被告準備書面(6)要旨2006年11月10日 http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/syomen6.html 被告準備書面(6)要旨2006年11月10日1 本件書籍一「太平洋戦争」について 2 本件書籍三「沖縄ノート」について 被告準備書面(6)要旨 2006年11月10日 (原告ら準備書面(4)第3(不法行為責任の発生時期について)に対する反論) 1 本件書籍一「太平洋戦争」について 原告らは、座間味島の集団自決について、梅澤命令説は、宮城初枝氏が「家の光」に寄せた手記が唯一最大の根拠としたうえで、1985年(昭和60年)7月30日付神戸新聞記事(甲B9)が掲載された時点で、梅澤命令説の根拠が失われて、相当性が揺らぐことになり、1987年(昭和62年)4月18日付神戸新聞に、宮村幸延氏の「証言」(甲B8)とイン...
  • 第3・4(2)エ(ウ) 文献に対する反論
    通038 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第3 争点及びこれに対する当事者の主張 第3・4 争点4(真実性の有無)について 第3・4(2)原告らの主張 第3・4(2)エ 渡嘉敷島について 第3・4(2)エ(ウ) 文献に対する反論 第3・4(2)エ(ウ) 文献に対する反論a (文献間の関係)* b 「鉄の暴風」について c 「戦闘概要」について d 米軍の「慶良間列島作戦報告書」について a (文献間の関係)* 渡嘉敷島における住民の集団自決が赤松大尉の命令によるとの記述は,「鉄の暴風」(乙2),「戦闘概要」(乙10),「戦争の様相」(乙3,但し,これには赤松大尉の自決命令それ自体の記載はない。)に記載され,その後に出版された「秘録 沖縄戦史」(乙4),「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」(乙6),「沖縄県史 第8巻」(...
  • 原告準備書面(1)要旨2006年1月27日
    原告準備書面(1)要旨2006年1月27日 http //blog.zaq.ne.jp/osjes/article/14/ http //s04.megalodon.jp/2007-1121-1119-07/blog.zaq.ne.jp/osjes/article/14/ 原告準備書面(1)要旨2006年1月27日1 本件訴訟の争点は、 2 さて、曽野綾子氏は、先程の司法改革審議会において、 3 さて、被告らは、死者の名誉毀損に関し、 4 この裁判で責任を追及している岩波現代文庫の「太平洋戦争」は 5 《梅澤少佐命令説》の怪しさは、 6 最後に「沖縄問題二十年」に関する被告らの 7 原告らは、次回以降、「ある神話の背景」等に基づいて 平成17年(ワ)第7696号 出版停止等請求事件   原 告  梅澤  裕 外1名 被 告  大江健三郎 外1名  原...
  • (原)第3・4(1)ウ(カ) 自決命令を記載していた文献の絶版等について
    目次 戻る 通2-025 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第2 事案の概要等 第2の3 前提事実及び争点 【原判決の引用】 (原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張 (原)4 争点4(真実性の有無)について (1)被控訴人らの主張 第3の4(1)ウ 渡嘉敷島について (原)第3・4(1)ウ(カ) 自決命令を記載していた文献の絶版等について (判決本文p56~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。   「沖縄問題20年」が昭和49年に出庫終了となったのは, 「ある神話の背景」により赤松大尉の自決命令が虚偽であることが露見したからではない。「沖縄問題20年」の著者である新崎盛睴と中野...
  • 「土俵をまちがえた人」(5)
    「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(5) 現在の世情を憂う 面倒だから簡略に答える。 ▼エチオピアその他の悲劇は、世界平和体制の中の局地的な悲劇である。悲劇が世界的に拡がったのが第二次大戦である。その最後の本格的地上戦闘があった沖縄で、物を考えるということは、大戦を二度とあらしめないための営みであるという意味で、今日的であり、未来的でもある。沖縄からも開発青年隊の若者たちがアフリカ各地で二年、三年と活し、彼と彼女たちは帰ってくると沖縄で静かに活している。一週間そこらのエチオピア体験で、いきなり、地球的視野から、沖縄戦が四十年過去のものとしてかすんだり、責任をもつべき自著をめぐる論議がとるに足らないものになったり、戦争賛成平和反対に反対する運動が無意味に見えたりするとは、どういうことか。現在のことなら、心配すべきは、日本の世情である。まるで末世の状態ではないか。何日か前に、...
  • @wiki全体から「「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(10)」で調べる

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