15年戦争資料 @wiki内検索 / 「『「慰安婦」問題調査報告・1999』」で検索した結果

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  • 『「慰安婦」問題調査報告・1999』
    今日の訪問者 - 「慰安婦」問題 調査報告・1999 目次 刊行にあたって 3 政府発表文書にみる「慰安所」と「慰安婦」--『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』を読む 和田春樹 7 防衛庁防衛研究所蔵《衛生・医事関係資料》の調査概要  波多野澄雄 33 「半島女子勤労挺身隊」について  高崎宗司 41 雲南・ビルマ最前線における慰安婦たち一死者は語る  浅野豊美 61 インドネシアにおける慰安婦調査報告  倉沢愛子 89 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告―  山本まゆみ/ウィリアム・ブラッドリー・ホートン 107 著者紹介(PDFリンク) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ソースは 財団法人女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金) http //www.awf.or.jp/ (内)「慰安婦問題」調査...
  • インドネシアにおける慰安婦調査報告
    ...登録慰安婦数 『「慰安婦」問題調査報告・1999』index
  • 『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』を読む
    ....pdf 『「慰安婦」問題調査報告・1999』
  • 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告―
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 はじめに 1 公文書館 2 慰安所の統制 3 ジャワ 4 スマラン―スマラン慰安婦事件 5 ムンティランからマゲランへ 6 スマラン市内からフロレスへ 7 ジャカルタ(旧バタビア) 8 スマトラ 9 ボルネオ島ポンティアナック 10 バリ島 11 ハルマヘラ 12 セレベス(現スラウェシ) 13 アンボン 14 モア島 結びにかえて 民族、人種 レストラン、バー、慰安所 時代区分 注 文献目録 日本語文献 外国語文献 オランダ公文書館慰安婦関連公文書一覧表 国立戦争資料研究所[Rijksinstituut voo...
  • 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る
    ...《浅野論文》 『「慰安婦」問題調査報告・1999』index
  • 防衛庁防衛研究所蔵《衛生・医事関係資料》の調査概要
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 防衛庁防衛研究所蔵《衛生・医事関係資料》の調査概要 波多野澄雄 【目次】 Ⅰ はじめに Ⅱ 調査資料の概要と性格 1 「金原節三業務日誌」 2 「陸軍省業務日誌摘録」 3 「金原資料」 4 大塚文郎「備忘録」(複製)13冊 5 「麻生資料」について Ⅲ 調査結果 1 「金原日誌摘録」と「金原日誌原本」との照合結果について 2 「金原資料」における慰安婦関係記述について 3 大塚「備忘録」について 4 「麻生徹男氏資料」について ソース http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p033_039.pdf 『「慰安婦」問題調査報告・1999』index
  • 「半島女子勤労挺身隊」について
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 「半島女子勤労挺身隊」について 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p041_060.pdf 【目次】 Ⅰ はじめに(高崎論文)(未作成) 1 問題提起 2 研究論文と資料 Ⅱ 「半島女子勤労挺身隊」の結成(未作成) 1 女子戦時動員のはじまり 2 女子勤労挺身隊の結成と出動 3 挺身隊のがれ Ⅲ 日本への動員(未作成) 1 東麻沼津 2 不二越 3 三菱名航 4 その他 Ⅳ 女子勤労挺身令(未作成) 1 女子勤労挺身令 2 「美談」と「現地報告」 3 帰国 Ⅴ おわりに(未作成) 1 動員の概要 2 動員の規模 3.「半島女子勤労挺身隊」の特色 4 挺身隊員が慰安婦にされた事例 参考文献(高崎論文) 日本語(アイウエオ順) 朝鮮語文献(カナダラ順) 付 記 『「慰安婦」...
  • 従軍慰安婦庫
    ...婦」関係資料集成』 『「慰安婦」問題調査報告・1999』『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』を読む 《衛生・医事関係資料》の調査概要 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る インドネシアにおける慰安婦調査報告 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 「慰安婦問題に対する日本政府の施策」平成19年4月「河野談話はゆるぎない日本政府の立場」という安倍首相発言を裏打ちする文書 敗戦後、慰安婦を看護婦に 共同通信2008年6月19日配信 リンク従軍慰安婦問題 15年戦争資料庫
  • 日本政府による調査と公開資料の概要
    ...集成』 ■『「慰安婦」問題調査報告・1999』の刊行=その後の研究成果の発表 『「慰安婦」問題調査報告・1999』 として纏められた。 いずれも、アジア女性基金のWEBサイトを通じて公開されている。 これらは、わが国国民の貴重な財産でありながら、PDFというハンドリング不便な方式のため、死蔵状態となっている。 政府調査以外の従軍慰安婦問題の基本文献リストは、 「従軍慰安婦」 関係文献一覧 など。 従軍慰安婦問題をコンパクトに纏めつつ書籍を紹介しているものには、 従軍慰安婦についての本当の話 などがある。 従軍慰安婦問題政府資料を読むhomeへ
  • 刊行にあたって
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 刊行にあたって   このたびの『「懲安婦」問題調査報告』刊行にあたって、「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、基金という)内に設置された『「慰安婦」関係資料委員会』の活動と本書の内容とを簡単に紹介しておきたい。   基金の設立を前にして、1995牛6月日本政府は、「基金の事業内容」のひとつとして、「政府は、過去の従軍慰安婦の歴史資料を整えて、歴史の教訓とする」と発表した。そして、基金は同年7月の発足当初から、、「資料の収集と整備」を掲げ、「慰安婦」問題が二度と繰り返されることのないよう、「歴史の教訓として未来に引き継いでいくこと」を活動の主要な柱とした。   その目的を具体化するために、基金関係者のうち歴史学者を中心に、①基金独自の資料調査、②それに基づく調査報告集の発行、③『「慰安婦」関係文献目録』の発行、④これまでに日本...
  • 13 アンボン
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 13 アンボン  1943年10月から12月までの「BC級戦犯容疑者」尋問調書にアンボン島のバトゥ・ガントゥンにあった慰安所について短い記述があった74)。支配人は「ワヤン・スタンブルの元喜劇役者」で、地元の少女を慰安婦に徴募、ジャワの少女も雇っていた。2人の支配人補佐のうちの1人は他島有力者の娘、もう1人はアンボン憲兵隊将校の愛人であった。 注へ 次へ 【目次】
  • 14 モア島
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 14 モア島  ここでも強制売春の戦犯裁判ケースがある。モア島の慰安所には5人の少女が、近隣のセルマタ島から連れて来られていた。彼女たちは、父親たちが憲兵隊に向って反抗行動をおこしたということの罰として連れてこられ慰安婦として働かされた。この慰安所の開設者だった日本人将校の説明から75)、彼女たちは1944年9月から8週間この慰安所に入れられていた。合計25人の男性がこの慰安所を使ったらしい。慰安所にはこの5人に加え、1人の少女の合計6人がいた。 注へ 次へ 【目次】
  • 12 セレベス(現スラウェシ)
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 12 セレベス(現スラウェシ)  この地域の売春に関する資料は数点保存されている。戦争中のオランダ軍情報局[NEFIS]資料は、原住民71)組織がマッカサル(現ウジュンパンダン)にいた日本人に協力して「日本人売春用」に、女性を集めるため助力した記述がある72)。他の報告書には若い女性達に、東京へ留学させると騙し、ケンダリやポマラアの慰安所へ連れていった。ポマラアとコラカの慰安所を目撃したという個人からの情報も入っていた73)。 注へ 次へ 【目次】
  • 8 スマトラ
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 8 スマトラ  スマトラ地域に関しては、慰安婦に関する記述のある公文書はほとんどなかった。スマトラには最低でも7万人の兵士が駐屯し、この数はジャワに勝っていたため、公文書がないという事はむしろ意外であった。資料の欠如の要因はいくつか考えられる。まず、ジャワと比較し、ヨーロッパ人(含む印欧混血人)が少なかったため、慰安婦の募集があっても、それほどほかのヨーロッパ人の目に止まらなかったこと、オランダ植民地時代のプランテーション制度で既に存在していた性サービスを提供するという慣習が、そのまま日本占領期...
  • 6 スマラン市内からフロレスへ
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 6 スマラン市内からフロレスへ  1944年4月半ば、スマラン市内で熱心に慰安婦になる女性を募集した。警察と憲兵が地元の印欧混血人の仲介人と一緒になって女性を連行し、指定した日時に警察署まで出頭するように命令した。警察署では、演説の後、女性を選考し、身体検査をし、スラバヤへ移送した。旧ホテル・スプレンディットの慰安所(スマラン慰安所事件に関与したスマラン倶楽部)は、この時にも使用されたとの記載がある。7人の女性は「ヨーロッパ人」であったが、1人の中国人と多数のインドネシア人女性も同時に選ばれた。...
  • 10 バリ島
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 10 バリ島  外務省公文書館には、バリ島での女性周旋に関する資料がいくつかあった66)。1942年及び1946年に複数のバリ人男性がオランダ語で書いた記録によると、日本占領期が始まった頃、日本人兵士の、女性に対する嫌がらせが横行していた。女性を集めて慰安所へ送るというような噂が流布し、連れて行かれることを免れるため、偽装結婚が盛んに行われるようになった。正式に日本当局から命令され、バリ人の官吏が地元の有力者に依頼し、おこなわれた女性の調達は、慰安所用の女性と日本人将校の愛人用も含まれていた。公文...
  • 9 ボルネオ島ポンティアナック
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 9 ボルネオ島ポンティアナック  1943年9月ボルネオ島の海軍民政部は、日本人がインドネシア人女性及び中国人女性と関係を持 ―120― つことを禁止した(蓄妾禁止令)。1943年12月に、日本海軍将兵、軍属、一般邦人用の4軒の慰安所へ元娼婦だった女性達が集められた。慰安所を6軒に増設した際、特警隊(海軍特別警察隊)が、既に日本人男性と関係を持った経験のある女性達を集め慰安所へ送った64)。記録によれば、4人の女性はスラバヤから来ている。ボルネオの慰安所は、民間邦人が軍に協力する趣旨の報国会...
  • ☆★蔵見せ中★☆
    ...料集成』   |-『「慰安婦」問題調査報告・1999』      |-『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』を読む      |-《衛生・医事関係資料》の調査概要      |-「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)      |-雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る   |-「慰安婦問題に対する日本政府の施策」平成19年4月 南京事件 |-ラーベの日記index |-怪物田中隆吉の告発 |-阿羅健一の研究 |-支那事変情報(偕行社s13.1) |-否定派引用文献    |―虐殺は嘘・人口論    |-東京日日新聞・佐藤振壽カメラマン    |-大阪毎日新聞・五島広作記者    |-対照:石川達三の読売インタビューS21 日米交渉 |-アジ歴セン特別展示 臨検 |-緊急上網:日中戦争開戦時の「船舶臨検...
  • 11 ハルマヘラ
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 11 ハルマヘラ  国立公文書館からは、ハルマヘラにあった7軒の慰安所に関する貴重な資料が見つかった69)。公文書には、慰安所にいた慰安婦の民族別人数、慰安所運営に関わった部隊名、運営期間等も記されていた。しかし、この資料には、どのように女性を集めたかという説明はなかった。表3 は、オランダ語で書かれた資料の一部であるが、同じファイルには、バタビアにあった日本事務局[Japanese Affairs]によって1946年7月に作成された「ハルマヘラ地域民政部と建設部の組織」という英語で書かれた資料も...
  • 5 ムンティランからマゲランへ
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 5 ムンティランからマゲランへ  複数のヨーロッパ人抑留所リーダーの記録から、1943年12月あるいは1944年1月に日本人抑留所所長、マゲラン州長、憲兵数人、在住民間日本人数人がムンティラン婦女子抑留所を訪れ、リーダーは、その際不本意ながら協力して若い女性のリストを作ったという50)。抑留所リーダーたちは、日本人が指名した若い女性の名前を書き、あとで名簿にしタイプするように依頼された。1月の上旬に、名簿に名前が載っている女性たちが事務所に呼び出され、働く意志があるかどうか聞かれた。後日、194...
  • 2 慰安所の統制
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 2 慰安所の統制 図1 インドネシア全図  慰安婦制度に関する現在の議論は、それぞれの軍司令部による異なった軍政での相違点に関しては充分に考察されていない。1942年3月8日オランダが日本に無条件降伏をした後、インドネシアは3つの軍政区域に分けられた──①陸軍第16軍(治)が管理するジャワ、②陸軍第25軍(富)のスマトラとマレー半島ただし第25軍は当初シンガポールに司令官本部があり後の1943年5月独立してスマトラのブキティンギに司令官本部を移動、③海軍南西方面艦隊がその他外海の島...
  • 1 はじめに《浅野論文》
    「慰安婦」問題調査報告・1999 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る 浅野豊美 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p061_088.pdf 1 はじめに《浅野論文》 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る1 はじめに《浅野論文》 注《浅野論文》  北ビルマ戦線で連合軍の捕虜となった日本軍「慰安婦」(以下括弧を付けずに用いることとする)の尋問記録と写真が発見され、それが話題を呼んでから既に5年余りが経過している。慰安婦達のその後の足跡を探るべく、筆者は1997年に米国で計40日余、1998年に台湾で8日余、関連資料の存在状況に関する予備的な調査を行った。残念ながらその足跡を現代にまで辿ることのできるような核心的な資料は今のところ発見できていない。しかし、その過程で北ビルマにおいて、慰安婦達が連合軍側に収...
  • (付録)兵補協会登録慰安婦数
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 インドネシアにおける慰安婦調査報告 倉沢愛子 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p089_105.pdf インドネシアにおける慰安婦調査報告(付録)兵補協会登録慰安婦数 (付録)兵補協会登録慰安婦数 Nomor Daerah/Cabang(地域) Jumlah ianfu(人数) 01. Sumatera Utara(Medan) 1,249(orang) 02. Sumatera Barat(Padang) 57 orang 03. Riau(Pekanbaru) 70 orang 04. Sumatera Selatan(Palembang) 386 orang 05. DKJ(Jakarta) 453 o...
  • 7 ジャカルタ(旧バタビア)
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 7 ジャカルタ(旧バタビア) 1946年から始まったバタビアBC級戦犯裁判の ―118― 初期に、1人の日本人男性の裁判があった。彼は戦前の1920年から1941年11月までバタビアに住み57)、1942年6月に曙倶楽部というレストランを、そして1943年9月にはバタビア市長の命を受け58)、桜倶楽部、別称ガン・ホーニング[Gang Horning]慰安所という一般邦人向けの慰安所を開業した。この日本人経営者には、行政側から強い圧力がかかり、慰安所を開業することになったが、本人は日々の事業経...
  • はじめに(倉沢)
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 インドネシアにおける慰安婦調査報告 倉沢愛子 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p089_105.pdf はじめに  この調査は1998年7月から9月まで、インドネシアのジャワ島において約2ヵ月にわたり筆者が実施した。インドネシアでは調査活動には大統領直属の国立科学院からの許可が必要であるが、今回筆者は、ガジャマダ大学農村地域開発研究所にスポンサーになってもらい、「情報が村落社会にいかに伝達されているか」というテーマで許可を得て、その一環として、慰安婦登録や女性基金の償い金に関する情報がどのように伝えられているかを調査した。とはいえ諸般の事情もあり、慰安婦自身へのインタビューは第三者(インドネシア語のできる日本人ならびにインドネシア人)に委託した。ただしインフォーマント探しなどにおいては、筆者自...
  • 4 スマラン―スマラン慰安婦事件
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 4 スマラン―スマラン慰安婦事件  インドネシアで起こった最も知名度の高い「慰安婦」に関する事件は、1944年初頭アンバラワとスマランに位置したアンバラワ第1または第6抑留所、アンバラワ第9抑留所、ハルマヘラ抑留所、ゲンダンガン抑留所という4ヶ所の民間人抑留所から、印欧混血人とオランダ人女性約35人を慰安婦にするため連行した事件であった33)。事件は、抑留所の管理を軍政監部から軍司令部つまり、行政官から軍当局に監理を移管するという通達が出された1943年11月3日と移管を施行した1944年3月1日の...
  • 文献目録
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 文献目録 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告―文献目録日本語文献 外国語文献 (※ 同一著者が同一年(1994年)に日英両語で論文を発表しているため、英文のものを1994a、日文のものを1994年bと表記した。) 日本語文献 内海愛子「『スマラン慰安所』事件」、『Indonesia2』第5/6号、1-18頁。 「オランダ女性慰安婦強制事件に関するバタビア臨時軍法会議判決」(新美隆解説、安原、横山翻訳)、『季刊 戦争責任研究』第3号、1994年 44-5...
  • 1 公文書館
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 1 公文書館  オランダの慰安婦関連の資料は、次の3ヶ所の公文書館に所蔵されている。大半の政府組織、個人の公文書が保管されているハーグにある国立公文書館[Algemeen Rijksarchief、略称ARA]、日本占領期の資料の他、回想録や戦争に関連する研究に必要な資料が集められているアムステルダムの国立戦争資料研究所[Rijksinstituut voor Oorlogsdocumentatie、略称RIOD]、そしてハーグにある外務省公文書室[Buitenladse Zake、略称BZ]で...
  • 3 ジャワ
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 3 ジャワ 図2 ジャワ島  1944年初頭、中部ジャワの複数の婦女子抑留所やスマラン市で、ヨーロッパ人及び印欧混血人の「婦人や少女」が、強制的に慰安婦として連行されたという比較的知名度の高い事件が多発した。しかし、このような「事件」はジャカルタでは、長期にわたり起こっていた。これら個々の事例の詳細は後述するが、オランダBC級戦犯裁判になったようなスマラン慰安所事件を含む中部ジャワやジャカルタの事例は、日本占領期ジャワ全体を通して見ると比較的希な出来事であった。しかし、たとえ希少な...
  • 注《浅野論文》
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る 浅野豊美 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p061_088.pdf 注 当事者の記憶との乖離を埋めることができなかったのは、そのような分析手法にも問題があったといえるかもしれない。 英語名は「Myitkyina」、中国名は「蜜支那」、よって日本側では「ミイトキーナ」或いは「ミチナ」と2通りで呼ばれた。ビルマ語の発音に近いミチナを使うこととする。 RG111 SC230147( BOX85)( National ArchiveⅡ Washington D.C. )CBI-44-29969 3SEPT.1944 LOT #10158..写真裏面のキャプション原文は以下の通り。PHOTOG PVT. HATFIELD; FOUR JAP GIRLS ...

  • 注 吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書、1995年、19頁。 同上、16-17頁。吉見義明・林博史編『共同研究日本軍慰安婦』大月書店、1995年、16頁。典拠は、稲葉正夫編『岡村寧次大将資料』上巻(戦場回想篇)、原書房、I970年、302貫。『岡部直三郎大将の日記』芙蓉書房、1982年、23頁。 陸軍省軍務局長「大東亜戦争間軍法会議処刑掠奪強姦等犯罪事例ニ関スル件」、別冊「日本軍ノ軍紀粛正ニ就テ」、昭和20年10月3日、永井均篇『戦争犯罪調査資料』東出版株式会社、1995年、210-212頁。 政府発表では南支23軍となっているが、吉見氏の考証で南支21軍とされている。吉見義明編『従軍慰安婦資料集』大月書店、1992年、214頁。 吉見『従軍慰安婦』165-166頁。 同上、65-66頁。吉見・林編、前掲書、22頁。 この資料については、本論集の浅野豊美論文をみてほしい。 文玉珠『ビルマ戦線...
  • はじめに(オランダ公文書館調査)
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 はじめに  慰安婦に関する文献、図書は近年数多く出版されているが、一次資料や信頼のおける資料を丁寧に検討して書かれた物は滅多に無く、多くは急速に変化する証言や新聞記事を、基本的資料にして書かれている。この状況は、公文書の欠如ということにある程度起因しているとはいえ、研究者や著者の政治的恣意により、戦史や慰安婦の歴史を容易に操ったり否定したりする結果を招き易くし、このことが歴史の中で慰安婦の理解を困難なものにしている。   既に周知されていることではあるが、オランダは他の国と比較し、BC級戦...
  • 結びにかえて
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 結びにかえて 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告―結びにかえて民族、人種 レストラン、バー、慰安所 時代区分  13人の日本人が有罪になった、バタビアBC級戦犯裁判のスマラン慰安所開設の公判記録は、事件を再現するに耐えられるだけの情報が公文書として残っていた。このスマラン慰安所事件の戦犯裁判の為に集められた情報から、ジャワの慰安所設置の許可は地元の兵站部から出され慰安所経営者は、一人一人の女性が売春する意志があるか確認、趣旨書に署名、定期検診、そして定期的に金...
  • 6 まとめ《浅野論文》
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る 浅野豊美 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p061_088.pdf 6 まとめ 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る6 まとめ 注《浅野論文》  以上、日本軍が最後まで抵抗を続け玉砕した、拉孟・騰越・ミチナの順に、各地の慰安婦達がいかに戦闘に巻き込まれ、死亡し、捕虜となっていったのかを、戦局に即しながら、資料的な制約はあるものの努めてダイナミックな変化の文脈の中で論じた。  そもそも、本論で言及した慰安婦達の全ては、1942年の6月から7月という同じ時期に朝鮮から、軍の示唆を受け女性を集めた女衒によってビルマに連れられてきたものである。ラングーン到着後に、慰安婦達は将校のくじ引きによって、配属される部隊が決められたという...
  • Ⅲ 面接した元慰安婦たちの現状と償い金に対する立場
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 インドネシアにおける慰安婦調査報告 倉沢愛子 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p089_105.pdf Ⅲ 面接した元慰安婦たちの現状と償い金に対する立場 インドネシアにおける慰安婦調査報告Ⅲ 面接した元慰安婦たちの現状と償い金に対する立場1 登 録 2 社会省の決定に対する態度 3 兵補協会の会長交代 1 登 録  今回面接調査した40名のうち、ジョクジャカルタの法律援護協会に登録した15名は1993年に、兵補協会へ登録した他の25名は1995年に登録している。今回慰安婦補償問題が日本側から出てくる以前にも、元従軍慰安婦の女性たちに接近して、補償をとってやると話を持ちかけて手数料を取り、そのまま姿を消す詐欺まがいの者がいたという(ジョクジャカルタのスハルディンさんの証言)。また今回...
  • Ⅰ 戦後補償問題としての慰安婦問題
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 インドネシアにおける慰安婦調査報告 倉沢愛子 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p089_105.pdf Ⅰ 戦後補償問題としての慰安婦問題 インドネシアにおける慰安婦調査報告Ⅰ 戦後補償問題としての慰安婦問題1 インドネシア社会における「慰安婦問題」認識 2 慰安婦問題に関するマスコミ報道の始まり 3 日弁連弁護士のインドネシア訪問 4 法律援護協会への登録 5 兵補協会による慰安婦の登録 6 アジア女性基金の償い金に関する情報 7 インドネシア政府の態度 1 インドネシア社会における「慰安婦問題」認識  第2次大戦中、日本軍占領下のインドネシアで、多くの女性(インドネシア人、華人、オランダ人)が、日本兵の性的犠牲になったことはインドネシア社会では周知の事実であった。たとえば、195...
  • 参考文献(高崎論文)
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf 参考文献 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)参考文献日本語(アイウエオ順) 朝鮮語文献(カナダラ順) 付 記 日本語(アイウエオ順) 朝日新聞社編『女たちの太平洋戦争②──日本軍を見た内外の瞳』(朝日文庫版)朝日新聞社、1997年。 池田英箭「三菱青年学校の思い出」、東南海地震・旧三菱名航道徳工場犠牲者調査追悼実行委員会編・発行『悲しみを繰り返さぬようここに真実を刻む──東南海地震・旧三菱名航道徳工場の記録』1988年。 池田正枝「強制連行と戦後の責任」『解放教育』1991年12月号。 石川準吉編a『国家総動員史 資料編』第1巻、国家総動員史刊行会、1975年。 石...
  • I はじめに(高崎論文)
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf Ⅰ はじめに(高崎論文) 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)Ⅰ はじめに(高崎論文)1 問題提起 2 研究論文と資料 参考文献 1 問題提起  「従軍慰安婦」問題の波紋が広がり始めた1991年当時、日本では、「朝鮮人従軍慰安婦」は「女子挺身隊」という名によって強制連行された、と広く信じられていた。新聞記者や野党議員等が次のように書いたり、話したりしていたからである。  「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊...
  • おわりに──調査を終えて感じたこと──
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 インドネシアにおける慰安婦調査報告 倉沢愛子 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p089_105.pdf おわりに──調査を終えて感じたこと── インドネシアにおける慰安婦調査報告おわりに──調査を終えて感じたこと──  最後に、この調査を終えて感じたことをまとめよう。インドネシアの場合、対日感情や治安が比較的良かったこと、支配機構が強固で上からの命令は恐れをもって受け入れられたことなどにより、かなりの数の慰安婦あるいは慰安婦に準ずる女性を集めることができたようである。もちろんそこでは、ほとんどの場合さまざまなレベルの強制力が働いていた。というのは、イスラム教徒が多い国ゆえに、売春行為に対する心理的抵抗は大きく、自ら志願するケースはほとんどなかったと思われる。  ただし、現在法律...
  • 8.慰安婦の帰還
    8 慰安婦の帰還 (*1) ■をクリック→この稿の該当個所へ 資料名をクリック→資料の概要(予定)へ 8 慰安婦の帰還《フィリピン朝鮮人慰安婦捕虜尋問記録》 ■ 「俘虜名票」に関する調査結果概要[厚生省社会・援護局](昭22・1・9)(未作成) 《方善柱氏の論文》 《沖縄から韓国へ送還された朝鮮半島出身者の名簿》 《フィリピンから送還された軍人と民間人の名簿》 (低い保護率、帰還率) 《帰還率の推定》 《フィリピン朝鮮人慰安婦捕虜尋問記録》   慰安婦の帰還も時期と場所によって大きく異なっていると考えられる。南方で日本軍が玉砕した場合、慰安婦も多くが死亡した。玉砕に当たって、慰安婦を殺した場合も知られている。北ビルマの状況については、本論集に収められた浅野豊美氏の論文が詳しく明らかにしている。ここでは、在米韓国人学者方善柱氏の論文に発表された米軍の捕虜尋問記録(*...
  • V おわりに
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf Ⅴ おわりに 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)Ⅴ おわりに1 動員の概要 2 動員の規模 3.「半島女子勤労挺身隊」の特色 4 挺身隊員が慰安婦にされた事例 参考文献 1 動員の概要  これまで述べてきたことの要点(推定を含む)を整理して表にすれば次の通りである。空欄の所は不明である。 出発年月日 到着月日 出身地  動員先  概人数 帰国年月日  1944 4 慶尚南道 東麻沼津 100 1945  9 30     5 5 9 慶尚北道 不二越 70-100 ...
  • Ⅱ インドネシアの従軍慰安婦──歴史的実態──
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 インドネシアにおける慰安婦調査報告 倉沢愛子 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p089_105.pdf Ⅱ インドネシアの従軍慰安婦──歴史的実態── インドネシアにおける慰安婦調査報告Ⅱ インドネシアの従軍慰安婦──歴史的実態──1 慰安婦募集の過程 2 軍管理慰安所の状況 3 私設慰安所の場合 4 終戦後  さて、以上がインドネシアにおいて従軍慰安婦問題がどのような経緯で社会問題となり、また犠牲者の女性たちとそれを支援する民間団体が、現在どのような形で補償問題と取り組んでいるかについての経緯である。  次に、現実に元従軍慰安婦の女性たちが日本時代に被った体験について述べたい。インドネシアにおける軍慰安所、あるいは従軍慰安婦に関する戦争当時の文書は、筆者の知るかぎり同国内には...
  • オランダ公文書館慰安婦関連公文書一覧表
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 オランダ公文書館慰安婦関連公文書一覧表 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告―オランダ公文書館慰安婦関連公文書一覧表国立戦争資料研究所[Rijksinstituut voor Oorlogsdocumentatie:RIOD] 国立公文書館[Algemeen Rijksarchief:ARA] 外務省[Ministerie van Buitenlandse Zaken:BZ]  1998年6週間に亘り実施したオランダ3公文書館――国立戦争資料研究所、国立公文書館...
  • 注(オランダ公文書館調査)
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 注 ※[ ]には、資料に記載されていた固有名詞の綴りを、( )内には筆者の説明を付した。 茶園義男編『BC級戦犯和蘭裁判資料・全巻通覧』不二出版、1992年、268頁。茶園によると、BC級戦犯裁判では、売春強要の罪でオランダが30人、アメリカが1人、また中国が1人に判決を下した。 『朝日新聞』の第1報は、1992年7月21日であったが、判決文の抜粋は1992年8月30日に掲載された。同様の判決文は(日本政府に)補償要求をしているオランダ人元抑留者及び捕虜からなる「日本の道義的債務団体」の弁...
  • 2.「慰安婦」の募集
    2.「慰安婦」の募集 ■をクリック→この稿の該当個所へ 資料名をクリック→資料の概要(予定)へ 2.「慰安婦」の募集■  支那渡航者ニ対スル身分証明番発給ニ関スル件[福岡県知事](昭12・12・15)(未作成) ■  時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件[和歌山県知事](昭和13・2・7) ■  醜業帰渡支ニ関スル経緯[内務省](期日不明)(未作成) ■  時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件[和歌山県知事](昭和13・2・7) ■  上海派遺軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌帰募集ニ関スル[群馬県知事](昭和13・1・19) ■  北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件[山形県知事](昭和13・1・25) ■  上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件[茨城県知事](昭和13・2・14)(未作成) ■  支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件〔内務省警保局長](昭和13・2・23)(未作成) ■ ...
  • 2 北ビルマにおけるインパール作戦後から終戦に至る戦況
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る 浅野豊美 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p061_088.pdf 2 北ビルマにおけるインパール作戦後から終戦に至る戦況 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る2 北ビルマにおけるインパール作戦後から終戦に至る戦況 注《浅野論文》  1944年初頭から開始されたインパール作戦が春を過ぎ敗色濃厚となる中、連合軍は逆に北ビルマと雲南方面から総反攻を開始した。慰安婦が大勢送られていた北ビルマでの本格的戦闘は、雲南前線方面では1944年5月11日から、最北端に位置するミチナ(ミイトキーナ)2)飛行場周辺では5月17日から始まった。激しい戦闘行為が終了し日本軍の抵抗が止んだのが、ミチナにおいては、8月3日の夕刻、雲南方面の拉孟(松山)で...
  • 3 拉孟近郊の松山陣地
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る 浅野豊美 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p061_088.pdf 3 拉孟近郊の松山陣地 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る3 拉孟近郊の松山陣地 注《浅野論文》  まず、写真Aをご覧頂きたい。これは、既によく紹介されている写真であるが、「松山」という場所で、1944年9月3日に撮影されたものである。松山とは、日本側で拉孟(中国語の表記は、「臘猛」)と呼び習わした街の近郊にある山の名で、日本側が強靭な陣地を構築して最後まで立てこもった場所である。 写真A 1944年9月3日松山にて アメリカ写真部隊撮影  この写真のキャプションには、「ビルマロード上の松山という地点の村で、中国第8軍の兵士によって捕虜に...
  • 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(5)
    政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(5) 第5巻:http //www.awf.or.jp/pdf/0051_5.pdf 目次(第五巻) 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(5)資料の概要紹介 米国国立公文書館・国立国会図書館所蔵資料Ⅰ、連合軍翻訳通訳部局(ATIS)関係文書 26項目26点 Ⅱ、連合軍東南アジア翻駅・尋問センター(SEATIC)関係文書 5項目5点 Ⅲ、戦争情報局(United States Office of War Information)関係資料 1項目1点 Ⅳ、写真資料  4点………………………211 資料の概要紹介 第1巻 … 3 第2巻 …49 第3巻 …65 第4巻 …87 第5巻 …99 米国国立公文書館・国立国会図書館所蔵資料 Ⅰ、連合軍翻訳通訳部局(ATIS)関係文書 26項目26点 一 尋問調書(In...
  • 発刊の辞
    政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成 発刊の辞   「従軍慰安婦」にさせられ、心身にわたり癒し難い傷を負われたすぺての方々に対して、政府と国民が協力して、お詫ぴと反省に立つ国民的な償いや医療、福祉の事業を進める「女性のためのアジア平和国民基金」がスタートしてから、はや二年になろうとしています。この間基金は国民の皆さまからのご支持と拠金をえて、フィリピン、韓国、台湾で償いの事業を開始いたしました。高齢の方々に対するお詫びと国民的償いの事業ですので、より多くの方々に受けとめていただけるように一層の努カを払っていく所存です。   お詫ぴと償いの事業は遇去の歴史を直視し、これを正しく後世に伝える努カと切り離すことができません。「慰安婦」問題の真実を明らかにし、歴史の教馴とするためには、資料の発掘、調査、研究が必要です。   日本政府は、一九九一年(平成三年)一二月以後、いわゆ...
  • 従軍慰安婦問題関連文献リスト
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 従軍慰安婦問題関連文献リスト 従軍慰安婦問題関連文献リスト 麻生徹男 『戦線女人考』(一九三九年) 辻政信 『十五対――ビルマの死闘』(一九五〇年 酣燈社)57p「慰安婦」の記述 77p「天草娘」「朝鮮娘」の記述 高成 浩 「忘れ去られた歴史は呼びかける」『朝鮮評論』7号(一九五三年四月) 中野清見 『ある日本人――第二部東北の秘境に挑む』(一九五八年 平凡社)308p「朝鮮から連れてこられた慰安婦と呼ばれる人たち…」349~350p「慰安所、朝鮮の女たち…」 近代戦史研究会 『女の兵器――ある朝鮮人慰安婦の手記』(一九六五年 浪速書房) 津山章作 『戦争奴隷』(一九六七年 養神書院) 加藤美希雄 『秘められたる女の戦記』(一九六八年 清風書房) 伊藤桂一 『兵隊たちの陸軍史兵営と戦場...
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