15年戦争資料 @wiki内検索 / 「リットン調査団を欺く関東軍」で検索した結果

検索 :
  • 満州事変庫
    ...州事変の導火線 リットン調査団を欺く関東軍 特務機関員・ヴェスパの満州脱出 15年戦争資料庫
  • リットン調査団報告書
    15年戦争資料(未作成)へ 外務省全訳『リットン報告書』(東治書院、昭和7年10月10日)第一章 支那に於ける近時の発展の概要 第二章 満州 第三章 日支両国間の満州に関する諸問題 第四章 1931年9月18日当日及其後に於ける満州に於いて発生せる事件の概要 第五章 上海 第六章 「満州国」 第七章 日本の経済的利益及支那の「ボイコット」 第八章 満州に於ける経済上の利益 第九章 解決の原則及条件 第十章 理事会に対する考察及提議 外務省全訳『リットン報告書』(東治書院、昭和7年10月10日) 第一章 支那に於ける近時の発展の概要 第一節 近代支那の発展 第二章 満州 第一節 記述 第二節 支那の他の部分との関係 第三節 対露関係 第三章 日支両国間の満州に関する諸問題 第一節 支那に於ける日本の利益 第二節 満州に於ける日支両国間の根本的利害関係の衝突 第...
  • 第三章 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第三章 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない 第三章 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない第一節 「満洲某重大事件」=張作霖爆殺事件(一九二八=昭和三年) 第二節 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない 第一節 「満洲某重大事件」=張作霖爆殺事件(一九二八=昭和三年)  先に見たように、田中義一内閣は、東三省に満洲人自身の努力による安定政権が樹立されることを期待し、満洲(奉天)軍閥の頭領張作霖を支援しようとしていた。しかし、現地関東軍将校には、張作霖は信頼できない、満洲支配を委ねるのは危ないと判断する者が多かった。その様な時期に、蒋介石の「北伐」攻勢に押されて奉天に退却する途次の張作霖を爆殺する事件が一九二八=昭和三年六月四日起...
  • 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備1 日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。 2 このように戦争によって獲得した植民地は、 3 日本は満州事変で遼寧、吉林、黒竜江の東北三省を占領し、 4 第一次世界大戦によって、ヨーロッパ各国は、 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備 1 日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。   日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。日清戦争の結果、1895年の「下関条約」によって台湾の領有が認められ、日本で最初の植民地となった。つづ...
  • 【産経抄】2月2日
    http //sankei.jp.msn.com/culture/academic/100202/acd1002020240000-n1.htm 【産経抄】2月2日 2010.2.2 03 22  「日中歴史共同研究委員会」が公表した報告書をめぐって、きのうの各紙は、両国間の「溝の深さ」や「隔たりの大きさ」を伝えていた。歴史認識の違いが鮮明に出るのは、当然ではないか。まして相手は、学問の自由がない独裁国家である。  ▼むしろ近現代史の部分で、日本側が歩み寄った印象が強いのが気になる。特に「南京事件」については、被害者数「30万人以上」を主張する中国側に対して、「20万人を上限として4万人、2万人」などと、「虐殺」を認めてしまった。最近では、その存在を疑う研究も出ているというのに。  ▼文化大革命や天安門事件、チベット、ウイグルに対する弾圧など、一番読みたい戦...
  • 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第1章 満州事変から盧溝橋事件まで 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1> 戸部良一: 防衛大学校教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>1.満洲事変1)柳条湖事件 2)中国の対応と国際連盟 3)事変解決の模索 4)上海事変と満洲国建国 5)満洲国の実態 6)熱河事件と国際連盟脱退 2.関係安定化の模索と挫折1)戦区接収と実務協定 2)広田・重光外交 3)日中提携の試み 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>2.関係安定化の模索と挫折4)梅津・何応欽協定 5)広田三原則 3.華北の紛糾1)幣制改革 ...
  • 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第1部 近代日中関係の発端と変遷 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その2> 服部龍二 中央大学総合政策学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1> 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その2>4.国民政府「革命外交」と田中外交・第2 次幣原外交1) 第1 次山東出兵、東方会議、山本─張鉄道協約 2) 済南事件と張作霖爆殺事件 3) 国民政府「革命外交」 4) 奉ソ戦争と経済関係 5) 中国における日本人コミュニティ おわりに 4.国民政府「革命外交...
  • 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨)
    http //mainichi.jp/select/seiji/news/20100201ddm010010012000c.html 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨)◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動◇日本側 ◇中国側 ◆第2部 第1章 満州事変から日中戦争まで◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第3章 日中戦争と太平洋戦争◇日本側 ◇中国側 ◇議論3年、計6部15章 ■日中歴史共同研究委員会のメンバー ◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 ◇日本側  第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)に際し駐日英国大使は中国近海のドイツ仮装巡洋艦を攻撃するため日本に支援を求めた。日本海軍は膠州湾を封鎖した。日本は中国に対して21カ条の要求を...
  • 日中歴史共同研究の報告書要旨<2>…南京事件など
    http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100131-OYT1T00930.htm 日中歴史共同研究の報告書要旨<2>…南京事件など  1月31日発表された、日中歴史共同研究報告書要旨は次の通り(中国側要旨は読売新聞社訳)。        ◇  【満州国の実態】  日本側 抗日ゲリラ活動がなかなか下火にならず、関東軍が徹底的弾圧を加えた。満州国は通貨統一の強力な実現を図り、経済の近代化を促した。鉄道や道路を整備し、石炭、電力、鉄鋼などの生産が大きく伸びたが、住民の生活水準向上を目指すものではなかった。「民族協和」もスローガンに終始し、日本人と満州国人の格差が拡大した。  中国側 (日本による)通貨改革は実質的には強行された金融略奪だった。日本は(日中戦争後に)満州に対する施政の重点を経済略奪の強化に変えた。...
  • 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第1章 満州事変から盧溝橋事件まで 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2> 戸部良一: 防衛大学校教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>  満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>2.関係安定化の模索と挫折4)梅津・何応欽協定 5)広田三原則 3.華北の紛糾1)幣制改革 2)「北支」工作(華北「自治」運動) 3)多発する事件 4)対ソ戦略と対中政策 5)内蒙工作と綏遠事件 6)西安事件 7)対中政策の再検討 8)盧溝橋事件前夜 2.関係安定化の模索と挫折 4)梅津・何応欽協定 広田や重光が、満...
  • 日中歴史研究報告書のポイント
    http //www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010013100094 日中歴史研究報告書のポイント  日中歴史共同研究報告書の近現代史に関する記述のポイントは次の通り。 【日清戦争(1894~95年)以降】  日本=近代の日中関係史において日清戦争は一つの転換点。日本が有利な不平等条約体制が形成され、日本国内でも中国を蔑視(べっし)する傾向が生まれたことなど、それ以前とは異なる傾向が顕著に見られた。  中国=日本の拡張行為はやむことなく持続して中国人の抗日意識を激化させ、日本軍政決定者に、したい放題の横暴な心理を作り出した。 【田中上奏文(1927年)】  日本=対中政策を協議した東方会議に関連して「田中上奏文」と呼ばれる怪文書がある。これは田中義一首相が昭和天皇に上奏したとされるもので、中国への侵略計画だった。だが「...
  • 第三十二軍
    第32軍第三十二軍司令官 第三十二軍参謀長 第三十二軍高級参謀 第九師団 第二十四師団 第六十二師団 独立混成第四十四旅団、 軍砲兵隊 第28師団 陸軍海上挺進戦隊 海軍兵力一万 第32軍 帝國陸軍~その制度と人事~ http //imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/index.html による 沖縄戦 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E8.BB.8D.E5.A3.AB.E5.AE.98 補 第三十二軍司令官 渡辺正夫 陸士21期 昭和19・3・22 牛島 満 陸士20期 昭和19・8・8 第三十二軍参謀長 北川潔水 陸士29期 昭和19・3・22 長 ...
  • 第五章 上海
    第五章 上海  1月末上海に於いて戦闘発生せり。2月20日迄の本事件の経過概要は聯盟の任命せる領事国委員会に依り既に報告せられたり。領事国が2月29日、東京に到着せる時、戦闘は猶進行中にして、上海に於ける日本政府の武力干渉の起因、動機、及結果に関し調査団は同政府当局と数度討議を行いたり。調査団が3月14日、上海に到着せる時は戦闘は終了し居たるも停戦交渉は難関に在りたる次第にて恰も此の時に当り調査団が到着したることは機を得たるものにして良好なる空気を助成せしやも知れず。調査団は最近の敵対行為に基づく緊張せる感情を諒解し且又本紛議に関連する困難及問題の双方につき直接且明確なる印象を得たり。調査団は領事国委員会の事業を引継ぎ又は上海に発生せる最近の出来事に付特に研究すべき旨の訓令を受けたることなく却って調査団は支那政府においては調査団が上海に於ける事態調査の為其の満州に赴くことを延引すべしと...
  • 南京虐殺、犠牲者数で隔たり=戦後史は除外-日中歴史研究報告書
    http //www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010013100092 南京虐殺、犠牲者数で隔たり=戦後史は除外-日中歴史研究報告書  日中両国の有識者による歴史共同研究の成果をまとめた報告書が31日、公表された。双方は、日中戦争の原因が基本的に日本側にあり、中国国民に深刻な被害を与えたとの見解では一致。しかし、南京虐殺事件の犠牲者数を中国側が30万人と主張したのに対し、日本側は2万~20万人とするなど、認識の隔たりも浮き彫りとなった。  日中の有識者は共同研究を継続していく方針を確認しているが、政治体制の違いもあり、歴史認識の共有に向けたハードルは高いのが実情だ。  歴史共同研究は両国の相互理解を深めることを目的に、2006年10月の日中首脳会談で合意され、同年12月にスタート。日本側は北岡伸一東大教授、中国側は歩平・社会科学院近代史研究...
  • 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(4)
    政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(4) 第4巻:http //www.awf.or.jp/pdf/0051_4.pdf 目次(第四巻) 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(4)一、国立公文書館・大英帝国戦争博物館 所蔵資料【内閣・内務省関係】4項目4点 【軍関係】10項目16点 二、厚生省関係公表資料 5項目5点 一、国立公文書館・大英帝国戦争博物館 所蔵資料 【内閣・内務省関係】4項目4点 一 渡支邦人暫定処理ニ関スル件[内務省讐保局長](昭16・8・16)(未作成) … 5 二 行政事務ノ整理簡捷化及中央官庁ノ権限ノ地方委譲等ニ関スル件[閣議決定](昭18・12・14)(未作成) … 27 三 第二次許可認可等行政事務簡捷化ニ関スル件[閣議決定](昭19・1・6)(未作成) … 33 四 朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正ノ件[閣議決定](昭19・...
  • 大命による南京攻略戦
    週刊金曜日 1997.12.5 南京大虐殺60周年特集 大命による南京攻略戦昭和天皇は対中国決戦諭者だった昭和天皇が中国を敵国と呼んだ 中央主導で拡大した盧溝橋事件 大命による南京攻略戦 昭和天皇は対中国決戦諭者だった 藤原彰 昭和天皇が中国を敵国と呼んだ 一九三七年一一月二〇日、日露戦争以来三二年ぶりに、天皇の大纛(たいとう)(旗じるし)の下の陸海軍の最高統帥機関として大本営が設置された。同月二四日には、第一回の大本営御前会議が開かれ、その席上で九月末に石原莞爾に代わって参謀本部第一(作戦)部長となった下村定(さだむ)が、南京の攻撃を考慮していることを説明した。ついで一二月一日、大本営は中支那方面軍の戦闘序列(天皇の命ずる作戦軍の編組)を命令し、さらに大陸命(大本営陸軍部の発する天皇の命令)第八号をもって、「中支那方面軍司令官ハ海軍ト協同シテ敵国首都南京ヲ攻略スヘ...
  • 日本にとって植民地とは何であったか
    毎日新聞社「決定版昭和史 別巻1 日本植民地史」1985  p226 日本にとって植民地とは何であったか 初瀬龍平 日本にとって植民地とは何であったか植民地の獲得 植民地の経営 脱亜入欧の反省へ 植民地の獲得 戦前日本の領土には、「内地」と「外地」とがあった。内地とは、本土、沖縄、小笠原、千島のことであり、外地とは、台湾、朝鮮、南樺太、関東州、南洋諸島のことである。日本の植民地としては、日本領土であった上記の外地に加えて、領土ではなかったが、日本のカイライ国家であった満州国が挙げられる。 現在の私たちは、かつて日本の植民地がどこにあり、どのような統治をしていたか、を次第に忘れつつある。テレビで、中国残留孤児という四〇歳台の男女が肉親を探して来日するのをみて、涙する目本人は多い。しかし、そこから、かつての植民地政策を間い直そうというひとは少ない。 明治日...
  • 1931年9月18日当日及其後 その1
    第四章 1931年9月18日当日及其後に於ける満州に於いて発生せる事件の概要 事件突発直前の事態  前章において満州に於ける日支両国利益の関係漸次緊張し来れるを述べ之が両国軍部の態度に及ぼす影響を述べ置きたり。既に相当期間或種の内部的、経済的及政治的要因が日本国民の満州に於て再び「積極政策」に出づるに備えつつありしことは疑いなきところなり。軍部の不満、政府の財政策、全て政党に対して不満の意を表明し、西洋文明の妥協的方法を蔑視して古代日本の道徳に依存することを主張し又財界及政界の利己的方法をも非とする軍部、農村落及国家主義的青年の間より醸成せられたる新政治勢力の出現、物価下落が主要生産者をして其の境遇を緩和せんが為に冒険的外交政策に望みを嘱するの傾あらしむるに至れること、事業界の不況が工業及商業界をして一層強硬なる外交政策により取引改善すべしと信ぜしむるに至れること、之等の事情は何れも...
  • Ⅱ 調査資料の概要と性格
    防衛庁防衛研究所蔵《衛生・医事関係資料》の調査概要 Ⅱ 調査資料の概要と性格 Ⅱ 調査資料の概要と性格1 「金原節三業務日誌(未作成)」 2 「陸軍省業務日誌摘録(未作成)」 3 「金原資料(未作成)」 4 大塚文郎「備忘録」(未作成)(複製)13冊 5 「麻生資料(未作成)」について 調査対象資料は次の4種である。 1 「金原節三業務日誌(未作成)」 (以下「金原日誌原本」とする)15冊  この「金原日誌原本」は、戦後、金原氏が学校長を務めた陸上自衛隊衛生学校(東京都世田谷区三宿)に所蔵されていたものであり、記述は昭和12年8月3日より、昭和18年9月11日までである(昭和15年7月25日より昭和16年6月21日までほぼ1カ年は欠落している)。96年に防衛研究所図書館に移され、現在、他の資料とともに整理中である。 2 「陸軍省業務日誌摘録(未作成...
  • 1931年9月18日当日及其後 その2
    第四章 1931年9月18日当日及其後に於ける満州に於いて発生せる事件の概要(その2) (その1より続き)  10月初め、嘗て馬占山、萬福麟と同地位を保有し彼等に代わりて黒龍江主席たらんとせしことあるトウ南守備隊長張海鵬は明らかに強力により省政府を奪取するの目的を以てトウ南―昴々渓鉄道に沿い進出を開始せり。支那側参与員提出文書第三号には、進出が日本側の煽動によるものとなし居れるが中立の方面より得たる情報もこの見解を支持し居れり張海鵬軍の進出を防止せんがため馬占山は漱江橋梁の破壊を命じ両軍は広大且沼沢地たる同河流域を隔てて相対峙せり。  トウ昴線は南満州鉄道提供の資本により建設せられ右線路は借款の担保とされ居るを以て南満州鉄道当局は北満よりの農産物運搬の特に必要なる時に当り同線の運輸妨害を続くることは許す可からずと感じたり。在齊々哈爾日本総領事は政府の訓令により10月20...
  • 日中歴史共同研究の報告書要旨<1>…満州事変まで
    http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100131-OYT1T00912.htm 日中歴史共同研究の報告書要旨<1>…満州事変まで  1月31日発表された、日中歴史共同研究報告書要旨は次の通り(中国側要旨は読売新聞社訳)。        ◇  <序>=(略)  <古代・中近世史>=(略)  <近現代史>  【明治維新】  日本側 明治維新では、中央集権でなければ外国と対抗できないことが広く理解されていた。薩長の下級武士からなる官僚が藩を廃止し、自ら武士(身分)も廃止した。清国の改革「洋務運動」は十分な成果を上げなかった。全国一体としての運動にならず、儒教が大きな障害になったというべきだろう。  中国側 明治政府は国内改革の成功で国力を結集し、近代強国に成長し、対外的な力を強化した。...
  • 第七節 中村大尉事件
    7、中村大尉事件  中村大尉事件日本側の見解に依れば満州に於ける日本の権益に対し支那側が全然之を無視せる幾多の事件が遂に其の極点に達せるものなり。中村大尉は1931年盛夏の候、満州の僻遠なる一地方において支那兵に殺害せられたり。  中村震太郎大尉は日本現役陸軍将校にして日本政府の認めたるが如く日本陸軍の命令による使命を有したり。哈爾賓通過の際、支那官憲は同大尉の護照を検査せるが同大尉は農業技師と自称せり。其の際、同大尉は其の旅行地域は匪賊横行地域なる旨警告せられ右事情は同大尉の護照に記載せられたり。同大尉は武器を携帯し且売薬を所持し居たるが支那側に拠れば売薬中には薬用に非る痺薬ありたり。  6月9日、中村大尉は3名の通訳者及助手を伴い東支鉄道西部の伊勤克特駅を出発せり。同大尉がトウ南の方向において奥地へ相当の距離にある一地点に到達せる際、一行は屯懇軍第三団長関玉の指揮す...
  • 南京事件の犠牲者数、日中の主張に相違
    http //www.chosunonline.com/news/20100202000027 南京事件の犠牲者数、日中の主張に相違  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」は31日、報告書を公表した。2006年から学識者が進めてきた研究結果を盛り込んだ550ページに達する報告書は、総論に続き、古代・中世史、近現代史の部分で構成されている。近現代史には文化大革命、天安門事件など1945年以降の事柄は含まれなかった。  第二次世界大戦までの近現代史では、日中戦争当時の南京事件について、日本側が「日本軍による集団的虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪、放火も頻発した」と認める一方で、焦点の犠牲者数に関しては「20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がある」と主張した。これは「30万人」を主張する中国側と隔たる数字だ。  満州事変に関して...
  • 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その1>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その1> 波多野澄雄:筑波大学大学院人文社会科学研究科教授(委員会委員) 庄司潤一郎:防衛省防衛研究所戦史部第1 戦史研究室長(委員会委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その1>はじめに 第1 節 盧溝橋事件の発生と全面戦争への拡大1)盧溝橋事件の勃発と拡大要因 2)関東軍の積極介入と北支那方面軍の南下 3)上海派兵 4)南京攻略と南京虐殺事件 5)和平をめぐる葛藤-トラウトマン工作32と9ヶ国条約会議 第2節 ...
  • 第一節 支那に於ける日本の利益
    第3章 日支両国間の満州に関する諸問題 1、支那に於ける日本の利益  1931年9月に至る四半世紀間に於いて満州と支那の他の部分との結合は追々強固となりつつあり夫れと同時に満州における日本の利益は増加しつつありたり。満州は明らかに支那の一部たりしも同地方に於いて日本は支那の主権行使を制限するが如き特殊の権利を獲得若しくは主張し両国間の衝突は其の当然の帰結なりき。 1905年12月の北京条約に依り支那は従来ロシアの租借し居たる関東州租借地及ロシアの管理し居たる東支鉄道南部線中長春以南の鉄道の日本への譲渡を承認し尚追加協定に依り支那は安東奉天間の軍用鉄道を改良し之を15ヵ年間経営する権利を日本へ譲与したり。  1906年8月、勅令に依り従前のロシア鉄道を安奉鉄道と共に引受け且管理する為南満州鉄道会社設立せられたるが、日本政府は鉄道、其の付属財産並びに撫順及煙台の価値ある炭...
  • 北岡伸一「トップの条件欠如を露呈」
    情報元は「森茂樹のマーケティング・コラム 」さん http //www3.ocn.ne.jp/~fmg-net/moricolumn/morico160.html 2008.11.13朝日新聞「私の視点」 東京大学教授・北岡伸一(日本政治外交史) 「トップの条件欠如を露呈」  「論文の必要条件は、たしかな事実と堅固な論理である。  田母神氏の論文には、事実の把握において、著しい偏りがある。例えば、日本は中国や朝鮮に対し、相手の了解を得ないで一方的に軍を進めたことはないと書いている。しかし、満州事変が、石原莞爾ら関東軍の幕僚による陰謀であったことは、誰でも知っている事実である。張作霖爆殺事件についても、コミンテルンの仕業という説が有力になっていると書く。ごく一部にそういう説はあるが、まったく支持されていない。関東軍参謀の河本大作によるものだという説は、揺らいでいな...
  • 【日中歴史研究】両国の間にはこれだけの相違が…
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001312359018-n1.htm(~n3) 【日中歴史研究】両国の間にはこれだけの相違が… 2010.1.31 23 58 日中双方の見解の相違 日中両国の有識者による歴史共同研究は、いまなお双方の歴史認識の溝が埋めがたいことを浮き彫りにした。特に近現代史において、日本側は日中戦争当時の日本政府の意思決定過程の積み重ねに努めたのに対し、中国側は日本の戦争責任を問いただす内容となった。一方で日本側は加害者の立場を明確にするなどの中国側の配慮もみられた。日中戦争を中心に、両者の主張の相違点を検証する。(長谷川周人)  【「南京事件」】  国民政府の首都・南京への攻略命令を受けた日本軍は1937年(昭和12年)12月、総攻撃を開始した。このときの犠牲者数...
  • 参考文献(高崎論文)
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf 参考文献 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)参考文献日本語(アイウエオ順) 朝鮮語文献(カナダラ順) 付 記 日本語(アイウエオ順) 朝日新聞社編『女たちの太平洋戦争②──日本軍を見た内外の瞳』(朝日文庫版)朝日新聞社、1997年。 池田英箭「三菱青年学校の思い出」、東南海地震・旧三菱名航道徳工場犠牲者調査追悼実行委員会編・発行『悲しみを繰り返さぬようここに真実を刻む──東南海地震・旧三菱名航道徳工場の記録』1988年。 池田正枝「強制連行と戦後の責任」『解放教育』1991年12月号。 石川準吉編a『国家総動員史 資料編』第1巻、国家総動員史刊行会、1975年。 石...
  • 沖縄県内の慰安所
    沖縄県内の慰安所 太田昌秀『死者たちはいまだ眠れず』(新泉社2006年08月)p116―118 より また、一九四三(昭和一八)年から勤労挺身隊として軍需産業に二〇万人の朝鮮人少女が動員されたとのことです。それとは別に、日本軍の管理下で戦場に動員され、従軍慰安婦として日本軍兵士を相手に強制的に売春をさせられた女性がたくさんいました。 鈴木祐子教授の『従軍慰安婦・内鮮結婚性の侵略・戦後責任を考える』(未來杜、一九九二年)によると、政策的に朝鮮女性たちが大規模な徴発を受けたのは、一九三八(昭和一三)年の初めからでした。 すなわち当時は、関東軍の満州駐屯が長期化し、中国本土に多くの日本軍が投入されるにしたがい、長期的で大規模な戦争遂行のためには、軍人たちに対する統制と士気の振作が要求されました。しかし、日本本土の女性たちを強制的に引っ張ってくることはできなか...
  • 日中歴史共同研究:南京事件、隔たり埋まらず 報告書を公表
    http //mainichi.jp/select/world/news/20100201ddm001010060000c.html 日中歴史共同研究:南京事件、隔たり埋まらず 報告書を公表  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」は31日、報告書を公表した。1937年の南京虐殺事件について、日中双方は虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致したが、犠牲者数を巡って中国側が「三十余万人」、日本側が「20万人が上限」と主張するなど、近代を中心に歴史認識の違いが改めて浮き彫りになった。  報告書は「古代・中近世史」「近現代史」の各章で、日中双方の委員論文を掲載。ただし、「天安門事件」(89年)などを含めた第二次世界大戦後の現代史部分は、国内世論への影響を懸念する中国側の要請で非公表とされた。委員会は今後、新メンバーで第2期の共同研究を行う予定だ。 ...
  • 1-10 従軍慰安婦の数はどれくらいだったのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-10 従軍慰安婦の数はどれくらいだったのか… 1-10 従軍慰安婦の数はどれくらいだったのか…コメント欄   正確な数はわからない。関特演のときの関東軍司令部で補給を担当する軍司令部第三課の課長だった原善四郎元中佐の計算によると、朝鮮半島から連行したものだけで約八万人だろうとある。関特演を前に"満州"に集中した八十五万人の将兵へどれくらいの従軍慰安婦を動員すればよいかを算出した人だ。   そのとき二万人という数を出した。これは一九三八年(S13)初めから一九四一年夏までの中国戦線の状況をみていくと、兵隊三十五人から四十五人、平均すると四十人に一人の割合で従軍慰安婦をあてがっておけば、戦場における兵隊を鎮静化させることができるという公式のようなものがあった...
  • 2011年6月24日 長崎大学学長が山下俊一教授擁護の声明
    長崎大・山下俊一教授の『語録』 2011年6月24日 長崎大学学長が山下俊一教授擁護の声明 http //scienceportal.jp/news/daily/1106/1106241.html 長崎大学の片峰茂学長は23日、「福島県における放射線健康リスク管理活動について」と題するメッセージを公表した。この中で、長崎大学が大学を挙げて福島県に対する支援活動を行っていることを強調するとともに、「福島県に赴き、現場が抱える問題に直接接しながら、専門家として福島の原発事故による健康影響について一貫して科学的に正しい発言をしているのが山下俊一教授だ」と言い切っている。 山下氏は、長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長、同研究科附属原爆後障害医療研究施設教授で、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーも務める。また、首相官邸に随時助言を行う「原子力災害専門家グループ」の一員でも...
  • 占領下の原爆調査が意味するもの(上)
    放射能汚染とデマ汚染に抗す 市民科学 Citizens Science interview『市民の科学をひらく』第5回 占領下の原爆調査が意味するもの(上) 笹本征男さん (占領史研究家) ささもと・ゆくお 1944年島根県生まれ。中央大学法学部卒。在韓被爆者問題市民会議会員。占領・戦後史研究会会員。著書に『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』(新幹社、1995)。訳書に『占領軍の科学技術基礎づくり(占領下日本1945~1952)』(ボーエン・C・ディーズ著、河出書房新社、2003)。ほか論文多数。 2005年9月12日、市民科学研究室にて 聞き手:上田昌文(当NPO代表) 占領下の原爆調査が意味するもの(上)1 (主語をなぜ語らないのか) 2(調査の着手) 3(原爆の日米の合同調査とは) 4 (大調査団) 5 (底知れない沈黙) ...
  • 先の大戦を総括し、戦争の歴史を再構築せよ
    新しい歴史教科書をつくる会『史』11月号 先の大戦を総括し、戦争の歴史を再構築せよ アパグループ代表 元谷外志雄  私の作った座右の銘に「賢者は歴史に学び、勝者は歴史を創る」がある。これは正にGHQが戦後日本に対して行ってきたことだ。  先の大戦は、そもそもドイツと日本からの挟み撃ちを避けたいソ連コミンテルンの謀略による日中戦争の泥沼化から始まった。関東軍の工作とされていた張作霖爆殺事件はソ連特務機関の謀略であり、日中戦争の発端となった盧溝橋事件も日本を中国国民党との戦争に引き込みたいコミンテルンの手先の中国共産党・劉少奇が引き起こしたものであった。  日米開戦も日本が欧州で勢いにのるドイツに接近し日独伊三国同盟を結んだことで日米開戦が即米独開戦となると狙われ追い込まれた結果だ。欧州の戦争には参戦しない公約で当選したルーズベルト大統領はチャーチル首相の要請と、...
  • 日中戦争の開始
    南京大虐殺の研究 晩聲社1992 もくじ 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 一、日中戦争の開始 二、上海戦と南京戦 三、南京進撃 四、大虐殺の序章 五、『南京戦史』批判 脚注 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 一、日中戦争の開始 南京戦と南京大虐殺は上海戦(第二次上海事変)と密接に関連している。上海戦の問題を抜きにして、南京戦・南京大虐殺を論ずることはできない。そして上海戦を考察するためには、まず日中戦争そのものがどのようにして起こされたかを明らかにする必要がある。 日中戦争は一九三七(昭和一ニ)年七月七日の蘆溝橋事件を発端として発生した。盧溝橋事件そのものは偶発的な衝突であって、満州事変の発端となった柳条湖事件のように意図的.計画的に仕組まれたものではない(1)。現地では七月一一日になって一応の停戦協定が結ばれた...
  • パートI 5 厳正な秩序と組織の能率は反比例する
    「航空自衛隊を元気にする10の提言」×3 田母神俊雄 平成15年7月 航空自衛隊を元気にする10の提言 パートI 5 厳正な秩序と組織の能率は反比例する  国家や社会には適度の秩序が必要であり、秩序が維持されていないとみんなが快適に暮らせない。今のイラクのことを考えれば良くわかると思う。昔の日本は、街中等において若い者が悪さをすれば年寄りがこれを諌めることができた。今では年寄りが注意でもしようものなら若い者に殴り飛ばされるので見て見ぬ振りをするしかない。勇気がないといって年寄りばかりを責めるわけにはいかない。戦後の学校教育において、個人の権利と自由ばかりが強調され、道徳教育を軽視してきた結果が傍若無人の若者を多数生み出している。他人の迷惑を顧みない若者が多すぎる。一時話題になった成人式の光景などは正に目にあまるものがある。目上の人を敬うということがきちんと教えられてい...
  • 日中歴史認識、溝は埋まらず…共同研究委報告書
    http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100131-OYT1T00678.htm 日中歴史認識、溝は埋まらず…共同研究委報告書 日中歴史共同研究 第1期報告書  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」(日本側座長=北岡伸一・東大教授)は31日、報告書を発表した。焦点となった近現代史では「南京事件」(1937年)の犠牲者数を日本側が「20万人を上限」、中国側は「30万人余り」とするなど戦前を中心に歴史認識の隔たりは埋まらなかった。  1945年以降の現代史は中国側の要請で公表を見送った。委員会は今後、委員を入れ替えて第2期研究に着手する方針だが、作業は難航が予想される。  報告書は約550ページで、「総論」のほか、「古代・中近世史」と明治維新前後~45年までの「近現代史」を対象とした「各論」で構成。各論は双...
  • 尖閣諸島問題の基本文献について 前田朗
    尖閣諸島問題の基本文献について 前田朗 http //list.jca.apc.org/public/cml/2010-October/005852.html [CML 005959] 尖閣諸島問題の基本文献について maeda akira maeda at zokei.ac.jp 2010年 10月 14日 (木) 11 04 40 JST 前田 朗です。 10月14日 以下は、2つのML――[CML]および[pmn-ml]――へのある的確な投稿、及びそれに 対するいく人かのリプライを読んでの私の感想、情報提供です。ほかのMLにも 同報します。 この間、尖閣諸島の領土問題への関心が高まり、井上清の著作に注目が集まって います。ネット上で中国側は、下記のサイトをもとに議論しているといわれてい ます。 「尖閣」列島 ――釣魚諸...
  • 週刊朝日:田母神論文は「上杉謙信が女だった」という珍説と同じだ
    週刊朝日2008.11.28号 P33-35 田母神論文は「上杉謙信が女だった」という珍説と同じだ TEXT書き起こし:ホドロフスキさん http //d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20081205 日本は侵略国家であったのか。田母神俊雄・前航空幕僚長の論文は、アパグループ「真の近現代史観」懸賞論文審査委員会で「満場一致で」最優秀賞に選ばれたという。その"最優秀の論文"の中身とは――。近現史家の秦郁彦氏と軍事ジャーナリストの田岡俊次氏が読み解く。 秦郁彦 (現代史家) はた・いくひこ 1932年生まれ、大蔵省、防衛省に勤務。02年まで日本大学教授。著書に『昭和史の謎を追う』(文春文庫)、『南京事件』(中公新著)など。 田岡俊次 (軍事ジャーナリスト) たおか・しゅんじ 1941年生まれ。元朝日新聞編集委員。現在、朝...
  • 占領下の原爆調査が意味するもの(下)
    放射能汚染とデマ汚染に抗す 市民科学 Citizens Science interview 『市民の科学をひらく』第5回 占領下の原爆調査が意味するもの(下) 笹本征男さん (占領史研究家) ささもと・ゆくお 1944年島根県生まれ。中央大学法学部卒。在韓被爆者問題市民会議会員。占領・戦後史研究会会員。著書に『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』(新幹社、1995)。訳書に『占領軍の科学技術基礎づくり(占領下日本1945~1952)』(ボーエン・C・ディーズ著、河出書房新社、2003)。ほか論文多数。 2005年9月12日、市民科学研究室にて 聞き手:上田昌文(当NPO代表) 占領下の原爆調査が意味するもの(上) 占領下の原爆調査が意味するもの(下)6(米占領軍への原爆調査協力は本気でやった) 7(ABCCと日本側「原子爆弾影響研...
  • 宮平秀幸さん聞き書き調査記録2005年9月2日 午後12時半~午後1時
    今日の訪問者 - 「宮平秀幸さん聞き書き調査記録2005年9月2日 午後12時半~午後1時 専修大学大矢根淳ゼミナール卒業論文PDFより 「宮平秀幸さん聞き書き調査記録2005年9月2日 午後12時半~午後1時宮平秀幸さん聞き書き調査記録□宮城晴美さん『母の残したもの』 □戦後の緯度線 □戦前の教育 □貧困の時代 □戦後復興 □座間味の戦争に関する文献 □従軍慰安婦 □軍隊の駐留と『アネの言葉』 □日本軍駐留後の座間味島 □座間味島の住民役割分け □日本軍の駐留、文宿 □流言について □武勇伝について □在郷軍人について □米軍上陸当時の座間味島 □日本兵 □15歳で兵士として命をかけて戦うという気持ちは?(伊藤くんの質問から) □南京虐殺の話について、みんなすごいなあと思って聞いていたのか?(白岩さんの質問から) <対照:藤岡意見書(2)より> 宮平秀幸さん聞き書...
  • 日本会議学生が行ったアンケート
    11月22日、自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」沖縄問題小委員会(萩生田光一委員長)は、第3回会合が開かれました。 第3回の会合には全日本学生文化会議のグループが沖縄で行った世論調査の報告をしました。 また、今回も教科書課長など文科省の役人が同席しました。萩生田委員長は、「訂正申請に基づき、教科書を再度書き換えるならば、必ずその根拠を明らかにしてもらう」と文科省側に問いつめたところ、教科書課長の表情はいっそうこわばっていることが伺われました。 「軍の命令・強制」記述の根拠がないことを、課長は知っているからです。また、萩生田氏が「検定審議会による専門家の意見聴取は、中立的に人選をしているか」と問うたところ、課長は、「はい。中立でやっています」と返答しました。 http //prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-en...
  • 被曝地フクシマで進行する戦慄の事態~ついに刑事告発された御用学者・山下俊一らの大罪を問う!
    放射能汚染とデマ汚染に抗す 黒鉄好のレイバーコラム「時事寸評」第10回: 被曝地フクシマで進行する戦慄の事態~ついに刑事告発された御用学者・山下俊一らの大罪を問う! http //www.labornetjp.org/Column/20110719kuro から転載 福島原発直後から、メディアに出ては根拠もなく「安全」「直ちに健康に影響はない」との言説を垂れ流し続けながら浮かんでは消えた御用学者たち。その中でしぶとく生き残り、被曝地フクシマにおいて被曝者そっちのけでうごめくのが山下俊一だ。 長崎大学医歯薬学総合研究科教授にして自身も長崎生まれの被爆二世だ。1991年からチェルノブイリ原発事故による被曝者治療にも関わった。本来なら、放射能の怖さを最もよく知り、福島で被曝者たちに正しい放射能対策をアドバイスしなければならない立場にある。 ところが、佐藤雄平・福...
  • 台湾植民地年譜
    台湾植民地年譜 台湾年譜 毎日新聞社「決定版昭和史 別巻1 日本植民地史」1985 p202より 明:明治  大:大正  昭:昭和 明28・1895 4/17 日清講和条約調印。朝鮮の独立承認、遼東半島・台湾・澎湖列島の日本への割譲決定。   5/10 海軍大将樺山資紀(かぱやますけのり)台湾総督に就任。   5/25 台湾島民反乱。台湾巡撫の唐景崧(とうけいすう)を総統とし台湾民主国を宣言、29日日本軍台湾北部に上陸(6・7台北を占領、唐は中国へ逃亡)。   6/17 総督府始政式を挙行。   8/6 陸軍省、台湾総督府条例を定め軍政を実施。   10/19 台湾民主国の南部防衛の首領劉永福(りゆうえいふく)、厦門(アモイ)に逃走(21日日本軍台南無血占領)。 明29・1896 1/29 政府、台湾平定につき同島に居住往来する外国人民・船舶に現行条約を適用する旨宣言。...
  • Ⅲ 調査結果
    防衛庁防衛研究所蔵《衛生・医事関係資料》の調査概要 Ⅲ 調査結果 Ⅲ 調査結果1 「金原日誌摘録」と「金原日誌原本」との照合結果について 2 「金原資料」における慰安婦関係記述について 3 大塚「備忘録」について 4 「麻生徹男氏資料」について 1 「金原日誌摘録」と「金原日誌原本」との照合結果について  「金原日誌摘録」における慰安婦関係記述の調査は吉見義明氏らによって行われているが、本調査では改めて全文の点検を行うとともに、とくに「日誌摘録」における慰安婦関係記述と「日誌原本」の同記述との照合作業を行った。吉見論文では、軍慰安婦を生み出した背景や軍規の弛緩など広く関連記述を抽出しているが、本稿では直接的な記述のみを抽出した。  「日誌原本」における慰安婦に関する直接の記述は6カ所であった(別紙参照)。「日誌摘録」もこれに照応している。 《記述例1》 ...
  • 産経論説委員・石川水穂 村山談話の検証が不可欠だ
    http //sankei.jp.msn.com/politics/situation/081115/stt0811150334001-n1.htm 【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 村山談話の検証が不可欠だ 2008.11.15 03 33 【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 村山談話の検証が不可欠だ ≪論文内容は問題でない≫ ≪唐突に閣議に出された≫ ≪作成過程の解明も必要≫ ≪論文内容は問題でない≫  「我が国が侵略国家だったというのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)」とする論文を公表した自衛隊の田母神俊雄航空幕僚長が、先の大戦を「侵略」と断じた村山富市首相談話に反するとして更迭された。  田母神論文を読むと、関東軍将校による計画的な事件とされる張作霖爆殺(昭和3年)をコミンテルンの仕業とする異説や、盧溝橋事件(昭和12年)で劉少奇が西側記者に会見を行っ...
  • 1-07 どういう基準で選んだのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-07 どういう基準で選んだのか… 1-07 どういう基準で選んだのか…一九三七年 一九三八年 一九四一年 コメント欄 一九三七年   一九三七年(S12)暮れの時点ではとにかく急いで集めなければならなかった。北九州にむかった御用商人たちは二十歳前後で健康そうなのにかたっぱしから声をかけていたらしい。日本人の場合は「こんな体でもお国の役に立つなら」という人を集めたというがいずれも北九州の出身者だったそうだ。つまりさしたる基準はなく集めて現地へ連れていき、軍医の検診で性病の心配なしとされるのが基準といえば基準だった。 一九三八年   それが戦線の拡大と投入する将兵数の増加により北九州だけでは間にあわなくなった。そして徐州会戦16)のあった一九三八年(S13)夏以降から朝鮮...
  • 「鉄血勤皇隊」など援護法適用資格について
    http //d.hatena.ne.jp/Apeman/20071130/p2 「鉄血勤皇隊」など援護法適用資格について 昭和30年06月17日、衆議院「海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会」において金城参考人が次のように語っています。 (…)勤皇鉄血隊、通信隊戦傷病者は、事実に基きすべて軍人として取り扱っていただきたい。日本政府が沖縄の戦没者に対し深い同情を寄せられ、行政が分離されているにもかかわらず他府県と同様に援護法を適用せられることは、まことに感謝にたえません。沖縄戦は人類史上かつて類例のない激戦であり、三十五万の住民中から十五万の犠牲者を出し、血の島として世界に知られ、その惨状は言語に絶しました。それがまた前例のない国内戦であったため、予想もされなかった事態が生じました。十五、六才のうら若い女学生が看護婦として従軍、十五、六才の中学生が通信隊となり、...
  • 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか… 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…その歴史的背景 天皇の勅語 南京占領 コメント欄 その歴史的背景   きっかけは"南京大虐殺事件5)"にあったがそれには説明がいる。   今の高校の社会科の授業では近現代史までいかない学校が多いから理解しにくいところがあるかも知れないが、明治中期より日本は大陸侵出をはじめ"日清戦争6)""日露戦争7)"を経て一九一〇年(明治〔以後Mと表記〕42)軍事力を背景に"日韓併合条約8)"で朝鮮半島を日本の領土とした。ついで一九一八年(大正〔以後Tと表記〕7)からの"シベリア出...
  • 林博史関東学院大学教授
    『平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正申請に関する意見に係る調査審議について(報告)』 平成19年12月25日 教科用図書検定調査審議会第2部会日本史小委員会 http //www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106/001.pdf http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1018.html 資料1 専門家からの意見聴取結果・・・資料(1)大城将保沖縄県史編集委員 我部政男山梨学院大学教授 我部政男山梨学院大学教授(つづき) 高良倉吉琉球大学教授 秦郁彦現代史家 林博史関東学院大学教授教科用図書検定調査審議会殿 資料1 林博史「沖縄戦『集団自決』への教科書検定」リンク 資料2 林博史「住民を『集団自決』に追い込んでいったのは軍でした」リンク 資料3 林博史「教...
  • @wiki全体から「リットン調査団を欺く関東軍」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索

目安箱バナー