15年戦争資料 @wiki内検索 / 「二・二六事件で軍部批判をこわがった新聞」で検索した結果

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  • 兵は凶器なり15年戦争と新聞メディア
    ...年 29  二・二六事件で軍部批判をこわがった新聞  1936(昭和十一)年 30  二・二六事件と『時事新報』の抵抗(未作成)  1936(昭和十一)年 http //maechan.sakura.ne.jp/war/data/hhkn/30.pdf 31  斎藤隆夫の粛軍演説  1936(昭和十一)年 32  2・26事件以後、阿部定事件・新聞記者恐怖症″、腹切り問答 1936(昭和十一)年 33  国策通信会社「同盟通信社」の誕生  1936(昭和十一)年 34  日中戦争を挙国一致報道で支持した新聞メディア  1937(昭和十二)年 35  日中戦争とメディア=〝紙不足〟が新聞統制を早めた  1937(昭和十二)年 36  南京虐殺を「武士道の精華」と報道した新聞(上)  1937(昭和十二)年 37...
  • 天皇と東大:目次
    天皇と東大 大日本帝国の生と死 アマゾン(上) アマゾン(下) 目次 上巻 第一章 東大は勝海舟が作った 第二章 明治四年、東大医学部は学生の八割を退学させた 第三章 初代学長・加藤弘之の変節 第四章 『国体新論』と「天皇機関説」 第五章 慶応は東大より偉かった 第六章 早大の自立精神、東大の点数主義 第七章 元落第生・北里柴三郎博士の抵抗 第八章 「不敬事件」内村鑑三を脅した一高生 第九章 東大国史科の「児島高徳抹殺諭」 第十章 天皇「神格化」への道 第十一章 日露開戦を煽った七博士 第十二章 戸水寛人教授の「日露戦争継続論」 第十三章 戸水事件と美濃部達吉 第十四章 元白虎隊総長・山川健次郎の奔走 第十五章 山川健次邸と超能カ者・千里眼事件 第十六章 沢柳・京大総長の七教授クビ切り事件 第十七章 東大経済は一橋にかなわない ...
  • 「土俵をまちがえた人」(1)
    「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(1) 手榴弾への疑問 曽野綾子さんの「お答え」を呼んで、一面、非常に満足している。渡嘉敷島の赤松問題については、だいたい白黒がはっきりしたと思うからである。というのは、私が出した、いちばん重要な問題――手榴弾が、なぜ、住民に渡されたか、同一行動(降伏勧告、逃亡)について、住民は殺され、兵隊は見逃されている事実――に関しては、なんの回答もないからである。この論争は、これでケリがついたようなものだ。他の面では、曽野さんの「お答え」には、がっかりした。もっと期待していたが、その調子が低いのには拍子抜けである。曽野さんの「お答え」にたいする答えは、あと回しにする。 まず、根本的な問題、手榴弾が住民に渡されたこと、その他について補足説明、または言及しておきたい。 ▼弾薬類は兵隊の手にかんたんに渡るものではない。昭和十一年の二・二六...
  • メモ「日本スポーツ放送の歴史」
    http //ww1.tiki.ne.jp/~sisho007/column/sportsnhk.htm メモ「日本スポーツ放送の歴史」 日本におけるラジオ放送の歴史。 東京放送局(現NHK。以下NHKと表記)が1925年3月22日に試験放送開始。 本放送は同年7月12日に開始。 日本におけるラジオ放送の普及は、結果として軍部が指導したことにもなった。 国民の士気鼓舞にラジオを利用したためである。 そのきっかけとなったのは、二・二六事件での「兵に告ぐ」放送だった。 軍部は、事件の早期解決に果たしたラジオの役割を評価して 情報局を設置して放送によるプロパガンダに取り組むことになる。 (戦後のテレビ普及では皇太子成婚が最も大きな原因となったことと対照的) その時点で、知名度の高いアナウンサーなどは 軍人でさえ最敬礼して迎えるほどの社会的名士となっていた。...
  • 第1章 二・二八事件
    図説 台湾の歴史 ポストコロニアルの泥沼 第1章 二・二八事件 第1章 二・二八事件1―戦争期世代 2―黎明を迎えて 3―顛末 1―戦争期世代 もし人類社会にいわゆる「共同記憶」(甘美なものにせよ、恐怖の記憶にせよ)があるとしたら、二・二八事件は台湾本省人にとっては共同の悪夢と言うことができる。悪夢のさなかにある人は、叫びたくとも声が出ず、心の重石を除けたくとも除けられない。目覚めた後にも、しばしば動悸がなお残っている。ましてやこの二・二八の悪夢は、四十数年にもわたって続いてきたのである! 半世紀も経た現在でも、今なお振り切れない陰影のように、引き続いて私たちにまとわりついている。もしこの夢魔の幻影を徹底的に消し去ろうとするならば、まずそれをしっかりと正視し、それを分析し、客体化された共同の認識としなげれぼならない。 「はじめに」で述べたように、台湾の若い世代は「光...
  • 昭和史の謎を追う(上)
    昭和史の謎を追う(上) 著者略歴(はたいくひこ) 目次 昭和史の謎を追う(上) 1993年3月5日第1刷 1993年5月15日第4刷 著者 秦郁彦 発行者 堤尭 発行所 ㈱文蟄春秋 著者略歴(はたいくひこ) 昭和7(1932)年山口県生れ。31年東京大学法学部卒業。ハーバード大学、コロンビア大学留学を経て、防衛研修所教官、防衛大学校講師、大蔵省財政史室長、プリンストン大学客員教授。現在は拓殖大学教授。法学博士。著書に『昭和史を縦走する』(グラフ杜)『史 録・日本再軍備』(文塾春秋)『裕仁天皇五つの決断』(講談杜)『南京事件』(中公新書)『第二次大戦航空史話』(光風杜出版)『昭和史の軍人たち』(文春文庫)『日本陸海軍総合事典』(東大出版会)などがある。 目次 第1章 田中上秦文から「天皇の陰謀」まで 偽書の系譜と役割/世界を征服せんと欲せば/上奏文をめぐる...
  • 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・
    <2004年 1月> 兵は凶器なり15年戦争と新聞メディア 『兵は凶器なり』③   -15年戦争と新聞―― 1926-1935 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・ 前坂 俊之 (静岡県立大学国際関係学部教授) http //sweb.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/040121_heihakyoukinari3gennronndannatunorekishi.pdf 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・1・・・新聞紙法の悪法たる理由 2・・・普通選挙法と抱き合わせで、治安維持法を改悪 3・・・掲載差し止め事項の内容は3種類 4・・・多岐にわたった掲載禁止事項、16 項目で恣意的 5・・基準は抽象的でどうにでも拡大解釈可能 6・・クモの巣にからまれた言論の自由 7・・・風俗壊乱記...
  • 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年 第二節 華北分離工作への支那の抵抗――民族統一戦線結成工作の進展とその背景 第三節 西安事件――東アジア情勢の重大な曲がり角 第四節 盧溝橋事件の突発――日支激突の挑発者は誰か? 第五節 盧溝橋事件の総括――支那民族の特性が見事に現れているこの十年間及び三週間 第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年  満州事変の終結からニ年経った一九三五=昭和十年七月、モスクワで開催のコミンテルン第七回大会は、「反ファシズム統一戦線・人民戦線路線」を採択した(公安庁『国際共産主義の沿革と現...
  • 週刊朝日:田母神論文は「上杉謙信が女だった」という珍説と同じだ
    週刊朝日2008.11.28号 P33-35 田母神論文は「上杉謙信が女だった」という珍説と同じだ TEXT書き起こし:ホドロフスキさん http //d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20081205 日本は侵略国家であったのか。田母神俊雄・前航空幕僚長の論文は、アパグループ「真の近現代史観」懸賞論文審査委員会で「満場一致で」最優秀賞に選ばれたという。その"最優秀の論文"の中身とは――。近現史家の秦郁彦氏と軍事ジャーナリストの田岡俊次氏が読み解く。 秦郁彦 (現代史家) はた・いくひこ 1932年生まれ、大蔵省、防衛省に勤務。02年まで日本大学教授。著書に『昭和史の謎を追う』(文春文庫)、『南京事件』(中公新著)など。 田岡俊次 (軍事ジャーナリスト) たおか・しゅんじ 1941年生まれ。元朝日新聞編集委員。現在、朝...
  • 中国侵略軍を慰問する―徳川義親
    タイトル: 最後の殿様 徳川義親自伝 責任表示: 徳川義親 著 出版地: 東京 出版者: 講談社 出版年: 1973 資料形態: 231p 肖像 680円 注記: 書誌注記 付 徳川義親関係略年表 最後の殿様 徳川義親自伝中国侵略軍を慰問する机上で戦争する幕僚 慰問団長として上海へ 麻薬で軍資金を調達 "あれを撃て" 最前線ヘ 忘れられぬ老兵 徳川 義親(とくがわ よしちか) 最後の殿様 徳川義親自伝 p168-178 中国侵略軍を慰問する 机上で戦争する幕僚 蘆溝橋事件が起こる前の六月四日に、近衛文麿くんが内閣総理大臣になった。近衛くんは頭のいい人だが、実行派ではない。頭がよすぎて目先が見える。見えすぎるために大胆になれない。ぼくのように無謀なことはできない。長所が短所となる。近衛くんを首相にしたのはよかったのか、悪かったのか、歴史家は...
  • (口)軍刑法による造言飛語の防止
    2 気運を統一する(イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止 (口)軍刑法による造言飛語の防止造言飛語罪とは 他の法令との関係 造言飛語罪の実例 (ハ)銃後の刑事事件の状況 目次 2 気運を統一する (イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止 (口)軍刑法による造言飛語の防止 造言飛語罪とは 軍刑法である「陸軍刑法」の第九十九条と「海軍刑法」の第百条は造言飛語罪を定める。双方まったく同じ条文である。戦時または事変に際し、軍事に関する造言飛語を禁じている。 造言飛語とは、確かでないこともしくは事実ではないつくりごとや噂を指す。平時ですら人々の心に動揺を与えかねない造言飛語が、戦時または事変下という特異な社会的雰囲気のなかで流 150 されたらどうなるか。しかも、その内容は軍事に関するものである。 そうなれば、「軍内の士気を沮喪せしめ、又軍をして不必要なる警戒を為さしめ...
  • 三 なぜ南京大虐殺事件か
    南京大虐殺の真相 三 なぜ南京大虐殺事件か 南京大虐殺事件(略称の意味で南京事件という呼称を使う)とは、南京攻略戦と南京占領時における日本軍の中国軍民に対する虐殺・残虐行為の総称である。それは日中戦争の侵略的性格を象徴する事件であるとともに、次のような南京事件としての特異性もそなえた事件であった。 宣戦布告のない一方的侵略戦争で一国の首都を占領し、首都住民をまきこんだ包囲殲滅(せんめつ)戦を展145開したことによって生じた事件である。南京は国民政府の首都として百余万の人口をかかえた新興大都市であった。ある本に誤植で「東京大虐殺」とあったのを見たことがあるが、もしも日本の首都でそのような事件がおこされたとしたらどうするかを考えると、「南京大虐殺」のもつ象徴的であるとともに深刻な意味が想像できる。^  中国の首都なるがゆえに、膨大な日本軍が長期にわたって占領をつづけたために(それも長江...
  • 友軍兵士がわが子を殺した
    中公新書256 名嘉正八郎・谷川健一編 沖縄の証言(上) 庶民が語る戦争体験 中央公論社刊 昭和46年7月25日初版 昭和57年2月1日5版 p88~102 証言収録の経緯 (10/8 00 00、ようやくOCRバグ取りしました。まだきっと残っているでしょう。ご迷惑をお掛けしています) (Yahoo地図情報>沖縄:幾らでも縮尺変更可能) 友軍兵士がわが子を殺した 浦添村(うらそえそん)伊祖(いそ) 銘苅幸江(めかるゆきえ) 家事三十一歳 主人が昭和十九年の八月に召集されましてですね、残された私たちは、家の前にりっぱな壕を掘ってありましたから、そこにはいっていたものの、そこへまもなく友軍がはいってきましてですね。 88 その部隊は石部隊の徳田隊だったですね。徳田隊の三小隊で、ミノシマ軍曹という人もいました。二十名あまりでした。その部隊が、...
  • 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第1章 満州事変から盧溝橋事件まで 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2> 戸部良一: 防衛大学校教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>  満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>2.関係安定化の模索と挫折4)梅津・何応欽協定 5)広田三原則 3.華北の紛糾1)幣制改革 2)「北支」工作(華北「自治」運動) 3)多発する事件 4)対ソ戦略と対中政策 5)内蒙工作と綏遠事件 6)西安事件 7)対中政策の再検討 8)盧溝橋事件前夜 2.関係安定化の模索と挫折 4)梅津・何応欽協定 広田や重光が、満...
  • 歴史共同研究:政権に影響、中国側懸念「戦後史は非公表」
    http //mainichi.jp/select/wadai/news/20100210k0000m040145000c.html 歴史共同研究:政権に影響、中国側懸念「戦後史は非公表」  Google indexからは削除されている  中国側の要請で非公表となった日中歴史共同研究の戦後史部分では、天安門事件や文化大革命など共産党統治の正統性や国民感情にかかわる極めて敏感な問題が含まれており、中国側の論文は簡単な言及にとどめた。日本側の論文が、現政権に影響を及ぼしかねない指導者の功罪に触れている点も、中国側を刺激することは避けられず、非公表を要請した理由が多岐にわたることが日中双方の論文からうかがえる。【北京・浦松丈二】  「1989年6月4日未明、中国共産党が人民解放軍を出動させ、学生及び市民の民主化要求運動を武力弾圧した」。日本側論文は天安門事件をこう記述した...
  • 日中歴史共同研究:「戦後史は非公表」 政権に影響、中国側懸念
    http //mainichi.jp/select/world/news/20100210ddm002010071000c.html 日中歴史共同研究:「戦後史は非公表」 政権に影響、中国側懸念 Google indexからは削除されている  <世の中ナビ NEWS NAVIGATOR>  中国側の要請で非公表となった日中歴史共同研究の戦後史部分では、天安門事件や文化大革命など共産党統治の正統性や国民感情にかかわる極めて敏感な問題が含まれており、中国側の論文は簡単な言及にとどめた。日本側の論文が、現政権に影響を及ぼしかねない指導者の功罪に触れている点も、中国側を刺激することは避けられず、非公表を要請した理由が多岐にわたることが日中双方の論文からうかがえる。【北京・浦松丈二】  「1989年6月4日未明、中国共産党が人民解放軍を出動させ、学生及び市民の民主化要...
  • 中国人研究者、南京事件での30~40万虐殺に懐疑的見方
    【中国】中国人研究者、南京事件での30~40万虐殺に懐疑的見方 「政治的な問題に影響されたもの」 [02/02] 1 :ククリφ ★:2007/02/02(金) 01 54 50 株 ID ??? ?S★(111938)  1937年末の南京事件を研究している中国人研究者2人が30日、都内で講演し、「現在の資料によって、 南京事件で日本軍によって殺害された中国人の数を確定することはできない」と強調し、中国などで流布している30万から40万人の虐殺説に疑問を呈した。両氏は、これらの過大な数字は中国内での反日感情の高まりなどに伴う「政治的な問題に影響されたものだ」などと指摘した。  中国側から、こうした見解が公にされるのは異例。昨年末に始まった日中歴史共同研究の中国側座長である歩平・中国社会科学院近代史研究所所長も同じ立場をとっているといわれ、数字で争って、対日関係を悪化させて...
  • d 前記「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」(ha)
    通077 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(ア)(赤松命令説記載文献)* d 前記「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」(ha) 「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」中の.「沖縄作戦と座間味の戦い」の章には, 「赤松少佐は島の西北端の高地へ守備隊の移動を命じ,島民は自決せよと命令した。谷底に追い込まれた住民達は 『さあ。みんな,笑って死のう』 という古波蔵村長の悲壮な訣別の言葉が終わると,一発の手榴弾の周囲に集まった。手榴弾はあちらこちらで炸裂し,男や女の肉を散らした。死ねない者はお互いに根棒で殴り合い,カミソリで頭を切り,子を絞め,鍬で頭を割り,谷川の水を血で染めつくした...
  • 尖閣漁船衝突事件で中国が報復措置
    尖閣漁船衝突事件で中国が報復措置 新戦略“三戦”作戦とは?青山ズバリ 9/22放送「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ” http //kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid886.html#sequel  青山さん曰く「日本が中国に屈したら、日本の民主主義は死にます」。  今回の事件は日中間だけの問題ではありません。アジアの将来にもつながっています。  よその番組では絶対に聞けない青山さんの論説、今週は特に必見です。  コーナー本編は間投詞(「あの」「その」など)や言い直しもできるだけ再現しました。但し、細かい相づちなどは支障のない範囲でカットしています。  今週もYouTubeに動画を見つけられなかったため、画像はテレビ画面からデジカメで撮影しました。粗いですがご容赦下さい。  内容紹介ここから_...
  • d 前記「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-078 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(ア)(赤松命令説記載文献)   赤松命令説について直接これを記載し, 若しくはその存在を推認せしめる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 d 前記「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」(2ha) (判決本文p167~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。   「悲劇の座...
  • 「光復、すなわち光が台湾に戻ってきた」
    図説 台湾の歴史 [戦後篇] ポストコロニアルの泥沼 はじめに 「光復、すなわち光が台湾に戻ってきた!」 これが、1945年8月15日、天皇の玉音放送後、直ちに台湾に遍(あまね)く行き渡った新しい事態と状況についての共通の認識であった。「光復」というのは古くからの言葉で、固有のものを回復すること、とりわけ失われた国土の回復を指し、漢文の基礎知識を持つ台湾人からすれぼ一目瞭然、台湾が祖国〔中国〕に復帰したことを意味したのである。しかしながら長く日本教育を受けた若い世代の台湾人は、大多数が漢文を理解できず、「光復」という概念が脳裏になかった。そこで彼らは、世間で鳴り響いている「光復」は、すなわち「降伏」を意味すると勝手に解釈していたのである(「光復」の日本語読みは、kofukuである。「降伏」も同音で、つまり日本の敗北・投降ということになる)。確かに日本は降伏した。しかし、その時す...
  • 原告準備書面(6)要旨2007年1月19日
    原告準備書面(6)要旨2007年1月19日 http //blog.zaq.ne.jp/osjes/article/27/ 原告準備書面(6)要旨2007年1月19日1 赤松命令説を全面削除した家永三郎著「太平洋戦争」 2 渡嘉敷戦跡碑文「そこにあったのは愛であった」 3 「太平洋戦争」に残された梅澤命令説 3 「沖縄ノート」の過剰な人格非難 4 柳美里著「石に泳ぐ魚」事件に提出された大江意見書の忠告 5 被告らの主張の破綻と玉砕 原告準備書面(6)の要旨 (1月19日第7回沖縄集団自決冤罪訴訟口頭弁論)  ~ 沖縄の声を騙る被告らの自滅 ~        「そこにあるのは愛であった。」(渡嘉敷戦跡碑文より)           弁護士 徳永信一        1 赤松命令説を全面削除した家永三郎著「太平洋戦争」 本日提出した原告準備書面(6)...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(1)
    愛・蔵太氏採録 http //d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060908/oota01 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(1)(太田良博・沖縄タイムス1985年4月8日掲載) はじめに 沖縄戦でいつも話題になる事件の一つに渡嘉敷島の集団自決と住民虐殺がある。 この事件について作家の曽野綾子氏は『ある神話の背景』のなかで、当時渡嘉敷島の指揮官であった赤松嘉次大尉が「完璧な悪玉にされている。赤松元大尉は、沖縄戦史における数少ない、神話的悪人の一人であった」と述べる。その神話の源になっているのが『鉄の暴風』のなかの赤松に関する記述だとしてその赤松神話を突き崩すために書かれたのが『ある神話の背景』である。 曽野氏は、沖縄タイムス社刊『鉄の暴風』を、戦後、沖縄住民によって書かれた沖縄戦記録の原典と見ているが、その中の第...
  • 大山鳴動して鼠一匹の尖閣ビデオ 林田力
    大山鳴動して鼠一匹の尖閣ビデオ 林田力 (上)http //list.jca.apc.org/public/cml/2010-November/006268.html 【PJニュース 2010年11月8日】尖閣諸島沖で海上保安庁巡視船「よなくに」「みずき」と中国漁船の衝突状況を撮影したビデオが2010年11月5日未明、動画サイト「ユーチューブ」に投稿された。問題のビデオは政府が頑なに公開を拒んでいたために様々な憶測を呼んでいたが、流出ビデオを見れば大山鳴動して鼠一匹の感がある。 衝突は複数回起きているが、いずれも航行する中国漁船の進路を巡視船が妨げたために起きている。前原誠司・国土交通大臣(当時)は9月16日、ビデオを根拠に「どちらが体当たりしてきたか、どのような状況で、無謀な中国漁船が活動したかが一目瞭然」と述べた。しかし、ビデオを見る限り、「中国漁船が故意に体当たり...
  • 検閲され新聞で一切報道されなかった南京大虐殺
    兵は凶器なり15年戦争と新聞メディア <2004年8月> 『兵は凶器なり』(37)15年戦争と新聞メディア       1935-1945 http //www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/nannkinnjiken2_040811.pdf 検閲され新聞で一切報道されなかった南京大虐殺 前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授) 南京に入城した日本軍は、「南京アトロシティ」(南京大虐殺)として知られる事件を引き起こす。中国兵、捕虜や、「便衣兵」の処刑、住民も無差別に殺害、婦女子へのレイプ、殺害、略奪と放火が繰り返された。当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。鳴乎、之れが皇軍か」と記述してい...
  • 情報局の戦争報道の指導=毎日新聞「検閲週報」の証言1
    1                                     <2005年1月> 『兵は凶器なり』(46)    15年戦争と新聞メディア      1935-1945 情報局の戦争報道の指導=毎日新聞「検閲週報」の証言①                                     前坂 俊之                               (静岡県立大学国際関係学部教授) 以下は『戦時情報局の役割-発見された毎日新聞「検閲週報」の証言から』(新聞研 究1975 年1 月号)                         田中菊次郎(東洋大学教授) 1973 年(昭和四十八)春、毎日新聞検閲部の「検閲週報」の数冊の綴じ込み612ペ ージが同社横浜支局の新館へ移転する大掃除の際に、発見された。 検閲部が各支局へ検閲情報を伝えるた...
  • 図説 台湾の歴史
    図説 台湾の歴史 Amazon 単行本 229ページ 出版社 平凡社 (2007/02) ISBN-10 4582411061 ISBN-13 978-4582411065 発売日: 2007/02 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 周 婉窈 1956年台湾嘉義県生まれ。国立台湾大学歴史学科で学士号(1978)、修士号(1981)を取得後、アメリカ・イエール大学で博士号(1991)を取得。1991‐93年、カナダ・ブリティッシュコロンビア大学歴史学科で教鞭をとる。1994年に台湾に戻り、中央研究院台湾史研究所副研究員に就任、後に研究員(教授)となるが、2006年より国立台湾大学歴史学科教授。日本植民地統治期の研究を中心に、清代女性史、明清代の台湾史についても研究。 目次 日本語版への序文 New! [本編] 先史時...
  • NHKスペシャル:自民議員の番組批判 市民団体、NHKへ要望書
    http //mainichi.jp/select/seiji/news/20090708ddm012040098000c.html NHKスペシャル:自民議員の番組批判 市民団体、NHKへ要望書  日本による台湾統治を取り上げたNHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー」の「第1回アジアの“一等国”」(4月5日放送)に対し、偏向番組などと自民党国会議員らから批判が出ている問題で、市民団体「開かれたNHKをめざす全国連絡会」(世話人、松田浩・元立命館大教授ら4人)は7日、福地茂雄・NHK会長らに「放送の自由の守り手として責務を果たすよう要望する」とした文書を提出した。  経営委員会にも、小林英明委員が番組を放送法違反だとした発言について「批判を超えた政治的圧力だ」との抗議文書を出した。 毎日新聞 2009年7月8日 東京朝刊 NHKさん「動揺しないで」
  • 歴史番組:市民がNHKに要望書 自民議員の批判に抗議
    http //mainichi.jp/select/seiji/news/20090708k0000m040078000c.html 歴史番組:市民がNHKに要望書 自民議員の批判に抗議  日本による台湾統治を取り上げたNHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー」の「第1回アジアの“一等国”」(4月5日放送)に対し、偏向番組などと自民党国会議員らから批判が出ている問題で、市民団体「開かれたNHKをめざす全国連絡会」(世話人、松田浩・元立命館大教授ら4人)は7日、福地茂雄・NHK会長らに「威嚇的な動きが強まっている。公共放送の自主・自立と自律を守る正念場だ。放送の自由の守り手として責務を果たすよう要望する」とした文書を提出した。経営委員会にも、小林英明委員が番組を放送法違反だとした発言について「批判を超えた政治的圧力だ」との抗議文書を出した。  また、日本ジャーナリスト会...
  • 日中歴史共同研究:「天安門は政治騒動」 中国、日本と相違鮮明
    http //mainichi.jp/select/world/news/20100210ddm001010003000c.html 日中歴史共同研究:「天安門は政治騒動」 中国、日本と相違鮮明  ◇非公表「戦後」の全容判明  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」が1月31日にまとめた報告書で、中国側の要請で非公表とされた第二次世界大戦後(1945~08年)の戦後史の全容が9日、明らかになった。公表見送りの要因とされる天安門事件(六四事件、89年)について、日本側は中国共産党による「武力弾圧事件」と認定したが、中国側は現体制批判を招くことへの警戒感などから「政治騒動」と簡単に言及、見解の違いが鮮明だ。また中国側は日本側の歴史認識を批判した。  毎日新聞は、報告書の「近現代史」のうち、非公表となった戦後史部分の全文(中国側論文は訳文)を入手した。▽戦争終...
  • 歴史共同研究:「天安門は政治騒動」 日本と相違鮮明
    http //mainichi.jp/select/wadai/news/20100210k0000m040143000c.html 歴史共同研究:「天安門は政治騒動」 日本と相違鮮明 Google indexからは削除されている  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」が1月31日にまとめた報告書で、中国側の要請で非公表とされた第二次世界大戦後(1945~08年)の戦後史の全容が9日、明らかになった。公表見送りの要因とされる天安門事件(六四事件、89年)について、日本側は中国共産党による「武力弾圧事件」と認定したが、中国側は現体制批判を招くことへの警戒感などから「政治騒動」と簡単に言及、見解の違いが鮮明だ。また中国側は日本側の歴史認識を批判した。  ◇非公表「戦後」の全容判明  毎日新聞は、報告書の「近現代史」のうち、非公表となった戦後史部分の全文...
  • 台湾で広がる困惑 日本の植民地統治を批判 NHK番組
    朝日新聞9月16日朝刊「メディアタイムズ」 台湾で広がる困惑 日本の植民地統治を批判 NHK番組 台湾で広がる困惑 日本の植民地統治を批判 NHK番組登場の先住民族「説明なかった」 「日本の功罪五分五分」複雑な感情も NHK「誤った情報が流布残念」 日本が台湾を植民地統治した歴史について批判的に検証したNHKスペシャル「JAPANデビュー アジアの 〝一等国〟」(4月5日放映)に対し、台湾で困惑や不満の声が広がっている。60年余りが過ぎても台湾での日本統治への評価や感情に複雑なものがあることをうかがわせている。(台北=野嶋剛) 登場の先住民族「説明なかった」 NHKは4月から長期企画「プロジェクトJAPAN」を始めた。近代日本が欧米に追いつこうとして孤立し、戦争に突入した歴史を描くシリーズ「JAPANデビュー」はその一環で、台湾部分はシリーズ第1回。日本統治下の差...
  • NHKスペシャル:「アジアの“一等国”」 「台湾統治」認識で揺れる番組評価
    http //mainichi.jp/select/wadai/news/20090706ddm012040007000c.html NHKスペシャル:「アジアの“一等国”」 「台湾統治」認識で揺れる番組評価 NHKスペシャル:「アジアの“一等国”」 「台湾統治」認識で揺れる番組評価●国会では主張二分 ●慰安婦番組も批判 ●「世界史的再検証」 ■番組が批判されている主な点とNHKの見解■  日本による台湾統治を取り上げたNHKスペシャル(4月5日放送)の評価を巡る論議が政界に波及している。自民党議員が国会で番組内容を批判すれば、共産党の議員は良い番組だと述べ、評価は割れる。番組に関する訴訟も起きたが、NHKは「内容に問題はない」との姿勢を貫いている。【「JAPANデビュー」取材班】 ●国会では主張二分  国会で取り上げられたのは、鎖国を解き欧米列強に追いつこうとす...
  • 日中歴史共同研究:南京事件、隔たり埋まらず 報告書を公表
    http //mainichi.jp/select/world/news/20100201ddm001010060000c.html 日中歴史共同研究:南京事件、隔たり埋まらず 報告書を公表  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」は31日、報告書を公表した。1937年の南京虐殺事件について、日中双方は虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致したが、犠牲者数を巡って中国側が「三十余万人」、日本側が「20万人が上限」と主張するなど、近代を中心に歴史認識の違いが改めて浮き彫りになった。  報告書は「古代・中近世史」「近現代史」の各章で、日中双方の委員論文を掲載。ただし、「天安門事件」(89年)などを含めた第二次世界大戦後の現代史部分は、国内世論への影響を懸念する中国側の要請で非公表とされた。委員会は今後、新メンバーで第2期の共同研究を行う予定だ。 ...
  • Re: 尖閣沖漁船衝突事件、河内謙策さん論拠の「夕刊フジのスクープ」に関して‏ higashimoto takashi 2010/10/01
    Re 尖閣沖漁船衝突事件、河内謙策さん論拠の「夕刊フジのスクープ」に関して‏ higashimoto takashi 2010/10/01 Kさん ni0615さん 人さまに対する批判のしかたはいろいろあるだろうし、いろいろあっていい、ともちろん私は思っていますが、おふたりの河内さんに対する批判のしかたは少し以上に違和感があります。それは批判というよりも「攻撃」といった方がより似つかわしい批判のしかたであるからです。 私はni0615さんが提起されている夕刊フジ記事批判には同意できますし、そうした見方に基づいて河内さんの論を批判している論点についても同意できます。しかし、その批判のしかたは執拗です。粘着的といってもいいです。何度も何度も同じことを繰り返す必要がどこにあるでしょうか。問題点を一度指摘すればすむことではないでしょうか。自分が納得できる返信がなかったとしても...
  • 「戸井田報告」=「南京の実相」批判のページ(1)
    昨日 - 今日 - 「戸井田報告」=「南京の実相」批判のページ(1) 日本の前途と歴史教育を考える議員の会 平成十九年六月十九日 南京問題小委員会の調査検証の総括 「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が2007年6月に記者会見を開き、南京問題小委員会(委員長:戸井田とおる)報告書を発表しました。2008年8月 11月1日には、その日本語、英語の両方を収録して「南京の実相」という本にしたそうです。しかし、若干の資料を除いて本文は「報告書」のままだと聞いています。 「戸井田報告書」はWEBでPDF公開されていますのでここに転載します。 http //www.toidatoru.com/pdf/nankin.pdf(戸井田徹サイト) みんなで論点、批判点を出し合いましょう。コメント欄に書き込んでいただいたものは、逐次、本文に書き込んでいき、批判のページ...
  • 南京アトロシティーズ
    週刊金曜日 1997.12.5 南京大虐殺60周年特集 南京アトロシティーズか、南京アストロ=シティーズか世界中が知っていた日本軍の暴虐 atrocities が astro-cities に変わった経緯 南京アトロシティーズか、南京アストロ=シティーズか 洞富雄 拙稿は南京アトロシティーズ(大暴虐)か、南京アストロー=シティーズ(星の町々)かと題している。こんなわかりきったことを間題にするのはおかしいかもしれないが、これには少々わけがある。外務省の当局者も、南京占領の当初から、日本軍の犯した暴虐事件を南京アトロシティーズと言っていた。 世界中が知っていた日本軍の暴虐 たとえぱときの東亜局長だった石射猪太郎は自伝『外交官の一生』で、「南京アトロシティーズ」という小見出しを立て、「一九三八年一月六日日記にいう――上海からの来信、南京における我軍の暴状の詳報来...
  • 台湾統治五十年の歴史
    毎日新聞社「決定版昭和史 別巻1 日本植民地史」1985 p198 台湾統治五十年の歴史 衛藤俊彦 台湾統治五十年の歴史統治の理念 皇民化運動 歴代総督の事績●第一代 樺山資紀 (水野遵(じゅん)) ●第二代 桂太郎 (水野遵) ●第三代 乃木希典(まれすけ) (曽根静夫) ●第四代 児玉源太郎 (後藤新平) ●第五代 佐久間左馬太 (祝辰巳(いわいたつみ)) ●第六代 安東貞美(あんどうさだよし) (内田嘉吉(かきち)) ●第七代 明石元二郎 (下村宏) ●第八代 田健治郎(でんけんじろう) (賀来佐賀太郎(かくさがたろう)) ●第九代 内田嘉吉 (賀来佐賀太郎) ●第十代 伊沢多喜男 (後藤文夫) ●第十一代 上山満之進 (後藤文夫) ●第十二代 川村竹治 (河原田稼吉(かきち)) ●第十三代 石塚英蔵 (人見次郎) ●第十四代 太田政弘 (高橋守雄、木下信) ●第十五代 ...
  • パートII 1 頼まれたら頑張れ
    「航空自衛隊を元気にする10の提言」×3 田母神俊雄 平成16年3月 航空自衛隊を元気にする10の提言 パートII 1 頼まれたら頑張れ  景気が長期に渡り低迷し、我が国の中小企業も生き残りを懸けていろんな分野に進出することとなった。従来防衛調達に関係していなかった会社も多数自衛隊にモノを売りに来るようになった。また旧調達実施本部における調達不祥事により、防衛調達改革が実施され、防衛装備品調達における競争入札が強化された。空幕、補給本部などの実施する防衛関連調達が、従来からこれに参加していた会社だけではなく、多くの会社に拡大されることとなった。更に防衛予算は年々縮減の傾向にあり、これに輪をかけてインターオペラビリティーの観点から米国製装備品等の調達額が増加している。このようなことから従来から自衛隊に物品等を納入している国内企業からみれば、当然自衛隊に対する売り上げが減...
  • 「番組偏向」批判にNHKが説明文 抗議団体「これでウソが分かった」
    http //www.j-cast.com/2009/06/18043513.html 「番組偏向」批判にNHKが説明文 抗議団体「これでウソが分かった」 2009/6/18 コメント(33) NHKの大型企画「シリーズ・JAPANデビュー」をめぐる波紋が拡大している。1859年の横浜開港から、1945年までの日本の歩みを振り返るという趣旨の大型番組なのだが、シリーズ開始直後から「自虐史観に基づいている」「インタビューの編集が恣意的だ」といった声が続出。「NHKの大罪」と題して新聞1ページを丸々使った意見広告が掲載されたり、全国で抗議活動が行われたりもしている。これを受けて、NHKはウェブサイト上に説明文を掲載したが、「番組に問題はない」とする内容で、批判は収まりそうにない。 「台湾人男性から抗議を受けている事実はない」 批判を浴びているのは...
  • 毎日:教科書検定:集団自決問題 軍が「関与」 沖縄、評価と批判が交錯
    http //mainichi.jp/kansai/archive/news/2007/12/27/20071227ddn041040007000c.html 教科書検定:集団自決問題 軍が「関与」 沖縄、評価と批判が交錯 教科書検定:集団自決問題 軍が「関与」 沖縄、評価と批判が交錯◇「一歩前進」「歪曲だ」 ◇「重大な汚点」つくる会抗議 ◇関西でも非難 ◇「教育の中立」遠い--新藤宗幸・千葉大教授(政治学)の話 ◇「一歩前進」「歪曲だ」  「軍の強制」との表現はダメだが「関与」ならOK--。沖縄戦の集団自決を巡る高校日本史の教科書検定問題に、文部科学省が結論を出した26日、地元の沖縄県民からは「一歩前進」との評価と「歴史の歪曲(わいきょく)は変わっていない」との批判が交錯した。「検定意見を撤回させない限り、同じことが繰り返される」との警戒感も地元からは消えていない。 ...
  • 3-02 棄てられた従軍慰安婦たちはその後どうなったのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 3-02 棄てられた従軍慰安婦たちはその後どうなったのか… 3-02 棄てられた従軍慰安婦たちはその後どうなったのか…コメント欄   残念ながらわからない。一九五九年(S34)マニラ市内の料理屋で朝鮮なまりの現地語を使う女性に出会ったという元陸軍パイロツト出身で航空会社役員をしていた人の話、バンコク郊外の街で華僑と結婚している元朝鮮人従軍慰安婦と思われる婦人に会った新聞記者の話が伝えられているが、もしそれに間違いなければ敗戦後の混乱のなかを生き残った数少ない事例だろう。   沖縄でも一人だけ戦後を生きぬいた朝鮮人従軍慰安婦がいたことはその回顧談とともに記憶に新しいが、沖縄戦を前に沖縄各地へ送り込まれた他の朝鮮人従軍慰安婦のことはいっさい不明だ。   敗戦直後の中国雲南省...
  • (ハ)銃後の刑事事件の状況
    2 気運を統一する(イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止 (口)軍刑法による造言飛語の防止 (ハ)銃後の刑事事件の状況減少傾向 刑法犯の実例 目次 2 気運を統一する (イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止 (口)軍刑法による造言飛語の防止 (ハ)銃後の刑事事件の状況 減少傾向 昭和十四年の五月十五日から二十日まで、地方裁判所長や検事正などを集めて、同年度の定例司法長官会同が開かれた。泉二新熊(もとじしんぐま)大審院長の口演もあった。そのなかで、かれは、シナ事変の発生以来、刑事の訴訟事件は減少的傾向を示している、と述べた。確かにそうである。十五年末に発表された十四年の裁判所及検事局取扱事件表によると、刑事事件数の推移はこうである。 158 区裁判所 地方裁判所 控訴院 大審院 十一年 一二七、二六二 二七、七九六 三、一二八 四、二〇三 十二年 一二〇、五九七 二〇、九六...
  • 夏淑琴さんと新路口事件
    夏淑琴さんと新路口事件 夏淑琴 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E6%B7%91%E7%90%B4 より 夏 淑琴(か しゅくきん、1929年5月5日 - )は、南京大虐殺の一事件である新路口事件の生存者。この事件では2家族13人が住んでいた家屋内で、0歳の幼児を含む11人が殺害され、その内、女性3人は強姦された後、殺害された。 新路口事件の概要 史料によれば、当時、夏一家は、南京城内の新路口5番にある一棟の家に住んでいた。この家には、家主の哈家(夫婦と子供2人の4人家族)と夏家(母方の祖父母、父母、姉3人、妹2人の9人家族)が合計13人住んでいた。 1937年12月13日午前10時頃、南京城壁を突破した日本軍は、この家にやって来てドアを激...
  • 尖閣沖漁船衝突事件について(その五)2010/10/29
    尖閣沖漁船衝突事件について(その五)2010/10/29  河内謙策と申します。(この情報を重複して受け取られた方は、失礼をお許しください。転送、転載は自由です。)  私は、今回の尖閣沖漁船衝突事件が非常に重大な問題であると考え、様々なMLに「尖閣沖漁船衝突事件について」「尖閣沖漁船衝突事件について(続)」「尖閣沖漁船衝突事件について(続続)」「尖閣沖漁船衝突事件について(その四)」を投稿してきました。私は、今回の事件を、(1)今回の事件の真相について、(2)中国はなぜ大騒ぎして、日本に対し「力の外交」を展開しているのか、(3)菅内閣の態度をどうみるか、(4)日本の平和活動家のとるべき態度について、(5)頑張れ日本!全国行動委員会の組織しているデモをどう評価するか、の5つの論点に分けて論じてきましたが、中国の「監視船」が再び尖閣諸島周辺に現れるという新しい情勢になってきています...
  • 五 世界で糾弾された日本軍の中国婦女凌辱
    中国女性にとっての日中十五年戦争 五 世界で糾弾された日本軍の中国婦女凌辱 『ニューヨーク・タイムズ』一九三八年一月九日付で、南京大虐殺を世界にスクープしたダーディン記者は、その記事の冒頭で次のように記している。 「日本軍が南京占領後に行った虐殺・強姦・略奪など、すべてはるか昔の野蛮な時代の出来事のように思われる。(中略)日本軍にとって南京占領は軍事的・政治的にきわめて重要なことで166あった。しかし、その勝利は、野蛮な残虐行為により、捕虜の大量処刑・市内の略奪・強姦・一般市民の殺害により、また無軌遣行為の蔓延によって台無しとなった。こうした行為は日本軍と日本民族の名声を汚すものとなろう。」(洞富雄編『日中戦争・南京大残虐事件資料集・第二巻英文資料編』青木書店、二八五頁) 当時南京に留まってその一部を目撃・見聞した新聞記者の、事件の深刻性を洞察した批判であった。 ...
  • 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1)
    http //www.nids.go.jp/dissemination/kiyo/pdf/bulletin_j4-3_4.pdf 『防衛研究所紀要』第4巻第3号(2002 年2月)100 ~ 119 頁。 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1) 庄 司 潤一郎 →http //www.nids.go.jp/profile/senshi/02-syouji.html 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1)はじめに 1 戦後日本における歴史認識の変遷-学界、言論界を中心として- 2 「太平洋戦争」の呼称をめぐる諸問題1)「太平洋戦争」 2)「大東亜戦争」 3)「第二次世界大戦」 4)「15 年戦争」 5)「アジア・太平洋戦争」 6)「今次の大戦」、「先の大戦」、「過ぐる大戦」、「あの不幸な戦争」など 7)その他 3 歴史認識における論点 4 ...
  • 詩 玉砂利
    http //www.geocities.jp/sato1922jp/naiti.htm#tamajyari 詩  玉砂利 京 土竜 それは昭和十五年 皇紀二千六百年を祝し 中国大陸の奥地に果てた股肱の将兵を 「英霊」として天皇自ら合祀する 靖国神社秋の臨時大祭 天皇を乗せた御羽車は 全ての灯りを消した闇の中を進む ラッシユ撮影も許されぬなか 報えるのはただNHKラジオ放送 実況担当は不世出の名アナウンサー和田信賢 参道に額つく人びとを眺めつつ 星明かりに浮かぶ御羽車を報える 「漆黒ノ闇ノナカ御羽車シズシズト 参道ヲ進ミ イマシモ・・・・」 そのとき ひとつの影が立ち上がり 怒声とともに石礫が御羽車に飛んだ 「偽善者!」 っぎの瞬開 闇に潜んだ警護の憲兵の拳銃が一発 見事に額を射披かれた男は声もなく倒れた...
  • 「ザ・コーヴ」ニコニコ動画で2千人限定上映へ
    http //www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100617-OYT1T00597.htm?from=yoltop 「ザ・コーヴ」ニコニコ動画で2千人限定上映へ  映画館での上映中止が相次ぐ米ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」が、動画サイト「ニコニコ動画」の「ニコニコ生放送」で上映されることが17日までに決まった。  配給元のアンプラグドによると、18日午後8時から、全編無料で上映し、その後、サイト上で討論会を開く。視聴できるのは2000人限定。同社は「一部から映画を見ないで批判を受けており、映画を見た上で議論することに意味がある」としている。 (2010年6月17日13時14分 読売新聞) 報道ファイル
  • 「土俵をまちがえた人」(6)
    「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(6) 議論にならない ▼曽野さんは、沖縄の社会、教育、新聞なども批判している。皮相的な、困った偏見である。たとえば、「沖縄の社会は閉鎖的である」という。その理由は、なにも述べていないから、答えようがない。もし私が「本土は沖縄よりも閉鎖社会である。日本の地方の中で、沖縄ほど世界に開かれたところはない」と言ったとする。それだけでは議論になるまい。私なら、その理由を述べる。 今度の論争で、私は根本問題を踏まえて、土俵の真ん中に立っているのに、曽野さんは、枝葉末節のことや論点からはずれたことばかり言って、土俵のまわりを逃げまわっていたような気がする。 ▼住民処刑の明確な不当性を、私は証明した。これについては、いかなる人も反論できないはずだ。曽野さんも、沈黙して、曽野点は避けている。そうとわかれば、エチオピアの話をもち出す前に、不...
  • @wiki全体から「二・二六事件で軍部批判をこわがった新聞」で調べる

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