15年戦争資料 @wiki内検索 / 「憂楽帳:断固たる声」で検索した結果

検索 :
  • 憂楽帳:断固たる声
    ...c.html 憂楽帳:断固たる声  金閣寺は晩秋の透き通った日差しを引き寄せ、きらめき続けていることだろう。ある寒い日、私はまばゆい光の向こうに、地中へ打ち込まれた堅固な支柱を確かに見た。それは、美を追い求めた古人の残影のようにも思えた。  しかし、写真に撮ると、おぼろげに光るものがあるだけだった。残念には思わなかった。私の撮影の腕前はさておき、折々の人の目にしか映らぬものがあるのだと、むしろ得心がいった。  存在するものと心の内で結ばれる像の異なることが、金閣寺ではいっそう意識される。それは、三島由紀夫氏の名作の影響にほかなるまい。実際の放火事件に題材をとった作品は、事実を超えて、人の心の深層をあぶりだす。  今月初め、著作中の集団自決の記述を巡る訴訟の法廷に、大江健三郎氏が立った。その日、私は来阪した沖縄の地元紙記者と会っていた。集団自決を巡る教...
  • 沖縄戦ニュース
    ... 11/30採録 憂楽帳:断固たる声 11/20よりピックアップ 琉球新報 「集団自決」文科省が意見依頼 沖縄戦研究者に 沖縄タイムス 沖縄戦研究者に意見打診/文科省、県内外2氏へ文書求める 朝日新聞 沖縄の現実を見よう/森住卓さん講演 産経新聞 自決強制 過去には訂正申請取りやめ 関連ニュースArchives 沖縄タイムスリンク:過去の関連ニュース 沖縄タイムス等:「集団自決」主な関連ニュース未整備 「沖縄戦新聞」 http //ryukyushimpo.jp/variety/page-128.html http //hintbooks.biz/bg/06061701.html http //www.amazon.co.jp/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6%E6%96%B0%E8%81%9E%E...
  • パートI 2 一勤務一善
    「航空自衛隊を元気にする10の提言」×3 田母神俊雄 平成15年7月 航空自衛隊を元気にする10の提言 パートI 2 一勤務一善  空幕に勤務している担当者は朝から夜まで忙しい。私も担当の頃に月曜日に出勤して土曜日に帰宅するような時期を過ごしたことがある。六本木の空幕の建物の中によく泊まったものだ。恐らく自宅で寝ているよりは空幕で寝ていた日の方が多かったに違いない。どんなに頑張っても次から次と仕事が流れてくる。いやになって自衛隊を止めて他の仕事を探そうかと思ったことも度々あった。当時はバブル景気の最盛期であった。今では懐かしい思い出である。  あれから十数年の年月が流れたけれども、現在でも各担当の諸君は同じように仕事に追いまくられていることと思う。しかしどんなに忙しくともルーティンの仕事をこなしているだけで満足してはいけない。ルーティンをこなすと同時に、日本の...
  • 日中戦争の開始
    南京大虐殺の研究 晩聲社1992 もくじ 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 一、日中戦争の開始 二、上海戦と南京戦 三、南京進撃 四、大虐殺の序章 五、『南京戦史』批判 脚注 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 一、日中戦争の開始 南京戦と南京大虐殺は上海戦(第二次上海事変)と密接に関連している。上海戦の問題を抜きにして、南京戦・南京大虐殺を論ずることはできない。そして上海戦を考察するためには、まず日中戦争そのものがどのようにして起こされたかを明らかにする必要がある。 日中戦争は一九三七(昭和一ニ)年七月七日の蘆溝橋事件を発端として発生した。盧溝橋事件そのものは偶発的な衝突であって、満州事変の発端となった柳条湖事件のように意図的.計画的に仕組まれたものではない(1)。現地では七月一一日になって一応の停戦協定が結ばれた...
  • いわば馥郁たる優しさ
    PHP文庫 1992年6月15日 ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決 第1版第1刷 解説 ―いわば馥郁たる優しさ― 田村隆一   赤松嘉次大尉、海上挺進第三戦隊長、陸士五三期卒。   彼はオキナワ戦史の「神話的悪人」として記録されている。彼の任務は○レと呼ばれるベニヤ板製の特攻舟艇でアメリカ軍の艦船を攻撃することであった。しかし、沖縄・渡嘉敷島に上陸した彼とその部下は、圧倒的なアメリカ軍の攻撃にあって、島の二三四・二高地(西山)に複廓陣地をきずいてたてこもることを余儀なくされた。そこで赤松大尉は、渡嘉敷村の住民から戦いの遂行のためと称して食糧を強制的に徴発した。さらに駐在巡査・安里喜順(当時二十九歳)と村長古波蔵惟好を通じて住民を西山の恩納河原に集めた。住民は軍の保護下にはいったと考えたのだが、攻撃がはげしくなると、赤松大尉は、住民に自決の命令を出...
  • 「沖縄戦」展示を史実を正確に反映したものに改めるよう求める声明
    国立歴史民俗博物館における「沖縄戦」展示を、歴史研究にもとづき史実を正確に反映したものに改めるよう求める声明 国立歴史民俗博物館は3月16日にオープンする新設の常設展示室「現代」の展示概要を3月8日の記者会見で発表した。それに関する報道によれば、沖縄戦のいわゆる「集団自決」について、その背景に「住民への軍国主義教育や、軍人からの指示・命令など、住民の意思決定を左右する戦時下のさまざまな要因があった」という要旨の当初の解説記述を改め、「軍人」や「軍国主義教育」という用語を使わずに単に「『集団自決』に追い込まれた人びともいた」との記述に改めたということである。同時に「集団自決」という項目名がなくなり、上記の変更後の解説文は「戦場の民間人」という項目の中におかれるようになったともいう。 これでは誰によってどのような要因で「集団自決」に追い込まれたのかがまったく示されないことになり、日...
  • 第三章 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第三章 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない 第三章 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない第一節 「満洲某重大事件」=張作霖爆殺事件(一九二八=昭和三年) 第二節 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない 第一節 「満洲某重大事件」=張作霖爆殺事件(一九二八=昭和三年)  先に見たように、田中義一内閣は、東三省に満洲人自身の努力による安定政権が樹立されることを期待し、満洲(奉天)軍閥の頭領張作霖を支援しようとしていた。しかし、現地関東軍将校には、張作霖は信頼できない、満洲支配を委ねるのは危ないと判断する者が多かった。その様な時期に、蒋介石の「北伐」攻勢に押されて奉天に退却する途次の張作霖を爆殺する事件が一九二八=昭和三年六月四日起...
  • 第五節 満州に於ける朝鮮人問題
    5、満州に於ける朝鮮人問題  日本の法律に依り日本の国籍を有する八十万朝鮮人の満州内居住は日支間の諸政策の衝突の先鋭化を促進せり。右自体の結果諸種の紛争惹起せられ為に朝鮮人自身犠牲となり厄災と惨禍とを蒙りたり(本報告付属書第九章参照)。  朝鮮人が売買又は租借に依り満州において土地を取得するに対し支那の反対ある処、日本側は朝鮮人も等しく日本臣民として1915年の条約並交換公文によりて獲得せる商租権に均霑すべきものなりと主張して之に反対せり。而して日本人は朝鮮人が帰化によりて支那臣民たることを否認せるが為茲に亦二重国籍の問題発生せり。朝鮮人の関し及保護の為日本領事館警察の使用は支那側の忿満を招き屡日支警察の衝突を惹起せり。殊に朝鮮の北境に接する間島地方の如く朝鮮人の居住者四十万人に及び同地支那人をして1927年に至るに及満州に於ける朝鮮人の自由居住を禁止するの政策を採るに至らしめ...
  • 発信箱:イルカ漁とサイード教授=布施広
    http //mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20100701ddm004070006000c.html 発信箱:イルカ漁とサイード教授=布施広  話題の映画「ザ・コーヴ」を見て、故エドワード・サイード氏を思い出した。パレスチナ系米国人で、有名な「オリエンタリズム」の著者。米国の大学に身を置いてイスラエルのパレスチナ占領を非難し続けた。国際世論を喚起すべきアラブ側の人々にも厳しい目を向け、彼らの英語は「情けないほどたどたどしい」「(米国への対応で)初歩的な無能をさらけ出している」とも語っている(「戦争とプロパガンダ2」)。  なるほど、思いつくまま例を挙げると、パレスチナの最高責任者、アッバス自治政府議長の英語はとつとつとして、ネタニヤフ・イスラエル首相の滑らかな英語とは比較にならない。それによって能力を測るのもどうか...
  • 福地NHK会長に宛てた要望書
    http //sdaigo.cocolog-nifty.com/ NHK福地会長宛て 要望書(2009年7月7日) 「他虐」を「自虐」と言いくるめる本末転倒のナショナリズム~NHKスペシャル「JAPAN デビュー」への攻撃に思うこと~ http //sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/nhk-5bee.html  4月5日に放送されたNHKスぺシャル「JAPAN デビュ-」第1回「アジアの“一等国”」を偏向番組だとして、集団提訴が起こされた。番組は「やらせ」もまじえて、日本による台湾統治の功の部分を伝えず、負の部分を捏造または誇大に伝えたものだというのが、その言い分である。  しかし、私も見たあの番組は、日中戦争の勃発に伴って始まった皇民化政策の下で日本語の使用や「改姓名」と称した日本人名への改称が強要されたこと、日本軍兵士...
  • 虐殺は嘘17に対して
    虐殺は嘘17 誰も知らなかった虐殺3 2006/ 7/18 0 33 [ No.11107 / 12177 ] 投稿者 deliciousicecoffee http //messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW action=m board=1143582 tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13 sid=1143582 mid=11107 1938年3月に開かれた国民党の臨時大会で何応欽参謀総長の軍事報告がなされたがその中で南京事件については一言も触れていない。 攻防戦でおびただしい死者が生じたがそれは戦闘行為によるもので虐殺は無かったとするのが当時の誰もが認める解釈であった。 傍証としては南京のイギリス領事も、日本嫌いで有名なドイツ大使館の書記官も虐殺に...
  • 皆本第三中隊長から中島幸太郎氏への書信 1946年2月17日
    沖縄作戦 殉国日記(2) 皆本第三中隊長から中島幸太郎氏への書信 1946年2月17日  「集団自決」事件で名を知られる赤松部隊すなわち海上挺進第三戦隊に所属する第三中隊中島一郎少尉は、昭和20年3月26日の夜、沖縄全体の海上挺進特攻の司令官である第十一船舶団長大町大佐とその一行を、沖縄本島司令部まで護送する特攻艇の操縦手として選抜され、他の一艇と共に米軍上陸前夜の慶良間列島渡嘉敷島を脱出した。  しかし島の周囲は夥しい米軍艦艇に取り巻かれている。脱出行の成功は期待できるものではなかった。一艇は出発直後に沈没しその乗務者は渡嘉敷等に泳ぎついた。大町大佐を乗せた中島艇は消息を絶ったままとなった。  戦後、中島一郎の父幸太郎は、本土に復員した赤松部隊関係者に手紙を送ったり面会を求めたりして、息子一郎の死のいきさつを知ろうと奔走した。その経過を一郎の二周忌にあたり幸太郎...
  • 第2・2(3) 本件各書籍の記述
    通007 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 第2 事案の概要 第2・2 前提となる事実 第2・2(3) 本件各書籍の記述 第2・2(3) 本件各書籍の記述ア 本件書籍(1)の記述 (本件記述(1))* イ 本件書籍(2)の記述(ア)(本件記述(2))* (イ)(本件記述(3))* (ウ)(本件記述(4))* (エ)(本件記述(5))* ア 本件書籍(1)の記述 (本件記述(1))* 「太平洋戦争」は昭和43年2月14日に発行され,その改訂版である「太平洋戦争 第二版」は昭和61年11月7日に発行された。本件書籍(1)は,「太平洋戦争 第二版」を文庫化し,発行されたが,現在まで合計1万1000部が発行された(本件書籍(1)が「太平洋戦争 第二版」を文庫化したものであることは争いがなく,その余は甲A1,B7及ぴ弁論の全趣旨)。 本件書籍...
  • 別紙「第X1章 抜き書き」
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-130 主文 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 『沖縄ノート』より 別紙「第X1章 抜き書き」 (判決本文p284~)   このような報道とかさねあわすようにして新聞は、慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で住民を陣地内に収容することを拒否し、投降勧告にきた住民はじめ数人をスパイとして処刑したことが確実であり、そのような状況下に、「命令された」集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が、戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた。僕が自分の肉体の奥深いところを、息もつまるほどの力でわしづかみにされるような気分をあじわうのは、この旧守傭隊長が、かつて《おりがきたら、一度渡嘉...
  • 雑誌「正論」編集部への意見具申
    雑誌「正論」編集部への意見具申 http //homepage.mac.com/credo99/public_html/8.15/proposal.pdf 『正論』篇集部 御中 H. 17(2005). 7. 20 http //homepage.mac.com/credo99/public_html/ http //homepage.mac.com/credo99/iMovieTheater8.html 棚橋 信之 1. 緒 言 去る 7 月 10 日に、靖國神社元宮司・松平永芳様が幽界に旅立たれました。謹んで故人への慰霊と鎮魂の祈りから、靖國神社前宮司・湯澤貞氏のインタビュー記事の「靖国の言い分、英霊たちの声(『正論・八月号』)」に対して、小生、忌憚なく意見具申をいたします。奇しくも、本日は、御霊前の「十日祭」を迎えました。宜しく、ご査収下さい。尚、論拠としては...
  • 第一節 「新国家」建設の階段
    第六章 「満州国」 第一節 「新国家」建設の階段  前章に於いて説述せる如く1931年9月18日事件の結果、奉天市の市行政及奉天省の省行政は完全に破壊せられ延いて其他の2省の省行政に至る迄程度は少きも影響を蒙りたる。奉天に対する攻撃余りに急速なりし為め全満州の政治的中心なるのみならず大連に次いで南満州の最も重要なる商業的中心たる同市は支那人民の間に恐慌を惹起するに至れり。著名の官公吏並びに教育界及商業界の主要人物の大多数は直ちに家族と共に逃亡せり。9月19日後の数日間に亘り十一万人以上の支那人住民は京奉鉄道に依り奉天を去りたるが逃亡し得ざるものは多く潜匿せり。  警官及監獄看守人に至る迄失踪せり。奉天市、奉天県及奉天省の行政は完全に崩壊し電燈、水等供給の公共事業会社、乗合自動車、市街電車並びに電話及電信業務は一切停止するに至れり。銀行及商会は閉鎖せり。至急を要するは市政府の組...
  • 東京新聞:『強制』の溝大きく 教科書訂正申請『検定意見撤回すべき』
    http //www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007122702075376.html 【関連】『強制』の溝大きく 教科書訂正申請 『検定意見撤回すべき』 2007年12月27日 朝刊 記者会見する「教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員。左から2人目は仲里利信委員長=26日午後、東京・永田町の衆院第1議員会館で  沖縄戦の集団自決についての教科書記述で二十六日、日本軍による「関与」の記述が復活したことに、沖縄県関係者からは「踏み込んだ内容になった」と前向きに受け止める声が上がった。一方で教科書執筆者などからは「軍の強制性を削除した検定意見が撤回されなかった」として、文部科学省の姿勢を批判する声も上がった。   検定意見の撤回を求めてきた沖縄県民大会の実行委員長の仲里利信県議会議長はこの日、都...
  • 沖縄タイムス:『教科書検定実相は遠く』(下)揺り戻し
    http //www.okinawatimes.co.jp/spe/syudanjiketsu/jisso_wa03.html 教科書検定実相は遠く(下) 揺り戻し (12月29日朝刊総合2面) 強まるタカ派の動き/県民の強い意志重要  「検定意見が間違っているとは思わない」。今月四日午前、東京・丸の内の文部科学省で、教科書検定意見の撤回を求める都内の市民団体などの要請行動に対応した布村幸彦審議官は、強い口調で反論した。  市民団体関係者は「九月二十九日の県民大会以後は丁寧な応対が続いていた。何があったのか」と驚いた。教科書検定問題の調査、研究を続けている俵義文さんもその場に立会い、「背景に何かある」と感じた。  調べると、十一月二十八日、超党派の保守系議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」が「教科書記述の変更に断固反対」などとする決議を採択していた。 ...
  • NHKスペシャル『アジアの"一等国"』に対する非難・中傷の動きについての見解
    http //jcj-daily.seesaa.net/article/123041722.html#more NHKスペシャル『アジアの"一等国"』に対する非難・中傷の動きについての見解 2009年7月7日 日本ジャーナリスト会議 4月5日放送のNHKスペシャル「JAPANデビュー」第1回『アジアの"一等国"』に対して、一部マスメディアと団体は、番組内容が一方的だなどとして非難・中傷を浴びせ、街宣車を繰り出すなどの行動を続けている。日本ジャーナリスト会議は、このような行為は単にNHKだけの問題に止まらず、日本における言論表現の自由そのものに対する恫喝と干渉にあたると考え、放送の自主性と自律性を尊重する立場から、直ちに中止されるべきだと考える。 この番組は、150年前に開国した日本が、西欧列強に伍して一等国の仲間入りをめざ...
  • 「沖縄ノート」"III-多様性にむかって"より
    「沖縄ノート」"III-多様性にむかって"より 「沖縄ノート」 著者 大江健三郎  発行 岩波書店 岩波新書(青版)762 1970年9月21日 第1刷発行 裁判原告による切り取りは、文脈を無視したいささか歪曲の恐れもあるので、この著作の意図および文意文脈がわかる、最小限度の引用を試みます。 目次に戻る III-多様性にむかって (略) 僕がとりつかれている現実的な悪夢のひとつは、沖縄を覆う核戦略体制にかかわつている。僕は核兵器について語られる言葉にふれるたびに、自分の内部の、この暗い渦巻きの深みへとひきこまれるような感覚をあじあわないわけにはゆかない。たとえぱ、かって幾つかのすぐれた短篇小説を書いた作家であり、いまは保守党随一の花やかなヒーローであるところの国会議員が、核武装しなけれぱまともな外交がおこなわれえない、とい...
  • rabe12月11日
    十二月十一日 八時 水道と電気が止まった。だが銃声は止まらない。ときおり、いくらか静まる。次の攻撃にそなえているのだ。どうやらこれがうちの「ペーター」のお気に召したらしい。さっきから声を限りに合奏している。からす(ラーベ)よりカナリアのほうが神経が太いようだ! 爆音をものともせず、道には人があふれている。この私より「安全区(セーフティ・ゾーン)」を信頼しているのだ。ここはとっくに「セーフ」でもなんでもないのだが。いまだに武装した兵士たちが居すわっているのだから。いくら追い出そうとしてもむだだった。これでは、安全区は非武装だと日本軍に知らせたくともできないじゃないか。 九時 ついに安全区に榴弾が落ちた。福昌飯店(ヘンペル・ホテル)の前と後だ。十二人の死者とおよそ十二人の負傷者。このホテルを管理しているシュペアリングが、ガラスの破片で軽いけが。ホテルの前にとまっていた車が二...
  • 毎日 集団自決訴訟:大江さんらへの請求を棄却 大阪地裁
    http //mainichi.jp/select/today/news/20080328k0000e040041000c.html 集団自決訴訟:大江さんらへの請求を棄却 大阪地裁 車から降り、大阪地裁に入る大江健三郎氏=大阪市北区で2008年3月28日午前9時半、貝塚太一撮影  ノーベル賞作家・大江健三郎さん(73)の著作「沖縄ノート」などで、第二次世界大戦の沖縄戦で集団自決を命令したとの虚偽の記述をされ名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の戦隊長らが大江さんと出版元の岩波書店に対し、出版差し止めと慰謝料2000万円の支払いを求めた訴訟の判決で、大阪地裁(深見敏正裁判長)は28日、請求を棄却した。深見裁判長は、隊長の自決命令の有無について「認定にはちゅうちょせざるを得ない」と明確な判断は避けたが、当時の状況などから「集団自決には旧日本軍が深くかかわった」とした。 ...
  • JANJAN:9.29「教科書検定意見撤回を求める県民大会」から1年
    http //www.news.janjan.jp/column/0810/0810010527/1.php 9.29「教科書検定意見撤回を求める県民大会」から1年 主催者が那覇で会見 比嘉康文2008/10/02 昨年9月28日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」からちょうど1年たった29日、主催6団体が沖縄県政記者クラブで会見し、文科省に「検定意見撤回」など大会決議の実現を求める声明を発表した。 「9・29県民大会決議の実現に向けた、新たな結束を!」を呼びかける玉寄さんたち。  高校の歴史教科書に沖縄戦の集団自決での「軍命」記述を求めた昨年9月28日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」からちょうど1年たった29日、主催団体だった沖縄県婦人連合会や沖縄県子ども会育成連絡協議会など6団体が沖縄県政記者クラブで会見し、文部科学省に「検定意見撤回」など大会...
  • 「沖縄ノート」"プロローグ"より
    「沖縄ノート」"プロローグ"より 「沖縄ノート」 著者 大江健三郎  発行 岩波書店 岩波新書(青版)762 1970年9月21日 第1刷発行 裁判原告による切り取りは、文脈を無視したいささか歪曲の恐れもあるので、この著作の意図および文意文脈がわかる、最小限度の引用を試みます。 目次に戻る プロローグ 死者の怒りを共有することによって悼む 一九六九年一月九日未明、沖縄県人会事務局長であり、かれを知る者にはつね五にそれ以上の人間であつた古堅宗憲(ふるげんそうけん)氏が、日木青年館において急死した。日本青年館は、古堅さんが生涯をかけた沖縄返還運動の拠点であつたし、古堅さんがその未明の火災に出会わざるをえなかったのは、前日深夜まで、沖縄から上京した古堅さんの同志たちとの話合いがつづいたためである以上、古堅さんは、かれが生涯をかけた闘いの、...
  • rabe12月23日
    十二月二十三日 昨夜、総領事館警察の高玉清親氏来宅。外国人が受けた物的損害の一覧表を作ってもらいたいとのこと。なんと今日の昼までに、という。そんなことがらくにできるのは一国の大使館くらいなものだろう。我々にはそんな簡単な仕事ではない。だが、やりとげた。さっそくクレーガー、シュペアリング、ハッツに来てもらい、地区ごとに分担を決め、時間までにちゃんと仕上げた。それによると、ドイツ人の家で略奪にあったのは三十八軒。うち、一軒(福昌飯店)は燃やされてしまった。だがアメリカ人の被害ははるかに甚大だ。全部で百五十八軒にものぼる。 リストの完成を待っていたとき、ボーイの張が息せききってやってきた。日本兵が押し入り、私の書斎をひっくり返して、二万三千ドルほど入っている金庫を開けようとしているという。クレーガーといっしょにかけつけたが、一足違いで逃げられた。金庫は無事だった。どうしても開けられな...
  • 歴博「集団自決」展示問題
    歴博「集団自決」展示問題 新聞報道 新 ↑ 「証言軽視」に批判 歴博「集団自決」軍関与削除 琉球新報 「集団自決」説明せず 歴博、一般公開始まる 沖縄タイムス 「軍関与」記述削除の展示開始 沖縄戦「集団自決」で歴博(更新版) 共同 集団自決、軍関与削除し展示 国立歴史民俗博物館に沖縄反発 東京新聞 歴博展示室で内覧会 きょう一般公開 館側「誠実に対応」 沖縄タイムス 歴博、沖縄戦「集団自決」展示 きょうから一般公開 琉球新報 「軍関与」記述削除の展示開始 沖縄戦「集団自決」で歴博 共同 証言資料 重視を 歴博「集団自決」解説文見解 琉球新報 歴博「集団自決」解説文の変遷text 「集団自決」軍関与削除 館の判断で表現ぼかす 琉球新報 歴博、月内にも再検討 「集団自決」軍関与削除 沖縄タイムス 軍関与復活求め抗議 歴博「集団自決」記述 沖縄タイムス 国立歴史民...
  • チャンネル桜等の「公開質問状」
    http //www.emaga.com/bn/?2009070076780410010270.3407 【チャンネル桜など公開質問状】NHKに対する質問と公開討論会の要請 平成21年7月24日 日本放送協会 会長 福地茂雄殿 NHKに対する質問と公開討論会の要請 貴日本放送協会(以下、NHK)が去る4月5日に放送した「NHKスペシャル シリーズ JAPANデビュー 第一回 アジアの“一等国”」に対し、放送直後から日本国内はもとより取材先の台湾においても様々な批判が巻き起こり、NHKにもこれまでにないほど多数の抗議が寄せられていることはNHK自身が認めているところである。NHK内においても経営委員会において、当該番組の放送法違反が問われる事態となっている。放送後3ヵ月以上経つというのに、内外の抗議の声は高まるばかりである。 台湾においても、抗議と訂正を...
  • 沖縄タイムス:「強制」削除市民怒り/運動の継続誓う
    http //www.okinawatimes.co.jp/day/200712281300_02.html 2007年12月28日(金) 朝刊 25面 「強制」削除市民怒り/運動の継続誓う  沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」への日本軍の強制を示す記述を削除させた教科書検定問題で、「6・9沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会」実行委員会は二十七日、教科書会社からの訂正申請に、「軍強制」を示す記述を認めなかった文部科学省に抗議する緊急集会を那覇市の県民広場で開いた。約七百人(主催者発表)が参加し、「軍強制」の記述復活と検定意見の撤回などを求めた。  同実行委の大浜敏夫共同代表は「教科用図書検定審議会は『(日本軍)に強制、誘導された集団自決』は駄目で『追い込まれた』という記述なら良いという基準を設けた。絶対に許すことはできない」と語気を強めた。  「沖縄戦の歴史歪...
  • 不信感募る親たち 県民健康調査「準備会」 2012年10月4日 福島民友ニュース
    毎日新聞スクープ_福島健康調査 「秘密会」で見解すり合わせ 不信感募る親たち 県民健康調査「準備会」 2012年10月4日 福島民友ニュース  県の県民健康管理調査に対し有識者が意見を述べる検討委員会で「準備会」と称して秘密会が開かれた問題。3日、子どもを持つ県内の親からは「隠して会合を持つなんて、何かあるのではと思ってしまう」などと、県への不信感を訴える声が上がった。専門家も県の姿勢に疑問を呈す。県は「委員に資料の内容を説明する場」と釈明、委員の意見の事前調整を否定するが、調査の信頼性に傷を残す結果となった。  3人の子を持ち、会津若松市の仮設住宅で暮らす楢葉町の佐土原由美さん(39)は「やましいことがないなら秘密にすることはない。県民が一番気にする健康のことに関して隠しだてするというのは信用できないし、いい気はしない」と首をひねる。  生後9カ月の長男らとともに...
  • 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第1部 近代日中関係の発端と変遷 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1> 服部龍二 中央大学総合政策学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1>はじめに 1.第1 次世界大戦1) 第1 次世界大戦の勃発と対華21 カ条要求 2) 西原借款から新4 国借款団へ 3) パリ講和会議と5.4 運動 2.ワシントン体制の成立1) ワシントン会議と9 カ国条約 2) 山東問題と対華21 カ条要求関連条約の改廃問題 3) ワシントン体制の成立とその後 3.北京政府「修約外交」...
  • 第二章 満州
    第2章 満州 記述 支那の他の部分及露西亜との関係 1、記述  満州は支那に於いては東三省として知らるる広汎且豊穣なる地域にして僅々40年以前にはほとんど開発せられ居らず現在に於いてすら猶人口稀薄なるを以て支那及日本の過剰人口問題解決に益々重大なる役割を演ずるに至れり。数百万の窮乏せる農民は山東省及河北省より満州に流入せる一方、製品及資本は日本より同地方に輸出せられ食糧及原料と交換せられたり。斯くの如く満州は支那及日本の各自の必要に応ずることに依りて日支双方の有力なる伴侶たる実を挙げたり。即ち日本の活動なくんば満州は斯くの如き大なる人口を誘致且収容し得さりしなるへく又支那農民及労働者の移住なくんば満州は斯くも急速に発展し以て日本に対し市場並食糧肥料及原料を供給すること能はさりなるべし。  然れども他国の協力に依倚すること多大なる満州は上述の理由に依り先ず日露の間に於いて次い...
  • 1931年9月18日当日及其後 その1
    第四章 1931年9月18日当日及其後に於ける満州に於いて発生せる事件の概要 事件突発直前の事態  前章において満州に於ける日支両国利益の関係漸次緊張し来れるを述べ之が両国軍部の態度に及ぼす影響を述べ置きたり。既に相当期間或種の内部的、経済的及政治的要因が日本国民の満州に於て再び「積極政策」に出づるに備えつつありしことは疑いなきところなり。軍部の不満、政府の財政策、全て政党に対して不満の意を表明し、西洋文明の妥協的方法を蔑視して古代日本の道徳に依存することを主張し又財界及政界の利己的方法をも非とする軍部、農村落及国家主義的青年の間より醸成せられたる新政治勢力の出現、物価下落が主要生産者をして其の境遇を緩和せんが為に冒険的外交政策に望みを嘱するの傾あらしむるに至れること、事業界の不況が工業及商業界をして一層強硬なる外交政策により取引改善すべしと信ぜしむるに至れること、之等の事情は何れも...
  • 第五章 上海
    第五章 上海  1月末上海に於いて戦闘発生せり。2月20日迄の本事件の経過概要は聯盟の任命せる領事国委員会に依り既に報告せられたり。領事国が2月29日、東京に到着せる時、戦闘は猶進行中にして、上海に於ける日本政府の武力干渉の起因、動機、及結果に関し調査団は同政府当局と数度討議を行いたり。調査団が3月14日、上海に到着せる時は戦闘は終了し居たるも停戦交渉は難関に在りたる次第にて恰も此の時に当り調査団が到着したることは機を得たるものにして良好なる空気を助成せしやも知れず。調査団は最近の敵対行為に基づく緊張せる感情を諒解し且又本紛議に関連する困難及問題の双方につき直接且明確なる印象を得たり。調査団は領事国委員会の事業を引継ぎ又は上海に発生せる最近の出来事に付特に研究すべき旨の訓令を受けたることなく却って調査団は支那政府においては調査団が上海に於ける事態調査の為其の満州に赴くことを延引すべしと...
  • 第二節 「満州国」の現政府
    第二節「満州国」の現政府  満州国は組織法及人権保障法に依りて統治せらる。政府組織法は、政府諸機関の根本的組織を規定したるものにして大同元年(1932年)3月9日付教令第一号に依りて公布せられたり。  執政は国家の元首にして総ての行政権は執政に属し執政は又立法院を統制するの権能あり。執政は重要国務に関し助言を与える参議府に依り補佐せらる。  政府組織法の特質は政府の権力を国務、立法司法及監察の四院に分かつ点にあり。  国務院の任務は執政統御の下に総理及各総長に依りて遂行せられ総理及此等総長は相合し国務院即ち内閣を組織するものとす。総理は各総長の事務を監督し強力なる総務長を通じて機密事項、人事、主計、需要の事務を直裁す。国務院に付属して諸種の事務局あり就中資政院及法制局は重要なり行政権は斯くの如く主として執政及総理の手に集中せられ居れり。  立法権は立法院...
  • 第三節 満州居住民の意見
    第三節 満州居住民の意見  満州居住民の新国家に対する態度を確かむることは本委員会の目的の一なりき。然れども調査を行いたる現地の状況に依り証拠を蒐集することに付若干の困難に遭遇せり。匪賊、朝鮮人共産主義者及支那側参与員の新政権批評の為同人の同伴を憤慨すべき新政府の擁護者等よりの本委員会に対する実際の又は予想せられたる危険は、委員会保護の為の例外的手段を執ることとなりたる一理由と成れり。同地方の同様せる状態に於いては確かに実際の危険がしばしば存せり。而して吾人は吾人の旅行中与えられたる効果的なる保護に対し感謝するものなり。然れども斯くて執られたる警察的手段の結果は承認を近づかしめざりしことなり。而して多数の支那人は吾人の部員と会見することすら率直に恐怖し居たり。吾人は或場所において、何人と雖も官の許可なくして本委員会と会見するを許されざる旨吾人の到着前に通達せれたることを聞きたり。依て会...
  • 琉球新報:「軍強制」は明らか 検定意見は撤回すべきだ
    http //ryukyushimpo.jp/news/storyid-30065-storytopic-11.html 2007年12月27日 社説 教科書問題 「軍強制」は明らか/検定意見は撤回すべきだ  沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)に関し、「日本軍による強制」の記述を修正・削除した高校歴史教科書検定意見問題で、教科用図書検定調査審議会(検定審)は、県民が求めた検定意見の撤回を認めなかった。  「集団自決」の現場にいながら命拾いをした多くの体験者らがこれまで「軍の強制」を証言してきた。その事実を検定審が一つ一つ丹念に検証した形跡はない。  そのことを抜きに「軍の直接的な命令」を示す根拠はないと断定することに、果たして正当性があるだろうか。  歴史的事実を追究する努力を尽くさず、体験者の証言を顧みることもなく「集団自決」の本質とも言...
  • 第二節 満州に於ける日支両国間の根本的利害関係の衝突
    2、満州に於ける日支両国間の根本的利害関係の衝突  支那人は満州を以て支那の構成部分と見做し同地方を支那の他の部分より分離せしめんとする一切の企てに対して憤慨す。従来東三省は常に支那及諸列国が共に支那の一部と認むる所にして、同地方に於ける支那政府の法律上の権限に付異議の称えられたることなし。右は多数の日支間諸条約及協定並びに他の諸国際条約により明らかなる所にして又日本を含む諸国の外務省より正式に公表せられたる多数「ステートメント」に繰返えされ居る所なり。  支那人は満州を以て其の「国防の第一線」と考え居れり。支那の領土として満州は之と接壤する日本及ロシアの勢力が之等の地域より支那の他の地方に侵入するを防ぐ為の前哨とせられ居れり。北京を含む長城以南の支那へ満州より侵入することの容易なるは歴史上の経験に依り支那人の熟知する所なるが、右東北よりの外国の侵略を虜るる念は鉄道の発達に依り...
  • 第一章 支那に於ける近時の発展の概要
    第1章 支那に於ける近時の発展の概要  現在の紛争が初めて国際聯盟に持ち出されるに至れる1931年9月18日の事件は、日支間の関係緊張を加え来れるを示せる長期のより重要ならざる軋轢の連鎖の結果に他ならず、現在の紛争を完全に理解せんが為には右2国間の最近の関係の主要なる要素に関する知識を必要とす。従って問題の研究を満州事態以外に及ぼし且現在の日支関係を決定するあらゆる要素を最も広範なる局面に付観察する必要ありたり。例えば支那共和国の国民的翹望、日本帝国及旧露西亜帝国の膨張政策、現時「ソ」連邦よりの共産主義宣布及右3国の経済的及軍略的必要等の如きは如何なる満州問題の研究にあたりても根本的に重要視せらるべき要素なり。  支那の此の部分は地理的に日露両国の領域の間に介在するを以て満州は政治的に紛争の中心となり右3国間の戦争は此の土地に於いて行われたり。実に満州は相衝突する要求及政策の遭...
  • 1931年9月18日当日及其後 その2
    第四章 1931年9月18日当日及其後に於ける満州に於いて発生せる事件の概要(その2) (その1より続き)  10月初め、嘗て馬占山、萬福麟と同地位を保有し彼等に代わりて黒龍江主席たらんとせしことあるトウ南守備隊長張海鵬は明らかに強力により省政府を奪取するの目的を以てトウ南―昴々渓鉄道に沿い進出を開始せり。支那側参与員提出文書第三号には、進出が日本側の煽動によるものとなし居れるが中立の方面より得たる情報もこの見解を支持し居れり張海鵬軍の進出を防止せんがため馬占山は漱江橋梁の破壊を命じ両軍は広大且沼沢地たる同河流域を隔てて相対峙せり。  トウ昴線は南満州鉄道提供の資本により建設せられ右線路は借款の担保とされ居るを以て南満州鉄道当局は北満よりの農産物運搬の特に必要なる時に当り同線の運輸妨害を続くることは許す可からずと感じたり。在齊々哈爾日本総領事は政府の訓令により10月20...
  • 第三節 満州に於ける日支鉄道問題
    3、満州に於ける日支鉄道問題  4分の1世紀間、満州に於ける国際政戦は、主として鉄道政戦なりき。純粋なる経済上及鉄道運輸上の性質に付いての考量は国策の命ずるがままに無視せられ満州諸鉄道は、同地方の経済的発展の為、其の全能力を発揮したりと云うこと能わざるの結果を来せり。吾人の満州鉄道問題研究が示す所に依れば満州においては包括的にして相互に有益なる鉄道計画を達成せんとする協力は支那及日本の鉄道建設当事者及官憲間には殆ど皆無なりき。鉄道の拡張が主として経済的考量に依り決定せられたる西部カナダ及アルゼンチンの如き地方に於ける鉄道の発達に反し、満州に於ける鉄道の発達の歴史は主として日支両国間の拮抗問題に終始せり。従来満州に建設せられたる重要なる鉄道にして支那及日本は他の利害関係を有する外国間の公文交換を伴わざるものなし。  満州に於ける鉄道の建設は、ロシアが投資及支配下に在りたる東支鉄道...
  • 第七章 日本の経済的利益及支那の「ボイコット」
    第七章 日本の経済的利益及支那の「ボイコット」  前三章は主に1931年9月18日以来の軍事及政治上の事件の記述に止めたり。日支間紛争の討究は紛争に於ける他の重要なる要素、即ち日本貨物に対する支那のボイコットを説明せざる限り正確または完全ならざる可し。  右ボイコット運動において使用せられたる方法及其の日本の通商に及ぼしたる影響を諒解せんが為には日本の一般経済的地位、其の支那における経済的財政利益及支那の外国貿易に付記述するの要あり。尚満州に於ける日本及支那の経済的利益の範囲及性質を諒解すること必要にして右は次章において討究す可し。  注)「ボイコット」此語は最初愛蘭土(アイルランド)において使用せられ「マヨ」県におけるアーヌ伯領の差配チャーレス・カニンガム・ボイコット大尉(1832-97)の名に起因す。借地人によりて定められたる地代を1880年受領することを拒絶せるが...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(9)
    「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載9回目 任務放棄に失望 赤松嘉次大尉の証言は信用しがたい。その一例をあげておく。赤松隊の任務は舟艇による特攻であった。だが、赤松隊は、渡嘉敷島に米軍が来攻したとき、みずから舟艇を破壊して、米艦船に対する特攻という本来の任務を放棄してしまった。 この任務放棄に関し、赤松は、慶良間巡視中の船舶隊長大町大佐の命令があったからだとしている。大町大佐は慶良間近海で戦死しているので死人に口なしである。大町大佐がわざわざ特攻中止を命ずるために慶良間巡視に出かけたとは思えないが、この出撃中止が軍司令部の意向ではなかったことだけはっきりしている。 沖縄守備第三十二軍の高級参謀であった八原博道大佐の手記『沖縄決戦』によると、慶良間の海上特攻に一縷の望みをかけていたことがわかる。「好機断固として海上に出撃すべきである。願わくば出撃して...
  • 皆本義博直話 昭和21年3月
    沖縄作戦 殉国日記(3) 皆本義博直話 昭和21年3月 聞き書き:中島幸太郎  「集団自決」事件で名を知られる赤松部隊すなわち海上挺進第三戦隊に所属する第三中隊中島一郎少尉は、昭和20年3月26日の夜、沖縄全体の海上挺進特攻の司令官である第十一船舶団長大町大佐とその一行を、沖縄本島司令部まで護送する特攻艇の操縦手として選抜され、他の一艇と共に米軍上陸前夜の慶良間列島渡嘉敷島を脱出した。  しかし島の周囲は夥しい米軍艦艇に取り巻かれている。脱出行の成功は期待できるものではなかった。一艇は出発直後に沈没しその乗務者は渡嘉敷等に泳ぎついた。大町大佐を乗せた中島艇は消息を絶ったままとなった。  戦後、中島一郎の父幸太郎は、本土に復員した赤松部隊関係者に手紙を送ったり面会を求めたりして、息子一郎の死のいきさつを知ろうと奔走した。その経過を一郎の二周忌にあたり幸太郎が綴っ...
  • 「沖縄」に耳傾けて 鳩山政権発足
    http //ryukyushimpo.jp/news/storyid-149980-storytopic-201.html 政権交代 「沖縄」に耳傾けて 鳩山政権発足2009年9月17日 「国民生活の立て直し」「政権公約(マニフェスト)の実現」を前面に掲げた民主、社民、国民新3党連立の鳩山内閣が16日誕生し、県内の関係者からは格差社会を生み出した自民党政治からの脱却や生活支援、教科書検定問題の解決に期待する声が相次いだ。泡瀬干潟をめぐる公共工事見直しや普天間飛行場移設をはじめとした在沖米軍基地問題の解決には、具体策を求める冷静な声も。山積する問題の解決に新政権への期待が膨らむ一方、「掲げた公約をしっかり実現してほしい」と「有言実行」を注文した。 【普天間移設】“主体性”を見極め  普天間飛行場の移設をはじめとする基地問題の解決について、名護市や宜野湾...
  • 「李登輝友の会」の果し状
    「李登輝友の会」の果し状 公開討論会 これは、「日本李登輝友の会」がNHKに要求したそうですが、その理由とは・・・・ 質問状に対してNHKから回答をもらったが、  回答では番組の趣旨をいろいろ説明しているが、放送を見た結論として、反日的と思われる発言だけを取り上げた印象は拭えないが故に抗議声明を出したのであり、あのような内容では「歴史の事実を共有すること」は到底望めないのは自明の理である。 という理由だそうです。 『「歴史の事実を共有すること」は到底望めないのは自明の理である』ような相手に「公開討論会」を呼びかける、というのは一体どういう料簡なのでしょうか? これは、会がNHKに送った文面のママです(「日本李登輝友の会」webサイト参照)。このような『果し状』を送りつけては、満足な討論など望むべくもありませんね。 http //www.ritouki...
  • 「沖縄ノート」"IX-「本土」は実在しない"より
    「沖縄ノート」エピローグ "IX-「本土」は実在しない"より 「沖縄ノート」 著者 大江健三郎  発行 岩波書店 岩波新書(青版)762 1970年9月21日 第1刷発行 裁判原告による切り取りは、文脈を無視したいささか歪曲の恐れもあるので、この著作の意図および文意文脈がわかる、最小限度の引用を試みます。 目次に戻る IX-「本土」は実在しない 僕が、ここに書きつづけてきた、沖縄を核(コア)として、日本人としての自己検証をめざすノートは、しだいに論理的な完結の印象とともに閉じることができぬものと自覚されてきた。僕はこのノートを開いたまま自分のうちに持ちつづけるだろう。いうまでもなく僕は、そもそものはじめから自分がくりかえしてきた、日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか、という内部へ...
  • 外国資本の駆逐
    外国資本の駆逐 矢内原忠雄全集2「帝国主義下の台湾」 第一篇 帝国主義下の台湾 第三節 資本家的企業 前述台湾資本主義化の基礎的事業の上に如何に資本家的企業、殊に日本資本家の企業が発展して行つたか。そは外国資本の駆逐、資本形態の発展(商業資本より金融資本に迄)、独占の成立、及び島外への進出を含む。以下本節に於て順次之を説明するであらう。 p221 第一項 外国資本の駆逐 一八五八年天津条約による台湾の開港以来英米独等の資本が台湾に接触し、清国商人の勢カを凌駕して貿易及金融の権を掌握するに至った。彼等は多く厦門を根拠地と為し、当時の台湾貿易は大部分対岸及香港に対するものであつた。我が領台の効果はこの商権を移して内地資本家の手に帰し、貿易路を転じて内地に向けしむるにあつた。 ○砂糖 先づ砂糖については一八五八年米国商ロビネット(Robin...
  • 第一項 外国資本の駆逐
    矢内原忠雄全集2「帝国主義下の台湾」 第一篇 帝国主義下の台湾 第三節 資本家的企業 前述台湾資本主義化の基礎的事業の上に如何に資本家的企業、殊に日本資本家の企業が発展して行つたか。そは外国資本の駆逐、資本形態の発展(商業資本より金融資本に迄)、独占の成立、及び島外への進出を含む。以下本節に於て順次之を説明するであらう。 p221 第一項 外国資本の駆逐 第一項 外国資本の駆逐○砂糖 ○茶 ○樟脳 ○阿片 ○米 ○海運 ○小括 ○注 一八五八年天津条約による台湾の開港以来英米独等の資本が台湾に接触し、清国商人の勢カを凌駕して貿易及金融の権を掌握するに至った。彼等は多く厦門を根拠地と為し、当時の台湾貿易は大部分対岸及香港に対するものであつた。我が領台の効果はこの商権を移して内地資本家の手に帰し、貿易路を転じて内地に向けしむるにあつた。 ○砂糖 先...
  • 第七節 中村大尉事件
    7、中村大尉事件  中村大尉事件日本側の見解に依れば満州に於ける日本の権益に対し支那側が全然之を無視せる幾多の事件が遂に其の極点に達せるものなり。中村大尉は1931年盛夏の候、満州の僻遠なる一地方において支那兵に殺害せられたり。  中村震太郎大尉は日本現役陸軍将校にして日本政府の認めたるが如く日本陸軍の命令による使命を有したり。哈爾賓通過の際、支那官憲は同大尉の護照を検査せるが同大尉は農業技師と自称せり。其の際、同大尉は其の旅行地域は匪賊横行地域なる旨警告せられ右事情は同大尉の護照に記載せられたり。同大尉は武器を携帯し且売薬を所持し居たるが支那側に拠れば売薬中には薬用に非る痺薬ありたり。  6月9日、中村大尉は3名の通訳者及助手を伴い東支鉄道西部の伊勤克特駅を出発せり。同大尉がトウ南の方向において奥地へ相当の距離にある一地点に到達せる際、一行は屯懇軍第三団長関玉の指揮す...
  • 第四節 1915年の日支条約及交換公文並びに関係問題
    4、1915年の日支条約及交換公文並びに関係問題  鉄道紛争を除き1931年9月に起これる重大なる日支問題所謂21ヶ条要求の結果たる1915年の日支条約及交換公文より勃発せるものなり。漢治萍鉱山(漢口付近)問題を除き1915年に締結せられたる他の協定は或る新たなるものに替えられ又は日本国に依り自発的に放棄せられたるものあるを以て此等論争は左記諸規定に関するものなりき。 関東州租借地の日本所属期限を99年(1997年)に延長すること。 南満州鉄道及安奉鉄道の日本所属期限を99年(夫々2002年及2007年)に延長すること。 「南満州」の内部に於いて即ち条約に依り或は外国人の居住及商業の為に開放せられたる地域外に土地を賃借するの権利を日本臣民に許与すること。 南満州の内部に於いて旅行し、居住し及営業をなすの権利並びに東部内蒙古に於いて日支合弁に依り農業の経営をなすの権利を日本臣民に許...
  • @wiki全体から「憂楽帳:断固たる声」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索

目安箱バナー