15年戦争資料 @wiki内検索 / 「日中歴史共同研究」で検索した結果

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  • 日中歴史共同研究
    昨日 - 今日 - 日中歴史共同研究 サイト内検索 and or 「(検索ターム) 日中歴史共同研究」 と入力すれば、関係ファイルをgetできます。  目次 日中歴史共同研究ことば 報告書本体 防衛研究所ブリーフィング 新聞社による要約 リークされた戦後史部分 報道解説記事 個人評 Blog ことば ことば 日中歴史共同研究 報告書本体 日中歴史共同研究(概要)平成22年1月 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 ここから各論文の全文へリンクします 第1期「日中歴史共同研究」報告書 序 近現代史日本側論文 NAVI 報告書本文(外務省サイト配信)PDF 目次・序(日本語)(PDF) 338 KB 日本語論文(PDF) 2.25 MB  ※脚注に乱行があります。PDF化の不備と思われます 中...
  • ことば:日中歴史共同研究
    ...tml ことば 日中歴史共同研究  ◇日中歴史共同研究  1972年の日中共同声明など三つの政治文書の原則と「歴史を直視し未来に向かう」との精神に基づき、06年に日中有識者計20人で構成する歴史共同研究委員会を設置し、研究が始まった。歴史問題を巡る対立感情を和らげ、友好関係を深める狙いがあるが、各論文の内容は「執筆者本人の認識」としている。新委員で第2期研究を予定している。 毎日新聞 2010年2月10日 東京朝刊 日中歴史共同研究
  • 日中歴史共同研究(概要)平成22年1月
    日中歴史共同研究 外務省サイト http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_kk.html 日中歴史共同研究(概要)平成22年1月 1.経緯 (1)2005年4月の日中外相会談において、町村外務大臣(当時)より日中歴史共同研究を提案、翌5月の日中外相会談において、詳細は事務当局間で議論していくことで一致。 (2)2006年10月の安倍総理大臣(当時)訪中の際、日中首脳会談において、日中有識者による歴史共同研究を年内に立ち上げることで一致。同年11月、APEC閣僚会議の際の日中外相会談において、歴史共同研究の実施枠組みについて合意(別添参照)。 (3)2006年12月26-27日に北京で第1回全体会合、2007年3月19-20日に東京で第2回全体会合、2008年1月5-6日に北京で第3回全体会合を開催。研究成果を...
  • 第1期「日中歴史共同研究」報告書 序
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 序 http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-1.pdf 序1 日中歴史共同研究プロジェクトの始動 2 日中歴史共同研究プロジェクトの展開(1)共同研究委員会の成立 (2)共同研究テーマの確定 (3)論文の執筆と討論 3 この報告書の叙述スタイル・意義について 2006 年10 月8 日、安倍晋三総理大臣と胡錦濤国家主席は、年内に日中の研究者による歴史共同研究を立ち上げることで意見の一致をみた。同年11 月16日、麻生太郎外務大臣と李肇星外交部長が会談した際、日中歴史共同研究の実施枠組みについて合意に達し、日中共同声明等の3 つの政治文書の原則、及び歴史を直視し未来に向うという精神に基づいて、日中歴史共同研究を実施することを決めた。この共...
  • 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目 次 ソース: 目次・序(日本語)(PDF) 338 KB 日本語論文(PDF) 2.25 MB  ※脚注の随所に乱「行」があります。PDF化の不備と思われます 中国語論文(PDF) 2.66 MB 第1期「日中歴史共同研究」報告書(ペーパー)の入手法 序 ・・・・・日中座長共同執筆(委員会のメンバー、外部執筆委員、活動の経緯など) (収録済) <古代・中近世史> 総 論 ・・・・・日中委員共同執筆 (収録済) 序 章 古代中近世東アジア世界における日中関係史(日本側) 山内昌之・鶴間和幸 (中国側) 蒋立峰・厳紹.・張雅軍・丁莉 第1部 東アジアの国際秩序とシステムの変容第1章 7世紀の東アジア国際秩序の創成(日本側)7世紀の東アジア国際秩序の創成 川本芳昭 (中国側)7世紀の東アジア国際秩序の...
  • 日中歴史共同研究:NHK放送映像、中国国内で遮断
    ...0c.html 日中歴史共同研究:NHK放送映像、中国国内で遮断  【北京・浦松丈二】中国国内で31日夜、日中歴史共同研究について報道したNHKの海外向け放送の画面が真っ黒になり、数秒にわたって視聴できなくなった。天安門事件の映像を中国当局が遮断したためとみられる。  中国メディアは同日夜、「日中歴史共同研究委員会」が報告書を初めて発表したとのニュースを簡単に報じているが、詳しい内容は一切伝えていない。 毎日新聞 2010年2月1日 東京朝刊 日中歴史共同研究
  • 日中歴史共同研究報告:南京大虐殺は集団的な虐殺
    ...1.shtml 日中歴史共同研究報告:南京大虐殺は集団的な虐殺 2010/02/02(火) 09 26   チャイナネットが報じたところによると、日中両国の学者は3年間に及ぶ共同研究と学術討論を通じて、『日中歴史共同研究報告』を完成させた。日本側の学者は報告の中で、対中戦争は侵略戦争であり、南京大虐殺は反ヒューマニズムの集団的な虐殺事件であることを認めている。   日中歴史共同研究は、中国外交部と日本外務省が学術機構に依頼して行った学術活動である。日中の歴史における未確認の問題を双方が共同で研究するのはこれが初めて。   ◆共同歴史研究の第一段階が終了   共同歴史研究は2006年12月にスタートし、両国の学者は昨年12月24日に第一段階の研究活動を終え、『日中歴史共同研究報告』を発表した。この報告は両国の学者の論文からなり、古代史と近...
  • 日中歴史共同研究、認識の隔たり浮き彫りに
    ...73.html 日中歴史共同研究、認識の隔たり浮き彫りに 2010年2月1日 1 50  日本と中国の有識者が3年にわたって行ってきた「歴史共同研究」の報告書が1月31日に公表された。  焦点の近現代史では、日本軍が多数の住民を虐殺したとされる「南京事件」の被害者について、日本側が「20万人を上限として4万人、2万人など様々な推計がなされている」としたのに対し、中国側は「総数で約30万人に上る」と主張するなど、日中の歴史認識の隔たりが浮き彫りとなった。  また、89年の天安門事件など現代史の部分については、中国側の要望で論文は公表されなかった。 日中歴史共同研究
  • 「日中歴史共同研究」の展望
    ...ィング・メモ 「日中歴史共同研究」の展望 戦史部上席研究官兼第1戦史研究室長 庄司 潤一郎 * はじめに 「日中歴史共同研究」は、日中首脳会談での合意を受けて、2006年12月、「共同研究を通じて、歴史に対する客観的認識を深めることによって相互理解の増進を図ること」を目的として立ち上げられた。日中2千年有余の交流の歴史、近代の不幸な歴史及び戦後60年の日中関係の発展に関する歴史を対象に、「古代・中近世史」と「近現代史」の二つの分科会が設置され、筆者は「近現代史」の委員として参画している。これまで日中関係というと、多くの場合戦争期に焦点が当てられてきたが、戦後も対象に含んだ点は画期的な意義を有している。ちなみに、歴史に関する共同研究は、既に韓国との間で2002年より始められており、日中はそれに続くものである。これまで3回の全体会合と3回の分科会ののべ6回の会合を...
  • 日中歴史共同研究、中国側の対応改善に期待感 岡田外相
    ...83.html 日中歴史共同研究、中国側の対応改善に期待感 岡田外相 2010年1月29日23時15分  岡田克也外相は29日の記者会見で、日中歴史共同研究の報告書のうち、中国側の要請で戦後史部分が非公表となったことについて、「成果を出したものを発表できないのは残念だが、国の仕組み、体制の違いもある」と述べ、やむを得なかったとの認識を示した。一方、今後の研究では「なるべく自由度を持って、有識者の考え方を制約することなく、結果をまとめることができれば非常にいい」と述べ、中国側の対応改善に期待感を示した。 日中歴史共同研究
  • 歴史共同研究庫
    歴史共同研究庫 日中歴史共同研究 日韓歴史共同研究 「韓国併合」100年日韓知識人共同声明 トップページ
  • 「日中歴史共同研究と教科書とは直接関係ない」岡田外相
    ...n1.htm 「日中歴史共同研究と教科書とは直接関係ない」岡田外相 2010.2.1 19 26  岡田克也外相は1日の日本記者クラブでの記者会見で、日中歴史共同研究の報告書について「教科書とは直接関係がない。学者のレベルでなるべく共通の認識を持とうということで行っているものだ」と述べ、日本の教科書検定に影響を与えるものではないとの考えを示した。 日中歴史共同研究
  • 日中歴史共同研究:一部中国紙は評価、人民日報掲載せず
    ...0c.html 日中歴史共同研究:一部中国紙は評価、人民日報掲載せず 2010年2月1日 20時1分  【北京・浦松丈二】1日付の一部中国紙は日中両国の有識者が公表した「日中歴史共同研究報告書」について「日本側は対中戦争の性格を侵略戦争と認めた」(新京報)などと評価した。  時事紙、環球時報は南京虐殺事件について「被害者数はともかく虐殺が起きたことを日本側学者が認めた」と指摘。「中日の学者の歴史問題への認識に接近がみられた」と評価した。  一方、中国共産党機関紙・人民日報など主要紙は関連記事を掲載せず、国内世論の反発を恐れる中国政府の姿勢をにじませた。 日中歴史共同研究
  • 日中歴史共同研究 認識の違いを越え関係構築を
    ...85.html 日中歴史共同研究 認識の違いを越え関係構築を  一定の成果はあった半面、大きな課題も浮き彫りになった。歴史問題の克服を目指す「日中歴史共同研究」の報告書が公表された。  日中戦争を「日本による侵略」とする共通見解なども盛り込まれたが、ほとんどは両国それぞれの論文を併記する形で決着した。  南京大虐殺の犠牲者数や日本の拡張政策などで歴史認識の違いは埋まらないままだ。今後の共同研究でも、厳しい議論が予想される。  ただ、伝統や政治体制が違う両国間で歴史の見方が異なるのは当然だろう。共通見解を導く努力は必要だが、違いを克服した上で相互理解を進める方法も探るべきだ。  共同研究は両国関係を改善するため2006年に合意。10人ずつの有識者が、「古代・中近世史」「近現代史」について議論していた。  両国の代表的な有識者が会合し、...
  • 南京事件犠牲者数の報道を規制 日中歴史共同研究で中国当局
    ...牲者数の報道を規制 日中歴史共同研究で中国当局 2010.2.3 22 31  【北京=矢板明夫】中国のメディアを管轄する共産党中央宣伝部が国内のメディアに対し、1月末に発表された日中歴史共同研究の報告書について、日本側と見解が食い違った南京事件の犠牲者数を報道しないよう指示していたことが、3日までに分かった。  メディア関係者によると、指示は1月中旬に各省宣伝部などを通じ書面や口頭で伝えられた。中国側が宣伝してきた南京事件の「犠牲者30万人」への異議が日本側から出されたことで、中国国内で反日ムードが高まり、共同研究への批判が拡大することに対する警戒感が、指示の背景にあるとみられる。  指示により一部の国際情報専門紙と地方紙を除き、人民日報など主要各紙は報告書について報じていない。報道規制は特に南京の地元紙に対し厳しく敷かれ、独自記事や論評の掲載が固く禁じ...
  • 日中歴史共同研究報告書「政治は未来志向で」官房長官
    ...-n1.htm 日中歴史共同研究報告書「政治は未来志向で」官房長官 2010.2.1 12 23  平野博文官房長官は1日午前の記者会見で、日中両国の歴史共同研究委員会が報告書をまとめたことについて、「史実は史実としてどう受け止めるかは大事だが、政治は未来志向に求めていかなくてはならない」と述べ、「南京事件」などをめぐり見解の隔たりが残ったものの、政府としては日中関係の発展に努力していくことが重要との認識を示した。  平野氏は「鳩山政権は戦略的互恵との立場で日中外交を進めており、それに対する大きな弊害が出ることはない。(報告書は)あくまでも有識者の間での議論だと理解している」と語った。 日中歴史共同研究
  • 第1期「日中歴史共同研究」報告書(ペーパー)の入手法
    第1期「日中歴史共同研究」報告書(ペーパー)の入手法 下記に申し込むと、報告書(印刷)が手に入るそうです。 http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2472.html 〒100-6011 東京都千代田区霞ヶ関 3-2-5 霞ヶ関ビル11F 日本国際問題研究所 気付 日中歴史共同研究 日本側事務局 事務局長 若山 喬一  殿 (「報告書一式希望」として送料450円の切手を同封する) 現在増刷中で1週間は待たねばならないそうですが。 ※なお、日本国際問題研究所とは http //www.jiia.or.jp/brief/j-intro.php#yakuin ※若山 喬一 さんはここに名前があります。 http //www.tuat.ac.jp/~ieas/wakaba/diary.htm...
  • 日中歴史共同研究:南京事件、隔たり埋まらず 報告書を公表
    ...0c.html 日中歴史共同研究:南京事件、隔たり埋まらず 報告書を公表  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」は31日、報告書を公表した。1937年の南京虐殺事件について、日中双方は虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致したが、犠牲者数を巡って中国側が「三十余万人」、日本側が「20万人が上限」と主張するなど、近代を中心に歴史認識の違いが改めて浮き彫りになった。  報告書は「古代・中近世史」「近現代史」の各章で、日中双方の委員論文を掲載。ただし、「天安門事件」(89年)などを含めた第二次世界大戦後の現代史部分は、国内世論への影響を懸念する中国側の要請で非公表とされた。委員会は今後、新メンバーで第2期の共同研究を行う予定だ。  報告書で中国側は、南京虐殺事件について「(第二次大戦で日本が)敗戦後、極東国際軍事裁判で、日本国民は初めて日本...
  • 【主張】日中歴史共同研究 「南京虐殺」一致は問題だ
    ...htm 【主張】日中歴史共同研究 「南京虐殺」一致は問題だ 2010.2.1 03 21  日中の有識者による歴史共同研究の報告書が発表された。両国の歴史に対する考え方の違いが一段と明確になった。  この共同研究は、平成18年10月の安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の合意に基づき、3年がかりで行われた。両国の認識の隔たりが大きく、両論併記の形がとられたのは当然である。  近現代史の部分を読むと、日本側の記述はおおむね客観的な資料に沿って書かれている。これに対し、中国側の記述は中国共産党史観の域をほとんど出ていない。  ただ、南京事件(昭和12~13年)のくだりで、中国側の主張に引きずられているのは問題だ。  日本側の記述は「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪...
  • 東京裁判の見解対立、非公表の要因に 日中歴史共同研究
    ...立、非公表の要因に 日中歴史共同研究 2010年2月4日3時10分  日中の有識者による初の歴史共同研究の報告書で、中国側の意向で非公表となった1945年以降の戦後史部分が3日、明らかになった。東京裁判について日本側が問題点を指摘したのに対し、中国側は意義を強調。中国の愛国主義教育をめぐっても日中の意見が対立、こうした食い違いが非公表の要因となった。  報告書は日中双方の論文で構成。東京裁判について、中国側論文は「侵略戦争を防止し、世界平和を守るための積極的な試みをした」と認定。「日本の侵略戦争を総括し、歴史的結論を出した」とも位置づけた。  日本側は、軍国主義者の処罰を世界に印象づけるという裁判の政治的な意味を認めつつ、手続きの不公正さや事実認識の不確かさ、戦争時に確立していなかった法律をさかのぼって適用したなどの問題点も指摘。裁判への評価が分かれ、...
  • 日中歴史共同研究:中国側に変化の兆し 世論への浸透未知数
    ...0c.html 日中歴史共同研究:中国側に変化の兆し 世論への浸透未知数  31日に公表された初の日中歴史共同研究報告書は、中国側の強い要請で戦後史部分が非公表となり、両国の歴史認識の溝を埋めるために始めた事業の限界と複雑さを露呈する結果となった。一方で、中国側の論文には、中国共産党の役割を軸とする革命史観から脱却して実証主義的に記述する試みもみられ、宣伝色の強かった歴史研究の変化の兆しもみられた。【中澤雄大、北京・浦松丈二】  研究成果は当初、日中平和友好条約締結30周年に当たる08年中の発表を目指したが、1年以上遅れた。ある日本側研究者は「現代史部分の認識の差が原因。天安門事件の評価など、共産党指導部の正当性を揺るがす問題に触れることを中国側が恐れた」と指摘する。  論文執筆過程の討議要旨の公表も見送られた。再三の合意不履行は、歴史研究を「愛国教育」の重...
  • 社説:日中歴史共同研究 相互理解を進める礎に
    ...02az 社説:日中歴史共同研究 相互理解を進める礎に  日中両国の有識者でつくる歴史共同研究委員会の報告書がまとまった。歴史問題で対立し、時に不信感を募らせてきた両国の経緯を考えれば、報告書の作成と公表までたどり着いたことは、一つの前進といえる。  研究はこれで終わりではない。今回を「第1期」とし、「第2期」へと継続していくことでも合意した。今後、双方の間に広がる歴史認識の溝を可能な限り埋め、相互理解を進める手だてとしなければならない。  過去もさることながら、日中両国は現在、密接不可分な関係にあり、将来も続くととらえるのが妥当だからである。  半面、難問が数多く残されていることを指摘しないわけにはいかない。中国側の要求で1989年の天安門事件をはじめ、戦後史部分が非公表となったのは、その代表例である。  共産党による一党独裁が続く中国では...
  • 日中歴史共同研究:「天安門は政治騒動」 中国、日本と相違鮮明
    ...0c.html 日中歴史共同研究:「天安門は政治騒動」 中国、日本と相違鮮明  ◇非公表「戦後」の全容判明  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」が1月31日にまとめた報告書で、中国側の要請で非公表とされた第二次世界大戦後(1945~08年)の戦後史の全容が9日、明らかになった。公表見送りの要因とされる天安門事件(六四事件、89年)について、日本側は中国共産党による「武力弾圧事件」と認定したが、中国側は現体制批判を招くことへの警戒感などから「政治騒動」と簡単に言及、見解の違いが鮮明だ。また中国側は日本側の歴史認識を批判した。  毎日新聞は、報告書の「近現代史」のうち、非公表となった戦後史部分の全文(中国側論文は訳文)を入手した。▽戦争終結から日中国交正常化まで(1945~72年)▽新時代の日中関係(1972~08年)▽歴史認識と歴史教育--の3章...
  • 日中歴史共同研究:「戦後史は非公表」 政権に影響、中国側懸念
    ...0c.html 日中歴史共同研究:「戦後史は非公表」 政権に影響、中国側懸念 Google indexからは削除されている  <世の中ナビ NEWS NAVIGATOR>  中国側の要請で非公表となった日中歴史共同研究の戦後史部分では、天安門事件や文化大革命など共産党統治の正統性や国民感情にかかわる極めて敏感な問題が含まれており、中国側の論文は簡単な言及にとどめた。日本側の論文が、現政権に影響を及ぼしかねない指導者の功罪に触れている点も、中国側を刺激することは避けられず、非公表を要請した理由が多岐にわたることが日中双方の論文からうかがえる。【北京・浦松丈二】  「1989年6月4日未明、中国共産党が人民解放軍を出動させ、学生及び市民の民主化要求運動を武力弾圧した」。日本側論文は天安門事件をこう記述した。国際社会の一般的な評価だろう。  一方、中...
  • 日中歴史認識、溝は埋まらず…共同研究委報告書
    ...同研究委報告書 日中歴史共同研究 第1期報告書  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」(日本側座長=北岡伸一・東大教授)は31日、報告書を発表した。焦点となった近現代史では「南京事件」(1937年)の犠牲者数を日本側が「20万人を上限」、中国側は「30万人余り」とするなど戦前を中心に歴史認識の隔たりは埋まらなかった。  1945年以降の現代史は中国側の要請で公表を見送った。委員会は今後、委員を入れ替えて第2期研究に着手する方針だが、作業は難航が予想される。  報告書は約550ページで、「総論」のほか、「古代・中近世史」と明治維新前後~45年までの「近現代史」を対象とした「各論」で構成。各論は双方の委員が個人の立場で執筆した論文を掲載し、両論併記の形を取った。  旧日本軍による中国国民政府の首都・南京攻略時に起きた南京事件について、日本側...
  • 日中歴史共同研究の報告書要旨<2>…南京事件など
    ...930.htm 日中歴史共同研究の報告書要旨<2>…南京事件など  1月31日発表された、日中歴史共同研究報告書要旨は次の通り(中国側要旨は読売新聞社訳)。        ◇  【満州国の実態】  日本側 抗日ゲリラ活動がなかなか下火にならず、関東軍が徹底的弾圧を加えた。満州国は通貨統一の強力な実現を図り、経済の近代化を促した。鉄道や道路を整備し、石炭、電力、鉄鋼などの生産が大きく伸びたが、住民の生活水準向上を目指すものではなかった。「民族協和」もスローガンに終始し、日本人と満州国人の格差が拡大した。  中国側 (日本による)通貨改革は実質的には強行された金融略奪だった。日本は(日中戦争後に)満州に対する施政の重点を経済略奪の強化に変えた。満州国は鉱工業に対する統制を実行し、民族業者の参入を厳禁した。日本は太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)後には東北...
  • 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)
    ...0c.html 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)  先月31日に発表された日中歴史共同研究の報告書では、歴史認識の隔たりが埋まらないとして、中国側の要請で、「近現代史」のうち1945年以降を扱った第3部(第1~3章)を非公表としていた。今回、入手したのは非公表とされた全文。他の論文と同様、両国の有識者が同じテーマを巡って、それぞれ執筆した。 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)年表図 ◆第3部第1章 1945~72年◇日本側 ◇中国側 ◆第3部第2章 1972~2008年◇日本側 ◇中国側 ◆第3部第3章 歴史認識問題◇日本側 ◇中国側 ■近現代史第3部の論文執筆者 年表図 ◆第3部第1章 1945~72年 ◇日本側  戦争を引き起こした戦争指導者の責任を問う東京裁判(極東国際軍事裁判)には「無責任ナル軍国主義」者の処罰を世界に印象付けるという...
  • 日中歴史共同研究の報告書要旨<1>…満州事変まで
    ...912.htm 日中歴史共同研究の報告書要旨<1>…満州事変まで  1月31日発表された、日中歴史共同研究報告書要旨は次の通り(中国側要旨は読売新聞社訳)。        ◇  <序>=(略)  <古代・中近世史>=(略)  <近現代史>  【明治維新】  日本側 明治維新では、中央集権でなければ外国と対抗できないことが広く理解されていた。薩長の下級武士からなる官僚が藩を廃止し、自ら武士(身分)も廃止した。清国の改革「洋務運動」は十分な成果を上げなかった。全国一体としての運動にならず、儒教が大きな障害になったというべきだろう。  中国側 明治政府は国内改革の成功で国力を結集し、近代強国に成長し、対外的な力を強化した。洋務運動での重点は近代海軍の創設で、清国の海軍は当時、日本に実力で勝っていたが、実戦や訓練が著しく不足し...
  • 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨)
    ...html 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨)◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動◇日本側 ◇中国側 ◆第2部 第1章 満州事変から日中戦争まで◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第3章 日中戦争と太平洋戦争◇日本側 ◇中国側 ◇議論3年、計6部15章 ■日中歴史共同研究委員会のメンバー ◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 ◇日本側  第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)に際し駐日英国大使は中国近海のドイツ仮装巡洋艦を攻撃するため日本に支援を求めた。日本海軍は膠州湾を封鎖した。日本は中国に対して21カ条の要求を行った。力点は満蒙に置かれ、既得権益の存続に対して条約的根拠を与えることにあった。  1922年に山東懸案細目...
  • 「日本側が侵略認めた」=歴史共同研究で中国
    ...29) 日中歴史共同研究
  • 中日学術機関、歴史共同研究で初歩的な共通認識に
    ...カ) 日中歴史共同研究
  • 日中の歴史共同研究が報告書を発表、南京虐殺めぐり不一致
    ...FP 日中歴史共同研究
  • 歴史共同研究、報道控えめ=「侵略認めた」と評価も-中国
    ... 15) 日中歴史共同研究
  • 歴史共同研究:「天安門は政治騒動」 日本と相違鮮明
    ...両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」が1月31日にまとめた報告書で、中国側の要請で非公表とされた第二次世界大戦後(1945~08年)の戦後史の全容が9日、明らかになった。公表見送りの要因とされる天安門事件(六四事件、89年)について、日本側は中国共産党による「武力弾圧事件」と認定したが、中国側は現体制批判を招くことへの警戒感などから「政治騒動」と簡単に言及、見解の違いが鮮明だ。また中国側は日本側の歴史認識を批判した。  ◇非公表「戦後」の全容判明  毎日新聞は、報告書の「近現代史」のうち、非公表となった戦後史部分の全文(中国側論文は訳文)を入手した。▽戦争終結から日中国交正常化まで(1945~72年)▽新時代の日中関係(1972~08年)▽歴史認識と歴史教育--の3章で構成され、章ごとに日中双方が論文を執筆している。  天安門事件について日本側は「中国...
  • 日中の歴史共同研究公表 南京大虐殺犠牲者数など隔たり
    ...林望) 日中歴史共同研究
  • 【日中歴史研究】妥協求めた政治的研究
    ...なぜか。  日中歴史共同研究を最初に提起したのは05年4月に訪中した町村信孝外相(当時)だった。折しも、靖国神社参拝を継続した小泉純一郎首相(同)への中国側の不満が各地で反日デモに発展しており、提案はほとんど相手にされなかった。  06年10月、小泉氏の後を継いだ安倍晋三首相(同)が訪中、胡錦濤国家主席との会談で未来志向の戦略的互恵関係構築で一致、安倍氏が提案した歴史共同研究で基本合意した。日中関係のトゲになってきた歴史問題を学術界に委ね、共通の認識を持つ狙いだった。  こうした経緯から共同研究は政治とは切り離せない関係にあった。共同研究そのものが、戦略的互恵関係促進の一環という性格を帯び、報告書をまとめることに努めた。その結果、論議の多かった「近現代史」分野でも、両論併記の形ながら双方が意見を調整、妥協した形跡がうかがえる。  中国の対日歴史認識は、...
  • 「歴史共同研究は学者個人の見解」 中国外務省報道官
    ...という。 日中歴史共同研究
  • 歴史共同研究:政権に影響、中国側懸念「戦後史は非公表」
    ...要請で非公表となった日中歴史共同研究の戦後史部分では、天安門事件や文化大革命など共産党統治の正統性や国民感情にかかわる極めて敏感な問題が含まれており、中国側の論文は簡単な言及にとどめた。日本側の論文が、現政権に影響を及ぼしかねない指導者の功罪に触れている点も、中国側を刺激することは避けられず、非公表を要請した理由が多岐にわたることが日中双方の論文からうかがえる。【北京・浦松丈二】  「1989年6月4日未明、中国共産党が人民解放軍を出動させ、学生及び市民の民主化要求運動を武力弾圧した」。日本側論文は天安門事件をこう記述した。国際社会の一般的な評価だろう。  一方、中国側は「中国で政治騒動が起こり、欧米国家は中国に対して制裁を発動した」と共産党の評価に沿った内容で、犠牲者の数や事件に至る経緯には触れていない。  犠牲者の遺族や知識人は事件の再評価を今も求めている...
  • 満洲事変から日中戦争まで 戸部良一
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 pp http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 日中歴史共同研究
  • 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) 加藤陽子・東大大学院教授の話
    ...html 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) 加藤陽子・東大大学院教授の話 ◇交互に執筆、読み応え--加藤陽子・東大大学院教授(日本近現代史)  日本側から提起した研究だけあって、特定テーマではなく、時間軸に沿った叙述方式が採られている点をまずは評価したい。  アヘン戦争から太平洋戦争終結までの100年余を二つの時期に分け、後半部分を満州事変、盧溝橋事件、日米開戦の三つの画期から描いた今回の枠組みは、革命史観をとってきた従来の中国のスタンスとは異なるものだった。それが可能だったのは、臧運〓氏(北京大)など若手エース級を中国側が多数起用して臨んだゆえだろう。  日中が交互に執筆する内容も読み応えがあった。日清修好条規について日本側が古典的な解釈を記せば、中国側は台湾の研究成果をも含めた新解釈で補完する。義和団事件時の日本軍の略奪について中国側が記せば、日本側は...
  • 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 pp http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 日中歴史共同研究
  • 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 pp http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 日中歴史共同研究
  • 日中の政治・社会構造の比較 菊池秀明
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 pp http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 日中歴史共同研究
  • 日中歴史共同研究 南京攻略によせて 東中野修道氏 史実 どう考えるのか
    ...-n1.htm 日中歴史共同研究 南京攻略によせて 東中野修道氏 史実 どう考えるのか 2010.2.9 07 45  日中両国の有識者による歴史共同研究委員会が初の報告書を出した。昭和12(1937)年の南京占領の犠牲者数について、日本側は2万人、4万人、20万人以上、中国側は30万人以上という数字を挙げている。本稿では忘れられた基本的な史実を示す。これらはどう考えればよいのであろうか。  南京の市民は陥落前に命令により、ほぼすべての市民が安全地帯に避難していた。その人数について、陥落前、南京の警察庁長官は20万人と公表し、南京に残留した欧米人も、陥落直前の12月12日、20万人と記していた。 (引用者注)今だに!! 修道先生は、「ほぼすべての市民が安全地帯に避難していた」という虚偽にすがっているのですね。  20万人、30万人の市民虐殺なら...
  • 日韓歴史共同研究
    昨日 - 今日 - 日韓歴史共同研究 日韓歴史共同研究日韓歴史共同研究とは 第2期報告書 第2期報告書に関する報道 個人論評 場外資料 管理人私論 日韓歴史共同研究とは 外務省 日韓歴史共同研究 日韓文化交流基金 日韓歴史共同研究委員会 第2期報告書 外務省 第2期日韓歴史共同研究委員会 メンバー平成20年4月 日韓文化交流基金 日韓歴史共同研究委員会 第2期(2007-2010年) 研究委員(2009年11月28日現在) 日韓文化交流基金 報告書 第1分科会篇(古代史) 日韓文化交流基金 報告書 第2分科会篇(中近世史) 日韓文化交流基金 報告書 第3分科会篇(近現代史) 日韓文化交流基金 報告書 教科書小グループ篇 日韓歴史共同研究第2期・委員名簿 第2期報告書に関する報道 各社記事掲載対照表 日韓併合100年 成長の韓国存在...
  • 日中、歴史認識の溝鮮明 共同研究で報告書
    ...40) 日中歴史共同研究
  • “旧日本軍、南京で虐殺”日中歴史研究 犠牲者数は両論併記
    ...研究者で構成される「日中歴史共同研究」(座長=北岡伸一東大教授、歩平・中国社会科学院近代史研究所所長)の第1期報告書が31日、公表されました。報告書は約550ページで、古代から近現代までの歴史を、日本側委員と中国側委員がそれぞれの立場から記述しました。  1937年12月の「南京虐殺事件」について、日本側は「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した」と認めました。一方、犠牲者数については、中国側が主張する20万人~30万人をあげる一方、日本側では「20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている」として、両論併記としました。  これに対し、中国側は「総数30万人余り」とし、「日本軍の放火、殺人、強姦、略奪は国際法の重大な違反」と批判しました。  また日本側は...
  • 古代中近世東アジア世界における日中関係史(日本側)
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 pp http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 日中歴史共同研究
  • 【日中歴史研究】私はこう読む 藤岡信勝・拓殖大教授 研究無視の政治論文
    ...ない今回の報告書は、日中歴史共同研究という枠組みの中で、政治的妥協を学問めかして書いただけの政治論文と言わざるを得ない。(談) 日中歴史共同研究
  • 日中共同研究 歴史認識の違い浮き彫りに(2月2日付・読売社説)
    ...中両国の有識者による日中歴史共同研究委員会が発表した報告書は、そうした歴史認識の大きな差異を改めて浮き彫りにした。  報告書は、古代から近現代まで時代順に日中双方の学者の主張を両論併記の形でまとめた。  例えば1937年の南京事件の犠牲者数について、日本側は「20万人を上限として4万人、2万人など様々な推計がなされている」と指摘した。  しかし中国側は、中国共産党の公式見解である「30万人虐殺説」を譲らなかった。実証的な研究では無理のある数字である。  日中戦争についても、日本側が計画的な侵略ではなかったと指摘したのに対し、中国側は全面的な侵略戦争と位置づけた。  中国側の変化の兆しと言えば、日中戦争の発端となった盧溝橋事件が偶発的なものであった可能性に触れたことぐらいであろう。  注目された戦後史の部分は、中国側の意向で公表が見送られ...
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