15年戦争資料 @wiki内検索 / 「日本は侵略国家であったのか」で検索した結果

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  • 「日本は侵略国家であったのか」解題
    日本は侵略国家であったのか」解題 http //www.apa.co.jp/book_report/index.html アパグループ第一回 「真の禁現代史観」懸賞論文 受賞者発表 最優秀藤誠志賞(懸賞金300万円・全国アパホテル巡りご招待券) 田母神 俊雄様(航空幕僚長) 受賞作品 http //www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf 裏事情の詳しさに感動してしまう 2008年11月01日 大東亜戦争拘泥論 http //worstblog.seesaa.net/article/108906398.html によれば 審査委員長は渡部昇一さん、そのほかに委員は花岡信昭さんとか藤誠志ことアパグループ代表元谷外志雄さんというそうそうたる顔ぶれ。なにしろ...
  • 日本は侵略国家であったのか
    日本は侵略国家であったのか 田母神俊雄 →(参考)「日本は侵略国家であったのか」解題  アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。 (引用者注)満州事変のように軍を先に動かして既成事実を作った上で、相手国の『了承』を得る。これを侵略という。 (「検証 田母神前空幕長論文」朝日新聞朝刊2008年11月11日=以下「検証」と略す、では田母神さんに論文を「誤引用」された秦郁彦氏と保阪正康氏が厳し...
  • 森達也 リアル共同幻想論「幕僚長でなければ適切だったのか?」
    ...  で、肝心の論文「日本は侵略国家であったのか」だけど、ここで展開される論理や思想信条について触れる前に、まずはあまりに文章が拙いことに驚いたことを指摘せねばならない。  もちろん、人格が高潔でも文章を書くことが苦手な人はいくらでもいる。驚いた理由は、文章の完成度や技巧なども含めて審査されるべき懸賞論文で、なぜこれが最優秀の評価を受けたのだろうと思ったからだ。  総文字数は7000字に満たない。400字詰め原稿用紙で20枚ないのだ。僕のこの連載原稿より少し長い程度だ。長ければいいというわけではないが、かつてのこの国の戦争における正当性を考察するという趣旨を考えれば、あまりに短すぎる。これで賞金額は300万円。うらやましい。こんな賞があることを知っていたら、僕も間違いなく応募していたはずだ。  ただしタイトルに「真・近現代史」を謳うこの懸賞論文には、明らかに定め...
  • 産経花岡信昭【政論探求】田母神氏の重い問いかけ
    ...・  「日本は侵略国家であったのか」という問いかけはきわめて重い。近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文といえた。  だが、田母神俊雄氏は空幕長を更迭された。これまでの政府見解に沿わない内容であることは確かで、麻生首相としても「立場上、不適切」と言わざるを得なかった。  「村山談話」「河野談話」がいかに手かせ足かせになっているか、改めて思い知らされる事態だった。  アパグループの元谷外志雄代表が社会還元活動の一環として論文を募集、実は筆者も渡部昇一氏ら4人の審査委員の一員だった。235点の応募作品から社内審査で二十数点がまず選ばれ、CDで送られてきた。すべての論文は筆者名が削除されていた。  これを読み込み、2回の審査委員会で絞り込んでいった。最終段階で初めて氏名が明らかにされた。高得点となってい...
  • 「偉そうな軍人さんは嘘をつく」庫
    ...帰った理由 梅澤裕 日本は侵略国家であったのか 田母神俊雄 「日本は侵略国家であったのか」解題 「航空自衛隊を元気にする10の提言」×3 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 福地 惇 先の大戦を総括し、戦争の歴史を再構築せよアパグループ代表 元谷外志雄 田母神報道 【毎日】読む政治:前空幕長論文問題2008.11.9 産経:田母神氏への擁護相次ぐ2008.11.11自民党国防関係合同部会 石破ブログ:田母神・前空幕長の論文から思うこと2008.11.5 石破ブログ:文民統制2008.11.10 産経【田母神氏招致・詳報】(1)(2)2008.11.11.11 21~ 産経【田母神氏招致・詳報】(3)(4) 産経【田母神氏招致・詳報】(5)(6) 産経【田母神氏招致・詳報】(7)(8) 産経【田母神氏招致・詳報】(9)(10)(11)(終わり) 共同:田母神論文を1ページ広告で掲載 ...
  • 週刊朝日:田母神論文は「上杉謙信が女だった」という珍説と同じだ
    ...081205 日本は侵略国家であったのか。田母神俊雄・前航空幕僚長の論文は、アパグループ「真の近現代史観」懸賞論文審査委員会で「満場一致で」最優秀賞に選ばれたという。その"最優秀の論文"の中身とは――。近現史家の秦郁彦氏と軍事ジャーナリストの田岡俊次氏が読み解く。 秦郁彦 (現代史家) はた・いくひこ 1932年生まれ、大蔵省、防衛省に勤務。02年まで日本大学教授。著書に『昭和史の謎を追う』(文春文庫)、『南京事件』(中公新著)など。 田岡俊次 (軍事ジャーナリスト) たおか・しゅんじ 1941年生まれ。元朝日新聞編集委員。現在、朝日ニュースター・コメンテーター著書に『北朝鮮・中国はどれだけ怖いか』(朝日新書)など。  田岡 11日の参議院外交防衛委員会の田母神氏の質問に答える様子、ご覧になりましたか?  秦 国会記者...
  • 北岡伸一「トップの条件欠如を露呈」
    情報元は「森茂樹のマーケティング・コラム 」さん http //www3.ocn.ne.jp/~fmg-net/moricolumn/morico160.html 2008.11.13朝日新聞「私の視点」 東京大学教授・北岡伸一(日本政治外交史) 「トップの条件欠如を露呈」  「論文の必要条件は、たしかな事実と堅固な論理である。  田母神氏の論文には、事実の把握において、著しい偏りがある。例えば、日本は中国や朝鮮に対し、相手の了解を得ないで一方的に軍を進めたことはないと書いている。しかし、満州事変が、石原莞爾ら関東軍の幕僚による陰謀であったことは、誰でも知っている事実である。張作霖爆殺事件についても、コミンテルンの仕業という説が有力になっていると書く。ごく一部にそういう説はあるが、まったく支持されていない。関東軍参謀の河本大作によるものだという説は、揺らいでいな...
  • 朝日:アパ代表のみ田母神氏に最高点 論文審査で
    ...)に田母神氏の論文「日本は侵略国家であったのか」、優秀賞(同30万円)に大学生と近代史研究家の2点、佳作(同1万円)に10点を選び、12月8日、東京で授賞式と田母神氏の講演が予定されている。  審査経過を報告したアパ発行の雑誌「アップルタウン」によると、懸賞論文には235点の応募があり、応募者名を伏せたうえで各委員が論文を評価。その結果、田母神論文が最高点を獲得し、満場一致で最優秀に選ばれたとしている。  4人の審査委員のうち、取材に応じた3人によると、応募作は事前にアパ側が絞りこみ、委員が実際に目を通した論文は全体の1割程度の25作品にとどまった。委員に知らされたのは受理番号のみで、応募者名や職業は伏せられていた。  委員は作品を「5点」「3点」「2点」「選外」の4段階で評価し、ファクスで送るようにアパ側から求められ、アパ側は10月16日の審査会で集計...
  • 西村慎吾:「強い国」とは歴史の真実を堂々と明言できる国・さらば村山富市
    http //www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi 眞悟の時事通信 h20.11.1 「強い国」とは歴史の真実を堂々と明言できる国・さらば村山富市  本日十一月一日の朝刊は、歴史認識に関する二つの事件を報道している。一つは、沖縄の集団自決訴訟の控訴審判決であり、もう一つは田母神俊雄氏の航空幕僚長更迭である。  この二つとも、我が国が未だにいわゆる自虐史観・日本悪玉論に縛られていることを示している。前者は司法が、後者は政界が、自虐史観のうんざりするほどの呪縛下にあることを示している。  沖縄の集団自決訴訟とは、大江健三郎氏の書いた「沖縄ノート」(岩波書店)が、沖縄戦における住民の集団自決が梅沢裕陸軍少佐と赤松嘉次陸軍大尉の命令によって住民に強制されたとして両氏を厳しく非難しているのを受けて、両氏が住民に自決命令を...
  • ジョン・ダワー「『国を常に支持』が愛国か」
    ...前航空幕僚長の論文「日本は侵略国家であったのか」の核心の一つで、日本が「ルーズベルトの仕掛けた罠(わな)」にはまって真珠湾(パールハーバー)攻撃を決行した、と論じている。  米国にとって「パールハーバー」は記憶から消し去れない出来事だ。01年の9・11米同時テロと、これに続く米国主導のイラク戦争という選択は、その記憶を思いがけず衝撃的な形でよみがえらせた。  米各紙は9・11を真珠湾攻撃になぞらえ、見出しに「インファミー(不名誉)」を掲げた。真珠湾攻撃に対し、当時のルーズベルト大統領が使った「不名誉のうちに生きる日」を下敷きにした表現だ。ブッシュ大統領もこれに反応し、9・11を「21世紀のパールハーバー」と日記に記した。通俗的なこの連想は、ブッシュ政権による02年9月の「先制攻撃」政策発表、半年後のイラク侵攻というブーメランとなった。真珠湾攻撃も9・11事件も米国...
  • 石破ブログ:田母神・前空幕長の論文から思うこと
    http //ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8451.html 2008年11月 5日 (水) 田母神・前空幕長の論文から思うこと  石破 茂 です。   田母神(前)航空幕僚長の論文についてあちこちからコメントを求められますが、正直、「文民統制の無理解によるものであり、解任は当然。しかし、このような論文を書いたことは極めて残念」の一言に尽きます。  同氏とは随分以前からのお付き合いで、明るい人柄と歯に衣着せぬ発言には好感を持っており、航空幕僚長として大臣の私をよくサポートしてくれていただけに、一層その感を深くします。  日中戦争から先の大戦、そして東京裁判へと続く歴史についての私なりの考えは、数年前から雑誌「論座」などにおいて公にしており、これは田母神氏の説とは真っ向から異なるもので...
  • 毎日:前航空幕僚長:憲法改正論にまで踏み込む「田母神論文」の危うさ
    ...うだ。  「日本は侵略国家であったのか」と題した田母神論文は「我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない」などと、現行の防衛政策に対する不満を強くにじませているのも特徴だ。それゆえに、問題発覚の直後、石破さんはこう発言している。「政治が何もしてないかのように言うなら旧陸軍将校によるクーデター『2・26事件』(1936年)と何も変わらない」(本紙11月1日付朝刊)。日本の現代史上最大のクーデター事件と同列の視座で語っているところに、石破さんの強い危機感がにじむ。同事件は陸軍の青年将校を中心に引き起こされ、時の閣僚らを殺害した。反乱そのものは鎮圧されたが、それ以降、日本は軍国主義への道を加速させた。 2008年11月13日 (2) 現代史家・秦さん「低レベルで不快」 http //mainichi.jp/select/jiken/news/20081113mo...
  • 【毎日】読む政治:前空幕長論文問題
    ...った田母神氏の論文「日本は侵略国家であったのか」は、「引用ばかりで低レベル。出来レースではないか」といぶかる声も防衛省内にはある。 ◇言動に官邸懸念  「そんな講演はやめさせろ。何を言うか、分からんぞ」  今年5月、二橋正弘官房副長官(当時)は防衛省の中江公人官房長を一喝した。田母神氏が5月24日に東京大の「五月祭」で講演する予定だと、報告を受けたためだ。  田母神氏は4月18日、名古屋高裁がイラクへの空自派遣を違憲認定したことを受け、流行のコメディアンをまねて「そんなの関係ねえ」と記者会見で発言。首相官邸は平静を装ったが、実際は「危険人物」とみていた。  「田母神が余計なことを言って問題になった時、『官邸に連絡した』と言い訳するのか。ふざけるな」と二橋氏の怒りは収まらなかったが、石破茂防衛相(当時)が事前に講演内容をチェックし、「質疑応答はなしだ」...
  • 9条改正のためにも過去の総括をしっかりと
    http //www.janjannews.jp/archives/2524197.html 9条改正のためにも過去の総括をしっかりと2010年02月03日 海形マサシ  先日、日中間の有識者による歴史共同研究委員会が、共同研究の報告書を公表した。論争の的となる南京大虐殺では、虐殺の事実は両国とも認めたものの、犠牲者数の認定では隔たりを残したままとなった。とはいえ、両国とも、日中戦争が侵略戦争であり、一般市民を含め多大な犠牲を生じたものの、戦後は軍国主義を捨て、新たな平和発展の道を歩み始めた、と認める点では一致した。  筆者は、かねてからこの問題に関心があり、5年前に南京に行ったり、実際に現場で被害にあった方々の声を直接聞いたりした経験がある。  日本の戦前における負の面を語ると、必ず保守派ががなり立てるのが、これまでのパターンだ。なぜなら、そのことが日本人と...
  • シナ大陸の真相
    シナ大陸の真相―1931‐1938 K.カール カワカミ (著), 福井 雄三 (翻訳) 展転社 (2001/01) "Japan in China" というタイトルで、1937年ロンドンの書店から英文で出版されたものの翻訳。原著の発行者は小堀圭一郎序文によれば「ロンドンのジョン・マレイ社」とあり。資料 斉藤博(駐米大使)講演録は原著にはなし。 シナ大陸の真相―1931‐1938目次 シナ大陸の真相―1931‐1938 目次 日本語訳書への序文 小堀桂一郎 はしがき ジョン・タイリー はしがき センピル 序文 石井菊次郎(枢密顧問官子爵) 自序 第一章 モスクワから中国への軍事援助 第二章 中国紅軍の成長 第三章 コミンテルンと国民党の同盟 第四章 日本、赤色帝国主義に直面す 第五章 日本は侵略国か、それとも権利を侵され...
  • 【日経】「『侵略国家』はぬれぎぬ」空幕長が政府見解と異なる主張
    http //www.nikkei.co.jp/news/shakai/20081031AT1G3102Y31102008.html 【日経】「『侵略国家』はぬれぎぬ」空幕長が政府見解と異なる主張  航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が民間企業の懸賞論文に応募し、日中戦争や第二次世界大戦について「わが国が侵略国家だったなどというのはまさにぬれぎぬである」などと主張していることが31日分かった。中国など周辺諸国の反発が予想され、インド洋での給油活動を延長する法案の国会審議にも影響しそうだ。  論文では日中戦争ぼっ発の経緯について「わが国は蒋介石に引きずり込まれた被害者」、太平洋戦争は「米国に慎重に仕掛けられた罠(わな)」、東京裁判は「あの戦争の責任をすべて日本に押し付けようとしたもの」などと指摘している。  憲法が禁じる集団的自衛権の行使、武器使用の制限にも触れ...
  • 第一章 「昭和の戦争」前史
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第一章 「昭和の戦争」前史 第一章 「昭和の戦争」前史第一節 「十五年戦争」という歴史用語の陥穽(落し穴) 第二節 明治政府の国家戦略 第三節 日清戦争の歴史的意義 第四節 日露戦争の世界史的意義 第五節 複雑な国際情勢の出現・・・・一九一〇から三〇年まで 第六節 更に深まる支那大陸の混迷状況 第七節 欧州大戦及びロシア革命の甚大な影響 第一節 「十五年戦争」という歴史用語の陥穽(落し穴)  周知のように、満洲事変から支那事変、大東亜戦争へと、「昭和の戦争」は日本の国策として首尾一貫したアジア・太平洋方面への侵略戦争だったとする知識が日本のみならず世界の常識になっている。第二次世界大戦は平和と民主主義を愛する正義の諸国=『連合国』と世...
  • 日本にとって植民地とは何であったか
    毎日新聞社「決定版昭和史 別巻1 日本植民地史」1985  p226 日本にとって植民地とは何であったか 初瀬龍平 日本にとって植民地とは何であったか植民地の獲得 植民地の経営 脱亜入欧の反省へ 植民地の獲得 戦前日本の領土には、「内地」と「外地」とがあった。内地とは、本土、沖縄、小笠原、千島のことであり、外地とは、台湾、朝鮮、南樺太、関東州、南洋諸島のことである。日本の植民地としては、日本領土であった上記の外地に加えて、領土ではなかったが、日本のカイライ国家であった満州国が挙げられる。 現在の私たちは、かつて日本の植民地がどこにあり、どのような統治をしていたか、を次第に忘れつつある。テレビで、中国残留孤児という四〇歳台の男女が肉親を探して来日するのをみて、涙する目本人は多い。しかし、そこから、かつての植民地政策を間い直そうというひとは少ない。 明治日...
  • はじめに 歪曲された歴史観・国家観
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) はじめに 歪曲された歴史観・国家観  本講義の目的は、第一に「昭和の戦争」は「東京裁判」の起訴状と判決に言うような侵略戦争では全くはなく、「自存自衛」のための止む終えない受身の戦争だったこと、第二にそれが了解出来れば、現憲法体制は論理的に廃絶しなくてはならない虚偽の体制であると断言できることを論ずることであります。「昭和の戦争」の本質を語ることで、現在の国家の指導者は勿論、国民大多数が持つ「歴史観・国家観」が、その国家・国民の命運を大きく左右する程に重要であることを主張したいと思います。  凡そ六十年前、米国占領軍政府(連合国軍最高司令部=GHQ)は、「平和憲法」の異名をとる「日本国憲法」と「日本は侵略戦争の罪を犯した戦争犯罪国家」だ...
  • 「沖縄戦」とは何だったのか
    「沖縄戦」とは何だったのか 文部科学省が三月三〇日、公表した〇六年度の教科書検定で、沖縄戦において発生した「集団自決」について、「日本軍に強制された」「日本軍によって追い込まれた」などの記述を修正させたことが明らかになった。 その理由のひとつとして、〇五年、沖縄戦時、座間味島守備隊長であった梅沢裕氏および渡嘉敷島守備隊長であった故・赤松嘉次氏の遺族によって、小社及び大江健三郎氏が名誉段損で訴えられたこどが挙げられており、しかも文科省が「検定の参考資料」とした中に、原告側しか便わない「沖縄集団自決冤罪訴訟」と記していることが明らかになり、驚きと怒りを呼んでいる(四月四日、小社及び大江健三郎氏、被告弁護団は抗議の声明を発表した。全文は岩波書店ホームページ参照)。伊吹文科相は、この点について、四月一一日の文部科学委員会で「きわめて不適切であった」と答弁した。 沖縄では「歴史の...
  • 日本の侵略の底流をなしたもの
    日本の侵略の底流をなしたもの 明治以来のアジアに対する差別的民族観による破局 高嶋伸欣 一九四五年八月の敗戦からまもなく半世紀になろうとしている昨今、日本ではなお、アジア・太平洋戦争あるいは十五年戦争で、どのような侵略行為をしていたのか、さらにはあの戦争は侵略戦争だったのかについて、議論がつづいている。なぜ、これまでの間に戦争を実行した世代によって、それ、についての事実の確認や意味づけなどの総括がすませられなかったのか。戦勝国による東京裁判などの戦犯追及でよしとしたこと、戦争責任の議論が天皇のそれに及ぶことを避けようとしたこと、あるいは国民の多くになんらかの形で侵略にかかわっていたという意識があったことなど、さまざまな要因があげられる。 ともあれ、結果として半世紀近くもの間、侵略の事実の究明は遅れ、戦後補償の議論も最近になってようやく進められようとしている。その間に、日本...
  • 台湾高砂義勇隊は「日本人」だったのか
    http //www.flickr.com/photos/changturtle/131913508/ 台湾高砂義勇隊は「日本人」だったのか 台湾 国立政治大学教授 傅琪貽 2005.06.22 台湾高砂義勇隊は「日本人」だったのか一、「高砂族」青年幹部の誕生 二、高砂族自助会の皇民化運動 三、仕組まれた志願 四、「高砂義勇隊」の形成 平成12年 4月5日台湾高砂義勇隊訪日一行10人が靖国神社を参拝してニュースになった。霧社事件の遺族が参加していたからである。天皇崇拝、親日植民地人が戦後 55年にして出没して世を驚かせた。台湾は朝鮮と比較して、日本植民地統治が良かった、近代化が成功した、特に原住民族には「大和魂」があって日本人よりもっと日本人的だと言われている。果たして本当にそうなのだろうか。 事実において異民族であった台湾、朝鮮など旧植民地人の戦死者を「日...
  • 九 目をつむっては真実を知ることはできない
    中国女性にとっての日中十五年戦争 九 目をつむっては真実を知ることはできない 最後に最近の私の東洋史概説を聴いた学生の感想文を二つ紹介して本稿の結びに代えたい。ともに日中十五年戦争における日本の加害の歴史を正視することを訴えている。 179 ◇我々日本人は、日中戦争における加害者意識よりも東京空襲や広島・長崎への原爆投下などによる被害者意識のほうが強い。その理由は日本の歴史教育にもよるが、戦闘に参加した人々が人としての道理にもとづく反省をしていないことが大きい。上官の命令だからとか、当時の情勢だからしかたなかったとか、天皇、国のためだったなどと責任を転嫁せずに、事実を事実として認めありのままに伝えることが重要である。日本は侵略戦争をしたというのに、軍人には恩給を支給しているが、日本が被害を加えた国の人々には何も補償していない。この点で他国よりも自国を優先する姿勢があらわれていな...
  • 朝日:空幕長更迭―ぞっとする自衛官の暴走
    http //www.asahi.com/paper/editorial20081102.html#Edit1 [朝日社説] 空幕長更迭―ぞっとする自衛官の暴走 (2008年11月2日)  こんなゆがんだ考えの持ち主が、こともあろうに自衛隊組織のトップにいたとは。驚き、あきれ、そして心胆が寒くなるような事件である。  田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長が日本の植民地支配や侵略行為を正当化し、旧軍を美化する趣旨の論文を書き、民間企業の懸賞に応募していた。  論文はこんな内容だ。  「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」「我が国は極めて穏当な植民地統治をした」「日本はルーズベルト(米大統領)の仕掛けた罠(わな)にはまり、真珠湾攻撃を決行した」「我が国が侵略国家だったというのはまさに濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)である」――。  一部の右派言論人ら...
  • [朝日:空幕長更迭―ぞっとする自衛官の暴走
    http //www.asahi.com/paper/editorial20081102.html#Edit1 [朝日社説] 空幕長更迭―ぞっとする自衛官の暴走 (2008年11月2日)  こんなゆがんだ考えの持ち主が、こともあろうに自衛隊組織のトップにいたとは。驚き、あきれ、そして心胆が寒くなるような事件である。  田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長が日本の植民地支配や侵略行為を正当化し、旧軍を美化する趣旨の論文を書き、民間企業の懸賞に応募していた。  論文はこんな内容だ。  「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」「我が国は極めて穏当な植民地統治をした」「日本はルーズベルト(米大統領)の仕掛けた罠(わな)にはまり、真珠湾攻撃を決行した」「我が国が侵略国家だったというのはまさに濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)である」――。  一部の右派言論人ら...
  • 前空幕長招致 「言論の自由」をはき違えるな(11月12日付・読売社説)
    http //www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20081111-OYT1T00871.htm?from=nwla 前空幕長招致 「言論の自由」をはき違えるな(11月12日付・読売社説)  つい先月末まで自衛隊の最高幹部を務めていた人物とは思えないような発言が相次いだ。  田母神俊雄・前航空幕僚長は参院外交防衛委員会での参考人招致で、終始、「我が国が侵略国家というのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)だ」などとする自らの懸賞論文の内容を正当化しようとした。  「私の書いたものは、いささかも間違っていないし、日本が正しい方向に行くために必要だ」「日本には、日本の国が悪かったという論が多すぎる。日本の国は良い国だったという見直しがあってもいいのではないか」――。  昭和戦争などの史実を客観的に研究し、必要に応じて歴史認識を見直す作業は否定すべ...
  • 4-10 その慰安所は占領期間中ずっとあったのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 4-10 その慰安所は占領期間中ずっとあったのか… 4-10 その慰安所は占領期間中ずっとあったのか…コメント欄   一九三八年一月に日本軍が上海郊外で慰安所を開設したとき、上海にいた外国特派員が「日本軍は売春宿も経営している」などとからかったように、このときもフランスの通信社の記事が同じような記事を書いたから翌年一月二十八日で占領軍命令で閉鎖された。そこに集められた慰安婦はすべて日本の女性だった。 FAQ目次 コメント欄 名前 コメント ...
  • 永山英樹氏の"つっこみ"は的を射ているか(上)
    【資料】永山英樹氏の"つっこみ"は的を射ているか(上) 永山英樹氏の つっこみ は的を射ているか(下) 岡田充さんの論文に、永山英樹氏の"つっこみ"を挿入しました。 岡田充さんの論文: 海峡両岸論 第4号 2009.5.10発行 by 岡田 充 NHK叩きは馬批判の代償行為 「親日幻想」捨てない人たち http //www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_04.html 永山英樹氏の"つっこみ": 台湾は日本の生命線! 「NHK叩き」批判の元共同通信台北支局長を批判する(上)―我々の「志」はもう少し高い 2009/07/18/Sat http //mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-823.html 海峡...
  • 1-14 日本国内に慰安所はなかったのか 従軍慰安婦はいなかったのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-14 日本国内に慰安所はなかったのか 従軍慰安婦はいなかったのか… 1-14 日本国内に慰安所はなかったのか 従軍慰安婦はいなかったのか…コメント欄   かつては売春公認時代だったから連隊単位で部隊の駐屯する所には民間売春業者が経営する遊廓の類があった。一九四四年(S19)秋以降のいよいよ米軍の沖縄来攻が予想される時期、ついで本土決戦を決意するにいたって大量の根こそぎ動員が始まったときから軍管理による慰安所が数は多くないがつくられていったと伝えられている。   沖縄をふくめた南西諸島、とくに沖縄には正確な数は不明だが数百人単位の朝鮮人従軍慰安婦が送られたことは事実だ。奇跡的に沖縄戦で生き残ったそのうちの一人裵奉奇(ペポンギ)さんがその間の事情を伝えていた。   一九...
  • 第三章 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第三章 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない 第三章 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない第一節 「満洲某重大事件」=張作霖爆殺事件(一九二八=昭和三年) 第二節 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない 第一節 「満洲某重大事件」=張作霖爆殺事件(一九二八=昭和三年)  先に見たように、田中義一内閣は、東三省に満洲人自身の努力による安定政権が樹立されることを期待し、満洲(奉天)軍閥の頭領張作霖を支援しようとしていた。しかし、現地関東軍将校には、張作霖は信頼できない、満洲支配を委ねるのは危ないと判断する者が多かった。その様な時期に、蒋介石の「北伐」攻勢に押されて奉天に退却する途次の張作霖を爆殺する事件が一九二八=昭和三年六月四日起...
  • 毎日:社説:空幕長更迭 トップがゆがんだ歴史観とは
    http //mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20081102k0000m070106000c.html 社説:空幕長更迭 トップがゆがんだ歴史観とは  航空自衛隊のトップがゆがんだ歴史認識を堂々と発表する風潮に、驚くばかりだ。「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)である」などと主張する田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長の論文である。政府がただちに更迭を決断したのは当然である。  政府は戦後50年の95年8月15日、当時の村山富市首相が、戦前の植民地支配と侵略について「国策を誤り」「アジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」とし、「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明した。歴代政府は、この村山談話を踏襲してきた。  田母神氏の論文は、この政府見解を真っ向から否定するものだ。旧満州や朝鮮半...
  • 毎日:社説ウオッチング:前空幕長論文問題 「更迭は当然」が大勢
    http //mainichi.jp/select/opinion/watching/?link_id=TT002 社説ウオッチング:前空幕長論文問題 「更迭は当然」が大勢 社説ウオッチング:前空幕長論文問題 「更迭は当然」が大勢◇「隊員への波及懸念」--毎日など ◇「異なる意見封じ」--産経 ◇「文民統制」に危機感 ◇村山談話の当否言及 ◇「隊員への波及懸念」--毎日など ◇「異なる意見封じ」--産経  敗戦前の日本による植民地支配について、韓国の人々と対話または口論したことが何度もある。語学研修や特派員勤務でソウルに計9年ほど住んだからだ。  植民地時代を経験した女性は被害の痛みを語りながら、戦後世代の日本人の感情を害すまいと気を使った。登山中に会った男性は、まず旧制中学での差別のひどさを強調し「日本人は100%悪い」と断言したが、話すうちに「そう言えば立派な...
  • 産経論説委員・石川水穂 村山談話の検証が不可欠だ
    http //sankei.jp.msn.com/politics/situation/081115/stt0811150334001-n1.htm 【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 村山談話の検証が不可欠だ 2008.11.15 03 33 【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 村山談話の検証が不可欠だ ≪論文内容は問題でない≫ ≪唐突に閣議に出された≫ ≪作成過程の解明も必要≫ ≪論文内容は問題でない≫  「我が国が侵略国家だったというのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)」とする論文を公表した自衛隊の田母神俊雄航空幕僚長が、先の大戦を「侵略」と断じた村山富市首相談話に反するとして更迭された。  田母神論文を読むと、関東軍将校による計画的な事件とされる張作霖爆殺(昭和3年)をコミンテルンの仕業とする異説や、盧溝橋事件(昭和12年)で劉少奇が西側記者に会見を行っ...
  • 日経:田母神氏の過去の論文、首相「極めて不適切」 参院集中審議で
    http //www.nikkei.co.jp/news/seiji/20081113NTE2INK0113112008.html 田母神氏の過去の論文、首相「極めて不適切」 参院集中審議で  参院外交防衛委員会は13日午前、田母神俊雄前航空幕僚長が政府見解に反する歴史認識などを懸賞論文に投稿して更迭されたのを受け、文民統制のあり方などをテーマに集中審議した。麻生太郎首相は田母神氏が過去にも空自隊内誌で今回と同趣旨の主張を繰り返していたことについて「極めて不適切。再発防止、再教育に万全を期す」と述べ、隊員教育や対外的な意見発表のあり方を見直す考えを強調した。  浜田靖一防衛相は過去の論文内容に関して「確かにチェックできていなかった。我々のミスだ」と認めた。民主党の藤田幸久氏への答弁。  田母神氏は懸賞論文で「日本が侵略国家とはぬれぎぬ」と主張。11日の同委の参考人...
  • 2-04 妊娠させられた慰安婦もいたのか 中絶手術などしなかったのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 2-04 妊娠させられた慰安婦もいたのか 中絶手術などしなかったのか… 2-04 妊娠させられた慰安婦もいたのか 中絶手術などしなかったのか…コメント欄   妊娠させられた慰安婦の数は不明だが各地でいたことをこれも数人の軍医が語ったり書き残している。   青森市に住まわれビルマのインドウにあったビルマ方面軍第百二十四兵站病院へ配属された花田二徳元軍医の書かれたものによると「近くの竹藪に朝鮮人慰安婦で妊娠しているらしいのがいるので診てやってくれ」と頼まれ出かけてみると妊娠四ヵ月だった。   本人がそこまで気がつかなかったのは性知識にうとかったためだったが直ちに中絶手術をしてやろうとした。ところが病院長に「ここは軍隊でお前は大日本帝国の軍医だぞ」と叱りとばされた。 ...
  • 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備1 日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。 2 このように戦争によって獲得した植民地は、 3 日本は満州事変で遼寧、吉林、黒竜江の東北三省を占領し、 4 第一次世界大戦によって、ヨーロッパ各国は、 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備 1 日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。   日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。日清戦争の結果、1895年の「下関条約」によって台湾の領有が認められ、日本で最初の植民地となった。つづ...
  • 2-08 従軍慰安婦にたいし仕打ちや暴力があったのかどうか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 2-08 従軍慰安婦にたいし仕打ちや暴力があったのかどうか… 2-08 従軍慰安婦にたいし仕打ちや暴力があったのかどうか…コメント欄   慰安所のなかで何があったかなかったかということより従軍慰安婦にしたこと自体が暴行暴力だろう。さらに敗走となり敗戦となった段階で現地に棄ててくるにいたっては非人間的な行為のきわみだろう。兵隊のいたずらか彼女らの性にたいする無知から妊娠した従軍慰安婦の放置も同じだろう。敗戦後の原野を赤ン坊を背に逃げ回った従軍慰安婦の話はたとえ少数だったとしても胸が痛むだろう。 FAQ目次 コメント欄 ようこんな嘘書けますね ドイツだって慰安婦はいた! 韓国軍はベトナム戦争で強姦しまくり多数の私生児生まれてるよ 日本の慰安婦で私生児の問題あるか...
  • 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか… 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…その歴史的背景 天皇の勅語 南京占領 コメント欄 その歴史的背景   きっかけは"南京大虐殺事件5)"にあったがそれには説明がいる。   今の高校の社会科の授業では近現代史までいかない学校が多いから理解しにくいところがあるかも知れないが、明治中期より日本は大陸侵出をはじめ"日清戦争6)""日露戦争7)"を経て一九一〇年(明治〔以後Mと表記〕42)軍事力を背景に"日韓併合条約8)"で朝鮮半島を日本の領土とした。ついで一九一八年(大正〔以後Tと表記〕7)からの"シベリア出...
  • パートIII はじめに
    「航空自衛隊を元気にする10の提言」×3 田母神俊雄 平成16年7月 ,9月 航空自衛隊を元気にする10の提言 パートIII はじめに  民主主義国家においては言論の自由は保障されなければならない。しかし戦後の我が国には本当に言論の自由があったのかというと極めて疑わしい。米国占領下の6年半に、公職追放や出版物の徹底的な検閲等により作られた我が国言論界の方向性は、独立を回復した後も、つい最近まで修正されることはなかった。いや若干改善されては来たが、今なお修正されていないと言った方が正しいかもしれない。戦前の我が国や旧軍を悪し様にいう自由は無限に保証されるが、我が国を弁護する言論の自由は極めて限定的に認められるのみである。南京大虐殺は無かったと言って何人の大臣が辞めたのだろうか。日本は戦前、中国や韓国に対し良いこともしたと言ってその責任を問われた政治家もいる。しかしこれらは...
  • 「日本、侵略戦争認めた」 歴史研究報告で中国メディア
    http //www.asahi.com/international/update/0201/TKY201002010303.html 「日本、侵略戦争認めた」 歴史研究報告で中国メディア 2010年2月1日19時2分  【北京=古谷浩一】日中有識者による歴史共同研究の報告書が1月31日に公表されたことを受け、中国メディアは1日、「日本側が(日中戦争を)『侵略戦争』と位置づけ、南京大虐殺が集団虐殺事件であることを認めた」(北京紙・新京報)といった日中間の一致点を評価して伝えた。ただ、新華社通信や共産党機関紙・人民日報などの主要メディアは沈黙している。  国際報道紙・環球時報は「研究開始時、日本の学者は『社会の圧力』を理由に『侵略』の2文字さえ書き入れたがらなかった」。北京青年報は「侵略戦争の言葉が入ったのは最終段階だった。日本側は侵略を否定しないが、文章で書くのは避...
  • 産経政治部・阿比留瑠比 正攻法だけでは勝てない
    http //sankei.jp.msn.com/politics/situation/081116/stt0811160220000-n1.htm 【土・日曜日に書く】政治部・阿比留瑠比 正攻法だけでは勝てない 2008.11.16 02 19 【土・日曜日に書く】政治部・阿比留瑠比 正攻法だけでは勝てない≪二つの事例の共通項≫ ≪村山談話の呪縛力≫ ≪保守派も悪賢くあれ≫ ≪二つの事例の共通項≫  麻生政権下で起きた中山成彬前国土交通相の辞任と、田母神俊雄前航空幕僚長の更迭という一連の大騒動を見ていて、連想して思いだしたことがある。それは、安倍晋三元首相が首相就任前、記者と雑談しているときなどによく言っていたこんな言葉だ。  「左派勢力は、自分たちの思想をオブラートに包み隠して政府の審議会などに委員となって潜り込み、自分たちの考えを政策に反映させている。...
  • 2-05 慰安婦の逃亡はなかったのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 2-05 慰安婦の逃亡はなかったのか… 2-05 慰安婦の逃亡はなかったのか…コメント欄   いま話した"満州"の孫呉の場合は「子連れの慰安婦がいては軍紀の維持上好ましくない」と慰安所から放逐(ほうちく)つまり追い払われたわけだが、そこには"満州"に同じ朝鮮人の多く住んでいたという事情もあったのだろう。身を寄せる場所があるだろうという判断だ。また故郷にも近いからということもあったのだろう。しかし当時の日本内地の遊廓で働かされていた売春婦も同じだが、売春婦になった、もしくはならされた女性はまず故郷にも生家にも帰れなかった。したがって従軍慰安婦で逃亡した例はまずなかったといわれている。   なにより"満州"のような土地は別...
  • 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか… 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか…コメント欄   ナポレオンが帝政時代のロシアヘ侵攻したときに、従軍慰安婦を連れていったという話はあるが、近現代となってからどこの国の軍隊にもこうした制度の存在はない。さらにいうと、ナポレオン軍の場合は常習的売春婦を集め連れていったので騙しや強制連行、まして徴用令などによるものではなかった。   同じ日本軍でも日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、山東出兵27)から満州事変までなかった。さきに語ったように一九三七年(S12)に始まった"支那事変"開始以降に生まれたものだった。   あの戦争のときの米軍をみていくと、これも前に話したが戦場...
  • 1-09 今日の従軍慰安婦問題はそのときからおこったのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-09 今日の従軍慰安婦問題はそのときからおこったのか… 1-09 今日の従軍慰安婦問題はそのときからおこったのか…コメント欄   残念ながら違う。それからまもなく戦後二つに分かれた北朝鮮と南朝僻が、それぞれソ連米国両者の支援のもと戦火をまじえる朝鮮戦争(動乱)21)がおこり朝鮮半島全域がめちゃめちゃになった。このなかでそうした離婚騒ぎは消し飛び、離散家族の問題のほうが大問題となった。廃墟のなかでいかに生きのびるかのほうが切実な問題になったこともある。   従軍慰安婦のことが活字になることもなかった。一九六八年(S43)にソウル新聞が従軍慰安婦の特集記事を掲載し、あの日本統治下で日本軍兵士にさせられて南方戦線に送られた経験をもつ作家、ソウル大学教授らの回想談を活字にした。それ...
  • 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)
    http //mainichi.jp/select/world/news/20100210ddm010010125000c.html 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)  先月31日に発表された日中歴史共同研究の報告書では、歴史認識の隔たりが埋まらないとして、中国側の要請で、「近現代史」のうち1945年以降を扱った第3部(第1~3章)を非公表としていた。今回、入手したのは非公表とされた全文。他の論文と同様、両国の有識者が同じテーマを巡って、それぞれ執筆した。 日中歴史共同研究:戦後史部分(要旨)年表図 ◆第3部第1章 1945~72年◇日本側 ◇中国側 ◆第3部第2章 1972~2008年◇日本側 ◇中国側 ◆第3部第3章 歴史認識問題◇日本側 ◇中国側 ■近現代史第3部の論文執筆者 年表図 ◆第3部第1章 1945~72年 ◇日本側  戦争を引き起こ...
  • 1-10 従軍慰安婦の数はどれくらいだったのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-10 従軍慰安婦の数はどれくらいだったのか… 1-10 従軍慰安婦の数はどれくらいだったのか…コメント欄   正確な数はわからない。関特演のときの関東軍司令部で補給を担当する軍司令部第三課の課長だった原善四郎元中佐の計算によると、朝鮮半島から連行したものだけで約八万人だろうとある。関特演を前に"満州"に集中した八十五万人の将兵へどれくらいの従軍慰安婦を動員すればよいかを算出した人だ。   そのとき二万人という数を出した。これは一九三八年(S13)初めから一九四一年夏までの中国戦線の状況をみていくと、兵隊三十五人から四十五人、平均すると四十人に一人の割合で従軍慰安婦をあてがっておけば、戦場における兵隊を鎮静化させることができるという公式のようなものがあった...
  • 第2 朝鮮の植民地化の過程
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第2 朝鮮の植民地化の過程1 日清、日露の戦争 2 朝鮮の支配権争奪戦としての日清戦争 3 朝鮮の支配権をめぐる日露の戦争(日露戦争) 4 朝鮮植民地戦争 第2 朝鮮の植民地化の過程 1 日清、日露の戦争   日清、日露の戦争は日本の自衛戦争であったという議論がされることがあるしかし、事実に即して検討するとこのような側面よりも侵略的な側面が強いことがわかる。そして、清国、ロシアとの関係だけでなく、朝鮮の民衆との関係 に着目すれば、「自衛」が口実にすぎず、朝鮮という他国に対する「侵略」であったことが明らかとなる。 2 朝...
  • 千人集まれば日本は変わる?!
    ttp //youmenipip.exblog.jp/10845321/ 2009年 04月 19日 千人集まれば日本は変わる?! (言論抑圧示威行動のよびかけ) 他のほとんどの保守系ブログでも騒ぎになっていますね。NHKの左翼偏向報道の問題。 保守の弱いとこは、抗議メールや抗議文でしか行動出来ないところにあります。何もしないよりはマシですが、マスコミへの抗議文はねじ伏せられ捨てられます。電突もTBSや地方新聞等は外部の請負企業に丸投げしてます。多く抗議があればあるほど”仕事が増えた”と喜ばれるんじゃないでしょうか(苦笑)特に抗議メール等はたとえ10万件来ても痛くも痒くも無いのです。亀田対ランディエタ戦で六万通の抗議があっても、へのカッパでしたでしょう?その証拠にその後に、ヌルヌル秋山を登場させたでしょう! (言っときますが、やらないよりはマシなのでやってくだ...
  • 日中歴史認識、中国では「侵略戦争で南京に虐殺あった」と報道
    http //news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010 d=0201 f=politics_0201_004.shtml 日中歴史認識、中国では「侵略戦争で南京に虐殺あった」と報道 2010/02/01(月) 11 26 写真を大きくする   1月31日、日本と中国の有識者によって構成される歴史共同研究委員会が日中双方の論文をまとめた報告書を公表した。1日、北京青年報が伝えた。   今回の報告書に対し、中国では「『日中戦争』は日本による中国への侵略戦争だったと位置づけられるだろう」と報じられた。   記事は、日中の有識者たちは1931年から45年までの戦争を日本による中国侵略戦争であると明確に位置づけたし、「報告書のなかでも日本の全面的な侵略戦争であり、中国の全面的な抗日戦争だったと明確に記された」と報じた。 ...
  • むすび 現下の課題
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) むすび  現下の課題  最後に本講義の纏めを述べよう。「昭和の戦争」は、満洲事変から敗戦までの一貫した「十五年戦争」と言うような戦争ではなかった。だが、支那事変と大東亜戦争は一連の戦争であった。支那事変は、有色人種の優等生大日本帝国の擡頭に我慢できない米英と世界の共産革命を先ず弱い部分である東アジアで成し遂げようとしていた共産ロシア(ソ連)が、支那の軍事独裁者蒋介石を背後から軍事的・政治的・財政的に支援・指導し、さらに支那共産党を介在させて闘わせた言わば代理戦争であった。ソ連や米英は支那事変を長引かせることで日本を世界戦争の舞台に引きずり出して撲滅しようと狙ったのである。共産ロシアは、米国同様に軍閥独裁者蒋介石を支援して日本と戦わせる一方で、...
  • @wiki全体から「日本は侵略国家であったのか」で調べる

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