15年戦争資料 @wiki内検索 / 「本部陣中日誌」で検索した結果

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  • 本部陣中日誌
    本部陣中日誌 海上挺進第三戦隊本部陣中日誌はコチラで閲覧することができます。 沖縄戦関係資料閲覧室 http //www.okinawa-sen.go.jp/ 書き起こし 本モノの赤松部隊「陣中日誌」 防衛庁 戦後資料  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-5-202 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3戦隊記録(付人名簿)(※) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄209 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305202 ページ3~35  その<複製資料記録票>より  本資料は終戦後海上挺進第三戦隊に配属されていた木林明中尉(戦後死亡)が海上挺進第三戦隊本部要員として(副官的業務担任)記述したものである。(赤松氏談)  それを元海上挺進第三戦隊長...
  • 赤松部隊「陣中日誌」の原本と改本
    ...戦場で執筆した原本「本部陣中日誌」と 1970年谷本小次郎元特幹伍長を中心にして赤松隊友会の合議でつくった改変版「戦隊陣中日誌」との異同を検討しました。 谷本小次郎氏は、「編集のことば」で次のように綴っています。 幸いに基地勤務隊辻政弘中尉殿が克明に書き綴られた本部陣中日誌と第三中隊陣中日誌(中隊指揮班記録による四月十五日より七月二十四日迄の記録、第三中隊長所有)を資に取り纏め聊の追記誇張・削除をも行わず、正確な史実を世代に残し歴史は再び巡りて精強第三戦隊たりと誇れる事を念願します。 しかし、「聊(いささか)の追記誇張・削除をも行わず」には首を捻らざるを得ません。 なお、谷本文中にある「第三中隊陣中日誌」は、沖縄戦関係資料閲覧室で閲覧できること、ご教示をいただきました。→書誌データ 記述の対照 2009.9.18更新 (1)1945(昭和2...
  • 赤松隊「陣中日誌」改竄の一端
    ...要だが 辻政弘中尉「本部陣中日誌」1945(防衛研究所資料・沖台沖縄209) 谷本小次郎編「陣中日誌」1970(防衛研究所資料・沖台沖縄405) 《違い》 中西記者の引用 大阪地裁判決での評価 大阪高裁判決での評価 陣中日誌改竄に基づく赤松手記 より詳細な検証が必要だが   文献取り扱い専門家である歴史研究者によるより詳細な検証が必要ですが、海上挺進第三戦隊の「陣中日誌」(赤松隊陣中日誌)改竄の一端が明らかになりました。赤松隊陣中日誌とは、1970年に編纂されたものです。編者である元戦隊本部付特別幹部候補生、谷本小次郎氏は次のように記しています。 ……   私、本部付として戦闘詳報、命令会報を記録し甚だ以て僅かの戦闘のみしか参加せず誠に汗顔の至りでは御座居ますが、幸いに基地勤務隊辻政弘中尉殿が克明に書き綴られた本部陣中日誌と第三中隊陣中日誌(中隊指揮班記録による四月...
  • 赤松隊「陣中日誌」記述の変遷
    ...が戦闘陣中で記した「本部陣中日誌」原本 B:1946年1月 復員前に赤松嘉次大尉が記した「戦史資料」 C:1968年 防衛庁戦史室が赤松ら元将校の聴取に基づいて纏めた「戦史叢書:沖縄方面陸軍作戦(未作成)」における記述 D 1970年 谷本小次郎元特幹兵が赤松隊友会の声を集めて編集した「陣中日誌 海上挺進第三戦隊」 E:1973発行 曽野綾子「ある神話の背景」(未作成)の記述から(ただしここではWAC版 2006による) 批判対照資料 P:渡嘉敷村遺族会編 『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』 比較着眼点 (1)転進命令、泛水命令、自沈命令と大町大佐の関わり (2)渡嘉敷島住民への避難命令に関する記述 (3)米軍上陸に関する現認記述 (4)「集団自決」した住民についての現認記述
  • (2)編集のことば 谷本小次郎
    ...が克明に書き綴られた本部陣中日誌と第三中隊陣中日誌(中隊指揮班記録による四月十五日より七月二十四日迄の記録、第三中隊長所有)を資に取り纏め聊の追記誇張・削除をも行わず、正確な史実を世代に残し歴史は再び巡りて精強第三戦隊たりと誇れる事を念願します。又名誉の戦死を遂げられた戦友の嚇々たる武熱を記録し御遺族に御安堵戴きたいと存じます。  戦死の概況は記述調整官により復員時援護局へ提出済みのものであります。以上の如く沖縄現地に在る渡嘉敷戦闘概要は全く史実に反し記述しあることを現地の村民の方々からも聞き及んでおります。 昭和四十五年八月十五日 元海上挺進第三戦隊本部付 谷本小次郎 大阪地裁判決文より2008年3月28日 陣中日誌(甲B19)は,その中に掲載された「編集のことば」によれば,第三戦隊本部付であった谷本小次郎が基地勤務隊辻政弘中尉が記録した本部陣中...
  • 日本軍は沖縄県民を「土民」と呼んでいた
    ... 独立混成第一五連隊本部陣中日誌には 主陣地ノ構築ヲ第一二着手シ偽陣地前進陣地海岸陣地ノ順ニ構築ス主陣地以外ハ成シ得ル限リ土民ヲ利用ス とあり、作業人員の記録にも 中隊七五名、土民一一〇、在郷軍人三〇 と記録している。 (「世界」2007.7 石原昌家論文より)
  • 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(3)
    ...成第一五連隊第一大隊本部陣中日誌(昭19・11・7、15、17、26)(未作成)----401 九五-(2) 独立混成第一五連隊本部隊陣中日誌(昭19・12・28、31)(未作成)----407 九五-(3) 独立歩兵第一五連隊本部陣中日誌(昭20・1・2、13)(未作成)----415 九六 独立混成第一五連隊第八中隊陣中日誌(昭19・11・9)(未作成)----425 九七 独立混成第一五連隊第三中隊陣中日誌(昭19・11・24)(未作成)----429 九八 要塞建築勤務第六中隊北飛行場五六飛大派遺、重信班陣中日誌(昭19・12・24~31)(未作成)----433 九九 駐屯地会報ニ於ケル示達事項[南地区駐屯地司令官](昭20・1・13)(未作成)----445 百 第二大隊命令[国頭支隊第2歩兵隊第2大隊本部](昭20・1・14)(未作成)----451 百...
  • 陣中日誌とは(作戦要務令より)
    「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 陣中日誌とは(作戦要務令より) ソース http //www.warbirds.jp/sudo/sakusen/s3_9.htm アジア歴史資料センターに原本の画像複数あり その1つ 件名標題(日本語) 作戦要務令 第3部 階層 防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>大日記乙輯>昭和15年 「検閲典範令原本綴 共12冊 第四冊」 レファレンスコード C01002501500 言語 jpn 資料作成年月日 昭和15年05月17日 規模 156 http //www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default ID=M2006090103370184148 「第9篇 陣中日誌及び留守日誌」は、複写P.149より 作戦要務令 第三部 第9篇 ...
  • 第三中隊(皆本中隊)「陣中日誌控」
    第三中隊(皆本中隊) 「陣中日誌控」 実物文書の表題 「陣中日誌控」第三中隊 沖縄戦関係資料閲覧室 http //www.okinawa-sen.go.jp/ 海上挺進第3戦隊第3中隊(皆本中隊)陣中日誌と思われる。 ↓ 防衛庁 陣中日誌  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-1-107 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3中隊 陣中日誌控(昭和20.4~20.5)(※) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄284 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0301107 表紙  陣中日誌  戦闘要報 控 昭和二十年    自 四月三十日    至 五月二十三日         第三中隊 「戦闘要報控」という元の表題の「戦闘要報」部...
  • 第4・5(4)ク その余の文献の評価
    ...辻政弘中尉が記録した本部陣中日誌と昭和20年4月15日から同年7月24日までを記録した第三中隊陣中日誌をもとに,昭和45年8月15日に編集,発行したものであるとしている。折しも,赤松大尉が渡嘉敷島を訪れた際に抗議行動が起こり,そのことが報道されたのが同年3月であるところ(甲A4ないし7),「陣中日誌」は,このような報道後,同年8月15日に発行されたものであるし,その元となった資料は書証として提出されておらず,その転載の正確性を確認できない。 (ウ)(「花綵の海辺から」)* 戦史研究家である大江志乃夫が執筆した「花綵の海辺から」には,第4・5(2)イ(イ)のとおり, 「赤松嘉次隊長が『自決命令』をださなかったのはたぶん事実であろう。西村市五郎大尉が指揮する基地隊が手榴弾を村民にくばったのは,米軍の上陸まえである。挺進戦隊長として出撃して死ぬつもりであつた赤松隊長がくば...
  • 6.各地の慰安所
    ... 独立歩兵第一五連隊本部陣中日誌(昭20・1・2、13)(未作成) ■  独立混成第一五連隊連隊砲中隊陣中日誌(昭19・10・4)(未作成) ■  独五混成第一五連隊第一大隊本部陣中日誌(昭19・11・7、15、17、26)(未作成) ■  独立混成第一五連隊第二機関銃中隊陣中日誌(昭19・11・4)(未作成) ■  独立重砲兵第一〇〇大隊平山隊作命綴[中隊長](昭20・2・10)(未作成) ■  要塞建築勤務第六中隊北飛行場五六飛大派遺、重信班陣中日誌(昭19・12・24~31)(未作成) ■  独立混成第一五連隊本部隊陣中日誌(昭19・12・28、31)(未作成) ■  独立混成第四四旅団第二歩兵隊第二大隊機関銃中隊日命会報録(昭20・1・15)(未作成) ■  要塞建築勤務第六中隊陣中日誌(昭19・5・24、26、27。31)(未作成) ■  要塞建築勤務第六中隊陣中日誌(昭1...
  • 「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究
    沖縄戦資料index 「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 赤松部隊「陣中日誌」の原本と改本 陣中日誌とは(作戦要務令より) 戦闘要報と戦闘詳報(作戦要務令より) (6)(海上挺進第三戦隊の教育と編成) 改本『陣中日誌』の付録のひとつ。この場合は「挺隊」としての「第三戦隊」 第三戦隊職員表 <沖台 沖縄021>の内容物のひとつ。この場合「第三戦隊」は、第三勤務隊、特設水上勤務隊を含んだ後期の「第三戦隊」で、部隊の「職員」として、この場合は「将校」をあげている。 赤松隊関係「史実調査参考資料報告」 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1) 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)(未作成) 特設水上勤務第104中隊軍夫編成表(昭和19.9)(※) 赤松嘉次・赤松隊資料 海上挺進基地第3大隊戦闘概要 本モノの赤松部隊「陣中日誌」  赤松部隊「陣中日誌」の原本と改本 赤松...
  • (原)ク その余の文献の評価
    ...辻政弘中尉が記録した本部陣中日誌と昭和20年4月15日から同年7月24日までを記録した第三中隊陣中日誌をもとに, 昭和45年8月15日に編集, 発行したものであるとしている。 折しも, 赤松大尉が渡嘉敷島を訪れた際に抗議行動が起こり, そのことが報道されたのが同年3月であるところ(甲A4ないし7), 「陣中日誌」は, このような報道後, 同年8月15日に発行されたものであるし, その元となった資料は資料は当時の記録として貴重であろうが, それ自体は書証として提出されておらず, 前記指摘のとおりその転載の正確性を確認できない。 (ウ)(「花綵の海辺から」)*   戦史研究家である大江志乃夫が執筆した「花綵の海辺から」には, 第4・5(2)イ(イ)のとおり, 「赤松嘉次隊長が『自決命令』をださなかったのはたぶん事実であろう。 西村市五郎大尉が指揮する基地隊が手榴弾を村民...
  • 防衛研究所資料<沖台 沖縄>
    ...029>(未作成)「本部陣中日誌」原本所収] 第32軍現役兵連名簿(島尻郡伊是名村)昭和19年度<沖台 沖縄032>(未作成) 第32軍沖縄戦に於ける戦死者の遺骨(体)等の状況について<沖台 沖縄030>(未作成) 沖縄作戦に於ける第32軍史実資料<沖台 沖縄037>(未作成) 第32軍 陣中日誌案(昭和19.3~20.1)<沖台 沖縄040>(未作成) 第32軍参謀部命令録(昭和20.3)<沖台 沖縄041>(未作成) 第32軍天ノ巌戸戦闘司令部取締に関する規定(昭和20.5)<沖台 沖縄041>(未作成) 第32軍情報記録(昭和20.3)<沖台 沖縄048>(未作成) 第32軍命令(昭和20.2)<沖台 沖縄048>(未作成) 航空・船舶関係部隊の地上戦転用について 051~100 第32軍参謀神直道陸軍少佐に対する第32軍牛島満軍司令官訓令写<沖台 沖縄051>(未作成...
  • 本モノの赤松部隊「陣中日誌」
    ...隊 本部付辻政弘記「本部陣中日誌」 これを素材にして1970年、小谷小次郎元特別幹部候補生伍長を中心にした赤松隊戦友会が「海上挺進第三戦隊陣中日誌」を編集した。赤松部隊「陣中日誌」の原本と改本 ソース 【書誌データ】 防衛庁 戦後資料  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-5-202 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3戦隊記録(付人名簿)(※) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄209 【閲覧】 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305202 ページ3~35 【表紙】 沖縄作戦 海上挺進第三戦隊記録 (付)人名簿 元海上挺進第三戦隊長 元陸軍少佐 赤松嘉次 受付印「戦史室 受 41.4.23 付 第141号」あり 【用箋】 ペ...
  • 赤松資料:陣中日誌 海上挺進第三戦隊 昭和45(1970)年作成
    今日の訪問者 - 赤松資料 改本・谷本版 陣中日誌 海上挺進第三戦隊 昭和45(1970)年作成 新情報 防衛研究所資料「沖台・沖縄405」がWEB上で閲覧可能であることが分かりました。 沖縄戦関係資料閲覧室 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0301130 【データ】 防衛庁 陣中日誌  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-1-130 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3戦隊 陣中日誌(複製版)(昭和19.8~21.1) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄405 陣中日誌 海上挺進第三戦隊 昭和45(1970)年作成「陣中日誌」ならぬ「陣後日誌」 「正しい歴史」を作りたい 目次 「陣中日誌」ならぬ「陣後日誌」 「陣中日誌」と命...
  • 分析:陣中日誌 海上挺進第三戦隊
    分析:陣中日誌 海上挺進第三戦隊
  • 赤松元部隊長戦場日記:『殉国日記』に転写された一節 1946.2.22
    ...収容所で辻政弘中尉「本部陣中日誌」を要約したものと思われます。) 当稿を引用する方へのお願い:書き起こし文には私の間違いが含まれていますので、其の点を充分にご承知の上引用してください。また引用する方は当ページのURLを、必ず引用文に添えてください。食物の安全を流通過程で保障するのと同じように、資料典拠のトレーサビリティーを確保するためです。原文を独自に解読し直された方はその限りにありません。 二○、三、二三、晴 敵機約述三○○機、慶良間列島ノ爆撃銃撃ヲナス 戦死者負傷者各十一名、兵器糧秣其ノ他焼損 二○、三、二四、晴 敵艦載機五○~六○機常時在空シ基地設備地上陣地棲息設備、山林谿谷に対し爆撃並ニ焼夷弾投下、軍ノ情勢ニ依レバ敵機動部隊ハ首里起点一六○度五○浬ノ基点ニ接近シツツアルモノノ如シ 兵戦傷若干、器材糧秣若干損害アリ 二○...
  • (9)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(下)
    index 目次 1970年改本・谷本版 (9)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(下) (引用者注)昭和20年7月から昭和21年1月10日までを(下)としました。 (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上) (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中) (9)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(下)昭和二十年七月七月二日晴 七月三日 七月四日 七月五日 七月六日 七月七日 七月八日 七月十日 七月十六日 七月十八日 七月二十日 七月二十一日 七月二十七日 七月二十八日 昭和二十年八月八月一日 八月三日 八月四日 八月五日 八月七日 八月八日 八月九日 八月十日 八月十一日 八月十二日 八月十三日 八月十四日 八月十五日 八月十六日 八月十七日 八月十八日 八月十九日 八月二十日 八月二十一日 八月二十二日 八月二十三日 八月二十四日 八月二十五日 八月二十六日 昭和二十年十二月十二月三十日 昭...
  • c 「陣中日誌」(昭和45年)谷本小次郎著(ha)
    通088 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(イ) (赤松命令説を否定等する文献)* c 「陣中日誌」(昭和45年)谷本小次郎著(ha) 「陣中日誌」は,第三戦隊の隊員であった谷本小次郎によって編集されたものである。 「陣中日誌」には,昭和20年3月28日の欄に 「自決は翌日判明したるものである。」 との記述があり,その後に 「三月二十九日曇雨 悪夢の如き様相が白日眼前に酒された昨夜より自訣したるもの約二百名(阿波連方面に於いても百数十名自訣,後判明)首を縛った者,手榴弾で一団となって爆死したる者,棒で頭を打ち合った者,刃物で頸部を切断したる者,戦いとは言え...
  • 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(2)
    政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(2) 防衛庁関係公表資料(上) 47項目67点 第2巻ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0051_2.pdf 目次(第二巻) 防衛庁関係公表資料(上) 一 軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件[陸軍省副官](昭13・3・4)(未作成) …3 二 戦時服務提要〔教育総監部本部長](昭13・5・25)(未作成) …9 三-(1) 軍人軍隊ノ対住民行為ニ関スル注意ノ件[北支那方面軍参謀長](昭13.6.27)((歩兵第9旅団陣中日誌に転記されたもの))(未作成) …21 三-(2) 軍人軍隊ノ対住民行為ニ関スル注意ノ件[北支那方面軍参謀長](昭13.6.27)((歩兵第41連隊陣中日誌に転記されたもの))(未作成) …27 四 慰安所ノ状況【波集団司令部](昭14.4)(未作成) …37 五 支那事変ノ経験ヨリ...
  • c 「陣中日誌」(昭和45年)谷本小次郎著(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-089 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(イ)(赤松命令説を否定等する文献)   赤松命令説について否定し, 又はその存在の推認を妨げる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 c 「陣中日誌」(昭和45年)谷本小次郎著(2ha) (判決本文p177~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。   「陣中日誌」は,...
  • 7.慰安所の管理規定
    ... 独立歩兵第一五連隊本部陣中日誌(昭20・1・2、13)(未作成) (直営例)■ 海軍慰安所利用内規〔第12特別根拠地隊司令部](昭20・3・18)(未作成) ■ 第二軍状況概要[第2軍司令部(中支武漢地区)](昭13・12・10)(未作成) (休日) (慰安婦の報酬)■ 石兵団会報第七四号(昭19・10・19)(未作成) ■ 心理戦作戦班報告書(Japanese Prisoner of War Informatron Report) 49号(未作成) ■ 南部セレペス賣淫施設(慰安所)調書〔セレペス民政部第2復員班長](昭21・6・20)(未作成) (最終局面では)   『資料集成』には慰安所の管理規定が多く含まれており、慰安所の内部秩序について重要な資料を与えてくれる。次のような管理規定がある。 「常州駐屯間内務規定」(昭和13年3月)(2巻、251-258頁)常州...
  • 注 (典拠)
    戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦 注 (典拠) 注 (典拠) 1~23 24-64 65-98 99-142 143-182 183-219 220-231 1~23 p627 1 「大陸命綴、大陸指綴」 大本営陸軍部の伝宣した大命及ぴこれに基づき参謀総長の出した指示の綴 沖台 2 「大海令綴、大海指綴」 大本営海軍部の伝宣した大命及ぴこれに基づき軍令部総長の出した指示の綴 3 「上奏綴」 大本営陸軍部の上奏書類綴 4 「上聞書綴」 用兵事項に関する大本営海軍部の上奏書類綴 5 「作戦関係重要書類綴」 作戦に関する上奏関係書類その他を綴ったもの 大...
  • (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上)
    index 目次 1970年改本・谷本版 (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上) (引用者注)昭和19年8月25日から昭和20年3月末までを(上)としました。 (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上)昭和十九年八月八月二十五日 八月二十六日 八月三十一日 昭和十九年九月九月三日 九月四日 九月八日 九月十日 九月十一日 九月十二日 九月十三日 九月十四日 九月二十一日 九月二十六日 九月二十七日 九月九日 昭和十九年十月十月九日 十月十日 昭和十九年十一月十一月十日 十一月 日 昭和十九年十二月十二月十日 昭和二十年一月昭和二十年一月一日 一月十日 一月二十日 一月二十一日 昭和二十年二月二月中旬 昭和二十年三月三月二十日晴 三月二十一日晴 三月二十二日晴 三月二十三日晴 三月二十四日晴 三月二十五日晴 三月二十六日晴 三月二十七日晴後雨 三月二十八日小雨 晴 夜小雨 三...
  • (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中)
    index 目次 1970年改本・谷本版 (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中) (引用者注)昭和20年4月から昭和20年6月末までを(中)としました。 (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上) (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中)昭和二十年四月四月一日晴 四月二日 四月三日より四月五日まで 四月六日曇 四月七日晴 四月八日曇 四月九日曇 四月十日曇 四月十一日曇 四月十二日晴 四月十三日晴 四月十四日晴 四月十五日晴 四月十六日 四月十七日より四月二十四日迄の間 四月二十五日曇 四月二十六日晴 四月二十七日より四月二十九日迄 四月三十日晴 昭和二十年五月五月一日曇 五月二日曇 五月三日曇 五月四日晴 五月五日晴 五月六日晴 五月七日 五月十日晴風無 五月十一日曇 五月十二日曇 五月十三日晴 五月十四日晴 五月十五日雨 五月十六日晴 五月十七日晴 五月十八日晴 五月十九...
  • 渡嘉敷島に残留した別部隊員
    渡嘉敷島に残留した別部隊員 会報特攻 第11号 平成2年8月 「第十一船舶団長 大町茂大佐の洋上戦死」 石田四郎 http //www.tokkotai.or.jp/kikanshi/tokko_pdf/tokko_11.pdf による、大町大佐一行の移動経過 (「会報特攻」への投稿原稿と思われる石田四郎元少尉自筆文書が、遺族によって防衛研究所に寄贈されています<沖縄 台湾399>。内容は大部分が雑誌と同じですが、編集部の手によるのでしょうか、雑誌では大町大佐の巡察目的などの記述が変更されています。また3月25日の32軍からの「転進命令」について、脚注の内容が雑誌では大幅に簡略化されておるなど、なかなか気が付かないことの検証が必要です。) 渡嘉敷島に残留した別部隊員本島から座間味へ 座間味島から阿嘉島へ 阿嘉島から渡嘉敷島へ 渡嘉敷島から本島へ(1) 残留者 渡嘉...
  • 第4回~第5回
       目次 証言による「南京戦史」46期・畝本正巳目次へ 第4回(s59.7)第4章 外郭陣地の攻撃(12/8~12/12)つづき南京事件は虚構である(投稿:27期 谷田勇) 南京攻略前後(編集部)原田文書 第5回(s59.8)第4章 外郭陣地の攻撃(12/8~12/12)つづき南京攻略前後(編集部)――河辺(虎四郎24期)少将の回想録より 投稿 昨今の日中関係と「南京事件」(48期・犬飼総一郎) 奇怪な「南京大虐殺の目撃談、記録映画」(46期畝本正巳) 証言による「南京戦史」46期・畝本正巳 目次へ 第4回(s59.7) 第4章 外郭陣地の攻撃(12/8~12/12)つづき 3.秣陵関・方山・将軍山・雨花台方面(114D)の戦闘 秣陵関付近の戦闘 方山東方地区の戦闘 c-59-07-05.jpg拡大 将軍山付近の戦闘 将軍山に対する攻撃 南京城外雨花台方面の戦闘 ...
  • 住民のスパイ視
    沖縄戦と民衆(目次) I 沖縄戦への道  3 緊迫化する軍民関係 p92 住民のスパイ視 p93 沖縄にスパイが潜り込んでいるから警戒せよという注意はくりかえしなされていた。白人や黒人のアメリカ人が沖縄にいれば、それだけで目立ってしまうので、それはアメリカ人のスパイが潜り込むというよりも、住民のなかにスパイがいるというものであり、住民を相互に監視させようとするものだった。 村の警防団はそのスパイ探しの役割を与えられた。高嶺(たかみね)村国吉(くによし)の警防団副団長をしていた大湾朝次郎さんの証言によると、一九四四年九月ごろから「スパイ、スパイと喧しかった」。「知らない人、初めて見る人が、道を歩きながら紙切れと鉛筆で字を書いているものはすべて、スパイ疑いで捕らえろという命令でした。それから十九年の十一月頃から、こういうものをあなた方が処理できない場合は、軍に届け...
  • 赤松嘉次 本人文書 & 反映文書一覧表(仮)
    赤松嘉次 本人文書 反映文書一覧表(仮) 防衛研究所資料検索 http //www.okinawa-sen.go.jp/search.php No 成立 筆者 登録表題 章題 沖台沖縄 備考 Link 01 1945 辻政弘 海上挺進第三戦隊記録(付人名簿) 三月二十三日晴 209 写筆 * 02 1946.1.8 赤松嘉次 海上挺進第3戦隊[史実調査参考資料報告] p2 023 024 復員船下船時に提出 * 03 1946 1.9 赤松嘉次 海上挺進第3戦隊[戦史資料](昭和21.1.9調製) 021 赤松自筆押印 * 04 1947 3 赤松嘉次 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 渡嘉敷戦斗ノ概要 234 ガリ版印刷、正しい表題は「殉国日記」 * 05 1947 3 赤松嘉次 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 赤松部隊...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(8)
    「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載8回目 信頼どこにおくか 将校会議があったかなったか、赤松隊の陣地がどうだったかということは、付帯的な問題にすぎない。『鉄の暴風』が伝聞証拠によって書かれたものであり、また、なかには創作的な記述があることを証明するためにそれらは持ち出されたものだが、『鉄の暴風』の記述がすべて実体験者の証言によるものであり、記述者の創作は介入していないことを言明することで答えとしたい。あとは、赤松側の言葉を信用するか、住民側の証言に信頼を置くかの選択が残されるだけである。 ありもしない「赤松神話」を崩すべく、曽野綾子氏は、新しい神話を創造しているにすぎない。そのやり方は手がこんでいる。『鉄の暴風』だけでなく渡嘉敷島に関するほかの戦記もすべて信用できないとする。なぜなら、それらの戦記にも『鉄の暴風』とおなじようなことが書かれているからで、そ...
  • 集団自決の島――沖縄・慶良間25年目の暑い夏
    週刊朝日1970年8月21日号 集団自決の島――沖縄・慶良間25年目の暑い夏 渡嘉敷島にて本誌 中西記者 撮影 栗原達男 集団自決の島――沖縄・慶良間25年目の暑い夏口絵 記事リード 村の経済課長・富山真順氏の案内で・・・ 復帰への不安を語る基地従業員 死にそこなった赤松隊の悲劇 米兵憎悪から日本兵憎悪へ… 海洋万博に夢託す島 自決命令は果たして下ったのか "戦記"とは異なる小隊長の証言 ヨソ者とシマの者との確執が… 那覇を通じてかいま見る本土 (画像はクリックすると拡大します) 口絵 (見開き左…カミソリで首を切りながらも一命をとりとめた座間味の宮平ウタさん) (見開き右) (キャプション) 渡嘉敷の「玉砕場」 西山に掘った赤松隊の塹壕と、戦没者を祭る白玉之塔 集団自決で右手を失ったS氏 ~...
  • (原)第3・4(1)ウ(イ) 控訴人ら主張の文献等に対する反論
    目次 戻る 通2-021 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第2 事案の概要等 第2の3 前提事実及び争点 【原判決の引用】 (原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張 (原)4 争点4(真実性の有無)について (1)被控訴人らの主張 第3の4(1)ウ 渡嘉敷島について (原)第3・4(1)ウ(イ) 控訴人ら主張の文献等に対する反論 (判決本文p52~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)第3・4(1)ウ(イ) 控訴人ら主張の文献等に対する反論a 「ある神話の背景」について b 「陣中日誌」について c 「沖縄戦ショウダウン」について d 照屋昇雄の供述について a 「あ...
  • 第3・4(1)ウ(イ) 原告ら主張の文献等に対する反論
    通023 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第3 争点及びこれに対する当事者の主張 第3・4 争点4(真実性の有無)について 第3・4(1) 被告らの主張 第3・4(1)ウ 渡嘉敷島について 第3・4(1)ウ(イ) 原告ら主張の文献等に対する反論 第3・4(1)ウ(イ) 原告ら主張の文献等に対する反論a 「ある神話の背景」について b 「陣中日誌」について c 「沖縄戦ショウダウン」について d 照屋昇雄の供述について a 「ある神話の背景」について 「ある神話の背景」では,前記のとおり,集団自決の直接体験者から取材を行い執筆された「鉄の暴風』(乙2)を直接体験者からの取材に基づくものではないとしている(甲B18・51頁)。また,その著者である曽野綾子は,取材過程において富山兵事主任に会ったことはないと記しているが(...
  • 阪神さんの写真記録
    阪神さんの写真記録 (写真と文) 阪神さん   こんにちは。 渡嘉敷島、阿嘉島、慶留間島に行ってきましたので写真を紹介します。 渡嘉敷島の資料館(※)には曽野綾子の戦跡碑文原稿、第三戦隊陣中日誌、渡嘉敷島の戦闘概要(写)、渡嘉敷島における降伏調印文書、谷本小次郎氏の従軍証明書が展示されていました。写真は公表不可との事なのであしからず。 ※(引用者注)渡嘉敷村歴史民俗資料館は旧港のターミナル2階にあるそうです。渡嘉敷港よりフェリーターミナル方面へ徒歩1分。ch桜によれば、金城武徳氏が嘱託館員だったとか。 参考:慶良間諸島の沖縄戦PDF  渡嘉敷島戦跡案内図PDF 参考:渡嘉敷島地図(北部)~渡嘉敷村史より~ クリック拡大  →考察図「玉砕場の川」 阪神さんの検討は、http //keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-ent...
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か4
    渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―4 太田良博 昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで 琉球新報朝刊に連載 『太田良博著作集3』p179-183 目次 4 【引用者註】言動が信用できない赤松に信をおく 赤松隊「陣中日誌」に、「三月二十九日も曇雨。昨夜より自決したるもの約二百名。首を縛つた者、手榴弾で一団となって爆発したる者、棒で頭を打ち合った者、刃物で頚部を切断した者、戦いとは言え、言葉に表し尽し得ない情景であった」と、あたかも目撃したように記録してある。 ところが、『ある神話の背景』では、「集団自決の情景」をみたものは、赤松隊には誰もいなかったことになっている。 179 赤松の話では、第三戦隊陣中日誌は主に谷本候補生(伍長)が書いたという。 陣中日誌に関しては、作戦要務令第三〇八条から第三一七条の各条で...
  • 一 大虐殺否定の論理
    南京大虐殺の真相 一 大虐殺否定の論理   ――今も昔も同じ―― 南京大虐殺は教科書裁判(教科書検定訴訟=第三次家永訴訟)における重要な争点の一つになっている。 家永三郎氏が執筆した高校歴史教科書『新日本史』(三省堂)は、一九八○年度の文部省検定で次のような意見をつけられた。 原稿本の脚注に「南京占領後、日本軍は多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺とよばれる」と記述したのに対して「このままでは、占領直後に、軍が組織的に虐殺をしたというように読みとれるので、このように解釈されぬよう表現を改めよ。『多数の中国軍民が混乱にまきこまれて殺害された』として、殺害の主体に言及しないようにするか、あるいは『混乱のなかで、日本軍によって多数の中 141 国軍民が殺害されたといわれる』と記述して、日本軍の行為であるというのがたんなる伝聞にすぎないことを明らかにして、日本軍...
  • 和田さんスペース
    和田さんスペース 12月1日記(※) 和田さんの為に2回限定でスペースを提供します。おそらく、1回で1000字×10回分以上は有ると思います。その2回分です。誰かに議論を吹っかけたり、余所へ行って呼び込みをなさるのは困ります。管理上のコメントがある場合は、投稿欄の外に書きますのでご了承ください。 (何度も申上げていますが、ご自分のサイトを設けてご持論を発表するのが最善です。そのための準備の一環として御使いいただければ幸いです。) ※日付のみ追記 和田さんへ 1月29日  よくよく考えて、私やKさんへのカラミの部分を削除させていただいて、再掲載することにしました。  カラミは、ここをご提供する主旨に反するからです。ここをご提供するということは不特定多数への発表ですから読者は私と和田さんとの論争の経緯など、知るよしもありません。読者にわからないだけでなく、た...
  • 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)3/3
    「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)3/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1) 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)3/3典拠 「戦闘詳報」に対する「戦闘要報」 凡例 内容(2)の第51葉 (2)の第52葉 (2)の第53葉 (2)の第54葉 (2)の第55葉 (2)の第56葉 (2)の第57葉 (2)の第58葉 (2)の第59葉 (2)の第60葉 (2)の第61葉 (2)の第62葉 (2)の第63葉 (2)の第64葉 乱丁・落丁の検討 御意見欄 典拠 防衛庁 陣中日誌  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-1-108 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3中隊 陣中日誌控(昭和20.5~...
  • 再び「殉国日記」について 2009,9,27
    再び「殉国日記」について これは http //keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-66.html#comment-top こちらのコメント欄に対する、W氏へのレスです。オフトピについての長文の討論となりますので、ブログ主さんへのご迷惑を避けるため、弊ブログへのリンクと致しました。 なお再反論は、当頁末尾にコメント欄を設置しましたので、Wさんに置かれましても、こちらにてお願いします。 敬具 「殉国日記」内の主要な文献をファイルしましたので御報告します。 ■沖縄作戦 殉国日記 index http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2223.html 早々と「気がついたことを纏め」た方がおられますが、その“飛ばし”記事の中に事実誤認や誤解を招くやしれぬ独断が...
  • 防衛研究所 [沖台 沖縄] を引くためのキーワード
    沖縄戦関係資料閲覧室 http //www.okinawa-sen.go.jp/search.php で 防衛研究所 [沖台 沖縄] を引くためのキーワード 漢数字は禁、洋数字を使用のこと。 沖縄 沖縄戦 沖縄作戦 海上挺進 海上挺進第3戦隊 海上挺進第3中隊 第5海上挺進基地隊 第3勤務隊 勤務隊 整備隊 船舶工兵第26連隊 第11船舶団 特設水上勤務 32軍 史実資料 戦闘指針 陣中日誌 戦闘詳報 命令 会報 大本営 回想 教訓 防衛召集 牛島 長勇 八原 神直道 戦況 島民の行動 慶良間 渡嘉敷 座間味 伊江島 指導 宣伝 警備 糧食 石垣島 宮古島 玉砕 自決 援護法 軍属 軍夫 図書検索
  • 戦闘要報と戦闘詳報(作戦要務令より)
    戦闘要報と戦闘詳報(作戦要務令より) 作戦要務令 綱領.総則及第一部 http //www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default ID=M2006090102530950737 指揮及連絡 報告及通報 第三十二~第三十四 P35~P386 「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究
  • (4)降伏文書
    index 目次 (4)降伏文書 天皇陛下ノ命ニヨリ赤松少佐(球第一六七九部隊)ハ 渡嘉敷ノ全部隊ヲ率ヰテ米軍渡嘉敷駐屯軍司令官 カナリー中佐ノ下二無条件降伏ス 署名 赤松嘉次 印 前記事項ヲカナリー中佐ハ米国ト其ノ同盟国ノ名二 於イテ承諸ス 署名 歩兵第二十四連隊 陸軍歩兵中佐 ハビノン・A・N・カナリー (引用者注)日付は当『陣中日誌』によれば昭和二十年八月二十三日である。 index 目次
  • 戦隊長殿!いったい何処へ向えばイイのでありますか? 3月25日「転進命令」の怪
    戦隊長殿!ジブン達は一体、何処へ向えばイイのでありますか? 3月25日渡嘉敷島で受信したという「転進命令」の怪 赤松嘉次「戦隊長」が証言する「行き先」がクルクル変るので、防衛省公式戦史すら分裂症に陥ったまま放置されています。もちろん特幹生たちの霊は、戦隊長が伝達する軍命令の転進先がクルクル変るので、64年経っても冥土へ出発することすら出来ず、未だに渡嘉志久の浜に留まっているのでしょうか。 1、1945辻版『陣中日誌』では 「転進命令 軍並ニ軍船舶隊ヨリ部隊(戦隊ノミ)那覇ニ転進命令ヲ受領ス」 2、1945日録の大本営作戦部『戦況手簿』では、 「一、慶良間列島附近ノ敵ニ対シ海上挺進部隊ヲシテ之ニ打撃ヲ与フルト共ニ那覇ニ転進スル如ク部署ス」 3、1946.1赤松嘉次提出『戦史資料』では、 命令の要旨 「状況有利ならざる時は戦隊を率い本夜中に本...
  • Ⅱ 調査資料の概要と性格
    防衛庁防衛研究所蔵《衛生・医事関係資料》の調査概要 Ⅱ 調査資料の概要と性格 Ⅱ 調査資料の概要と性格1 「金原節三業務日誌(未作成)」 2 「陸軍省業務日誌摘録(未作成)」 3 「金原資料(未作成)」 4 大塚文郎「備忘録」(未作成)(複製)13冊 5 「麻生資料(未作成)」について 調査対象資料は次の4種である。 1 「金原節三業務日誌(未作成)」 (以下「金原日誌原本」とする)15冊  この「金原日誌原本」は、戦後、金原氏が学校長を務めた陸上自衛隊衛生学校(東京都世田谷区三宿)に所蔵されていたものであり、記述は昭和12年8月3日より、昭和18年9月11日までである(昭和15年7月25日より昭和16年6月21日までほぼ1カ年は欠落している)。96年に防衛研究所図書館に移され、現在、他の資料とともに整理中である。 2 「陸軍省業務日誌摘録(未作成...
  • 日本側の調査をもっと
    週刊金曜日 1997.12.5 南京大虐殺60周年特集 日本側の調査をもっと! 小野賢二 今年の八月、「南京大虐殺史国際学術シンポジウム」が南京で開催された。俺も一報告者として参加した。このシンポジウムの主報告で、南京侵華日軍南京大屠殺史研究会顧問の陳安吉先生は「南京大屠殺史」研究の歴史的経過を分析した後、今後の任務の一つとして「歴史に対して重い責任を負う態度で」基本的にはそれぞれの地域での取り組みを早急に行なうことを強調された。当然、日本人は加害者側からの調査、研究をと、理解した。 日本での南京大虐殺の解明は主に、南京大虐殺否定論者との論争として展開されてきた。そして、南京大虐殺否定論は完全に破産し、事実関係の解明は大幅に進んだ。が、「一部分でも『戦闘詳報』や『陣中日誌』が保存されているのは、歩兵大隊に限っていえば、南京戦参加五七大隊中の一六大隊と四中隊、約三割...
  • 《私記》私は自決を命令していない
    気が付いたら文末が欠落していましたので補修しました。ご迷惑をおかけしました。 雑誌「潮」1971年11月号 特別企画・沖縄は日本兵に何をされたか 《私記》私は自決を命令していない "極悪無残な鬼隊長だった。といわれているが、ことの真相を事実に基き明らかにしたい 赤松 嘉次 元海上挺進第三戦隊長・肥料店経営 《私記》私は自決を命令していない怒号のアラシの出迎え 出撃を中止した背景には 曲解された"軍命令" 住民の集結すら知らない 住民を惨殺したというが 投降までのいきさつ 投降時、村に三つの色分け なぜ現地調査をしないのか 【写真】渡嘉敷島へ転進まえの筆者(当時23歳) 怒号のアラシの出迎え 「何しにノコノコ出てきたんだ! 今ごろになって!」 「おまえは三百人以上の沖縄県民を殺したんだぞ! ...
  • 沖縄作戦 殉国日記(1)
    沖縄作戦 殉国日記(1) 沖縄作戦 殉国日記 index 沖縄作戦 殉国日記(1)図版01~05 図版06~10 図版11-15 図版16-20 お好きな場所からテキスト化してください! 沖縄作戦 殉国日記(2) 沖縄作戦 殉国日記(3) 図版01~05 図版01 クリックして拡大 図版02 図版03 図版04 クリックして拡大 序(赤松嘉次) 渡嘉敷戦斗の概要(赤松嘉次 昭和20年11月 沖縄収容所ニ於テ) 「渡嘉敷戦斗ノ概要」は、1970年編纂の「陣中日誌 海上挺進第三戦隊」所収の「渡嘉敷島戦闘の概要」の原本といえるが、後者はカタカナ書きではなくかな書きに改められ、表現にも細かい手が加えられている。後者には「中島一郎少尉」の名前はない。 赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て...
  • 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1)
    「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1) 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1)典拠 「戦闘詳報」に対する「戦闘要報」 凡例 内容(1)の第1葉 (1)の第2葉 (1)の第3葉 (1)の第4葉 (1)の第5葉 (1)の第6葉 (1)の第7葉 (1)の第8葉 (1)の第9葉 (1)の第10葉 (1)の第11葉 (1)の第12葉 (1)の第13葉 (1)の第14葉 (1)の第15葉 (1)の第16葉 (1)の第17葉 (1)の第18葉 (1)の第19葉 (1)の第20葉 (1)の第21葉 (1)の第22葉 (1)の第23葉 (1)の第24葉 (1)の第25葉 (1)の第26葉 乱丁・落丁の検討 御意見欄 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦...
  • 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3
    「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1) 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3典拠 「戦闘詳報」に対する「戦闘要報」 凡例 内容(2)の第26葉 (2)の第27葉 (2)の第28葉 (2)の第29葉 (2)の第30葉 (2)の第31葉 (2)の第32葉 (2)の第33葉 (2)の第34葉 (2)の第35葉 (2)の第36葉 (2)の第37葉 (2)の第38葉 (2)の第39葉 (2)の第40葉 (2)の第41葉 (2)の第42葉 (2)の第43葉 (2)の第44葉 (2)の第45葉 (2)の第46葉 (2)の第47葉 (2)の第48葉 (2)の第49葉 (2)の第50葉 乱丁・落丁の検討 御意見欄 海上挺進第三戦隊「第三中...
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