15年戦争資料 @wiki内検索 / 「沖縄作戦 殉国日記(2)」で検索した結果

検索 :
  • 沖縄作戦 殉国日記(2)
    沖縄作戦 殉国日記(2) 沖縄作戦 殉国日記 index解題 沖縄作戦 殉国日記(1) 沖縄作戦 殉国日記(2)図版21-25 図版26-30 図版31-35 図版36-40 お好きな場所からテキスト化してください! 沖縄作戦 殉国日記(3) 図版21-25 図版21 クリックして拡大 殉国日記 つづき s19年8月5日 図版22 殉国日記 つづき s19年8月7日  図版23 殉国日記 つづき s19年8月9日 図版24 殉国日記 つづき s19年8月30日 図版25 殉国日記 つづき s19年9月7日 図版26-30 図版26 殉国日記 つづき s19年9月9日 図版27 殉国日記 つづき s20年1月6日 図版28 殉国日記 つづき s20年1月15日消印の葉書が本人からの最終通信 図...
  • 沖縄作戦 殉国日記(1)
    沖縄作戦 殉国日記(1) 沖縄作戦 殉国日記 index 沖縄作戦 殉国日記(1)図版01~05 図版06~10 図版11-15 図版16-20 お好きな場所からテキスト化してください! 沖縄作戦 殉国日記(2) 沖縄作戦 殉国日記(3) 図版01~05 図版01 クリックして拡大 図版02 図版03 図版04 クリックして拡大 序(赤松嘉次) 渡嘉敷戦斗の概要(赤松嘉次 昭和20年11月 沖縄収容所ニ於テ) 「渡嘉敷戦斗ノ概要」は、1970年編纂の「陣中日誌 海上挺進第三戦隊」所収の「渡嘉敷島戦闘の概要」の原本といえるが、後者はカタカナ書きではなくかな書きに改められ、表現にも細かい手が加えられている。後者には「中島一郎少尉」の名前はない。 赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て...
  • 沖縄作戦 殉国日記(3)
    沖縄作戦 殉国日記(3) 沖縄作戦 殉国日記 index 沖縄作戦 殉国日記(1) 沖縄作戦 殉国日記(2) 沖縄作戦 殉国日記(3)図版41-45 図版46-50 図版51-56 図版41-45 図版41 殉国日記 つづき 赤松氏より弔問の手紙  図版42 殉国日記 つづき 中島一郎中尉移動略歴(皆本義博による)  図版43 殉国日記 つづき 中島一郎中尉移動略歴(皆本義博による)つづき 図版44 殉国日記 つづき 皆本中隊長直話によって判明した真相 重要!! 以下49迄の間、ページの綴じ方に乱丁アリ、要注意 皆本義博直話 昭和21年3月 図版45 殉国日記 つづき 皆本中隊長直話によって判明した真相 つづき  図版46-50 図版46 殉国日記 つづき 皆本中隊長直話によって判明した真相 つづき  ...
  • 沖縄作戦 殉国日記 index
    防衛研究所資料<沖台 沖縄> 沖縄作戦 殉国日記 index <沖台 沖縄234> 図版01 【資料データ】 沖縄戦関係資料閲覧室 整理番号: B03-5-331 収蔵文書名: 簿冊名: 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄234 (「沖縄作戦 殉国日記」が正しいが、誤登録の為「沖縄作戦 殉国日誌」でないとヒットしない) 画像閲覧 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305331 (アジ歴ではみつかりませんでした) 【殉国日記とは】 沖縄で「集団自決」が起こった島の一つ、渡嘉敷島に駐留していた海上挺進第三戦隊第三中隊所属の中島一郎少尉は、戦後もなお行方不明であった。千葉県の実家へ...
  • 赤松元部隊長から中島幸太郎氏への書信 1946年1月17日
    沖縄作戦 殉国日記(2) 赤松元部隊長から中島幸太郎氏への書信 1946年1月17日 書信受信の経緯は沖縄作戦 殉国日記(2)をお読みください。 当稿を引用する方へのお願い:書き起こし文には私の間違いが含まれていますので、其の点を充分にご承知の上引用してください。また引用する方は当ページのURLを、必ず引用文に添えてください。食物の安全を流通過程で保障するのと同じように、資料典拠のトレーサビリティーを確保するためです。原文を独自に解読し直された方はその限りにありません。 赤松元部隊長からの書信 謹みて 故陸軍中尉中島一郎殿戦死の状況を御報告致し併せて英霊に対し衷心より敬弔の意を表し奉り候 思へば一昨昭和十九年九月宇品に於て部隊編成されるや君は勇躍特攻隊員として之に参加、直ちに任地南西諸島は慶良間列島渡嘉敷島に上陸、若き船舶兵、特別幹部候補生の小隊長とし...
  • 赤松元部隊長戦場日記:『殉国日記』に転写された一節 1946.2.22
    沖縄作戦 殉国日記(2) 赤松元部隊長戦場日記 『殉国日記』に転写された一節 1946.2.22 中島幸太郎氏が赤松宅訪問(s21.2.22)の折に転記した「赤松部隊長戦場日記ノ一節」 (これは赤松嘉次が戦場で書いたものではなく、沖縄の収容所で辻政弘中尉「本部陣中日誌」を要約したものと思われます。) 当稿を引用する方へのお願い:書き起こし文には私の間違いが含まれていますので、其の点を充分にご承知の上引用してください。また引用する方は当ページのURLを、必ず引用文に添えてください。食物の安全を流通過程で保障するのと同じように、資料典拠のトレーサビリティーを確保するためです。原文を独自に解読し直された方はその限りにありません。 二○、三、二三、晴 敵機約述三○○機、慶良間列島ノ爆撃銃撃ヲナス 戦死者負傷者各十一名、兵器糧秣其ノ他焼損 二○、三、...
  • 皆本第三中隊長から中島幸太郎氏への書信 1946年2月17日
    沖縄作戦 殉国日記(2) 皆本第三中隊長から中島幸太郎氏への書信 1946年2月17日  「集団自決」事件で名を知られる赤松部隊すなわち海上挺進第三戦隊に所属する第三中隊中島一郎少尉は、昭和20年3月26日の夜、沖縄全体の海上挺進特攻の司令官である第十一船舶団長大町大佐とその一行を、沖縄本島司令部まで護送する特攻艇の操縦手として選抜され、他の一艇と共に米軍上陸前夜の慶良間列島渡嘉敷島を脱出した。  しかし島の周囲は夥しい米軍艦艇に取り巻かれている。脱出行の成功は期待できるものではなかった。一艇は出発直後に沈没しその乗務者は渡嘉敷等に泳ぎついた。大町大佐を乗せた中島艇は消息を絶ったままとなった。  戦後、中島一郎の父幸太郎は、本土に復員した赤松部隊関係者に手紙を送ったり面会を求めたりして、息子一郎の死のいきさつを知ろうと奔走した。その経過を一郎の二周忌にあたり幸太郎...
  • 「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究
    ...改竄の一端  資料沖縄作戦 殉国日記 index 作戦と戦闘経緯 沖縄戦資料index
  • 赤松嘉次 本人文書 & 反映文書一覧表(仮)
    ...47 3 赤松嘉次 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 渡嘉敷戦斗ノ概要 234 ガリ版印刷、正しい表題は「殉国日記」 * 05 1947 3 赤松嘉次 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 赤松部隊長戦場日記 234 ガリ版印刷、中島幸太郎氏による写本 * 06 1968 防衛研修所戦史室(伊藤常男) 沖縄方面陸軍作戦 軍船舶隊長の慶良間列島巡視と米軍の上陸/ 海上挺進第三戦隊の戦闘 戦史叢書11 当該章は1966頃聴取した赤松回想に基づく記述 07 1968 4.6 赤松嘉次 週刊新潮 「戦記に告発された赤松大尉」 渡嘉敷村の記録に反論する赤松インタビュー * 08 1968 4.8 赤松嘉次 琉球新報 “悪夢の惨事” 二つの真相? 赤松インタビュー * 09 1970 8.15 赤松嘉次 海上挺進第3戦隊陣中日誌(複製版)(昭和1...
  • 防衛研究所資料<沖台 沖縄>
    ... 第1篇 第32軍沖縄作戦記録<沖台 沖縄001>(改訂版)(昭和24年11月復員局編纂) 第32軍沖縄作戦記録(昭和21年8月第一復員局編)<沖台 沖縄008> 第32軍沖縄作戦に関する質疑に関する回答(昭和20年12月22日第一復員省編)<沖台 沖縄016> 海上挺進第3戦隊渡嘉敷島戦闘概要(昭和20.3~20.8)<沖台 沖縄021>(未作成) 赤松隊『陣中日誌』原本の写本(敗戦直後作成) 海上挺進第3戦隊[戦史資料](昭和21.1.9調製)<沖台 沖縄021>(未作成) 赤松嘉次の提出文書 海上挺進基地第4大隊[戦史資料]<沖台 沖縄021>(未作成) 第32軍司令部[史実調査参考資料報告]<沖台 沖縄025>(未作成) 第32軍沖縄戦当時に於ける部隊所在表<沖台 沖縄028>(未作成) 附・防衛召集概括一覧表<沖台 沖縄028> 海上挺進第3戦隊記録(付人名簿)(※)<沖...
  • 再び「殉国日記」について 2009,9,27
    ...御報告します。 ■沖縄作戦 殉国日記 index http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2223.html 早々と「気がついたことを纏め」た方がおられますが、その“飛ばし”記事の中に事実誤認や誤解を招くやしれぬ独断がありますので、以下に事実を指摘しておきます。 1) W氏 5頁赤松版「戦斗の概要」の一部だが24 00船舶団長が丸木船で阿嘉島から来島は時間を2時間以上遅くしている。  これでは「丸木舟」とし、後の「赤松部隊長戦場日記」では「船舶団長基地隊長以下十五名座間味島ヨリ橇船ニテ阿波連ニ上陸渡嘉敷島本部ニ来ル」となっている矛盾を指摘すべきでしょう。その元である辻版「陣中日誌」では「橇舟」です。 なお「22 00以前」が正確な時間だという論稿はどこにも見たことがありません。今のところこの...
  • 皆本義博直話 昭和21年3月
    沖縄作戦 殉国日記(3) 皆本義博直話 昭和21年3月 聞き書き:中島幸太郎  「集団自決」事件で名を知られる赤松部隊すなわち海上挺進第三戦隊に所属する第三中隊中島一郎少尉は、昭和20年3月26日の夜、沖縄全体の海上挺進特攻の司令官である第十一船舶団長大町大佐とその一行を、沖縄本島司令部まで護送する特攻艇の操縦手として選抜され、他の一艇と共に米軍上陸前夜の慶良間列島渡嘉敷島を脱出した。  しかし島の周囲は夥しい米軍艦艇に取り巻かれている。脱出行の成功は期待できるものではなかった。一艇は出発直後に沈没しその乗務者は渡嘉敷等に泳ぎついた。大町大佐を乗せた中島艇は消息を絶ったままとなった。  戦後、中島一郎の父幸太郎は、本土に復員した赤松部隊関係者に手紙を送ったり面会を求めたりして、息子一郎の死のいきさつを知ろうと奔走した。その経過を一郎の二周忌にあたり幸太郎が綴っ...
  • 赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て
    ... ガリ版刷り資料「沖縄作戦 殉国日記」に所収 http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2223.html http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2220.html 赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て解説 「序」 「渡嘉敷戦斗ノ概要」 分析御意見欄 解説 「渡嘉敷戦斗ノ概要」は、海上挺進第三戦隊長赤松嘉次大尉による戦闘報告であって、本人に拠れば沖縄本島石川の捕虜収容所で書いたものである。復員した赤松大尉が昭和21年1月、浦賀の引揚掩護局に提出した「戦闘報告」もこれであろう。 この最も古い赤松文書に渡嘉敷島住民の「集団自決」に関する記述は何も無い。降伏から3ヵ月後の時点で赤松が「集団自決」に言及しなかったのは何故だろうか? 彼や戦隊幹...
  • 戦隊長殿!いったい何処へ向えばイイのでありますか? 3月25日「転進命令」の怪
    戦隊長殿!ジブン達は一体、何処へ向えばイイのでありますか? 3月25日渡嘉敷島で受信したという「転進命令」の怪 赤松嘉次「戦隊長」が証言する「行き先」がクルクル変るので、防衛省公式戦史すら分裂症に陥ったまま放置されています。もちろん特幹生たちの霊は、戦隊長が伝達する軍命令の転進先がクルクル変るので、64年経っても冥土へ出発することすら出来ず、未だに渡嘉志久の浜に留まっているのでしょうか。 1、1945辻版『陣中日誌』では 「転進命令 軍並ニ軍船舶隊ヨリ部隊(戦隊ノミ)那覇ニ転進命令ヲ受領ス」 2、1945日録の大本営作戦部『戦況手簿』では、 「一、慶良間列島附近ノ敵ニ対シ海上挺進部隊ヲシテ之ニ打撃ヲ与フルト共ニ那覇ニ転進スル如ク部署ス」 3、1946.1赤松嘉次提出『戦史資料』では、 命令の要旨 「状況有利ならざる時は戦隊を率い本夜中に本...
  • 沖縄戦資料index
    ...第3大隊戦闘概要 沖縄作戦 殉国日記 index 赤松元戦隊長の認識と態度 赤松氏デビュー1968.4.6週刊新潮 赤松氏デビュー1968.4.8琉球新報 1970.3.27沖縄タイムス(未作成) 私たちを信じてほしい青い海1971年6月号 《私記》私は自決を命令していない潮1971年11月号 渡嘉敷島隊長は「自決命令」を不本意でも認めたことはない 1970年3月赤松來沖時の報道(未作成) 安里証言 安里喜順氏の証言 海上挺進第2戦隊関係 海上挺進基地第2大隊第3中隊陣中日誌 照屋「証言」 「軍命令」は創作だった・元琉球政府職員が勇気ある告白証言藤岡信勝 「軍命令は創作」初証言・元琉球政府の照屋昇雄さん<産経新聞>平成18年8月27日 正論:軍命令を否定する証言元琉球政府の照屋昇雄さん産経新聞2006.8.27 真相を墓場まで持ち込んだ二人 世界日報ネッ...
  • 我部政男山梨学院大学教授(つづき)
    ...」(24)と述べて、沖縄作戦史観と異なる見解が示されている(「沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料」陸上自衛隊幹部学校編)。しかし軍官民一体化史観を放棄したわけではない。 戦時の迷彩色一つに塗りつぶされた世相には、本音を押し殺したようにどれも同じ「建て前論」だけが横行した。その傾向は、社会全体に確実に加速された。しかし、現実の状況をそのままリアルに観ている人いた。以下に紹介するのは、志気昂揚の戦争協力だけを謳歌しているだけではない。その逆の場合もありえたのである(25)。 細川護貞著『情報天皇に達せず』の1944年12月の箇所に同様な意味の記述が見られる。 「昨十五日高村氏を内務省に訪問、沖縄視察の話を聞く。沖縄は全島午前七時より四時まで連続空襲せられ、如何なる僻村も皆爆撃機銃掃射を受けたり。而して人口六十万、軍隊十五万程ありて、初めは軍に対し皆好意...
  • 書証一覧
    ... 乙36  「沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料」「住民処理の状況」 馬淵新治 昭和32年 乙37  「沖縄戦講話録」 自衛隊幹部学校 昭和36年1月 乙38  「援護のあゆみ」 琉球政府社会局作成 乙39-5  「戦斗参加者概況表」 琉球政府 昭和32年5月 乙40-2  宮村幸延の「功績調書」 乙41~60 番号 証拠名 by whom 成立 乙41  宮村文子陳述書 乙42  乙43-1  録音反訳書 乙43-2  神戸新聞中井和久記者の供述 乙44  沖縄戦の真実と歪曲 大城将保 ...
  • 被告準備書面(5)要旨2006年9月1日
    ... が定められ、沖縄作戦は本土確保のための前哨戦として性格づけられた。 これに先立って、沖縄を含む南西諸島には、1944年(昭和19年)3月に、大本営直轄の第32軍(通称、球部隊)が新設されたが、同年末に同軍最強の第9師団がフィリピン決戦のため抽出・転用され、兵力不足となり、沖縄守備軍に多数の沖縄住民が召集・徴用された。 日本軍にとって、沖縄戦は、できるだけ長期間米軍に抗戦し、米軍の損害を増大させ、それによって米軍の本土上陸の時期を延ばし戦力を消耗させるという「出血持久作戦」であり、沖縄を国体護持のための「捨石」とするものであった。(以上、乙30・琉球政府編集発行「沖縄県史8 沖縄戦通史」43頁以下など) (2)沖縄戦と県民の犠牲 沖縄戦での住民の戦没者は約15万人から16万人と推定され、 「日米両軍の戦闘員の戦死者数よりも、非戦闘員である一般住民...
  • 慶良間諸島・久米島・伊江島住民の沖縄戦記<沖台 沖縄235>
    防衛研究所資料<沖台 沖縄> 慶良間諸島・久米島・伊江島住民の沖縄戦記<沖台 沖縄235> 防衛庁 戦時資料  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-4-02 収蔵文書名: 簿冊名: 慶良間諸島・久米島・伊江島住民の沖縄戦記 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄235 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0304002 全72葉で内容は 1、慶良間列島 座間味村及び渡嘉敷村戦況報告書  (1)座間味戦記  (2)渡嘉敷島における戦争の様相 2、元逓信員沖縄戦記 久米島郵便局支部 3、伊江島の戦記(一部分) なお、1の「慶良間列島 座間味村及び渡嘉敷村戦況報告書」は琉球大学の図書館に保存されている「ガリ版刷り」が原本です。その(2)の「渡嘉敷島における戦争の様相」につ...
  • 被告準備書面(7)要旨2007年1月19日その1
    ...自衛隊幹部学校発行「沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料」昭和35年5月・所収)を執筆し、さらに昭和35年11月には沖縄戦史図上研究会において「沖縄事情の一斑と沖縄戦における島民の行動について」と題する講話をし、その内容は陸上自衛隊幹部学校昭和36年1月発行の『沖縄戦講話録』に収録されている(乙37)。 馬淵氏は、「住民処理の状況」(乙36)において、沖縄において日本軍人が、住民に無用の圧迫・暴行を加え、威嚇強制のうえ住民を壕から立ち退かせ、非常用食糧を強奪し、母親に強制して赤児を殺害させ、無実の住民をスパイ視して処刑するなどの蛮行を働き、住民に悪感情を持たれていたことなどを指摘している(乙36・17~26頁)ほか、戦闘協力者(戦闘参加者)として住民を遺族援護法の適用対象とすることについて、 「今年(引用者注;昭和32年)は沖縄戦の13周年忌を迎えることになっ...
  • 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)3/3
    「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)3/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1) 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)3/3典拠 「戦闘詳報」に対する「戦闘要報」 凡例 内容(2)の第51葉 (2)の第52葉 (2)の第53葉 (2)の第54葉 (2)の第55葉 (2)の第56葉 (2)の第57葉 (2)の第58葉 (2)の第59葉 (2)の第60葉 (2)の第61葉 (2)の第62葉 (2)の第63葉 (2)の第64葉 乱丁・落丁の検討 御意見欄 典拠 防衛庁 陣中日誌  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-1-108 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3中隊 陣中日誌控(昭和20.5~...
  • 【沖縄集団自決訴訟・原告側会見詳報】(2)「控訴審でも闘うから」 -MSN産経
    http //sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080328/trl0803281345021-n1.htm 【沖縄集団自決訴訟・原告側会見詳報】(2)「控訴審でも闘うから」 2008.3.28 13 45  判決に対する原告の反応について報道陣の質問が続く。 --元隊長2人の関与に触れた表現について、原告の感想は  弁護団「個別表現については聞いていない」 --控訴は本日中か  弁護団「実際の手続きがあるので週明けを予定している。全く予想していなかった判決だった」  --原告の言葉で印象的なものは  弁護団「2人とも『本当ですか』と話していた。亡くなった元隊長の弟の赤松さんは『兄が自決命令を発していないということは、裁判所も分かってくれたんですよね』ということを言っていた。『でもどうして敗訴なん...
  • 我部政男山梨学院大学教授
    ...等で表明している、「沖縄作戦」と称する見解であろう。すべての日本人、研究者が、同様に沖縄作戦史観の立場をとっているというわけではないが、おそらく、日本国家の見方もほぼそれに近いのではなかろうかと思われる。因みに、その一つをここに引いておく。 「沖縄作戦は、大東亜戦争の末期、沖縄本島を中心に日米両軍が文字どおり死闘を繰り返した、最後はあの国土防衛作戦である。日本軍は、米軍が沖縄諸島に進攻基地を推進しようと来攻する戦機をとらえ、その戦力を撃破して戦意を挫き、もって戦争目的の達成をはかろうとした。一方、米軍にとって本作戦は、沖縄本島に日本本土進攻の拠点を設け、その直後に予定する本土攻略戦の試金石ともなるものであって、日米両軍にとり重大な意義を有する作戦であった。圧倒的な物量を誇る米軍に対し、日本軍は、沖縄県民と真に一体となり、死力を尽くして長期持久作戦を遂行した。遂に敗れたとはいえ...
  • 沖縄戦と民衆(目次)
    トップページ | 沖縄戦資料index 沖縄戦と民衆(目次) 沖縄戦と民衆 林 博史 (著) http //www.amazon.co.jp/gp/product/product-description/4272520679/ref=dp_proddesc_0?ie=UTF8 n=465392 s=books 内容は公開していません。 はじめに    いまあらためて沖縄戦をとりあげる意味 I 沖縄戦への道 1 第三二軍の編成と飛行場建設      軍隊の配備されていなかった沖縄      戦時体制下の沖縄      沖縄にやってきた日本軍――第三二軍の創設      第三二軍創設までの飛行場建設      本格的な飛行場建設の開始      戦闘部隊の沖縄配備と住民との関係 2 戦争準備下の日本軍      ...
  • 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その4
    原告準備書面(2)全文2006年3月24日その4 ソース:http //www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/page022.html 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その1 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その2 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その3 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その4 原告準備書面(2)全文2006年3月24日その47 『陣中日誌』 8 衛生兵の派遣と恩賜の時計(1)赤松部隊からは渡嘉敷村の村民が自決に失敗した後で、 (2)渡嘉敷村資料館には赤松隊長の 9 赤松命令説をつくったもの(1)渡嘉敷島の「赤松大尉による自決命令」という神話を (2)一方に、戦後になって島に帰ってみると、 (3)元村長と立場は異なるが、やはり生き残りの一人として、 (3)古波蔵惟好元村長や金城重明のことを、...
  • V-06 スパイ話をつくったもの
    【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 V. 伊波証言の要約と考察 V-06 スパイ話をつくったもの  戦闘開始の7~9ヶ月ほど前に沖縄にやってきた32軍は、最初から県民のなかにスパイがいるという前提で、部隊の将兵および沖縄県民にスパイ監視を奨励してきました。「怪しい」という疑念と風評が増幅して、スパイを "つくっていった" と考えられます。 スパイ・デマ、発信元は軍当局だった (1)  私たちが洞窟へ降りるところへ、先ほどの部隊長が現れた。県庁側も軍に協力してくれというのである。なにごとかと聞くと、彼は罫紙に、赤鉛筆で書いた書面を見せた。それには次のような意味のことが書かれていた。 ......この付近にスパイが潜入している。沖縄出身の妙齢の婦人で、人数は4、50名と推定される。彼らは赤いハンカチと小型の手鏡をもっていて、陰毛をそ...
  • 宮平秀幸証言とは
    宮平秀幸証言とは   第1審判決の2ヶ月前に飛び出した『新証人』宮平秀幸氏。すでに裁判は1ヶ月前に結審していた。法廷の外からの世論圧力であろうか。山崎行太郎氏は保守派言論人の一人として、こうした姑息なやり方に憤りを感じ、情報提供者の協力を得て、宮平秀幸証言を徹底的に洗った。宮平秀幸氏は決して『新証人』なんかではなかった。 宮平秀幸証言とは「山崎行太郎の毒蛇山荘日記」掲載順 過去の宮平証言 ?マークは未着です 2008年になってからの宮平「新」証言 「山崎行太郎の毒蛇山荘日記」掲載順 ■アエラ記者よ、もっと沖縄史を勉強せよ。 http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080301/ ■世界日報記者よ、もつと沖縄史を勉強せよ。 http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080302/ ■アエラよ、お前...
  • 被告最終準備書面・要旨
    ...保を作戦の主眼とし、沖縄作戦は本土確保のための前哨戦として位置づけられました。   沖縄戦は、3ヶ月間にわたって続き、兵士や住民に極めて多数の死傷者を出しましたが、日本軍にとって、沖縄戦は、できるだけ長期間、米軍に抗戦し、米軍の損害を増大させ、本土上陸の時期を延ばして戦力を消耗させる作戦であり、沖縄を国体護持のための「捨石」とするものでした。 2 県民の犠牲(日本軍の「軍官民共生共死の一体化」方針・総動員態勢)   沖縄戦での住民の戦没者は、約15万人から16万人と推定され、日米両軍の戦闘員の戦死者数よりも、非戦闘員である一般住民の戦没者数が多いところに最大の特徴があったとされています。   第32軍司令部は、「報道宣伝防諜等に関する県民指導要綱」を定め、「軍官民共生共死の一体化」の方針を示していました。住民は、この方針により、総動員され、戦闘協力をさせられ...
  • 大阪地裁判決後の記者会見
    大阪地裁判決後の記者会見 【沖縄集団自決訴訟・大江氏側会見詳報】(1)「軍命令を明確に認定」-MSN産経 【沖縄集団自決訴訟・大江氏側会見詳報】(2)「裁判背景に大きな政治的動き」-MSN産経 【沖縄集団自決訴訟・大江氏側会見詳報】(3)「中傷のために書いたのではない」-MSN産経 【沖縄集団自決訴訟・原告側会見詳報】(1)「ただちに控訴する」-MSN産経 【沖縄集団自決訴訟・原告側会見詳報】(2)「控訴審でも闘うから」 -MSN産経 朝日 軍関与を司法明言 元隊長、悔しい表情 沖縄ノート判決 読売 大江さん「主張読み取ってくれた」元少佐側は「控訴審ある」 東京 出版差し止め訴訟 集団自決『一つの結論』 大江さん『戦争拒む精神訴える』 沖縄タイムス 「新証言 聞いてくれた」/大江さん冷静に評価 沖縄タイムス 検定撤回 決意新た/体験者ら「歴史正す一歩」
  • 被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その2
    被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その2 ソース:http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/syomen3.html 被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その1 被告準備書面(3)要旨2006年6月2日その2 第2 同書面第2(渡嘉敷島における集団自決の神話と実相)について1 同1(渡嘉敷島の集団自決の神話)について 2 同2(渡嘉敷島における集団自決の経過の概要)について(1)渡嘉敷島における集団自決の経緯ア 原告らは、安里喜順元巡査の手記(甲B16)や イ 前記のとおり、沖縄においては、「皇民化教育」が強力に推し進められ、 (2)原告ら主張の「渡嘉敷島における集団自決の経過の概要」についてア 原告らが、「渡嘉敷島における集団自決の経過の概要」と主張するところのものは、 イ また、原告らが星氏の「集団自決を追って」とともに挙...
  • 沖縄集団自決訴訟第1審
    今日の訪問者 - 沖縄集団自決訴訟第1審 平成17年(ワ)第7696号 出版停止等請求事件   平成20年3月28日判決言渡  口頭弁論終結日 平成19年12月21日 原 告  梅澤  裕 外1名 被 告  大江健三郎 外1名 Index 沖縄集団自決訴訟第1審第一審判決 大江氏論考 裁判経過 関連 第一審判決 読める判決「集団自決」新着! 新着!★集団自決訴訟 元守備隊長らの請求を棄却 新着!★3・28大阪地裁判決内容 新着!★大阪地裁判決後の記者会見 新着!★大阪地裁判決に対する各紙論評など 大江氏論考 人間をおとしめるとはどういうことか 裁判経過 原告側訴状2005年8月5日 原告弁護団意見陳述書2005年10月28日 第1回口頭弁論 原告梅澤裕意見陳述書2005年10月28日 第1回口頭弁論 原...
  • 【沖縄集団自決訴訟・大江氏側会見詳報】(2)「裁判背景に大きな政治的動き」-MSN産経
    http //sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080328/trl0803281243013-n1.htm 【沖縄集団自決訴訟・大江氏側会見詳報】(2)「裁判背景に大きな政治的動き」  記者会見での大江氏の発言が続く。  大江氏「今回、私は2つのことを問題としたい。一つは、私どもは裁判が始まってから、集団自決という言葉を使ったが、沖縄の人が常にいっていたのは『自決ではない』ということ。自決とは例えば、軍人がある責任をとって自ら死ぬこと。沖縄の人が追いつめられて自殺したのは、集団自決とはあたらない。今後使われないことが望ましいと思う。  もう一つは、裁判の背景に、政治的な大きな動きがあったこと。具体的には、2003(平成15)年に有事法制ができあがった。有事法制について、ある新聞記者は戦争をするマニュアルだといったが、正しいと思う。戦争...
  • 沖縄タイムス:史実をぼかす政治決着
    http //www.okinawatimes.co.jp/edi/20071227.html 社説(2007年12月27日朝刊) [教科書検定審報告(上)] 史実をぼかす政治決着 史実をぼかす政治決着「強制」認めず「関与」へ 沖縄戦の特徴とは何か 検定制度改革が必要だ 「強制」認めず「関与」へ  高校日本史教科書の検定問題で教科用図書検定調査審議会は、教科書会社六社から訂正申請のあった沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する記述について、渡海紀三朗文科相に審議結果を報告した。  そこで県内のすべての高校生に質問したい。  以下の三つの文章は(1)が原文である。その後、文部科学省や審議会の意思が働いて(2)に書き改められ、多くの県民の強い抗議を受けて教科書会社が訂正申請をした結果、(3)の記述に変わった。さて、この三つの文章は、どこがどのように変わっ...
  • 赤松隊「陣中日誌」記述の変遷
    赤松隊「陣中日誌」記述の変遷 比較対照資料 A:1945年辻政弘中尉が戦闘陣中で記した「本部陣中日誌」原本 B:1946年1月 復員前に赤松嘉次大尉が記した「戦史資料」 C:1968年 防衛庁戦史室が赤松ら元将校の聴取に基づいて纏めた「戦史叢書:沖縄方面陸軍作戦(未作成)」における記述 D 1970年 谷本小次郎元特幹兵が赤松隊友会の声を集めて編集した「陣中日誌 海上挺進第三戦隊」 E:1973発行 曽野綾子「ある神話の背景」(未作成)の記述から(ただしここではWAC版 2006による) 批判対照資料 P:渡嘉敷村遺族会編 『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』 比較着眼点 (1)転進命令、泛水命令、自沈命令と大町大佐の関わり (2)渡嘉敷島住民への避難命令に関する記述 (3)米軍上陸に関する現認記述 (4)「集団自決」した住民についての現認記述
  • 注 (典拠)
    ... 92 「沖縄作戦回想録」 第三十二軍参謀 神直道中佐の戦後の記述   93 海軍航空本部 角岡求士中佐戦後の回想   94 捷二号作戦に関する第二復員局資料   95 大本営陸軍部第一部(作戦)長 宮崎周一中将の回想(戦後―以下同じ)   96 大本営陸軍部第二課(作戦)長 服部卓四郎大佐の回想   97 大本営陸軍部第二課(作戦)長 天野正一少将の回想   98 大本営陸軍部第二課部員 杉田一次大佐の回想   . 99-142 p630 99 大本営陸軍部第二課部員 細田煕中佐の回想   100 大本営陸軍部第二課...
  • 沖縄集団自決訴訟第2審
    訪問者(昨日 - 今日 - ) 沖縄集団自決訴訟第2審 平成20年(ネ)第1226号 出版差止等請求控訴事件 大阪高裁第4民事部ハ係 裁判長 小田耕治  控訴人 梅澤 裕 外1名 被控訴人 大江健三郎 外1名 判決の要旨(全文) 読める控訴審判決「集団自決」 2校Up完了。12/5 ニュース:控訴棄却 第2審判決をめぐって ★映画「それは島─集団自決の一つの考察」見てきました ★【資料】曽野綾子における大江健三郎批判は、「ある神話の背景」の出版動機ではあっても執筆動機ではなかった ★「新しい歴史教科書をつくる会」会長の訴えを棄却 藤岡信勝氏同日2敗訴 ★izaリンク  ★計画されていた『玉砕』=「軍官民共生共死」のための壕堀り 島尾敏雄『那覇に感ず』より ★大江・岩波裁判の一審判決報告 外間明美 沖縄「集団自決」の大阪高等裁判所...
  • 琉球新報:教科書検定審、透明化は限定的 部会非公開で事後公表
    http //ryukyushimpo.jp/news/storyid-139349-storytopic-7.html 教科書検定審、透明化は限定的 部会非公開で事後公表 2008年12月25日  【東京】沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)をめぐる教科書検定問題を受け、検定手続きなどを見直してきた教科用図書検定調査審議会(検定審)は25日午前、港区の虎ノ門パストラルホテルで総括部会を開いた。教科別各部会の議事概要や教科書調査官が作成する調査意見書などの資料を検定終了後に公開することなどの「改善策」を盛り込んだ報告書を決定し、同席した塩谷立文部科学相に提出した。  報告書は教科書執筆者らに対し、これまで以上に厳しく情報管理を強化し、会議も非公開とするなど、透明化は限定的なものにとどまった。  教科書出版社の申請本を調査し、検定審に諮問する教科書調査官の役割に、...
  • 速報『藤岡意見書の訂正』
    今日の訪問者 - 速報『藤岡意見書の訂正』 まずは、速報元である目取真俊さんのブログを読んでください。 海鳴りの島から 2008年10月21日 07時45分12秒 / 基地問題 「10・21」 http //blog.goo.ne.jp/awamori777 そこに記されている 「沖縄戦集団自決問題に関する意見書2の訂正」はPDFをあけてみると、なんと『10月15日』の日付です。控訴審結審後36日もたった訂正文が、果たして裁判所から受け付けられるのでしょうか? 速報『藤岡意見書の訂正』訂正文 訂正1 訂正2 被控訴人からの反証 無視? 訂正文 意見書(2)の一部訂正について 平成20年10月15日 藤岡 信勝 8月28日付けで提出した私の意見書(2)の3ページ20~21行目、「6月23日」を「4月18日」に、4ページ2行目、「田中...
  • 原告準備書面(7)全文2007年03月30日その2
    ...第1の2において、「沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料」(乙36)、「沖縄作戦講話録」(乙37)及び「戦斗参加者調査資料」(乙39の1~5)に記載されている内容を根拠に、 「日本政府は当初から集団自決を日本軍の部隊長の命令によるものと認定し、自決した住民を戦闘協力者(戦闘参加者)として援護法の対象としようとしていた。戦闘協力者(戦闘参加者)に該当しないとしていた扱いを陳情により変更したわけではない」 などと主張している。 しかしながら、以下に述べるところから明らかなように、上記主張は一連の事実経過を総合的に踏まえたものではなく、自らに都合の良い事実だけを断片的に拾い上げ、それに基づく粗雑な推論によって事実を歪曲するものである。 2 援護法適用の拡大の経緯 まず、戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下「援護法」という。)が沖縄に適用されるに至った...
  • 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3
    「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1) 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3典拠 「戦闘詳報」に対する「戦闘要報」 凡例 内容(2)の第26葉 (2)の第27葉 (2)の第28葉 (2)の第29葉 (2)の第30葉 (2)の第31葉 (2)の第32葉 (2)の第33葉 (2)の第34葉 (2)の第35葉 (2)の第36葉 (2)の第37葉 (2)の第38葉 (2)の第39葉 (2)の第40葉 (2)の第41葉 (2)の第42葉 (2)の第43葉 (2)の第44葉 (2)の第45葉 (2)の第46葉 (2)の第47葉 (2)の第48葉 (2)の第49葉 (2)の第50葉 乱丁・落丁の検討 御意見欄 海上挺進第三戦隊「第三中...
  • 原剛防衛研究所戦史部客員研究員
    ...)スパイ視問題 沖縄作戦に際し、第32軍は防諜対策を強化し、沖縄人のなかにスパイがいるのではないかと疑いの念をもって各部隊に注意を喚起していた。言葉のちがい・移民帰りの多いことなどが重なり、将兵の沖縄人に対する猜疑心が高まり、スパイ容疑で殺害する事件が処々で発生したのは誠に遺憾なことである。 多くの刊行本では、沖縄人をスパイ視したのは、差別視の結果であり、スパイの噂はあったが、そのような事実はなかったと記されている。しかし実際には、『北海タイムス』記事(昭和39年4月6日、12日、6月26日、7月6日、7日、12日、11月19日の「七師団戦記 あゝ沖縄」)にあるように、スパイは存在していた。沖縄出身のハワイ二世およびサイパン島に出稼ぎ中の者の一部が、米軍の諜報要員として訓練を受け、沖縄上陸作戦に先立ち潜水艦などにより隠密上陸し、あるいは偵察機から落下傘降下して、諜報活動を...
  • 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3
    「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1) 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3典拠 「戦闘詳報」に対する「戦闘要報」 凡例 内容(2)の第1葉 (2)の第2葉 (2)の第3葉 (2)の第4葉 (2)の第5葉 (2)の第6葉 (2)の第7葉 (2)の第8葉 (2)の第9葉 (2)の第10葉 (2)の第11葉 (2)の第12葉 (2)の第13葉 (2)の第14葉 (2)の第15葉 (2)の第16葉 (2)の第17葉 (2)の第18葉 (2)の第19葉 (2)の第20葉 (2)の第21葉 (2)の第22葉 (2)の第23葉 (2)の第24葉 (2)の第25葉 乱丁・落丁の検討 御意見欄 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2...
  • 第5 沖縄タイムス等の「欺瞞と瞞着」
    第5 沖縄タイムス等の「欺瞞と瞞着」 (※<藤色>部分は、曽野綾子の論拠借用と著書引用) 第5 沖縄タイムス等の「欺瞞と瞞着」1 はじめに 2 『鉄の暴風』の出版経過と内容の杜撰さ(1) 曽野綾子の指摘 (2)『鉄の暴風』の内容の杜撰さ (3)結 論 3 神戸新聞報道に対する沖縄タイムス社の対応の矛盾(1)昭和61年6月6日付神戸新聞(甲B10) 4 原告梅澤との交渉における沖縄タイムス社の不誠実(1)交渉の経緯 (2)「座間味村公式見解」なるもの(乙21の1及び2) 5 林博史報告記事の恣意性(1)『慶良間列島作戦報告書』なるもの(乙35の1) (2)「座間味島」に関する記載(乙35の2) (3) 林の矛盾 6 援護法適用に関する記事の欺瞞(乙47の1) 7 沖縄タイムスに掲載されたその他の杜撰な記事(1)平成19年6月8日付沖縄タイムス(甲B78) (2)平成19年6月14日...
  • 民主党政権下の日米同盟と防衛政策
    2010.11.27.九条の会事務局主催学習会「新安保防衛懇報告と憲法9条」 レジュメ 民主党政権下の日米同盟と防衛政策~ 新安保防衛懇報告を素材にして ~ 渡辺 治 はじめに 民主党政権で止まっていたりジグザグ繰り返した日米同盟強化、菅政権下での再稼働 新安保防衛報告、防衛計画の大綱見直しに関する提言での防衛政策の始動 普天間問題、尖閣列島問題、北朝鮮の武力挑発政策 一体、民主党政権下で、軍事大国化、改憲問題はどう展開するのか 報告(講演)の視点 1)この10年の自民党政権下の日米同盟と防衛政策 2)民主党の安保、外交政策の変化と現在 3)2つの流れの合流として新安保防衛懇と民主党の防衛政策を検討する 4)防衛政策とリンクする改憲政策 【目次】 民主党政権下の日米同盟と防衛政策~ 新安保防衛懇報告を素材にして ~はじめに 1 自民党政...
  • 第3 座間味島における隊長命令の不在(5)
    第3 座間味島における隊長命令の不在(5) (※<藤色>部分は、曽野綾子の論拠借用と著書引用) 第3 座間味島における隊長命令の不在(5)6 座間味島住民の証言について(1)はじめに (2)『沖縄県史第10巻』(乙9) (3)『沖縄県史第10巻』(乙9) (4)『生き残った沖縄県民100人の証言』(甲B21) (5)『潮だまりの魚たち』(甲B59) (6)まとめ 7 梅澤部隊の行為の総体(1)住民証言にみる梅澤部隊の行為 (2)住民に手榴弾を渡したり万一の場面の自決を示唆したりした兵士の言動 (3)小括 8 まとめ 6 座間味島住民の証言について (1)はじめに  新証拠として被告から提出された住民の証言に比して、これまで『沖縄県史第10巻』(乙9)、『座間味村史』下巻(乙10)、「潮」の『生き残った沖縄県民100人の証言』(甲B21)、『潮だまりの魚たち』(甲B59)...
  • (2)編集のことば 谷本小次郎
    index 目次 (2)編集のことば 谷本小次郎  二十五年の歳月が巡りて八月十五日終戦記念日を迎え、三百万歴戦の戦没勇士を偲び、誤り伝えられる我が海上挺進第三戦隊の戦闘詳報を、編集記録し、熱烈なる祖国愛に身を挺し、慶良間海に水漬き、渡嘉敷島に草むし悠久の大義に殉じたる戦友の御冥福を祈り、御遺族の方々に幸多かれと祈念致します。そして我が父、兄弟、かく戦えりと後世に伝え何時迄も平和な国日本の道標の一端にもなれば幸いと存じます。私、本部付として戦闘詳報、命令会報を記録し甚だ以て僅かの戦闘のみしか参加せず誠に汗顔の至りでは御座居ますが、幸いに基地勤務隊辻政弘中尉殿が克明に書き綴られた本部陣中日誌と第三中隊陣中日誌(中隊指揮班記録による四月十五日より七月二十四日迄の記録、第三中隊長所有)を資に取り纏め聊の追記誇張・削除をも行わず、正確な史実を世代に残し歴史は再び巡りて精強第三戦隊たりと誇れ...
  • VI. 参考資料一覧
    ...両軍の戦略において、沖縄作戦は何だったのか?地獄の戦場に投げだされた子どもらは何を見、何を体験したか? 沖縄戦開始まもない戦艦「大和」の出撃は何を意味したのか?学徒隊の10倍余の死者を出した防衛隊が、なぜ書かれないのか? 53 『私の沖縄戦記 前田高地・60年目の証言』外間守善、角川書店2006、角川文庫2012  沖縄学の第一人者・外間守善が次世代にむけて初めて語り明かす沖縄戦体験記 80歳をこえた外間守善が、次代をになう若い人たちを念頭において戦争の悲惨さ、愚かしさ、その中にもあった真の勇気について、はじめて書き下ろす自伝的“証言” 54 『沖縄決戦 高級参謀の手記』八原博通、中公文庫プレミアム、2015復刊 →(A 海鳴り資料1) 太平洋戦争時、日本で唯一地上戦が展開された沖縄戦の全貌。四十三年ぶりに復刊した本書は、十八万の米上陸部隊を迎え撃ち潰滅した第三...
  • 被告準備書面(7)要旨2007年1月19日その2
    被告準備書面(7)要旨2007年1月19日その2 http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/syomenn7.html 被告準備書面(7)要旨2007年1月19日その1 被告準備書面(7)要旨2007年1月19日その2 被告準備書面(7)要旨2007年1月19日その2第3 平成18年11月10日付原告準備書面(5)に対する反論1 同第1(『鉄の暴風』と座間味島の《梅澤命令神話》)について(1)原告らは、1945年(昭和20年)3月25日夜、 (2)すでに被告準備書面(5)において詳述したとおり、 2 同第2(座間味島の《梅澤命令説》に関する被告主張に対する反論)について(1)同2(県史の実質的修正について)について (2)同3(宮村幸延の『証言』(甲B8)について)について (3)同4(宮城初枝証言について)について (4)同5(座間味...
  • 日米軍事演習で「尖閣奪還作戦」という報道の真偽について
    日米軍事演習で「尖閣奪還作戦」という報道の真偽について [CML 006024] 日米軍事演習で「尖閣奪還作戦」という報道の真偽について higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp 2010年 10月 17日 (日) 20 57 31 JST http //list.jca.apc.org/public/cml/2010-October/005915.html 以下、地元MLに流した標題に関する私見です。こちらにも問題意識を共有するため配信させていた だこうと思います。 産経新聞の2010年10月3日付の報道、すなわち来月11月のオバマ米大統領の来日直後に大分・日出生台演習場で作戦名「尖閣奪還作戦」と名づけられた同演習場を尖閣諸島に見立てた米海軍と海上自衛隊合同の日米軍事演習が実施されることが明らかになっ...
  • 被告準備書面(2)要旨2006年3月15日
    被告準備書面(2)要旨2006年3月15日 ソース:http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/syomen2.html 被告準備書面(2)要旨2006年3月15日第1 同書面第2(請求原因の追加)について1 同2aについて 2 同2bについて(1)原告は、「旧守備隊長」が赤松大尉であることが明らかである (2)なお、原告は、本件記述について、「赤松大尉をイスラエル法廷で 第2 同書面第3(表現の登場人物と特定人の「同定可能性」)について1 同2(昭和31年最高裁判決の射程)について(1)原告は、被告が引用する最高裁 (2)「名誉を毀損するとは、人の社会的評価を (3)東京地裁平成15年9月5日(乙14)は、 2 同3(「石に泳ぐ魚」事件判決)について 3 同4(表現の登場人物の特定性ないし「同定可能性」の判断基準について)について 4 同5(引用...
  • @wiki全体から「沖縄作戦 殉国日記(2)」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索

目安箱バナー