15年戦争資料 @wiki内検索 / 「第二節 「満州国」の現政府」で検索した結果

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  • 第二節 「満州国」の現政府
    第二節「満州国」の現政府  満州国は組織法及人権保障法に依りて統治せらる。政府組織法は、政府諸機関の根本的組織を規定したるものにして大同元年(1932年)3月9日付教令第一号に依りて公布せられたり。  執政は国家の元首にして総ての行政権は執政に属し執政は又立法院を統制するの権能あり。執政は重要国務に関し助言を与える参議府に依り補佐せらる。  政府組織法の特質は政府の権力を国務、立法司法及監察の四院に分かつ点にあり。  国務院の任務は執政統御の下に総理及各総長に依りて遂行せられ総理及此等総長は相合し国務院即ち内閣を組織するものとす。総理は各総長の事務を監督し強力なる総務長を通じて機密事項、人事、主計、需要の事務を直裁す。国務院に付属して諸種の事務局あり就中資政院及法制局は重要なり行政権は斯くの如く主として執政及総理の手に集中せられ居れり。  立法権は立法院...
  • リットン調査団報告書
    ... 第一節 記述 第二節 支那の他の部分との関係 第三節 対露関係 第三章 日支両国間の満州に関する諸問題 第一節 支那に於ける日本の利益 第二節 満州に於ける日支両国間の根本的利害関係の衝突 第三節 満州に於ける日支鉄道問題 第四節 1915年の日支条約及交換公文並びに関係問題 第五節 満州に於ける朝鮮人問題 第六節 萬寶山事件に於ける反支暴動 第七節 中村大尉事件 第四章 1931年9月18日当日及其後に於ける満州に於いて発生せる事件の概要 1931年9月18日当日及其後 その1 1931年9月18日当日及其後 その2 第五章 上海 第六章 「満州国」 第一節 「新国家」建設の階段 第二節 「満州国」の現政府 第三節 満州居住民の意見 第七章 日本の経済的利益及支那の「ボイコット」 第八章 満州に於ける経済上の利益 第九章 解決の原則...
  • 日中戦争の開始
    南京大虐殺の研究 晩聲社1992 もくじ 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 一、日中戦争の開始 二、上海戦と南京戦 三、南京進撃 四、大虐殺の序章 五、『南京戦史』批判 脚注 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 一、日中戦争の開始 南京戦と南京大虐殺は上海戦(第二次上海事変)と密接に関連している。上海戦の問題を抜きにして、南京戦・南京大虐殺を論ずることはできない。そして上海戦を考察するためには、まず日中戦争そのものがどのようにして起こされたかを明らかにする必要がある。 日中戦争は一九三七(昭和一ニ)年七月七日の蘆溝橋事件を発端として発生した。盧溝橋事件そのものは偶発的な衝突であって、満州事変の発端となった柳条湖事件のように意図的.計画的に仕組まれたものではない(1)。現地では七月一一日になって一応の停戦協定が結ばれた...
  • 第一節 「新国家」建設の階段
    第六章 「満州国」 第一節 「新国家」建設の階段  前章に於いて説述せる如く1931年9月18日事件の結果、奉天市の市行政及奉天省の省行政は完全に破壊せられ延いて其他の2省の省行政に至る迄程度は少きも影響を蒙りたる。奉天に対する攻撃余りに急速なりし為め全満州の政治的中心なるのみならず大連に次いで南満州の最も重要なる商業的中心たる同市は支那人民の間に恐慌を惹起するに至れり。著名の官公吏並びに教育界及商業界の主要人物の大多数は直ちに家族と共に逃亡せり。9月19日後の数日間に亘り十一万人以上の支那人住民は京奉鉄道に依り奉天を去りたるが逃亡し得ざるものは多く潜匿せり。  警官及監獄看守人に至る迄失踪せり。奉天市、奉天県及奉天省の行政は完全に崩壊し電燈、水等供給の公共事業会社、乗合自動車、市街電車並びに電話及電信業務は一切停止するに至れり。銀行及商会は閉鎖せり。至急を要するは市政府の組...
  • 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか… 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…その歴史的背景 天皇の勅語 南京占領 コメント欄 その歴史的背景   きっかけは"南京大虐殺事件5)"にあったがそれには説明がいる。   今の高校の社会科の授業では近現代史までいかない学校が多いから理解しにくいところがあるかも知れないが、明治中期より日本は大陸侵出をはじめ"日清戦争6)""日露戦争7)"を経て一九一〇年(明治〔以後Mと表記〕42)軍事力を背景に"日韓併合条約8)"で朝鮮半島を日本の領土とした。ついで一九一八年(大正〔以後Tと表記〕7)からの"シベリア出...
  • 1931年9月18日当日及其後 その2
    第四章 1931年9月18日当日及其後に於ける満州に於いて発生せる事件の概要(その2) (その1より続き)  10月初め、嘗て馬占山、萬福麟と同地位を保有し彼等に代わりて黒龍江主席たらんとせしことあるトウ南守備隊長張海鵬は明らかに強力により省政府を奪取するの目的を以てトウ南―昴々渓鉄道に沿い進出を開始せり。支那側参与員提出文書第三号には、進出が日本側の煽動によるものとなし居れるが中立の方面より得たる情報もこの見解を支持し居れり張海鵬軍の進出を防止せんがため馬占山は漱江橋梁の破壊を命じ両軍は広大且沼沢地たる同河流域を隔てて相対峙せり。  トウ昴線は南満州鉄道提供の資本により建設せられ右線路は借款の担保とされ居るを以て南満州鉄道当局は北満よりの農産物運搬の特に必要なる時に当り同線の運輸妨害を続くることは許す可からずと感じたり。在齊々哈爾日本総領事は政府の訓令により10月20...
  • 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨)
    http //mainichi.jp/select/seiji/news/20100201ddm010010012000c.html 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨)◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動◇日本側 ◇中国側 ◆第2部 第1章 満州事変から日中戦争まで◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第3章 日中戦争と太平洋戦争◇日本側 ◇中国側 ◇議論3年、計6部15章 ■日中歴史共同研究委員会のメンバー ◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 ◇日本側  第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)に際し駐日英国大使は中国近海のドイツ仮装巡洋艦を攻撃するため日本に支援を求めた。日本海軍は膠州湾を封鎖した。日本は中国に対して21カ条の要求を...
  • 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案
    ...の陥穽(落し穴) 第二節 明治政府の国家戦略 第三節 日清戦争の歴史的意義 第四節 日露戦争の世界史的意義 第五節 複雑な国際情勢の出現・・・・一九一〇から三〇年まで 第六節 更に深まる支那大陸の混迷状況 第七節 欧州大戦及びロシア革命の甚大な影響 第二章 満洲事変への道 第一節 対華二十一箇条要求問題 第二節 支那の「反日」攻勢と日本の忍耐 第三節 ワシントン会議の歴史的意義 第四節 ロシア共産革命の東アジアへの波及――最大の脅威の出現 第五節 複雑な国際情勢の出現・・・・一九一〇から三〇年まで 第六節 孫文の左傾化と第一次国共合作(一九二三年十一月から一九二五年三月) 第七節 ソ連の満蒙工作 第八節 蒋介石の反共クーデタ(一九二七=昭和二年四月二一日)と「北伐内戦」 第九節 幣原外交の空回り 第十節 田中外交の挫折 第三章 満...
  • 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・
    <2004年 1月> 兵は凶器なり15年戦争と新聞メディア 『兵は凶器なり』③   -15年戦争と新聞―― 1926-1935 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・ 前坂 俊之 (静岡県立大学国際関係学部教授) http //sweb.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/040121_heihakyoukinari3gennronndannatunorekishi.pdf 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・1・・・新聞紙法の悪法たる理由 2・・・普通選挙法と抱き合わせで、治安維持法を改悪 3・・・掲載差し止め事項の内容は3種類 4・・・多岐にわたった掲載禁止事項、16 項目で恣意的 5・・基準は抽象的でどうにでも拡大解釈可能 6・・クモの巣にからまれた言論の自由 7・・・風俗壊乱記...
  • 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない
    ...一九三五=昭和十年 第二節 華北分離工作への支那の抵抗――民族統一戦線結成工作の進展とその背景 第三節 西安事件――東アジア情勢の重大な曲がり角 第四節 盧溝橋事件の突発――日支激突の挑発者は誰か? 第五節 盧溝橋事件の総括――支那民族の特性が見事に現れているこの十年間及び三週間 第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年  満州事変の終結からニ年経った一九三五=昭和十年七月、モスクワで開催のコミンテルン第七回大会は、「反ファシズム統一戦線・人民戦線路線」を採択した(公安庁『国際共産主義の沿革と現状』、カワカミ五九―六〇頁)。それは、「ソ連が資本主義列国を単独で打倒すことは到底不可能である。目下の急務は、アジア正面の敵日本帝国、そしてヨーロッパ正面の敵ドイツ帝国を撃破することだが、この二国は強力でソ連の手に負えない。従って、日独を欺くためには宥和政策を以てし...
  • 第四節 1915年の日支条約及交換公文並びに関係問題
    4、1915年の日支条約及交換公文並びに関係問題  鉄道紛争を除き1931年9月に起これる重大なる日支問題所謂21ヶ条要求の結果たる1915年の日支条約及交換公文より勃発せるものなり。漢治萍鉱山(漢口付近)問題を除き1915年に締結せられたる他の協定は或る新たなるものに替えられ又は日本国に依り自発的に放棄せられたるものあるを以て此等論争は左記諸規定に関するものなりき。 関東州租借地の日本所属期限を99年(1997年)に延長すること。 南満州鉄道及安奉鉄道の日本所属期限を99年(夫々2002年及2007年)に延長すること。 「南満州」の内部に於いて即ち条約に依り或は外国人の居住及商業の為に開放せられたる地域外に土地を賃借するの権利を日本臣民に許与すること。 南満州の内部に於いて旅行し、居住し及営業をなすの権利並びに東部内蒙古に於いて日支合弁に依り農業の経営をなすの権利を日本臣民に許...
  • 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第1章 満州事変から盧溝橋事件まで 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1> 戸部良一: 防衛大学校教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>1.満洲事変1)柳条湖事件 2)中国の対応と国際連盟 3)事変解決の模索 4)上海事変と満洲国建国 5)満洲国の実態 6)熱河事件と国際連盟脱退 2.関係安定化の模索と挫折1)戦区接収と実務協定 2)広田・重光外交 3)日中提携の試み 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>2.関係安定化の模索と挫折4)梅津・何応欽協定 5)広田三原則 3.華北の紛糾1)幣制改革 ...
  • 第三章 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない
    ...九二八=昭和三年) 第二節 満洲事変・満洲建国は日本の侵略ではない 第一節 「満洲某重大事件」=張作霖爆殺事件(一九二八=昭和三年)  先に見たように、田中義一内閣は、東三省に満洲人自身の努力による安定政権が樹立されることを期待し、満洲(奉天)軍閥の頭領張作霖を支援しようとしていた。しかし、現地関東軍将校には、張作霖は信頼できない、満洲支配を委ねるのは危ないと判断する者が多かった。その様な時期に、蒋介石の「北伐」攻勢に押されて奉天に退却する途次の張作霖を爆殺する事件が一九二八=昭和三年六月四日起きた(満洲某重大事件)。  関東軍参謀河本大作大佐の策謀であった。河本らは、蒋介石が満洲を制圧するならば、日露戦争以来の日本の満洲権益に障害が生じることを恐れた。そこで、支那南北対立が生み出した事件に偽装して張作霖を葬り、東三省(満洲)を混乱させ、混乱鎮定に関東軍が出動して満...
  • 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(4)
    政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(4) 第4巻:http //www.awf.or.jp/pdf/0051_4.pdf 目次(第四巻) 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(4)一、国立公文書館・大英帝国戦争博物館 所蔵資料【内閣・内務省関係】4項目4点 【軍関係】10項目16点 二、厚生省関係公表資料 5項目5点 一、国立公文書館・大英帝国戦争博物館 所蔵資料 【内閣・内務省関係】4項目4点 一 渡支邦人暫定処理ニ関スル件[内務省讐保局長](昭16・8・16)(未作成) … 5 二 行政事務ノ整理簡捷化及中央官庁ノ権限ノ地方委譲等ニ関スル件[閣議決定](昭18・12・14)(未作成) … 27 三 第二次許可認可等行政事務簡捷化ニ関スル件[閣議決定](昭19・1・6)(未作成) … 33 四 朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正ノ件[閣議決定](昭19・...
  • 日本にとって植民地とは何であったか
    毎日新聞社「決定版昭和史 別巻1 日本植民地史」1985  p226 日本にとって植民地とは何であったか 初瀬龍平 日本にとって植民地とは何であったか植民地の獲得 植民地の経営 脱亜入欧の反省へ 植民地の獲得 戦前日本の領土には、「内地」と「外地」とがあった。内地とは、本土、沖縄、小笠原、千島のことであり、外地とは、台湾、朝鮮、南樺太、関東州、南洋諸島のことである。日本の植民地としては、日本領土であった上記の外地に加えて、領土ではなかったが、日本のカイライ国家であった満州国が挙げられる。 現在の私たちは、かつて日本の植民地がどこにあり、どのような統治をしていたか、を次第に忘れつつある。テレビで、中国残留孤児という四〇歳台の男女が肉親を探して来日するのをみて、涙する目本人は多い。しかし、そこから、かつての植民地政策を間い直そうというひとは少ない。 明治日...
  • 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第3章 日中戦争と太平洋戦争 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その2> 波多野澄雄:筑波大学大学院人文社会科学研究科教授(委員会委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その1> 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その2>第3 節 日本の降伏1)大東亜会議と連合国の戦後構想 2)和平工作 4)国民党支配の危機とヤルタ協定 5)日本の降伏 おわりに 第3 節 日本の降伏 1)大東亜会議と連合国の戦後構想 43 年11 月、日本のアジア占領地に樹立された「独立国」の代表(満州国、汪兆銘政府、ビルマ、フィリピン、タイのほか自由印度仮政府代表が陪席)が...
  • 第二章 満洲事変への道
    ...二十一箇条要求問題 第二節 支那の「反日」攻勢と日本の忍耐 第三節 ワシントン会議の歴史的意義 第四節 ロシア共産革命の東アジアへの波及――最大の脅威の出現 第五節 ソ連=コミンテルンの東アジア攻勢と米国の東アジア介入 第六節 孫文の左傾化と第一次国共合作(一九二三年十一月から一九二五年三月) 第七節 ソ連の満蒙工作 第八節 蒋介石の反共クーデタ(一九二七=昭和二年四月二一日)と「北伐内戦」 第九節 幣原外交の空回り 第十節 田中外交の挫折 第一節 対華二十一箇条要求問題  さて、欧州大戦の初期一九一五=大正四年一月十八日、日本政府(大隈重信内閣)は「対華二十一か条の要求」を民国政府(袁世凱)に提示した。戦後の歴史家らは日露戦勝以後、増上慢になった我国の政治・外交が強圧的要求を支那に突きつけて反日感情に火をつけ日支関係に取り返しのつかない汚点を残したと酷評する事件である。 ...
  • 第七節 中村大尉事件
    7、中村大尉事件  中村大尉事件日本側の見解に依れば満州に於ける日本の権益に対し支那側が全然之を無視せる幾多の事件が遂に其の極点に達せるものなり。中村大尉は1931年盛夏の候、満州の僻遠なる一地方において支那兵に殺害せられたり。  中村震太郎大尉は日本現役陸軍将校にして日本政府の認めたるが如く日本陸軍の命令による使命を有したり。哈爾賓通過の際、支那官憲は同大尉の護照を検査せるが同大尉は農業技師と自称せり。其の際、同大尉は其の旅行地域は匪賊横行地域なる旨警告せられ右事情は同大尉の護照に記載せられたり。同大尉は武器を携帯し且売薬を所持し居たるが支那側に拠れば売薬中には薬用に非る痺薬ありたり。  6月9日、中村大尉は3名の通訳者及助手を伴い東支鉄道西部の伊勤克特駅を出発せり。同大尉がトウ南の方向において奥地へ相当の距離にある一地点に到達せる際、一行は屯懇軍第三団長関玉の指揮す...
  • 日本政府の第二の罪
    週刊金曜日 1997.12.5 南京大虐殺60周年特集 日本政府の"第二の罪"未来の希望は国民の側に世界に「背信」した日本政府 侵略戦争を反省できない日本政府 日本政府の"第二の罪" 未来の希望は国民の側に 笠原十九司 世界に「背信」した日本政府 一九五一年九月、日本が戦後世界に独立国として再出発するために連合軍と調印した「日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)」の第一一条は、「日本国は、極東国際軍事裁判所ならびに日本国内および国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判(判決)を受諾」したことを明記している。極東国際軍事裁判(東京裁判と略称)では、国際人道法に反した南京大虐殺事件(南京事件と略称)が裁かれ、中支那方面軍司令官松井石根(まついいわね)大将がその責任を問われて死刑を宣告された。 東京裁判において、日中戦争に...
  • 第一章 「昭和の戦争」前史
    ...語の陥穽(落し穴) 第二節 明治政府の国家戦略 第三節 日清戦争の歴史的意義 第四節 日露戦争の世界史的意義 第五節 複雑な国際情勢の出現・・・・一九一〇から三〇年まで 第六節 更に深まる支那大陸の混迷状況 第七節 欧州大戦及びロシア革命の甚大な影響 第一節 「十五年戦争」という歴史用語の陥穽(落し穴)  周知のように、満洲事変から支那事変、大東亜戦争へと、「昭和の戦争」は日本の国策として首尾一貫したアジア・太平洋方面への侵略戦争だったとする知識が日本のみならず世界の常識になっている。第二次世界大戦は平和と民主主義を愛する正義の諸国=『連合国』と世界征服を目指す邪悪な全体主義『枢軸国』との激突であった、と『連合国』側はあの戦争の性格を概念規定した。  だが、これは連合国側、特に米国とソ連とが、歴史の事実を歪曲して独善的に自己に有利な物語に仕立て上げた、いわば偽装され...
  • 日韓歴史共同研究:第2期報告書(要旨)
    http //mainichi.jp/select/world/news/20100324ddm010040173000c.html 日韓歴史共同研究:第2期報告書(要旨)  2年半の議論を経てまとまった第2期日韓歴史共同研究報告書は、第1期の「古代史」「中世・近世史」「近現代史」3分科会に、新たに「教科書小グループ」を加えた計4部で構成する。両国の有識者がテーマごとに計48本の論文を執筆。近現代史などで激しい論争が繰り広げられたことが読み取れる。 日韓歴史共同研究:第2期報告書(要旨)■教科書◆日本側◇教科書編纂(へんさん)から見た歴史教育 日本の国定教科書と戦後検定教科書の場合 ◇戦後の日韓における教科書問題をめぐる教育政策・教育学の諸相 ◇日韓両国における歴史観と近代、そして近代的法秩序 ◇日韓相互Orientalismの克服 ◆韓国側◇韓国と日本の歴史教科書に描かれ...
  • 第五章 偽装歴史観に裏付けられた平和憲法=「GHQ占領憲法」
    ...的な立憲君主制憲法 第二節 「GHQ占領憲法」の本質――日本弱体化の謀略法規 第一節 「明治憲法」の本質――模範的な立憲君主制憲法  連合国軍総司令部(GHQ)は、戦争犯罪国家=日本帝国の基礎に「明治憲法」と「教育勅語」そして「神道」があり、この国家体制は、「天皇独裁の神権主義的擬似立憲体制」だと断定した。だが、明治憲法の本質は、これとは正反対なのである。  立憲政治体制とは、憲法を柱にした「法治主義」で特定の権力に偏らないように権力の均衡を図りながら国家を運営し国民を統治する政治体制のことである。憲法草案の起草者・伊藤博文らは、第一に歴史と文化伝統を尊重した。『皇室典範および帝国憲法制定に関する御告文』は、「惟ふに此れ皆 皇祖皇宗の後裔に貽(ノコ)したまへる統治の洪範を紹述したるに外ならず」と明言している(『憲法義解』一九一頁)。第二に、西欧の君主制国家の憲法、特...
  • 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その2> 波多野澄雄:筑波大学大学院人文社会科学研究科教授(委員会委員) 庄司潤一郎:防衛省防衛研究所戦史部第1 戦史研究室長(委員会委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その1>   日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その2>第2節 戦線拡大と持久戦2)「長期持久戦」への転換-対峙段階の戦争a.武漢・広東攻略と長期持久体制 b.中国の抵抗 3)東亜新秩序声明と汪兆銘政権の承認a.東亜新秩...
  • 第三節 満州に於ける日支鉄道問題
    3、満州に於ける日支鉄道問題  4分の1世紀間、満州に於ける国際政戦は、主として鉄道政戦なりき。純粋なる経済上及鉄道運輸上の性質に付いての考量は国策の命ずるがままに無視せられ満州諸鉄道は、同地方の経済的発展の為、其の全能力を発揮したりと云うこと能わざるの結果を来せり。吾人の満州鉄道問題研究が示す所に依れば満州においては包括的にして相互に有益なる鉄道計画を達成せんとする協力は支那及日本の鉄道建設当事者及官憲間には殆ど皆無なりき。鉄道の拡張が主として経済的考量に依り決定せられたる西部カナダ及アルゼンチンの如き地方に於ける鉄道の発達に反し、満州に於ける鉄道の発達の歴史は主として日支両国間の拮抗問題に終始せり。従来満州に建設せられたる重要なる鉄道にして支那及日本は他の利害関係を有する外国間の公文交換を伴わざるものなし。  満州に於ける鉄道の建設は、ロシアが投資及支配下に在りたる東支鉄道...
  • 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 <近現代史> 第一部 近代日中関係の発端と変遷 第二章 対立と協力 それぞれの道を歩む日中両国 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2> 川島真: 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次  対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1> 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2>4.日露戦争と満洲問題■日露戦争と日中関係 ■日露戦争の勃発と中国の中立 ■ポーツマス条約の締結と「日露戦争の世界史的意義」 ■「満洲」問題の発生 5.日露戦後の日中関係と辛亥革命■中国利権をめぐる協商関係の形成 ■立憲君主制の試みと日...
  • 1、慰安所の設置
    (先頭■をクリックすればアンカーに、資料名をクリックすれば資料概要に飛びます) 1 軍慰安所の設置■ 恤兵金ノ処分二関スル件〔閣譲決定](昭7・7・19)(未作成) ■ 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・4・11~20)(未作成) ■ 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・4・21~30)(未作成) ■ 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・5・1~10)(未作成) ■ 北支那並満州国視察報告[工兵第4大隊中隊長](昭9・3)(未作成) ■ 昭和十一年中ニ於ケル在留邦人ノ特種婦女ノ状況及其ノ取締[在上海総領事館讐祭署沿革誌二依ル】(昭10)(未作成) ■ 昭和十三年中ニ於ケル在留邦人ノ特種婦女ノ状況及其ノ取締並ニ租界当局ノ私娼取締状況 [在上海総領事館讐祭署沿革誌二依ル】(昭13)(未作成) ■ 支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策[陸軍省副官](昭15・9・1...
  • 1.軍慰安所の設置
    1.軍慰安所の設置 1)■をクリック→この稿の該当個所へ 2)資料名をクリック→資料の概要(予定)へ 1.軍慰安所の設置■ 恤兵金ノ処分二関スル件〔閣譲決定](昭7・7・19)(未作成) ■ 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・4・11~20)(未作成) ■ 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・4・21~30)(未作成) ■ 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・5・1~10)(未作成) ■ 北支那並満州国視察報告[工兵第4大隊中隊長](昭9・3)(未作成) ■ 昭和十一年中ニ於ケル在留邦人ノ特種婦女ノ状況及其ノ取締[在上海総領事館讐祭署沿革誌二依ル】(昭10)(未作成) ■ 昭和十三年中ニ於ケル在留邦人ノ特種婦女ノ状況及其ノ取締並ニ租界当局ノ私娼取締状況 [在上海総領事館讐祭署沿革誌二依ル】(昭13)(未作成) ■ 支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策[...
  • 「靖国の視座」による沖縄戦の定説化に抗して
    世界 SEKAI 2007.7 特集:「沖縄戦」とは何だったのか 書き換えられた沖縄戦 「靖国の視座」による沖縄戦の定説化に抗して 石原昌家 「靖国の視座」による沖縄戦の定説化に抗してはじめに 有事立法制定の動きと沖縄戦体験の提造 「集団自決書き加え」事件による沖縄戦認識の深化 「援護法でいう集団自決」と「強制集団死」の相違 極秘文書が明かす軍部の沖縄県人観-間接的要因 国家の最高機密を知った沖縄住民-直接的要因 究極の恐怖心――事件の発生 おわりに はじめに いま、全国各県・各市町村では有事法制の一環である「国民保護法」に基づいて義務付けられた「国民保護計画」の策定が推し進められつつある。そこでは防災訓練の名のもとに「軍民一体」化した形が具体化しつつある。本年三月末、教科書検定の結果、沖縄戦における集団自決の記述において、日本軍の関与が削除されたということでマ...
  • 尖閣列島沖漁船衝突事件 加藤哲郎さん(一橋大学名誉教授、早稲田大学客員教授)の見方と考え方
    http //list.jca.apc.org/public/cml/2010-October/005832.html 尖閣列島沖漁船衝突事件 加藤哲郎さん(一橋大学名誉教授、早稲田大学客員教授)の見方と考え方 [CML 005939] 尖閣列島沖漁船衝突事件 加藤哲郎さん(一橋大学名誉教授、早稲田大学客員教授)の見方と考え方 higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp 2010年 10月 12日 (火) 17 25 40 JST 以下、「加藤哲郎のネチズンカレッジ」2010年10月1日付より尖閣列島沖漁船衝突事件に関する加藤哲郎さん(一橋大学名誉教授、早稲田大学客員教授)の見方と考え方をご紹介させていただきたいと思います(加藤教授の論は転載者の判断で読みやすさのために適宜改行しています)。 http //w...
  • (イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止
    2 気運を統一する(イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止陸.海軍省令で対処 禁止の尺度 処分件数 (口)軍刑法による造言飛語の防止 (ハ)銃後の刑事事件の状況 目次 2 気運を統一する (イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止 陸.海軍省令で対処 昭和十二年七月三十一日、「新聞紙法第二十七条に依り当分の内軍隊の行動其の他軍機軍略に関する事項を新聞紙に掲載禁止の件」という長い名称の陸軍省令が施行された。内容はその名称どおりのものである。翌月十六日には、陸軍省令の「軍隊」を「艦隊、艦船、航空機、部隊の行動」に置き換えただけの同タィトルの海軍省令も施行された。なお、ふたつの省令には、それぞれ、あらかじめ陸軍大臣または海軍大臣の「許可を得たるものは此の限」りではないと、但し書きがついている。 陸.海軍大臣は、こうした内容の省令を、「新聞紙法」第二十七条によって出すことができた。第二十七...
  • 尖閣列島沖漁船衝突事件 加藤哲郎さん(一橋大学名誉教授、早稲田大学客員教授)の見方と考え方‏ higashimoto takashi 2010/10/12
    尖閣列島沖漁船衝突事件 加藤哲郎さん(一橋大学名誉教授、早稲田大学客員教授)の見方と考え方‏ higashimoto takashi 2010/10/12 以下、「加藤哲郎のネチズンカレッジ」2010年10月1日付より尖閣列島沖漁船衝突事件に関する加藤哲郎さん(一橋大学名誉教授、早稲田大学客員教授)の見方と考え方をご紹介させていただきたいと思います(加藤教授の論は転載者の判断で読みやすさのために適宜改行しています)。 http //www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml ………………………………………………………………………………  夏の調査旅行から帰国して1週間は時差ボケが直らず、昼夜逆転生活。おまけに重い資料を積み込んだスーツケースをかついでのドイツ国内鉄道旅行が効いてか持病の腰痛が再発、しばらく寝たきりのテレビ三昧で、日本という閉ざ...
  • 第二章 満州
    第2章 満州 記述 支那の他の部分及露西亜との関係 1、記述  満州は支那に於いては東三省として知らるる広汎且豊穣なる地域にして僅々40年以前にはほとんど開発せられ居らず現在に於いてすら猶人口稀薄なるを以て支那及日本の過剰人口問題解決に益々重大なる役割を演ずるに至れり。数百万の窮乏せる農民は山東省及河北省より満州に流入せる一方、製品及資本は日本より同地方に輸出せられ食糧及原料と交換せられたり。斯くの如く満州は支那及日本の各自の必要に応ずることに依りて日支双方の有力なる伴侶たる実を挙げたり。即ち日本の活動なくんば満州は斯くの如き大なる人口を誘致且収容し得さりしなるへく又支那農民及労働者の移住なくんば満州は斯くも急速に発展し以て日本に対し市場並食糧肥料及原料を供給すること能はさりなるべし。  然れども他国の協力に依倚すること多大なる満州は上述の理由に依り先ず日露の間に於いて次い...
  • 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その1>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第3章 日中戦争と太平洋戦争 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その1> 波多野澄雄:筑波大学大学院人文社会科学研究科教授(委員会委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その1>はじめに―開戦と中国戦線 第1 節 太平洋戦争下の中国戦場1)重慶攻略作戦構想の挫折と浙〓作戦 2)ビルマ攻略作戦とCBI 戦線 3)華北の戦い 4)一号作戦(豫湘桂戦役) 第2節 日本占領地域の状況1)汪政権下の政治と経済 2)通貨戦争 3)「対華新政策」とその破綻 日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その2> はじめに―開戦と中国戦線 日米開戦時に日本軍は20...
  • 第八章 満州に於ける経済上の利益
    第八章 満州に於ける経済上の利益  (注)本章に関しては特別研究第二、第三、第六及第七参照  前章に於いて日本及支那の経済上の要求は政治的理由により妨害せられざる限り紛争を齎さずして両国相互の了解及協調を齎すべきことを示せり。満州に於ける日本及支那の経済上の利益の相互関係を近年の政治上の出来事と切離し考究するに亦同様の結論に到達す。満州に於ける両国の経済上の利益は融和し難きものにあらず、満州に於ける現在の富源及将来の経済的可能性を其の最高限度迄充分に発展せしめんとせば、両者の融和は洵に必要なりと謂うべし。  満州に於ける富源は其の現実のものたると未開のものなるとを問わず日本の経済生活に必須なりとの日本世論の主張は第3章において充分検討せられたるが、本章の目的は右主張が如何なる程度迄経済的事実と合致し居るやを考察するに在り。  南満州に於て日本は最大の外国側投資者...
  • 第二節 満州に於ける日支両国間の根本的利害関係の衝突
    2、満州に於ける日支両国間の根本的利害関係の衝突  支那人は満州を以て支那の構成部分と見做し同地方を支那の他の部分より分離せしめんとする一切の企てに対して憤慨す。従来東三省は常に支那及諸列国が共に支那の一部と認むる所にして、同地方に於ける支那政府の法律上の権限に付異議の称えられたることなし。右は多数の日支間諸条約及協定並びに他の諸国際条約により明らかなる所にして又日本を含む諸国の外務省より正式に公表せられたる多数「ステートメント」に繰返えされ居る所なり。  支那人は満州を以て其の「国防の第一線」と考え居れり。支那の領土として満州は之と接壤する日本及ロシアの勢力が之等の地域より支那の他の地方に侵入するを防ぐ為の前哨とせられ居れり。北京を含む長城以南の支那へ満州より侵入することの容易なるは歴史上の経験に依り支那人の熟知する所なるが、右東北よりの外国の侵略を虜るる念は鉄道の発達に依り...
  • 檜山幸夫『台湾総督府文書の史料論』抜粋
    http //www.chukyo-u.ac.jp/reserch/irss/taiwan/035e.htm 檜山幸夫 『台湾総督府文書の史料論』 抜粋 檜山幸夫 『台湾総督府文書の史料論』 抜粋一.台湾総督府文書の史料的価値 二.台湾総督府文書の所在 三.台湾総督府文書の概要 註 一.台湾総督府文書の史料的価値  台湾総督府文書は、日本の外地統治機関たる台湾総督府の行政文書で、日本植民地研究にとって最も重要な基礎的史料であるとともに、日本近代文書学にとっても貴重な公文書史料でもある。 台湾総督府文書は、次の四つの視点から史料学的な位置づけをすることができる。 第一は、該文書が外地支配を組み入れた立憲制国家としての大日本帝国の国家構造と統治構造(1)を解明する基礎的史料であること、第二は、外地の歴史を含めて日本近代史が成立していたことから、その統治史料たる該...
  • 「韓国併合」100年日韓知識人共同声明
    歴史共同研究庫 ソースは、http //www.kinyobi.co.jp/blog/wp-content/uploads/2010/05/201005101732273262.pdf 原文の行変えは一行空けに、原文の一行空けは三行空けにしました。 「韓国併合」100年日韓知識人共同声明(全文)  1910年8月29日、日本帝国は大韓帝国をこの地上から抹殺し、朝鮮半島を自らの領土に併合することを宣言した。そのときからちょうど100年となる2010年を迎え、私たちは、韓国併合の過程がいかなるものであったか、「韓国併合条約」をどのように考えるべきかについて、日韓両国の政府と国民が共同の認識を確認することが重要であると考える。この問題こそが両民族の間の歴史問題の核心であり、われわれの和解と協力のための基本である。  今日まで両国の歴史家は、日本による韓国併合が長...
  • 南京事件の犠牲者数、日中の主張に相違
    http //www.chosunonline.com/news/20100202000027 南京事件の犠牲者数、日中の主張に相違  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」は31日、報告書を公表した。2006年から学識者が進めてきた研究結果を盛り込んだ550ページに達する報告書は、総論に続き、古代・中世史、近現代史の部分で構成されている。近現代史には文化大革命、天安門事件など1945年以降の事柄は含まれなかった。  第二次世界大戦までの近現代史では、日中戦争当時の南京事件について、日本側が「日本軍による集団的虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪、放火も頻発した」と認める一方で、焦点の犠牲者数に関しては「20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がある」と主張した。これは「30万人」を主張する中国側と隔たる数字だ。  満州事変に関して...
  • 第六節 萬寶山事件に於ける反支暴動
    6、萬寶山事件に於ける反支暴動  萬寶山事件は中村大尉事件と共に満州に於ける日支間の危機を齎せる直接原因として広く認めらる。然れども前者の真重要性は大に誇張せられたり。何等死傷者を出さざりし萬寶山事件の誇大なる報道は日支両国民間に強き反感を起こさしめ、朝鮮に於いては支那在留民襲撃の大事を惹起したり。此の反支暴動は次いで支那における排日ボイコットを復活せしめたり。事件其者としては萬寶山事件は過去数年間満州に発生せる日支両国軍又は警察隊の衝突を誘発せる他の数事件よりも重大なりしものには非ず。  萬寶山は長春の南約18哩に位する一小村にして伊通河に沿う低湿地なり。此の地において支那人仲介業者赫永徳なる者1931年4月16日付契約を以て長農水田公司の為め支那人地主より広大なる一画の地を商租せり。契約中には県長其の条項の承認を肯せざる場合には契約は無効なるべき旨規定せられたり。 ...
  • 上海戦と南京戦
    南京大虐殺の研究 晩聲社1992 もくじ 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 一、日中戦争の開始 二、上海戦と南京戦 三、南京進撃 四、大虐殺の序章 五、『南京戦史』批判 脚注 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 二、上海戦と南京戦 参謀本部の戦争指導課が「やる以上は南京をとる考でやらなくちゃならぬ」という意見であった のにたいして、拡大派の参謀本部作戦課長武藤章大佐は中国を「敲きはするけれども南京を取らう 南京大虐殺の序章 上海戦と南京進撃戦 17 (u) といふことは考へて居ないLと主張した。それが南京の占領にたちいたったのは、華北に限定でき ると思い込んでいた戦争が華中に飛び火し、第二次上海事変になったことの結果である。 盧溝橋事件の処理にあたった支那駐屯軍参謀長橋本群(当時少将)は、のちに、戦争が「...
  • 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか… 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか…コメント欄   ナポレオンが帝政時代のロシアヘ侵攻したときに、従軍慰安婦を連れていったという話はあるが、近現代となってからどこの国の軍隊にもこうした制度の存在はない。さらにいうと、ナポレオン軍の場合は常習的売春婦を集め連れていったので騙しや強制連行、まして徴用令などによるものではなかった。   同じ日本軍でも日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、山東出兵27)から満州事変までなかった。さきに語ったように一九三七年(S12)に始まった"支那事変"開始以降に生まれたものだった。   あの戦争のときの米軍をみていくと、これも前に話したが戦場...
  • 週刊朝日:田母神論文は「上杉謙信が女だった」という珍説と同じだ
    週刊朝日2008.11.28号 P33-35 田母神論文は「上杉謙信が女だった」という珍説と同じだ TEXT書き起こし:ホドロフスキさん http //d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20081205 日本は侵略国家であったのか。田母神俊雄・前航空幕僚長の論文は、アパグループ「真の近現代史観」懸賞論文審査委員会で「満場一致で」最優秀賞に選ばれたという。その"最優秀の論文"の中身とは――。近現史家の秦郁彦氏と軍事ジャーナリストの田岡俊次氏が読み解く。 秦郁彦 (現代史家) はた・いくひこ 1932年生まれ、大蔵省、防衛省に勤務。02年まで日本大学教授。著書に『昭和史の謎を追う』(文春文庫)、『南京事件』(中公新著)など。 田岡俊次 (軍事ジャーナリスト) たおか・しゅんじ 1941年生まれ。元朝日新聞編集委員。現在、朝...
  • 「あぶない教科書」を子どもたちに渡してはならない
    【共同アピール】 歴史歪曲・戦争賛美・憲法「改正」・「戦争をする国」をめざす「あぶない教科書」を子どもたちに渡してはならない 歴史歪曲・戦争賛美・憲法「改正」・「戦争をする国」をめざす「あぶない教科書」を子どもたちに渡してはならない(一) (二) (三) (一)  2009年4月9日、文部科学省は新しい歴史教科書をつくる会(以下、「つくる会」)が自由社から検定申請した中学校歴史教科書(以下、自由社版教科書)の検定結果と合格を発表しました。この教科書は516か所にもおよぶ欠陥が指摘されていったん不合格になりました。欠陥の大部分を占める誤記・誤植について文科省の懇切な指摘を受けて訂正、再提出し、さらに136か所の検定意見を付されて修正し、合格したものです。このように多数のごく単純な誤記・誤植を含んだまま検定提出したことは、教科書出版社の常識では考えられないようなずさんな編集体...
  • 南京大虐殺60周年特集
    週刊金曜日 1997.12.5 南京大虐殺60周年特集index (1)南京大虐殺と日本の現在 本多勝一 (2)大虐殺否定派が敗北するまで 吉田裕 (3)南京アトロシティーズ 洞富雄 (4)大命による南京攻略戦 藤原彰 (5)日本側の調査をもっと 小野賢二 (6)日本政府の第二の罪 笠原十九司 (7)軍関係者による日本陸海軍解説 江口圭一 (8)ゆがめられたラーべの人物像 梶村太一郎
  • 1931年9月18日当日及其後 その1
    第四章 1931年9月18日当日及其後に於ける満州に於いて発生せる事件の概要 事件突発直前の事態  前章において満州に於ける日支両国利益の関係漸次緊張し来れるを述べ之が両国軍部の態度に及ぼす影響を述べ置きたり。既に相当期間或種の内部的、経済的及政治的要因が日本国民の満州に於て再び「積極政策」に出づるに備えつつありしことは疑いなきところなり。軍部の不満、政府の財政策、全て政党に対して不満の意を表明し、西洋文明の妥協的方法を蔑視して古代日本の道徳に依存することを主張し又財界及政界の利己的方法をも非とする軍部、農村落及国家主義的青年の間より醸成せられたる新政治勢力の出現、物価下落が主要生産者をして其の境遇を緩和せんが為に冒険的外交政策に望みを嘱するの傾あらしむるに至れること、事業界の不況が工業及商業界をして一層強硬なる外交政策により取引改善すべしと信ぜしむるに至れること、之等の事情は何れも...
  • 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第1章 満州事変から盧溝橋事件まで 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2> 戸部良一: 防衛大学校教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>  満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>2.関係安定化の模索と挫折4)梅津・何応欽協定 5)広田三原則 3.華北の紛糾1)幣制改革 2)「北支」工作(華北「自治」運動) 3)多発する事件 4)対ソ戦略と対中政策 5)内蒙工作と綏遠事件 6)西安事件 7)対中政策の再検討 8)盧溝橋事件前夜 2.関係安定化の模索と挫折 4)梅津・何応欽協定 広田や重光が、満...
  • 水島総の尖閣紛争論
    水島総の尖閣紛争論 「日本国民には国防の義務がある」2010.09.04 http //www.ch-sakura.jp/mizushima/index.html (論評上)http //list.jca.apc.org/public/cml/2010-October/006005.html (論評下)http //list.jca.apc.org/public/cml/2010-October/006006.html 当CNLの投稿の中で「国を愛する人たちと平和主義者は連帯しよう!」と呼びかけられている、その連帯の対象になってる人たちが参加している運動のことです。 田母神俊雄=水島総の「頑張れ日本!全国行動委員会」は、10月2日に主催者発表2.600人(当初は主催者発表1500人であった)のデモを行なったという。 翌日の10月3日、「頑張れ日本!全国行動委員会」に...
  • 大命による南京攻略戦
    週刊金曜日 1997.12.5 南京大虐殺60周年特集 大命による南京攻略戦昭和天皇は対中国決戦諭者だった昭和天皇が中国を敵国と呼んだ 中央主導で拡大した盧溝橋事件 大命による南京攻略戦 昭和天皇は対中国決戦諭者だった 藤原彰 昭和天皇が中国を敵国と呼んだ 一九三七年一一月二〇日、日露戦争以来三二年ぶりに、天皇の大纛(たいとう)(旗じるし)の下の陸海軍の最高統帥機関として大本営が設置された。同月二四日には、第一回の大本営御前会議が開かれ、その席上で九月末に石原莞爾に代わって参謀本部第一(作戦)部長となった下村定(さだむ)が、南京の攻撃を考慮していることを説明した。ついで一二月一日、大本営は中支那方面軍の戦闘序列(天皇の命ずる作戦軍の編組)を命令し、さらに大陸命(大本営陸軍部の発する天皇の命令)第八号をもって、「中支那方面軍司令官ハ海軍ト協同シテ敵国首都南京ヲ攻略スヘ...
  • 近代日中関係の発端 北岡伸一<その1>
    ...国 3.日本の開国 第二節 明治維新と脱亜入欧1.幕府の崩壊と新政府の成立 2.新政府の開国 近代日中関係の発端 北岡伸一<その2>第三節 日清修好条規の成立 第四節 台湾出兵と琉球問題1.琉球帰属問題 第五節 朝鮮問題の発端 33 おわりに はじめに 19 世紀半ばに至るまで、東アジアには、当時の西洋における国際秩序とは異なる国際秩序が存在していた。西洋列強は、この国際秩序を不便として、優越した軍事力を背景として、その変更を要求した。このような西洋の挑戦によって、東アジア国際秩序は根本的な変容を迫られた。東アジアの変容を、もっぱら西洋の衝撃に対する対応と見ることは一面的に過ぎるが、西洋の衝撃なしには、東アジアの変容はありえなかった。この西洋の衝撃に対する日本と中国の対応は、著しく異なっていた。その対応の違いが、その後の日中関係に大きな影響を及ぼすことになった。日本と...
  • 第七章 日本の経済的利益及支那の「ボイコット」
    第七章 日本の経済的利益及支那の「ボイコット」  前三章は主に1931年9月18日以来の軍事及政治上の事件の記述に止めたり。日支間紛争の討究は紛争に於ける他の重要なる要素、即ち日本貨物に対する支那のボイコットを説明せざる限り正確または完全ならざる可し。  右ボイコット運動において使用せられたる方法及其の日本の通商に及ぼしたる影響を諒解せんが為には日本の一般経済的地位、其の支那における経済的財政利益及支那の外国貿易に付記述するの要あり。尚満州に於ける日本及支那の経済的利益の範囲及性質を諒解すること必要にして右は次章において討究す可し。  注)「ボイコット」此語は最初愛蘭土(アイルランド)において使用せられ「マヨ」県におけるアーヌ伯領の差配チャーレス・カニンガム・ボイコット大尉(1832-97)の名に起因す。借地人によりて定められたる地代を1880年受領することを拒絶せるが...
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