15年戦争資料 @wiki内検索 / 「赤松資料:「戦史資料 昭和二十一年一月九日調整」」で検索した結果

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  • 赤松資料:「戦史資料 昭和二十一年一月九日調整」
    今日の訪問者 - 赤松資料:「戦史資料 昭和二十一年一月九日調整」 防衛庁 戦後資料  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-5-194 収蔵文書名: 海上挺進第3戦隊[戦史資料](昭和21.1.9調製) 簿冊名: 沖縄方面部隊史実資料綴 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄021 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305194 現存する赤松嘉次による最も古い手記です。 これは1945年8月米軍に投稿した赤松元第三戦隊長が沖縄の石川収容所に収容された後、同年12月末複員船で出港。翌1月はじめ、神奈川県浦賀に到着。そのとき復員局に提出したものです。 注目すべきは、 「敵の上陸に備え非戦闘員及緒資材を複廓陣地と予定せる留利加波東方高地に移動せしむ」以外、渡嘉敷...
  • 沖縄戦資料index
    ...調査参考資料報告」 赤松資料:「戦史資料 昭和二十一年一月九日調整」 海上挺進基地第3大隊戦闘概要 沖縄作戦 殉国日記 index 赤松元戦隊長の認識と態度 赤松氏デビュー1968.4.6週刊新潮 赤松氏デビュー1968.4.8琉球新報 1970.3.27沖縄タイムス(未作成) 私たちを信じてほしい青い海1971年6月号 《私記》私は自決を命令していない潮1971年11月号 渡嘉敷島隊長は「自決命令」を不本意でも認めたことはない 1970年3月赤松來沖時の報道(未作成) 安里証言 安里喜順氏の証言 海上挺進第2戦隊関係 海上挺進基地第2大隊第3中隊陣中日誌 照屋「証言」 「軍命令」は創作だった・元琉球政府職員が勇気ある告白証言藤岡信勝 「軍命令は創作」初証言・元琉球政府の照屋昇雄さん<産経新聞>平成18年8月27日 正論:軍命令を否定する証言元琉球政府...
  • 渡嘉敷村遺族会編 『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』
    ...編成、移動の経緯は、赤松資料:「戦史資料 昭和二十一年一月九日調整」参照のこと   同 十月十日那覇上空は、絶好の秋日和である慶良間から沖縄本島が手に取る様に見渡しことができる   午前九時頃平素と異った様子が見受けられた、時には高射砲の弾雲が見られるので鈴木部隊本部に問い合すと友軍の対空射撃演習だとのことである、 村民は安心して平素のように陣地構築に従事した、   漁撈班においても嘉豊丸が出漁した、源三丸神祐丸、が出漁準備を整えている頃前島前方の上空で数百の飛行機が乱舞するの(※5)が見られたかと思うと間もなく八千米の上空に四機編隊の銀翼が現れた、何時もとは異った爆音に不案を抱き乍ら眺めていると 飛行機は機首を下げて底空すると(※6)同時にダヽヽヽと機銃掃射が始まった はじめて敵機の空襲と知った村民は足の踏み場を知らず上を下への大混乱に陥った、殆どの大人が陣...
  • 赤松資料:陣中日誌 海上挺進第三戦隊 昭和45(1970)年作成
    今日の訪問者 - 赤松資料 改本・谷本版 陣中日誌 海上挺進第三戦隊 昭和45(1970)年作成 新情報 防衛研究所資料「沖台・沖縄405」がWEB上で閲覧可能であることが分かりました。 沖縄戦関係資料閲覧室 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0301130 【データ】 防衛庁 陣中日誌  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-1-130 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3戦隊 陣中日誌(複製版)(昭和19.8~21.1) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄405 陣中日誌 海上挺進第三戦隊 昭和45(1970)年作成「陣中日誌」ならぬ「陣後日誌」 「正しい歴史」を作りたい 目次 「陣中日誌」ならぬ「陣後日誌」 「陣中日誌」と命...
  • 様相と概要の異同の実際
    ...編成、移動の経緯は、赤松資料:「戦史資料 昭和二十一年一月九日調整」参照のこと (10・10空襲以降) 【様相】同 十月十日那覇上空は爆音と共に平素と異った様子が見られた。時には高射砲の弾雲も見受けられるので鈴木部隊本部に問ひ合わすと友軍の対空射撃演習だとのことで村民は安心して何時もの通り陣地作業へついた。漁撈班においても嘉豊丸は出漁し源三丸神祐丸は港内に繋留してゐた。その頃前島前方の上空では数百の飛行機が乱舞してゐたが間もなく八千米の上空に四機編隊の銀翼が見られ異様な爆音に不案を抱きながら眺めてゐると飛行機は機首を下げて底空すると同時にダヾヽヽと機銃掃射を始めた。はじめて敵機の空襲と知り村民は上を下への大混乱に陥った大人は陣地作業のため留守であり老人は幼児をかヽえ教員は学童の手を引き右往左往待避に長時間を要した  【概要】同 十月十日那覇上空は、絶好の秋日和である慶...
  • (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上)
    index 目次 1970年改本・谷本版 (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上) (引用者注)昭和19年8月25日から昭和20年3月末までを(上)としました。 (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上)昭和十九年八月八月二十五日 八月二十六日 八月三十一日 昭和十九年九月九月三日 九月四日 九月八日 九月十日 九月十一日 九月十二日 九月十三日 九月十四日 九月二十一日 九月二十六日 九月二十七日 九月九日 昭和十九年十月十月九日 十月十日 昭和十九年十一月十一月十日 十一月 日 昭和十九年十二月十二月十日 昭和二十年一月昭和二十年一月一日 一月十日 一月二十日 一月二十一日 昭和二十年二月二月中旬 昭和二十年三月三月二十日晴 三月二十一日晴 三月二十二日晴 三月二十三日晴 三月二十四日晴 三月二十五日晴 三月二十六日晴 三月二十七日晴後雨 三月二十八日小雨 晴 夜小雨 三...
  • 赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て
    赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て ガリ版刷り資料「沖縄作戦 殉国日記」に所収 http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2223.html http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2220.html 赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て解説 「序」 「渡嘉敷戦斗ノ概要」 分析御意見欄 解説 「渡嘉敷戦斗ノ概要」は、海上挺進第三戦隊長赤松嘉次大尉による戦闘報告であって、本人に拠れば沖縄本島石川の捕虜収容所で書いたものである。復員した赤松大尉が昭和21年1月、浦賀の引揚掩護局に提出した「戦闘報告」もこれであろう。 この最も古い赤松文書に渡嘉敷島住民の「集団自決」に関する記述は何も無い。降伏から3ヵ月後の時点で赤松が「...
  • 注 (典拠)
    戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦 注 (典拠) 注 (典拠) 1~23 24-64 65-98 99-142 143-182 183-219 220-231 1~23 p627 1 「大陸命綴、大陸指綴」 大本営陸軍部の伝宣した大命及ぴこれに基づき参謀総長の出した指示の綴 沖台 2 「大海令綴、大海指綴」 大本営海軍部の伝宣した大命及ぴこれに基づき軍令部総長の出した指示の綴 3 「上奏綴」 大本営陸軍部の上奏書類綴 4 「上聞書綴」 用兵事項に関する大本営海軍部の上奏書類綴 5 「作戦関係重要書類綴」 作戦に関する上奏関係書類その他を綴ったもの 大...
  • 靖國神社考(1)
    靖國神社考(1) 靖國神社考(1)靖國神社考1・靖國神社に、清淨と静謐の環境を! 靖國神社考2・靖國神社は、皇室御仁慈の發現なり。●京都東山招魂社創建の御沙汰書 ●招魂社大祭の宣命 ●招魂社を靖國神社と改稱し給へる御祭文 靖國神社考3・明治神宮と靖國神社●中今亭賀茂百樹大人『明治神宮と靖國神社との御關係』 靖國神社考4・靖國神社の合祀對象基準●阪本是丸氏『「靖國」の基礎知識』 ●賀茂百樹大人『靖國神社誌』の「祭神・附御靈代」に曰く、 ●賀茂百樹大人『靖國神社忠魂史』第一卷「序」に曰く、 靖國神社考5・歴代宮司略傳、其の壹【靖國神社歴代宮司】初 代【青山 清 】明治十二年六月十六日~明治二十四年二月六日 第二代【賀茂 水穗】明治二十四年二月十七日~明治四十二年三月一日 第三代【賀茂 百樹】明治四十二年三月二十九日~昭和十三年四月二十一日 靖國神社考6・歴代宮司略傳、其の貳第四代【鈴木 孝...
  • 海上挺進戦隊の運用
    海上挺進戦隊の運用 沖縄方面陸軍作戦 p112-114  海上挺進戦隊の運用 第三十二軍は隷下に編入された海上挺進戦隊の九コ戦隊中七コ戦隊(第一~第三、第二十六~第二十九戦隊)を沖縄本島地区、二コ戦隊(第四、第三十戦隊)を宮古島に配置するように計画した(118)。沖縄本地区の運用要領は「挿図第十」のとおりである(116,175)。  海上挺進戦隊及ぴ海上挺進基地大隊の到着状況は「付表第二」、編制は「付録」のとおりである。  海上挺進第一~第三戦隊は十九年十月十日慶良間列島に上陸したが、海上挺進第二十六~第三十戦隊の沖縄進出は十九年十二月以降となり、海上挺進第二十九戦隊は一部だけが沖縄に到着し、海上挺進第三十戦隊は進出できず昭和二十年四月九日第三十二軍の戦闘序列から除去された(1)。  右の陸軍特攻部隊のほか、海軍の特攻艇隊である第二十二震洋隊(...
  • 次のものを資料として・・・・
    沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index 次のものを資料として・・・・ 次のものを資料として・・・・この作品のために次のものを資料として使わせて頂きました。 (ここに列挙されてない重要な資料) この作品のために次のものを資料として使わせて頂きました。 『沖縄』比嘉春潮・霜多正次・新里恵二著 岩波新書 『沖縄ノート』大江健三郎著 岩波新書 『沖縄問題二十年』中野好夫・新崎盛暉著 岩波新書 『沖縄』饒平名智太郎(よへなちたろう)著 三一新書 『沖縄・この現実』石田郁夫著 三一書房 『沖縄教職員会』関 広延著 三一書房 『沖縄奪還 68~ 70』波照間洋著 三一書房 『沖縄・本土復帰の幻想』吉原公一郎著 三一書房 『沖縄戦記・鉄の暴風』沖縄タイムス社刊 『日米最後の戦闘』米国陸軍省編・外間正四郎訳 サイマル出版会 『沖縄戦史』上地一史著 時事通信社 『...
  • 付録 主要部隊編成表
    戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦 付録 主要部隊編成表 付録 主要部隊編成表(未着手) 独立目砲第一聯隊編制概要 独立迫撃第三~第十中隊編制概要 高射部隊関係編制概要一、第二十一野戦高射砲隊司令部 二、野戦高射砲第七十九、第八十、第八十一大隊 三、独立高射砲第二十七大隊 四、機関砲第百三、第百四、第百五大隊 五、特設第四十七~第五十機関砲隊 独立工兵第六十六大隊編制概要 海上挺進戦隊編制概要海上挺進第一~第四戦隊 海上挺進第二十六~第三十戦隊 海上挺進基地大隊編制概要海上挺進基地第一~第四大隊 海上挺進基地第二十六~第三十大隊 第五海上挺進基地隊本部 船舶工兵第二十三聯隊の編制概要 船舶工兵第二十六聯隊の編制概要 (未着手) 652 独立目砲第一聯隊編制概要 注1  聯隊は昭和十九年六月二十四日軍令陸甲第六十七号により編制上第二、第三、第六中隊が欠除され、同年七月二十六日...
  • 赤松嘉次 本人文書 & 反映文書一覧表(仮)
    赤松嘉次 本人文書 反映文書一覧表(仮) 防衛研究所資料検索 http //www.okinawa-sen.go.jp/search.php No 成立 筆者 登録表題 章題 沖台沖縄 備考 Link 01 1945 辻政弘 海上挺進第三戦隊記録(付人名簿) 三月二十三日晴 209 写筆 * 02 1946.1.8 赤松嘉次 海上挺進第3戦隊[史実調査参考資料報告] p2 023 024 復員船下船時に提出 * 03 1946 1.9 赤松嘉次 海上挺進第3戦隊[戦史資料](昭和21.1.9調製) 021 赤松自筆押印 * 04 1947 3 赤松嘉次 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 渡嘉敷戦斗ノ概要 234 ガリ版印刷、正しい表題は「殉国日記」 * 05 1947 3 赤松嘉次 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 赤松部隊...
  • ◎資料
    ◎資料 『平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正申請に関する意見に係る調査審議について(報告)』 平成19年12月25日 教科用図書検定調査審議会第2部会日本史小委員会 http //www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106/001.pdf http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1018.html ◎資料資料1 専門家からの意見聴取結果・・・資料(1)大城将保沖縄県史編集委員 リンク 我部政男山梨学院大学教授 リンク 高良倉吉琉球大学教授 リンク 秦郁彦現代史家 リンク 林博史関東学院大学教授 リンク 原剛防衛研究所戦史部客員研究員 リンク 外間守善沖縄学研究所所長 リンク 山室建德帝京大学講師リンク 資料2 平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正...
  • 第三中隊(皆本中隊)「陣中日誌控」
    第三中隊(皆本中隊) 「陣中日誌控」 実物文書の表題 「陣中日誌控」第三中隊 沖縄戦関係資料閲覧室 http //www.okinawa-sen.go.jp/ 海上挺進第3戦隊第3中隊(皆本中隊)陣中日誌と思われる。 ↓ 防衛庁 陣中日誌  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-1-107 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3中隊 陣中日誌控(昭和20.4~20.5)(※) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄284 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0301107 表紙  陣中日誌  戦闘要報 控 昭和二十年    自 四月三十日    至 五月二十三日         第三中隊 「戦闘要報控」という元の表題の「戦闘要報」部...
  • 戦隊長殿!いったい何処へ向えばイイのでありますか? 3月25日「転進命令」の怪
    戦隊長殿!ジブン達は一体、何処へ向えばイイのでありますか? 3月25日渡嘉敷島で受信したという「転進命令」の怪 赤松嘉次「戦隊長」が証言する「行き先」がクルクル変るので、防衛省公式戦史すら分裂症に陥ったまま放置されています。もちろん特幹生たちの霊は、戦隊長が伝達する軍命令の転進先がクルクル変るので、64年経っても冥土へ出発することすら出来ず、未だに渡嘉志久の浜に留まっているのでしょうか。 1、1945辻版『陣中日誌』では 「転進命令 軍並ニ軍船舶隊ヨリ部隊(戦隊ノミ)那覇ニ転進命令ヲ受領ス」 2、1945日録の大本営作戦部『戦況手簿』では、 「一、慶良間列島附近ノ敵ニ対シ海上挺進部隊ヲシテ之ニ打撃ヲ与フルト共ニ那覇ニ転進スル如ク部署ス」 3、1946.1赤松嘉次提出『戦史資料』では、 命令の要旨 「状況有利ならざる時は戦隊を率い本夜中に本...
  • 赤松元部隊長から中島幸太郎氏への書信 1946年1月17日
    沖縄作戦 殉国日記(2) 赤松元部隊長から中島幸太郎氏への書信 1946年1月17日 書信受信の経緯は沖縄作戦 殉国日記(2)をお読みください。 当稿を引用する方へのお願い:書き起こし文には私の間違いが含まれていますので、其の点を充分にご承知の上引用してください。また引用する方は当ページのURLを、必ず引用文に添えてください。食物の安全を流通過程で保障するのと同じように、資料典拠のトレーサビリティーを確保するためです。原文を独自に解読し直された方はその限りにありません。 赤松元部隊長からの書信 謹みて 故陸軍中尉中島一郎殿戦死の状況を御報告致し併せて英霊に対し衷心より敬弔の意を表し奉り候 思へば一昨昭和十九年九月宇品に於て部隊編成されるや君は勇躍特攻隊員として之に参加、直ちに任地南西諸島は慶良間列島渡嘉敷島に上陸、若き船舶兵、特別幹部候補生の小隊長とし...
  • 沖縄作戦 殉国日記 index
    防衛研究所資料<沖台 沖縄> 沖縄作戦 殉国日記 index <沖台 沖縄234> 図版01 【資料データ】 沖縄戦関係資料閲覧室 整理番号: B03-5-331 収蔵文書名: 簿冊名: 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄234 (「沖縄作戦 殉国日記」が正しいが、誤登録の為「沖縄作戦 殉国日誌」でないとヒットしない) 画像閲覧 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305331 (アジ歴ではみつかりませんでした) 【殉国日記とは】 沖縄で「集団自決」が起こった島の一つ、渡嘉敷島に駐留していた海上挺進第三戦隊第三中隊所属の中島一郎少尉は、戦後もなお行方不明であった。千葉県の実家へ...
  • (5)(降伏勧告書) 軍情報隊長
    index 目次 (5)(降伏勧告書) 軍情報隊長 勅命に動き勅命に死するは日本軍人の本領なり残念乍ら己に聯合国軍に降伏せよとの大命を発せられ和平の条約成る茲に於て何等躊躇すべきものなし更に再建日本の大任あるを思ひ十八日吾部下と共に米軍に降る若き前途ある諸君此の際一切の行き係りを棄て再建日本の為の生命を譲られんことを切に祈るものなり 「尚付言す米軍は予期以上に諸君を遇するものなることを」 昭和二十年八月二十一日 軍情報隊長 大佐 塚本保次 印 赤松少佐殿 index 目次
  • e 「秘録沖縄戦史」(昭和33年)山川泰邦著(ha)
    通058 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献) e 「秘録沖縄戦史」(昭和33年)山川泰邦著(ha) 「秘録沖縄戦史」は,沖縄戦当時警察官であり,その後琉球政府社会局長となった山川泰邦が,自己の体験や,終戦の翌年沖縄警察部が行った戦没警察官の調査の際に収集された数多くの人の体験談や報告,琉球政府社会局長時代の援護業務のために広く集めた沖縄戦の資料などに基づいて執筆したものである(乙4・6頁)。 「秘録沖縄戦史」には, 「昭和二十年三月二十三日,座間味は米機の攻撃を受け,部隊が全滅するほどの被害を蒙り,住民から二十三人の死者を出した。村民たちは,焼...
  • 「戸井田報告」=「南京の実相」批判のページ(1)
    昨日 - 今日 - 「戸井田報告」=「南京の実相」批判のページ(1) 日本の前途と歴史教育を考える議員の会 平成十九年六月十九日 南京問題小委員会の調査検証の総括 「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が2007年6月に記者会見を開き、南京問題小委員会(委員長:戸井田とおる)報告書を発表しました。2008年8月 11月1日には、その日本語、英語の両方を収録して「南京の実相」という本にしたそうです。しかし、若干の資料を除いて本文は「報告書」のままだと聞いています。 「戸井田報告書」はWEBでPDF公開されていますのでここに転載します。 http //www.toidatoru.com/pdf/nankin.pdf(戸井田徹サイト) みんなで論点、批判点を出し合いましょう。コメント欄に書き込んでいただいたものは、逐次、本文に書き込んでいき、批判のページ...
  • e 「秘録沖縄戦史」(昭和33年)山川泰邦著(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-059 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献)   梅澤命令説について直接これを記載し, 若しくはその存在を推認せしめる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 e 「秘録 沖縄戦史」(昭和33年)山川泰邦著(2ha) (判決本文p147~)   「秘録沖縄戦史」は, 沖縄戦当時警察官であり, その後琉球政府社会局長となった山川泰邦が, 自己の体験や, 終戦の翌年沖縄警察部が行った戦没警察官の調査の際に収集された数多くの...
  • 第二章 満洲事変への道
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第二章 満洲事変への道 第二章 満洲事変への道第一節 対華二十一箇条要求問題 第二節 支那の「反日」攻勢と日本の忍耐 第三節 ワシントン会議の歴史的意義 第四節 ロシア共産革命の東アジアへの波及――最大の脅威の出現 第五節 ソ連=コミンテルンの東アジア攻勢と米国の東アジア介入 第六節 孫文の左傾化と第一次国共合作(一九二三年十一月から一九二五年三月) 第七節 ソ連の満蒙工作 第八節 蒋介石の反共クーデタ(一九二七=昭和二年四月二一日)と「北伐内戦」 第九節 幣原外交の空回り 第十節 田中外交の挫折 第一節 対華二十一箇条要求問題  さて、欧州大戦の初期一九一五=大正四年一月十八日、日本政府(大隈重信内閣)は「対華二十一か条の要求」を...
  • 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年 第二節 華北分離工作への支那の抵抗――民族統一戦線結成工作の進展とその背景 第三節 西安事件――東アジア情勢の重大な曲がり角 第四節 盧溝橋事件の突発――日支激突の挑発者は誰か? 第五節 盧溝橋事件の総括――支那民族の特性が見事に現れているこの十年間及び三週間 第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年  満州事変の終結からニ年経った一九三五=昭和十年七月、モスクワで開催のコミンテルン第七回大会は、「反ファシズム統一戦線・人民戦線路線」を採択した(公安庁『国際共産主義の沿革と現...
  • 五 世界で糾弾された日本軍の中国婦女凌辱
    中国女性にとっての日中十五年戦争 五 世界で糾弾された日本軍の中国婦女凌辱 『ニューヨーク・タイムズ』一九三八年一月九日付で、南京大虐殺を世界にスクープしたダーディン記者は、その記事の冒頭で次のように記している。 「日本軍が南京占領後に行った虐殺・強姦・略奪など、すべてはるか昔の野蛮な時代の出来事のように思われる。(中略)日本軍にとって南京占領は軍事的・政治的にきわめて重要なことで166あった。しかし、その勝利は、野蛮な残虐行為により、捕虜の大量処刑・市内の略奪・強姦・一般市民の殺害により、また無軌遣行為の蔓延によって台無しとなった。こうした行為は日本軍と日本民族の名声を汚すものとなろう。」(洞富雄編『日中戦争・南京大残虐事件資料集・第二巻英文資料編』青木書店、二八五頁) 当時南京に留まってその一部を目撃・見聞した新聞記者の、事件の深刻性を洞察した批判であった。 ...
  • (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中)
    index 目次 1970年改本・谷本版 (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中) (引用者注)昭和20年4月から昭和20年6月末までを(中)としました。 (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上) (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中)昭和二十年四月四月一日晴 四月二日 四月三日より四月五日まで 四月六日曇 四月七日晴 四月八日曇 四月九日曇 四月十日曇 四月十一日曇 四月十二日晴 四月十三日晴 四月十四日晴 四月十五日晴 四月十六日 四月十七日より四月二十四日迄の間 四月二十五日曇 四月二十六日晴 四月二十七日より四月二十九日迄 四月三十日晴 昭和二十年五月五月一日曇 五月二日曇 五月三日曇 五月四日晴 五月五日晴 五月六日晴 五月七日 五月十日晴風無 五月十一日曇 五月十二日曇 五月十三日晴 五月十四日晴 五月十五日雨 五月十六日晴 五月十七日晴 五月十八日晴 五月十九...
  • 沖縄タイムス 「正確・人権」に欠ける報道 占領下の呪縛引きずる
    http //blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/bdd565d17e4d768965d6a385ab93d253より転転載 真実の攻防 沖縄戦「集団自決」から63年 3部<7> 沖縄タイムス 「正確・人権」に欠ける報道 占領下の呪縛引きずる  米軍上陸を目の当たりにした渡嘉敷島で、愛する家族を手に掛けた当時十六歳の少年、金城重明氏。後にクリスチャンそして牧師となり、沖縄キリスト教短期大学学長などを歴任、“集団自決の語り部”として、多くの書物を残している。  昨年、集団自決に関する教科書検定意見をめぐって沖縄世論が沸騰した中、金城氏は六月二日、那覇市で沖縄タイムス主催のシンポジウム「挑まれる沖縄戦―『集団自決』検定を問う」で、当時の体験を述べた。同紙が六月八日付でその詳細を報じている。  「私たちは日本軍の強制、命令、抑圧に...
  • 沖縄作戦 殉国日記(1)
    沖縄作戦 殉国日記(1) 沖縄作戦 殉国日記 index 沖縄作戦 殉国日記(1)図版01~05 図版06~10 図版11-15 図版16-20 お好きな場所からテキスト化してください! 沖縄作戦 殉国日記(2) 沖縄作戦 殉国日記(3) 図版01~05 図版01 クリックして拡大 図版02 図版03 図版04 クリックして拡大 序(赤松嘉次) 渡嘉敷戦斗の概要(赤松嘉次 昭和20年11月 沖縄収容所ニ於テ) 「渡嘉敷戦斗ノ概要」は、1970年編纂の「陣中日誌 海上挺進第三戦隊」所収の「渡嘉敷島戦闘の概要」の原本といえるが、後者はカタカナ書きではなくかな書きに改められ、表現にも細かい手が加えられている。後者には「中島一郎少尉」の名前はない。 赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て...
  • 防衛研究所資料<沖台 沖縄>
    防衛研究所資料<沖台 沖縄>シリーズ 沖縄戦関係資料閲覧室 http //www.okinawa-sen.go.jp/search.php 以下の中「未作成」は、ここで検索すると画像資料を見ることができます。 <沖台 沖縄>トピック 001~050 第1篇 第32軍沖縄作戦記録<沖台 沖縄001>(改訂版)(昭和24年11月復員局編纂) 第32軍沖縄作戦記録(昭和21年8月第一復員局編)<沖台 沖縄008> 第32軍沖縄作戦に関する質疑に関する回答(昭和20年12月22日第一復員省編)<沖台 沖縄016> 海上挺進第3戦隊渡嘉敷島戦闘概要(昭和20.3~20.8)<沖台 沖縄021>(未作成) 赤松隊『陣中日誌』原本の写本(敗戦直後作成) 海上挺進第3戦隊[戦史資料](昭和21.1.9調製)<沖台 沖縄021>(未作成) 赤松嘉次の提出文書 海上挺進基地第4大...
  • 本モノの赤松部隊「陣中日誌」
    昨日 - 今日 - 本モノの赤松部隊「陣中日誌」 海上挺進第三戦隊 本部付辻政弘記「本部陣中日誌」 これを素材にして1970年、小谷小次郎元特別幹部候補生伍長を中心にした赤松隊戦友会が「海上挺進第三戦隊陣中日誌」を編集した。赤松部隊「陣中日誌」の原本と改本 ソース 【書誌データ】 防衛庁 戦後資料  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-5-202 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3戦隊記録(付人名簿)(※) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄209 【閲覧】 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305202 ページ3~35 【表紙】 沖縄作戦 海上挺進第三戦隊記録 (付)人名簿 元海上挺進第三戦隊長 元陸軍少佐 赤松嘉次 受付印「戦史...
  • 海上挺進基地第3大隊戦闘概要
    海上挺進基地第3大隊戦闘概要 海上挺進基地第3大隊戦闘概要(ソース) (表紙ほか) 海上挺進基地第三大隊戰闘概要一、編成 二、作戰地ヘノ輸送 三、作戰準備概要 四、編成改正 五 編成改正後作戰開始迄 六 天號作戰開始後ノ在渡嘉敷島部隊 七 独立第三大隊ノ行動 (正誤チェック) (ソース) http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305192 整理番号: B03-5-192 収蔵文書名:海上挺進基地第3大隊戦闘概要 簿冊名:船舶部隊史実資料(1)(※) 原本所蔵機関:防衛研究所 請求番号:沖台 沖縄205 (引用者注)この文書は、整備中隊長陸軍大尉木林明氏本人が書いたものではなく、第三十二軍残務整理部がリライトしたものを本人に送り点検を求めたものと想像されます。「筆跡は別人の書き込み」と注釈を入れたところが、木林明氏本...
  • 様相と概要の異同の実際(続)
    様相と概要の異同の実際(続) 迫手門学院大手前中・高等学校 紀要第五号 1986年3月30日 『渡嘉敷島における戦争の様相』と     『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同 伊敷 清太郎 段落ごとに『様相』を黒字で、その下に『概要』を青字で記しました。 ( )付き小見出しは原論文にはなく、転載者が付けたものです。 伊敷論文「はじめに」に戻る 様相と概要の異同の実際へまえがき (軍部隊の進駐) (10・10空襲以降) (3・23~26米軍襲来、出撃か?) (3・27~玉砕場) 様相と概要の異同の実際(続)(3・31~食糧難と残虐行為) (5月・刳舟脱出行) (米軍再上陸と住民処刑) (住民離脱と処刑、降伏) 注 (3・31~食糧難と残虐行為) 【様相】同三十一日米軍は赤松隊の兵力を見くぴったか夜半島を徹ママ退した。空襲も止み生き延びた住民は張り...
  • 「マルレ」とは:『陸軍船舶戦争』より
    「マルレ」とは:『陸軍船舶戦争』より 『陸軍船舶戦争』 松原茂生(元船舶参謀・自衛隊)/遠藤 昭 戦誌刊行会 1994(平成8)年 以下の文章は元船舶参謀という立場からタテマエに縛られている。その点、元特幹一期生で海上挺進第2戦隊員として沖縄阿嘉島に配属され、沖縄戦の生き残りとなった儀同保氏の調査は、現実を踏まえたタテマエに束縛されないものだから信頼がおける。必読である→海上挺進戦隊、特幹生、マルレ。(引用者) (引用者注)《マルレ》:書籍中では○の中にレの一字 第9章 比島攻防戦 7、《マルレ》の量産 7、《マルレ》の量産 《マルレ》、正式名称を四式肉薄攻撃艇と呼ぶらしいが記録は全て連絡艇となっている。 陸軍で唯一の量産特攻艇であり比島決戦以後使用されている。 全長五・六メートル、自重○・八三トン、速力二〇~二四ノツト、全力三時...
  • 戦斗記録
    1986.3 沖縄史料編集所紀要11 座間味島集団自決事件に関する隊長手記 大城将保 座間味島集団自決事件に関する隊長手記一、隊長命令説"について 二、手記「戦斗記録」 一、隊長命令説"について 沖縄戦下、座間味島(座間味村・慶良間諸島)で発生した住民の集団自決については、数多の戦記に記述が見られるが、「鉄の暴風』(沖縄タイムス社・一九五〇年)以来現在に至るまで、集団自決は隊長の命令によるものである、という見解が通説になっていた。 ところが、昭和六〇年七月三〇日付『神戸新聞』は、当時の海上挺進隊第一戦隊長(少佐)・梅澤裕氏はじめ関係者の談話を基に、「日本軍の命令はなかった」というサブタイトルをつけて、いわゆる"隊長命令説"に疑問を提示した。 筆者(大城)は、『沖縄県史』に"隊長命令説"に基づ...
  • (4)降伏文書
    index 目次 (4)降伏文書 天皇陛下ノ命ニヨリ赤松少佐(球第一六七九部隊)ハ 渡嘉敷ノ全部隊ヲ率ヰテ米軍渡嘉敷駐屯軍司令官 カナリー中佐ノ下二無条件降伏ス 署名 赤松嘉次 印 前記事項ヲカナリー中佐ハ米国ト其ノ同盟国ノ名二 於イテ承諸ス 署名 歩兵第二十四連隊 陸軍歩兵中佐 ハビノン・A・N・カナリー (引用者注)日付は当『陣中日誌』によれば昭和二十年八月二十三日である。 index 目次
  • f 「戦闘概要」(昭和44年,新崎盛暉「ドキュメント沖縄闘争」所収)(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-080 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(ア)(赤松命令説記載文献)   赤松命令説について直接これを記載し, 若しくはその存在を推認せしめる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 f 「戦闘概要」(昭和44年,新崎盛暉「ドキュメント沖縄闘争」所収)(2ha) (判決本文p168~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示し...
  • 第2・2(5) (集団自決を記述した文献の存在)
    通009 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 第2 事案の概要 第2・2 前提となる事実 第2・2(5) (集団自決を記述した文献の存在)* contents 第2・2(5) (集団自決を記述した文献の存在)*ア 座間味島について(ア) 「鉄の暴風」(昭和25年)沖縄タイムス社発行 (イ) 「座間味戦記」(昭和32年ころ,「沖縄戦記」(座間味村渡嘉敷村戦況報告書)所収) (ウ) 「秘録 沖縄戦史」(昭和33年)山川泰邦著 (エ) 「沖縄戦史」(昭和34年)上地一史著 (オ) 「悲劇の座間味島沖縄敗戦秘録」(昭和43年)下谷修久著 (カ) 「秘録 沖縄戦記」(昭和44年)・山川泰邦著 (キ) 「沖縄県史 第8巻」(昭和46年)琉球政府編集 (ク) 「沖縄県史 第10巻」(昭和49年)琉球政府編集 イ 渡嘉敷島について(ア) 「鉄の暴風」 (イ)...
  • 渡嘉敷村・座間味村共編 『渡嘉敷島における戦争の様相』
    渡嘉敷村・座間味村共編 『渡嘉敷島における戦争の様相』 琉球大学図書館。日付なし。手書き・ガリ版刷り。伊敷論文よりの復元版。 大阪地裁の公判において『渡嘉敷島における戦争の様相』は原告側証拠甲B23及び被告側証拠乙3として提出された。また、『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』は被告側証拠乙10として提出された。参照:書証一覧 まえがき   この記録は米軍上陸から赤松隊降伏までの沖縄戦の一端渡嘉敷島の一部を記録しましたが本島と切離された孤島の戦線は幾多相様を異にするものが多々あった。 当時村長古波蔵惟好氏、役所吏員防衛隊長屋比久孟祥(現生存者)等の記憶を辿って其の概要を纒めたものでありますが過去を省みて如何に戦争が罪悪であるかを吾々は実際に体験し、そして今後幾多反省すべきことがあるかを痛感した。将来に再度この様な事を繰返すことのないよう永遠に平和を愛好し人類の幸福と繁栄...
  • 国頭国士隊の文書綴『秘密戦ニ関スル書類』
    国頭国士隊の文書綴『秘密戦ニ関スル書類』 『秘密戦ニ関スル書類』は、全編三三件の文書を一冊に綴った軍事極秘文書で、国頭(くにがみ)国士隊の保管文書であった。これを米軍上陸部隊が現地で接収して米国の公文書館に納めたが、昭和四九年一月に日本に返還され、現在国立公文書館の所蔵となっている。沖縄作戦に関する返還文書は防衛庁戦史室にも数多く収蔵されているが、防諜関係文書としてまとまったものはこれが唯一のものである。文書の日付は、昭和一九年十月中旬から翌年三月末にわたっている。この時期はちょうど沖縄守備軍が決戦準備に追われている最中であり、同時に地域住民にたいする防諜対策が最も強化された時期でもあった。 (「沖縄秘密戦に関する資料 」大城将保編・解説より) 球第1616部隊(第三二軍司令部・司令官牛島中将)師団 旅団 直属部隊 球18800部隊(独立混成第44旅団・旅団長鈴木少...
  • 「戸井田報告」=「南京の実相」批判のページ(2)
    昨日 - 今日 - 「戸井田報告」=「南京の実相」批判のページ(2) 日本の前途と歴史教育を考える議員の会 平成十九年六月十九日 南京問題小委員会の調査検証の総括 「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が2007年6月に記者会見を開き、南京問題小委員会(委員長:戸井田とおる)報告書を発表しました。2008年8月11/01 には、その日本語、英語の両方を収録して「南京の実相」という本にしたそうです。しかし、若干の資料を除いて本文は「報告書」のままだと聞いています。 「戸井田報告書」はWEBでPDF公開されていますのでここに転載します。 http //www.toidatoru.com/pdf/nankin.pdf(戸井田徹サイト) みんなで論点、批判点を出し合いましょう。コメント欄に書き込んでいただいたものは、逐次、本文に書き込んでいき、批判のページ...
  • 再び「殉国日記」について 2009,9,27
    再び「殉国日記」について これは http //keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-66.html#comment-top こちらのコメント欄に対する、W氏へのレスです。オフトピについての長文の討論となりますので、ブログ主さんへのご迷惑を避けるため、弊ブログへのリンクと致しました。 なお再反論は、当頁末尾にコメント欄を設置しましたので、Wさんに置かれましても、こちらにてお願いします。 敬具 「殉国日記」内の主要な文献をファイルしましたので御報告します。 ■沖縄作戦 殉国日記 index http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2223.html 早々と「気がついたことを纏め」た方がおられますが、その“飛ばし”記事の中に事実誤認や誤解を招くやしれぬ独断が...
  • 皆本義博直話 昭和21年3月
    沖縄作戦 殉国日記(3) 皆本義博直話 昭和21年3月 聞き書き:中島幸太郎  「集団自決」事件で名を知られる赤松部隊すなわち海上挺進第三戦隊に所属する第三中隊中島一郎少尉は、昭和20年3月26日の夜、沖縄全体の海上挺進特攻の司令官である第十一船舶団長大町大佐とその一行を、沖縄本島司令部まで護送する特攻艇の操縦手として選抜され、他の一艇と共に米軍上陸前夜の慶良間列島渡嘉敷島を脱出した。  しかし島の周囲は夥しい米軍艦艇に取り巻かれている。脱出行の成功は期待できるものではなかった。一艇は出発直後に沈没しその乗務者は渡嘉敷等に泳ぎついた。大町大佐を乗せた中島艇は消息を絶ったままとなった。  戦後、中島一郎の父幸太郎は、本土に復員した赤松部隊関係者に手紙を送ったり面会を求めたりして、息子一郎の死のいきさつを知ろうと奔走した。その経過を一郎の二周忌にあたり幸太郎が綴っ...
  • 靖国の言い分、英霊たちの声(全文)
    「正論」2005年8月号 緊急インタビュー  靖国の言い分、英霊たちの声(全文) 前靖国神社宮司 湯澤卓 聞き手 産経新聞論説委員 石川水穂 湯澤貞氏 昭和四年(一九二九年)栃木県生まれ。三十二年に国学院大学文学部宗教学科卒業後、明治神宮に奉職。五十四年に明治神宮彌宜。国学院大学文学部兼任講師、同神宮祭儀部長、総務部長兼役員室長などを歴任し、平成二年から靖国神社爾宜。責任役員・権宮司を経て九年、代表役員・宮司に就任。十六年九月に退任。日本会議代表委員なども務める。 記事全文 靖国神社の御神体は「刀」もしくは「太刀」であることを前宮司が語っている。 (「正論」2005年8月号 p48) 靖国の言い分、英霊たちの声(全文)「A級戦犯」合祀の経緯 国民合意の政府見解は変わったのか 一年かけて御祭神となる御霊 ★ 「約束」の参拝に来なかった橋本元首相 皇...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(10)
    「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載10回目 終戦直後、日本の中尉と下士官が赤松のところに降伏勧告にきている。しかも、下士官は米軍の服装をしていた。降伏勧告にきた住民がことごとく殺された事実からすれば、相手が軍人であれば、なおさら厳格に対処すべきである。だが、赤松は降伏勧告にきた二人の軍人をおとなしく帰している。 大城訓導は民間人 また、家族に会いに行ったというだけの理由による大城訓導の処刑がある。渡嘉敷国民学校の大城徳安訓導が、島内の別の場所にいた妻にこっそり会いに行ったという理由だけで、縄でしばられて陣地に連行され、斬首(ざんしゅ)されたのである。この事件について、曽野綾子氏は、大城訓導が「招集された正規兵」(曽野氏は、防衛隊員を正規兵と解釈している)だったことをあげて、赤松の処置が「民間人」に対するものでなく、軍律により軍人に対してとられた処置(処...
  • 一 南京大虐殺を世界に知らせた人々
    世界に知られていた南京大虐殺 一 南京大虐殺を世界に知らせた人々 南京大虐殺が「虚構」であった、あるいは「まぼろし」であったと主張する論者が共通してあげる口実に、南京大虐殺は、勝者が敗者を一方的に裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)でデッチあげられたもので、その証拠に、それまで日本人は南京大虐殺のことを知らなかった、ということがあります。  たとえば、評論家.村上兵衛氏は「極東軍事裁判において、いわゆる『南京大虐殺』が日本人を驚倒させたことは、ひじょうなものであった。戦争の終結まで、日本人はそのような『事件』を知らなかった。それも当然のことで、当時、南京にいた内外の新聞記者、カメラマンも誰ひとりそのような事件を見てもいないし、聞いてもいない」といっています(田中正明『南京大虐殺の虚構』日本教文社の表紙の推薦文)。そして、鈴木明氏は「まぽろし説」の由来となった『「南京大虐殺」のま...
  • Appeal by the Chinese Gavernment
    Appeal by the Chinese Gavernment Appeal by the Chinese Gavernmentはじめに アジ歴 書誌データ 英文議事録 翻訳文と解説 戸井田本「議事録」全文翻訳 自動翻訳機の性能テスト はじめに 「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の「南京問題小委員会の調査検証の総括」(「戸井田報告」)を読むと、小委員会は2つの文書を「新」発見したかのように読める。すなわち、 第百会期国際連盟理事会(一九三八年一月二十六日~二月二日)の議事録 外務省機密文書「第百会期国際連盟理事会の議事録に於ける日支問題討議の経緯」 しかし、これは既に公表されていたと思われる外務省史料の、同じ綴りの中にあったのであって、「2つも一次史料を発見した」という事大を云う為の小細工ではないかと思う。下記史料の解禁日を確かめてみる必要があるだろう。 ア...
  • 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案「『昭和の戦争』について」 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案「『昭和の戦争』について」ネタ元? 典拠 【目次】 ネタ元? 自衛隊統合幕僚高級幹部となる為に教え込まれた歴史認識 田母神論文のネタ元ではないか、という指摘もある! http //d.hatena.ne.jp/Apeman/20081106/p1#c 余りにも稚拙な歴史学を学んでいるのは、ひとり田母神俊雄前航空幕僚長だけではない。というか、田母神が校長を務めていた幹部学校でこの稚拙な歴史学が教えられていたのである。 統合幕僚学校 典拠 西尾幹二のインターネット日録 2006年06月 http //nishiokanji.com/blog/2006/06/ より 【資料】 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 講義...
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か2
    渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―2 太田良博 昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで 琉球新報朝刊に連載 『太田良博著作集3』p171-175 目次 2 【引用者註】自決命令と住民処刑について 『ある神話の背景』では、渡嘉敷島に関するいくつかの戦記がほとんど『鉄の暴風』の中の第二章「集団自決」のひき写しであることが念入りに例証されている。『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記の部分が、直接体験者でない人から取材した伝聞証拠によるものである点をあげ、その信憑性が疑われている。だが、この場合、逆の見方も成り立つ。たとえば、直接体験者(遺族会)の記録である『渡嘉敷島の戦闘概要』が『鉄の暴風』をまねているというなら、それは表現を借用したというだけの話で、『鉄の暴風』の記述が大体においてまちがいないことの有力な証拠にさえなりうる。 問題は軍が自...
  • 『渡嘉敷島における戦争の様相』と『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同
    今日の訪問者 - 『渡嘉敷島における戦争の様相』と『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同 (引用者注)この稿は、「関西沖縄文庫」様よりご提供いただいた伊敷さん論文の別刷(下記写真)をタイピングしなおしたものです。「関西沖縄文庫」様に深く御礼申し上げます。 関西沖縄文庫:関西の沖縄情報・文化・芸能の発信基地である「関西沖縄文庫」が大阪・大正区から発信 http //okinawabunko.hp.infoseek.co.jp/ (クリックして拡大) 迫手門学院大手前中・高等学校 紀要第五号 1986年3月30日 『渡嘉敷島における戦争の様相』と     『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同 伊敷 清太郎 (引用者注)大阪地裁の公判において『渡嘉敷島における戦争の様相』は原告側証拠甲B23及び被告側証拠乙3として提出されました。また、『慶良...
  • 長勇参謀長の「『一人十殺』これでゆけ」
    http //d.hatena.ne.jp/Apeman/20071201 長勇参謀長の「『一人十殺』これでゆけ」  以下は、沖縄戦の戦闘が始まる2ヶ月前と1ヶ月半前の、第32軍参謀長である長勇少将の新聞談話である。当時の沖縄の新聞は軍部によって「沖縄新報」1紙に統合されていた。 長参謀長は新聞紙上で次のように住民を煽った。 「ただ軍の指導を理窟なしに素直に受入れ全県民が兵隊になることだ。即ち一人一〇殺の闘魂をもって敵を撃破するのだ」、「従って戦場に不要の人間が居てはうかぬ。先ず速やかに老幼者は作戦の邪魔にならぬ安全な所へ移り住むことであり、稼働能力のある者は『俺も真の戦兵なり』として自主的に国民義勇軍などを組織し、此の際個人の権利とか利害などを超越して神州護持のため兵隊と同様、総てを捧げることだ」、「敵が上陸し戦ひが激しくなれば増産も輸送も完封されるかも知れぬ。その時...
  • @wiki全体から「赤松資料:「戦史資料 昭和二十一年一月九日調整」」で調べる

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