15年戦争資料 @wiki内検索 / 「(8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中)」で検索した結果

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  • 赤松資料:陣中日誌 海上挺進第三戦隊 昭和45(1970)年作成
    ...和20年3月まで (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中) 昭和20年4月から昭和20年6月まで (9)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(下) 昭和20年7月から昭和21年1月10日まで (10)二十五周忌慰霊祭弔辞 赤松嘉次      昭和四十五年三月二十八日      元海上挺進第三戦隊長      赤松嘉次 (11)海上挺進戦隊顕彰之記 斉藤義雄      昭和四十二年十二月三日      元教育隊長 斉藤義雄 沖縄戦資料index>赤松嘉次資料
  • (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中)
    index 目次 1970年改本・谷本版 (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中) (引用者注)昭和20年4月から昭和20年6月末までを(中)としました。 (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上) (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中)昭和二十年四月四月一日晴 四月二日 四月三日より四月五日まで 四月六日曇 四月七日晴 四月八日曇 四月九日曇 四月十日曇 四月十一日曇 四月十二日晴 四月十三日晴 四月十四日晴 四月十五日晴 四月十六日 四月十七日より四月二十四日迄の間 四月二十五日曇 四月二十六日晴 四月二十七日より四月二十九日迄 四月三十日晴 昭和二十年五月五月一日曇 五月二日曇 五月三日曇 五月四日晴 五月五日晴 五月六日晴 五月七日 五月十日晴風無 五月十一日曇 五月十二日曇 五月十三日晴 五月十四日晴 五月十五日雨 五月十六日晴 五月十七日晴 五月十八日晴 五月十九...
  • (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上)
    ...三月三十一日晴 (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中) (9)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(下) 昭和十九年八月 八月二十五日 船舶兵特別幹部候補生隊教育終了の供覧演習に演習戦隊として第三戦隊が選ばれ土庄町双子浦沖の仮設敵船団(空母一、練習船一、SS二、LS一、海軍より魚雷艇三)に対し豊島訓練基地より発進、魚雷艇と交戦しつつ船団泊地に侵入体当り攻撃を実施、夜間攻撃は第一中隊が実施、此の演習記録映画は畏くも天覧の光栄に浴した。 八月二十六日 船舶司令官佐伯中将閣下臨席の下に終了式を行う、同日付特別幹部候補生上等兵の階級に進む。 八月三十一日 動員下令、船司作命第六三八号に依り船舶練習部に転属、同日小豆島出発、戦隊長以下香川県金刀比羅宮に参拝武運祈願を行う。 昭和十九年九月 九月三日 動員完結、船舶練習部に到着、海上挺進第三戦隊を編成、幸の浦第十教育隊に到着...
  • 「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究
    沖縄戦資料index 「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 赤松部隊「陣中日誌」の原本と改本 陣中日誌とは(作戦要務令より) 戦闘要報と戦闘詳報(作戦要務令より) (6)(海上挺進第三戦隊の教育と編成) 改本『陣中日誌』の付録のひとつ。この場合は「挺隊」としての「第三戦隊」 第三戦隊職員表 <沖台 沖縄021>の内容物のひとつ。この場合「第三戦隊」は、第三勤務隊、特設水上勤務隊を含んだ後期の「第三戦隊」で、部隊の「職員」として、この場合は「将校」をあげている。 赤松隊関係「史実調査参考資料報告」 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1) 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)(未作成) 特設水上勤務第104中隊軍夫編成表(昭和19.9)(※) 赤松嘉次・赤松隊資料 海上挺進基地第3大隊戦闘概要 本モノの赤松部隊「陣中日誌」  赤松部隊「陣中日誌」の原本と改本 赤松...
  • (9)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(下)
    ...挺進第三戦隊(上) (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中) (9)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(下)昭和二十年七月七月二日晴 七月三日 七月四日 七月五日 七月六日 七月七日 七月八日 七月十日 七月十六日 七月十八日 七月二十日 七月二十一日 七月二十七日 七月二十八日 昭和二十年八月八月一日 八月三日 八月四日 八月五日 八月七日 八月八日 八月九日 八月十日 八月十一日 八月十二日 八月十三日 八月十四日 八月十五日 八月十六日 八月十七日 八月十八日 八月十九日 八月二十日 八月二十一日 八月二十二日 八月二十三日 八月二十四日 八月二十五日 八月二十六日 昭和二十年十二月十二月三十日 昭和二十一年一月昭和二十一年一月三日 一月七日 一月十日 昭和二十年七月 七月二日晴  ○五三○稲垣少尉以下八名阿波連方面に於いて通信業務に従事中情勢の変化に伴い(沖縄本島軍司令部最後...
  • 分析:陣中日誌 海上挺進第三戦隊
    分析:陣中日誌 海上挺進第三戦隊
  • 第三中隊(皆本中隊)「陣中日誌控」
    第三中隊(皆本中隊) 「陣中日誌控」 実物文書の表題 「陣中日誌控」第三中隊 沖縄戦関係資料閲覧室 http //www.okinawa-sen.go.jp/ 海上挺進第3戦隊第3中隊(皆本中隊)陣中日誌と思われる。 ↓ 防衛庁 陣中日誌  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-1-107 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3中隊 陣中日誌控(昭和20.4~20.5)(※) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄284 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0301107 表紙  陣中日誌  戦闘要報 控 昭和二十年    自 四月三十日    至 五月二十三日         第三中隊 「戦闘要報控」という元の表題の「戦闘要報」部...
  • 赤松嘉次 本人文書 & 反映文書一覧表(仮)
    赤松嘉次 本人文書 反映文書一覧表(仮) 防衛研究所資料検索 http //www.okinawa-sen.go.jp/search.php No 成立 筆者 登録表題 章題 沖台沖縄 備考 Link 01 1945 辻政弘 海上挺進第三戦隊記録(付人名簿) 三月二十三日晴 209 写筆 * 02 1946.1.8 赤松嘉次 海上挺進第3戦隊[史実調査参考資料報告] p2 023 024 復員船下船時に提出 * 03 1946 1.9 赤松嘉次 海上挺進第3戦隊[戦史資料](昭和21.1.9調製) 021 赤松自筆押印 * 04 1947 3 赤松嘉次 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 渡嘉敷戦斗ノ概要 234 ガリ版印刷、正しい表題は「殉国日記」 * 05 1947 3 赤松嘉次 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 赤松部隊...
  • 本部陣中日誌
    本部陣中日誌 海上挺進第三戦隊本部陣中日誌はコチラで閲覧することができます。 沖縄戦関係資料閲覧室 http //www.okinawa-sen.go.jp/ 書き起こし 本モノの赤松部隊「陣中日誌」 防衛庁 戦後資料  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-5-202 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3戦隊記録(付人名簿)(※) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄209 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305202 ページ3~35  その<複製資料記録票>より  本資料は終戦後海上挺進第三戦隊に配属されていた木林明中尉(戦後死亡)が海上挺進第三戦隊本部要員として(副官的業務担任)記述したものである。(赤松氏談)  それを元海上挺進第三戦隊長...
  • 赤松部隊「陣中日誌」の原本と改本
    昨日 - 今日 - 「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 赤松部隊「陣中日誌」の原本と改本 1945年辻政弘中尉が戦場で執筆した原本「本部陣中日誌」と 1970年谷本小次郎元特幹伍長を中心にして赤松隊友会の合議でつくった改変版「戦隊陣中日誌」との異同を検討しました。 谷本小次郎氏は、「編集のことば」で次のように綴っています。 幸いに基地勤務隊辻政弘中尉殿が克明に書き綴られた本部陣中日誌と第三中隊陣中日誌(中隊指揮班記録による四月十五日より七月二十四日迄の記録、第三中隊長所有)を資に取り纏め聊の追記誇張・削除をも行わず、正確な史実を世代に残し歴史は再び巡りて精強第三戦隊たりと誇れる事を念願します。 しかし、「聊(いささか)の追記誇張・削除をも行わず」には首を捻らざるを得ません。 なお、谷本文中にある「第三中隊陣中日誌」は、沖縄戦関係資料閲覧室で...
  • (2)編集のことば 谷本小次郎
    index 目次 (2)編集のことば 谷本小次郎  二十五年の歳月が巡りて八月十五日終戦記念日を迎え、三百万歴戦の戦没勇士を偲び、誤り伝えられる我が海上挺進第三戦隊の戦闘詳報を、編集記録し、熱烈なる祖国愛に身を挺し、慶良間海に水漬き、渡嘉敷島に草むし悠久の大義に殉じたる戦友の御冥福を祈り、御遺族の方々に幸多かれと祈念致します。そして我が父、兄弟、かく戦えりと後世に伝え何時迄も平和な国日本の道標の一端にもなれば幸いと存じます。私、本部付として戦闘詳報、命令会報を記録し甚だ以て僅かの戦闘のみしか参加せず誠に汗顔の至りでは御座居ますが、幸いに基地勤務隊辻政弘中尉殿が克明に書き綴られた本部陣中日誌と第三中隊陣中日誌(中隊指揮班記録による四月十五日より七月二十四日迄の記録、第三中隊長所有)を資に取り纏め聊の追記誇張・削除をも行わず、正確な史実を世代に残し歴史は再び巡りて精強第三戦隊たりと誇れ...
  • 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)3/3
    「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)3/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1) 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)3/3典拠 「戦闘詳報」に対する「戦闘要報」 凡例 内容(2)の第51葉 (2)の第52葉 (2)の第53葉 (2)の第54葉 (2)の第55葉 (2)の第56葉 (2)の第57葉 (2)の第58葉 (2)の第59葉 (2)の第60葉 (2)の第61葉 (2)の第62葉 (2)の第63葉 (2)の第64葉 乱丁・落丁の検討 御意見欄 典拠 防衛庁 陣中日誌  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-1-108 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3中隊 陣中日誌控(昭和20.5~...
  • 戦隊長殿!いったい何処へ向えばイイのでありますか? 3月25日「転進命令」の怪
    戦隊長殿!ジブン達は一体、何処へ向えばイイのでありますか? 3月25日渡嘉敷島で受信したという「転進命令」の怪 赤松嘉次「戦隊長」が証言する「行き先」がクルクル変るので、防衛省公式戦史すら分裂症に陥ったまま放置されています。もちろん特幹生たちの霊は、戦隊長が伝達する軍命令の転進先がクルクル変るので、64年経っても冥土へ出発することすら出来ず、未だに渡嘉志久の浜に留まっているのでしょうか。 1、1945辻版『陣中日誌』では 「転進命令 軍並ニ軍船舶隊ヨリ部隊(戦隊ノミ)那覇ニ転進命令ヲ受領ス」 2、1945日録の大本営作戦部『戦況手簿』では、 「一、慶良間列島附近ノ敵ニ対シ海上挺進部隊ヲシテ之ニ打撃ヲ与フルト共ニ那覇ニ転進スル如ク部署ス」 3、1946.1赤松嘉次提出『戦史資料』では、 命令の要旨 「状況有利ならざる時は戦隊を率い本夜中に本...
  • 戦闘要報と戦闘詳報(作戦要務令より)
    戦闘要報と戦闘詳報(作戦要務令より) 作戦要務令 綱領.総則及第一部 http //www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default ID=M2006090102530950737 指揮及連絡 報告及通報 第三十二~第三十四 P35~P386 「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究
  • 赤松隊「陣中日誌」記述の変遷
    赤松隊「陣中日誌」記述の変遷 比較対照資料 A:1945年辻政弘中尉が戦闘陣中で記した「本部陣中日誌」原本 B:1946年1月 復員前に赤松嘉次大尉が記した「戦史資料」 C:1968年 防衛庁戦史室が赤松ら元将校の聴取に基づいて纏めた「戦史叢書:沖縄方面陸軍作戦(未作成)」における記述 D 1970年 谷本小次郎元特幹兵が赤松隊友会の声を集めて編集した「陣中日誌 海上挺進第三戦隊」 E:1973発行 曽野綾子「ある神話の背景」(未作成)の記述から(ただしここではWAC版 2006による) 批判対照資料 P:渡嘉敷村遺族会編 『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』 比較着眼点 (1)転進命令、泛水命令、自沈命令と大町大佐の関わり (2)渡嘉敷島住民への避難命令に関する記述 (3)米軍上陸に関する現認記述 (4)「集団自決」した住民についての現認記述
  • 陣中日誌とは(作戦要務令より)
    「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 陣中日誌とは(作戦要務令より) ソース http //www.warbirds.jp/sudo/sakusen/s3_9.htm アジア歴史資料センターに原本の画像複数あり その1つ 件名標題(日本語) 作戦要務令 第3部 階層 防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>大日記乙輯>昭和15年 「検閲典範令原本綴 共12冊 第四冊」 レファレンスコード C01002501500 言語 jpn 資料作成年月日 昭和15年05月17日 規模 156 http //www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default ID=M2006090103370184148 「第9篇 陣中日誌及び留守日誌」は、複写P.149より 作戦要務令 第三部 第9篇 ...
  • 注 (典拠)
    戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦 注 (典拠) 注 (典拠) 1~23 24-64 65-98 99-142 143-182 183-219 220-231 1~23 p627 1 「大陸命綴、大陸指綴」 大本営陸軍部の伝宣した大命及ぴこれに基づき参謀総長の出した指示の綴 沖台 2 「大海令綴、大海指綴」 大本営海軍部の伝宣した大命及ぴこれに基づき軍令部総長の出した指示の綴 3 「上奏綴」 大本営陸軍部の上奏書類綴 4 「上聞書綴」 用兵事項に関する大本営海軍部の上奏書類綴 5 「作戦関係重要書類綴」 作戦に関する上奏関係書類その他を綴ったもの 大...
  • 沖縄作戦 殉国日記(1)
    沖縄作戦 殉国日記(1) 沖縄作戦 殉国日記 index 沖縄作戦 殉国日記(1)図版01~05 図版06~10 図版11-15 図版16-20 お好きな場所からテキスト化してください! 沖縄作戦 殉国日記(2) 沖縄作戦 殉国日記(3) 図版01~05 図版01 クリックして拡大 図版02 図版03 図版04 クリックして拡大 序(赤松嘉次) 渡嘉敷戦斗の概要(赤松嘉次 昭和20年11月 沖縄収容所ニ於テ) 「渡嘉敷戦斗ノ概要」は、1970年編纂の「陣中日誌 海上挺進第三戦隊」所収の「渡嘉敷島戦闘の概要」の原本といえるが、後者はカタカナ書きではなくかな書きに改められ、表現にも細かい手が加えられている。後者には「中島一郎少尉」の名前はない。 赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て...
  • 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1)
    「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1) 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1)典拠 「戦闘詳報」に対する「戦闘要報」 凡例 内容(1)の第1葉 (1)の第2葉 (1)の第3葉 (1)の第4葉 (1)の第5葉 (1)の第6葉 (1)の第7葉 (1)の第8葉 (1)の第9葉 (1)の第10葉 (1)の第11葉 (1)の第12葉 (1)の第13葉 (1)の第14葉 (1)の第15葉 (1)の第16葉 (1)の第17葉 (1)の第18葉 (1)の第19葉 (1)の第20葉 (1)の第21葉 (1)の第22葉 (1)の第23葉 (1)の第24葉 (1)の第25葉 (1)の第26葉 乱丁・落丁の検討 御意見欄 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦...
  • 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3
    「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1) 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3典拠 「戦闘詳報」に対する「戦闘要報」 凡例 内容(2)の第1葉 (2)の第2葉 (2)の第3葉 (2)の第4葉 (2)の第5葉 (2)の第6葉 (2)の第7葉 (2)の第8葉 (2)の第9葉 (2)の第10葉 (2)の第11葉 (2)の第12葉 (2)の第13葉 (2)の第14葉 (2)の第15葉 (2)の第16葉 (2)の第17葉 (2)の第18葉 (2)の第19葉 (2)の第20葉 (2)の第21葉 (2)の第22葉 (2)の第23葉 (2)の第24葉 (2)の第25葉 乱丁・落丁の検討 御意見欄 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2...
  • 渡嘉敷島に残留した別部隊員
    渡嘉敷島に残留した別部隊員 会報特攻 第11号 平成2年8月 「第十一船舶団長 大町茂大佐の洋上戦死」 石田四郎 http //www.tokkotai.or.jp/kikanshi/tokko_pdf/tokko_11.pdf による、大町大佐一行の移動経過 (「会報特攻」への投稿原稿と思われる石田四郎元少尉自筆文書が、遺族によって防衛研究所に寄贈されています<沖縄 台湾399>。内容は大部分が雑誌と同じですが、編集部の手によるのでしょうか、雑誌では大町大佐の巡察目的などの記述が変更されています。また3月25日の32軍からの「転進命令」について、脚注の内容が雑誌では大幅に簡略化されておるなど、なかなか気が付かないことの検証が必要です。) 渡嘉敷島に残留した別部隊員本島から座間味へ 座間味島から阿嘉島へ 阿嘉島から渡嘉敷島へ 渡嘉敷島から本島へ(1) 残留者 渡嘉...
  • 防衛研究所資料<沖台 沖縄>
    防衛研究所資料<沖台 沖縄>シリーズ 沖縄戦関係資料閲覧室 http //www.okinawa-sen.go.jp/search.php 以下の中「未作成」は、ここで検索すると画像資料を見ることができます。 <沖台 沖縄>トピック 001~050 第1篇 第32軍沖縄作戦記録<沖台 沖縄001>(改訂版)(昭和24年11月復員局編纂) 第32軍沖縄作戦記録(昭和21年8月第一復員局編)<沖台 沖縄008> 第32軍沖縄作戦に関する質疑に関する回答(昭和20年12月22日第一復員省編)<沖台 沖縄016> 海上挺進第3戦隊渡嘉敷島戦闘概要(昭和20.3~20.8)<沖台 沖縄021>(未作成) 赤松隊『陣中日誌』原本の写本(敗戦直後作成) 海上挺進第3戦隊[戦史資料](昭和21.1.9調製)<沖台 沖縄021>(未作成) 赤松嘉次の提出文書 海上挺進基地第4大...
  • 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3
    「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(1) 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)1/3 海上挺進第三戦隊「第三中隊戦闘要報控」(2)2/3典拠 「戦闘詳報」に対する「戦闘要報」 凡例 内容(2)の第26葉 (2)の第27葉 (2)の第28葉 (2)の第29葉 (2)の第30葉 (2)の第31葉 (2)の第32葉 (2)の第33葉 (2)の第34葉 (2)の第35葉 (2)の第36葉 (2)の第37葉 (2)の第38葉 (2)の第39葉 (2)の第40葉 (2)の第41葉 (2)の第42葉 (2)の第43葉 (2)の第44葉 (2)の第45葉 (2)の第46葉 (2)の第47葉 (2)の第48葉 (2)の第49葉 (2)の第50葉 乱丁・落丁の検討 御意見欄 海上挺進第三戦隊「第三中...
  • 防衛研究所 [沖台 沖縄] を引くためのキーワード
    沖縄戦関係資料閲覧室 http //www.okinawa-sen.go.jp/search.php で 防衛研究所 [沖台 沖縄] を引くためのキーワード 漢数字は禁、洋数字を使用のこと。 沖縄 沖縄戦 沖縄作戦 海上挺進 海上挺進第3戦隊 海上挺進第3中隊 第5海上挺進基地隊 第3勤務隊 勤務隊 整備隊 船舶工兵第26連隊 第11船舶団 特設水上勤務 32軍 史実資料 戦闘指針 陣中日誌 戦闘詳報 命令 会報 大本営 回想 教訓 防衛召集 牛島 長勇 八原 神直道 戦況 島民の行動 慶良間 渡嘉敷 座間味 伊江島 指導 宣伝 警備 糧食 石垣島 宮古島 玉砕 自決 援護法 軍属 軍夫 図書検索
  • 赤松隊「陣中日誌」改竄の一端
    昨日 - 今日 - 赤松隊「陣中日誌」改竄の一端 全体の比較資料はこちら→赤松部隊「陣中日誌」の原本と改本 赤松隊「陣中日誌」改竄の一端より詳細な検証が必要だが 辻政弘中尉「本部陣中日誌」1945(防衛研究所資料・沖台沖縄209) 谷本小次郎編「陣中日誌」1970(防衛研究所資料・沖台沖縄405) 《違い》 中西記者の引用 大阪地裁判決での評価 大阪高裁判決での評価 陣中日誌改竄に基づく赤松手記 より詳細な検証が必要だが   文献取り扱い専門家である歴史研究者によるより詳細な検証が必要ですが、海上挺進第三戦隊の「陣中日誌」(赤松隊陣中日誌)改竄の一端が明らかになりました。赤松隊陣中日誌とは、1970年に編纂されたものです。編者である元戦隊本部付特別幹部候補生、谷本小次郎氏は次のように記しています。 ……   私、本部付として戦闘詳報、命令会報を記録し甚だ以て...
  • 再び「殉国日記」について 2009,9,27
    再び「殉国日記」について これは http //keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-66.html#comment-top こちらのコメント欄に対する、W氏へのレスです。オフトピについての長文の討論となりますので、ブログ主さんへのご迷惑を避けるため、弊ブログへのリンクと致しました。 なお再反論は、当頁末尾にコメント欄を設置しましたので、Wさんに置かれましても、こちらにてお願いします。 敬具 「殉国日記」内の主要な文献をファイルしましたので御報告します。 ■沖縄作戦 殉国日記 index http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2223.html 早々と「気がついたことを纏め」た方がおられますが、その“飛ばし”記事の中に事実誤認や誤解を招くやしれぬ独断が...
  • 沖縄戦資料index
    今日の訪問者 - 沖縄戦資料index 【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 証言記録「沖縄住民虐殺」―日兵逆殺と米軍犯罪 沖縄戦と民衆(目次) 歴博「集団自決」展示問題 大田昌秀講演「沖縄戦と集団自決裁判について」 読める判決「集団自決」=大阪地裁判決と裁判資料 読める控訴審判決「集団自決」 =大阪高裁判決と裁判資料 「ある神話の背景」の研究 「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 Index 沖縄戦資料index地理渡嘉敷村ガイド 文献 沖縄戦根元史料作戦と戦闘経緯 沖縄戦前夜 慶良間諸島の戦闘と集団自決 住民虐殺 体験証言沖縄県史渡嘉敷 座間味 阿嘉 慶留間 渡嘉敷村史 座間味村史 その他 軍政と住民動員 富山証言と手榴弾配布 朝鮮人軍夫と朝鮮人慰安婦 援護法 米軍資料 戦時報道 防衛研究所資料 論争史戦後ルポ 潮1971年11月号 青い海1971年6月号 曽...
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  • (3)無題 斉藤義雄
    index 目次 (3)無題 斉藤義雄  赤松隊長の御要請を拒み切れなくて折角の貴重な記録の刊行を汚すことを恐れながら筆を執らせて戴きました。私は赤松隊長、皆本中隊長とは○レの研究を命ぜられた時から起居を共にし、皆様が小豆島および豊島で最初の訓練を重ねられた時にはその御手伝いをしていました。運命と申しますか戦隊長要員として特幹隊に到着後突然訓練主任を命ぜられた為でした。運命が変わっていたら或は戦隊長として皆様と一緒に苦労を共にしたかも知れない身上であったのです。  戦後何かの意図の下に心なき奴輩の行った第三戦隊に対する誹謗攻撃については、他人の事とは思えない憤激を覚え、又赤松隊長の人柄を知る一人としては信じ難い事として心痛の種でありました。  去る昭和四十五年三月の隊長以下の渡沖は色々の意味に於いてよい結果を生じたとのことで心から喜びに堪えません。此度第三戦隊の陣中...
  • 沖縄作戦 殉国日記 index
    防衛研究所資料<沖台 沖縄> 沖縄作戦 殉国日記 index <沖台 沖縄234> 図版01 【資料データ】 沖縄戦関係資料閲覧室 整理番号: B03-5-331 収蔵文書名: 簿冊名: 沖縄作戦 殉国日誌(海上挺進第3戦隊 皆本義博提供) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄234 (「沖縄作戦 殉国日記」が正しいが、誤登録の為「沖縄作戦 殉国日誌」でないとヒットしない) 画像閲覧 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305331 (アジ歴ではみつかりませんでした) 【殉国日記とは】 沖縄で「集団自決」が起こった島の一つ、渡嘉敷島に駐留していた海上挺進第三戦隊第三中隊所属の中島一郎少尉は、戦後もなお行方不明であった。千葉県の実家へ...
  • 本モノの赤松部隊「陣中日誌」
    昨日 - 今日 - 本モノの赤松部隊「陣中日誌」 海上挺進第三戦隊 本部付辻政弘記「本部陣中日誌」 これを素材にして1970年、小谷小次郎元特別幹部候補生伍長を中心にした赤松隊戦友会が「海上挺進第三戦隊陣中日誌」を編集した。赤松部隊「陣中日誌」の原本と改本 ソース 【書誌データ】 防衛庁 戦後資料  配架場所 B03防衛庁 整理番号: B03-5-202 収蔵文書名: 簿冊名: 海上挺進第3戦隊記録(付人名簿)(※) 原本所蔵機関: 防衛研究所 請求番号: 沖台 沖縄209 【閲覧】 http //www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305202 ページ3~35 【表紙】 沖縄作戦 海上挺進第三戦隊記録 (付)人名簿 元海上挺進第三戦隊長 元陸軍少佐 赤松嘉次 受付印「戦史...
  • h 前記「沖縄県史 第10巻」(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-082 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(ア)(赤松命令説記載文献)   赤松命令説について直接これを記載し, 若しくはその存在を推認せしめる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 h 前記「沖縄県史 第10巻」(2ha) (判決本文p170~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 h 前記「沖縄県史 第10...
  • 皆本義博氏 証人尋問2007年07月27日
    http //www.okinawatimes.co.jp/day/200707271700_01.html 沖縄タイムズ 2007年7月27日(金) 夕刊 1面 軍命有無めぐり主張/「集団自決」訴訟証人尋問  沖縄戦時に慶良間列島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、旧日本軍の戦隊長らが命令は出していないと主張している訴訟の証人尋問が二十七日午前、大阪地裁(深見敏正裁判長)で始まった。原告・戦隊長側の証人として、渡嘉敷島駐屯の海上挺進第三戦隊の中隊長だった皆本義博氏(85)が証言。皆本氏は「赤松(嘉次)隊長とは密接に連絡を取り合っていたが、住民に自決命令を出したという話はまったく聞いていない」などと語った。  一方で皆本氏は被告側の反対尋問で「(『集団自決』があった)三月二十八日までの三日間の赤松隊長の動向は知らない」とも述べた。  皆本氏は、手榴...
  • (原)第3・4(1)ウ(ク) 証人知念朝睦及び皆本証人の各証言について
    目次 戻る 通2-027 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第2 事案の概要等 第2の3 前提事実及び争点 【原判決の引用】 (原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張 (原)4 争点4(真実性の有無)について (1)被控訴人らの主張 第3の4(1)ウ 渡嘉敷島について (原)第3・4(1)ウ(ク) 証人知念朝睦及び皆本証人の各証言について (判決本文p57~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)第3・4(1)ウ(ク) 証人知念朝睦及び皆本証人の各証言についてa (皆本証言について)* b (知念証言について)* a (皆本証言について)*   皆本証人は, 赤松大...
  • 沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index
    「ある神話の背景」の研究 WAC版 沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index 曽野綾子 書籍本文は公開してません 新版まえがき(引用者注)まえがきは、著者あるいは編集者から何の注釈も無いが、平成18年のWAC版になって初めて付けられた。 沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二 後記次のものを資料として・・・・ 解説 石川水穂 分析ツール香盤表 『ある神話の背景』連載版との異同(非公開) (引用者注)WAC版には小見出しはついてないが、諸君連載版でのリードから「 」を、私からの要点を▼で記し、indexとした。一切の敬称を略す。 一  (『諸君』1971年10月号に相応) 一 (1)P11~16 「島との出会い ― 夢の中でのこと」 ▼曽野綾子の夢想 一 (2)P16~25 「告発」 ▼赤松告発書の...
  • 赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て
    赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て ガリ版刷り資料「沖縄作戦 殉国日記」に所収 http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2223.html http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2220.html 赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て解説 「序」 「渡嘉敷戦斗ノ概要」 分析御意見欄 解説 「渡嘉敷戦斗ノ概要」は、海上挺進第三戦隊長赤松嘉次大尉による戦闘報告であって、本人に拠れば沖縄本島石川の捕虜収容所で書いたものである。復員した赤松大尉が昭和21年1月、浦賀の引揚掩護局に提出した「戦闘報告」もこれであろう。 この最も古い赤松文書に渡嘉敷島住民の「集団自決」に関する記述は何も無い。降伏から3ヵ月後の時点で赤松が「...
  • 《私記》私は自決を命令していない
    気が付いたら文末が欠落していましたので補修しました。ご迷惑をおかけしました。 雑誌「潮」1971年11月号 特別企画・沖縄は日本兵に何をされたか 《私記》私は自決を命令していない "極悪無残な鬼隊長だった。といわれているが、ことの真相を事実に基き明らかにしたい 赤松 嘉次 元海上挺進第三戦隊長・肥料店経営 《私記》私は自決を命令していない怒号のアラシの出迎え 出撃を中止した背景には 曲解された"軍命令" 住民の集結すら知らない 住民を惨殺したというが 投降までのいきさつ 投降時、村に三つの色分け なぜ現地調査をしないのか 【写真】渡嘉敷島へ転進まえの筆者(当時23歳) 怒号のアラシの出迎え 「何しにノコノコ出てきたんだ! 今ごろになって!」 「おまえは三百人以上の沖縄県民を殺したんだぞ! ...
  • 吉川勇助さん
    吉川勇助さん(渡嘉敷) 連載「命語い」(9) http //www.okinawatimes.co.jp/spe/syudanjiketsu/nuchigatai09.html 吉川勇助さん -上- (6月14日朝刊総合3面) 村長の「陛下万歳」合図に 防衛隊員、耳打ち「それが軍命だった」  渡嘉敷島。西の御嶽と日本軍の北山(にしやま)陣地の谷間。一九四五年三月二十七日、米軍上陸後、各地に避難していた住民が、軍命でフィジガー、後に第一玉砕場と呼ばれる場所に集められた。  住民は家族や親族、集団ごとにまとまっていた。当時六歳で、母親と妹と来た新崎直恒(69)。グループには手榴弾がなく、知り合いの集団に加わった。その輪には直恒らが「皆から、とても信頼をされている人」と話す、当時十五歳で役場職員の吉川勇助(78)がいた。  勇助の家族で七、八人、直恒...
  • c 「陣中日誌」(昭和45年)谷本小次郎著(ha)
    通088 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(イ) (赤松命令説を否定等する文献)* c 「陣中日誌」(昭和45年)谷本小次郎著(ha) 「陣中日誌」は,第三戦隊の隊員であった谷本小次郎によって編集されたものである。 「陣中日誌」には,昭和20年3月28日の欄に 「自決は翌日判明したるものである。」 との記述があり,その後に 「三月二十九日曇雨 悪夢の如き様相が白日眼前に酒された昨夜より自訣したるもの約二百名(阿波連方面に於いても百数十名自訣,後判明)首を縛った者,手榴弾で一団となって爆死したる者,棒で頭を打ち合った者,刃物で頸部を切断したる者,戦いとは言え...
  • 和田さんスペース
    和田さんスペース 12月1日記(※) 和田さんの為に2回限定でスペースを提供します。おそらく、1回で1000字×10回分以上は有ると思います。その2回分です。誰かに議論を吹っかけたり、余所へ行って呼び込みをなさるのは困ります。管理上のコメントがある場合は、投稿欄の外に書きますのでご了承ください。 (何度も申上げていますが、ご自分のサイトを設けてご持論を発表するのが最善です。そのための準備の一環として御使いいただければ幸いです。) ※日付のみ追記 和田さんへ 1月29日  よくよく考えて、私やKさんへのカラミの部分を削除させていただいて、再掲載することにしました。  カラミは、ここをご提供する主旨に反するからです。ここをご提供するということは不特定多数への発表ですから読者は私と和田さんとの論争の経緯など、知るよしもありません。読者にわからないだけでなく、た...
  • c 「陣中日誌」(昭和45年)谷本小次郎著(2ha)
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-089 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(イ)(赤松命令説を否定等する文献)   赤松命令説について否定し, 又はその存在の推認を妨げる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 c 「陣中日誌」(昭和45年)谷本小次郎著(2ha) (判決本文p177~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。   「陣中日誌」は,...
  • 1968~1973の関係者経緯
    「ある神話の背景」の研究 今日の訪問者 - 1968~1973を中心とする関係者経緯 1958 昭和33年の春ごろ。『週刊朝日』『サンデー毎日』 1961 曽野綾子、文芸春秋社の講演で今東光、中村光夫と共に沖縄行 1963.4号 『家の光』宮城初枝手記「沖縄戦最後の日」 1967.12 ※5曽野、仲宗根政善と三人の元師範生と会う 1968.1 防衛研修所戦史室『戦史叢書・沖縄方面陸軍作戦』刊  渡嘉敷島赤松戦隊長、中村、富野、皆本中隊長の回想反映(引用文献に、「戦闘記録」赤松著(昭和21年1月浦賀復員時復員局に提出)はあるが『第3戦隊陣中日誌』はない) 1968.1.14 戦後23年目にはじめて開かれた「渡嘉敷島海上挺身(ママ)隊第三戦隊」の"同窓会" 1968.4.6号 ※1『週刊新潮』赤松氏談話(マスコミデビュー) 1968 4.8朝刊...
  • 再び「殉国日記」について 2009,9,27/コメントログ
    nio615さん おじゃまします。 いくらか提案させて下さい。      まず、事実に迫ることが大切だと思うので、余計な罵倒と中途半端な中止は避けましょう。黒・白・灰色と仕分けできるまで議論したらどうですか。 実のある議論にしましょう。 次に、議論対象の範囲を明確にしたほうがよいでしょう。泛水に関することはオミットして大町大佐が沖縄本島を離れてから渡嘉敷を離れるまでの行動と意味を議論対象としてはどうでしょうか。 そうはいっても、対象が広すぎ議論が分散するおそれがあります。   私は次の論点に整理しましたがその中に取り上げることに問題がある論点がありますか。 1.1945/03/22に沖縄本島を出発した大町大佐一行の目的は、赤松や曽野のいうとおり、視察でよいのか。マルレ出撃陣頭指揮の可能性はないか。 2.「戦史叢書」で大町大佐一行に含まれる鈴木常良が「石田手記」には掲載されず替わりに石田四郎...
  • 第4・5(4)ク その余の文献の評価
    通106 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(4) 集団自決に関する文献等の評価について 第4・5(4)ク その余の文献の評価 第4・5(4)ク その余の文献の評価(ア)(櫻井よしこのコラム)* (イ)(陣中日誌)* (ウ)(「花綵の海辺から」)* (エ)(「沖縄戦ショウダウン」)* (ア)(櫻井よしこのコラム)* 櫻井よしこは,第4・5(2)ア(イ)f(b)のとおり,週刊新潮のコラムにおいて,座間味島の集団自決について概ね原告梅澤の供述に沿う事実経過を記載しているが,第4・5(2)ア(イ)f(b)で判示したとおり,その記載内容から原告梅澤に対する取材や前記神戸新聞の記事等に基づく見解にとどまり,原告梅澤に対する取材を除き,櫻...
  • 15年戦争資料庫
    昨日 - 今日 - 15年戦争資料庫 ページ数3336一部公開 「南京事件」143枚の写真&読める判決、「ラーベの日記」を読みながらブログ『1937年秋冬コレクション』、産経iza 安禅不必須山水 iza!(復活)もどうぞ. また、ja2047 memorialとTohoho ピース ウォークも. ■当資料庫の御利用にさいしてのお願い メニュー欄から現場にたどり着けないときは、サイト内検索を御利用ください。複数のキーワードを使えば「and検索」ができます。 サイト内検索 and or New! 【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 軍の司令部の付近の住民がスパイといって虐殺された? そんなことありません。絶対そんな不潔なことしません、と 証言記録「沖縄住民虐殺」―日兵逆殺と米軍犯罪 沖縄戦と民衆(目次) New!...
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    昨日 - 今日 - 15年戦争資料庫 ページ数3119一部公開 「南京事件」143枚の写真&読める判決、「ラーベの日記」を読みながらブログ『1937年秋冬コレクション』、産経iza 安禅不必須山水 iza!(復活)もどうぞ. また、ja2047 memorialとTohoho ピース ウォークも. ■当資料庫の御利用にさいしてのお願い メニュー欄から現場にたどり着けないときは、サイト内検索を御利用ください。複数のキーワードを使えば「and検索」ができます。 サイト内検索 and or New! 宇都宮けんじさんへの諌言書 New! 第13回-第14回 福島県県民健康管理調査検討委員会 甲状腺検査結果について New! 舩橋淳(映画作家) 今は平時でなく、戦時になりつつある~圧倒的な危機感という視点~ New! ...
  • 皆本義博直話 昭和21年3月
    沖縄作戦 殉国日記(3) 皆本義博直話 昭和21年3月 聞き書き:中島幸太郎  「集団自決」事件で名を知られる赤松部隊すなわち海上挺進第三戦隊に所属する第三中隊中島一郎少尉は、昭和20年3月26日の夜、沖縄全体の海上挺進特攻の司令官である第十一船舶団長大町大佐とその一行を、沖縄本島司令部まで護送する特攻艇の操縦手として選抜され、他の一艇と共に米軍上陸前夜の慶良間列島渡嘉敷島を脱出した。  しかし島の周囲は夥しい米軍艦艇に取り巻かれている。脱出行の成功は期待できるものではなかった。一艇は出発直後に沈没しその乗務者は渡嘉敷等に泳ぎついた。大町大佐を乗せた中島艇は消息を絶ったままとなった。  戦後、中島一郎の父幸太郎は、本土に復員した赤松部隊関係者に手紙を送ったり面会を求めたりして、息子一郎の死のいきさつを知ろうと奔走した。その経過を一郎の二周忌にあたり幸太郎が綴っ...
  • (原)ク その余の文献の評価
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-115 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(4) 集団自決に関する文献等の評価について (原)ク その余の文献の評価 (判決本文p224~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)ク その余の文献の評価(ア)(櫻井よしこのコラム)* (イ)(陣中日誌)* (ウ)(「花綵の海辺から」)* (エ)(「沖縄戦ショウダウン」)* (ア)(櫻井よしこのコラム)*   櫻井よしこ...
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か4
    渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―4 太田良博 昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで 琉球新報朝刊に連載 『太田良博著作集3』p179-183 目次 4 【引用者註】言動が信用できない赤松に信をおく 赤松隊「陣中日誌」に、「三月二十九日も曇雨。昨夜より自決したるもの約二百名。首を縛つた者、手榴弾で一団となって爆発したる者、棒で頭を打ち合った者、刃物で頚部を切断した者、戦いとは言え、言葉に表し尽し得ない情景であった」と、あたかも目撃したように記録してある。 ところが、『ある神話の背景』では、「集団自決の情景」をみたものは、赤松隊には誰もいなかったことになっている。 179 赤松の話では、第三戦隊陣中日誌は主に谷本候補生(伍長)が書いたという。 陣中日誌に関しては、作戦要務令第三〇八条から第三一七条の各条で...
  • 2005/7/24産経新聞記事
    2005/7/24産経新聞記事  裁判の提訴日は8月5日だが、産経新聞はそれに先駆けたこの日、同時に2つの記事を掲載した。「裁判」と「教科書検定」と2つのプロモーションが密着連動していることを物語っている。 2005/7/24産経新聞記事沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き 沖縄守備隊長遺族、大江氏・岩波を提訴へ 「自決強制」記述誤り、名誉棄損 沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き 産経新聞 平成17(2005)年7月24日[日] 集団自決が軍の命令だったとされてきた“歴史”が法廷で争われることになった。沖縄戦が住民を巻き込んだ悲惨な地上戦だったことは事実だが、軍の残虐性を示す“証拠”の発端は、島の長老と生存者による遺族のための悲しい口裏合わせだったという。最初に書かれた沖縄タイムス社の『鉄の暴風』の記述は大江健三郎氏の代表作『沖縄ノ...
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