ジェンダーフリー&バックラッシュ騒動まとめ内検索 / 「0-3 研究の背景」で検索した結果

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  • 0-3 研究の背景
    前:バックラッシュの定義について 研究の背景  2000年前後より、メディア上では「ジェンダーフリー」や「男女共同参画」に対する批判的言説が量産された。その言説の担い手は主に保守系のメディアであるが、(講演、勉強会、ミニコミなどの)ローカルメディアからマスメディア、そしてネットなどの個人メディアを媒介として多くの「普通の市民」達の間にも「ジェンダーフリー」「男女共同参画」(という言葉の元に収斂されたイメージとしての「フェミニズム」一般)への否定的イメージが浸透していき、各方面にてクレイム申し立ての応酬が行われ、「社会問題として構築」(スペクター&キッセ)されていった。  その結果、2006年頃の日本では、実際にジェンダーフリー運動に関わっていたフェミニストは一部であるものの、フェミニストと言えば「過激な」「行き過ぎた」という枕詞とセットになったジェンダーフリー論者として想...
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    ...ュの定義について 0-3 研究の背景 1-1 「ジェンダーフリー」と「男女共同参画」の言説史 1-2 東京女性財団のパンフレットと報告書 1-3 「ジェンダーフリー」の広がり 1-4 「男女共同参画」の誕生 1-5 「男女共同参画」誕生の「内因」と「外因」 1-6 「ジェンダー主流化」の時代 1-7 ジェンダーフリーの「誤配」  1-8 ジェンダーフリーの実践と、その問題点 2-1 「バックラッシュ」の発生 2-2 「バックラッシュ」の起源と広がり 2-3-1 「バックラッシュ」の言説史 1997年~2002年 2-3-2 「バックラッシュ」の言説史 2003年~2004年 2-3-3 「バックラッシュ」の言説史 2005年~ 2-4 批判言説のパターン構築 2-5-1 「ジェンダーフリーの<理念>」の構築 2-5-2 「ジ...
  • 1-1 「ジェンダーフリー」と「男女共同参画」の言説史
    前:0-3 研究の背景 1-1 「ジェンダーフリー」と「男女共同参画」の言説史  90年代半ばから後半にかけては、様々な意味で日本のフェミニズムの転換点となった時期として「記述される」。1995年に北京で行われた国連の世界女性会議以降、「ジェンダー」という言葉・概念を女性運動、性差別運動のキータームとして位置づける国際的な動きが強まった。行政が「男女共同参画社会」の形成へと舵を切った一方で、行動する女たちの会の解散やフェミニズムのアカデミズム化、長期不況や「後期近代化」による批判対象としての「公共圏」の変容など、フェミニズム運動の主体や地盤、前提などが大きく変動していた。  スーザン・ファルーディの『バックラッシュ―逆襲される女たち』(新潮社)が日本で翻訳、出版されたのは1994年。その翌年の1995年、日本に「ジェンダーフリー」(あるいはジェンダー・フリー。「・」に特...
  • 目次
    ...の定義について 0-3 研究の背景 1-1 「ジェンダーフリー」と「男女共同参画」の言説史 1-2 東京女性財団のパンフレットと報告書 1-3 「ジェンダーフリー」の広がり 1-4 「男女共同参画」の誕生 1-5 「男女共同参画」誕生の「内因」と「外因」 1-6 「ジェンダー主流化」の時代 1-7 ジェンダーフリーの「誤配」  1-8 ジェンダーフリーの実践と、その問題点 2-1 「バックラッシュ」の発生 2-2 「バックラッシュ」の起源と広がり 2-3-1 「バックラッシュ」の言説史 1997年~2002年 2-3-2 「バックラッシュ」の言説史 2003年~2004年 2-3-3 「バックラッシュ」の言説史 2005年~ 2-4 批判言説のパターン構築 2-5-1 「ジェンダーフリーの<理念>...
  • 0-2 バックラッシュの定義について
    ...。 続き:0-3 研究の背景
  • 1-2 東京女性財団のパンフレットと報告書
    前:1-1 「ジェンダーフリー」と「男女共同参画」の言説史 1-2 東京女性財団のパンフレットと報告書  まず「ジェンダーフリー」という言葉の「起源」を見てみよう。後に係争の中心におかれ、社会問題の構築の契機として機能する「ジェンダーフリー」という言葉が日本において最初に使われたのは、1995年、東京女性財団(*1)のパンフレット「Gender Free」およびそのプロジェクト報告書においてであるとされる。1995年3月に発行された東京女性財団による報告書「ジェンダー・フリーな教育のために」は、3名の教育学者、深谷和子、田中統治、田村毅によって作成された。当時の肩書きは、それぞれ東京学芸大学教育学部教授、筑波大学教育学系助教授、東京学芸大学教育学部助教授である。  プロジェクト報告書の一章には、まず次のように書かれている。 「ジェンダー・バイアスの是正に向けて」 ...
  • 2-5-4 「ジェンダー論の嘘」の構築
    前:2-5-3 「過激な性教育」の構築 2-5-4 「ジェンダー論の嘘」の構築  「ジェンダーフリー」バッシングは、次第に「ジェンダー」概念自体のバッシングへと重ねられていく。特に2002年以降、各エビデンスの強調によるネームコーリングが繰り返される一方で、ジェンダー論自体が似非科学であり理論的根拠はない、あるいはジェンダーという言葉自体に政治的意図があり危険であるというタイプのクレイム実践が大きく展開されていく。但し、理論的細部の検討よりも、『ラディカルに語れば…』(平凡社、2001)における大沢真理や上野千鶴子の「失言」 やジェンダー理論について触れたワンフレーズから数パラグラフ を元に、「男女共同参画基本法」の「隠れた意図」を指摘しつつ、「保守の油断」を「反省」しながら「反撃」 をうながすような言説が多く、その分かりやすさゆえに衆目を集めていった。また、「ジェンダー」概...
  • 2-5-3 「過激な性教育」の構築
    前:2-5-2 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の構築  2-5-3 「過激な性教育」の構築  フェミニズムに対して「フリーセックスを望む運動」とする批判パターンは90年代以前に既に繰り返されており、夫婦別姓批判においても「恋愛至上主義=フリーセックス」という定義パターンが反復されていた 。一方、ジェンダーフリーバッシングにおいては、「過激な性教育が広がっている」という定義と共に、「実例」を基に反復されるケースが多く観察される。とりわけ、「ジェンダーフリー」を「フリーセックスの実現を目論むもの」として定義した上で批判するものが多い。繰り返された定義パターンには、「過激な性教育」の「実例」として、「ピル推奨本」「セックス人形」「性器の名前を連呼させる授業」などが挙げられる。それぞれがどのように構築されていったのかを記述していこう。  2001年、母子衛星研究会編『思春期...
  • 2-3-2 「バックラッシュ」の言説史 2003年~2004年
    前:2-3-1 「バックラッシュ」の言説史 1997年~2002年 2-3-2 「バックラッシュ」の言説史 2003年~2004年 2003年1月 千葉県にて、「男らしさ、女らしさを一方的に否定することなく」と記された男女共同参画条例に関する自民党独自案が提出。 『週刊新潮』が「女性器にまで触らせる小学校の『過激すぎる性教育』」(23日号)、「高校生にも男女同室着替えをさせる「ジェンダーフリー」教育の元凶」(30日号)という特集記事を続けて掲載。「文化的マルキスト」「理想はカタツムリ」とキャプションをうち、山谷えり子、八木秀次、高橋史朗らのコメントを掲載しつつ、大沢真理、上野千鶴子を「2大教祖」「ジェンダーフリーを広めた同志2人」と批判。 国際勝共連合(「統一教会」の教祖、文鮮明が共産主義思想打倒のために設立した団体)、「・2003年 内外情勢の展望」にて「共産主義者は青少年の...
  • 2-3-1 「バックラッシュ」の言説史 1997年~2002年
    前:2-2 「バックラッシュ」の起源と広がり 2-3-1 「バックラッシュ」の言説史 1997年~2002年 ここで一度、「バックラッシュ」として観察される現象の代表的な関連事例を簡単にまとめてみよう。 1997年1月 「新しい歴史教科書を作る会」結成。 1997年5月 「日本会議」結成。 1998年 1月1日 『日本時事評論』、「男女混合名簿」を批判しつつ、「ジェンダーフリー」について言及 1998年11月 東京都文京委員会にて、古賀俊昭委員が「ジェンダーフリーを読みますと、男だから泣くなとか、しっかりしろというのはいけないというふうになってますね。しかし、普通、私たち何かそういう気持ちをまだ持ってる国民、日本人の意識というのは、まだそれはとんでもないことだという意識になっているんでしょうか。行政というのは、余り先んじて物を進めるということは好ましくないと思うんです...
  • 2-2 「バックラッシュ」の起源と広がり
    前:2-1 「バックラッシュ」の発生 2-2 「バックラッシュ」の起源と広がり  「ジェンダーフリー」「男女共同参画」への批判は、遅くとも1998年から1999年の春頃にはローカルな媒体などを通じて徐々に行われていた。山口県に本部を持つ日本時事評論社の発行している『日本時事評論』は、98年1月1日の時点で「日教組に加入している教員が、性差をなくす(ジェンダーフリー)教育を展開しているのもこの一環だ」という表現を用い、男女混合名簿を批判している。日本会議の機関紙『日本の息吹』の「平成11年4月号」(保守系のメディアは西暦ではなく年号を用いるものが多い)には「男女共同参画基本法案の非常識 「男女平等」で人は幸福になれるか」という記事が掲載されている(書き手は久保田信之学習院女子大学教授、当時)。記事のキャプションには、「夫婦別姓、ジェンダー・フリーなど推進してきた家族解体、社会解体...
  • 2-3-3 「バックラッシュ」の言説史 2005年~
    前:2-3-2 「バックラッシュ」の言説史 2003年~2004年 2-3-3 「バックラッシュ」の言説史 2005年~ 2005年 1月 国際勝共連合、年度方針にて「学校では過激な『性交教育』が闊歩し、社会では『男女共同参画』を隠れ蓑にしてジェンダーフリーが大手を振って徘徊している。これらはいずれも文化共産主義の為せる技である」と言及。 西尾幹二・八木秀次『新・国民の油断』(PHP研究所)出版。 『正論』(05年02月号)、八木秀次「嘘から始まったジェンダーフリー 『ブレンダと呼ばれた少年』が物語る“性差”の真実」掲載。 2005年2月 山谷えり子、少子高齢社会に関する調査会にて「ジェンダーフリー思想のおかしさといいますか、男女同権とは何の関係もないですね、その思想の乱暴さといいますか空想的といいますか、その辺の御説明をもう少ししていただきたい」と質問、参考人の松尾宣武、...
  • 1-3 「ジェンダーフリー」の広がり
    前:1-2 東京女性財団のパンフレットと報告書 1-3 「ジェンダーフリー」の広がり  このようにして「誕生」した「ジェンダー・フリー」という用語に関は、主に行政関係と教育分野を中心に啓蒙活動が進んでいった。同時に、いくつかの新聞で大きく取り上げられたこともあり、男女共同参画の啓発活動の一端として「ジェンダー・チェック」を取り入れて行く自治体も見受けられた。その間、「起源」を離れ、和製英語として使用されていく中で、「ジェンダーフリー」の間の「・」が取れた表記が多く見られるようになる。  ジェンダーフリーという言葉は95年頃から、教職員団体や自治体の啓発活動のなかで使われていく。97年頃から地方の自治体が啓発活動の一環として、「ジェンダー・チェック」のバージョンを様々に変えてパンフレットやワークショップなどで配布される機会が増えていく。例えば98年には青森県ほかで、99年...
  • 2-5-2 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の構築
    前:2-5-1 「ジェンダーフリーの<理念>」の構築 2-5-2 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の構築  フェミニズムバッシングにおいて、「男女の差異を一切無くす思想」「女を男並にする試み」「女尊男卑の運動」「モテナイ女のルサンチマン」という批判パターンは「バックラッシュ」以前から繰り返されているが、ジェンダーフリー批判において特に顕著なのは、「ジェンダーフリー推進の一環として、実際に同室着替えが行われている」というクレイム申し立ての定義パターンが繰り返されたことだ。クレイム後に文部科学省が行った調査では「ジェンダーフリーに基づく男女同室着替え」は確認されておらず、「ジェンダーフリーの推進側」としてしきりにクレイムメイカーに拠って繰り返し批判されている日教組でさえ、更衣室の実態調査「更衣室の絶対的不足」を訴え、文部科学省に整備拡充を申し入えるなど、「ジェンダーに敏感な視...
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