ジェンダーフリー&バックラッシュ騒動まとめ内検索 / 「2-6 「バックラッシュ」の「成果」とはなにか」で検索した結果

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  • 2-6 「バックラッシュ」の「成果」とはなにか
    ...」の構築  2-6 「バックラッシュ」の「成果」とはなにかの  以上、2006年までの間に行われた「バックラッシュ」言説の構築プロセスを簡単に追ってきた。では、かようなクレイム実践は、具体的にはどのような政治的効果を持ったのだろうか。  「過剰」な言説によって、普段はそのコミュニケーションに関心を持たない層をある単純化した枠組みの中に瞬間的に回収する「バックラッシュ」言説は、特定のトピックスを政治的課題として構築する「運動体」によって解釈、利用される。かような実践の効果として、地方議会や国会答弁などにも見受けられるように、「男女共同参画」や「ジェンダーフリー」を「社会問題」にすることで、保守派側から争点化しやすくなった点はあげられるだろう(議題設定効果:McCombs Shaw 1972 )。その結果、男女共同参画基本計画に否定的な注釈がつけられた他、「ジェンダ...
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    ...0の実例」の構築  2-6 「バックラッシュ」の「成果」とはなにか  @ウィキ ガイド @wiki 便利ツール @wiki 更新履歴 取得中です。
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    ...の実例」の構築  2-6 「バックラッシュ」の「成果」とはなにか 
  • 2-1 「バックラッシュ」の発生
    前:1-8 ジェンダーフリーの実践と、その問題点 2-1 「バックラッシュ」の発生  バックラッシュは、アメリカのフェミニスト、スーザン・ファルーディが『バックラッシュ―逆襲される女たち』(1994、新潮社)で問題にしたことで、フェミニズムにとっても重要なテーマとなった。一般には、特定のコミュニケーションにとって「反(アンチ)」として働く現象を呼称することが多い。それはフェミニズムに関する議論においても同様だが、しかしフェミニズムに対するバックラッシュ現象は、保守層によるフェミニスト理論への批判全般を呼称する言葉として限定されてはしない。バックラッシュで問われるのはコンスタティブなフェミニズム理論やフェミニズムに基づいた政策、発言だけではなく、「フェミニスト」「フェミニズム」のメディアイメージやパブリックイメージ、時にフェミニズムとはまったく無縁のパブリックイメージまでもが範...
  • 2-2 「バックラッシュ」の起源と広がり
    前:2-1 「バックラッシュ」の発生 2-2 「バックラッシュ」の起源と広がり  「ジェンダーフリー」「男女共同参画」への批判は、遅くとも1998年から1999年の春頃にはローカルな媒体などを通じて徐々に行われていた。山口県に本部を持つ日本時事評論社の発行している『日本時事評論』は、98年1月1日の時点で「日教組に加入している教員が、性差をなくす(ジェンダーフリー)教育を展開しているのもこの一環だ」という表現を用い、男女混合名簿を批判している。日本会議の機関紙『日本の息吹』の「平成11年4月号」(保守系のメディアは西暦ではなく年号を用いるものが多い)には「男女共同参画基本法案の非常識 「男女平等」で人は幸福になれるか」という記事が掲載されている(書き手は久保田信之学習院女子大学教授、当時)。記事のキャプションには、「夫婦別姓、ジェンダー・フリーなど推進してきた家族解体、社会解体...
  • 2-3-1 「バックラッシュ」の言説史 1997年~2002年
    前:2-2 「バックラッシュ」の起源と広がり 2-3-1 「バックラッシュ」の言説史 1997年~2002年 ここで一度、「バックラッシュ」として観察される現象の代表的な関連事例を簡単にまとめてみよう。 1997年1月 「新しい歴史教科書を作る会」結成。 1997年5月 「日本会議」結成。 1998年 1月1日 『日本時事評論』、「男女混合名簿」を批判しつつ、「ジェンダーフリー」について言及 1998年11月 東京都文京委員会にて、古賀俊昭委員が「ジェンダーフリーを読みますと、男だから泣くなとか、しっかりしろというのはいけないというふうになってますね。しかし、普通、私たち何かそういう気持ちをまだ持ってる国民、日本人の意識というのは、まだそれはとんでもないことだという意識になっているんでしょうか。行政というのは、余り先んじて物を進めるということは好ましくないと思うんです...
  • 2-3-2 「バックラッシュ」の言説史 2003年~2004年
    前:2-3-1 「バックラッシュ」の言説史 1997年~2002年 2-3-2 「バックラッシュ」の言説史 2003年~2004年 2003年1月 千葉県にて、「男らしさ、女らしさを一方的に否定することなく」と記された男女共同参画条例に関する自民党独自案が提出。 『週刊新潮』が「女性器にまで触らせる小学校の『過激すぎる性教育』」(23日号)、「高校生にも男女同室着替えをさせる「ジェンダーフリー」教育の元凶」(30日号)という特集記事を続けて掲載。「文化的マルキスト」「理想はカタツムリ」とキャプションをうち、山谷えり子、八木秀次、高橋史朗らのコメントを掲載しつつ、大沢真理、上野千鶴子を「2大教祖」「ジェンダーフリーを広めた同志2人」と批判。 国際勝共連合(「統一教会」の教祖、文鮮明が共産主義思想打倒のために設立した団体)、「・2003年 内外情勢の展望」にて「共産主義者は青少年の...
  • 2-3-3 「バックラッシュ」の言説史 2005年~
    前:2-3-2 「バックラッシュ」の言説史 2003年~2004年 2-3-3 「バックラッシュ」の言説史 2005年~ 2005年 1月 国際勝共連合、年度方針にて「学校では過激な『性交教育』が闊歩し、社会では『男女共同参画』を隠れ蓑にしてジェンダーフリーが大手を振って徘徊している。これらはいずれも文化共産主義の為せる技である」と言及。 西尾幹二・八木秀次『新・国民の油断』(PHP研究所)出版。 『正論』(05年02月号)、八木秀次「嘘から始まったジェンダーフリー 『ブレンダと呼ばれた少年』が物語る“性差”の真実」掲載。 2005年2月 山谷えり子、少子高齢社会に関する調査会にて「ジェンダーフリー思想のおかしさといいますか、男女同権とは何の関係もないですね、その思想の乱暴さといいますか空想的といいますか、その辺の御説明をもう少ししていただきたい」と質問、参考人の松尾宣武、...
  • 1-6 「ジェンダー主流化」の時代
    1-5 「男女共同参画」誕生の「内因」と「外因」 1-6 「ジェンダー主流化」の時代  かような状況において、1990年代日本に「ジェンダー」という概念が特別な意味を付与されつつあったのは偶然ではない。ライフスタイルを巡るポリティクスの場において、「ジェンダー」という言葉、および「ジェンダーフリー」という言葉が選択されたのは、男女相互の内部にさえトライブ(部族)の分化、不透明性の拡大が生じている中、万人にとって共通の議題の構築について吟味できるという期待があったのだろう。「ジェンダーフリー」を推進あるいは擁護する言説には、東京女性財団の報告書の記述にも顕著なように、これまでの「男女平等」では「特性論」あるいは「内なる差別」の問題を超えられず、これまでの女性運動では不足だった側面を「ジェンダー」という概念、フレーズによって「乗り越える」という姿勢が繰り返し主張された。それは「バッ...
  • 2-5-5 自民党による「3520の実例」の構築
    ...た。 続き:2-6 「バックラッシュ」の「成果」とはなにか 
  • 2-4 批判言説のパターン構築
    前:2-3-3 「バックラッシュ」の言説史 2005年~ 2-4 批判言説のパターン構築  以上、「バックラッシュ」を観察する上で特に重要と思われる発言などを簡単にまとめてみた。もちろんこれらは「ジェンダーフリー」や「男女共同参画」への批判実践全体からみればごく一部にすぎないが、この年表から、2000年以前からローカルな保守メディアで行われていたジェンダーフリー批判、あるいは個別に行われていたクレイム申し立て実践が、2002年頃から徐々にマスメディア上で拡大再生産されつつ、多くの論者よって共有されると共に、地方行政や国会などに議題設定が伝達されていく過程がうかがえるだろう。その後、メディア上におけるジェンダーフリー批判の度重なる反復は、「ジェンダーフリーはマルクス主義の焼き直しである」「フェミニストは男女脳などの身体的性差を無視している」「男女共同参画は男女同室で着替えをさせる...
  • 1-8 ジェンダーフリーの実践と、その問題点
    前:1-7 ジェンダーフリーの「誤配」  1-8 ジェンダーフリーの実践と、その問題点  ジェンダーフリーという言葉は、以上のような流れで生まれ、広がっていった。ここで、ジェンダーフリーの問題点について、いくつか簡単に指摘しておこう。  まず、かように拡散したジェンダーフリーという概念を再定義することは難しいだろう。というのも、ジェンダーフリーは「ジェンダーに関する自由」を掲げつつも、その「ジェンダー」自体のあり方を価値づけるための言葉でもあり、あるいは「ジェンダー・バイアスが縮減された状態」を指す言葉でありながら、そのような状態を実現させるための実践にコミットするために「男性基幹労働者+専業・兼業主夫」以外のモデルをオルタナティブとして擁護するという身振りに示されるように、メタ概念と言説実践が背反することが起こりうるからだ。例えば「ジェンダーに関する自由がもたらされた状...
  • 2-5-2 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の構築
    前:2-5-1 「ジェンダーフリーの<理念>」の構築 2-5-2 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の構築  フェミニズムバッシングにおいて、「男女の差異を一切無くす思想」「女を男並にする試み」「女尊男卑の運動」「モテナイ女のルサンチマン」という批判パターンは「バックラッシュ」以前から繰り返されているが、ジェンダーフリー批判において特に顕著なのは、「ジェンダーフリー推進の一環として、実際に同室着替えが行われている」というクレイム申し立ての定義パターンが繰り返されたことだ。クレイム後に文部科学省が行った調査では「ジェンダーフリーに基づく男女同室着替え」は確認されておらず、「ジェンダーフリーの推進側」としてしきりにクレイムメイカーに拠って繰り返し批判されている日教組でさえ、更衣室の実態調査「更衣室の絶対的不足」を訴え、文部科学省に整備拡充を申し入えるなど、「ジェンダーに敏感な視...
  • 2-5-4 「ジェンダー論の嘘」の構築
    前:2-5-3 「過激な性教育」の構築 2-5-4 「ジェンダー論の嘘」の構築  「ジェンダーフリー」バッシングは、次第に「ジェンダー」概念自体のバッシングへと重ねられていく。特に2002年以降、各エビデンスの強調によるネームコーリングが繰り返される一方で、ジェンダー論自体が似非科学であり理論的根拠はない、あるいはジェンダーという言葉自体に政治的意図があり危険であるというタイプのクレイム実践が大きく展開されていく。但し、理論的細部の検討よりも、『ラディカルに語れば…』(平凡社、2001)における大沢真理や上野千鶴子の「失言」 やジェンダー理論について触れたワンフレーズから数パラグラフ を元に、「男女共同参画基本法」の「隠れた意図」を指摘しつつ、「保守の油断」を「反省」しながら「反撃」 をうながすような言説が多く、その分かりやすさゆえに衆目を集めていった。また、「ジェンダー」概...
  • 1-2 東京女性財団のパンフレットと報告書
    前:1-1 「ジェンダーフリー」と「男女共同参画」の言説史 1-2 東京女性財団のパンフレットと報告書  まず「ジェンダーフリー」という言葉の「起源」を見てみよう。後に係争の中心におかれ、社会問題の構築の契機として機能する「ジェンダーフリー」という言葉が日本において最初に使われたのは、1995年、東京女性財団(*1)のパンフレット「Gender Free」およびそのプロジェクト報告書においてであるとされる。1995年3月に発行された東京女性財団による報告書「ジェンダー・フリーな教育のために」は、3名の教育学者、深谷和子、田中統治、田村毅によって作成された。当時の肩書きは、それぞれ東京学芸大学教育学部教授、筑波大学教育学系助教授、東京学芸大学教育学部助教授である。  プロジェクト報告書の一章には、まず次のように書かれている。 「ジェンダー・バイアスの是正に向けて」 ...
  • 2-5-1 「ジェンダーフリーの<理念>」の構築
    前:2-4 批判言説のパターン構築 2-5-1 「ジェンダーフリーの<理念>」の構築  「バックラッシュ」の10年間の歴史は、「ジェンダーフリー」に対する定義づけの歴史でもある。ジェンダーフリーの「理念」については1章に記したとおりだが、保守派による定義づけでは、「反(アンチ)」として働く「運動」を高めるために様々な試みが行われていることがわかる。  1999年8月13日の『日本時事評論』に掲載された「男らしく女らしく」というコラムでは、「ジェンダーフリー」について次のような定義付けが行われている。 (ジェンダーフリーとは)「女性が男性によって不当に支配、抑圧されている」との決め付けによるもので、社会を「二者対立」でしか見られない偏狭な価値観だ。これを左翼思想の日教組がするのは分かるが、数多くの地方自治体が熱心に取り組んでいるのだから驚く。例えば「結婚したら、...
  • 2-5-3 「過激な性教育」の構築
    前:2-5-2 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の構築  2-5-3 「過激な性教育」の構築  フェミニズムに対して「フリーセックスを望む運動」とする批判パターンは90年代以前に既に繰り返されており、夫婦別姓批判においても「恋愛至上主義=フリーセックス」という定義パターンが反復されていた 。一方、ジェンダーフリーバッシングにおいては、「過激な性教育が広がっている」という定義と共に、「実例」を基に反復されるケースが多く観察される。とりわけ、「ジェンダーフリー」を「フリーセックスの実現を目論むもの」として定義した上で批判するものが多い。繰り返された定義パターンには、「過激な性教育」の「実例」として、「ピル推奨本」「セックス人形」「性器の名前を連呼させる授業」などが挙げられる。それぞれがどのように構築されていったのかを記述していこう。  2001年、母子衛星研究会編『思春期...
  • 1-7 ジェンダーフリーの「誤配」
    前:1-6 「ジェンダー主流化」の時代 1-7 ジェンダーフリーの「誤配」  東京女性財団の意図では、「ジェンダーフリー」という言葉に対して内面の啓発に主眼が置かれていた。ただし、言葉が広がるにつれ、報告書の「意図」とは異なり様々な文脈、用法で使われていく場面も見受けられるようになる。無論、言葉が広がっていく中で、文脈やトライブによって用法が変わり、「本来の意味」を組み替え、様々なコノテーションをつけていくことはどの語にも起こる。「ジェンダー・フリー」もまた「・」の取れた「ジェンダーフリー」として、波及の中心点(起源なき起源)が喪失されていく中、内面の自己啓発という意味のほかに「性別に関するバリアフリー」や「男女不問の環境」あるいは「性嗜好の自由」や「形式を問わない性愛」といった形で使用されていく。  例えば、「ジェンダーフリー」を経営者の企業開発手法や経営スタンスの...
  • 1-5 「男女共同参画」誕生の「内因」と「外因」
    前:1-4 「男女共同参画」の誕生 1-5 「男女共同参画」誕生の「内因」と「外因」  ここまで「男女共同参画社会」という言葉が波及する主な要因となった「基本法」が成立するまでの流れを簡単に解説したが、この流れを、性差をめぐる公正さ(ジェンダー・ジャスティス)に即した、性差別の行われない社会を作り上げていくという倫理的な課題を社会が認め始めた、と単純に解釈することはできない。そこには別の、少なくとも2つの大きな理由が存在する。ひとつは先に見たように、国連や国際社会からの要請があったこと(グローバリゼーション)。もうひとつは少子化や高齢化および長期不況などにも関わる、国内の経済的、文化的な背景の変化があったことである。ここでは議論を整理するため、便宜的に前者を「外因」、後者を「内因」としておこう。国際経済との関連など、外因、内因は共に円環構造になっているものであるが、重要なファ...
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