『日出処の天子』毎日新聞誤報(捏造)報道事件まとめ(仮)内検索 / 「毎日新聞の誤報記事」で検索した結果
-
毎日新聞の誤報記事
毎日新聞の誤報記事 こちらが後で捏造と分った1984.1.24夕刊の毎日の記事です。 内容をかいつまんむと下記の様になります。 「太子が女性ふうのなまめかしい姿で登場する「日出処の天子」が中・高生の間で人気を呼んでいるが、その内容を知った法隆寺は「わが国の仏教信仰に尽力し、寺の信仰の対象である太子を冒とくするものだ」とカンカン」 「これに対し作者の山岸凉子さんは「梅原猛さんの法隆寺に関する著作物などを参考に、私のイマジネーションで描きました。だれもが知っている聖徳太子の意外性を狙ったもの。史実だけでは漫画はできません。」と言っている。」
-
メニュー
メニュー トップページ 経緯 毎日新聞の誤報記事 毎日新聞のおわび文 M新聞始末記 更新履歴 取得中です。
-
毎日新聞のおわび文
毎日新聞のおわび文 毎日新聞1984年2月4日おわび文(全体) 1984年1月24日付夕刊記事「えっこれが聖徳太子?!法隆寺カンカン」が誤り(捏造)であったことを認めたおわび文である。 非常に小さな記事だが、毎日新聞が自らの紙面にて記事が誤りであったことを認めて載せたのは大きい。これは法隆寺さんのおかげだと山岸凉子は後に語っている。 法隆寺が怒っているというのが捏造であったと認めているだけでなく、山岸氏の「誰もが知っている聖徳太子の意外性を狙ったもの」等のコメントや、ララ編集長へのインタビューも事実ではなかった、と認めている点も興味深い。
-
経緯
経緯 1980〜84 山岸凉子「日出処の天子」が連載、人気出る 1984.1.24 毎日新聞が捏造記事掲載。内容は「法隆寺が山岸凉子の日出処の天子に激怒!」 1984.1 法隆寺が、正式コメントにて否定。 1984.2.4 毎日新聞 謝罪文掲載「事実にありませんでした」 1984年3月 週刊現代に「開いた口がふさがらない 毎日新聞”虚報事件”の顛末」が掲載。 1984年4月号 LaLa P134に山岸凉子による「M新聞始末記」が掲載。内容は「毎日新聞の記事は誤報(捏造)だった」 1984年8月号 雑草社「ぱふ」(特集山岸凉子・1「日出処の天子」の世界 第1部)飯田耕一郎との対談にて誤報記事に付いて語る。
-
トップページ
このサイトについて このサイトは、山岸凉子の漫画『日出処の天子』の毎日新聞誤報(捏造)報道事件などについてまとめたものです。
-
M新聞始末記
M新聞始末記 1984年LaLa4月号 P134に掲載された山岸凉子による始末記。
-
@wiki全体から「毎日新聞の誤報記事」で調べる
更新順にページ一覧表示
|
作成順にページ一覧表示
|
ページ名順にページ一覧表示
|
wiki内検索