わしせん@ ウィキ内検索 / 「スライダーメン」で検索した結果

検索 :
  • スライダーメン
    スライダーメン 何故か楽天にやたらと多い「150キロ超のストレートとキレの良いスライダーを武器にする(長身)オーバースロー右腕」の総称。オプションとして制球難やメンタルの弱さもつく。 岩隈田中で味をしめたのか、それともヨシコーチの好みなのか、似たような素材型ピッチャーばかりが集まっていく。 最近は長身でなくてもメンバー入りするなど、わしせん民の認定基準もユルくなっているようだ。 スライダー全盛のこの時代、大抵の投手が持ち球にしているのも普通といえばそうではある。 田中将大 188センチ93キロ 右投右打最速155キロのストレートとキレのある縦横スライダー、気迫とスタミナが持ち味。 井坂亮平 186センチ75キロ 右投右打最速153キロのストレートとキレの良い変化球を武器にする本格派右腕。 青山浩二 180センチ80キロ 右投右打最速150キロのストレートとキレの良いスライダーを(r...
  • イーグルス用語辞典
    ...カイ・Aスタジアム スライダーメン スリーマウンテンズ せーのっ セ・パ交流戦 セルフバーニング 袖達 ゾンビ打線 た行 宝くじ 宝の持ち腐れ 田中の8球 ダルビッ君 ちっちゃいものクラブ 投手王国 鉄平とれよ 伝統芸 東北地方太平洋沖地震 天敵 東北グリーン 鳥の大群襲来 泥んこ3兄弟 な行 中四日 ノーパワー は行 バーン 敗戦処理 薄暮 バッティングセンター パ・リーグ審判団 パ・リーグTV(Yahoo!動画中継を参照) ヒダリンデン 福盛の21球 捕手論争 ベニーランド 変な歌 ボヤキ 本気ですから HR配給屋 ま行 マジメジャー(M.M.) マグ まだまだ投げたい 魔の7月 真中中央 麻薬 満塁 宮城球場 ムエンゴ 無言会 メタボムラン 猛狗鷲魂 モップアッパー や行 薬天イークスリ 山火事 やんごとない(やんごとねぇ) ようこそ、鷲の巣へ ...
  • 藪恵壹
    ...ークが武器。つまり、スライダーメンの一員である(もちろん実績は間違いなしだが)。 2004年オフ、FA宣言しメジャー挑戦。 一年目こそ4勝をあげるものの、その後はメキシコへ行ったり浪人したりと波乱万丈の野球人生を送る。 そして2010年、期限ギリギリとなる7月31日にテストを経てイーグルスに入団することが決定した。何もまたムエンゴのチームに入らなくても……。 入団時42歳。もちろん投手陣の中では最年長である。本人曰くまだ150は出るらしい。 二軍戦で2度登板した後(いずれも無失点)、8月10日、5年ぶりに日本球界のマウンドに立つ。かなりガンの甘いKスタとはいえ、コンスタントに140km/h台を記録。 だがいざ投球するといきなりヒット、四球、死球で無死満塁。 炎上スッドレで「御大」と崇められる理由を、我々にこれ以上ないほど理解させてくれた。 ――と思った矢先の8月14日(対鴎)、2回...
  • 戸村健次
    ...した。 関連語 【スライダーメン
  • 四球四球四球四球本塁打三振三振三振
    四球四球四球四球本塁打三振三振三振 2010年9月3日に開催された、イーグルス対ライオンズの試合における、長谷部康平の初回のピッチング。 4者連続四球を与え押し出しで1点を失った後、満塁ホームランを浴びるというこれ以上ないような内容である。 これだけなら初回から爆発炎上しただけで終わる話なのだが、長谷部は続く打者を3者連続三振に切ってとってみせる。 投手と捕手以外は誰もボールに触りすらしなかった、まさに奇跡の展開となったのであった。 中村の満塁HRまで誰もスイングしておらず、西武は1スイングで5点を先制する結果となった。 なお長谷部は2回にもヒットを打たれて降板し、最終的に楽天は4-14で破れている。 投球内容詳細(表記は2010年当時に準ずる) 1番 片岡 S ●○B ●●●O ○○ 1-3から5球目のスライダーが外れ四球。 2番 栗山 S ●●B ●●●O ○○ フルカウントで...
  • 戸部浩
    戸部浩 「翔べ!イーグルス!」by大ちゃん 1974年7月15日生 群馬県桐生市出身 右投右打 1999年のドラフト3位で千葉ロッテマリーンズに入団。 横手からのシュート、スライダーを武器に、山本エカ監督のもとで中継ぎの柱として活躍(した年もあった)。 2006年オフに金銭トレードで楽天へ移籍。だが2軍で好投した後、1軍で炎上するという、典型的な袖達ぶり。 結局楽天では2007年の11試合の登板に終わり、2008年オフに戦力外通告を受け現役引退。 引退後は鷹で打撃投手をしている。
  • 大塚尚仁
    #47 大塚尚仁 1994年10月13日生まれ 福岡県八女市出身 左投左打 2012年のドラフトで3位指名を受け入団。 九州学院高校時代は1年から控え投手として夏の甲子園にベンチ入り。2年からは主戦投手として活躍した。 3年時は甲子園出場こそならなかったもののAAA世界野球選手権大会に選出され、チーム最多の5試合に登板し結果を残した。 制球力とスライダー、スクリューが高く評価されており、早期の一軍昇格も期待される。 ピッチングスタイル、高校時代の経歴ともに同期であり同じ左腕である森と好対照と言える。切磋琢磨して左腕王国を築いてほしいものである。 かなり独特の間を持った受け答えが特徴。そのためスポーツ紙や一部の選手名鑑で不思議ちゃん呼ばわりされる。 外見は枡田に少し似ている。 卓球が上手いらしい。 2017年オフに戦力外通告を受けた。
  • アダム・バス
    アダム・バス 本名 Adam Randle Bass 1981年7月31日生 インディアナ州 右投右打 在籍時の背番号は「50」 2007年シーズン途中にやってきた。 ダイヤモンドバックス時代のあだ名は「FISH(フィッシュ)」。名字と魚の「バス」をひっかけている。このときチームメートの中に、ハムの暗黒外人アンディ・グリーンがいたが、彼が名付けたのではないと思われる。 198cmの長身から、最速150㎞近いストレートとツーシーム、カーブ、スライダー、スプリットを放り込む。 コントロールが悪く、ストライクを投げたがるという外国人投手によくいるタイプ。 初登板は7月13日で、5回3失点で敗戦投手になっている。これだけならまだしも、その後続けて炎上。 特に7月27日(対檻)は3回途中4失点とチームを最下位に突き落とす。野村監督には「タクシーを用意してくれ。あいつには帰りのバスには乗せない」と...
  • 牧野塁
    牧野塁 1974年7月17日生まれ 東京都出身 右投右打 楽天在籍時の背番号は「53(06 -07 )」および「14(08 )」 2006年6月、坂克彦とのトレードで阪神からやってきた。 MAX150km/hの速球派右腕でスライダーを投球の軸としている。後から振り返ると、楽天に来たのはある意味当然だったような気がしなくもない。 制球難と故障に泣かされ、BW時代はなかなか一軍定着できず、2004年阪神へ移籍する。しかしJFKが君臨する強力なリリーフ陣に割って入ることはできなかった。 楽天移籍後は15試合登板(うち先発5)で2勝0敗、防御率2.49と好成績をあげる。 しかしその後はかんばしい数字を残せず、2008年7月に佐竹健太とのトレードで広島へ。広島でもぱっとしない成績で、2009年オフ戦力外通告を受けた。 トライアウトに参加するも、獲得球団はなく引退。 引退後は横浜で打撃投手をやっ...
  • 則本昴大
    ページ名が間違っているのでお手数ですが管理者の方は変更をお願いします(則本昴大→則本昂大) #14 則本昂大 1990年12月17日生まれ 滋賀県多賀町出身 右投左打 2012年ドラフト2位で入団した大卒右腕。 八幡商業高校時代は2年生から主戦投手となるも、甲子園の出場経験は無し。 三重中京大学進学後は1年秋からリーグ戦に出場。 4年次の大学選手権の1回戦で大阪体育大学相手に延長10回を投げ、大隣(現鷹)や藤岡貴裕(現鴎)の持つ大会記録の19奪三振を超える20奪三振(参考記録)を奪い、特別賞を受賞した。 大学通算でリーグMVP1回、ベストナイン2回を受賞。三重県リーグ通算成績は33勝0敗、防御率0.56。 出身校の三重中京大学は定員割れが続き、廃校となったため、則本らが最後の卒業生となる。鷹の宮崎駿と同期。そのため、ドラフト後のニュースの定員割れの特集で則本が取材を受けた...
  • 石田隆司
    石田隆司 1989年6月13日生まれ 大阪府出身 右投右打 在籍時の背番号は「53」 2007年の高卒ドラフトで3巡目指名を受け入団。 高2の秋大会でF中田翔(当時大阪桐蔭)に特大の本塁打を献上し、以来「打倒中田」を合言葉に掲げる。3年夏の地区大会では中田を抑え込み、目標通りリベンジは果たすもチームは大阪桐蔭に破れた。 ストレートはMax148kmを誇る速球派で、メインとなる変化球はスライダー。ただし制球には難があるというよくいるタイプ。 入団時の走りこみや筋トレで球速が5キロ伸びたというエピソードを持つ。 ファームではルーキーイヤーからローテ投手をつとめるなど、将来の主力として首脳陣から期待される。 3年目となる2010年には、戸村・中川と共にフレッシュオールスターに出場。1イニングを無難に3者凡退に抑える。 しかし伸び悩みが仇となったか、2011年戦力外通告を受けた。 引退後は大...
  • 星野智樹
    星野智樹 1977年7月29日生まれ 左投左打 三重県員弁郡東員町出身 楽天在籍時の背番号は「25」→「00」 2012年オフに西武を戦力外になり、その後トライアウト経由で獲得。 プロ入りから14年もの間西武でプレーし続け、計5回のシーズン50試合登板を達成するなど台所事情を支え続けてきた。同期入団にはメジャーリーガー松坂がいる。他球団でいえば、岩瀬や福留、藤川、二岡、辛い、上原など名選手の多いドラフト。 楽天でいえば、藤井や川井が同期入団。 楽天入団時は背番号25となっていたが、A.ジョーンズ獲得のため半月あまりで00に変更される。 西武時代は数少ないサイドスロー左腕のため左キラーとして重宝され、変化の大きいスライダーを武器に名だたる左打者を相手に三振の山を築いてきた。01年の近鉄・ローズから06年の李承燁まで左打者にHRを打たれなかった。 しかし、近年は勤続疲労からか精彩を欠き、...
  • 青山浩二
    #41 青山浩二 1983年8月12日生まれ 北海道函館市出身 右投右打 石川賢は八戸大学の先輩、塩見貴洋は後輩である。 一場靖弘なき後の永遠のロマン枠。またの名を眠れるブルペンエース。局面打開のスライダー。 ブルペンでの実力は相当なものらしい。まさおを見に来た星野仙一をうならせ、野村監督に「マー君以上のスライダーを投げる」と評されたことがあるほど。 キャンプに訪れた数多の解説者・新監督を虜にする魔性の男。ただしあくまでブルペンのみの話である。 チキンハートゆえに肝心のマウンドでは実力が発揮できず、わしせん民からはいつも催眠術をかけられている。 これまで先発・中継ぎ・抑えの全てを経験。中継ぎで結果を出して先発起用→試合を作れず中継ぎ降格→後ろが手薄なチーム事情から抑えに抜擢→セーブ失敗で中継ぎ降格→気がつけばまた先発に――という無限ループ。 2009年度の先発機会は6回ながらQS率は0...
  • 井上雄介
    井上雄介 1986年9月5日生まれ 千葉県茂原市出身 右投右打 2008年ドラフト4巡目で入団。 150km/h近い速球と、スライダー、カットボールのコンビネーションが主体。 即戦力的存在かと思われたがいきなり故障。ルーキーイヤーは二軍でも登板ゼロに終わった。 復活を期した2010年、ファームで抜群の安定感を見せる。そのころ一軍では袖達が(ry だったこともあり、5月8日に昇格。急遽仙台から遠征先の函館へと向かった。 翌5月9日、グランドスラムを浴びて降板したまさおの後を受けて初登板を果たす。敗戦処理ではあるが後続をしっかりと抑えアピールに成功。14日(対鯉)には初勝利を記録している。 その後大炎上して下げられてからは、昇格のチャンスをなかなか得られず。 登板は中継ぎのみだが、2012年の春季教育リーグでは先発し、5回3失点と及第点の出来。先発やロングリリーフもできれば幅が広がるため今...
  • 西宮悠介
    #38 西宮悠介 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 1991年5月1日生まれ  茨城県土浦市出身 左投左打 -2014年ドラフト5位、この年のドラフトで獲得した9選手でただ1人の開幕一軍登録-4月22日、対西武戦(Koboスタ)に延長12回表に登板。12回裏にアンドリュー・ジョーンズのソロ本塁打でチームがサヨナラ勝ちを収め、プロ初勝利を記録。--スリークォーターと投球時に首を振る独特フォームでストレートの最速は148㎞/h、変化球は切れ味鋭いスライダーとスプリットを投げる。打者の内角にも投げ込める思い切った投球も武器。 -貴重なセットアッパーとして既に16登板というフル回転。疲労の蓄積が心配される。...
  • 寺田龍平
    #43 寺田龍平 1989年6月20日生 北海道恵庭市出身 右投両打 在籍時の背番号は「43」 2007年高校生ドラフトにて、よすのるを外した後の1巡目指名を受け入団。 まさか指名されるとは思っていなかったらしく、進学するつもりでいたようだが、晴れてプロ入りの切符をつかむ。 直球は最速145km/hで変化量の大きいスライダーを持つが、球質が軽いのが悩みか。 2010年、サイドスローに転向。死亡フラグじゃね? と思われたものの、コントロールも向上し成績も上向きに。イースタンの優勝争いに食い込む中で好投を見せ始めた。 だが右肩を痛め、12月に手術を受ける。その影響か、翌年からはオーバースローへ戻している。 復帰後はわずか2試合の登板に終わり、その内容も四球を出しまくりという散々なもの。 ドラフト1位ということもあり、編成と共に槍玉にあげられることが多い。残念ながらそれをはねのけることがで...
  • 栂野雅史
    栂野雅史 1984年10月19日生まれ 千葉県出身 右投右打 在籍時の背番号は「62」 2010年シーズン途中、朝井秀樹との交換トレードで巨人からやってきた。 身長186cm、MAX149km/hの速球派右腕で決め球はスライダーという、どこかで聞いたようなスペックの持ち主。 当時の堀内恒夫監督が素質に惚れ込み、下位指名で囲い込んでいた横浜から3位で強行指名した逸材。 ……だったのだが、なんと社会人時代に肩を故障していたことが判明。 プロ入り後は、そこそこのコントロールと微妙な変化球、そして140キロ前後の球速に。つまり上記スペックと全然違う投手になってしまっている。 巨専民いわく「すべてにおいて55点の投手」。 とはいえまとまったピッチングができ、2008年には開幕カード3試合目の先発を任されたこともある。 環境が変わって一花咲かせられたらと期待されていたが、あまり目立った活躍のな...
  • 岡本真或
    岡本真或 本名 岡本真也 1974年10月21日生まれ 京都府出身 右投右打 在籍時の背番号は「61」 ノムさんは高校の大先輩。 2000年、ドラフト4位で当時星野仙一が監督を務める中日に入団。鉄平も同期入団で、5位指名されている。 26歳という比較的遅めのプロ入りだったが、30を目前にして球速が150km/h近くまで伸びる。その直球と落差のある縦スライダーを武器に、主に中継ぎとして活躍した。 2004年には最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得している。また2005年にはリリーフで10勝をあげたことも。 FAで中日に加入した和田一浩の人的補償として、2008年西武ライオンズへ移籍。 一年目こそチーム2位の18ホールドをあげ西武の日本一に貢献するも、翌年は「俺達」に熱烈歓迎され、戦力外となってしまう。 2010年は韓国のLGツインズでプレー(このとき登録名を現在の「岡本真或」に変更)。当初こ...
  • 田中将大
    #18 田中将大 1988年11月1日生 兵庫県伊丹市出身 右投右打 通称マー君。マー、マーさん、まさお。「マーくん」では鴎のマスコットになるので注意。 最近では、あまりに頼りになるので君付けでは恐れ多くなってきている。 好きな言葉は「気持ち」。グローブは黄色。好きなおにぎりの具は明太子。 野球を始めたときのポジションは捕手。小学校の同級生だった坂本(現巨)とは同じ少年野球チームで、バッテリーを組んでいたことも。 中学から投手を兼ねるようになり、高校進学後監督はしばらく投手・捕手どちらに専念させるか迷ったという。投手一本に決めたのは、一年秋の神宮大会、田中を見た他校の監督の言葉がきっかけだとか。 そして二年生ながら主戦投手となり、駒大苫小牧は夏の甲子園2連覇を果たす。 夏3連覇のかかった2006年大会決勝、駒苫と早稲田実業は2日間にわたる球史に残る熱戦を繰り広げる。わけても田中と斎藤...
  • 鎌田祐哉
    鎌田祐哉 1978年11月30日生まれ 秋田県秋田市出身 右投右打 在籍時の背番号は「34」 2010年の交流戦終了直後にナベツネとのトレードでヤクルトからやってきた御方。 武器は高速スライダーで速球もなかなかのものらしい。しかしコントロールが悪く、期待されたほどの成績はあげられなかったそうだ。 ……どこかでよく見たスペックなのは気のせいだろうか。 スペ体質らしく、2007年の開幕前に肩をやっているものの、復帰後は敗戦処理で神ピッチを見せたそうだ。 2008年の一軍登板は16試合に留まるが、二軍ではストッパーとして大車輪の活躍を見せ、リーグ優勝に大きく貢献。その働きっぷりを見たやくせん民から「戸田の土手様」の異名を賜った。 使い方は「表ローテも裏ローテも投げる人がいないド谷間で『試合作ってくれればめっけもん』」とのこと。また、偵察メンバーで1番センターに入れると勝率が良い……パじゃ意...
  • 森雄大
    #16 森雄大 1994年8月19日生まれ 福岡県福岡市出身 左投左打 2012年ドラフト1位で入団。その際には広島との争奪になった。広島の一本釣りという噂が広まっていたため、指名には予想外と感じるファンも。 生まれも育ちも福岡という生粋の九州男児。高校は村田や吉村、上園を輩出した東福岡高校出身。 東福岡高校進学後は1年の夏からベンチ入りを果たす。2年秋には当時の自己最速の145km/hを記録するなど、同級生の野原総太との左右のWエースとなる。 2年秋・3年春の福岡県大会では、背番号1をつけ初戦に先発したが、いずれも敗退。 3年夏の県大会では、野原が背番号「1」をつけ、森の背番号は「11」となったが、森が先発を務めた。その後はチームをベスト8まで導くも、甲子園出場はならず。 肘の使い方が上手いと評される投球フォームから高校3年の4月に記録した最速148km/hのストレートとカーブ、...
  • 金刃憲人
    #26 金刃憲人 1984年4月10日生 兵庫県尼崎市出身 左投左打 2012年シーズンオフに獲得した楽天のトレード第1号。横川と井野卓とのトレードで仲澤と楽天入り。トレード相手の横川、井野共に巨人で活躍できなかったので一種の詐欺トレである。 立命館大学出身で、3年秋に京大戦でノーノーを達成した。その後、希望入団枠で読売ジャイアンツへ。 大隣、岸と獲得競争に敗れ慌ててとった投手だったが、ローテの救世主をつとめ嬉しい誤算となる。この年7勝を挙げて新人王有力とも言われたが、ヘビーローテーションによる疲労の蓄積か、終盤離脱。 その後は2軍で好投するものの、1軍では微妙な成績に。山口の先発転向を受けて中継ぎにも挑戦するが功を奏すことなく、2012年は宮国や高木狂介におされ1軍登録無しでシーズンを終え、トレードの運びとなった。 典型的な「左打者が苦手な左投手」である。先発願望の水を向けられるこ...
  • R.スパイアー
    R.スパイアー 本名 ライアン・アンドリュー・スパイアー(Ryan Andrew Speier) 1979年7月24日生まれ アメリカ合衆国ケンタッキー州出身 右投右打 余談だが誕生日は榎本葵と同じ。 在籍時の背番号は「64」 2011年春季キャンプ中、テストを経て入団。 テストで紅白戦に登板した際、ユニフォームではなくTシャツ姿だった。Tシャツ王子である。 201cmの高身長ながら横手投げ。対左打者のときはややスリークオーター気味になる。踏み込み時に左足が三塁方向へクロスする変則フォーム。 獲得時は「右のジェフ(元T)」とスポーツ紙に書かれた。 速球は最速151km/hを記録し、しかも微妙に動く。めちゃくちゃ曲がるスライダーやシンカー、独特の軌道を描くシュート系の球が武器。 アメリカ時代は接戦時やランナーが塁にいるときに力を発揮したらしい。実際、かなり発揮している。 MLB時代はコロ...
  • 福山博之
    #64 福山博之 1989年3月27日生まれ 右投右打 島根県雲南市出身 2011年オフに横浜を戦力外になり、その後トライアウト経由で獲得。 ルーキーイヤーから19試合登板したが、球団内が投手過多となっていたためわずか2年で横浜を戦力外となる。 抜群の身体能力を有し、50m走6秒台前半の俊足を投手ながらプレーで見せたりしている。その足が買われ2013年には代走での出場も。 そのため横浜からは野手転向を提案されたとされているが、本人はあくまで投手続投を選択した。 最速152kmの速球と高速スライダー・チェンジアップといった変化球、そこそこのコントロールを備えている。 しかしピンチと左打者をとても苦手としている。 2013年は中継ぎとして起用。しかし防御率4.41と芳しくなく主には敗戦処理で、22試合に出場した。 リーグ優勝を決めた後の試合では、総力戦を見据えての星野監督の采配で代走要...
  • 菊池保則
    #59 菊池保則 1989年9月18日生まれ 茨城県久慈郡大子町出身 右投左打 2007年高校生ドラフトで4巡目指名を受け、入団。 登板こそならなかったものの、ルーキーイヤーには一軍登録されている。2年目はフレッシュオールスターに出場したが、その後右肩を故障してしまっていた。 売りは最速147キロの直球と高速スライダーのコンビネーション。ヨシコーチによれば、まれにマーさん以上のストレートを投げるとか。だがいかんせんコントロールがない。 初登板は3年目の2010年9月23日。色んな意味で強烈な試合であり、彼にロマンを見るわしせん民も。 2011年春キャンプ、朝の声出しにて目標を「余裕のある生活をすること」と叫ぶ。星野監督からは「正直や」と褒められた。しかし5月に一軍登録されて登ったマウンドでは3回もたず3失点KO。 交流戦では初回KOされた半袖の後を受けてロングリリーフに。だがまたもや大...
  • 加藤大輔
    加藤大輔 1980年7月27日生まれ 右投右打 福岡県出身 2011年オフ、オリックスを戦力外になり、その後トライアウト経由で獲得。榎本葵やこの年ドラフトで入団した三好匠は後輩になる。 いわゆる「松坂世代」の一員である。2002年に自由枠でブルーウェーブに入団(シャーパーは同期)。複数の球団から声がかかったが、不調のときも見てくれたからとBWに。 ルーキーイヤーから中継ぎとして活躍。2008年には劇場型守護神としてオリックスの2位進出に貢献し、33Sをあげてセーブ王のタイトルも獲得した。 だが翌2009年は大不振に陥り、やむなくエースのちーちゃんが抑えに転向する事態になった(おかげでイーグルスはちーちゃんとの対決が減ったわけだが……)。 2010年からは日高らと共に、どんでんに干されて、自ら自由契約になることを志願した。(そして上記に至る。) 4年連続60試合登板を果たすなど、非常に...
  • 有銘兼久
    有銘兼久 1978年09月27日生まれ 沖縄県那覇市出身 左投左打 在籍時の背番号は「26」 独特のフォームで投げる左投手。真夏でも長袖のアンダーシャツ着用。 2001年ドラフト3位で近鉄に入団し、その後分配ドラフトで楽天へやってきた創設メンバーの一人である。 苗字は「ありめ」と読む。「アニメ」と聞こえることから、好投すると「神作画」炎上すると「作画崩壊」とレスがつく。 袖達のメインメンバーでもあり、袖達ネームは苗字の空耳にちなんだ「アニメ者」。 決め球は大きく曲がるスライダー。投球フォームも影響し、投げたあとどこにいくのかさっぱりわからない。好調時は膝元へ食い込む変化球で三振と凡打の山を築くが、それ以外は四球を出しまくり、そちらの方が多い。 このようにコントロールに難があるものの、スタミナがあり非常にタフ、なおかつ頑丈。2006年8月25日(対鴎)には延長12回を188球(1失点17...
  • 松井裕樹
    #1 松井裕樹 1995年10月30日生まれ 神奈川県横浜市出身 左投左打 2013年ドラフトにて1位で指名され5球団競合の末、交渉権を獲得、晴れて入団した。 昨年の森に続く、高卒の競合ドラ1左腕。 中学時代は神奈川のシニアで全国優勝を果たし、県内の桐光学園に進学。この時、早実や浦学といった近県の私立からも誘いを受けていたが、友達と離ればなれになるのが嫌だったらしい。 高校時代は「神奈川のドクターK」の名を欲しいままにし、2年の夏の甲子園では1試合22奪三振の大会新記録を打ち立てた。 三年の夏は惜しくも甲子園を逃したが、その能力はNPBのスカウトからも高く評価され、大瀬良(九共大)、吉田(JR東日本)と並ぶドラフトの目玉とされた。 小柄ながら152km/hのストレートと、カーブ、スライダー、チェンジアップが武器。決め球は消える縦スラ。 背番号は本人の希望により、高校時代から慣れ親しんだ...
  • 橋本義隆
    橋本義隆 1979年12月6日生まれ 岡山県備前市出身 右投右打 11年オフに血の入れ替えトレード第3弾として楠城祐介とのトレードで燕から移籍してきた。 プロ入りは公で、ルーキーイヤーである2005年から中継ぎとして20試合に登板。翌年には先発に回り、鷹相手に無四球完封をするなどして4勝をあげる。 しかしその後伸び悩み、2007年オフに川島慶三と押本健彦と共に3対3のトレードで燕へ移籍ちなみにトレード相手は藤井秀悟、坂元弥太郎、三木肇。……あれ、全員もう公にいない? 移籍初年度は初めての一軍登板なしに終わる。一緒に移籍したKZは内野のレギュラーを奪取、押本は勝利の方程式の一人となる中で一人影が薄くなる。 プロ入り2年目こそ先発起用されたが、それ以外のシーズンは中継ぎのみ。 140km/h前半~中盤の速球と多彩な変化球が武器で、コントロールも安定しているほう。しかしやくせんwiki曰く...
  • 武藤好貴
    #34 武藤好貴 1987年7月22日生まれ 北海道札幌市出身 右投右打 藤岡貴裕(現鴎)の外れ1位として、2011年ドラフト会議で即戦力投手として1位指名。 中学時代は内野手、高校から投手に転向。 高校2年の時からエースとなり、秋には北海道大会決勝に進出し、田中将大擁する駒大苫小牧高に敗れ準優勝。 3年生の夏は南北海道予選の札幌支部予選2回戦で敗退し、甲子園出場は果たせず。 高校卒業後は、愛知大学野球連盟に加盟する中京大学に進学。3年次までは主に抑え、4年次から先発として活躍。 4年次の春にはエースとしてリーグ最多5勝、リーグ1位となる防御率0.89の好成績を挙げ、同校10季振りの優勝に貢献。MVPとベストナインを受賞した。 大学卒業後は、JR北海道に入社。第81回都市対抗野球大会の2次予選では、3試合中2試合に先発で起用され2勝、合計15回16奪三振1失点の好成績を残し代表権...
  • 斎藤隆
    #44 斎藤隆 1970年2月14日生 宮城県仙台市出身 右投左打 フロントの本気補強第3弾。宮城県出身、MLBでの実績も十分なリリーバーという楽天の理想の投手。 高校は東北高校出身。もちろん佐々木ともチームメイト。その他の先輩には葛西稔、中根などがいる。楽天では阿部が後輩にあたる。 この時は投手ではなく内野手としてプレー。 大学は東北福祉大学。同期には浜名千広(元鷹)、金本(元鯉・虎)がいる。もちろん佐々木ともチームメ(ry監督から「凡退したら野球やめろ」と宣告されるも、その打席で凡退。佐々木が背丈が高い(188cm)ことから投手転向を監督に提案したのだとか。 横浜大洋に指名され入団。同期には、ばんてふや永池恭男がいる。もちろん佐々木ともチー(ry 1年目から1軍で登板、2年目にはローテ入り。94年にはオールスターにも出場。 96年に2桁勝利、206奪三振で奪三振王に輝くも、翌年...
  • 小山伸一郎
    #57 小山伸一郎 1978年06月13日生まれ 三重県伊勢市二見町出身 右投右打 中日にドラフト1位指名された期待の逸材だった。 しかし一軍では結果を残せず、2004年オフに無償トレードでイーグルスへやってきた。 移籍2年目まではただの炎上投手だったが、2007年に突然覚醒。もるの離脱で「自分以外に抑えがいない」という状況がいい意味での開き直りをもたらしたらしい。 このシーズンは30試合投げて防御率0.58と驚異的な数字を残す……のだが、翌2008年は微妙な成績に。 2009年度も、序盤は井口(ロッテ)にサヨナラグランドスラムを打たれる(4/16)など散々だった。しかし気がつけば防御率2.97でシーズン終了。 どうやら秋になるにつれて安定度が増すようだ。 春に炎上して敗戦処理→夏ごろ他のブルペン陣が不調の中セットアッパーに→秋にはクローザー 頑丈でスタミナがあり、ロングリリーフからク...
  • 片山博視
    #28 片山博視 博視の視は「」と書く 1987年4月19日生まれ 兵庫県南あわじ市出身 左投左打 2005年のドラフト1巡目指名で広島との競合の末入団。 ルーキーイヤーから2年間はファームで体力強化に専念し、3年目の2008年、満を持して一軍に呼ばれる。 初先発の試合では残念ながら敗戦投手となってしまったが、最初の白星を初完封・初完投でみごとに飾ってみせた。 2009年はオープン戦こそ好調だったが、故障してしまい一軍登板はなし。orzオフにアリゾナへ武者修行に送り出される。 怪我から復活した2010年は、初登板こそ先発だったがそれ以降は中継ぎ起用される。青山、小山と共に安定した投球で「スリーマウンテンズ」を結成。 決め球はスライダー。また直球もナチュラルに変化する真っスラである。 ズバズバ三振を奪い、状況に応じて打たせて取るピッチングに切り替えるなど、頼れる左のセットアッパー。が、ブ...
  • 岩隈久志
    岩隈久志 1981年4月12日生 東京都東大和市出身 右投右打 在籍時の背番号は「21」 楽天の初代エースである。 通称「クマ」。AAはクマーの流用。 近鉄では「なにわのプリンス」、楽天では「杜の都の貴公子」とあだ名されたイケメンキャラ。しかし写真ではイケメン度が爆下がりしてしまう。 近鉄時代 1999年、ドラフト5位で近鉄バファローズに入団。高校時代は190cm近い身長ながら球速は133km/h程度で、ほとんど注目されていなかった。 当時のスカウト曰く、「ドラフト会議当日、球団社長の『スカウトのみなさんに推薦したい選手はいないんですか』の言葉に浮かんだのが岩隈だった」という。 ちなみにこの担当スカウト氏、現在はマリナーズでスカウトについていたりする。 参考リンク http //gendai.ismedia.jp/articles/-/23893?page=4 その後エースの座をつか...
  • 中村真人
    中村真人 1982年2月2日生 奈良県御所市出身 右投左打 在籍時の背番号は「126(07 -08 )」「99(08 )」「00(09 -12 )」 2006年ドラフトにて、社会人チームのシダックスより育成選手として入団。なおシダックス時代の監督は、ノムさんだったりする。 ニコニコ動画で中村真人のタグで検索すると、シダックス時代の二人が見られるかも。 一年目は二軍暮らしだったが好成績をあげ、翌2008年6月に支配下登録を受ける。このとき背番号を「126」から「99」へ変更。 同年オフ移籍してきた中村紀洋が中日時代同様99番を希望したため、現在の「00」になった。 高校時代は四番に座っていたが、現在のプレイスタイルは俊足のアベレージヒッター。 バットコントロールとミートセンスに優れ、悪球打ちの選手として知られる。どう見ても高めの糞ボールを打ったときでも「打ったのはど真ん中」と語る。もと...
  • J.モリーヨ
    J.モリーヨ 本名 フアン・モリーヨ(Juan Bautista Morillo) 1983年11月5日生まれ ドミニカ出身 右投右打 在籍時の背番号は「50」 マイナーで167km/hを投げたといわれる速球派投手。抑えとなることを期待されての獲得。 メジャーでは9試合に登板し、防御率13.50、WHIP2.06という素敵な数字を叩きだしている。どうみてもノーコンです、本当に(ry※1 防御率:(自責点÷投球回)×9 投球回あたりの「自責点」を表す。エラー絡みの失点は加えない。 ※2 WHIP:(与四球+被安打数/投球回)1イニング走者を何人出したかを表す。投手の安定度の目安。 オープン戦での初登板は四球を連発しての大炎上。はいはい知ってた知ってた(ただしダミアンのおかげで記録には残っていない)。 ただ球速は本物で、2月の時点で155km/hを計測。以降もコンスタントに150km/h...
  • 塩見貴洋
    #11 塩見貴洋 1988年9月6日生まれ 大阪府守口市出身 左投左打 2010年ドラフト1位(大石達也の外れ指名)で入団。その際にはヤクルトとの争奪になった。 松崎&片山、ダミアン、カツ丼と続くドラ1左腕の系譜に名を連ねるもの。 中学までは大阪の守口市、高校は愛媛(帝京第五高校)、大学は青森(八戸大学)と、転勤族のような経歴を持つ。 高校時代は長距離打者で愛媛県大会の打率が8割と脅威の打率を残し大学進学時に打者に転向するかかなり迷ったという。 塩見曰く「球が止まって見えた」らしい。 大学時代は「みちのくのドクターK」と呼ばれ、ドラフト会議の4日前にはノーノーを達成した。 主な武器は147km/hのストレートやカーブやスライダー。またプロ入り後にフォークの精度が上がった。 背番号は期待をこめて「11」をもらう。……が、この番号は以前つけていたのがあんな人やこんな人というそうそうたる面...
  • 則本昂大
    #14 則本昂大 1990年12月17日生まれ 滋賀県多賀町出身 右投左打 2012年ドラフト2位で入団した大卒右腕。 八幡商業高校時代は2年生から主戦投手となるも、甲子園の出場経験は無し。 三重中京大学進学後は1年秋からリーグ戦に出場。 4年次の大学選手権の1回戦で大阪体育大学相手に延長10回を投げ、大隣(現鷹)や藤岡貴裕(現鴎)の持つ大会記録の19奪三振を超える20奪三振(参考記録)を奪い、特別賞を受賞した。 大学通算でリーグMVP1回、ベストナイン2回を受賞。三重県リーグ通算成績は33勝0敗、防御率0.56。 出身校の三重中京大学は定員割れが続き、廃校となったため、則本らが最後の卒業生となる。鷹の宮崎駿と同期。そのため、ドラフト後のニュースの定員割れの特集で則本が取材を受けたことも。 ルーキーイヤーのOP戦で大活躍し、開幕一軍を掴みとる。しかも開幕投手を務めることに。新人...
  • 岩村明憲
    岩村明憲 1979年2月9日生まれ 愛媛県宇和島市出身 右投左打 2回のWBCを経験した元大リーガー。 CSでWBCの再放送があると、岩村のかっこいい姿に色々な意味で涙する住民多数。 第2回大会では内野陣のリーダーとして、セカンドで堅実な守備とここぞという時に打撃で侍ジャパンに貢献。 宇和島東高校出身でBIGさんの後輩。当時エースピッチャーだったBIGさんとバッテリーを組んだこともある。 1997年にヤクルトへ入団。走・攻・守三拍子揃った三塁手として活躍し、池山隆寛からMr.スワローズの証、背番号「1」を受け継いだ。 2006年オフ、ポスティングでタンパペイ・デビルレイズ(当時)へ移籍する。BIGさんが(一応)三塁を守れるのは、当時岩村の穴を埋めるために、コンバートしたから。 暗黒だったレイズを、2008年に初の地区優勝、惜しくも敗退したがワールドシリーズへ導く立役者となる。岩村が...
  • 美馬学
    #31 美馬学 1986年9月19日生まれ 茨城県出身 右投左打 小柄な体格から繰り出される、MAX150km/h超のストレートとスライダーが売り。東京ガス時代はクローザーを任され、広州アジア大会では日本代表にも選出された。 即戦力の抑え候補として、2010年ドラフト2位指名で入団。 そしてルーキーイヤーで開幕1軍、しかも「抑え候補」ではなく「守護神」としてである。 開幕第2戦で4点リードの8回に登板し、1回被安打1で無失点の好投。この年の新人一番乗りの登板を果たす。 4月23日(対公)、同点の9回を三者凡退に切り抜け、R.ルイーズのサヨナラHRでプロ初勝利が転がってくる。 星野監督には肝っ玉の強さを評価されている。当時猫にいたホセに対し、ビーンボ-ルまがいの投球で乱闘騒ぎに。珍しく本気で怒るホセに全く物怖じしなかった。 ちなみにこの試合では、失点したものの直後に勝ち越してもらいプロ...
  • 金炳賢
    金炳賢 読み方は「キム・ビョンヒョン」 1979年1月19日生まれ 韓国出身 右投右打 在籍時の背番号は「99」 楽天が初めて獲得した韓国人である。アジア系選手としても、L.インチェと林恩宇以来。 「コリアン・サブマリン」とあだ名されたアンダースロー。だがリリースポイントが地上5cmの俊介ちゃんを見慣れていると、あんまり下手投げっぽくない。 絶頂期はアンダーながら150km/h台のストレート、フリスビーと呼ばれたキレのいいスライダーを投げていた。怪我の影響で球速が落ちてしまっており、現在は最速で140km/h台。 2010年秋季キャンプでテストを受けたものの、一度は見送りの報道が出る。が、その後再テストすると言われ、結局春季キャンプ前にテストなしでの入団が決定した。秋季キャンプで捕手を座らせて投げたのはわずか10球という噂。最速は130km/h台だったとか。 本人は「野球を3年間できず...
  • 釜田佳直
    #21 釜田佳直 1993年10月26日生まれ 石川県小松市出身 右投両打 2011年夏の甲子園で注目を集めた高校生右腕。同年10月、ドラフト2位指名で入団。 いきなり球団創設時からのエース・岩隈の背番号「21」を与えられ、ファンを驚かせた。 金沢高校出身で、高須洋介は大先輩になる。釜田曰く「お父さんみたいな存在」。 1年春から公式戦に登板するようになり、2年秋には明治神宮野球大会に出場。神宮球場とはいえ、この時点で球速は150km/hを計測している。 3年次には春夏ともに甲子園に連続出場し、通算で34回を投げて防御率は1.32、40奪三振の成績をあげた。AAAアジア野球選手権の日本代表にも選出され、金メダル獲得に貢献した。釜田の成績は2回無失点。 卒業後の進路は、教員免許取得も考え大学進学を希望していたという。そんなとき、2011年9月10日のマーさんとF斎藤佑樹の投げ合いに感化さ...
  • 天敵
    天敵 ある生物にとっての捕食者、またはそれに代わり得る能力を持ち、増殖をはばむ生物のこと。または不倶戴天の敵・自分が苦手とする人というような意味で用いられる。例としてリンデンにとっての野村監督のような相手を指す。 転じて、楽天をカモにしている選手のこと。投手での代表例はF武田勝、Sh帆足和幸、Sh攝津正、Bs金子千尋。予告先発で彼らの名前が出ると、スレは負のオーラに包まれる。 たまにマウンドから引きずりおろせたと思ったら、こちらの投手陣が炎上して相手の負けを消してしまう。 それどころか勝ち星を差し出すなんてことも。 ※データの成績表はいずれもレギュラーシーズンのみの成績 データ 武田勝(北海道日本ハム) 難易度 ★★★★★ 安定した制球力、独特のフォームから繰り出すスライダー、チェンジアップが武器の技巧派サウスポー。ちなみに社会人時代は、シダックスでノムの下で野間口(現G)とともに左右...
  • 関川浩一
    関川浩一 1969年4月1日生 東京都調布市出身 右投左打 楽天在籍時の背番号は選手時代が「23(05 -07 )」、コーチ時代が「81(08 -09 )」「75(11 )」 ヘッドスライディングが代名詞。 阪神時代は俊足巧打で鳴らした異色の捕手だったが、中日移籍後は外野手にコンバートされる。広いナゴドでその脚による守備範囲を武器に、長年センターを守ってきた。 しかし福留孝介の外野コンバート、また英智の台頭が重なり出番が激減。 2004年オフ、半袖とともに無償トレードでやってきた球団創設メンバーである。 2005年の開幕戦では1番レフトでスタメン出場し、新球団の記念すべき最初の打者となった。ちなみに結果は地味様こと清水直行(現星)の初球を叩いての左飛。 4月には自身の1000本安打を球団史上初の猛打賞、球団初の三塁打で飾る。 外野のレギュラーをがっちりキープし、球団初年度の良心として...
  • 田代富雄
    #82 田代富雄 1954年7月9日生 神奈川県小田原市出身 右投右打 2012年より二軍打撃コーチに就任。2013年は一軍打撃コーチ。 打者育成に定評があり、横浜コーチ時代に多数の好打者を輩出している。 やる大矢監督の無期限休養のあおりをくらい、2009年途中から監督代行となる。なお(ry 2010年からは再び二軍の湘南監督に戻り、シーズン終了後に退団。フロント入りを打診されていたが、「現場にこだわりがあり、背広は似合わない」と断ったという。 実際に現場が好きなのは本物のようで、退団後韓国SKのコーチとして海を渡っている。 しかしここでもゴタゴタに巻き込まれ、シーズン途中で辞任する羽目に。 就任の際、わしせんでは「中川や横川を育成してほしい」「岩村の復活を頼む」と歓迎された。 現役時代は大洋ホエールズ一筋、ずっと背番号「26」を背負った。 当時の大洋はヘルメットにHRの数だけ星のシ...
  • 中谷仁
    中谷仁 1979年05月05日生まれ 和歌山県和歌山市出身 右投右打 在籍時の背番号は「44」 智辯和歌山高時代は甲子園優勝も経験。将来の正捕手を期待され、ドラフト1位で阪神に入団した。 しかし、とある事故で目を怪我して失明寸前に。 回復後もなかなか出場機会に恵まれず、2005年オフ金銭トレードで楽天へやってきた。 その楽天でも藤井、カツノリに割って入ることができず、更には嶋の入団でますますピンチ。二軍ではセカンドやらサードを守ったこともあった。 首が寒くなってきた2009年、6月21日の交流戦で代打出場し古巣阪神からホームランを放つ。プロ12年目、初めてのホームランは甲子園球場のレフトスタンドへ飛び込んでいった。 阪神時代の先輩でもある山田コーチはベンチで手を叩いて喜んでいた。 これで一軍に首の皮一枚でとどまり、以降は嶋の不振や藤井の怪我もあって出場機会が増加。ついに永井の女房役を勝...
  • イーグルスの歴史2013年版 下半期
    イーグルスの歴史2013年版下半期 7月(14勝6敗1分) 2日まさおが8回無失点の好投。9回は星者とアレ様で抑えて、開幕11連勝と記録更新! 枡田が1軍昇格。なお(ry また、銀次がKスタ初のお立ち台!おめでとう!これもパパパワーだね! 3日、雨野無双。 4日まさお、月間MVPに輝く。パ・リーグでは初めての二度目の2カ月連続受賞。 ジョーンズ、一ヶ月ぶりにホームラン(しかも二打席連続2ラン)を放ち勝利に貢献。今季最多の貯金10を積み上げ、とうとう首位に並ぶ。 5日、則本が1回で降板すると、その救援でなんと長谷部が2年ぶりに一軍登板。勢いに乗る鷹打線を4回パーフェクトで抑える! 6日、序盤から乱調の戸村に代わり、なんと則本がリリーフ登板。前日の雪辱を果たす好投により、ついに楽天は単独首位へ。 7日AJのグラスラ、島内のランニングホームランも飛び出しSB帆足に大勝利!これでダックさんはSB...
  • 紅白戦
    紅白戦 団体競技での試合形式の練習。一つのチームを2組に分け、実戦形式で行う。主にキャンプ中に行われる。ファン感謝デーのエキシビジョンマッチもこれにあたる。ファン感の紅白戦は、軟式球を使用し、選手全員が本職ではないポジションに就くことが特徴。最も有名なのは塩川。彼の剛速球は名物。 朝井の物まねも名物だったが、楽天で見ることは2度とないであろう。(´・ω・`) 特に春季キャンプの場合、若手にとってはアピール、実績ある選手にとっては重要な調整の場。つまり、実力の全てを示しているわけではない。 とはいえ、ルーキーや新入団選手がデビューを飾るなど一年で最も期待の高まる時期。思う存分wktkしよう。 春季キャンプ 2011年よりニコニコ生放送がキャンプの中継を始める。 もちろん紅白戦も配信されるという大盤振る舞い。 2012年 02/11白組:井坂、紅組:戸村が先発し、両者とも先頭打者にヒット...
  • 阿部俊人
    #00 阿部俊人 1988年12月23日生まれ 埼玉県出身 右投左打 2010年ドラフト3位で東北福祉大学から入団。 走・攻・守、3拍子バランスの取れた内野手として期待されている。 目標にしているのは松井稼頭央。ただ、彼のスペ体質だけは見習って欲しくない。 ルーキーイヤーを二軍で迎えたものの、川口隼人とともに打撃好調。住民達からも期待の声。ついに4月26日に一軍からお呼びがかかる。 初出場は4月27日の雨天中止でのヘッドスライディング。 仕切りなおしとなった公式戦初出場は、5月1日(対オリ)。やらかした岩村に代わり、5回表から出場。初打席は西勇輝にあっさり打ち取られ、一ゴロに倒れる。 17試合に出場し、打率.071。契約更改後の記者会見では巻き返しを誓っていた。 オフにはデーブ大久保がコーチとして就任。名物のアーリーワークで練習しまくった結果、稼頭央が腰痛で開幕一軍を逃したことで、開...
  • サンダー
    サンダー 半袖こと小山伸一郎が福盛和男から呼ばれている愛称である。 ただし、 まっっっっっっっっっったく定着していない。 定着できるかどうかは、このページを見たあなたにかかっている。
  • @wiki全体から「スライダーメン」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索