<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" ?><rdf:RDF 
  xmlns="http://purl.org/rss/1.0/"
  xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
  xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
  xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
  xml:lang="ja">
  <channel rdf:about="http://w.atwiki.jp/2010d_age/">
    <title>2010年度クトゥルフキャンペーン@wiki</title>
    <link>http://w.atwiki.jp/2010d_age/</link>
    <atom:link href="https://w.atwiki.jp/2010d_age/rss10.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
    <atom:link rel="hub" href="https://pubsubhubbub.appspot.com" />
    <description>2010年度クトゥルフキャンペーン@wiki</description>

    <dc:language>ja</dc:language>
    <dc:date>2010-06-29T11:10:51+09:00</dc:date>
    <utime>1277777451</utime>

    <items>
      <rdf:Seq>
                <rdf:li rdf:resource="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/27.html" />
                <rdf:li rdf:resource="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/24.html" />
                <rdf:li rdf:resource="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/18.html" />
                <rdf:li rdf:resource="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/32.html" />
                <rdf:li rdf:resource="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/31.html" />
                <rdf:li rdf:resource="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/26.html" />
                <rdf:li rdf:resource="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/25.html" />
                <rdf:li rdf:resource="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/30.html" />
                <rdf:li rdf:resource="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/29.html" />
                <rdf:li rdf:resource="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/28.html" />
              </rdf:Seq>
    </items>
	
		
    
  </channel>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/27.html">
    <title>フニャディ・ヤノーシュ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/27.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　フニャディ･ヤノーシュ
別名　ヤンコ（オスマン軍からの呼び方）
生年　西暦1409年?
没年　西暦1456年8月11日
年齢　47歳?
称号　トランシルヴァニア侯（1439年～1456年8月11日）
　　　　ハンガリー王国摂政（1446年～1456年8月11日）
----
　ワラキアから流れてきた豪族、フニャディ・ヴァイクの息子として1409年に生まれる。少年時にハンガリー王ジグムンド（ルクセンブルク家・神聖ローマ皇帝ジギスムント）に見出され、王の傭兵隊長としてイタリアを転戦した。下級貴族の出にも関わらず宮廷に頻繁に出入りしていた為、ジグムンド王の落胤では、という話もあったらしい。
　ジグムンドの死後、ハンガリーに帰還してからはアルベルト王（ハプスブルク家・神聖ローマ皇帝アルブレヒト2世）に右腕として重用され、トランシルヴァニアの地を与えられた。続くウラースロー1世（ヤゲロー家・ポーランド王兼リトアニア大公ヴワディスワフ3世ヴァルネンチク）の治世においてもその地位は揺るがず、一時はオスマン帝国に対し優勢に立つも、1444年のヴァルナの戦いでは大敗、国王を敗死させた張本人として失脚した。しかし、その2年後には国内貴族の対立に乗じて復権、摂政に就任している。
　1456年のベオグラードの戦いでは皇帝[[メフメト2世]]率いるオスマン帝国軍10万を、1万の軍勢で迎え撃って勝利した。だが、同地でペストに感染しその直後に病没。
　ヴァルナの戦いでの敗北や、上部ハンガリーの[[ヤン・イクスラ]]を破る事が出来なかった事などを考えると、防衛戦では非常に高い能力を持っていたと見られるが、攻勢にはやや弱かったのではないかと推測できる。    </description>
    <dc:date>2010-06-29T11:10:51+09:00</dc:date>
    <utime>1277777451</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/24.html">
    <title>フニャディ・マーチャーシュ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/24.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　フニャディ･マーチャーシュ
別名　マーチャーシュ１世/マーチャーシュ・コルヴィン（羅：マティアス・コルウィヌス）
生年　西暦1443年2月23日
年齢　15歳
称号　ハンガリー国王（1458年1月1日～）
　　　　トランシルヴァニア侯（1457年3月17日～)

&amp;bold(){&amp;size(16){能力値}}
|STR|17||DEX|11||INT|16||CON|12|HP|12||最大正気度|90||アイデア|80||幸運|70||知識|75||SAN|70|
|APP|15||POW|14||SIZ|12||EDU|15|MP|12||現在正気度|61|~|~|~|~|~|~|~|~|~|~|~|~|

&amp;bold(){&amp;size(16){技能}}
|技能名|%||技能名|%||技能名|%||技能名|%|
|医学|25%||ドイツ語を書く|60%||ドイツ語|70%||洞察|40%|
|オカルト|65%||ラテン語を書く|45%||ラテン語|65%||図書館|60%|
|3科|82%||マジャル語を書く|70%||ギリシア語|40%||ナビゲート|80%|
|4科|70%||乗馬|90%||他国知識|70%||マジャル語|75%|
|クトゥルフ神話|9%||神学|35%||地位|90%||法|80%|

&amp;bold(){&amp;size(16){武器}}
|近接戦武器|%|ダメージ|射程|攻撃回数|耐久力|備考|
|こぶし|70%|特殊|ショート|1|-||
|ロング・ソード|85%|1D10+db|ロング|1|20||
|太刀|44%|2D8+db|ロング|1|35||
||||||||
|飛び道具|%|ダメージ|射程|攻撃回数|耐久力|備考|
|クロスボウ|80%|2D8|100m|1/2|15||
||||||||
|シールド|%|耐久力|&gt;|&gt;|&gt;||
|-|-%|-|~|~|~|~|
----
　元ハンガリー摂政[[フニャディ・ヤノーシュ]]の次男。父と兄の相次ぐ死により、14歳にしてトランシルヴァニア侯とフニャディ派指導者となる。国王[[ラースロー5世]]に命を狙われるもこれを看破し、王とオスマン帝国の繋がりを指摘する事で逆に王を再起不能に追いやった。その後、中小貴族と民衆の圧倒的な支持のもと、対立する大貴族を抑えて即位。即位直後から精力的に活動し、2ヶ月のうちに摂政[[シラージ・ミハーイ]]と前副王[[ガライ・ラースロ]]を屈服させ、更に[[上部ハンガリー]]を実効支配していた[[ヤン・イクスラ]]を調略することに成功している。
----
*史実
　兄[[ラースロー&gt;フニャディ・ラースロー]]が処刑された際、フニャディ派の人質として国王ラースロー5世と共にプラハへ連行される。国王の死後、ベーメン摂政であった[[イジー・ス・ポディエブラト]]の娘と婚約する事で解放され、中小貴族の支持の元国王へ即位した。父ヤノーシュとは違いオスマン帝国との直接的な衝突は避け、オスマンと対抗できるだけの大国の形成を目指した。その政策の下行われたのがオーストリアやベーメン（イジーの娘カテジナと死別した後は、反フス派の色を強くした）への出兵である。
　現在では「正義王」と呼ばれ、ハンガリー国内では絶大な人気を誇っているものの、その伝説にはマーチャーシュ以後のハンガリー（貴族間の対立が激化した王国時代末期、そしてオスマンからハプスブルク家による支配）があまりにも悲惨であった為の懐古も多分に含まれていると言われている。    </description>
    <dc:date>2010-06-29T11:09:39+09:00</dc:date>
    <utime>1277777379</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/18.html">
    <title>NPC一覧（第4回開始時点）</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/18.html</link>
    <description>
      西暦1458年2月末時点
----
#contents_line(sep=*,fromhere)
----

----
*ハンガリー王国
----
**国王（フニャディ）派
ワラキア系の新興貴族であるフニャディ家を支持する中小貴族及び新興貴族によって結成された派閥。
***フニャディ家
-[[フニャディ・マーチャーシュ（マーチャーシュ1世コルウィヌス）&gt;フニャディ・マーチャーシュ]](1443～)
-[[カールマーン]](？～)
-[[シラージ・エルジェーベット]](1410?～)
-[[フニャディ・ヤノーシュ]](1409～1456)
-[[フニャディ・ラースロー]](1433～1457)
***諸侯
-[[シラージ・ミハーイ]]（1400?～）
-[[グツィ=オルサーグ・ミハーイ]](1416～)
-[[ダレーゾ・ナニガーシュ]](1428～)
--小貴族ダレーゾ家出身の武将で、ヤノーシュ家が管理するベオグラード城の責任者。
-[[ヴィテーズ・ヤノーシュ]](1405～)
--国王庁長官。4代前の国王であるジグモンド（神聖ローマ皇帝ジギスムント）の時代から応急に仕える老臣で、国王中央集権論者。フニャディ・ヤノーシュとは親友であり、マーチャーシュの家庭教師も勤めた。
**ガライ派（旧ラースロー5世派、ガライ=ツィレイ派）
保守派大貴族の連合体。前国王時代には与党であった。ハプスブルク家と関係が深かったが、57年秋の事変後は距離を置いている。
-[[ガライ・ラースロー]](1410～）
--大貴族ガライ家の当主。ラースロー5世時代には副王であった。
-[[ウイラキ・ミクローシュ]](1417～)
--大貴族ウイラキ家の当主。ボスニア地方に大きな影響力を持っている。王位をマーチャーシュと争ったものの、敗れる。
-[[ツィレイ・ウルリク]](1406～1456)
--クロアティアの大貴族ツェリェ伯家の当主。ラースロー5世の後見人であり、国王派筆頭であった。フニャディ・ラースローに暗殺されたとされる。なお、ツェリェ伯領はハプスブルク家が継承した。
**その他
-[[コンスタンティノス]](？～）
--ベオグラード市内で、酒場兼宿屋の『三つ首の鷲』亭を経営する男性。
-[[チャン(張　清寧)]](？～）
--自称ウズベク出身の武器商人。東方の武具を売り捌きにベオグラードまで来た。
-[[マスター]](？～）
--ベオグラード市内のとある宿を経営するオカマ。応急処置が上手かったり太刀を使いこなしていたりと色々怪しい。チャンの旧友。
-[[ヴィルヘルム]](1397～)
--東欧一円に支店網を持つ武器商会の主人。本店はハンザ同盟市ハンブルクにある。
-[[ハンス・ブラウベルク（ブレウブルジ・ヤノーシュ/ケークヘギャク・ヤノーシュ）]](1412?～)
--ハンガリーでも大手の傭兵団、『禿鷲傭兵団』を率いるドイツ系の男性。
-[[カルキウス・クラウディウス]](1522～)
--エステルゴム大司教。傭兵2人と共に、前年のベオグラードの戦いではメフメトと交戦した。
*上ハンガリー（上ハンガリー）
-[[ヤン・イクスラ（ギシュクラ・ヤノーシュ）]](1400～)
--ハプスブルク家の支援により、現在もスロヴァキアを実効支配するフス派過激派（ターボル派）傭兵団の長。

----
*ベーメン王国
----
**国王（フス）派
その名の通りフス派貴族の派閥。カトリックのハプスブルク派と対立している。
-[[イジー・ス・ポジェブラト]](1420～)
--現ベーメン王。ベーメンにおけるフス派貴族の頭目であり、1万弱の兵を擁する。ベーメン摂政時代からその手腕と公平性は認められており、ラースロー5世(ラジスラフ・ポフロベク)の退位後、議会は満場一致で彼を国王に選出した。
-[[カテジナ・ス・ポジェブラト]](1449～)
--イジーの娘。ハンガリー王マーチャーシュの婚約者でもある。なお、マーチャーシュはカテジナとの結婚により、ベーメン王太子となる予定である。
-[[ヤン・プロハスカ]](1426～1457)
--ベーメン王国フス派・ウィーン支部の責任者。[[ヒルチガルド]]の扇動によりベーメンよりフス派軍派遣を要請してしまった。直後にウィーン市内で発生した暴動の首謀者として祭り上げられ、処刑される。

----
*オーストリア公領
----
-[[ラースロー5世(ラディスラウス・ポストゥムス)]](1440～1457)
--オーストリア、ハンガリー、ベーメンの先代君主。ハンガリー･･･というかヤノーシュ家に敵意を抱いている。遂にオスマンと手を組んでしまった。元々危うい所もあったが、ベーメン軍の包囲と教皇による尋問の後完全に発狂してしまった。退位の後幽閉されていたが、11月末に病死する。
-[[フリードリヒ3世]](1415～)
--前神聖ローマ皇帝。愚鈍であり、影で昼行灯と呼ばれる。ラースロー5世のオスマンとの同盟を看破出来ず、教皇によって廃位させられた。現オーストリア公。ツェリェ伯として、ハンガリーにも僅かながら影響力を保っている。
-[[アレクサンデル・カッシウス]](1403～)
--勝つためならば手段を問わない傭兵団、『銀の剣』のリーダー。ラースロー5世に雇われ、マーチャーシュを暗殺しようとしたが、直前に露見し、失敗。処刑されたと思われていたが生存が確認される。ベーメンのウィーン包囲以後、所在不明。

----
*ワラキア公国
----
-[[ヴラド3世ドラクル]](1431～)
--後のヴラド・ツェペシュ。ハンガリーと同盟し、オスマンに叛乱した。

----
*アルバニア
----
-[[スカンデルベグ(ジェルジ・カストリオティ)]](1405～)
--負け知らずの英雄。スカンデルベグとはアレクサンドロス大王の事である。もとオスマンの配下だったが、1443年帝国に反旗を翻した。

----
*オスマン帝国
----
-[[メフメト2世]](1432～)
--言わずと知れた凶悪皇帝。変身する。

*[[その他の国々]]    </description>
    <dc:date>2010-06-29T11:06:55+09:00</dc:date>
    <utime>1277777215</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/32.html">
    <title>ヴィテーズ・ヤノーシュ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/32.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　ヴィテーズ・ヤノーシュ
生年　西暦1405年?
年齢　53歳?
称号　ハンガリー王国枢密院書記（1430年頃～）
　　　　ハンガリー王国国王庁長官（1458年1月1日～）
　　　　オラデア司教（1445年～）
----
　[[フニャディ･ヤノーシュ]]の旧友で、[[マーチャーシュ&gt;フニャディ・マーチャーシュ]]の元家庭教師。マーチャーシュに内政的な事を教え込んだ張本人。文化人であり、広い視野を持っている。また、僧職にはあるもののハンガリー王国に忠誠を誓っており、大貴族の権利を制限して王権を強化すべきだとの考えを30年前から示している中央集権論者である。
----
*史実
　1472年にマーチャーシュがベーメン侵攻を決意した際に反対したが、これを聞き入られ無かった為に王に叛乱を起こす。マーチャーシュは恩師を殺す事が出来ないと、温情を掛け彼を国外追放の刑に処したが、追放中に憤死する。    </description>
    <dc:date>2010-06-29T08:44:09+09:00</dc:date>
    <utime>1277768649</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/31.html">
    <title>ダレーゾ・ナニガーシュ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/31.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　ダレーゾ・ナニガーシュ
生年　西暦1428年11月7日
年齢　29歳
称号　ベオグラード太守（1457年2月12日～）
----
　ヤノーシュ派勢力圏、ベオグラード城の責任者。小貴族ダレーゾ家出身の武将で、堅実な戦いぶりで知られる。ベオグラードの戦いに際して[[シラージ・ミハーイ]]の配下として奮戦した事で名声を得、小貴族ながら総督に抜擢された。    </description>
    <dc:date>2010-06-29T08:21:25+09:00</dc:date>
    <utime>1277767285</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/26.html">
    <title>シラージ・エルジェーベット</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/26.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　シラージ・エルジェーベット
生年　西暦1410年?
年齢　47歳?
----
　[[フニャディ・ヤノーシュ]]の妻であり、[[ラースロー&gt;フニャディ・ラースロー]]、[[マーチャーシュ&gt;フニャディ・マーチャーシュ]]の母。ラースローが処刑された際には兄の[[シラージ・ミハーイ]]と共に反ハプスブルク闘争を開始しようとするも、賛同者を得られず断念した。現在は、政治的には排除されつつも王母として恵まれた生活を送っている模様。
----
*史実
　実際には、シラージ･ミハーイと行った反ハプスブルク闘争は成功したが、その影響で息子マーチャーシュはプラハに軟禁される事となった。    </description>
    <dc:date>2010-06-28T19:04:20+09:00</dc:date>
    <utime>1277719460</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/25.html">
    <title>カールマーン</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/25.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　カールマーン
生年　不明
年齢　不明
称号　ハンガリー王国侍従長（1458年1月1日）
----
　マーチャーシュの祖父であり、ハンガリー貴族としてのフニャディ家の開祖であるヴァイクの頃からフニャディ家に仕えている老臣。フニャディ家仕官前の改暦は全く謎である。    </description>
    <dc:date>2010-06-28T19:04:07+09:00</dc:date>
    <utime>1277719447</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/30.html">
    <title>グツィ=オルサーグ・ミハーイ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/30.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　グツィ＝オルサーグ・ミハーイ
生年　?
年齢　?歳
称号　ハンガリー副王（1458年1月1日～）
----
現ハンガリー副王。ヤノーシュ派に仕立て上げられた傀儡副王である。
----
*史実
[[マーチャーシュ&gt;フニャディ・マーチャーシュ]]の即位と同時にハンガリー副王に就任しているのは確かなようだが、ハンガリー語でさえロクに情報が集まらない為、傀儡であった可能性高し。    </description>
    <dc:date>2010-06-28T19:03:56+09:00</dc:date>
    <utime>1277719436</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/29.html">
    <title>シラージ・ミハーイ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/29.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　シラージ・ミハーイ
生年　西暦1400年?
年齢　57歳?
称号　ハンガリー王国摂政（1458年1月1日～1458年1月24日）
----
　トランシルヴァニア系中堅貴族シラージ家の当主。ベオグラードの戦いにおいてはベオグラード市の守将であり、オスマン軍の砲撃からベオグラードを守り抜いた。
　ラースロー死後のフニャディ派においては妹のエルジェーベットと共に対ハプスブルク最強硬派であった。
　[[国王マーチャーシュ&gt;フニャディ・マーチャーシュ]]の叔父として摂政に就任したが、ガライ派の提出した、王権を制限するマーチャーシュの王位承認に関する但し書きを飲ませようとして失脚、最前線に送られた。かつての部下である[[ダレーゾ・ナニガーシュ]]の部下になると言う屈辱的なおまけ付き。なお、現在戦死カウントダウン中。
　当人は純粋に、軍務を投げて優雅に生活したかっただけのボンクラであった模様。
----
*史実
　マーチャーシュを傀儡にしようとして摂政を解任され、[[ガライ・ラースロー]]、[[ウイラキ・ミクローシュ]]と組んで抵抗した。その為に投獄されたが、叔父を処刑する事を嫌ったマーチャーシュが最前線に送り、その直後に戦死。    </description>
    <dc:date>2010-06-28T18:57:01+09:00</dc:date>
    <utime>1277719021</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/28.html">
    <title>フニャディ・ラースロー</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/28.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　フニャディ･ラースロー
生年　西暦1433年
没年　西暦1457年3月16日
年齢　24歳
称号　トランシルヴァニア侯（1456年8月12日～1457年3月16日）
　　　　クロアティア/ダルマティア総督(1453年～1455年）
----
　[[フニャディ・ヤノーシュ]]の長子。非常に若い頃から父と共に従軍していたとされる。ツィレイ＝ガライ派（ラースロー5世派）の計略により、一時全ての官職から追放されたが、[[ガライ・ラースロー]]の娘マーリアと婚約することで復権した。父ヤノーシュがベオグラードで病死した後はフニャディ派の指導者となるが、ツィレイ＝ガライ派に再び欺かれ軍から追放された。その後、フニャディ家家人により[[ツィレイ・ウルリク]]が暗殺されたことで疑心に囚われた[[ラースロー5世]]の計略によりブダで処刑された。
　軍事的にはそこそこ優れており、統率力もあったが、他人を信用しすぎた事が身を滅ぼた原因か。    </description>
    <dc:date>2010-06-28T18:40:05+09:00</dc:date>
    <utime>1277718005</utime>
  </item>
  </rdf:RDF>
