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    <title>2010年度クトゥルフキャンペーン@wiki</title>
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    <description>2010年度クトゥルフキャンペーン@wiki</description>

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    <title>ヴィテーズ・ヤノーシュ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/32.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　ヴィテーズ・ヤノーシュ
生年　西暦1405年?
年齢　53歳?
称号　ハンガリー王国枢密院書記（1430年頃～）
　　　　ハンガリー王国国王庁長官（1458年1月1日～）
　　　　オラデア司教（1445年～）
----
　[[フニャディ･ヤノーシュ]]の旧友で、[[マーチャーシュ&gt;フニャディ・マーチャーシュ]]の元家庭教師。マーチャーシュに内政的な事を教え込んだ張本人。文化人であり、広い視野を持っている。また、僧職にはあるもののハンガリー王国に忠誠を誓っており、大貴族の権利を制限して王権を強化すべきだとの考えを30年前から示している中央集権論者である。
----
*史実
　1472年にマーチャーシュがベーメン侵攻を決意した際に反対したが、これを聞き入られ無かった為に王に叛乱を起こす。マーチャーシュは恩師を殺す事が出来ないと、温情を掛け彼を国外追放の刑に処したが、追放中に憤死する。    </description>
    <dc:date>2010-06-29T08:44:09+09:00</dc:date>
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  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/31.html">
    <title>ダレーゾ・ナニガーシュ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/31.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　ダレーゾ・ナニガーシュ
生年　西暦1428年11月7日
年齢　29歳
称号　ベオグラード太守（1457年2月12日～）
----
　ヤノーシュ派勢力圏、ベオグラード城の責任者。小貴族ダレーゾ家出身の武将で、堅実な戦いぶりで知られる。ベオグラードの戦いに際して[[シラージ・ミハーイ]]の配下として奮戦した事で名声を得、小貴族ながら総督に抜擢された。    </description>
    <dc:date>2010-06-29T08:21:25+09:00</dc:date>
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  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/30.html">
    <title>グツィ=オルサーグ・ミハーイ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/30.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　グツィ＝オルサーグ・ミハーイ
生年　?
年齢　?歳
称号　ハンガリー副王（1458年1月1日～）
----
現ハンガリー副王。ヤノーシュ派に仕立て上げられた傀儡副王である。
----
*史実
[[マーチャーシュ&gt;フニャディ・マーチャーシュ]]の即位と同時にハンガリー副王に就任しているのは確かなようだが、ハンガリー語でさえロクに情報が集まらない為、傀儡であった可能性高し。    </description>
    <dc:date>2010-06-28T19:03:56+09:00</dc:date>
    <utime>1277719436</utime>
  </item>
    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/29.html">
    <title>シラージ・ミハーイ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/29.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　シラージ・ミハーイ
生年　西暦1400年?
年齢　57歳?
称号　ハンガリー王国摂政（1458年1月1日～1458年1月24日）
----
　トランシルヴァニア系中堅貴族シラージ家の当主。ベオグラードの戦いにおいてはベオグラード市の守将であり、オスマン軍の砲撃からベオグラードを守り抜いた。
　ラースロー死後のフニャディ派においては妹のエルジェーベットと共に対ハプスブルク最強硬派であった。
　[[国王マーチャーシュ&gt;フニャディ・マーチャーシュ]]の叔父として摂政に就任したが、ガライ派の提出した、王権を制限するマーチャーシュの王位承認に関する但し書きを飲ませようとして失脚、最前線に送られた。かつての部下である[[ダレーゾ・ナニガーシュ]]の部下になると言う屈辱的なおまけ付き。なお、現在戦死カウントダウン中。
　当人は純粋に、軍務を投げて優雅に生活したかっただけのボンクラであった模様。
----
*史実
　マーチャーシュを傀儡にしようとして摂政を解任され、[[ガライ・ラースロー]]、[[ウイラキ・ミクローシュ]]と組んで抵抗した。その為に投獄されたが、叔父を処刑する事を嫌ったマーチャーシュが最前線に送り、その直後に戦死。    </description>
    <dc:date>2010-06-28T18:57:01+09:00</dc:date>
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    <title>フニャディ・ラースロー</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/28.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　フニャディ･ラースロー
生年　西暦1433年
没年　西暦1457年3月16日
年齢　24歳
称号　トランシルヴァニア侯（1456年8月12日～1457年3月16日）
　　　　クロアティア/ダルマティア総督(1453年～1455年）
----
　[[フニャディ・ヤノーシュ]]の長子。非常に若い頃から父と共に従軍していたとされる。ツィレイ＝ガライ派（ラースロー5世派）の計略により、一時全ての官職から追放されたが、[[ガライ・ラースロー]]の娘マーリアと婚約することで復権した。父ヤノーシュがベオグラードで病死した後はフニャディ派の指導者となるが、ツィレイ＝ガライ派に再び欺かれ軍から追放された。その後、フニャディ家家人により[[ツィレイ・ウルリク]]が暗殺されたことで疑心に囚われた[[ラースロー5世]]の計略によりブダで処刑された。
　軍事的にはそこそこ優れており、統率力もあったが、他人を信用しすぎた事が身を滅ぼた原因か。    </description>
    <dc:date>2010-06-28T18:40:05+09:00</dc:date>
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    <title>フニャディ・ヤノーシュ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/27.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　フニャディ･ヤノーシュ
別名　ヤンコ（オスマン軍からの呼び方）
生年　西暦1409年?
没年　西暦1456年8月11日
年齢　47歳?
称号　トランシルヴァニア侯（1439年～1456年8月11日）
　　　　ハンガリー王国摂政（1446年～1456年8月11日）
----
　ワラキアから流れてきた豪族、フニャディ・ヴァイクの息子として1409年に生まれる。少年時にハンガリー王ジグムンド（ルクセンブルク家・神聖ローマ皇帝ジギスムント）に見出され、王の傭兵隊長としてイタリアを転戦した。下級貴族の出にも関わらず宮廷に頻繁に出入りしていた為、ジグムンド王の落胤では、という話もあったらしい。
　ジグムンドの死後、ハンガリーに帰還してからはアルベルト王（ハプスブルク家・神聖ローマ皇帝アルブレヒト2世）に右腕として重用され、トランシルヴァニアの地を与えられた。続くウラースロー1世（ヤゲロー家・ポーランド王兼リトアニア大公ヴワディスワフ3世ヴァルネンチク）の治世においてもその地位は揺るがず、一時はオスマン帝国に対し優勢に立つも、1444年のヴァルナの戦いでは大敗、国王を敗死させた張本人として失脚した。しかし、その2年後には国内貴族の対立に乗じて復権、摂政に就任している。
　1456年のベオグラードの戦いでは皇帝[[メフメト2世]]率いるオスマン帝国軍10万を、1万の軍勢で迎え撃って勝利した。だが、同地でペストに感染しその直後に病没。
　ヴァルナの戦いでの敗北や、上部ハンガリーの[[ヤン・イクスラ]]を破る事が出来なかった事などを考えると、防衛戦では非常に高い能力を持っていたと見られるが、攻勢にはやや弱かったのではないかと推測できる。    </description>
    <dc:date>2010-06-29T11:10:51+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/26.html">
    <title>シラージ・エルジェーベット</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/26.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　シラージ・エルジェーベット
生年　西暦1410年?
年齢　47歳?
----
　[[フニャディ・ヤノーシュ]]の妻であり、[[ラースロー&gt;フニャディ・ラースロー]]、[[マーチャーシュ&gt;フニャディ・マーチャーシュ]]の母。ラースローが処刑された際には兄の[[シラージ・ミハーイ]]と共に反ハプスブルク闘争を開始しようとするも、賛同者を得られず断念した。現在は、政治的には排除されつつも王母として恵まれた生活を送っている模様。
----
*史実
　実際には、シラージ･ミハーイと行った反ハプスブルク闘争は成功したが、その影響で息子マーチャーシュはプラハに軟禁される事となった。    </description>
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    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/25.html">
    <title>カールマーン</title>
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    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　カールマーン
生年　不明
年齢　不明
称号　ハンガリー王国侍従長（1458年1月1日）
----
　マーチャーシュの祖父であり、ハンガリー貴族としてのフニャディ家の開祖であるヴァイクの頃からフニャディ家に仕えている老臣。フニャディ家仕官前の改暦は全く謎である。    </description>
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    <title>フニャディ・マーチャーシュ</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/24.html</link>
    <description>
      *情報(1558年2月末現在）
名前　フニャディ･マーチャーシュ
別名　マーチャーシュ１世/マーチャーシュ・コルヴィン（羅：マティアス・コルウィヌス）
生年　西暦1443年2月23日
年齢　15歳
称号　ハンガリー国王（1458年1月1日～）
　　　　トランシルヴァニア侯（1457年3月17日～)

&amp;bold(){&amp;size(16){能力値}}
|STR|17||DEX|11||INT|16||CON|12|HP|12||最大正気度|90||アイデア|80||幸運|70||知識|75||SAN|70|
|APP|15||POW|14||SIZ|12||EDU|15|MP|12||現在正気度|61|~|~|~|~|~|~|~|~|~|~|~|~|

&amp;bold(){&amp;size(16){技能}}
|技能名|%||技能名|%||技能名|%||技能名|%|
|医学|25%||ドイツ語を書く|60%||ドイツ語|70%||洞察|40%|
|オカルト|65%||ラテン語を書く|45%||ラテン語|65%||図書館|60%|
|3科|82%||マジャル語を書く|70%||ギリシア語|40%||ナビゲート|80%|
|4科|70%||乗馬|90%||他国知識|70%||マジャル語|75%|
|クトゥルフ神話|9%||神学|35%||地位|90%||法|80%|

&amp;bold(){&amp;size(16){武器}}
|近接戦武器|%|ダメージ|射程|攻撃回数|耐久力|備考|
|こぶし|70%|特殊|ショート|1|-||
|ロング・ソード|85%|1D10+db|ロング|1|20||
|太刀|44%|2D8+db|ロング|1|35||
||||||||
|飛び道具|%|ダメージ|射程|攻撃回数|耐久力|備考|
|クロスボウ|80%|2D8|100m|1/2|15||
||||||||
|シールド|%|耐久力|&gt;|&gt;|&gt;||
|-|-%|-|~|~|~|~|
----
　元ハンガリー摂政[[フニャディ・ヤノーシュ]]の次男。父と兄の相次ぐ死により、14歳にしてトランシルヴァニア侯とフニャディ派指導者となる。国王[[ラースロー5世]]に命を狙われるもこれを看破し、王とオスマン帝国の繋がりを指摘する事で逆に王を再起不能に追いやった。    </description>
    <dc:date>2010-06-29T11:09:39+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/2010d_age/pages/23.html">
    <title>ヘルマン</title>
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    <description>
      *ヘルマン
-性別
--男
-年齢
--25歳(1432～)
-出身
--旧ビザンツ
- 設定
--旧ビザンツの親衛隊長。コンスタンティノープル陥落の際、海に落ちたが生還、岸に流れ着いたところでフニャディー家に拾われた。命で弟のほう守ってたら兄きしんだ。本人その辺の関係で人死にを見たりするとたくさん正気度下がる。見てはいけない魔道書を見つけるなど運も悪いらしい。

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|STR|16||DEX|10||INT|9||CON|13|HP|15||最大正気度|60|| アイデア|45||幸運|60||知識|65||SAN|60|
|APP|10||POW|12||SIZ|17||EDU|13|MP|12|| 現在正気度|51|~|~|~|~|~|~|~|~|~|~|~|~|

&amp;bold(){&amp;size(16){技能}}
| 技能名|%|
|応急手当|33%|
|隠す|95%|
|隠れる|50%|
|聞き耳|95%|
|地位|67%|
|洞察|8%|
|投擲|34%|
| 母国（ビザンツ）知識|50%|
|目星|29%|

&amp;bold(){&amp;size(16){武器}}
|近接戦武器|%|ダメージ|射程|攻撃回数|耐久力|備考|
|グレートアックス|95%|2D6+db|ロング|1|15||
||||||||
| シールド|%|耐久力|&gt;|&gt;|&gt;||
|-|-%|-|~|~|~|~|    </description>
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