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*&sizex(6){梁山泊関係者一覧} 個別ページを作ってない人物の一覧。 ● 郝令 (かくれい) 蘇端の、改名前の漢名。[[郝瑾]]と[[楊令]]から取った。 ● 韓伯竜 (かんはくりゅう) 1097年生まれ。[[韓世忠]]の異母弟、[[劉彦宗]]の弟子。 [[童貫]]戦の頃、大城で傭兵をしていたところを[[楊令]]や[[公孫勝]]に説得され、入山。 ● 喬道清 (きょうどうせい)/喬冽 (きょうれつ) 1099年生まれ。元の名が喬冽で、韓伯竜の部下だった。 韓伯竜の入山の際、[[公孫勝]]の従者となる。その後、出家して喬道清と名乗る。 褚律と共に諜報などを担当。 ● 倪雲 (げいうん)/捲毛虎 1082年生まれ。[[李俊]]の弟分の一人。 ● 郤妁 (げきしゃく) 1110年生まれ。子午山の近くの出身。生家は裕福だったが、両親が目の前で殺される。 ● 黄鉞 (こうえつ)/獅殺将 1088年生まれ。もとは[[田虎]]の軍におり、[[張清]]と共に入山。 1115年からの流浪では将校見習い、北の塞を築く頃に上級将校へ昇格。 その後は[[花飛麟]]軍・[[呼延凌]]軍で騎馬隊の指揮。 ● 黄表 (こうひょう)/九頭虫 1094年生まれ。 [[張清]]軍の下級将校、のち[[花飛麟]]軍の旗手。 ● 山士奇 (さんしき)/魑刺将 1090年生まれ。もとは[[田虎]]の軍におり、[[張清]]と共に入山。 1115年からの流浪では将校見習い、北の塞を築く頃に上級将校へ昇格。 その後は[[郭盛]]軍で歩兵の指揮。 ● 周印 (しゅういん) 1103年生まれ。代州・五台出身。 [[郭盛]]軍にて、宋禁軍との戦の最中、党厳・鳳元と共に上級将校に抜擢される。 ● 荀響 (じゅんきょう) 1089年生まれ。 水滸伝時代に入山し、[[李応]]の重装備部隊の将校となる。 流浪の時代には[[李媛]]につき従い、そのまま重装備部隊の上級将校となる。 [[李媛]]の死後は昇格した田忠に代わって[[秦容]]軍の将校となるが、戦死。 ● 鐘玄 (しょうげん) 1095年生まれ。元は晋州の田舎役人、『替天行道』を読み梁山泊へ。 [[呼延灼]]軍の将校、のち[[呼延凌]]軍の上級将校。 ● 上青 (じょうせい)/太湖蛟 1076年生まれ。[[李俊]]の弟分の一人で、リーダー格。 楡柳荘を拠点に闇塩の商いをしていた。梁山湖からの撤退・太湖の拠点づくりに関わる。 のち西域の大きな湖のそばに商館を構え、物資の管理をする。 ● 譙丹 (しょうたん) 1096年生まれ。元は渭州軍の下級将校。 [[鮑旭]]の副官、のち[[郭盛]]軍の上級将校。 ● 徐絢 (じょけん) 1104年生まれ。両親は西域の人間らしく、白人風の容姿。 1110年(6歳)頃、京兆府の商人に引き取られ妾となる。 1117年(13歳)、商人が殺され、[[戴宗]]に拾われる。以降、梁山泊の間諜となりハニートラップを担当。 開放府の妓館に潜入中、任務で[[侯真]]と出会い、男と女の関係に。 南宋建国時の混乱に乗じて太祖系の系図を持ち逃げするが、死亡。 ● 岑諒 (しんりょう) 1082年生まれ。[[周通]]戦死の際、既に桃花山の兵だった。 [[張清]]の推薦で[[鮑旭]]軍の上級将校に、そののち退役し、女房と宿屋を営む。 ● 蒼貴 (そうき) 1106年生まれ。 [[花飛麟]]軍所属。鄧広により兵卒から下級将校に上げられ、鄧広の負傷後に上級将校へ。 ● 曾潤 (そうじゅん)/遠鐘児 1098年生まれ。洞宮山に新兵として入山。兄は梁山泊の兵で、戦死。 [[馬麟]]軍の上級将校、調練担当を経て[[郭盛]]軍の指揮官。 ● 宋万 (そうまん) 生年不明、本名も不明。元は[[方臘]]警固隊の隊長で、名前など過去の一切は捨てていた。 [[宋万>宋万(水滸伝)]]に似ていたことから、[[呉用(趙仁)>呉用]]に同じ名前を与えられる。 [[方臘]]軍壊滅後、生き残りの兵と共に梁山泊に入山。 ● 祖永 (そえい)/摸着雲 1094年生まれ。[[杜遷]]の甥。生前の[[杜遷]]から時々手紙を貰っていたことから、洞宮山へ入山。 新兵の頃、宋軍の残党狩りで負傷するが、[[白勝]]の手術で命を救われる。 ● 蘇琪 (そき)/照夜玉 1098年生まれ。燕雲十六州出身で、親は漢人。 [[段景住]]に見いだされて[[皇甫端]]の助手になり、[[楊令]]にスカウトされ黒騎兵になる。 ● 蘇端 (そたん)/斑貓王 1096年生まれ。女真族出身。 元は漢名を「郝令」と名乗っていたが、[[段景住]]にたしなめられ、蘇琪と[[皇甫端]]から字を取って改名。 [[郝瑾]]の副官で、のち巡邏隊の隊長に任ぜられる。 ● 孫安 (そんあん) 生年不明。韓伯竜軍の将校。 ● 張敬 (ちょうけい)/波濤児 1098年生まれ。[[張横]]の長男、[[張平]]の兄。叔父の[[張順]]に潜水の技を仕込まれ育つ。 [[張順]]の死後、潜水部隊の隊長。 ● (ちょうりん)/急単舸 1096年生まれ。1106年(10歳)造船所に売られ、さらにのち宋水軍に徴用(?)される。 梁山泊水軍に拿捕された宋水軍船の船底に隠れていたのを[[阮小二]]に見つかり、助けられ、弟子入りする。 以降、造船を担当。 ● 褚律 (ちょりつ)/白打鬼 1098年生まれ。元は[[婁敏中>方臘軍関係者]]の体術の弟子。 [[方臘]]軍の壊滅後、[[呉用]]に従って梁山泊へ。諜報などを担当。 ● 鄭応 (ていおう)/糊塗蟋 1095年生まれ。代州の闘蟋を育てて売る家の次男。 役人に恨みをもって水滸伝時代の梁山泊に入山し、桃花山・二竜山を経て[[林冲]]騎馬隊に。 楊令伝の時代になり、[[史進]]遊撃隊の上級将校に。 ● 狄成 (てきせい)/痩臉熊 1088年生まれ。用心棒の父親と共に旅をしていたが、父は賊徒に殺される。 1101年(13歳)[[李俊]]に引き取られ、その翌年、上青に預けられる。 梁山泊合流後は赤手隊の隊長となる。 ● 田忠 (でんちゅう) 1100年生まれ。 [[鮑旭]]軍の上級将校、のち[[秦容]]軍の歩兵指揮官。[[郭盛]]死後はその軍を受け継ぐ。 ● 党厳 (とうげん) 1101年生まれ。北京大名府出身。 [[郭盛]]軍にて、宋禁軍との戦の最中、周印・鳳元と共に上級将校に抜擢される。 のち[[郭盛]]の副官。 ● 鄧広 (とうこう)/列缺鬼 1082年生まれ。 水滸伝時代に兵卒として桃花山に入山。 楊令伝時代になり、董進に推挙され[[花飛麟]]軍の上級将校。 岳家軍との戦いで負傷し、調練担当・予備兵の将校。 ● 董進 (とうしん)/神ビ倦?(読本288頁) 1090年生まれ。水滸伝時代からの[[史進]]遊撃隊の兵。 [[呼延灼]]戦で仲間の死を目の当たりにし戦に出られなくなるが、[[杜興]]により立ち直る。 楊令伝時代に上級将校に。昇格した[[穆凌>呼延凌]]に代わって[[花飛麟]]軍の上級将校に。 ● 馬霊 (ばれい) 生年不明。 韓伯竜軍の将校、のちその軍を率いて本塞の防衛。 ● 班光 (はんこう)/御竜子 1115年生まれ。父親は牧の経営者で、反権力思想の持ち主。 1108年、16歳のとき、父により[[段景住]]に預けられる。 父の死後に[[史進]]の従者となり、やがて副官に。耶律越里に代わって楊令軍の指揮官に。 ● 費保 (ひほう)/赤鬚竜 1080年生まれ。[[李俊]]の弟分の一人。 ● 鳳元 (ほうげん) 1102年生まれ。蘇州・昆山出身。 [[郭盛]]軍にて、宋禁軍との戦の最中、周印・党厳と共に上級将校に抜擢される。 [[童貫]]戦で戦死。 ● 耶律越里 (やりつえつり)/門神 1095年生まれ。熟女真で、父は女真族、母は遼人。[[斡離不]]の甥。 少年の頃、[[阿骨打]]の決起に加わり、やがて[[楊令]]の旗下に。 [[楊令]]旗下のまま梁山泊へも入山するが、[[撻懶]]の要請で金軍に加わり、蒙古と戦う。 ● 葉敬 (ようけい)/赤竜児 1103年生まれ。梁山泊領内にある葉家荘の保正の息子。 梁山泊の兵役を拒否して[[楊令]]に闘いを挑むが勝てず、梁山泊正規軍に加わる。[[史進]]に鍛えられ、遊撃隊の指揮官に。 ● 呂晥(りょかん) 1083年生まれ。 水滸伝時代から[[凌振]]の部下で、楊令伝時代に大砲部隊の隊長に。 洪水以降、行方不明。
*&sizex(6){梁山泊関係者一覧} 個別ページを作ってない人物の一覧。 ● 尹舜 (いんしゅん)/神駆馬 1107年生まれ。代州・雁門出身。 1124年(17歳)から[[皇甫端]]の従者のような事をし、獣医の技術を仕込まれる。 のち馬匹・牧の管理を担当。 ● 欧元 (おうげん) [[欧鵬]]の甥を名乗り、[[楊令]]の従者となる。正体は青蓮寺の暗殺者である[[周杳>青蓮寺関係者]]。 ● 郝嬌 (かくきょう) 1094年生まれ。[[郝思文]]と[[陳娥>郝思文]]の娘、[[郝瑾]]の妹。 ● 郝令 (かくれい) 蘇端の、改名前の漢名。[[郝瑾]]と[[楊令]]から取った。 ● 韓伯竜 (かんはくりゅう) 1097年生まれ。[[韓世忠]]の異母弟、[[劉彦宗]]の弟子。 [[童貫]]戦の頃、大城で傭兵をしていたところを[[楊令]]や[[公孫勝]]に説得され、入山。 ● 牛直 (ぎゅうちょく) 1114年生まれ。西夏の商人の子で、父は税金が払えず役人に連行された先で首を吊った。 中興府で[[武松]]と出会い、しばらく従者をしたあと、盛栄の元で働く。 ● 喬道清 (きょうどうせい)/喬冽 (きょうれつ) 1099年生まれ。元の名が喬冽で、韓伯竜の部下だった。 韓伯竜の入山の際、[[公孫勝]]の従者となる。その後、出家して喬道清と名乗る。 褚律と共に諜報などを担当。 ● 倪雲 (げいうん)/捲毛虎 1082年生まれ。 1104年(22歳)以前から[[李俊]]の弟分で、楡柳荘を拠点に盗品の商いをしていた4人組のひとり。 同年、[[李俊]]らが梁山泊に合流した際、闇塩の商いを譲られる。 ● 郤妁 (げきしゃく) 1110年生まれ。子午山の近くの出身。生家は裕福だったが、両親が目の前で殺される。 ● 源太 (げんた) 生年不明。土地に絡む問題で日本を追われ、五郎と共に[[瓊英]]の交易船に乗って梁山泊入り。 ● 黄鉞 (こうえつ)/獅殺将 1088年生まれ。もとは[[田虎]]の軍におり、[[張清]]と共に入山。 1115年からの流浪では将校見習い、北の塞を築く頃に上級将校へ昇格。 その後は[[花飛麟]]軍・[[呼延凌]]軍で騎馬隊の指揮。 ● 黄表 (こうひょう)/九頭虫 1094年生まれ。 [[張清]]軍の下級将校、のち[[花飛麟]]軍の旗手。 ● 高平 (こうへい)/鉄釥豺 1090年生まれ。 兵を志望して二竜山へ入山するが鍛冶に回され、1105年(15歳)から[[湯隆]]に師事する。 水塞陥落時は水軍に所属していた。 ● 五郎 (ごろう) 生年不明。土地に絡む問題で日本を追われ、源太と共に[[瓊英]]の交易船に乗って梁山泊入り。 ● 山士奇 (さんしき)/魑刺将 1090年生まれ。もとは[[田虎]]の軍におり、[[張清]]と共に入山。 1115年からの流浪では将校見習い、北の塞を築く頃に上級将校へ昇格。 その後は[[郭盛]]軍で歩兵の指揮。 ● 周印 (しゅういん) 1103年生まれ。代州・五台出身。 [[郭盛]]軍にて、宋禁軍との戦の最中、党厳・鳳元と共に上級将校に抜擢される。 ● 朱樺 (しゅか) [[朱貴]]・[[朱富]]の異母妹。忻州にいたところを[[李俊]]に呼び寄せられ、武邑で食堂を始める。 洪水で行方不明。 ● 朱杏 (しゅきょう) [[朱貴]]・[[朱富]]の姪。忻州にいたところを[[李俊]]に呼び寄せられ、武邑で食堂を始める。 洪水で行方不明。 ● 荀響 (じゅんきょう) 1089年生まれ。 水滸伝時代に入山し、[[李応]]の重装備部隊の将校となる。 流浪の時代には[[李媛]]につき従い、そのまま重装備部隊の上級将校となる。 [[李媛]]の死後は昇格した田忠に代わって[[秦容]]軍の将校となるが、戦死。 ● 鐘玄 (しょうげん) 1095年生まれ。元は晋州の田舎役人、『替天行道』を読み梁山泊へ。 [[呼延灼]]軍の将校、のち[[呼延凌]]軍の上級将校。 ● 上青 (じょうせい)/太湖蛟 1076年生まれ。[[李俊]]の弟分の一人で、リーダー格。楡柳荘を拠点に盗品の商いをしていた。 1104年(28歳)[[李俊]]らが梁山泊に合流し、闇塩の商いを譲られる。 水滸伝時代末~流浪時代には、梁山湖からの撤退・太湖の拠点づくりに関わる。 のち西域の大きな湖のそばに商館を構え、物資の管理をする。 ● 譙丹 (しょうたん) 1096年生まれ。元は渭州軍の下級将校。 [[鮑旭]]の副官、のち[[郭盛]]軍の上級将校。 ● 徐絢 (じょけん) 1104年生まれ。両親は西域の人間らしく、白人風の容姿。 1110年(6歳)頃、京兆府の商人に引き取られ妾となる。 1117年(13歳)、商人が殺され、[[戴宗]]に拾われる。以降、梁山泊の間諜となりハニートラップを担当。 開放府の妓館に潜入中、任務で[[侯真]]と出会い、男と女の関係に。 南宋建国時の混乱に乗じて太祖系の系図を持ち逃げするが、死亡。 ● 岑諒 (しんりょう) 1082年生まれ。[[周通]]戦死の際、既に桃花山の兵だった。 [[張清]]の推薦で[[鮑旭]]軍の上級将校に、そののち退役し、女房と宿屋を営む。 ● 盛栄 (せいえい)/紡鵺 1084年生まれ。 水滸時代の梁山泊で補給部隊の一員として頭角を現すが、賄賂を受け取るなどの不正が発覚。 そのため[[李立]]に左手首から先を斬り落とされ、出奔した。 その後は独自に商人として成功を収め、再び梁山泊に接近。 ● 蒼貴 (そうき) 1106年生まれ。 [[花飛麟]]軍所属。鄧広により兵卒から下級将校に上げられ、鄧広の負傷後に上級将校へ。 ● 曾潤 (そうじゅん)/遠鐘児 1098年生まれ。洞宮山に新兵として入山。兄は梁山泊の兵で、戦死。 [[馬麟]]軍の上級将校、調練担当を経て[[郭盛]]軍の指揮官。 ● 宋万 (そうまん) 生年不明、本名も不明。元は[[方臘]]警固隊の隊長で、名前など過去の一切は捨てていた。 [[宋万>宋万(水滸伝)]]に似ていたことから、[[呉用(趙仁)>呉用]]に同じ名前を与えられる。 [[方臘]]軍壊滅後、生き残りの兵と共に梁山泊に入山。 ● 祖永 (そえい)/摸着雲 1094年生まれ。[[杜遷]]の甥。生前の[[杜遷]]から時々手紙を貰っていたことから、洞宮山へ入山。 新兵の頃、宋軍の残党狩りで負傷するが、[[白勝]]の手術で命を救われる。 ● 蘇琪 (そき)/照夜玉 1098年生まれ。燕雲十六州出身で、親は漢人。 [[段景住]]に見いだされて[[皇甫端]]の助手になり、[[楊令]]にスカウトされ黒騎兵になる。 ● 蘇端 (そたん)/斑貓王 1096年生まれ。女真族出身。 元は漢名を「郝令」と名乗っていたが、[[段景住]]にたしなめられ、蘇琪と[[皇甫端]]から字を取って改名。 [[郝瑾]]の副官で、のち巡邏隊の隊長に任ぜられる。 ● 蘇良 (そりょう) 1099年生まれ。文祥の一番弟子で医師。 清河郊外の養生所で民衆の診察を担当。 ● 孫安 (そんあん) 生年不明。韓伯竜軍の将校。 ● 張敬 (ちょうけい)/波濤児 1098年生まれ。[[張横]]の長男、[[張平]]の兄。叔父の[[張順]]に潜水の技を仕込まれ育つ。 [[張順]]の死後、潜水部隊の隊長。 ● (ちょうりん)/急単舸 1096年生まれ。1106年(10歳)造船所に売られ、さらにのち宋水軍に徴用(?)される。 梁山泊水軍に拿捕された宋水軍船の船底に隠れていたのを[[阮小二]]に見つかり、助けられ、弟子入りする。 以降、造船を担当。 ● 褚律 (ちょりつ)/白打鬼 1098年生まれ。元は[[婁敏中>方臘軍関係者]]の体術の弟子。 [[方臘]]軍の壊滅後、[[呉用]]に従って梁山泊へ。諜報などを担当。 ● 鄭応 (ていおう)/糊塗蟋 1095年生まれ。代州の闘蟋を育てて売る家の次男。 役人に恨みをもって水滸伝時代の梁山泊に入山し、桃花山・二竜山を経て[[林冲]]騎馬隊に。 楊令伝の時代になり、[[史進]]遊撃隊の上級将校に。 ● 狄成 (てきせい)/痩臉熊 1088年生まれ。用心棒の父親と共に旅をしていたが、父は賊徒に殺される。 1101年(13歳)[[李俊]]に引き取られる。その翌年、上青に預けられ、楡柳荘を拠点に盗品の商いをする。 1104年(16歳)[[李俊]]らが梁山泊に合流した際、闇塩の商いを譲られる。 梁山泊合流後は赤手隊の隊長となる。 ● 田忠 (でんちゅう) 1100年生まれ。 [[鮑旭]]軍の上級将校、のち[[秦容]]軍の歩兵指揮官。[[郭盛]]死後はその軍を受け継ぐ。 ● 田峯 (でんぽう) 1096年生まれ。 鍛冶職人で、高平の一番弟子。 ● 党厳 (とうげん) 1101年生まれ。北京大名府出身。 [[郭盛]]軍にて、宋禁軍との戦の最中、周印・鳳元と共に上級将校に抜擢される。 のち[[郭盛]]の副官。 ● 鄧広 (とうこう)/列缺鬼 1082年生まれ。 水滸伝時代に兵卒として桃花山に入山。 楊令伝時代になり、董進に推挙され[[花飛麟]]軍の上級将校。 岳家軍との戦いで負傷し、調練担当・予備兵の将校。 ● 董進 (とうしん)/神ビ倦?(読本288頁) 1090年生まれ。水滸伝時代からの[[史進]]遊撃隊の兵。 [[呼延灼]]戦で仲間の死を目の当たりにし戦に出られなくなるが、[[杜興]]により立ち直る。 楊令伝時代に上級将校に。昇格した[[穆凌>呼延凌]]に代わって[[花飛麟]]軍の上級将校に。 ● 馬雲 (ばうん) 薬師。9年間、[[薛永]]に師事した。 洞宮山に薬草園を作り、交易用の薬草の栽培を指揮。16人の弟子がいる。 ● 馬霊 (ばれい) 韓伯竜軍の将校、のちその軍を率いて本塞の防衛。 ● 班光 (はんこう)/御竜子 1105年生まれ。父親は牧の経営者で、反権力思想の持ち主。 1118年、13歳のとき、父により[[段景住]]に預けられる。 父の死後に[[史進]]の従者となり、やがて副官に。耶律越里に代わって楊令軍の指揮官に。 ● 費保 (ひほう)/赤鬚竜 1080年生まれ。[[李俊]]の弟分の一人。 1104年(24歳)以前から[[李俊]]の弟分で、楡柳荘を拠点に盗品の商いをしていた4人組のひとり。 同年、[[李俊]]らが梁山泊に合流した際、闇塩の商いを譲られる。 ● 文祥 (ぶんしょう)/小華佗 [[安道全]]の弟子。水滸伝時代から医師として働く。流浪の時代は洞庭山の医師。のち本塞の養生所の責任者。 蘇良と他二名の弟子がいる。 ● 鳳元 (ほうげん) 1102年生まれ。蘇州・昆山出身。 [[郭盛]]軍にて、宋禁軍との戦の最中、周印・党厳と共に上級将校に抜擢される。 [[童貫]]戦で戦死。 ● 毛定 (もうてい) 1081年生まれ。[[安道全]]の弟子。外科手術が得意で、内科は不得意。 はじめ[[呼延灼]]軍に随伴、[[童貫]]戦で本塞の養生所に戻り、再び外へ出て洞庭山、束城と異動を繰り替えす。 ● 耶律越里 (やりつえつり)/門神 1095年生まれ。熟女真で、父は女真族、母は遼人。[[斡離不]]の甥。 少年の頃、[[阿骨打]]の決起に加わり、やがて[[楊令]]の旗下に。 [[楊令]]旗下のまま梁山泊へも入山するが、[[撻懶]]の要請で金軍に加わり、蒙古と戦う。 ● 葉敬 (ようけい)/赤竜児 1103年生まれ。梁山泊領内にある葉家荘の保正の息子。 梁山泊の兵役を拒否して[[楊令]]に闘いを挑むが勝てず、梁山泊正規軍に加わる。[[史進]]に鍛えられ、遊撃隊の指揮官に。 ● 陸博 (りくはく) 1078年生まれ。 鍛冶職人で、[[湯隆]]の弟子だったが、腕前を評価されてはいなかった。 高平の代になって部下を統率する力を評価され、副官格になる。 ● 劉策 (りゅうさく) 1090年生まれ。 大工で、[[李雲]]の一番弟子。 ● 呂晥(りょかん) 1083年生まれ。 水滸伝時代から[[凌振]]の部下で、楊令伝時代に大砲部隊の隊長に。 洪水以降、行方不明。

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