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梁山泊関係者 - (2014/01/01 (水) 23:08:59) のソース

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個別ページを作ってない人物の一覧。

● 韓伯竜 (かんはくりゅう)
1097年生まれ。[[韓世忠]]の異母弟、[[劉彦宗]]の弟子。
[[童貫]]戦の頃、大城で傭兵をしていたところを[[楊令]]や[[公孫勝]]に説得され、入山。

● 黄鉞 (こうえつ)/獅殺将
1088年生まれ。
もとは[[田虎]]の軍におり、[[張清]]と共に入山。
1115年からの流浪では将校見習い、北の塞を築く頃に上級将校へ昇格。
その後は[[花飛麟]]軍・[[呼延凌]]軍で騎馬隊の指揮。

● 黄表 (こうひょう)/九頭虫
1094年生まれ。
[[張清]]軍の下級将校、のち[[花飛麟]]軍の旗手。

● 山士奇 (さんしき)/魑刺将
1090年生まれ。
もとは[[田虎]]の軍におり、[[張清]]と共に入山。
1115年からの流浪では将校見習い、北の塞を築く頃に上級将校へ昇格。
その後は[[郭盛]]軍で歩兵の指揮。

● 蒼貴 (そうき)
1106年生まれ。
[[花飛麟]]軍所属。鄧広により兵卒から下級将校に上げられ、鄧広の負傷後に上級将校へ。

● 祖永 (そえい)/摸着雲
1094年生まれ、[[杜遷]]の甥。
生前の[[杜遷]]から時々手紙を貰っていたことから、洞宮山へ入山。
新兵の頃、宋軍の残党狩りで負傷するが、[[白勝]]の手術で命を救われる。

● 鄧広 (とうこう)/列缺鬼
1082年生まれ。
兵卒として桃花山に入山。のち董進に推挙され[[花飛麟]]軍の上級将校。
岳家軍との戦いで負傷し、調練担当・予備兵の将校。