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『家政婦 募集中』 前編 - (2007/03/31 (土) 16:27:35) の1つ前との変更点

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<p align="left"><br />   『家政婦 募集中』</p> <p align="left"><br /> <br /> 電柱に貼られた、そのチラシを見たのは、五月の半ば&hellip;&hellip;<br /> ゴールデンウィークが終わって、すぐのことだった。</p> <p align="left"><br /> <br /> 「家政婦&hellip;&hellip;か」</p> <p align="left"><br /> 思わず口を衝いた独り言が、やたらと虚しく聞こえたのは、暗澹たる心境のせい。<br /> それは、見聞きするもの全てに灰色のフィルターをかけて、色褪せさせる。<br /> もう随分と長い間、原色の世界を見ていない。<br /> 私はいま、人生に迷っていた。</p> <p align="left"><br /> 私の人生を動かす時計に、狂った歯車が組み込まれたのは、何時のことだったのだろう。<br /> マイクロ、いや&hellip;&hellip;ナノか、ピコか、フェムトか――<br /> 恐ろしく微細な誤差を持った部品が、元々あった部品と付け替えられ、<br /> なに食わぬ顔で動き続けていたのだ。気付かない私を、嘲笑いながら&hellip;&hellip;。</p> <p align="left"><br /> 私はさながら、病原菌に感染した病人だった。<br /> 命を蝕まれていることを自覚できずに、光あふれる幸せな未来に向かっていた。<br /> いや、向かっていると、思い込んでいた。<br /> 自分の足元から伸びる影が、危害を及ぼす病魔だなんて、考えもせずに。</p> <p align="left"><br /> 中学、高校、大学――<br /> ここまでは順調だった。なにもかもが順調すぎて、それが当たり前になっていた。</p> <p align="left">私の人生時計に変調が現れ始めたのは、大学2年の時だろうか。<br /> 本当は、それ以前から微かな予兆がでていたのだろうけれど、<br /> 私がハッキリと自覚できたのは、あれが最初だったと思う。</p> <p align="left">高校の時から交際していた笹塚くんとの破局。<br /> なにがいけなかったのか、私には解らない。彼にも、解らなかったと思う。<br /> ただ、今まで経験したことのない、不自然で大きな波が訪れたのは、確かだった。<br /> 世界の全てが、繋がれた二人の手を引き裂こうとするように周り、<br /> 私たちは洗濯機に放り込まれた衣類のように翻弄されて――手を放してしまった。<br /> あとはもう、なにがなんだか解らず、野となれ山となれ。</p> <p align="left">幸せを詰め込んだ宝箱――<br /> そう信じて、私が手にしていた物は、結局&hellip;&hellip;ただの空き箱だった。<br /> 綺麗な印刷が目を惹くけれど、その実、中身はからっぽ。<br /> 幸せのカケラだと思って、躍起になって拾い集めてきたソレは、ガラクタでしかなかった。<br /> プラチナ、ゴールド、エメラルド、サファイア、ルビー、オパール、アメジスト、ダイアモンド。<br /> 夢中になって磨いていた貴金属や宝石は、悉く、アルミや真鍮、ガラス片だった。</p> <p align="left">(あの時は、ホントに虚しかったなぁ)</p> <p align="left">それまでの価値観が、根底から覆されて、私の中から『希望』の文字が失われた。<br /> 地崩れに遭った木のように、ただ、谷へ奈落へと滑り落ちていくだけ。<br /> 誰も、なにも&hellip;&hellip;私の支えには、ならなかった。</p> <p align="left"><br /> ――そして、現在。<br /> 辛うじて大学を卒業した私は、今をときめくフリーターに成り果てている。<br /> いわゆる、ワーキングプア。随分とまあ、堕ちてきたものだ。</p> <p align="left">&nbsp;</p> <p align="left">働けど働けど、我が暮らし楽にならざり&hellip;&hellip;<br /> そう詠ったのは、武者小路実篤だっけ? いや、違う。石川啄木だった。<br /> 最近、どうも頭の回転まで鈍くなったように思う。<br /> ひょっとして、若年性の痴呆だとか&hellip;&hellip;&hellip;&hellip;いや、まさかね。</p> <p align="left">鬱々と沈みがちな気分を紛らすように、努めて顔を上げる。<br /> 目の前には、相も変わらず、電柱と&hellip;&hellip;家政婦募集の貼り紙があった。<br /> 先方が希望する勤務時間は、丁度、バイトの合間に当てはまっている。</p> <p align="left"><br /> 「やって&hellip;&hellip;みようかな」</p> <p align="left"><br /> 最初は、そんな軽い気持ちだった。</p> <p align="left">&nbsp;</p> <p align="left">携帯電話で連絡を入れ、履歴書を手に訪ねた家は、私のココロを激震させた。<br /> そこは、高校一年生時代に同級生だった男の子の住まい。<br /> ちょっとしたトラブルで、登校拒否と引きこもりを始めたんだっけ。<br /> あれ以降、彼の顔を見た憶えがない。<br /> 葬儀が行われた記憶がないから、多分、まだ生きてはいるハズだけれど。</p> <p align="left"><br /> 来ない方がよかったかな。少し、躊躇と後悔が、顔を覗かせる。<br /> でも、電話でアポ取った手前、ドタキャンするのは失礼だ。</p> <p align="left"><br /> 「あれから、もう何年も経ってるんだし&hellip;&hellip;平気よ、きっと」</p> <p align="left"><br /> 門の前で拳を握り、自分に言い聞かせる私を、周囲の人はどんな目で見たのだろう。<br /> ヘンな女。きっと、そうだわ。だって、自分でも、そう思うもの。</p> <p align="left">私を出迎えてくれたのは、とても人の好さそうな女性だった。<br /> 緩くウェーブのかかった髪と、まん丸で大きなメガネの奥の、愛嬌たっぷりの笑顔。<br /> ずっと以前に、一度だけ会ったことがある。彼のお姉さんだ。<br /> あれは&hellip;&hellip;親友の巴に付き合って、プリントを届けに来た時だったかな。</p> <p align="left"><br /> 「本当に、よく来てくれたわぁ。チラシを見て、来てくれたの?」</p> <p align="left"><br /> 彼女――桜田のり(年齢不詳)さんは、そう言いながら、<br /> ソファに座る私の前に、ティーカップを置いた。<br /> 私は「ええ、まあ」と、気の利かない挨拶しか出来なくて、自分がイヤになった。<br /> 昔はもっと、社交的に振る舞えたハズなのに。</p> <p align="left"><br /> 「あ、あの&hellip;&hellip;これ、履歴書です。お願いします」<br /> 「はぁい。じゃあ、お預かりしますねぇ」</p> <p align="left"><br /> 私と向かい合わせで、のりさんは優雅な仕種で、ソファに腰を降ろした。<br /> あまりに上品なものだから、つい、目を奪われてしまう。<br /> だが、彼女の瞳が、手にした履歴書を走るにつれて、私の緊張も高まっていった。</p> <p align="left"><br /> 「桑田&hellip;&hellip;由奈さん」<br /> 「は、はひゃっ」</p> <p align="left"><br /> それほど突然のことでもなかったのに、私の返事は裏返り、彼女の笑いを誘った。</p> <p align="left">「そんなに、緊張しなくても良いのよぅ。さ、お茶でも飲んで、くつろいでね」</p> <p align="left"><br /> 言って、のりさんは自分もティーカップに唇を付けた。<br /> 私に遠慮させないためだろう。彼女の細やかな配慮が、嬉しかった。<br /> <br /> <br /> <br /> それから暫くの間、私たちはお互いを理解するため、暢気に語らい合った。<br /> 女の子同士で、歳の近さもあり、共通の話題は幾らでも見つけられる。<br /> のりさんは気さくに接してくれるし、にこやかに私の話を聞いてくれるので、<br /> ついつい、私も話を広げすぎてしまった。</p> <p align="left"><br /> 「女子大生の就職が厳しいとは聞いていたけど、ホントそうですよ。<br />  才能とか、容貌とか、ほかの娘より傑出したものがないと、勝負にならないです」<br /> 「そうよねぇ。でも、由奈ちゃんくらい可愛かったら、どこか採用してくれそうだけど」<br /> 「お茶くみ係として? それとも、マスコットとして?」</p> <p align="left"><br /> 自分でも、イヤな言い方をしたものだと思い、後悔した。<br /> 素直に『可愛い』と言ってくれたことを喜べばいいのに、憎まれ口を叩くなんて。<br /> ひねくれた自分の性根を垣間見て、また、自分が嫌いになる。</p> <p align="left"><br /> 「私は&hellip;&hellip;そんなのイヤ。私は、会社や上司の人形じゃないもの。<br />  ちやほやされるのは若い内だけで、30過ぎればお局様よばわりでしょ。<br />  この世は所詮、見せかけばかりの平等で、実際は男尊女卑が罷り通っているのよ。<br />  だから、女は子供を産む機械だなんて、バカなこと言う輩でも議員になれるんだわ」<br /> 「あらあらぁ。居たわねぇ、そんな人が」<br /> 「あれが、外国の政治家を欺くため暗愚を装う策だったとしたら、<br />  私『貴方のためなら死ねます』って平伏しちゃいますよ、ホントに」</p> <p align="left"><br /> よほど日頃の鬱憤が溜まっていたのか、一気に捲したてていた。<br /> そして、急に気恥ずかしくなり、テーブルのティーカップに目を落とす。<br /> 私は、ここに面接を受けに来たのに&hellip;&hellip;なにしてるんだろう。</p> <p align="left"><br /> 口を噤んだ私に、のりさんは大人の余裕を湛えた笑みを見せて、言った。<br /> 「ジュン君に、会ってくれる?」</p> <p align="left">&nbsp;</p> <p align="left">彼の名を耳にして、私の心臓が一拍、躍った。<br /> 桜田くんが登校拒否するようになった一因は、私にもあるからだ。<br /> もちろん、私が仕向けたワケじゃあないけれど、やはり気後れしてしまう。</p> <p align="left"><br /> 「巴ちゃんは今でも、よく来てくれるのよぅ」</p> <p align="left"><br /> その声で、私は顔を上げた。「巴が?」<br /> 「ええ」と、のりさんは頷いた。</p> <p align="left">「由奈ちゃんは、巴ちゃんと会ってないの? お友達でしょう」<br /> 「高校を卒業してから、あの子とは会ってないです。別の大学に進んだので。<br />  親友と言っても、疎遠になるときは、呆気ないものですね」</p> <p align="left"><br /> まるっきり他人事のように喋る自分に、驚かされる。<br /> 私は、こんなにも変わってしまったのかと思い知らされて、愕然とした。<br /> ほんの数年のことなのに、今では、海の果て、空の彼方&hellip;&hellip;いや、それ以上。<br /> まるで、歴史の教科書を眺めて、過去に想いを馳せている気分だった。</p> <p align="left"><br /> でも、のりさんは&hellip;&hellip;初めて会った頃と変わらぬ笑みで、私を諭す。</p> <p align="left"><br /> 「その気になりさえすれば、距離は縮められるものよぅ。<br />  だって、みんな同じ時代を生きてるんだもの」</p> <p align="left"><br /> 自明の理だ。それすら失念していた自分が滑稽で、私は噴き出していた。<br /> と、そこへ――</p> <p align="left">みしり、みしり。<br /> 階段を踏む音が降りてきて、私たちは唇を閉ざした。<br /> <br /> 程なく、ひとりの青年が、私たちの居る応接間に顔を見せた。<br /> 高校一年の頃より、すらりと背が伸びて、顔つきは険しくなっている。<br /> メガネを掛けていたけれど、間違いなく、桜田くんだった。<br /> 引きこもりだから、もっと、こう&hellip;&hellip;お相撲さんみたいに太った姿を想像していた私は、<br /> 意外さのあまり、まじまじと彼を見つめてしまった。</p> <p align="left"><br /> 「あ――」呻きともつかない声を漏らした彼の表情が、見る見るうちに強張り、青ざめていく。<br /> なんで、お前がここにいるんだ? 彼の目が、そう問いかけてくる。</p> <p align="left"><br /> 「ひ&hellip;&hellip;久しぶりね、桜田くん。私――」</p> <p align="left"><br /> あまり刺激しないよう、穏やかに挨拶したつもりだったけれど、<br /> 彼は口元を押さえるなり、脱兎の如く走り出した。<br /> のりさんは慣れているのか立ち上がらず、私に哀しげな目を向け、言った。<br /> 「ジュン君の様子を、見に行ってあげて。お願いよぅ」</p> <p align="left"><br /> 何故かは解らないけれど、私は素直に頷き、彼の後を追いかけていた。</p> <p align="left"><br /> <br /> 桜田くんは、トイレでひどく嘔吐していた。私は隣に膝をつき、彼の背を撫でさする。<br /> 彼は咳き込みながらも、徐々に、呼吸を落ち着けていった。</p> <p align="left"><br /> 頃合いを見計らって「大丈夫?」と、声を掛けてみた。<br /> 本音を言うと、怖かった。彼に「うるさい!」と怒鳴られ、突き飛ばされるんじゃないかって。<br /> でも、桜田くんは――寂しげで、弱々しく、疲れ切った眼差しを私に向けて、<br /> 「ありがとう」と、ただ一言だけ。<br /> その時、私の中に、不思議な感情が芽生えた。<br /> 落ちぶれた者同士が、慰め合う相手を見付けて、縋りたかったのかも知れない。<br /> それでも私は、こう思っていた。彼の側に、居てあげたい&hellip;&hellip;と。</p>

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