ポールウエダとは?

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2011年、突如として音楽活動を再開したアマチュア・シンガーソングライター。 30代後半という年齢になり、「オレの人生こんなんでいいのかよ!?」という思いから10年ぶりにフォークギターを手にして、オリジナル曲を作り始める。「とにかく100曲作ってその先はまたその時に考えよう」というポールウエダ~ムーブメントを進行中。 ----- プロフィール … 鳥取県出身 A型 魚座 鳥取県西部の大山(だいせん)のふもと、海まで自転車で5分という環境で育ったためか、音楽的にも「スケール感のある土の香りがするようなもの」を好む。さらに、「山陰」という地名からか「陰りのあるメロディー」も好物。地元でとれる二十世紀なし、松葉ガニ、のどぐろ(煮魚で)なども好物。 ----- 活動歴や音楽的影響? … 保育園の卒園式の際、半ズボンに白いロングタイツをはかされかなり不機嫌ながらも壇上から母親に向け『投げキッス』、ここからステージ活動が始まった。 小学校2年生のとき、当時のお気に入り『雨の慕情/八代亜紀』の鼻歌を歌っていたら、教室で披露することに。しかしながら歌詞がうろ覚えで恥をかく、この頃からステージにおけるアクシデントに対するアドリブ対処法を意識し始める。 小学校~高校時代、特に音楽に興味があったわけではなく小学校1年生でピアノを教わるもあっという間にギブアップ。そんな中でも『帰ってきたウルトラマン(特に車、マツダコスモスポーツ)』 『サイボーグ009の004(哀愁を感じる)』 『ジャッキー・チェンやブルース・リー映画の音楽(他洋画劇場系全般)』 『祖母と見たプロレス(入場曲が洋楽ロックの入り口)』 『海底少年マリン主題歌』 『CMに使われる洋楽(スティービーワンダーやジェネシス、レイチャールズ、サッチモなどがお気に入り(かなりおっさんくさい子供)』 『映画?テレビドラマ?(桃尻娘)の予告CMで聴いたミスター・ムーンライトに衝撃を受ける』。中学高校時代は80年代ハリウッド映画系『バックトゥーザフューチャー』『レイダース』『ビバリーヒルズコップ』『ラ・バンバ』『カクテル』…などなどが好きにる。 地元を離れ愛知県の大学へ入り、ここで初めてバンド活動をする。 楽器が出来ず志願してVo、バンドで初めて歌ったのは『電撃バップ/ラモーンズ(のアウトレイジのカバーバージョン)』この新入生バンドでサークルの新人賞を頂き「俺は意外といけるんやないやろかっ!?」と勘違い。その後先輩と組んだオリジナルR&Rバンド『SIXX(しっくす、49’S)』、同級生と組んだ洋詞で歌うオリジナルメタルバンド『WPP(うおーたーぽんぷぷらいやー=うおぽん)』などでライブ活動。 大学卒業後単身上京、初ステージは井の頭公園の野外ステージでの弾き語り(イベントに呼んでもらい参加)。同じ頃、杉並区高円寺駅北口ロータリーでストリートライブ中の集団に声をかけ、メンバーと知り合いバンド『JellyRoll(じぇりーろーる。オリジナルブルーズロック系)』としてライブハウスやアイリッシュパブなどで活動。脱退後、都内ライブハウスや路上などを経て、2001年バックパッカーとして渡米&渡英。思いつきで数ヶ月放浪しながら各町のコーヒーショップや路上、地下鉄構内などでプレイ&セッション&観光。 帰国後10年間冬眠…2011年、復活!
2011年、突如として音楽活動を再開したアマチュア・シンガーソングライター。 30代後半という年齢になり、「オレの人生こんなんでいいのかよ!?」という思いから10年ぶりにフォークギターを手にして、オリジナル曲を作り始める。「とにかく100曲作ってその先はまたその時に考えよう」というポールウエダ~ムーブメントをゆるく進行中。 ----- プロフィール … 鳥取県出身 A型 魚座 鳥取県西部の大山(だいせん)のふもと、海まで自転車で5分という環境で育ったためか、音楽的にも「スケール感のある土の香りがするようなもの」を好む。さらに、「山陰」という地名からか「陰りのあるメロディー」も好物。地元でとれる二十世紀なし、松葉ガニ、のどぐろ(煮魚で)なども好物。二十歳で初めて納豆を食べ好きになる。 ----- 活動歴や音楽的影響? … 保育園の卒園式の際、半ズボンに白いロングタイツをはかされかなり不機嫌ながらも壇上から母親に向け『投げキッス』、ここからステージ活動が始まった。 小学校2年生のとき、当時のお気に入り『雨の慕情/八代亜紀』の鼻歌を歌っていたら、教室で披露することに。しかしながら歌詞がうろ覚えで恥をかく、この頃からステージにおけるアクシデントに対するアドリブ対処法を意識し始める。 小学校~高校時代、特に音楽に興味があったわけではなく小学校1年生でピアノを教わるもあっという間にギブアップ。そんな中でも『帰ってきたウルトラマン(特に車、マツダコスモスポーツ)』 『サイボーグ009の004(哀愁を感じる)』 『ジャッキー・チェンやブルース・リー映画の音楽(他洋画劇場系全般)』 『祖母と見たプロレス(入場曲が洋楽ロックの入り口)』 『海底少年マリン主題歌』 『CMに使われる洋楽(スティービーワンダーやジェネシス、レイチャールズ、サッチモなどがお気に入りのかなりおっさんくさい子供)』 『映画?テレビドラマ?(桃尻娘)の予告CMで聴いたミスター・ムーンライトに衝撃を受ける』。中学高校時代は80年代ハリウッド映画系『バックトゥーザフューチャー』『レイダース』『ビバリーヒルズコップ』『ラ・バンバ』『カクテル』…などなどが好きにる。 地元を離れ愛知県の大学へ入り、ここで初めてバンド活動をする。 楽器が出来ず志願してVo、バンドで初めて歌ったのは『電撃バップ/ラモーンズ(のアウトレイジのカバーバージョン)』この新入生バンドでサークルの新人賞を頂き「俺は意外といけるんやないやろかっ!?」と勘違い。その後先輩と組んだオリジナルのLA系R&Rバンド『SIXX(しっくす、49’S)』、同級生と組んだ洋詞で歌うオリジナルメタルバンド『WPP(うおーたーぽんぷぷらいやー=うおぽん)』などでライブ活動。 大学卒業後単身上京、初ステージは井の頭公園の野外ステージでの弾き語り(イベントに呼んでもらい参加)。同じ頃、杉並区高円寺駅北口ロータリーでストリートライブ中の集団に声をかけ、メンバーと知り合いバンド『JellyRoll(じぇりーろーる。オリジナルブルーズロック系)』として都内のライブハウスやアイリッシュパブなどで活動。脱退後、都内ライブハウスや路上などを経て、2001年バックパッカーとして単身渡米&渡英。思いつきで数ヶ月放浪しながら各町のコーヒーショップや路上、地下鉄構内などでプレイ&セッション&観光&考えごと。 帰国後10年間冬眠…2011年、復活! まもなく二度目の成人式をむかえる予定。

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