T-28

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T-28」を以下のとおり復元します。
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概要
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・ソ連初の多砲塔戦車
・色々派生型も作られたがスターリン書記長が「デパートかな?(すっとぼけ)」と言ったため開発が打ち切られた、悲しいなぁ・・・
・なんやかんやで1941年モスクワ防衛戦に参加し、猛烈な戦死を遂げている
・フィンランドの妖精達はこれでIS-3を撃破すると聞く(迫真)

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○っぱい!おっ○い!
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[[T-34>http://www62.atwiki.jp/810jp/pages/38.html]]御用達の57mmZis4が積めるゾ
T-34開発前にこっちで57mmZis作ればいいと思った(KONAMI)

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お前ノンケかよぉ!?
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装甲?知らない子ですね・・・
無選手が良く死ぬ、無選手は奴隷みたいなもんやし(暴言)
隠蔽率が悪い、視認範囲も狭く大抵先制攻撃を食らう
天敵は英国TDのアレクト、発見されたのち榴弾を飛ばされると運が悪ければ一撃爆散(絶望)

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ではKV-1に行く前に我々はこの苦行を積み、死ななければいけないのか!?
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彼はこの冬戦争に颯爽と現れた
彼の名前はT-28、いわゆる多砲塔戦車というやつだ。
しかし彼は本当の戦闘というものを知らない

彼は自分の親を知らない。
知りたくても知る事が出来ないのだ。
彼はニジニ・タギル工場というソ連でも有数の名工場で生まれた。

しかし彼の誕生は祝福されるものでは無かった・・・

というのも、彼は当時「不治の病」と言われていた病気にかかっていたからだ。
母体から生まれて来た時、一瞬にして工場内が凍てついたシベリアのようになった。
なぜなら、普通なら首は一つのはずなのに生まれてきた子は複数付いていたからだ。
この病気をソ連ではインディペンデント症候群(初の多砲塔戦車[[インディペンデント>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%A0%B2%E5%A1%94%E6%88%A6%E8%BB%8A]]から)と呼ばれ、ソ連では「廃退的主義者の申し子」と大変な差別を受けてきたのだ。
そのことにショックを受けた母親は半狂乱になり、出産直後に心拍数(WoT界でいうPing値)が急上昇し、突発性ラグ症になり、フリーズしてしまったという。
このことに憤りを覚えた父親は自身の息子を捨てることを決意した。父親はふと工場の外を見た。
KV-1達が必死に豚飯をするが、無残に爆散していく姿が見える。
ドイツ軍のTiger Iの仕業である。
「このまま外に出すのは危ないか・・・」
父親は工場から出ると戦火を避け、時には122mmBL-9を撃ち応戦しながら、何とか安全そうな場所へ来た。
「ここなら安全か・・・」
どうやらここはムロヴァンカという所らしい。
とても閑静で、平和そうだった。
彼は「マジカルフォレスト」という謎の森林に置いてかれた。
きっと、子供が食糧に困らないように、そして仮にドイツ軍が来ても簡単に見つからないようにという父親の最後の愛情がここを選ばせたのだろう。
「さよなら・・・達者でな・・・」
最後に見送ってくれた父親の笑顔が頭に残っている気がする。

彼は長い間一人で孤独に暮らしてきた。
誰もいない静かな森の中で。
しかし、意外にも彼は寂しくなかったという。
きっとこれが普通の生活になってしまったのだろう。

彼は他人を知らない。
彼は兄弟を知らない。
僕は母親を知らない。
僕は父親を知らない。


**僕は愛情を知らない。


・・・
そして、
彼は、
悲しみさえ知らなかった。

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