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*第5章 修行
まず、勝つために取り組んだこと
それは、流し打ち
ただ打っていたのでは打率も上がるわけもなく、得点にも結びつかないことに気づいた。
やはり、野球は打ってナンボのゲームなのだからね。
まず、試合で普段よりもボールを引き付けて打つことを心がけた。
そうすると、空振りかファールになった。
ここで、気づいた。
ファールを打てば打つほど、相手投手の球数が増えて相手投手が疲労するではないか。
ここにカットマンが誕生したw
しかし、これだけではダメだった。
ボール球を振っていたのでは、相手を楽にさせるし、ヒットにもならない。
そして、次に取り組んだのが
見極め、選球眼
とにかく試合数をこなして、相手投手のリリースの際の軌道を見ることによって、ストライクとボール球の分別がつくようにはなった。
そして、ここに真のカットマンが誕生したw
しかし、しかし
打つほうはよしとしよう
けど、次は投げる方だ。
恥ずかしい話、実は昔は2度曲げを使用してました。
なんとも衝撃的でしたよ
2度曲げを使用することにより、相手側の画面ではボール球がストライクの判定になる。
これを知ったときは、頭をカナヅチで殴られたくらいの衝撃でしたw
2度曲げを使用して、勝ってきたことに恥ずかしささえ感じました。
暴言も吐いてて、2ちゃんにも晒されてたらしいですw
若かったですw
2度曲げ禁止となってからの、投球はかなり苦労しました。
そして、今もなお投球に関しては試行錯誤なことが多く、解説できるようなことはないので、書きませんw
ある意味企業秘密w
こういった修行を重ねた結果
公式戦でも勝率は9割を軽く超えるようになり
ある程度コネ杯でも、それなりの成績は残せるようにはなった。
また、新たなる強敵が現れた
今は亡き、精密機械「Mumtaz Mahal」である。
彼はコネクトの主要メンバーである、トラ大佐、銀楼、ZZR250(現在は不明)の歴代優勝者又は優秀成績者たちを、初参加ながら、次々と撃破し、初参加初優勝をなしとげた、伝説のプレイヤーである。
自分も、その大会では対戦することはなかったので(2回戦敗退w)練習試合を申し込み、返り討ちにされたのであるw
後に、彼とは良きライバルとなり、彼が引退するまでに数々の死闘を送ってきた。。。
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*第5章 修行
まず、勝つために取り組んだこと
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ただ打っていたのでは打率も上がるわけもなく、得点にも結びつかないことに気づいた。
やはり、野球は打ってナンボのゲームなのだからね。
まず、試合で普段よりもボールを引き付けて打つことを心がけた。
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ここで、気づいた。
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しかし、これだけではダメだった。
ボール球を振っていたのでは、相手を楽にさせるし、ヒットにもならない。
そして、次に取り組んだのが
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とにかく試合数をこなして、相手投手のリリースの際の軌道を見ることによって、ストライクとボール球の分別がつくようにはなった。
そして、ここに
&color(red){&size(25){真のカットマンが誕生したw}}
しかし、しかし
打つほうはよしとしよう
けど、次は投げる方だ。
恥ずかしい話、実は昔は2度曲げを使用してました。
なんとも衝撃的でしたよ
2度曲げを使用することにより、相手側の画面ではボール球がストライクの判定になる。
これを知ったときは、頭をカナヅチで殴られたくらいの衝撃でしたw
2度曲げを使用して、勝ってきたことに恥ずかしささえ感じました。
暴言も吐いてて、2ちゃんにも晒されてたらしいですw
若かったですw
2度曲げ禁止となってからの、投球はかなり苦労しました。
そして、今もなお投球に関しては試行錯誤なことが多く、解説できるようなことはないので、書きませんw
ある意味企業秘密w
こういった修行を重ねた結果
公式戦でも勝率は9割を軽く超えるようになり
ある程度コネ杯でも、それなりの成績は残せるようにはなった。
しかし、新たなる強敵が現れた
今は亡き、&color(pink){&size(20){精密機械「Mumtaz Mahal」}}である。
彼はコネクトの主要メンバーである、トラ大佐、銀楼、ZZR250(現在は不明)の歴代優勝者又は優秀成績者たちを、初参加ながら、次々と撃破し、初参加初優勝をなしとげた、伝説のプレイヤーである。
自分も、その大会では対戦することはなかったので(2回戦敗退w)練習試合を申し込み、返り討ちにされたのであるw
後に、彼とは良きライバルとなり、彼が引退するまでに数々の死闘を送ってきた。。。
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