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盲目の正義
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真昼の病室に風が流れ、赤褐色の髪を遠慮がちに揺らした。
白いベッドに仰臥した青年は、目を閉じたまま、塑像のように動かない。
その冷たい手を取って、上から掌を重ねた。
大丈夫、眠っているだけだ。胸の内で繰り返しながら、昔のことを思い出していた。
ただ一度、心の底から愛した人を、理不尽なかたちで喪ったことがある。
当時はまだ年若く、状況に強いられ、納得のゆかぬ死をただ受け容れるよりなかった。
到底割り切れるものではない。無理と異物をのまされて、心のどこかが歪んだ。
力が欲しい。その一心で、ひたすらに権力の座を目指した。
いつしか位人臣を極め、手にした力で片端から不正を潰して回った。
そうしているときだけ、許されているような気がした。
復讐のつもりであったかも知れない。
厳しさのあまり、方々から恨みを買っていることは承知していたが、
自分の死をもって完結することならば、それはそれで構わないと思っていた。
だが、どうだ。己に返ってくるはずの報いは、無辜の若者に降りかかった。
あのときは非力ゆえに、今また傲慢ゆえに、私はかけがえのない人間を失おうとしている。
また、同じことを繰り返すのか。贖罪の機会すら与えられぬのか。
「君さえ、そばに居てくれれば……」
両掌の間に包んでいた手を、無意識に握り締めた。そのとき―――
「……さま」
どきりとした。蒼灰色の目が、真っ直ぐにこちらを見つめ返していた。
呼ばれたような気がして、ふと夢から覚めた。
誰かが傍らに付き添っていて、左手を握っているのが分かった。
瞼を開けたとき、視界に入ってきたのはただ光と影だった。
眩しさに馴れてくると、曖昧な影であったものは見慣れた男の像を結んだ。
途端に安堵がこみ上げてきて、思わずその名を口にした。
彼は握り締めていた手を離して、咳払いをひとつする。
「ご無事……でしたか」
「無事に決まっている。私を庇って刺されたのだぞ、君は」
「では、あの男は」
「死んだ。護衛に捕えられ、その場で毒を噛み砕いた……らしい」
らしい、と伝聞形で話をするのは、いかにも彼らしからぬことだった。
まだ、きちんと事実の確認を済ませていないのだろう。
「何故だ」
唐突に彼は言った。意味をはかりかねているのを察して、先を続ける。
「君は、わらったのだ。あのとき……刺された君を抱き起こしたとき、
君は私を見て、確かに微笑んだ。血を流しながら、息も絶え絶えの状態で、何故」
言われて、徐々に記憶が蘇る。広間に飛び交う怒号と悲鳴が、遠く聞こえていた。
痛みと、噎せ返るような血のにおい。駆け寄って僕の名を叫ぶ彼の姿が、逆さまに映った。
わらっていたのかも知れない。あのとき、薄れゆく意識の中で何を思ったかといえば。
「おかしかったんです」
要点だけをかい摘んで答えると、彼は胡乱げに眉をひそめた。言葉が足りなかったらしい。
「あなたがあんまり取り乱したりするものだから、おかしくなって、つい」
「……君は馬鹿だ」
「ええ、そうでしょうとも」
「救いようのない馬鹿だが、国に必要な人間だ。これからも馬車馬のように働いてもらうぞ」
「素直に長生きして欲しいと仰ればいいのに」
「こういうことは年功序列だ。後から生まれてきた君が先に逝くのでは筋が通らん。
私は筋の通らぬことが嫌いだ。だから、そのような真似は決してしないと誓いなさい」
生死は神の御業、いずれが先に召されるかは天の決めるところだろう。
しかし、今の彼が求めているのは、そんなありきたりの正論ではない。
「約束します。天地が引っ繰り返っても、あなたを残して死ぬことはない。
……だからもう、泣かないでください」
彼はハッとしたように顔をあげ、袖口で乱暴に頬を拭った。
その片腕を捉えて引き寄せ、手首の内側に唇で触れた。
薄く柔らかな皮膚の下には、温かな血が脈打っている。
「あなたも人の子だ。血も涙もあって、 時に間違いを犯すこともある。
そう気付いたからには、暴走したあなたを止めるのは僕の役目です。
是が非でも、死ぬわけにはいかなくなってしまいました」
人間誰しも、鍛えようのない脆い部分を持っている。
世に鋼鉄の男と畏れられる彼とて、決して例外ではないのだ。
彼は手首を預けたまま、観念したように苦笑を浮かべた。
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[[自己犠牲>16-379]]
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