兵装転換3

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<p>兵装転換評(海外)<br /><br /> (1)『ニミッツの太平洋海戦史』(ChesterWilliamNimiz/著・実松譲 冨永謙吾/共訳)<br /><br /> 「この時機(米空母の攻撃隊発進)までの南雲提督の作戦は、見事な慎重さで実施された。<br /> 彼の得た敵情報告からは、海上兵力による抵抗は予期されなかったが、ミッドウェー攻撃には使用可能な飛行機の<br /> 半分だけを発進させ、その残りは魚雷を装備、万一米艦隊が出現した場合の戦闘に備え、飛行甲板上に待機させて<br /> いた。<br /><br /> 午前7時、ミッドウェー攻撃から帰艦した攻撃隊指揮官は、ミッドウェーに対し第二次攻撃の要ありと進言した。<br /> その直後に行われたミッドウェー基地機による雷撃は、この意見具申を裏書きするように思われた。<br /> このときまでに、南雲部隊の巡洋艦搭載機はすでに二時間から二時間半の索敵を続けており、少なくとも200浬の<br /> 索敵線に達しているように考えられた。いまや米艦隊に対する警戒を緩めても、安全であるように見えた。<br /> いずれにせよ、ミッドウェー攻撃隊は間もなく帰投し、補給を必要とするであろう」<br /><br /> (註)「午前7時」は、日本時間0400時。<br /> 「ミッドウェー攻撃から帰艦した攻撃隊指揮官」は、友永大尉の無電を指す(戦闘経過参照)<br />  </p> <p> </p> <p>(2)『太平洋戦争アメリカ海軍作戦史』(SammuelEliotMorison/著・中野五郎/訳)<br /><br /> 午前7時(0400時)、彼(南雲長官)はミッドウェー島空襲を終わったばかりの攻撃機隊指揮官友永大尉から<br /> 「ミッドウェー島に対しては第二次攻撃の要あり」という電報を受け取った。<br /> その十分後に、ミッドウェー島から出たアメリカ軍爆撃機の来襲があったが、これは友永海軍大尉の具申した<br /> 意見を裏書きするものであった。<br /><br /> これに基づいて日本機動部隊指揮官南雲海軍中将は、7時15分(0415時)に彼にとって致命的となった決定をした。<br /> すなわち彼は敵軍の水上部隊に対して即時待機の姿勢にあった攻撃機隊93機の「準備を解いた」のである。<br /><br /> すると7時28分(0428時)に至り、遅れて発進した巡洋艦利根の飛行機から電報が受領され、これで情勢は忽ち<br /> 一変した。この電報を受けた当初、南雲海軍中将はこの敵艦隊を処理しなければならぬと考えた。しかしこの報告は、<br /> 敵の航空母艦に関して何らの暗示もない漠然としたものであったから、同中将は彼の麾下の攻撃飛行隊の急速兵装<br /> 転換を取り消すことを至当とは考えなかった。<br /><br /> 15分間熟慮して7時45分(0445時)決心を変えた。すなわち彼は直率部隊に対して、<br /> 「敵の艦隊に対する攻撃実施を準備せよ。爆弾装備に変更未済の攻撃機に搭載の魚雷はそのままに残せ」と信号した。<br /> 恐らくは当時、彼は珊瑚海海戦における原忠一海軍少将の大失策、すなわち航空攻撃隊の大部分を油槽艦に向けて<br /> 無駄に費やしたことを想起したのであろう。<br /> そのため2分後に、利根機に対して「艦種知らせ。触接を持続せよ」と無電で指令した。<br /><br /> 利根機の操縦士は、8時20分(0520時)に「敵ハ航空母艦ラシキモノ一隻ヲ伴フ」と報告した。<br /> 彼の計画していた攻撃隊はすでに編成を解かれていたし、その麾下の各航空母艦の飛行甲板は、ミッドウェー島から<br /> 刻々帰還してくる飛行機のために取り片付けておかねばならなかった。<br /> 彼は航空母艦間の戦闘において達成すべきものを、与える側ではなく、受ける側に立たねばならなかったのである。<br /> これは何たる重大な運命の破局であったろう!<br /><br /> (註)( )内は日本時間。戦闘経過参照。<br />  </p> <p> </p> <p>(3)『空母ヨークタウン』(PatFrank/著・谷浦英男/訳)<br /><br /> 「多くの著述家が、これ(兵装転換)を取り返しのつかない大失策であり、 おそらく日本に敗戦をもたらした<br /> 大錯誤だったと強調している。<br /> そういうことにつながるとしても、その時点においては、これは妥当な決断 だったと言える。<br /><br /> ミッドウェーを再攻撃しなければならないのは明白だった。<br /> 現にたった今、 ミッドウェーからやってきた飛行機隊が、南雲自身の乗艦を攻撃したばかりである。<br /> 一方、索敵機が付近の海域に敵水上艦隊を発見したという徴候は全くない。<br /><br /> 南雲長官は、正当な決断である、と判断した。<br /> ミッドウェーに第二次攻撃をかけることは決して賭けではない。<br /> 第一波は間もなく帰投して、発進して行く飛行機と交替する。 第一波は着艦するやいなや爆弾と魚雷を<br /> 搭載して、 索敵機が敵の艦隊を 発見したなら、いつでも発進できるように待機するだろう。<br /> 客観的に見れば、これは論理的な決断だったと言える」<br /><br />  </p> <p>(4)『ミッドウェーの奇跡』(GordonPrange/著・千早正隆/訳)<br /><br /> 「南雲のこの決定は、その後に激しい批判の的となった。高い外野席からの結果論からみれば、南雲のこの決定は<br /> 重大なミステークであったと思う読者は、きわめて多いかもしれない。が、著者は草鹿や源田と同じく、当時の情況<br /> からして南雲の決定は妥当なものであったと信ずる者である。<br /><br /> ミッドウェーを攻撃した友永が再攻撃の必要があると意見を具申したこと、<br /> ミッドウェー基地の航空部隊がまだ攻撃を続けていること、<br /> 彼がもっとも信頼している源田が同意したこと、<br /> 南雲は彼自身の常識に基づいて決定を下したからである。<br /> しかも、その前日に東京から『わが企図が敵に察知された兆候全くなし』という電報を受信していたのである<br /><br /> 南雲のこの重大な決定の是非を判断するには、彼が赤城の艦橋でその決定をした当時の状況を見なければならない。<br /> その決定は少なくとも、敵艦隊の配備および能力を知ることなくして為されたものであった。とすれば、それは指揮上の<br /> 失策ではなく、情報上の失策と看なすべきであった。<br /> 『知っていれば怪我はない』との古諺とは逆に、南雲は知らなかったために大怪我をした、と言ってよいであろう」<br /><br />  </p> <p> </p>

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