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 陸奥国 [[会津郡]] [[南青木組>会津郡南青木組]] &ruby(みやうち){宮内}村
 &blanklink(大日本地誌大系第31巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202} 74コマ目
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 府城の南に当り行程2里14町余。
 家数13軒、東西55間・南北1町40間。
 山麓に住し、南は[[上雨屋村>会津郡南青木組上雨屋村]]に続き、西北は&ruby(たんぼ){田圃}なり。
 
 東1町[[上雨屋村>会津郡南青木組上雨屋村]]の山に界ふ。
-西3町大沼郡本組穂谷沢村に界ふ。
+西3町[[大沼郡本組穂谷沢村>大沼郡南青木組穂谷沢村]]に界ふ。
 北3町[[下雨屋村>会津郡南青木組下雨屋村]]の界に至る。その村は亥(北北西)に当り5町30間。
 
 *水利
 **門田堰
 [[上雨屋村>会津郡南青木組上雨屋村]]の方より来り、[[下雨屋村>会津郡南青木組下雨屋村]]の方に注ぐ。
 
 *神社
 **金峯神社
 |祭神|少名彦命|
 |草創|不明|
 村より丑寅(北東)の方8町余、山の半腹にあり。
 旧、ここより18町余山上にあり。
 元亀元年(1570年)葦名盛興修補を加ふ。
 相伝て。大和国吉野、越後国長岡、及び当社の神像は1本にて刻めりという。
 昔当郡の修験の徒国峯修行とて、当社の側より大戸嶽に&ruby(よじ){攀}登り布引山の西麓を回り城東羽黒山に出て、大和国多武峯に擬せしとぞ。因て民俗に天屋三峯と称し金峯・葛城・多武峯比せしという。
 ([[舊事雑考]]に国峯修行ありしは吉野に皇居ありし頃((南北朝の頃(1336年~)か?))の事なるべしと伝えり)。
 ***鳥居
 両柱の間8尺
 ***本社
 2間に1間、西向。
 葦名盛興修覆を加えし時の棟札あり『大檀那平朝臣盛興元亀元年庚午九月十七日願主亮灌本願傳海』と記し、また裏には『三嶽山平樂寺』とあり。その余佛名・梵語等あれども煩はしければ略す。
 ***幣殿
 2間四面
 ***拝殿
 3間半に2間
 ***假殿
 5尺四面、西向。
 ***別当 等善院
 本山派の修験なり。
 その祖を密蔵院心光という。現住元宥は10世の孫なりとぞ。
 旧は密宗の別当ありしという。
 
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 -Google Map
 --[[金峯神社 鳥居>https://goo.gl/maps/iKJExxNVc77fgvPR8]]
 --[[日本三之社金峯神社>https://goo.gl/maps/T8HXdNrgt9GFdCa98]]
 
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