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陸奥国 [[大沼郡]] [[東尾岐組>大沼郡東尾岐組]] &ruby(ひかしおまた){東尾岐}村
&blanklink(大日本地誌大系第33巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220} 35コマ目
村南に神籠嶽あり北に引きたる峯わかれて3となり、東の谷を尾岐川流れ西の谷を小屋川流る。
20余区の民居・田圃川に傍て2ヶ所に開け、共に北は広くその奥は漸々に狭し。中にも東の谷は田畠多く奥に至れば谷2となり、その間にも民居あり。因て近里に勝れて境内広く1組の地面半はこの村に属す。西端の山は冑組諸村と界ふ。
府城の西南に当り行程4里。
家数8軒、東西1町23間・南北3町23間、散居す。
東は川に傍ひ西は山に倚り南北&ruby(たんぼ){田圃}なり。
村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。
東5町計[[無量村>大沼郡東尾岐組無量村]]の山界に至る。その村は丑(北北東)に当り34町。
西20町計[[冑組魚淵村>大沼郡冑組魚淵村]]に界ひ宮川を限りとす。
南2里20町計[[会津郡楢原組大内村]]の山界に至る。その村まで2里19町。
北28町[[冑組尾岐窪村>大沼郡冑組尾岐窪村]]の界に至る。その村まで30町。
また
戌(西北西)の方10町計[[大室村>大沼郡東尾岐組大室村]]の山界に至る。その村まで24町。
旧端村大平の南7町50間に小屋という端村あり。今はなし。
**小名
***&ruby(みや){宮}
本村の東2町にあり。
家数2軒、東西19間・南北32間、四方田圃なり。
***&ruby(ちとうかた){地頭方}
本村の南3町にあり。
家数9軒、東西48間・南北1町。
三方田圃にて西は山に倚り東は川に近し。
何の頃にか地頭の宅地ありし&ruby(ゆえ){故}この名ありとぞ。
***&ruby(はは){馬場}
昔何の頃にかこの地に馬場あり。因てこの名ありという。
地頭方の南30間にあり。
東西2区に住し、その間50間余を隔つ。
西は家数2軒、東西40間・南北48間。西は山に近く四方田圃なり。
東は家数6軒、東西48間・南北57間。東南は川に傍ひ西北は田圃なり。
***&ruby(みつさは){水沢}
馬場より未(南南西)の方2町30間にあり。
家数6軒、東西38間・南北2町。
東は川に傍ひ西は山に倚り南北に田圃あり。
***&ruby(たたかひは){戦場}
馬場の南7町10間余にあり。
家数23軒、東西48町・南北5町25間、散居す。
東は川に傍ひ西南は山に倚り北は田畠なり。
***&ruby(しようふさは){勝負沢}
戦場より辰巳(南東)の方5町40間にあり。
家数10軒、東西2町31間・南北38間。
東西北は山&ruby(めぐ){繞}り西に田圃あり。
***&ruby(おほかみさは){大神沢}
本村の北3町にあり。
家数4軒、東西1町31間・南北1町30間、散居す。
西は山を負い三方田圃なり。
また東1町を隔て家居1軒あり。
***&ruby(たい){台}
大神沢の北4町にあり。
家数6軒、東西38間・南北3町5間。
西は山に連なり三方田圃なり。
***&ruby(おそさは){遅沢}
台の北3町にあり。
家数17軒、東西1町5間・南北3町24間。
西は山に倚り三方田畠なり。
また丑寅(北東)の方5町隔て家居1軒あり。
***&ruby(せきね){関根}
遅沢より丑寅(北東)の方6町にあり。
家数3軒、東西30間・南北1町10間。
東は山に倚り西は尾岐川に臨み南北田圃なり。
何の頃にかこの地に関所ありしといい伝う。
**端村
***&ruby(めうかたひら){茗荷平}
小名水沢より未(南南西)の方25町にあり。
家数9軒、東西1町・南北1町。
また巳(南南東)の方7町20間を隔て1区あり。中屋敷という。
家数3軒、東西48間・南北48間。
共に山間に住し南北に&ruby(さいほ){菜圃}あり。
***&ruby(ひはた){檜皮}
中屋敷の南6町にあり。
南北2区に住しその間5町40間を隔つ。
北を&ruby(しもひはた){下檜皮}という。家数3軒、東西26間・南北1町。
南を&ruby(いりひはた){入檜皮}という。家数3軒、東西1町20間・南北1町10間。
四方に山&ruby(めぐ){繞}り南は殊に高山なり。その間に菜圃を開く。
また下檜皮の西30間に家居1軒あり。
***&ruby(ゆいのう){唯能}
小名勝負沢より辰巳(南東)の方10町30間にあり。
家数10軒、東西1町37間・南北40間、山間に住す。
東西北に菜圃あり。
***&ruby(しみつ){清水}
小名遅沢の西、山を隔て10町30間にあり。
家数3軒、東西44間・南北18間余。
山中に住し北は山に倚り三方に田圃あり。
***&ruby(にしのさは){西沢}
小名水沢より申(西南西)の方、山を隔て14町20間にあり。
家数9軒、東西42間・南北12間。
東は川に傍ひ西は山に近し。南北に菜圃あり、
また北14町50間に家居1軒あり。&ruby(けんたや){源太谷}という。
***&ruby(おほたひら){大平}
西沢の南20町30間余にあり。
家数9軒、東西27間・南北2町40間。
東南は川に臨み西北に菜圃あり。
また北11町を隔て1区あり。&ruby(なかうす){中臼}という。
家数5軒、東西18間・南北36間。東は山に倚り西は川に近し。南北菜圃なり。
**木地小屋
***&ruby(ひかしいり){東入}
大平の南17町40間、重山の中にあり。
家数14軒、東西42間・南北45間余。
寶暦中(1751年~1764年)野尻組小野村(([[小野川村>大沼郡野尻組小野川村]]の事か?))の境内よりこの地に来るという。
*山川
**&ruby(かろうたけ){神籠嶽}
村南2里にあり(本郡の条下に詳なり)。
**&ruby(こくうさういわ){虚空蔵岩}
小名台の東2町山の中腹にあり。
何の頃にかこの山上に虚空蔵堂ありし&ruby(ゆえ){故}この名ありとぞ。
**&ruby(いなりもり){稲荷森}
端村唯能より辰巳(南東)の方1町にあり。
周5町計。数株の喬木林をなせり。
土人伝えて、那須野の殺生石欠てこの地に飛来るという。因て昔より往来する者なしとぞ。
側より&ruby(うかが){覘}うに巨石往々樹間にあり。
**坂2
一は端村檜皮の南にあり。頂まで23町。檜皮峠という。
一は唯能の南にあり。頂まで28町余。
共に大内村に行く道なり。
**石
小名宮の南路の傍にあり。
高3尺計の野面石なり。
土人石神と呼ぶ。その故を詳にせず。
**尾岐川
水源3あり。共に神籠嶽より発す。
一は唯能の奥&ruby(いりおほさわ){入大沢}より出、唯能川という。西北に流るること1里27町戦場川に入る。
一は戦場川という。小名戦場の奥より諸渓合して流出、北に流るること1里20町計、村南にて唯能川に合しまた北に流るること10町計、檜皮川に合す。
一は端村檜皮の奥大神籠という所より出、檜皮川という。北に流るること1里20町計、小名馬場の東にて戦場川を得て尾岐川となり、北に流るること1里6町[[尾岐窪村>大沼郡冑組尾岐窪村]]の界に入る。広5間余。
**小屋川
源を神籠嶽の北&ruby(みさは){三沢}より発し、北に流るること2里20町[[冑組魚淵村>大沼郡冑組魚淵村]]の界にて宮川に入る。広5間計。
*関梁
**橋2
一は大神沢にあり。&ruby(ところさかはし){所坂橋}といい尾岐川に架す。長6間・幅6尺。
一は端村大平の南8町40間にあり。&ruby(つなとりはし){綱取橋}という。長7間・幅6尺、小屋川に架る。木地小屋東入へ通る路なり。
*水利
**堰2
一を向田堰という。小名関根の北にて尾岐川を引き田地の養水となり[[尾岐窪村>大沼郡冑組尾岐窪村]]の方に注ぐ(尾岐窪村にては東堰という)。
一を龍門寺堰という。関根の西にて尾岐川を引き田地を潤し、下流尾岐窪村の田地に&ruby(そそ){漑}ぐ。
*神社
**熊野宮
|祭神|熊野宮?|
|鎮座|不明|
村より未申(南西)の方50間山の中腹にあり。
鳥居あり。寺入村佐藤日向これを司る。
**稲荷神社
|祭神|稲荷神?|
|勧請|不明|
村より50間戌亥(北西)の方山麓にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**朝立神社
|祭神|不明|
|鎮座|不明|
小名宮の南1町30間にあり。
祭神詳ならず。
神像2軀あり。長各1尺5寸。
鎮座の年代詳ならず。
往昔は当社に若干の社料ありて神職も数員ありしに、何の頃よりか衰敗して今に至るという。
-随神門 2間に間半。
-石鳥居 両柱の間8尺。
-本社 6尺に5尺、東向。
-幣殿 2間に1間半。
-拝殿 4間半に2間。
***別当 常法院
本山派の修験なり。
華蔵院明敬という者より11世を経て現住主馬丸に至る。
**日光神社
|祭神|二荒山神|下これに倣う|
|相殿|山神 2座||
| |熊野宮||
| |日光神||
|勧請|不明||
小名地頭方の西1町10間余にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**天王神社
|祭神|天王神?|
|鎮座|不明|
小名馬場より未申(南西)の方50間余山中にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|勧請|不明|
小名戦場の南30間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**御稷神社
|祭神|御稷神?|
|鎮座|不明|
戦場より巳午(南南東~南の間)の方40間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**舩越神社
|祭神|不明|
|鎮座|不明|
戦場の西40間山麓にあり。
祭神及び鎮座の年月詳ならず。
鳥居あり。村民の持なり。
**熊野宮
|祭神|熊野宮?|
|鎮座|不明|
小名勝負沢の北1町20間山腰にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**大神社
|祭神|大己貴命|
|相殿|山神|
| |幸神|
|鎮座|不明|
小名大神沢の戌亥(北西)の方1町にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**稲荷神社
|祭神|稲荷神?|
|鎮座|不明|
小名台の西1町40間山麓にあり。
鳥居あり。
鰐口1口を懸く。径3寸『應永廿二二年十一月十六日敬白』と彫付あり(応永24年:1417年)。
村民の持なり。
**伊豆神社
|祭神|伊豆神?|
|鎮座|不明|
台の西40間にあり。
村民の持なり。
**熱田神社
|祭神|天照大神の尊霊・素戔嗚尊|
|勧請|不明|
小名遅沢の東2町山の半腹にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|鎮座|不明|
遅沢より1町未申(南西)の方にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|勧請|不明|
小名関根の東1町山腰にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**熊野宮
|祭神|熊野宮?|
|鎮座|不明|
端村茗荷平の西1町20間にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|鎮座|不明|
茗荷平の北6町30間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|勧請|不明|
端村檜皮より戌亥(北西)の方1町40間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**唯能神社
|祭神|不明|
|勧請|不明|
端村唯能の北50間にあり。
祭神及び鎮座の年月詳ならず。
鳥居あり。村民の持なり。
**熊野宮
|祭神|熊野宮?|
|鎮座|不明|
端村西沢の西40間にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**日光神社
|祭神|二荒山神|
|勧請|不明|
西沢の小名源太谷の東30間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|勧請|不明|
西沢の西40間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|勧請|不明|
木地小屋東入の北8町40間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
この地東西3間計・南北15間計の岡にて、東南北に小屋川の清流&ruby(めぐ){匝}り林木繁陰して幽邃の勝地なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|鎮座|不明|
大平の西20間余にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|草創|不明|
大平の小名中臼にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**三嶋神社
|祭神|三嶋神?|
|草創|不明|
端村清水の北にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
*寺院
**長泉寺
小名遅沢の村中にあり。
草創の始詳ならず。山號を遅澤山と称す。
尾岐窪村龍門寺の末山曹洞宗なり。
本尊虚空蔵客殿に安ず。
**観音堂
端村大平より30間余午未(南~南南西の間)の方にあり。
草創の初詳ならず。
正観音の像を安ず。長1尺6寸。
この堂旧は大平の北3町&ruby(たんのはら){壇原}という所にあり。寛永14年(1637年)今の地に移すとう。
村民の持なり。
**薬師堂
小名大神沢の西40間山腰にあり。
創建の始知らず。
十二神将の像あり。
村民の持なり。
*墳墓
**五輪2基
小名関根より戌亥(北西)の方2町山麓にあり。
共に高7尺余。梵文の彫付あり。その制近代のものとは見えず。
如何なるものの墓にか、土人ただ大五輪と称す。
*古蹟
**陣屋式
小名戦場の南30町余山奥にて、東西1町40間・南北30間余の地をいう。
この地古戦場といい伝ふれども、何れの時の何人の戦しということを伝えず。
またここより北10町計を隔て&ruby(おそのさは){遅沢}とい所に鉄滓あり。明應元年(1492年)長嶺越中某(或は佐藤何某ともいう)という者、鉄華表を鑄て高田村伊佐須美大明神へ献せし迹といい伝う。
**館跡4
一は小名水沢の西12町山上にあり。東西12間・南北10間。東に並で的場という所あり。東西1町・南北8間。
またこの邊りを城戸沢という。今は木立茂りて館の形とも見えず。何の頃にか長峯越中某という者住せしという。
一は小名勝負沢の東7町にあり。&ruby(なかやかた){中館}という。東西30間・南北15間。何の頃にか佐藤大蔵丞吉近という者住すという。
一は入檜皮より戌亥の方2町にあり。東西1町20間・南北1町。何の頃にか河島右京某という者住すという。今は畠となれり。
一は小名戦場の西3町にあり。20間四方。山中にて木立茂れり。何の頃にか川島伊予某という者住せしという。
**醫恩寺迹
小名大神沢にあり。
天台宗冑組仁王村仁王寺の末山にて山號を浄壺山といいしが、寛文9年故ありて廃す。
**長福寺迹
小名地頭方の西にあり。
宗旨・山號・廃せる年月詳ならず。
**観音寺迹
端村大平より丑寅(北東)の方4町にあり。
山號・宗旨及び何の頃廃せしということを伝えず。
その地今なお林木茂りて梵字のありしあと著し。
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-Google Map
--[[神籠ヶ岳>https://goo.gl/maps/BbGNDJr44wsm7mUL7]]
--[[東尾岐林越>https://goo.gl/maps/yvWRyfuCyZ9MJSAd6]](稲荷森?)
--[[桧和田峠>https://goo.gl/maps/yvWRyfuCyZ9MJSAd6]]
--[[結能峠>https://goo.gl/maps/3U5PRvxK1mXnjFLU8]]
--[[熊野神社>https://goo.gl/maps/6bxckeT49Yp8UeZ29]]?(建物見えず)
--[[稲荷神社>https://goo.gl/maps/y5kZ9VuMe92SV4pT6]]?(建物見えず)
--宮
---[[朝立神社>https://goo.gl/maps/jxyisivUiRq4UZif8]]
--馬場
---[[神社>https://goo.gl/maps/78Jyje8YCDztq1nj6]]
--戦場
---[[御食神社(御稷神社)>https://goo.gl/maps/qSWvVMx7vF9S1gt37]]
---[[船越神社>https://goo.gl/maps/D7A5Hc3i3nfjRDS48]]?(建物見えず)
--大神沢
---[[お堂>https://goo.gl/maps/5pchjhsh4umK4TWR8]]
--遅沢
---[[お堂>https://goo.gl/maps/6CPem3UcoQ5ce9Lb9]]
--関根
---[[お堂>https://goo.gl/maps/TiPoHATmGsWgLds56]]
--唯能
---[[殺生石稲荷神社>https://goo.gl/maps/n81Pm3Txg3gDviKw5]]
---[[正一位稲荷大明神>https://goo.gl/maps/2WzwEdGhkLoW2nCo9]]
--大平
---[[大平観音堂>https://goo.gl/maps/gT47Q9cmGy9JEvi59]]?(建物確認できず)
-Goo地図
--[[山の神神社>https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.48.14.881N37.21.15.338/]](大平)
**朝立神社について
高田町史には祭神は伊弉諾・伊弉冉の2柱ではないかと記載されています。
>朝立神社は1社のみである。朝立という名称は、「朝立宮縁起」(町史3 659)によると、2柱の神が朝立山に降臨し止ったことに由来するらしい。「新風土記」には、「祭神詳ならず、神像2軀あり、各1尺5寸」とあるのは、2柱の神の事であろう。この2柱の神は、伊弉諾尊・伊弉冉尊らしい。(町史5 783)。
陸奥国 [[大沼郡]] [[東尾岐組>大沼郡東尾岐組]] &ruby(ひかしおまた){東尾岐}村
&blanklink(大日本地誌大系第33巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220} 35コマ目
村南に神籠嶽あり北に引きたる峯わかれて3となり、東の谷を尾岐川流れ西の谷を小屋川流る。
20余区の民居・田圃川に傍て2ヶ所に開け、共に北は広くその奥は漸々に狭し。中にも東の谷は田畠多く奥に至れば谷2となり、その間にも民居あり。因て近里に勝れて境内広く1組の地面半はこの村に属す。西端の山は冑組諸村と界ふ。
府城の西南に当り行程4里。
家数8軒、東西1町23間・南北3町23間、散居す。
東は川に傍ひ西は山に倚り南北&ruby(たんぼ){田圃}なり。
村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。
東5町計[[無量村>大沼郡東尾岐組無量村]]の山界に至る。その村は丑(北北東)に当り34町。
西20町計[[冑組魚淵村>大沼郡冑組魚淵村]]に界ひ宮川を限りとす。
南2里20町計[[会津郡楢原組大内村]]の山界に至る。その村まで2里19町。
北28町[[冑組尾岐窪村>大沼郡冑組尾岐窪村]]の界に至る。その村まで30町。
また
戌(西北西)の方10町計[[大室村>大沼郡東尾岐組大室村]]の山界に至る。その村まで24町。
旧端村大平の南7町50間に小屋という端村あり。今はなし。
**小名
***&ruby(みや){宮}
本村の東2町にあり。
家数2軒、東西19間・南北32間、四方田圃なり。
***&ruby(ちとうかた){地頭方}
本村の南3町にあり。
家数9軒、東西48間・南北1町。
三方田圃にて西は山に倚り東は川に近し。
何の頃にか地頭の宅地ありし&ruby(ゆえ){故}この名ありとぞ。
***&ruby(はは){馬場}
昔何の頃にかこの地に馬場あり。因てこの名ありという。
地頭方の南30間にあり。
東西2区に住し、その間50間余を隔つ。
西は家数2軒、東西40間・南北48間。西は山に近く四方田圃なり。
東は家数6軒、東西48間・南北57間。東南は川に傍ひ西北は田圃なり。
***&ruby(みつさは){水沢}
馬場より未(南南西)の方2町30間にあり。
家数6軒、東西38間・南北2町。
東は川に傍ひ西は山に倚り南北に田圃あり。
***&ruby(たたかひは){戦場}
馬場の南7町10間余にあり。
家数23軒、東西48町・南北5町25間、散居す。
東は川に傍ひ西南は山に倚り北は田畠なり。
***&ruby(しようふさは){勝負沢}
戦場より辰巳(南東)の方5町40間にあり。
家数10軒、東西2町31間・南北38間。
東西北は山&ruby(めぐ){繞}り西に田圃あり。
***&ruby(おほかみさは){大神沢}
本村の北3町にあり。
家数4軒、東西1町31間・南北1町30間、散居す。
西は山を負い三方田圃なり。
また東1町を隔て家居1軒あり。
***&ruby(たい){台}
大神沢の北4町にあり。
家数6軒、東西38間・南北3町5間。
西は山に連なり三方田圃なり。
***&ruby(おそさは){遅沢}
台の北3町にあり。
家数17軒、東西1町5間・南北3町24間。
西は山に倚り三方田畠なり。
また丑寅(北東)の方5町隔て家居1軒あり。
***&ruby(せきね){関根}
遅沢より丑寅(北東)の方6町にあり。
家数3軒、東西30間・南北1町10間。
東は山に倚り西は尾岐川に臨み南北田圃なり。
何の頃にかこの地に関所ありしといい伝う。
**端村
***&ruby(めうかたひら){茗荷平}
小名水沢より未(南南西)の方25町にあり。
家数9軒、東西1町・南北1町。
また巳(南南東)の方7町20間を隔て1区あり。中屋敷という。
家数3軒、東西48間・南北48間。
共に山間に住し南北に&ruby(さいほ){菜圃}あり。
***&ruby(ひはた){檜皮}
中屋敷の南6町にあり。
南北2区に住しその間5町40間を隔つ。
北を&ruby(しもひはた){下檜皮}という。家数3軒、東西26間・南北1町。
南を&ruby(いりひはた){入檜皮}という。家数3軒、東西1町20間・南北1町10間。
四方に山&ruby(めぐ){繞}り南は殊に高山なり。その間に菜圃を開く。
また下檜皮の西30間に家居1軒あり。
***&ruby(ゆいのう){唯能}
小名勝負沢より辰巳(南東)の方10町30間にあり。
家数10軒、東西1町37間・南北40間、山間に住す。
東西北に菜圃あり。
***&ruby(しみつ){清水}
小名遅沢の西、山を隔て10町30間にあり。
家数3軒、東西44間・南北18間余。
山中に住し北は山に倚り三方に田圃あり。
***&ruby(にしのさは){西沢}
小名水沢より申(西南西)の方、山を隔て14町20間にあり。
家数9軒、東西42間・南北12間。
東は川に傍ひ西は山に近し。南北に菜圃あり、
また北14町50間に家居1軒あり。&ruby(けんたや){源太谷}という。
***&ruby(おほたひら){大平}
西沢の南20町30間余にあり。
家数9軒、東西27間・南北2町40間。
東南は川に臨み西北に菜圃あり。
また北11町を隔て1区あり。&ruby(なかうす){中臼}という。
家数5軒、東西18間・南北36間。
東は山に倚り西は川に近し。南北菜圃なり。
**木地小屋
***&ruby(ひかしいり){東入}
大平の南17町40間、重山の中にあり。
家数14軒、東西42間・南北45間余。
寶暦中(1751年~1764年)野尻組小野村(([[小野川村>大沼郡野尻組小野川村]]の事か?))の境内よりこの地に来るという。
*山川
**&ruby(かろうたけ){神籠嶽}
村南2里にあり(本郡の条下に詳なり)。
**&ruby(こくうさういわ){虚空蔵岩}
小名台の東2町山の中腹にあり。
何の頃にかこの山上に虚空蔵堂ありし&ruby(ゆえ){故}この名ありとぞ。
**&ruby(いなりもり){稲荷森}
端村唯能より辰巳(南東)の方1町にあり。
周5町計。数株の喬木林をなせり。
土人伝えて、那須野の殺生石欠てこの地に飛来るという。因て昔より往来する者なしとぞ。
側より&ruby(うかが){覘}うに巨石往々樹間にあり。
**坂2
一は端村檜皮の南にあり。頂まで23町。檜皮峠という。
一は唯能の南にあり。頂まで28町余。
共に大内村に行く道なり。
**石
小名宮の南路の傍にあり。
高3尺計の野面石なり。
土人石神と呼ぶ。その故を詳にせず。
**尾岐川
水源3あり。共に神籠嶽より発す。
一は唯能の奥&ruby(いりおほさわ){入大沢}より出、唯能川という。西北に流るること1里27町戦場川に入る。
一は戦場川という。小名戦場の奥より諸渓合して流出、北に流るること1里20町計、村南にて唯能川に合しまた北に流るること10町計、檜皮川に合す。
一は端村檜皮の奥大神籠という所より出、檜皮川という。北に流るること1里20町計、小名馬場の東にて戦場川を得て尾岐川となり、北に流るること1里6町[[尾岐窪村>大沼郡冑組尾岐窪村]]の界に入る。広5間余。
**小屋川
源を神籠嶽の北&ruby(みさは){三沢}より発し、北に流るること2里20町[[冑組魚淵村>大沼郡冑組魚淵村]]の界にて宮川に入る。広5間計。
*関梁
**橋2
一は大神沢にあり。&ruby(ところさかはし){所坂橋}といい尾岐川に架す。長6間・幅6尺。
一は端村大平の南8町40間にあり。&ruby(つなとりはし){綱取橋}という。長7間・幅6尺、小屋川に架る。木地小屋東入へ通る路なり。
*水利
**堰2
一を向田堰という。小名関根の北にて尾岐川を引き田地の養水となり[[尾岐窪村>大沼郡冑組尾岐窪村]]の方に注ぐ(尾岐窪村にては東堰という)。
一を龍門寺堰という。関根の西にて尾岐川を引き田地を潤し、下流尾岐窪村の田地に&ruby(そそ){漑}ぐ。
*神社
**熊野宮
|祭神|熊野宮?|
|鎮座|不明|
村より未申(南西)の方50間山の中腹にあり。
鳥居あり。寺入村佐藤日向これを司る。
**稲荷神社
|祭神|稲荷神?|
|勧請|不明|
村より50間戌亥(北西)の方山麓にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**朝立神社
|祭神|不明|
|鎮座|不明|
小名宮の南1町30間にあり。
祭神詳ならず。
神像2軀あり。長各1尺5寸。
鎮座の年代詳ならず。
往昔は当社に若干の社料ありて神職も数員ありしに、何の頃よりか衰敗して今に至るという。
-随神門 2間に間半。
-石鳥居 両柱の間8尺。
-本社 6尺に5尺、東向。
-幣殿 2間に1間半。
-拝殿 4間半に2間。
***別当 常法院
本山派の修験なり。
華蔵院明敬という者より11世を経て現住主馬丸に至る。
**日光神社
|祭神|二荒山神|下これに倣う|
|相殿|山神 2座||
| |熊野宮||
| |日光神||
|勧請|不明||
小名地頭方の西1町10間余にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**天王神社
|祭神|天王神?|
|鎮座|不明|
小名馬場より未申(南西)の方50間余山中にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|勧請|不明|
小名戦場の南30間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**御稷神社
|祭神|御稷神?|
|鎮座|不明|
戦場より巳午(南南東~南の間)の方40間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**舩越神社
|祭神|不明|
|鎮座|不明|
戦場の西40間山麓にあり。
祭神及び鎮座の年月詳ならず。
鳥居あり。村民の持なり。
**熊野宮
|祭神|熊野宮?|
|鎮座|不明|
小名勝負沢の北1町20間山腰にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**大神社
|祭神|大己貴命|
|相殿|山神|
| |幸神|
|鎮座|不明|
小名大神沢の戌亥(北西)の方1町にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**稲荷神社
|祭神|稲荷神?|
|鎮座|不明|
小名台の西1町40間山麓にあり。
鳥居あり。
鰐口1口を懸く。径3寸『應永廿二二年十一月十六日敬白』と彫付あり(応永24年:1417年)。
村民の持なり。
**伊豆神社
|祭神|伊豆神?|
|鎮座|不明|
台の西40間にあり。
村民の持なり。
**熱田神社
|祭神|天照大神の尊霊・素戔嗚尊|
|勧請|不明|
小名遅沢の東2町山の半腹にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|鎮座|不明|
遅沢より1町未申(南西)の方にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|勧請|不明|
小名関根の東1町山腰にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**熊野宮
|祭神|熊野宮?|
|鎮座|不明|
端村茗荷平の西1町20間にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|鎮座|不明|
茗荷平の北6町30間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|勧請|不明|
端村檜皮より戌亥(北西)の方1町40間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**唯能神社
|祭神|不明|
|勧請|不明|
端村唯能の北50間にあり。
祭神及び鎮座の年月詳ならず。
鳥居あり。村民の持なり。
**熊野宮
|祭神|熊野宮?|
|鎮座|不明|
端村西沢の西40間にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
**日光神社
|祭神|二荒山神|
|勧請|不明|
西沢の小名源太谷の東30間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|勧請|不明|
西沢の西40間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|勧請|不明|
木地小屋東入の北8町40間にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
この地東西3間計・南北15間計の岡にて、東南北に小屋川の清流&ruby(めぐ){匝}り林木繁陰して幽邃の勝地なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|鎮座|不明|
大平の西20間余にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**山神社
|祭神|山神?|
|草創|不明|
大平の小名中臼にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
**三嶋神社
|祭神|三嶋神?|
|草創|不明|
端村清水の北にあり。
鳥居あり。佐藤日向が司なり。
*寺院
**長泉寺
小名遅沢の村中にあり。
草創の始詳ならず。山號を遅澤山と称す。
尾岐窪村龍門寺の末山曹洞宗なり。
本尊虚空蔵客殿に安ず。
**観音堂
端村大平より30間余午未(南~南南西の間)の方にあり。
草創の初詳ならず。
正観音の像を安ず。長1尺6寸。
この堂旧は大平の北3町&ruby(たんのはら){壇原}という所にあり。寛永14年(1637年)今の地に移すとう。
村民の持なり。
**薬師堂
小名大神沢の西40間山腰にあり。
創建の始知らず。
十二神将の像あり。
村民の持なり。
*墳墓
**五輪2基
小名関根より戌亥(北西)の方2町山麓にあり。
共に高7尺余。梵文の彫付あり。その制近代のものとは見えず。
如何なるものの墓にか、土人ただ大五輪と称す。
*古蹟
**陣屋式
小名戦場の南30町余山奥にて、東西1町40間・南北30間余の地をいう。
この地古戦場といい伝ふれども、何れの時の何人の戦しということを伝えず。
またここより北10町計を隔て&ruby(おそのさは){遅沢}とい所に鉄滓あり。明應元年(1492年)長嶺越中某(或は佐藤何某ともいう)という者、鉄華表を鑄て高田村伊佐須美大明神へ献せし迹といい伝う。
**館跡4
一は小名水沢の西12町山上にあり。東西12間・南北10間。東に並で的場という所あり。東西1町・南北8間。
またこの邊りを城戸沢という。今は木立茂りて館の形とも見えず。何の頃にか長峯越中某という者住せしという。
一は小名勝負沢の東7町にあり。&ruby(なかやかた){中館}という。東西30間・南北15間。何の頃にか佐藤大蔵丞吉近という者住すという。
一は入檜皮より戌亥の方2町にあり。東西1町20間・南北1町。何の頃にか河島右京某という者住すという。今は畠となれり。
一は小名戦場の西3町にあり。20間四方。山中にて木立茂れり。何の頃にか川島伊予某という者住せしという。
**醫恩寺迹
小名大神沢にあり。
天台宗冑組仁王村仁王寺の末山にて山號を浄壺山といいしが、寛文9年故ありて廃す。
**長福寺迹
小名地頭方の西にあり。
宗旨・山號・廃せる年月詳ならず。
**観音寺迹
端村大平より丑寅(北東)の方4町にあり。
山號・宗旨及び何の頃廃せしということを伝えず。
その地今なお林木茂りて梵字のありしあと著し。
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-Google Map
--[[神籠ヶ岳>https://goo.gl/maps/BbGNDJr44wsm7mUL7]]
--[[東尾岐林越>https://goo.gl/maps/yvWRyfuCyZ9MJSAd6]](稲荷森?)
--[[桧和田峠>https://goo.gl/maps/yvWRyfuCyZ9MJSAd6]]
--[[結能峠>https://goo.gl/maps/3U5PRvxK1mXnjFLU8]]
--[[熊野神社>https://goo.gl/maps/6bxckeT49Yp8UeZ29]]?(建物見えず)
--[[稲荷神社>https://goo.gl/maps/y5kZ9VuMe92SV4pT6]]?(建物見えず)
--宮
---[[朝立神社>https://goo.gl/maps/jxyisivUiRq4UZif8]]
--馬場
---[[神社>https://goo.gl/maps/78Jyje8YCDztq1nj6]]
--戦場
---[[御食神社(御稷神社)>https://goo.gl/maps/qSWvVMx7vF9S1gt37]]
---[[船越神社>https://goo.gl/maps/D7A5Hc3i3nfjRDS48]]?(建物見えず)
--大神沢
---[[お堂>https://goo.gl/maps/5pchjhsh4umK4TWR8]]
--遅沢
---[[お堂>https://goo.gl/maps/6CPem3UcoQ5ce9Lb9]]
--関根
---[[お堂>https://goo.gl/maps/TiPoHATmGsWgLds56]]
--唯能
---[[殺生石稲荷神社>https://goo.gl/maps/n81Pm3Txg3gDviKw5]]
---[[正一位稲荷大明神>https://goo.gl/maps/2WzwEdGhkLoW2nCo9]]
--大平
---[[大平観音堂>https://goo.gl/maps/gT47Q9cmGy9JEvi59]]?(建物確認できず)
-Goo地図
--[[山の神神社>https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.48.14.881N37.21.15.338/]](大平)
**朝立神社について
高田町史には祭神は伊弉諾・伊弉冉の2柱ではないかと記載されています。
>朝立神社は1社のみである。朝立という名称は、「朝立宮縁起」(町史3 659)によると、2柱の神が朝立山に降臨し止ったことに由来するらしい。「新風土記」には、「祭神詳ならず、神像2軀あり、各1尺5寸」とあるのは、2柱の神の事であろう。この2柱の神は、伊弉諾尊・伊弉冉尊らしい。(町史5 783)。