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陸奥国 [[河沼郡]] [[坂下組>河沼郡坂下組]] &ruby(こはんけ){古坂下}村
&blanklink(大日本地誌大系第33巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220/120} 120コマ目
寛文中(1661年~1673年)までは小坂下に作れり。
府城の西北に当り行程3里。
家数33軒、東西3町・南北1町15間。
西は坂下村に続き三方&ruby(たんぼ){田圃}にて東は宮川に近し。
東2町・北1町、共に[[坂下村>河沼郡坂下組坂下村]]の界に至る。
南4町[[葉林村>河沼郡坂下組葉林村]]の界に至る。その村まで7町40間。
*神社
**御稷神社
|祭神|御稷神?|
|TOP:相殿|伊勢宮 6座|
|~|熊野宮 3座|
|~|稲荷神 3座|
|~|八幡宮|
|~|諏訪神|
|~|鹿島神|
|~|白山神|
|~|大明神|
|~|姥神|
|~|御稷神|
|~|雷神|
|草創|不明|
村東2町にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。
***神職 渡部丹波
寛文中(1661年~1673年)河内経長というもの当社の神職となり相続いて今に至る。経長は今の丹波政晴4代の祖なりという。
*古蹟
**館跡
村中にあり。
今民家となる。
何れの事にか渡部中務(諱と失う)という者住し、天正の初め(1573年~)荒井丹波某住し、同10年(1582年)の頃は伊藤勘解由某住せしといい伝う。
----
-Google Map
--&blanklink(古坂下地区){https://maps.app.goo.gl/hpcZaYLXMSrrMG5R7}
--&blanklink(御禝神社){https://maps.app.goo.gl/mobS7TQde4ASiP3y5}
---三峯神社 - 境内にある?
--古跡?
**古地図
&image(kobange.jpg, width=500)※地理院地図(明治43年測図/昭和6年修正測図)
鶴沼橋の西手から、また羽林から北に伸びる道の合流地点付近が旧・古坂下地区
陸奥国 [[河沼郡]] [[坂下組>河沼郡坂下組]] &ruby(こはんけ){古坂下}村
&blanklink(大日本地誌大系第33巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220/120} 120コマ目
寛文中(1661年~1673年)までは小坂下に作れり。
府城の西北に当り行程3里。
家数33軒、東西3町・南北1町15間。
西は坂下村に続き三方&ruby(たんぼ){田圃}にて東は宮川に近し。
東2町・北1町、共に[[坂下村>河沼郡坂下組坂下村]]の界に至る。
南4町[[葉林村>河沼郡坂下組葉林村]]の界に至る。その村まで7町40間。
*神社
**御稷神社
|祭神|御稷神?|
|TOP:相殿|伊勢宮 6座|
|~|熊野宮 3座|
|~|稲荷神 3座|
|~|八幡宮|
|~|諏訪神|
|~|鹿島神|
|~|白山神|
|~|大明神|
|~|姥神|
|~|御稷神|
|~|雷神|
|草創|不明|
村東2町にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。
***神職 渡部丹波
寛文中(1661年~1673年)河内経長というもの当社の神職となり相続いて今に至る。経長は今の丹波政晴4代の祖なりという。
*古蹟
**館跡
村中にあり。
今民家となる。
何れの事にか渡部中務(諱と失う)という者住し、天正の初め(1573年~)荒井丹波某住し、同10年(1582年)の頃は伊藤勘解由某住せしといい伝う。
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-Google Map
--&blanklink(古坂下地区){https://maps.app.goo.gl/hpcZaYLXMSrrMG5R7}
--&blanklink(御禝神社){https://maps.app.goo.gl/mobS7TQde4ASiP3y5}
---三峯神社 - 境内にある?
--古跡?
***古地図
&image(kobange.jpg, width=500)※地理院地図(明治43年測図/昭和6年修正測図)
鶴沼橋の西手から、また羽林から北に伸びる道の合流地点付近が旧・古坂下地区