河沼郡坂下組古坂下村

「河沼郡坂下組古坂下村」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

河沼郡坂下組古坂下村」(2024/04/16 (火) 18:19:25) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

陸奥国 [[河沼郡]] [[坂下組>河沼郡坂下組]] &ruby(こはんけ){古坂下}村 &blanklink(大日本地誌大系第33巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220/120} 120コマ目 寛文中(1661年~1673年)までは小坂下に作れり。 府城の西北に当り行程3里。 家数33軒、東西3町・南北1町15間。 西は坂下村に続き三方&ruby(たんぼ){田圃}にて東は宮川に近し。 東2町・北1町、共に[[坂下村>河沼郡坂下組坂下村]]の界に至る。 南4町[[葉林村>河沼郡坂下組葉林村]]の界に至る。その村まで7町40間。 *神社 **御稷神社 |祭神|御稷神?| |TOP:相殿|伊勢宮 6座| |~|熊野宮 3座| |~|稲荷神 3座| |~|八幡宮| |~|諏訪神| |~|鹿島神| |~|白山神| |~|大明神| |~|姥神| |~|御稷神| |~|雷神| |草創|不明| 村東2町にあり。 鳥居幣殿拝殿あり。 ***神職 渡部丹波 寛文中(1661年~1673年)河内経長というもの当社の神職となり相続いて今に至る。経長は今の丹波政晴4代の祖なりという。 *古蹟 **館跡 村中にあり。 今民家となる。 何れの事にか渡部中務(諱と失う)という者住し、天正の初め(1573年~)荒井丹波某住し、同10年(1582年)の頃は伊藤勘解由某住せしといい伝う。 ---- -Google Map --&blanklink(古坂下地区){https://maps.app.goo.gl/hpcZaYLXMSrrMG5R7} --&blanklink(御禝神社){https://maps.app.goo.gl/mobS7TQde4ASiP3y5} ---三峯神社 - 境内にある? --古跡? **古地図 &image(kobange.jpg, width=500)※地理院地図(明治43年測図/昭和6年修正測図) 鶴沼橋の西手から、また羽林から北に伸びる道の合流地点付近が旧・古坂下地区
陸奥国 [[河沼郡]] [[坂下組>河沼郡坂下組]] &ruby(こはんけ){古坂下}村 &blanklink(大日本地誌大系第33巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220/120} 120コマ目 寛文中(1661年~1673年)までは小坂下に作れり。 府城の西北に当り行程3里。 家数33軒、東西3町・南北1町15間。 西は坂下村に続き三方&ruby(たんぼ){田圃}にて東は宮川に近し。 東2町・北1町、共に[[坂下村>河沼郡坂下組坂下村]]の界に至る。 南4町[[葉林村>河沼郡坂下組葉林村]]の界に至る。その村まで7町40間。 *神社 **御稷神社 |祭神|御稷神?| |TOP:相殿|伊勢宮 6座| |~|熊野宮 3座| |~|稲荷神 3座| |~|八幡宮| |~|諏訪神| |~|鹿島神| |~|白山神| |~|大明神| |~|姥神| |~|御稷神| |~|雷神| |草創|不明| 村東2町にあり。 鳥居幣殿拝殿あり。 ***神職 渡部丹波 寛文中(1661年~1673年)河内経長というもの当社の神職となり相続いて今に至る。経長は今の丹波政晴4代の祖なりという。 *古蹟 **館跡 村中にあり。 今民家となる。 何れの事にか渡部中務(諱と失う)という者住し、天正の初め(1573年~)荒井丹波某住し、同10年(1582年)の頃は伊藤勘解由某住せしといい伝う。 ---- -Google Map --&blanklink(古坂下地区){https://maps.app.goo.gl/hpcZaYLXMSrrMG5R7} --&blanklink(御禝神社){https://maps.app.goo.gl/mobS7TQde4ASiP3y5} ---三峯神社 - 境内にある? --古跡? ***古地図 &image(kobange.jpg, width=500)※地理院地図(明治43年測図/昭和6年修正測図) 鶴沼橋の西手から、また羽林から北に伸びる道の合流地点付近が旧・古坂下地区

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: