河沼郡坂下組海老沢村

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陸奥国 [[河沼郡]] [[坂下組>河沼郡坂下組]] &ruby(えひさは){海老沢}村 &blanklink(大日本地誌大系第33巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220} 121コマ目 #expand(500){{{ 府城の西北に当り行程2里18町。 家数22軒。 東西2軀に住し、&ruby(ひかししう){東住}・&ruby(にししう){西住}という。その間1町16間を隔つ。 東住、東西1町24間・南北1町22間。 西住、東西1町10間・南北1町20間。 共に四方&ruby(たんぼ){田圃}なり。 村南越後街道に一里塚あり。 東28間余[[細工名村>河沼郡坂下組細工名村]]の界に至る。その村は辰(東南東)に当り8町10間余。 西2町38間・北2町22間、共に[[青津組村田村>河沼郡青津組村田村]]の界に至る。その村は北に当り3町20間。 南3町42間[[下茅津村>河沼郡坂下組下茅津村]]の界に至る。その村まで8町10間余。 *水利 **&ruby(とみかはせき){富川堰} [[細工名村>河沼郡坂下組細工名村]]の方より来り田地の養水とし[[村田村>河沼郡青津組村田村]]の方に注ぐ。 *寺院 **真養寺 東住の東にあり。 創立の始分明ならず。曹洞宗久泰山と號す。 天正18年(1590年)より天寧村天寧寺の末寺となるという。 弥陀を本尊とし客殿に安ず。 *古蹟 **館跡 東住の村中にあり。 東西1町・南北1町10間余。 民家となれり。 何れの事にか藤倉久太郎重信という者住せし所という。 ---- -Google Map --[[真養寺>https://goo.gl/maps/zfp8Dz9YnjCRWoWV9]]? --[[熊野神社>https://goo.gl/maps/MMJG1FXaUSCPJAqVA]] -[[海老沢館>http://www13.plala.or.jp/sakushiro/oshiro/oshiro_kaisetsu/fukushima/t_azbg1.html#%E6%B5%B7%E8%80%81%E6%B2%A2%E9%A4%A8]](さくらとおしろ) }}}
陸奥国 [[河沼郡]] [[坂下組>河沼郡坂下組]] &ruby(えひさは){海老沢}村 &blanklink(大日本地誌大系第33巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220} 121コマ目 府城の西北に当り行程2里18町。 家数22軒。 東西2区に住し、&ruby(ひかししう){東住}・&ruby(にししう){西住}という。その間1町16間を隔つ。 東住、東西1町24間・南北1町22間。 西住、東西1町10間・南北1町20間。 共に四方&ruby(たんぼ){田圃}なり。 村南越後街道に一里塚あり。 東28間余[[細工名村>河沼郡坂下組細工名村]]の界に至る。その村は辰(東南東)に当り8町10間余。 西2町38間・北2町22間、共に[[青津組村田村>河沼郡青津組村田村]]の界に至る。その村は北に当り3町20間。 南3町42間[[下茅津村>河沼郡坂下組下茅津村]]の界に至る。その村まで8町10間余。 *水利 **&ruby(とみかはせき){富川堰} [[細工名村>河沼郡坂下組細工名村]]の方より来り田地の養水とし[[村田村>河沼郡青津組村田村]]の方に注ぐ。 *寺院 **真養寺 東住の東にあり。 創立の始分明ならず。曹洞宗久泰山と號す。 天正18年(1590年)より天寧村天寧寺の末寺となるという。 弥陀を本尊とし客殿に安ず。 *古蹟 **館跡 東住の村中にあり。 東西1町・南北1町10間余。 民家となれり。 何れの事にか藤倉久太郎重信という者住せし所という。 ---- -Google Map --[[真養寺>https://goo.gl/maps/zfp8Dz9YnjCRWoWV9]]? --[[熊野神社>https://goo.gl/maps/MMJG1FXaUSCPJAqVA]] -[[海老沢館>http://www13.plala.or.jp/sakushiro/oshiro/oshiro_kaisetsu/fukushima/t_azbg1.html#%E6%B5%B7%E8%80%81%E6%B2%A2%E9%A4%A8]](さくらとおしろ)

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