河沼郡青津組大口村

陸奥国 河沼郡 青津組 大口(おほくち)
大日本地誌大系第33巻 114コマ目

昔はここより丑寅(北東)の方2町計に住せり。後水災を患てここに移すという。
この地上宇内村に界を接する所にて、民居多くは上宇内村の境内にあり。

府城の西北に当り行程3里29町。
家数38軒(この内28軒は上宇内村の境内なり)、東西2町間・南北1町50間、四方田圃(たんぼ)なり。

東6町西青津村に界ひ宮川を限りとす。その村まで18町40間。
西北、共に村中にて上宇内村に界ふ。その村は戌(西北西)に当り3町30間。
南1町26間笊籬屋敷村の界に至る。その村まで3町40間。

山川

宮川

村東6町計にあり。
笊籬屋敷村の境内より来り、北に流るること5町東青津村の界に入る。

倉廩

米倉

村中にあり。本組の米を納む

寺院

大泉寺

村中にあり。
海嶽山と號す。
曹洞宗慶長元年(1596年)長鷟という僧草創して永徳寺と称す。後天寧村天寧寺合下雲朔という僧住して、その師嶽應を請て開山とし大泉寺と改む。即天寧寺の末山なり。
本尊釈迦客殿に安ず。

古蹟

火消壇(ひけしだん)

村東2町30間、路傍にあり。
高3尺・周4間。
夜中燈を堤くるものここを通るに火を消すことあり。故に名くという。その謂れを詳にせず。

参照


外部リンク等



村名について

明治8年(1875年)、大口村・上宇内村が合併し大上村が発足。
明治22年(1889年)、宇内村・津尻村・大上村・見明村・八日沢村・長井村が合併し川西村が発足。
昭和30年(1955年)、坂下町・若宮村・金上村・広瀬村・川西村・八幡村が合併して会津坂下町が発足。

大上地区の社寺

法人番号公表サイトでは下記の登録がある
法人番号 商号又は名称 所在地 備考
6380005009010 大泉寺 河沼郡会津坂下町大字大上字旱泥甲119番地 大口

町史より)
6.神社
白山神社 祭神:菊理媛神 祭日:旧八月二十四日 上宇内共有地内
稲荷神社 結城氏所有山林内
山ノ神 上宇内共有地内 祭日:旧三月六日
稲荷神社 祭日:旧六月十五日 八坂神社に合祀
7.寺院
海嶽山大泉寺 本尊:阿弥陀如来坐像 像高:四十一糎 曹洞宗 大口地内
薬師堂 瑠璃光山調合寺薬師堂と称するが、現在は廃寺となり薬師堂内には前記の薬師如来像の外、日光尊像・月光尊像・聖観音像・宝光虚空蔵尊像・十二神将像(五躯)・古絵馬が保存されている。縁日:九月十二日、大上全体の祭礼日となっている。 宇内薬師。
弁財天堂 大泉寺境内 祭日:旧三月十五日
子安観音 大泉寺内に安置 祭日:三月十五日
弁財天碑 大島清輔所有山地内にあり
姥神 関脇の姥神の分霊 斎藤勝衛門氏の所有地内にあり (この関脇とは耶麻郡川東組関脇村のことか?)

大口大領と大口

延暦十七年(798年)に会津黒川住大口大領という者が岐阜の華厳寺に十一面観音を寄進している。大口大領と大口の関係は詳かでないが、徳一の会津に入る9年前のことで高寺仏教との関係から興味ある資料となる。

谷汲寺の縁起より
延暦十七年陸奥国会津郡黒川ノ郷富岡ノ住人、大口大領京師ニ上リ仏工ニ観音ノ像ヲ造ラシメ帰リケルガ、中途ニシテ彼尊像ノ霊夢ニ告ゲ給ヒシコトアレバ其ノ像ヲ此地ニ留ム。カクテ大領僧徒ト争フコトアリテ観音ノ頂上ナル十面ヲ抜取リ帰国シ会津富岡妙福寺ノ新像ノ頂ニツケ置ケリ


古地図

※地理院地図(明治43年測図/昭和6年修正測図)
最終更新:2025年11月06日 19:24