外郭の外に在て府城の四面をめぐれり。士屋敷・組屋敷・市鄽雑はれども各一区なり。
市廓の地は城北に上町・下町、東に天寧寺町、西に河原町・材木町、南に南町あり(昔は大町・馬場町・新町・後町を四町と称し、南町・河原町・材木町は大町に属し、甲賀町は馬場町に属し、博労町・天寧寺町は新町に属せり。今も郭外の町々にて事あれば常にこの四町の撿斷これを捌くことはこの因ある故なり。
外郭の諸門より街衢連続して縦横相通し、商売肆をつらね工匠軒をならぶ。葦名氏の時まで(~天正17年(1589年))は市鄽多く郭内の地に在て士商雑居せり。蒲生氏就封の初(天正18年(1590年)~)市街宅地を改制する志ありしが、軍務に暇なく未(だ)その事に及ばざりしに
黒かはを 袴にたちて きて見れば
まちのつまるは ひたの狭さに
という落書あり。氏郷弥志を決して文禄元年(1593年)6月に馬場町より西の町々を郭外に移し甲賀町より東の町々を増広め、毎月の市日を定め町々に市立有て(一八・馬場町、二七・本郷町、三三・三日町、四九・桂林寺町、五十・大町、六六・六日町)、遠近より群集して有無を交易するに便よく家々給し人々足りて今日に至れり。
昿平の地にあれども四方に高山連ねる故暑は晩く寒は早し。大抵大暑の頃より暑気すすみ8月より冷気催し9月四山に雪降り10月中旬より平地に積り6~7尺に至ることあり。11月より寒気烈しく氷雪凝結し道路滑にして行人屐を着ることを得ず、藁沓を踏て通行す。牛馬轎輿の往来途絶え雪車を以て諸物を運送す。簷下の氷条大なる者椽の如く下垂して地に至る。家々の戸牖に新薦をかけて風寒を防ぐ。年の寒暖により遅速あれども大様春分の頃より宿雪稍消し梅花漸く綻び、榖雨の頃を花候とす。
習俗は葦名・蒲生・加藤家士の子孫残れる遺風にや書を読み武器を習う者往々にあり。近頃より7歳以上より15歳までの兒童を町々に会集して、個人の嘉言善行を講し身を慎み威儀を正うする事を教ふ。
昔は婚姻後始て舅家にゆく時水を灌くことあり。この戯に因て屢闘争に及びし故萬治2年(1659年)に禁じて今はなし。
近隣の者死すれば一日店を閉て商売せず。2、3日の間は営作の事をなさす。
往還の旅人病に罹る者をば留置て医療を加え平癒して帰国せしむ。
主人遠方にゆき兒女家を守り、或は鰥寡孤獨の類は五人組にて冬月道路幷屋上の雪を拂う。
正月10日大町の初市なり。大晦日より大町の南に春日明神・北に住吉明神の假屋を構置き、10日の朝白米5升を方器2に盛り祈年の祭りあり。その後米引とて白米5升を俵に入れ、一人翁の面を蒙り古圑を携え荷杖を衝き俵を背負い
検断倉田という者の屋上に
升り俵を街上に投す。総町の若者大勢待受け両方に分れ力を出して引(き)争う。東南の方勝ばその年の米価貴く、西勝てば米価安しといい伝う。また方器の米を紙に包み屋上に置く。初稲買とて参詣の者これを求て家に帰る。総町の米穀を売買する者倉田が家に集り諸穀の価値を定む。この日遠近より群集して諸物を商うこの市祭は、至徳元年(1384年)葦名直盛府城を築きし初より今にその事絶えずという。
14日家々にて
水木という木の枝(この木を若木と称す)に団子をさし座中に飾り諸神に供し豊年を祈る。20日の朝に取をさむ。この団子を煎たる湯を取おき、果園にゆき刃物にて梨柿等の諸木にすこしく疵付この湯
少許を灌げば実を結ぶこと多しという。この夜「かせとり」という者来る。簑笠を着(け)面を覆い宝貨農具の類を
畫き人家に持ちゆき門戸を叩けば、内より米銭を持出与て水を灌ぐ(農家にては「かせとり」に水を灌げばその年の養水乏からずという)。「かせとり」に出る者はその年疾病なしという。葦名亀王丸2歳の時、府下に「かせとり」を出せしことありといい伝う。
この月の中、穢多
福吉蠶種數をいう事を称へ家々に来て歳首を賀す。→
福吉の詞・蚕種数の詞
近村より
田植躍(
早乙女ともいう)とて男子女籹に出立ち、太鼓を打ち農歌をうたひ来る。5日頃より家々にて親戚を合し宴楽す。これを名けて節合という。
2月8日竹器の目多きものを懸れは疫神家に入らすとて、竿上に竹籠をかけ高く掲く。
15日穀屋酒屋唐にて「つぼ団子」というものを製す。地上の諸穀を集置きこの日団子を作り食す。
彼岸7日の間滝沢・高久・南青木組より獅子踊いつる。雌獅子雄獅子大夫獅子の3頭あり。笛を吹き太鼓を打ち剣舞弓くぐり等の芸あり。
5月5日菱巻というものを製す。笹の葉に糯米を包み形三稜にして菱角に似たり、因て名く。
7月朔日百堂参とて諸寺諸堂に参詣す。大町東明寺閻魔堂に近村の老父集り念佛太鼓を打つ。先廻向とて念佛の功徳を称し鉦鼓を合奏す。また新たに憂にあたる者は今日より河沼郡冬木沢村八葉寺に参詣す。今夜より兒童多く小
挑燈を燃し街上を群行す。盆中店を閉て家業をととめ親戚共に祖先の墓所に参て挑燈を燃やし門戸に燈籠を懸く。遊観する者多し。
26日より28日まで郭内諏訪神社の祭禮あり。この神は総町の生土神なる
故社内に至て祭式の設に供給し老若参詣して神楽を奏し家毎に燈籠をかけ近邊の町々にて親戚を饗す。
8月5日同社の
授光祭なり(
諏訪神社の条下と併見るべし)。府下町々を二分にし神輿を供奉して郭内外を巡行す。町毎に萬度の秡形に綵剪の花柳を飾り屋臺に故事の人物を作り兒女の華飾を争い糸竹の新曲を競う。人数凡2000余人、見物の男女遠近より群集す。明日再び神殿にて詣で神酒を拝飲しその残りの街衢を廻る。
14日より16日まで
鳥居町伊舎須弥神社の祭禮なり。社前に商人多く集り十五夜明月に供する。諸菓をひさく上町にて家毎に燈籠を懸け親戚を請す。
10月10日
菜年越とて蔓・菁・蘿葡を食はず。
12月朔日「川びたり餅」を製し節分の夜儺豆を焼く(共に
会津郡の部に詳なり)。
- 上町
- 大町、馬場町、一之町、二之町、三之町、四之町、五之町、甲賀町、大工町、六日町、博労町、鳥居町、杣丁、槻町、堅三日町、本郷町、中六日町、野伏町、中六日町横丁、堀江丁、横三日町、行人町、南横町、屋敷町、愛宕町、阿彌陀町、臺町、寺町、東名子屋町、組町
- 下町
- 老町、北小路町、七日町、紺屋町、原町、道場小路、桂林寺町、後分町、諏訪四谷、赤井丁、當麻丁、大和町、融通寺町、西名子屋町、當麻中町、針屋町、善久町
- 天寧寺町
- 徒町
- 上長丁、下長丁、藥園前通、新丁、一乗寺前通、中丁、浄光寺通、隍端通、下隍端、六軒丁、東大工丁、浄光寺前通、法林寺前通、横通、願成就寺前通、清水丁、高井丁
- 千石町
- 一番丁、二番丁、中間町、専福寺脇片原丁、高井丁通、専福寺前通、藥師前通、鷹匠町、餌指町
- 外小田垣
- 小田町
- 組町、厩町、長柄町、横通、長柄町、小田町、宗英寺河原通、極樂寺前通、河原新丁
- 南町
- 中町、花畑通、晒屋町、十五軒町、河原新丁、中横町、常慶寺町、十軒丁、西横町、堅町、湯川端丁、二十軒町、年貢町、若葉丁
- 象眼町
- 弓丁、鐵炮町、稲荷丁
- 漆原組町
- 一番丁、二番丁、三番丁、四番丁、五番丁、六番丁、堅町通
- 花畑
- 大通、花畑口通、隍端通、西通
- 花畑組町
- 河原通、裏通、一番丁、二番丁、三番丁、四番丁、五番丁、片頬丁、石塚向河原丁、石塚向丁
- 石塚
- 新町
- 湯川端通、横通、一番丁、二番丁、三番丁、横通、觀音裏通、新丁
- 河原町
- 材木町
- 河原町新丁
- 片原町
- 柳原組町
- 一番丁、二番丁、三番丁、四番丁、横通、柳原町
- 半兵衛町
- 烏橋通、水主丁、横丁通、新丁通、新丁、横丁、袋丁、中河原町
- 半兵衛町組町
- 一番丁、二番丁、三番丁、四番丁、五番丁、横通
- 手明町
- 滝沢町
- 妙法寺前通、八十人町長丁、同中丁、同一番丁、同二番丁、同三番丁、同四番丁
- 持筒町
- 四軒丁
- 同心町、滝沢町、蠶養口、中村
- 千軒道
- 紫雲寺前通、木戸千軒道
- 糠塚町
- 通丁、松円寺前通、裏町、外裏町、裏町、木椎町、新田丁
最終更新:2020年09月30日 22:01