蒲原郡鹿瀬組

越後国 蒲原郡 鹿瀬(かのせ)*1
大日本地誌大系第34巻 32コマ目

この地府城の西北に当り本郡の東にあり。
東は陸奥国耶麻郡吉田組に続き、西は津川町に接し、南は海道組に界ひ、北は下條組及び米沢領出羽国置賜郡に隣る。

東西5里(東は吉田組杉山村の山界より、西は津川町の界に至る)。
南北7里18町(南は海道組八田村の山界より、北は置賜郡の山界に至る)。

村里みな山間に住し大抵揚川に傍ひ、薪樵(しんしょう)の便よく漁猟(ぎょりょう)の利あれども、田圃(たんぼ)少し。農隙(のうげき)に炭を焼き伐木(ばつぼく)を伐り熊・羚羊(れいよう)を猟て生産の資とし、津川町に出て塩を買い耶麻郡小荒井・小田付の諸村に運送し米穀に()*2
船渡・日出谷等の村々は陸奥国大沼郡の方より伐出せる材木の筏を乗り、麦生野・新渡・船渡・馬取等の諸村は葛根を掘り或は紙を漉き、鹿瀬村・日出村にては勝栗・乾柿(ほしがき)を製し鹿茸(ししたけ)紫萁(せんまい)を採て(ひさ)ぎ出す。
実川村は高山の麓にて8月の末より山々に雪降り、寒気(いた)く雪積ること9尺計、4月の初まで残雪あり。因て多く蕎麦・粟の類を植えるのみにて水田なかりしに、近頃少しく田地を墾発しやや秋実(しゅうじつ)を得る年ありという。
また揚川の左右に()ふ村々は間近く相向えども、川荒く急流にて(たやす)く船を渡し難く急用を弁じ難き(ゆえ)、川岸より大綱をわたし、藤蔓(ふじづる)にて周1尺計の輪を作り細き縄を付け大綱に通しこれに物を結び、桐貝(きりかひ)とて長5、6寸・周2、3寸計に桐を削り中を空虚(くうきょ)()り、その(おと)宝螺(ほうら)*3に似たるものを吹いて相図(あいず)をなし両岸に出向いこれを引いて互いに用を弁す。土俗繰綱(くりつな)と唱ふ。

この組の諸村郷名を失う。共に小川荘と称す。
総て9ヶ村あり。

最終更新:2020年10月13日 23:02
添付ファイル

*1 雄山閣版では「鹿島組」となっているが、正しくは「鹿瀬組」。

*2 易ふ:交換すること

*3 宝螺:法具として使う法螺貝(ほらがい)の事