蒲原郡上條組

越後国 蒲原郡 上條組
大日本地誌大系第34巻 44、51コマ目

この地府城の西に当り本郡の東にあり。
東は陸奥国河沼郡野沢組大沼郡大石組に隣り、西は下條組に交わり、南は大沼郡大石大沼郡大塩両組に連なり、北は海道組に接す。

東西7里計(東は大石組宮崎村の山界より、西は下條組西村の山界に至る)。
南北9里18町計(南は大塩組塩沢村の山界より、北は海道組田沢村の山界に至る)。

村里大抵(たいてい)山間に住し、田圃(たんぼ)少なく米穀乏し。専ら山中の草木を焼き雑穀の種子を撒いて食料とす。ただ野中村・高清水村・大田村の辺平野にて田畝あり。
薪樵(しんしょう)の便よく、室谷川・柴倉川の流れ有て釣漁(つりりょう)の利あれども、川に近き村々は洪水の患あり。室谷川に()ふ所は多く鮎を捕て(ひさ)ぎ出す。
地勢、山高く谷深く縦横に通路ならず。九島村より野中・小出・東山の諸村を()て土井・柴倉の2村に出るを俗に東通(ひかしとほり)と唱え、太田村より粟瀬・明谷沢・安用・押手等の村々を通り大尾村に至るを中通(なかとほり)という。太田村より八田蟹村に至り橡堀・広瀬の村々を過ぎ室谷川に沿い南して室谷村に往くを西川通(にしかはとほり)と名け、3条の路あり。みな嶮難(けんなん)にて西川通少しく平易(へいい)なり。
寒早く暑遅く雪深くして、農務の候広平の諸村に比すれば10日余或は20日計の差あり。
また深山の諸村にて熊を捕るに、雪中大木のウロに篭れるは陀の木を伐てその口を塞ぎウロの脇を斧にて伐ひらき鎗にて突殺す。岩穴に篭れば、その口の左右に鎗を持ち外に一人(みの)を着て穴中に入り漸々に熊にせまる。熊飛出るとき左右にある者これを突き、()し過ぎては身体を(こぼ)すこと多し。また(せい)*1を作り木石を()してとることあり。土俗これを「おそ」と唱ふ。また巻山(まきやま)とて数人にて山下より追い(のぼ)せ狩人よきつまり*2に待受け、(ほこ)長く柄短き鑓にて迎えて突殺し或は鉄鉋にてうち殺す。(すべ)て熊をとること諸組の皆同じ。
年により猿多く田圃を害する故、猿巻(さるまき)とてその篭れる山を遠巻してこれを狩る。その皮を着て寒威(かんい)をふせぐ。また羚羊(れいよう)を取て皮を(ひさ)ぐ。
農隙(のうげき)に塩俵を作り津川町に出し、炭を焼き材木を伐り筏を下し、また紫萁(せんまい)を採り乾てこれを売り、勝栗・串柿を製し紙を漉き、葛根を掘て粉となし生産を資く。

この組の諸村郷名を失う。共に小川荘と称す。
総て30ヶ村あり。

最終更新:2020年11月01日 21:26
添付ファイル

*1 落とし穴

*2 行き止まりの事か?