府城の西南に当り行程18里5町。
東西2区に分かれその間3町を隔つ。
東の1区。家数12軒、東西2町・南北1町。
西の1区。家数20軒、東西3町・南北50間。
共に北は檜枝岐川に近く3方は山廻れり。
東28町
和泉田組大倉村の界に至る。その村まで1里5町。
西8町
黒谷村の界に至る。その村まで12町。
南7町
黒谷村の山に界ふ。
北6町
荒島村に界ひ檜枝岐村を限りとす。その村まで8町。
小名
深沢
本村の東26町にあり。
家数8軒、東西2町・南北30間。
北は檜枝岐川近く3方に山廻れり。
(延寶の頃(1673年~1681年)までは波安新田村とて格村なり。今この村に属す旨趣詳ならず)
山川
檜枝岐川
村西6町にあり。
大倉村の境内より来り、
米沢・
上沢・
下沢・
杉沢・
長濱沢・
足沢・
宮沢等の流を受け、西に流るること30町
黒谷村の界に入る。
神社
鬼渡神社
村南1町30間にあり。
鳥居拝殿あり。黒谷村木津式部が司なり。
古蹟
古戦場
村西6町にあり。
唱崎という。
相伝う。高倉宮渡部長七唱等を従えて此処に落たまひしに、河沼郡柳津村に住せし石河(川?)冠者有光と云う者が襲来りしが、唱はこの村の清水淡路某と云う者のたのみ宮をば楢戸村に落し奉り、そのまま淡路と共に黒谷川を後に当て防戦ひしかば、石川ついに此処にて討たれ、残る軍兵も多く討死せしとぞ。因って屍を1処に埋めし処なりとて、長10間・幅1間・高3尺の塚あり。今猶往々の兵器の朽ち折れたるを得ることありと云う。
長浜付近の古地図
※地理院地図(大正2年測図/昭和8年要部修正)
深沢の南に神社のマークあり
最終更新:2024年02月14日 21:15