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&italic(){――狂気とは、可能性の類似語である。} &italic(){正気を保つ者ほど、自分の認識の範囲を踏み越えられない。} 人間含め、全ての生物が新たな進化を得てきた要因は、紛れも無く狂気だ。 意味を理解されない行動は、新たな意味を創造する。 常識的でない決断は、常識では辿りつけない扉を開く。 君はその可能性に負けた。 だからその可能性に賭けた。 故に、君は既に万能の神ではない。 認識し、探求し、開闢せよ。 ――世界の果て、可能性の境界線より君を待つ。 ◎◎◎ 「……私には……わから……」 ――胡桃は、それだけ呟いて、眠った。 うつ伏せに倒れた状態のまま、彼女はぐったりと力が抜けた体を無造作に放り出していた。 駆けつけたスタッフよって運ばれていく時も、まだ意識はあったローレライやブライアンとは違い、 担架から零れた彼女の腕は、力無くだらん、とぶら下がっていた。 ――確かに、彼女の肉体は一流のドーナツ喰いとして鍛えあげられてはいた。 しかし、だからこそ、この戦いの重圧には耐えられなかったのだ。 ……ここには、砂糖一粒も存在しない。周囲の空気は金属として実体化したかのように、酷く重く、冷たくのしかかる。 胡桃は挑戦こそした。だが、その予想を超えた極限の戦場に耐え切れず、敗北したのだ。 「あ……ああ、ああ……」 我ながら情けない悲鳴だった。しかし、それぐらいしか私の喉をついて出るものはなかった。 今思えば、第一回戦のドーナツ川などというものは、あまりに生易しい世界だった。 あの程度で狂気を感じていた私の認識など、結局エクジコウという神になってもなおたかが知れていたのだと、私は目の前の惨劇を見て思い知った。 「……」 横を見れば、ムスタングも口をつぐんでいた。 表情はやはり変わっていない……が、その眼差しはやはり、かすかに震えている。 確かにパンフレットにはどんな勝負なのかも書いてあったし、彼女もそれを読んでいた。 しかし実際目の前にして実感を伴ったそれは、ただ予告されただけの地獄だった。 最終決戦。 それは、それまで満ち溢れていた会場の熱気を覆した、静かで、冷たくて――それでいて、見る者全てが息を呑む戦いだった。 まるで、神話の聖戦を眼前にしているかのように。 最後の審判を行うべく降臨した神の姿を捉えたかのように。 ――競技名、“ドーナツ・ソウル・エヴォリューション”。 『ドーナツ魂の覚醒』を意味するその言葉は、その有り様を端的に表現していた。 ……今ここに、目の前に存在する景色を端的に表現すると、こうなる。 『互いに対戦相手である金髪の父娘が、  何も吊るされていない紐だけが5つ垂れ下がった、パン食い競争用らしき横棒付き台座をただ凝視している』 自分でも、狂気めいたことを言っているのは理解している。 だが……今、目の前にあるその光景は、狂気の光景以外の何者でもありえない。 彼らは穴が空くほど虚空を見ている。 いや、違う。彼らは文字通り『穴を見ている』のだ。 ……ドーナツには、『穴』が存在する。 聞けば、一流のドーナツ喰いはドーナツを喰らう時に『穴』すら残さず食べてしまうという。 しかし、『穴』とはすなわち『無』。『有』である外周のドーナツリング本体と対になる概念でもある。 そう。つまり、この戦いは。 ドーナツという概念を構成する最重要要素にして、外周が無ければ容易に認識できない『穴』。 それを己のドーナツ感覚で認識し、5つある紐のどれかに吊るされた、『あえて穴だけ残して喰われたドーナツ』を『食べきる』ことで勝利となる。 「一流ドーナツ喰いなら、自身で認識し観測した『穴』を食べるのは当然のスキルとして身に着けている。 でも、『穴』はドーナツ究極最後の醍醐味にして、ドーナツ真理への到達に直結する超自然的な存在。 その為に、『穴』の認識においては、それぞれドーナツ喰いによって異なる感覚的アプローチが存在する」 「それ故に、ドーナツ喰いは『自分が観測(たべ)たドーナツの穴』を認識することはできるが、 一方で『他者が観測(たべ)たドーナツの穴』は、自身の中に存在する観測感覚が異なるために、容易に認識できない。 認識するには、恐るべき修行によって、ドーナツ認識を極限まで研ぎ澄ます必要があるんだぞ」 「それこそ、ドーナツ真理に近い域までに」……そう締めくくられたムスタングの説明自体は言葉としては認識できた。 だが、それを実際にやれと言われれば、私にはあまりに手が遠い領域だった。 それはまるで、他者の感覚で、寸分違わず自分の感覚を保て、と言われているに等しい。 それなのに。 ――マキータと秋那は、5つの紐を、見つめている。 自らに備わった、ドーナツ認識能力を極限にまで研ぎ澄ませて。 そこに確かに残存しているはずの、ドーナツ存在の名残を感知する為に。 「……視えるの、彼らは――?」 「それは俺には知る由もないんだぞ。ただ、あの父娘は……」 私の問いに答えを返したムスタングの声は、そこで一旦断ち切られた。 ――マキータと秋那。両者がほぼ同時に、静かに瞼を閉じたからだ。 「――」 「――」 観客達までもが息を呑み、二人の戦士の様子を見守る。 それは、形容するならば一種の瞑想に近いものすらあった。 ……瞳は、明確なカタチを持って存在するドーナツの『外周』を認識できる。だが『穴』を視認はできない。 ならば、必要になる道理は逆になる。 それはすなわち。 ――『外周』を認識できない代わりに、『穴』を認識できるモノ……『ドーナツ第三の眼』を使う。 ある時は『超感覚』、ある時は『第六感』とさえ形容されてきた『それ』を、彼らは今、呼び起こしているのだ。 静かな呼吸の中。……ただ、額に汗を浮かべながら。 ――感じ取るべきは、まだ存在する僅かなドーナツの気配。 ――この世界に確かに存在した、ドーナツの最後の破片。 ――――世界が、止まったかのようだった。 ――突然。 マキータと秋那が、ほぼ同時のタイミングで閉じていた瞳を開けて。 どっちもそれぞれステージを踏み割ろうとしたかのような、落雷のような音を立てて、大きく踏み込んだ! ――二人の目指すのは、どちらも同じ、右から2番目の紐。 ――それを見て、互いが互いに同じ結論に到達したことを確認する。 ――元々近い位置にあった台座との距離が、縮まる。それはまるで、世界がスローモーションになったかのように。 「だああああああああああああああああ――!!」 「やああああああああああああああああ――!!」 ――それは、僅かな刹那。 頂を望む覚悟も、判断も、動き出すタイミングも、全て互角な両者の『差』は、僅かな筋肉の駆動差のみだった。 ……戦いの果て。 人間の肉体の限界など、とっくに超えた糖分量を飲み干して。 『穴』と繋がるその紐を、確かにその口の中に頬張って。 ただ円環の先、真理を示す味へと到達した者は、静かに『穴』を飲み込んだ。 ――金色の髪をなびかせながら。 多くの犠牲を踏み越え、膨大な糖分の夢の、その最果てを。 ただ静かに、その紫の瞳は、『リング・オブ・リジアン・ドリーム』へと向けられた。 「―――ゲエエエエエエエエエエエエエエエエエエエェェム・セアアアアアアアアアアアアァァッ!! ウィナアアアア――― アッッッキイイイイイイイイナアアアア、テエエエエエエエエエエエリイイイイイイッッッ!!!!」 ――地を揺るがす、万雷の喝采。 ――天を埋め尽くす、色鮮やかな紙吹雪。 ――壮絶な戦いを制した、決して大きくないその背中が振り向かれ、真っ直ぐに向き直る。 「――私は秋那・テーリッツ。  この世全てのドーナツを極めし者――“ドーナツ王”改め、“ドーナツ女王”よ!!!!」」 ――世界に刻んだその言葉が、響き終わるのを待ってから。 秋那は全部で3個用意されたリングのひとつを手に取り、口を開けて――。 「――」 秋那が、その真理に辿り着いた。 その両の目から、溢れるほどの歓びの涙を流しながら。 それでも『真理の味』をなにひとつ言及することなく。 ただ当然の権利として、自身の舌と記憶にだけ、確かに焼き付けていた。 固く握った右腕で穹を貫き、ぽろぽろと涙を零しながら天を仰ぐその姿は、あまりに尊く。 すぐ隣で、自身の敗北と時の遷ろいを認め、 純白のコートとチャンピオンベルトを明け渡す父の微笑みを、その背中に受けながら。 ――いつの間にか、ぼろぼろと零れ出した涙を拭うことすら忘れて。 私はムスタングや今この場にいる全ての者達と同ように、英雄の名を讃え、叫んだ。 「「「「「「「アキナ! アキナ!! アキナ!!! アキナ!!!!―――」」」」」」」 ---- 「――どうだった、感想は」 まだ会場の熱気冷めやらぬ中、ムスタングが歩きながらそう言ってきた。 答えるまでもない。――私は、感無量だった。 私の想像をはるかに超える、人間の確かな可能性を、この眼で確かに見た。 あれこそが、人間が歩みを続けてきた理由。 多くの犠牲を踏み越え、それを糧に、更に遥かなる臨みへと到達する。 人間の欲望、信念、可能性――その輝きは、私がこの奇妙な世界に来る前に、確かに信じたものだった。 「――そうだろう。あれこそが、お前が探すべきモノだ」 ムスタングの、諭すような声がした。 「……ムスタング……?」 雑踏の流れに逆らうように、私達は動きを止める。 ムスタングの紅の瞳は――無表情のようで、どこかに私を試すような、不可思議な色を宿していた。 ――真っ白な髪と、茶色のコートが。 私達の間をかすかに吹き抜ける風に流されて、静かに広がった。 「――お前が疑問を抱いた通り。  この世界には、いるはずのない者が、いるはずのない場所にいる。  いてはならないはずの者が、いてはならない時代にいる。  それは、世界が望んだ忘れ形見。  人間、アームヘッド……全ての生命が持つ可能性。  お前はそれを知り、蒐めるためにここにいる」 「――可能性の結晶。  有りえた景色の走馬灯。  世界が今際の際に見た、最期の白昼夢。  ――ようこそ、『ラストヘブン』へ。  願わくば、君が最後に見る夢が、色鮮やかな絵物語となることを――エクジコウ」
――狂気とは、可能性の類似語である。 正気を保つ者ほど、自分の認識の範囲を踏み越えられない。 人間含め、全ての生物が新たな進化を得てきた要因は、紛れも無く狂気だ。 意味を理解されない行動は、新たな意味を創造する。 常識的でない決断は、常識では辿りつけない扉を開く。 君はその可能性に負けた。 だからその可能性に賭けた。 故に、君は既に万能の神ではない。 認識し、探求し、開闢せよ。 ――世界の果て、可能性の境界線より君を待つ。 ◎◎◎ 「……私には……わから……」 ――胡桃は、それだけ呟いて、眠った。 うつ伏せに倒れた状態のまま、彼女はぐったりと力が抜けた体を無造作に放り出していた。 駆けつけたスタッフよって運ばれていく時も、まだ意識はあったローレライやブライアンとは違い、 担架から零れた彼女の腕は、力無くだらん、とぶら下がっていた。 ――確かに、彼女の肉体は一流のドーナツ喰いとして鍛えあげられてはいた。 しかし、だからこそ、この戦いの重圧には耐えられなかったのだ。 ……ここには、砂糖一粒も存在しない。周囲の空気は金属として実体化したかのように、酷く重く、冷たくのしかかる。 胡桃は挑戦こそした。だが、その予想を超えた極限の戦場に耐え切れず、敗北したのだ。 「あ……ああ、ああ……」 我ながら情けない悲鳴だった。しかし、それぐらいしか私の喉をついて出るものはなかった。 今思えば、第一回戦のドーナツ川などというものは、あまりに生易しい世界だった。 あの程度で狂気を感じていた私の認識など、結局エクジコウという神になってもなおたかが知れていたのだと、私は目の前の惨劇を見て思い知った。 「……」 横を見れば、ムスタングも口をつぐんでいた。 表情はやはり変わっていない……が、その眼差しはやはり、かすかに震えている。 確かにパンフレットにはどんな勝負なのかも書いてあったし、彼女もそれを読んでいた。 しかし実際目の前にして実感を伴ったそれは、ただ予告されただけの地獄だった。 最終決戦。 それは、それまで満ち溢れていた会場の熱気を覆した、静かで、冷たくて――それでいて、見る者全てが息を呑む戦いだった。 まるで、神話の聖戦を眼前にしているかのように。 最後の審判を行うべく降臨した神の姿を捉えたかのように。 ――競技名、“ドーナツ・ソウル・エヴォリューション”。 『ドーナツ魂の覚醒』を意味するその言葉は、その有り様を端的に表現していた。 ……今ここに、目の前に存在する景色を端的に表現すると、こうなる。 『互いに対戦相手である金髪の父娘が、  何も吊るされていない紐だけが5つ垂れ下がった、パン食い競争用らしき横棒付き台座をただ凝視している』 自分でも、狂気めいたことを言っているのは理解している。 だが……今、目の前にあるその光景は、狂気の光景以外の何者でもありえない。 彼らは穴が空くほど虚空を見ている。 いや、違う。彼らは文字通り『穴を見ている』のだ。 ……ドーナツには、『穴』が存在する。 聞けば、一流のドーナツ喰いはドーナツを喰らう時に『穴』すら残さず食べてしまうという。 しかし、『穴』とはすなわち『無』。『有』である外周のドーナツリング本体と対になる概念でもある。 そう。つまり、この戦いは。 ドーナツという概念を構成する最重要要素にして、外周が無ければ容易に認識できない『穴』。 それを己のドーナツ感覚で認識し、5つある紐のどれかに吊るされた、『あえて穴だけ残して喰われたドーナツ』を『食べきる』ことで勝利となる。 「一流ドーナツ喰いなら、自身で認識し観測した『穴』を食べるのは当然のスキルとして身に着けている。 でも、『穴』はドーナツ究極最後の醍醐味にして、ドーナツ真理への到達に直結する超自然的な存在。 その為に、『穴』の認識においては、それぞれドーナツ喰いによって異なる感覚的アプローチが存在する」 「それ故に、ドーナツ喰いは『自分が観測(たべ)たドーナツの穴』を認識することはできるが、 一方で『他者が観測(たべ)たドーナツの穴』は、自身の中に存在する観測感覚が異なるために、容易に認識できない。 認識するには、恐るべき修行によって、ドーナツ認識を極限まで研ぎ澄ます必要があるんだぞ」 「それこそ、ドーナツ真理に近い域までに」……そう締めくくられたムスタングの説明自体は言葉としては認識できた。 だが、それを実際にやれと言われれば、私にはあまりに手が遠い領域だった。 それはまるで、他者の感覚で、寸分違わず自分の感覚を保て、と言われているに等しい。 それなのに。 ――マキータと秋那は、5つの紐を、見つめている。 自らに備わった、ドーナツ認識能力を極限にまで研ぎ澄ませて。 そこに確かに残存しているはずの、ドーナツ存在の名残を感知する為に。 「……視えるの、彼らは――?」 「それは俺には知る由もないんだぞ。ただ、あの父娘は……」 私の問いに答えを返したムスタングの声は、そこで一旦断ち切られた。 ――マキータと秋那。両者がほぼ同時に、静かに瞼を閉じたからだ。 「――」 「――」 観客達までもが息を呑み、二人の戦士の様子を見守る。 それは、形容するならば一種の瞑想に近いものすらあった。 ……瞳は、明確なカタチを持って存在するドーナツの『外周』を認識できる。だが『穴』を視認はできない。 ならば、必要になる道理は逆になる。 それはすなわち。 ――『外周』を認識できない代わりに、『穴』を認識できるモノ……『ドーナツ第三の眼』を使う。 ある時は『超感覚』、ある時は『第六感』とさえ形容されてきた『それ』を、彼らは今、呼び起こしているのだ。 静かな呼吸の中。……ただ、額に汗を浮かべながら。 ――感じ取るべきは、まだ存在する僅かなドーナツの気配。 ――この世界に確かに存在した、ドーナツの最後の破片。 ――――世界が、止まったかのようだった。 ――突然。 マキータと秋那が、ほぼ同時のタイミングで閉じていた瞳を開けて。 どっちもそれぞれステージを踏み割ろうとしたかのような、落雷のような音を立てて、大きく踏み込んだ! ――二人の目指すのは、どちらも同じ、右から2番目の紐。 ――それを見て、互いが互いに同じ結論に到達したことを確認する。 ――元々近い位置にあった台座との距離が、縮まる。それはまるで、世界がスローモーションになったかのように。 「だああああああああああああああああ――!!」 「やああああああああああああああああ――!!」 ――それは、僅かな刹那。 頂を望む覚悟も、判断も、動き出すタイミングも、全て互角な両者の『差』は、僅かな筋肉の駆動差のみだった。 ……戦いの果て。 人間の肉体の限界など、とっくに超えた糖分量を飲み干して。 『穴』と繋がるその紐を、確かにその口の中に頬張って。 ただ円環の先、真理を示す味へと到達した者は、静かに『穴』を飲み込んだ。 ――金色の髪をなびかせながら。 多くの犠牲を踏み越え、膨大な糖分の夢の、その最果てを。 ただ静かに、その紫の瞳は、『リング・オブ・リジアン・ドリーム』へと向けられた。 「―――ゲエエエエエエエエエエエエエエエエエエエェェム・セアアアアアアアアアアアアァァッ!! ウィナアアアア――― アッッッキイイイイイイイイナアアアア、テエエエエエエエエエエエリイイイイイイッッッ!!!!」 ――地を揺るがす、万雷の喝采。 ――天を埋め尽くす、色鮮やかな紙吹雪。 ――壮絶な戦いを制した、決して大きくないその背中が振り向かれ、真っ直ぐに向き直る。 「――私は秋那・テーリッツ。  この世全てのドーナツを極めし者――“ドーナツ王”改め、“ドーナツ女王”よ!!!!」」 ――世界に刻んだその言葉が、響き終わるのを待ってから。 秋那は全部で3個用意されたリングのひとつを手に取り、口を開けて――。 「――」 秋那が、その真理に辿り着いた。 その両の目から、溢れるほどの歓びの涙を流しながら。 それでも『真理の味』をなにひとつ言及することなく。 ただ当然の権利として、自身の舌と記憶にだけ、確かに焼き付けていた。 固く握った右腕で穹を貫き、ぽろぽろと涙を零しながら天を仰ぐその姿は、あまりに尊く。 すぐ隣で、自身の敗北と時の遷ろいを認め、 純白のコートとチャンピオンベルトを明け渡す父の微笑みを、その背中に受けながら。 ――いつの間にか、ぼろぼろと零れ出した涙を拭うことすら忘れて。 私はムスタングや今この場にいる全ての者達と同ように、英雄の名を讃え、叫んだ。 「「「「「「「アキナ! アキナ!! アキナ!!! アキナ!!!!―――」」」」」」」 ---- 「――どうだった、感想は」 まだ会場の熱気冷めやらぬ中、ムスタングが歩きながらそう言ってきた。 答えるまでもない。――私は、感無量だった。 私の想像をはるかに超える、人間の確かな可能性を、この眼で確かに見た。 あれこそが、人間が歩みを続けてきた理由。 多くの犠牲を踏み越え、それを糧に、更に遥かなる臨みへと到達する。 人間の欲望、信念、可能性――その輝きは、私がこの奇妙な世界に来る前に、確かに信じたものだった。 「――そうだろう。あれこそが、お前が探すべきモノだ」 ムスタングの、諭すような声がした。 「……ムスタング……?」 雑踏の流れに逆らうように、私達は動きを止める。 ムスタングの紅の瞳は――無表情のようで、どこかに私を試すような、不可思議な色を宿していた。 ――真っ白な髪と、茶色のコートが。 私達の間をかすかに吹き抜ける風に流されて、静かに広がった。 「――お前が疑問を抱いた通り。  この世界には、いるはずのない者が、いるはずのない場所にいる。  いてはならないはずの者が、いてはならない時代にいる。  それは、世界が望んだ忘れ形見。  人間、アームヘッド……全ての生命が持つ可能性。  お前はそれを知り、蒐めるためにここにいる」 「――可能性の結晶。  有りえた景色の走馬灯。  世界が今際の際に見た、最期の白昼夢。  ――ようこそ、『ラストヘブン』へ。  願わくば、君が最後に見る夢が、色鮮やかな絵物語となることを――エクジコウ」

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