――大質量同士が拮抗する、悲鳴のような金切り音。 空気を引き裂く残響は、スピーカーを通り越し、コクピットの中にまで直接届いた。 更に空気を揺らす、重く、低い駆動音。 機体前面部に儲けられた口のような機構を大きく開けながら、 炎を纏う鉄塊は、まるで生物のようなおぞましい咆哮を上げた。 各部から噴出する炎は怪物の狂気を反映するかのようになおも燃え盛り、 こちらの装甲を、じりじりと黒く焦がしてゆく。 「アイリーン。あれはただ直進して破壊することに特化した強襲機だ。 単純な押し合いなら、正直アスモデウスでもジリ貧なんだぞ」 「……解ってるわ、そんなことくらい」 ムスタングの冷静な指摘に、私は静かに頷いた。 だからこそアームホーン製の槍で、一刻も早いアームキルを狙っているのに。 なのに―― ――がぎん、という不吉な金属音。 グリディイーターの進撃を押し留め続けていた左腕部の装甲が負荷によって砕け散り、銀色の破片となって周囲に散らばった。 剥き出しになったバイオニクルフレームの不快感をシンクロで感じながら、 私ななおもアスモデウスの出力を上げ、必死に押し留める。 「――内部構造のせい、か」 私は記憶を頼りに、アームキルが中々発生しない原因に辿り着いた。 グリディイーターは操縦者を取り込む怪物のような性質とは裏腹に、その構造はバイオニクルフレームの割合が少ない、ほぼ機械の怪物だ。 ……槍が、フレームに届いていないのだ。 「ちょっと厄介だな。コクピット位置とか覚えてるか、アイリーン」 「……確か、機体の下側、後方寄りの部分だった。でも……」 「離せば、電車は粉々か。おまけに位置が位置だから狙いにくい」 ――冷徹とさえ言えるほどの的確な指摘に、 私はぎり、と奥歯を噛みしめて、操縦桿を握り直した。 ――静かに、私は声を封じる。 グリディイーターの噴き出す炎に装甲を焼かれる感覚を味わいながらも、 私は機体出力を最大限に維持したまま、思考を巡らせた。 ……相手の目的はひたすらに電車の破壊。 ……対するこちらは力負け、かつ槍が効きにくい。となれば。 ――思考に意識を置きすぎていたことが災いした。 ほぼ密着状態で押し合う状態から、 突如グリディイーターの前面部から槍がパイルバンカーのように射出された。 ……反応できずに、アスモデウスの頭部右側が、貫かれた。 「――がっ――!」 自分の頭部が貫かれたような激痛。 咄嗟にシンクロをあえて数割カットして抑えるも、その苦痛はなおも私の思考を焼いた。 「アイリーン!」 ムスタングによって叫ばれた自分の名前を頼りに、思考を無理矢理繋ぎ止める。 「――あ」 ……皮肉というべきか、僥倖というべきか。 正直な話、おかげさまで煮詰まりかけていた思考回路がリセットされ、答えは出てしまった。 普通に考えて出ろ、と自分の頭に言いたくなったが、とりあえずそれは後にした。 テトラダイ出力を司るレバーを、一気に引き下ろす。 その操作に従順に、アスモデウスの周囲を覆っていた覚醒壁が途端に霧散。 グリディイーターの超弩級の圧力が、斥力消滅によって更に肥大化して迫る。 ――衝突と同時に、こちらのバーニアの1つが遠くへと飛んでいった。 ……そうとも。私はエクジコウだ。 この世の色彩を描き出した、始まりの白い帳だ。 自分で描いた絵が気に入らないなら、描き直せばいい。 「――敵性テトラダイ粒子、パターン確認完了。 パターンリセレクト……粒子を再構築……範囲半径2km以内……」 軋むコクピット。みるみる大きくなっていく摩擦音。 炎から伝わった熱すら感じる空間の中で、私はレバーをもう一度入れなおした。 「――パターン、リフォメーション」 ――既に放出されていたテトラダイまでもが、その組成パターンを自ら組み替える。 新たに取ったパターンは、目の前の怪物と、全く同じもの。 干渉しあっていたはずの境界が消え、 黄金色の粒子はそのパターンを変えて、アスモデウスとグリディイーターを包む巨大なひとつの覚醒壁へとなる。 もはや互いに、どちらがどちらの粒子だったのかも解らない。 「×××――!!!」 何が起こっているのかも解らないであろう異形が、言葉にできない唸り声を上げる。 バーニアを失い、左腕装甲もなくなったことでパワーアシストも失ったアスモデウスが、多きく押される。 ――背後を振り返る。 いつの間にか、本当にすぐ背後にまで電車が迫っていた。 時間を稼いだことで電車から脱出した者もそこそこいるが、 まだ電車内から逃げ切れていない者、 負傷や火傷で満足にその場から離れることもできない者が、まだ多く残っている。 ――舌打ちをして、私は前に向き直った。 その時、 グリディイーターの機体前面に搭載された無数の槍が更に一斉射出され、 ゼロ距離でこちらの装甲を突き破り、頭部と胸部、左腕のフレームを蜂の巣のように貫いた。 ――がくん、と力が抜け落ちる喪失感。 ――自分の人工脳が、弾けた気がした。 「――っあああ!」 元々アスモデウスは私の分身体だ。 無数に貫かれる激痛は、多少カットされているとはいえこの身に焼き付くように走った。 「……」 ムスタングの赤色の瞳が、こちらに向けられる。 ――ほんの、ほんの僅かに憂いるような色を乗せた瞳に、私は視線で「大丈夫」とだけ返した。 「……それに……」 激痛に震えながら、私はそれでもコクピットのインジケーター部、 テトラダイ粒子の出力や散布状況をモニタリングするディスプレイを視た。 既にモニタリングも、粒子が完全に混ざり合ったことで巨大なひとつの覚醒壁として認識している。 ……粒子パターン、リセレクト。 アスモデウスに内蔵されたOSが、正確にシミュレーションを算出する。 粒子再構成の為のプログラムが書き換えられて完成し、出力エリア領域へとポートインされる。 機体の粒子出力稼働システムが、待機状態に突入した。 「――私、どうも舐められてるみたいだし。 私を倒したいなら、世界の渦中に飛び込んでなお歯向かってくるような、筋金入りの阿呆でないとダメだわ」 ……そうとも。 こんな怪物程度に負けるようなら、 私は正直なところ、邪神としてのメンツすら保てない。 そんな情けないプライドと共に、私はプログラムスタートスイッチを押した。 ――途端。 グリディイーターが、すさまじい悲鳴を上げた。 グリディイーターのそれと同化していた粒子達が、再書き換えによって違うパターンへと変化していく。 先程のようにテトラダイ同士が衝突する斥力発生―しだした次の瞬間、 私達の周囲を包む粒子濃度が爆発的に増加し、また絶叫するグリディイーターの全身から黄金の火花が血飛沫のように噴きだした。 「――×××!!!×××××!!!!!!!!!」 空気を叩き割るかのような怒号を狂ったように叫びながら。 全身をがくがくと痙攣させて各部の装甲を軋ませながら。 鋼鉄の怪物はまるでダニに集られた甲虫のように、 全身をがくがくと痙攣させて、黄金の火花に全身を貪り喰われていた。 「テトラダイ・スナッチか。なるほど、お前にしか出来ない芸当だ」 ムスタングが感心したような声音で呟くが、そんな単語は私も聞いたことがない。 しかし思いの外しっくり来るネーミングだったこともあって、私は特にその言葉に拒否反応は出なかった。 ――元々、テトラダイ粒子は私の肉体の一部だ。 もう遥かな昔。 人間がヘブンに出現するより以前の時代に、私が現界する為に用意した依代の破片がテトラダイだ。 そしてそれが「私」である以上、私は自身のテトラダイパターンを自在に変えることが出来る。 ……だから、それを利用した。 テトラダイのパターン操作が有効なのは、不便なことに私自身の機体が発した粒子だけだ。 だが、一旦こちらの粒子パターンを敵機体のそれと同じパターンに変えて浸透させることで「境界」を曖昧にし、 そこからパターン操作することで、適用範囲を相手が放出していた粒子にまで拡張してしまえる。 当然、テトラダイをも駆動エネルギーとする敵機体はそれを取り込む。 だが、それこそが致命的な毒酒なのだ。 装甲の更に奥、機体のバイオニクルフレーム内にまで循環したところで、 こちらが粒子パターンを違うものに設定すれば、どうなるか。 答えなど、もはや言うまでもない。 ――全身のフレームからテトラダイ拒絶反応が起き。 機体は免れる術もなく、確実にアームキルされる。 それは文字通りの「テトラダイ・スナッチ」。 それこそが、私が神様として行使できる最大のズルだ。 ……そしてその割に、何故か尽く小生意気な民草達に破られてきたおかしな御業だ。 「――×××――!!!!!」 それはきっと、最期の悪あがきか。 一際大きな咆哮と共に身を低く構えたグリディイーターは、 どこにそんな余力があったのかと思うような突進を繰り出し、衝突したアスモデウスの前面部を大きくひしゃげさせた。 ……衝撃に思わず怯んだ、その時だった。 「……111……」 ――それは。 本能的な忌避感を催す、異様な呻き。 明らかに先ほどの怪物のものではない、違う“何か”の残響。 ――無意識のうちに表情が凍る私の耳に、 それは確かに響いてきた。 「――1111……222……33……*……22222……111……」 かつて多くの命を文字通りの挽き肉と化した殺戮機械は、 ついにこの場にいる誰一人挽き肉にすることも叶わず、二度と動かなくなった。 ――ただ、ひとつ。 先程までの、理性の欠片もない咆哮とは明らかに異なる、 あまりに奇妙で、不吉なその響きだけを残して。