男は敗北した。そして死んだ。 自身の操るものより性能が低い筈の、オリジナルたる白い機体のアームキルを受けた時に、彼の胴体はコクピットごと貫かれていた。 身体から抜けていく血液と体温に背筋を一度だけ震わせると、 彼の意識は虚無に消え、その生命機能はゼンマイが切れたように、緩慢に停止した。 ---- ――ここは。 目が覚めると、そこは見たこともない場所だった。 異様に薄暗く、壁面や床にはやたら複雑な機材のようなものが乱雑に配置された空間。 まるで電線が無秩序に配線された、何処かのスラム街の路地裏のようだった。 しばらくその光景を見つめてから、私は我に返った。 考えなければならない。私はどうして、こんな所にいるのだ。 ここが何処かは解らない。ならば、次に考えるべきは、最後に覚えている光景。 自分がどうやってここに来たのかを思い出せば、ここが何処なのかも解るかもしれない。 私は自分の記憶を探った。そして、すぐに思い出した。 ――私が最後に覚えていた光景は、紛れも無い自分の『死』だった。 そんな筈はない、と自分の記憶を疑った。 「私」が既に死んだと言うのならば、今ここにいる「私」は何なのだ。 「私」は確かに「私」であり、何処かも解らないこの場所で、それでも確かに意識と思考を持つ存在に違いはないはずだ。 ふと、周囲の薄暗い空間を見渡す。まさか、と私はひとりで呟いた。 ――ここは、死後の世界なのか。そんなものが、本当にあったのか。 「――死後の世界、ね。あながち間違いでもないかもしれないわ」 突如、背後から女性の声がした。 急激な状況の転換に、私は危機感と期待を無理矢理に押し留め、すぐに振り向いた。 そして、目の前の床に、直に腰を下ろしている女性を見た。 「彼女」は、素直に言ってしまえば美人と言って差し支えなかった。 黒く長い髪に、まるで月の光を抽出でもしたかのような、透き通った黄金色の右眼をしていた。 しかしその右眼とは対照的に、左の眼は黒い眼帯で覆い隠されていて、窺い知ることは叶わない。 ワンピースを身に着けただけの、まるで寝姿のような軽装で、すらりと伸びた脚を畳んで女性座りをしている「彼女」は、 この奇妙な空間に漂う危険な非常感と相まって、背筋が凍る程に魅力的に見えた。 「彼女」は私の視線に右眼だけを合わせると、はあ、と小さく溜息をついた。 「……そんなに見つめないでくれる?ちょっと、気分が悪いの」 「彼女」の言葉に、私はそれまでの危機感を一瞬で忘れて、慌てて視線をそらした。 失礼にあたらないように、ちらとだけ様子を見ると、彼女は自分の言葉を覚えてないかの如く、座ったまま私を見ていた。 ……暫くして、この状況に対する疑問が再び湧いてきたのを機に、私は彼女に問うてみた。 「……失礼した。失礼ついでに、聞いてもいいだろうか」 「……」 「彼女」からの返事はない。 私は思い切って、彼女の無言を「YES」と無理矢理に判断し、続けてみた。 「……ここは、何処なんだ。そして、貴女は何物なんだ」 私の問いは、昏く乱雑な空間に響いて、消えていった。 彼女は、温度がないかのような黄金色の右眼で私を見つめた後、絞りだすような声で返答をくれた。 「……私が誰なのかは、私自身も、もう解らないの」 「彼女」の奇妙な返答に、私は思わず眉根を寄せた。 たまらず、私はこれが機とばかりに間髪おかず言葉を返した。 これを逃してはならない。「彼女」が知っていることを、ここで可能な限り知らなければならない。 「解らない……?」 「そう、解らないの。色んな記憶が混ざって、どれが本当の私の記憶なのか、もう私には解らない。 どうしてここにいるのかも、ここに来てからどれくらいの時間が経ったのかも、何もかも」 色んな記憶?彼女の中には、自分以外の誰かの記憶が存在するというのだろうか。 「貴女は、ここで何をしているんだ?たった今の記憶くらいはあるだろう?」 「……私は、ただずっとこうして、この場所で停滞しているだけ。……それぐらいしか、私に出来ることはないもの。 時々"お父様"が会いにきてくれるけど、それもいつも同じような感じで繰り返されるだけ」 "お父様"ということは、「彼女」の父親がここに居るということなのだろうか。 気になって質問が脱線しそうになったことに気づき、私は方向を戻すことにした。 「……繰り返すようで悪いが、ここは何処なんだ?」 「ここが何処なのかは、私も解らない。ただ知っていることは、ここが地下の深いところで、 そして私はこの場所から出ることが出来ない、ということだけ」 「……出ることが出来ない、だと?」 「ええ。出ようとするとね、全身に信じられないような痛みが走って、頭がくらくらして、立てなくなるの。 ……きっと、"お父様"の仕業だと思う。"お父様"は、私を外に出したくないみたいなんだもの」 「……」 彼女の唇から紡ぎだされる言葉は、あまりに虚無じみていて、空っぽのように聞こえた。 喜びは勿論、哀しみはおろか憎しみすらも感じ取れない、絶対的な諦観と絶望の色がそこにはあった。 ……ふと、そこで私は思い当たった。「彼女」は、私のような「来訪者」には慣れているのかと。 「ええそうよ、私が呼んでるんだもの。ただ、死んだ人しか私は呼べないから、みんな死人だけど。 ……でもみんな、いつも私と話をする前か、した後に私を置いてこの場所の何処かに行ってしまうの。 きっと出口を探してるんでしょうね。"出口なんかないから私と話して"って言っても、誰も聞かなかった」 ……。 なんということだ。 相も変わらず、ここが何処かは解らない。だが、解ったことは四つある。 一つは、自身の記憶すら曖昧な「彼女」がこの場所で、永らく孤独に過ごしていたこと。 二つ目は、どうやらこの場所からは、私も「彼女」も脱出することは出来ないらしいこと。 三つ目は、彼女は長い間、ずっと話し相手を求め続けて、果たして一度も叶わなかったこと。 そして――四つめは、どうやら私は本当に死んでいるらしいこと。 ――この状況で、私は、自分の意思を決めた。 「――ジョッシュ・ノックバックだ」 「――え?」 私は、自身の名前を名乗った。 最早戻れない身ならば、いずれにせよ選択肢はひとつしかないのだ。 ここまで来たのなら、今更焦る必要は何処にもないのだから。 「――ここで貴女と出会ったのも何かの縁だ。 なにせこっちは死んでいるのだ。私にはきっと、時間が腐るほどあるに違いない。 貴方の話を聞いていくうちに、解ることもあるだろう。 もしよければ、私が貴方の話し相手になる。 いつでも好きなことを、好きなように話してくれて構わない。 保証は出来ないが―― ――私は自分に出来る限り、貴方の下から離れない努力をしよう」 ――それに、正直なところ。 彼女が見せた何処までも虚無じみた孤独を、私の限りなく薄っぺらい人間性が、放っては置けなかったのだ。