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To Be Continued◆BEQBTq4Ltk


 眼前の少女はボロボロであるとヒースクリフは剣を構えながら、当たり前の情報を再確認する。
 誰が見ようと彼女を憐れむだろう。世間一般に言われる女子中学生の姿とはとても思えず、
 真っ黒に焦げた右腕。割れた額。鮮血に染まる瞳。
 それらの要素が目立っているが、実際には身体のいたるところが崩れているのだ。

 立っているのもやっとであろうに。
 彼女が斃れたとし、驚く人間はいない。ああ、遂にかと納得してしまうだろう。
 故に、この期に及んで更に能力を行使し、己の肉体に雷光を宿らせる彼女は異質の存在だ。

 ズバチイと落雷が響き、時を待たずに大気を震わせる。
 前髪が浮かび上がり顕になるは割れた額。雷光の影響か傷口から更に鮮血が流れ落ちた。

 たった一つの淡い希望を胸に抱き、彼女は立っている。
 言い換えてしまえば、己意外の人間を抹殺すれば大切な人が帰って来る。だから、彼女は止まらない。

「その先に待つ地獄に君は耐えられるのか」

 轟く雷光に掻き消されたヒースクリフの声は御坂美琴へ届かない。
 彼女は先に現状を地獄と称したが、真の地獄は此処に非ず。
 眼前へこれ見よがしに垂らされた餌(奇跡)を求め、彼女は振り返ることをしなかった。
 少なくとも、ヒースクリフが関わっている時間でそのような素振りを見せることはなかった。
 無論、知らぬ所にて過去に想いを馳せていることもあったのだろう。後悔したことも、涙を流したことも。

 彼女は此処まで辿り着いた。
 七十二の魂が詰め込まれた箱庭も、気付けば広く感じるようになり、残りは僅か一桁。
 ゴールの接近を自覚した時、気を抜く者もいれば、後少しだと気合を入れる者もいる。 
 そして御坂美琴は――後者であった。

「あんたにどれだけの苦痛を与えたところで、死んだ人間は生き返らない。癪だけど一瞬で終わらせる」

 発言だけを抜き取れば正義の味方として捉えられなくも無いが、彼女の立場は間違いなく悪だ。
 願いを叶えるために腕を赤く染め上げ、道を踏み外した存在であるにも関わらず、ヒースクリフを相手に正論を投げる。
 何故、殺し合いに巻き込まれたのか。お前さえいなければ。何故、ゲームが始まったのか。お前さえいなければ。

 一度の死を与えるだけでは生温い。永遠の苦痛に身を沈めさせようかと、溢れ出る殺意を一点に押し込めたかのように、鋭い稲妻が空間を疾走。

 認識なるものか。
 光の速さを知覚からの行動で対処出来る人間など、それはもう人の皮を被った怪物である。
 ゲームとしての調整がなされている今、御坂美琴の攻撃は何度と防がれた。だが、ヒースクリフに特別な力は残っていない。
 稲妻が彼の頭を貫いてリザルトへ。虚しい達成感だけが胸を支配し、ゲームは変わらずに進行される。
 ルーチンである。ゲームと称されれば、参加者同士の殺し合いはエンディングへ向かうための作業に過ぎない。
 ヒースクリフを殺し、更にもう一人を殺す。それらを数回繰り返し、待ち望んだ明日を手に入れる。御坂美琴にとっては流れ作業の筈だった。

「……冗談じゃないわよ。今まで猫でも被っていたのかしら。だとしたらあんた、本当に最低」

 思ったことをありのままに放り出し、稲妻を斬り裂いたヒースクリフを睨む。
 彼の装備は特殊な力を持たない剣であり、盾も鎧も所詮はそれまでの武具であったと認識していた。
 少なくとも稲妻を斬り裂くような力は持っていないはず。そのようなことがあれば、彼はどうして力を奮わなかったのか。
 雷光は幾度なくゲームを照らし、調律者が己の快楽を優先させれば、吸血鬼が時を止め、氷の女王が弱者を蹂躙する瞬間もあった。

 ヒースクリフは単なる戦闘力で見れば、強者の領域に足を踏み込んでいるとは思えなかった。
 ホムンクルスとの決戦でも、エンブリヲとの総力戦に於いても、彼の力に有り難みを感じた瞬間は零に等しい。

「君は知らないだろうから、教えておこうか。私はエンブリヲに再構成された時、いらぬ優しさを受け取った」

「知ってるわよ。あいつのせいであんたは長くないし、スキルっていうインチキも消されたんでしょ」

 お父様へのカウンターとして、ヒースクリフは大きな代償を支払った。
 神の悪戯と云えば少しは可愛らしさも感じるが、実際には己の世界に引き籠もったナルシストの自己満足である。

「そのインチキが私に返って来ただけだ。これで少しは戦えるようになったつもりだが……試させてもらおうか」

 刹那、雷光とは異なる光が世界に煌めいた。
 ヒースクリフの握る剣が、盾が聖なる光を纏ったのだ。
 名を神聖剣。かのゲームマスターたる茅場晶彦が持つスキルである。

「あっそ」

 それがどうしたと云うのか。
 欠片の興味も抱かずに、御坂美琴は静かに右腕へ雷光を集中させる。
 稲妻を斬り裂こうが、力を取り戻そうが彼女には関係なく、ただやるべきことを遂行するだけ。
 目の前に立ち塞がるなら、殺す。願いを叶えるための犠牲となれ。

 彼女が興味を示すとすれば、ヒースクリフが力を取り戻した理由であろうが、
 それさえもどうでもいいと思い、右腕から迸る紫電が空間を走り抜けるが、ご丁寧に剣閃によって掻き消され、少女の舌打ちが響いた。




 天空を彩る対の機神が消えていたことに、エドワード・エルリックと雪ノ下雪乃はタスクが勝利したのだろうと、確信したかった。
 現実は甘くなく、彼の勝利を信じているのは事実であるが、最悪の可能性という小さくも揺らぐことのない行燈が心を照らす。
 相手であるエンブリヲは強敵だ。調律者を名乗り、神と同系統の本質を司る男は間違いなく、人間の枠を超えた存在である。
 下衆で、傲慢で、悪趣味で、屑であるが、それらを言い換えれば、我を貫き通す確固たる意志を持つ男。
 タスクが勝利を掴むことを大前提にしても、無傷という訳にはいかない。それらは敵対した自分達が一番わかっていること。

「俺達は、やれることをやるだけだ。それで必ず……帰るぞ」

 雷光の轟いた地点を目指している間、気付かぬ内に口数が減っていた。
 必要以上に重くなった空気を打ち払うべく、微笑を浮かべエドワード・エルリックは再確認の意味も添えて拳を握る。

「タスクはエンブリヲを倒すって言った。黒も、アンバーも……だから」

 振り向けば今にも倒れそうな程に顔の悪い雪ノ下雪乃が下を向いていた。
 騎士の消えた空、仲間を残した地獄門が彼女の心を締め付け、地上を照らす雷光が不吉な予感となり、隙間を埋めてしまう。
 大切な仲間を遠くから感じられず、それでいて、敵対者と思われる能力だけは視覚と聴覚がその存在を抑えている。
 はっきりと言えば不公平だ。この世に神がいるならば、相当に悪趣味な存在であろう――エンブリヲのように。

 自然と足が重くなり、顔も空を見上げず、足先だけを見つめていた。
 アヌビス神が何か言葉を掛けようと模索するも、生憎と嘗ての所有者達は雪ノ下雪乃と別系統の人種であり、浮かぶ訳がない。
 彼女の少し先を歩く猫だけが振り向いたエドワード・エルリックに気付き、足を止めた。

「そうだな。黒から頼まれただろ、御坂美琴を止めろって」

 刹那、背後――地獄門から嫌な予感がしたのか、猫は言葉を詰まらせる。
 言霊が駆け抜けたような、肌の表面を薄ら寒い風が触り、全身の毛が逆立った。
 エドワード・エルリックが心配するようにしゃがみ込み、猫の顔を覗こうとするも、前足で払う。

「心配するな。俺も、あいつも……大丈夫だ」

 聞かれてもいない事を口走り、自分も自分とて知らぬ間に追い込まれている状況に猫は溜息を吐く。
 冷静に分析せずとも、地獄門に残った彼と彼女の勝率は――やれやれと瞳を閉じる。
 契約者が合理的とは誰の言葉だったか。猫が出来ることは彼等の勝利を願うことだけ。
 ならばエドワード・エルリック達に付き添い、御坂美琴を止めるための礎となろう。黒に託された願いでもある。

 自分の役目を改めて明確にし、そんな彼の言葉に続くよう、雪ノ下雪乃は顔を上げた。

「言う必要も無いと思っていたけれど、私も大丈夫だから。
 たとえばパニック障害になっているだとか、死者の怨念に足を止められている訳でもないから」

 キッパリと。
 強い決意を秘めた瞳に、凛とした顔付き。
 麗しい黒髪が風に靡き、昇り始めた月が彼女の握るアヌビス神を輝かせる。

「……気にかけてくれたのは、ありが……とう。でも、本当に大丈夫だから、気にしないで。
 それよりも自分のことを考えたらどうかしら。どうも貴方は彼女――御坂美琴と特別な因縁があるように見えるけれど?」

「……よくそんなスラスラと出るな」

「何か言ったかしら」

「――って、エドワードが言ってたぞ」

「ち、違うよなあ!?」

 反射的に大声を上げてしまい、咄嗟に機械鎧の腕で口を覆うも遅い。
 緊迫した戦況の中で軽はずみな行動をしてしまったと、顔を赤らめるエドワード・エルリックに猫は呆れたように小言を呟く。

「変な部分で真面目だな。近くには誰もいないだろ」

「う、うるせえなあ」

 遠くで轟く雷光。
 仕掛け人は御坂美琴か足立透か。
 恐らく、前者であろう。根拠や状況を裏付ける情報はない。
 ただ、確信だけがあった。それに足立透は佐倉杏子が止めてくれると、エドワード・エルリックは信じている。
 無論、彼女達が鉢合わせていることすら、彼は知らない。だが、彼女ならば――そう願わずにいられない。

 彼が、雪ノ下雪乃が、猫が黒とアンバーを信じているように。
 佐倉杏子とタスクの勝利もまた、心の底から信じている。その想いに偽りなどあるものか。

 残った黒が負けるのか。タスクがエンブリヲに殺されるのか。
 そんな未来は否定する。ありとあらゆる可能性の集合体を引っ括めIFと呼ばれるが、知ったことじゃない。
 両頬へキツけの一発をかまし、エドワード・エルリックは猫へ視線を落とし、次に雪ノ下雪乃の瞳を見つめ、

「……これまで大変ことが沢山あったと思う。ホムンクルスとの決戦やエンブリヲの叛逆もな。
 それに、俺と合流するまでにも、辛いことだって……別れが沢山あったと思う」

 月を見上げると、まるで自分達を高い所から嘲笑っているようだ。
 機械鎧の腕を伸ばし、月を掌に収めるように拳を握ると、月光に負けぬ笑顔で彼は言い切った。

「絶対に勝つぞ。俺達で御坂美琴を止めるんだ――このふざけた殺し合いを止めるのは、生きている俺達にしか出来ないんだ」

 ――それが、あいつらに出来る、唯一の恩返しだから。

「突き抜け過ぎて、逆に驚かないぐらいの臭い台詞ね。その手の発言をする人にいつも思うのだけれど、恥ずかしくないのかしら?」

 不安を取り除いたつもりだったが、雪ノ下雪乃は相も変わらずに言葉を投げ付ける。
 猫の言い分では無いが、よくも言葉を紡げるものだ思う一方、静かに震えている彼女の身体をエドワード・エルリックは見逃さない。
 恐怖の感情は忘却の彼方へ追い遣ろうとも、心の空白を埋め尽くす一種の麻薬である。
 雪ノ下雪乃は何度も死線を潜り抜けた。度胸も経験も殺し合いを通じて、彼女の大きな糧となったであろう。
 だが、彼女自身が強くなった結果には至らず。出会いと別れを繰り返し、山場を超えたのも事実だ。
 しかし、彼女の世界は優しさに溢れ過ぎていた。無論、彼女からすれば、優しさなど偽善と見せ掛けの繁栄だっただろう。
 多くの世界か混じり合った末、血と硝煙の薫りに遠ざかる場所に身を於いていた彼女にとって、殺し合いという悪夢は劇薬を超えた地獄と同義。

 生き残るために銃を、刀を握った。
 人が死ぬ瞬間を間近で見てしまった。
 大切な人がこの世を去る瞬間――脳裏に焼き付いた光景が今でも胸を埋め尽くす。
 多くの仲間が先に旅立ったが、未だに死の概念に怯える自分が、雪ノ下雪乃は好きになれなかった。

「――行くぞ。タスクだって言ってただろ、喫茶店をやるって。そのために、俺は……俺達はまだ止まれない」

 ふと肩に置かれた掌の暖かさが、あれだけ震えていた雪ノ下雪乃の身体を一瞬に穏やかにさせる。
 顔を上げれば、平均よりも身長の低い男が闇をも消し去るような笑顔を浮かべていた。
 強い人――彼女は本心からそう思い、ならば自分は彼の足を引っ張るようなことは許されないと改めて決意を固める。
 塵を落とすように彼の腕を払うと、遥か先に轟く雷光目掛け、彼女は歩き出す。
 途中、猫が此方を見ているも一瞬の視線すらくれてやらず、やがて背中に集中を感じると、踵を返した。

「私達はやれることをやるだけ、だったかしら」

 風によって膨れ上がる黒髪。
 雪ノ下雪乃の瞳は揺らぐこと無く、身体に若干の震えが残るも、彼女は前へ進む。

「強いな」

「ああ、だから俺は絶対にあいつを守らなきゃならねえ」

 靴裏と砂利の擦れる音がエドワード・エルリックの言葉を掻き消した。
 雪ノ下雪乃の耳に届けば、また何を言われるか分からない。そう思うと、自然に苦笑が浮かぶ。
 そしてその表情を曇らすかの如く、雷鳴が轟いた。
 一帯を埋め尽くすような放出に非ず、世界に亀裂を生む稲妻――あの女が、この先で待っている。








 御坂美琴の右腕から放たれた雷光が大地毎削り上げ、ヒースクリフを殺さんと突き進む。
 砂塵が舞う中、彼を距離を取ること無く素早い剣の一振りにより、雷光は真っ二つに斬り裂かれ、風に消えた。

「その力を最初から披露していたら、こんなことにはならなかったんじゃないの。
 雷を正面から斬れる力を持っていながら、あんたは自分から動こうとしなかった」

 数十分の間に延々と繰り返される応酬に御坂美琴の息が上り始め、彼女は休憩がてらに言葉を投げる。
 黙って仁王立ちでもしていれば、生命の保証は無い。
 ふと視線を落とせば壊死した右腕から赤よりも黒の割合が強い鮮血が吹き出ていた。
 既に限界を超えているが、無理の果てに設定されている最後の壁に激突寸前であり、この右腕が日常生活に適応することはないだろう。
 それも残り数人を殺せば終わる。無理をするのも、無茶をするのも、自分を偽るのも、全てが終わる。

「もっと救えた人がいたでしょ。私が知る限りでも、あの明るくて人懐っこい女の子だって」

「……誰だろうか。無垢で純粋な年頃の子は数名の心当たりがあってね」

「ふざけんじゃないわよ」

 彼女の左腕に雷光が灯り、その光景にヒースクリフは瞳を細ませ、微笑を浮かべた。

「無理は感心しないな。仮に私を殺したとしても、他の参加者相手に君の身体は保つのかな」

「あんたから挑発しといてよく言うわ……本当に、碌でもない人間なのね――ッ!」

 雷光が槍を型取り、彼女は狙いを定めることなくぶっきら棒に投擲。
 放たれた雷撃の槍はヒースクリフへ吸い込まれるも、彼は盾で軽く打ち払うと、誰も居ない後方へ瞳を流した。

「……そうか」

 ヒースクリフの呟きに対し、御坂美琴は何に対しての小言なのか脳内の情報を洗う。
 しかし、たったの一言に解答を見付けるのも馬鹿馬鹿しくなり、早々に思考を切り上げた途端、彼の身体にノイズが疾走った。

「私の身体が保つのかって言ってたけど、他人の心配をしている余裕があんたにあるわけ?」

 調律者エンブリヲによる再構成。エドワード・エルリックの人体錬成による弊害。
 ヒースクリフ――茅場晶彦の身体は他の参加者に比べ何重にも外部からの干渉を受けている。
 此度の殺戮の黒幕を担う一人であるが、彼は人間である。ホムンクルスでも無ければ、契約者にも含まれず。
 魔法だの超能力だのエンブリヲだのと、世界の枠組みすら異なる能力は異端を極める劇薬である。
 それらを何度も己の身体に投与されているとすれば、限界や崩壊が化学反応となって具現化することに不思議は無いだろう。

「黒……君は君のやるべきことを成し遂げたかどうか、後でゆっくりと聞こうじゃないか」

「は?」

「なんでもないさ。君の言うとおり、他人の心配をしている余裕はなさそうだ」

 後方から――地獄門の方角へ背を向け、ヒースクリフは剣を握る腕に力を込める。
 相も変わらず周囲に僅かながら雷光を放出させている御坂美琴へ攻撃を加えるには、距離が問題である。
 授けられたスキルを用い、彼女の雷撃を全て無力化しているものの、決定打はおろか一太刀すら浴びせられていない。
 これでは彼女の身体に傷を付ける前に、自分の身体が先に消滅するだろう。其れは彼にも悪い――さて、どうするかと、ヒースクリフは改めて御坂美琴を視界に収めた。

 右の瞳に鮮血が混じり、右腕は炭の如き黒さ、その他損傷は数を上げればキリがない。
 雷光が迸る度に彼女自身の身体が照らされるため、肌に浮かぶ痛々しい痕が余計に目立つ。
 無論、情など湧くはずも無く、ヒースクリフは御坂美琴の生命を葬ることを考える。

 黒は予測であるが、消えただろう。
 地獄門からの反応がノイズとなって身体へ干渉し、箱庭世界の崩壊を更に早めた。
 彼の背中を追うには、まだ早い。傍観者を気取るつもりであったが、調律者が参加者を一箇所に集めた瞬間から全てが狂ったようだ。
 別の方角で轟いていた雷鳴は何時の間にか消え去っており、つまりは足立透に何かしらの終わりが訪れたのだろう。
 消去法で考えれば、彼の相手は竜の魔法少女――佐倉杏子しかあるまい。
 道化師は彼女を制したのか。仮面を割られたのか。何にせよ数が減ったことに変わりはない。

 残るエドワード・エルリックと雪ノ下雪乃はまだ此方に辿り着いていない。
 ならばヒースクリフに出来ることは唯一つ、御坂美琴の相手である。しかし、彼は改心などしておらず。
 此度の責任など取るつもりもなければ、未だにゲームの結末を見届けたいと思っている節もある。
 やはり、エンブリヲが全てを狂わしたのだ。彼が余計な行動を起こさなければヒースクリフはアインクラッドで独り消滅していた。
 彼が表舞台に再び引き摺り上げられたこと。その後にアンバーらと再接触したこと。そして失われた能力を取り戻したこと。

 ――全く、本当に規格外の力を持っている。腐っていれど、世界の神を司るだけのことはある。

 何度目になるかも分からない御坂美琴の雷撃を盾で打ち払い、ヒースクリフは大地を蹴り上げる。
 消耗戦も悪くないが、自分自身にタイムリミットが設けられている状況を考えれば攻めに出るのも悪くない。
 最も御坂美琴が悠長に戦闘を長引かせるなどあるものか。彼女からすれば一瞬で相手を消し炭するのが理想だ。
 いつ何時、殺されてもおかしくない。ならば――絶命する前に一太刀を浴びさせようか。

「……出力を雑に絞った雷撃じゃ斬られたり払われたりで届かない。
 じゃあ、どうするかなんて決まってる。鋭く絞るか、圧倒的な力で消し去るか――それとも」

 ふと風が吹き去り、右腕から何も感じないことに気付いた御坂美琴の瞳が刹那、暗くなる。
 ああ、ここまで壊れていたのだと、今更になって彼女は筋肉繊維を電気で刺激しなければ全く動かない右腕に視線を落とす。
 酷使しなければ生き残れなかった。限界を超えなければタスクを空へ翔ばすことも叶わず、全ての生存者はエンブリヲに蹂躙されていただろう。
 何処で道を間違ったのかなど、彼女は足を止めない。唯、目に入ってしまった自分の身体の一部とは思えない存在に、一瞬だけ脳の処理が追い付かなかった。

 ――こんな私が願いを叶えてもいいのかな……なんて台詞、死んでも吐かないわよ。

 顔を上げれば此方に迫るヒースクリフに合わせ、彼女も大地を蹴り上げた。
 本人しか気付けない程度に電流を身体へ走らせ、筋肉を刺激することにより、彼女は刹那の間、加速する。
 能力を行使する度に身体の到處から機械がショートしたような音が聞こえてくるも、御坂美琴は止まらない。
 諦める瞬間は之まで何度もあった。道を振り返る時間だって、元の鞘に納まる時間も少なくは無かった。
 それら全てを跳ね除け、たった一つの淡い希望を願い続けたのだ。

 最期の一人となって、願いを叶える。

 彼女は最初から一貫していた。
 アカメと出会い、槙島聖護に遭遇し、真の始まりは前川みくを殺害した時から。
 戦闘になったことも、諭されたことも所詮は結果論である。明確な殺人に手を染めた瞬間に、彼女の道は決まってしまった。

「チィ! そんな力があるならもう少しは救えたんじゃないの? 弱い人とか、戦えない人とか!」

 牽制代わりに絞り放った雷の針は簡単に掻き消された。
 ヒースクリフもまた、己の勢いを殺さず剣を振るい、着実と距離を詰める。
 この男、本当に力を隠していたならば、最悪の最低を超えた大狸であると御坂美琴は嫌悪感を隠しきれない。
 彼が真剣に戦っていれば、ホムンクルス戦で誰も苦労していなかっただろう。自分も四肢を失う失態を犯すことはなかったかも知れない。
 エンブリヲとの激戦でも同じことである。調律者は彼を戦力外と称し、御坂美琴も同じであった。
 ヒースクリフ――茅場晶彦は此度の殺戮の関係者でありながら、主催者の椅子から弾き落とされた哀れな男と認識していたのだ。
 それが今になれば、学園都市が誇る超能力者の第三位の雷撃を全て無効化しているなど、誰が信じるものか。

 先に御坂美琴はヒースクリフが本気を出していれば救える生命があったと問うた。
 音ノ木坂学院に於ける騒動の際、彼女は嘗て自分とキング・ブラッドレイを襲撃した一人の少女と再開した。
 道化師が必死に学院内を逃げ回り、その背中を一人の学生が追いかけ、一瞬の静けさに包まれた廊下に彼女が現れた。
 何処か悟ったような表情で、それも笑みが灯っていた。曰く、鳴上悠なる者が信じてくれた――その者は御坂美琴にとって眩しすぎた。
 とても自分とキング・ブラッドレイを襲った少女と同一人物とは思えず、殺めるその瞬間まで瞳を逸らすことは無かった。
 彼女に何があったのかは知らないが、仲間を見付けることが出来たのだろう。踏み外した道を修正したに違いない。

 己の罪と向き合い、罰を受ける道を選択したのだろう。

 最期の台詞すら儚い。とある少女二人に対する謝罪だった。
 其の言葉を御坂美琴は自分の口から伝えろと告げ、電流が少女――島村卯月の脳天に迸った。
 その後、学院が更なる騒動の渦中に陥ったのは言うまでも無いが、その際に一人の少女がこの世を去った。
 後に情報交換で知ったが故、御坂美琴は実際に目にしていないが、どうも釈然としないのだ。
 本田未央。彼女の死を止めることが出来たのでは無いだろうか。
 エンブリヲの力ならば応急処置程度など造作も無い。血流等を操った襲撃者に対し、本気を出したヒースクリフならば遅れを取ることは無いだろう。
 彼女は彼等に捨てられた可能性がある。口にすればエドワード・エルリックを始めとする一部の正義の味方気取りと口論になるため、御坂美琴は今まで胸に閉じ込めていた。

 本当に下郎の二人が彼女を見捨てたのであれば、腐った話であろう。
 しかし、あの襲撃者に対し学院に残っていた生存者が窮地に陥ったのは確かである。
 ヒースクリフ自身に生命の危機が及んでいたのだが、彼は平常運転だった。故に、あの瞬間はまだ、能力を制限されていたのでは無いだろうか。

 きっかけが在るとすれば、エンブリヲに再構成された瞬間が第一候補であるが、彼は力を出していない。
 人造生命体との決戦も、調律者との争いにも彼はスキルの行使など一切していない。
 ならば、その後に何か――己の枷を外す出来事があったのだろう。

 ヒステリカの猛攻により、生存者が吹き飛ばされ、自分と対面した彼は力の影を見せなかった。
 故にこの瞬間はまだ覚醒していないと仮定し、ならば再び別れた後に何かがあったのだろう。
 そして再び対面した時、彼は己に科せられた天元を突破し、覚醒者として最期の表舞台に上がった――そう、制限を超越したのだ。

「本当にデタラメな奴ね。あんたみたいに急に強くなった男は一人しか知らない」

「さて……そのような参加者が居たかな?」

「白々しいわよ、何をされたかは知らないけど、悪趣味な下衆神のお零れでドヤ顔するのは気持ちいいかしら……ッ!?」

 御坂美琴は左腕に溜めた雷光を地上へ放ち、一種の爆発となった現象の力を借り空へ跳ぶ。

「エンブリヲは言った――どうしてお前なのか、と。あいつは最期まで他人の掌の上で踊ることを嫌っていた。
 故にタスクとの勝負に破れ、己の死期を悟った奴は許せなかったのだよ。最期まで憎んでいた私のことや、願いを叶えようとする君のことが」

 ヒースクリフは静かに剣を構える。

「奴は私に力を授けた。一部の生存者のことを見直してはいたからな……エドワード・エルリックが良い例だ。奴隷とは云え、新世界に連れて行くとまで言ったのだからな。
 だが、奴とタスクは決して交わらない。我々との衝突は必然だったんだ。最期の最期に奴は誰でもいいからこの殺し合いを破壊するべく、誰かに力を授けようとした」

 ――どうして貴様なのだ。

 調律者は最期まで憎んでいた。
 己を騙し、出し抜き、苔にした茅場晶彦を。
 彼の首を刎ね落とさんと、本田未央を犠牲にしてまで執着してしまった。

 ヴィルキスに撃墜され、それでも神は死ななかった。諦めきれなかったのだ。
 下等生物の代表種であるホムンクルスに不覚を取り、唯の一端の人間に遅れを取った自分がこのまま終わってたまるかと。
 此度のゲームが他者の願いを成就させる茶番に辿り着くなど、不愉快の極みであった。
 故に覇道を突き進む御坂美琴と足立透を止める必要があった。生命の灯火が消える調律者は最初に出会った生存者に力を授けるつもりだった。
 それがよりにもよって最も憎んでいた茅場晶彦とは、流石の調律者も想像していなかったであろう。
 最期の最期まで彼は神としての面目を潰した人間を恨み続けた。最も茅場晶彦は再構成の際に生命のリミットを設定している。
 願わくば彼が死ぬ瞬間をこの目で収めたかった――エンブリヲはこの世を去る瞬間まで一人の人間らしい感情に囚われていた。

「あんたに力を授けることになるなんて、流石に同情するわ……でもお似合いの最期よ」

「全くだ。奴は多くの運命を変えてしまった、それも悪い方向にな。エンブリヲだけが望んだ最期に至るなど、神が許さないさ」

「……いちいち触るような言い方してるけど、それ全部あんたにも当て嵌まるから。どんだけ自分を棚に上げてんのよ」

「君の言い分もご尤もだ。だが、完全に当て嵌まる人物が私の他にいると思うのだが……君はどう思う?」

「はいはい――そうですかァッ!!」

 自分も同種だと御坂美琴は重々承知している。己が嫌に成る程に。
 多くの存在の運命を変え、自分だけが最期に願いを叶えようしているのだ。
 そんなものは分かっていると、怒号を放ち、天に掲げた左腕に雷光を収束させる。

 此度の攻防に於いて、ヒースクリフは一つの過ちを犯している。
 彼は空へ跳んだ御坂美琴の着地を狙おうと、剣は構えた。だが、彼女は降りて来ない。
 周囲に電磁波を発生させることにより空中に座標を固定、飛び込むような形で静止し、天高く翳すは左腕。


「私がもう、光を浴びれない世界の住人に片足を突っ込んだことは分かってる! 片足どころじゃない、全身よ!
 自分の願いを叶えるためにどれだけの生命を奪ったかなんて考えたくない、でも……それらに背を向けて生きれる程、器用じゃないのよ!」


 雷光が輝き、雷哮が冴え渡る。
 ミョルニルにも劣らぬ稲妻の収束体が、御坂美琴の怒りと共に振るわれた。

 ヒースクリフのスキルは強力である。アインクラッド内に於いても、ゲームマスターたる彼の地位は絶対だった。
 だが、全てを葬り去るような、謂わば神話上の神の一撃に部類される災害を受け止められるものか。

 雷槌を斬り裂くにも、触れた瞬間に剣は砕け、盾もまた無に還る。
 ノイズが走り、構成もまま為らぬ身体に測定不能の雷撃が駆け巡り、彼の膝が折れた。
 圧倒的な一撃である。小手先の技術も、概念すらも消し去り、無慈悲なまでの雷槌。


 雷光に包まれる中、天を見上げたヒースクリフの瞳に映るは、壊死した右腕を振り降ろす御坂美琴。


「あんたには一撃じゃ生温い!
 殺した人達のことを忘れることが出来たらどれだけ幸せなんだろうって何度も思った! だけど、そんなこと出来る訳無いじゃない!
 なら私は一生背負って生きてやる、そうすることしか出来ないんだから。だからね――本当は嫌だけど、あんたのことだって、忘れないでいてあげるわよォッ!!」


 対の雷槌が此の刹那に炸裂し、周囲は世界を斬り裂く雷鳴に包まれた。
 地獄門の異変を掻き消す程の稲妻が世界を焼き殺し、其の中心に立つヒースクリフが無事で或るものか。


「君は――この世全ての悪と対面して尚、その決意を貫き通せるのか。一足先に、天で期待させてもらおう」




 僅かに残っていた草木を焼き殺し、焦土と為った大地の上で御坂美琴は空を見上げていた。周囲には何故か引っ掻き音が響き渡る。
 今にも堕ちて来そうに錯覚してしまう偽りの月を眺めながら、だらしなくぶら下がった右腕が揺れている。
 ヒースクリフへの追い打ちに右腕を使ってしまったが、まだ身体に付いている。本人からすれば、千切れると踏んでいたのだ。
 残っていたのは幸運である。元の世界へ帰還すれば、名医であると噂されているカエル顔の男にでも手術を頼もう。
 戦闘に使えずとも、物を持ったり、誰かに触れる事が出来るような、日常へのシルシとして復活してもらおう。

 そのためにも、もう少し。
 残り数名を殺害すれば、帰れる。


「黙って死んでおけばよかったのに。それもインチキ?」


 月から視線を逸し、辛うじて元の形を留めている大地へ。
 嘗てエドワード・エルリックが描いた錬成陣の上に一つの肉体が転がっていた。
 御坂美琴からすれば死体同然であるが、彼は生きていた。

「食い縛りかも知れないな」

 始まりの男、ヒースクリフ。
 彼は対の雷槌を受けて尚、生きていた。
 無論、死亡するに申し分の無い一撃であることは言わずもがな。
 彼と――キリト。二人の参加者は体力制だった。一定の範囲を超えなければ、彼等は喩え四肢を切断されようと、出血多量如きで死を迎えない。

 胴より下が失われ、ヒースクリフは仰向けで夜空を見上げるしか、することが無かった。
 残りの上半身も消滅が始まり、彼は剣の破片を握り、錬成陣に新たな術式を刻む。

「――ッ、本当にあんたって奴は」

 往生際の悪い男に御坂美琴は左腕を振るう。
 雑な軌道で放たれた雷光がヒースクリフ周辺に着弾し、周囲が爆ぜる。

「願わくば最期まで行く末を見届けたかったが、叶わぬか――それも、仕方あるまいな」

 宙を舞うヒースクリフは孤独に立つ彼女を見ていた。
 狂ったことを自覚しながら、己は狂っている中でもマシな部類だと言い聞かせる哀れな敗北者を。
 仮に彼女が全てを殺害したとして、最期に待ち受ける存在を前に、心を保てるのだろうか。
 一人の人間が、それも多感なる時期の少女がどのような結末を迎えるのか、此の目で確かめられないことが残念だと声に漏らす。

 雷爆による衝撃と調律者によって定められた生命の限界により、ヒースクリフの身体は粒子となって無に還る。
 此度のゲームの運営者にして唯一の参加者が、其の生命に幕を下ろす。
 彼が最期に目にするは、二人の希望だった。ゲームを通じてドラマを生む、どうしようもないお人好し。



「本当に残念だ。此処からが、本番だと……言うのに」



 ほんの小さな風が吹いた。
 光る粒子を地平線まで運び、始まりの男が世界を去る。
 そして、彼の死を以て、箱庭世界に於ける生存者は正真正銘、生存者のみとなった。


「随分と遅い到着ね。あと三分くらい早かったら、救えたかも知れないのに。
 まあ、あいつを救いたいと思う奴なんてあんたぐらいしかいないと思うけど――エドワード」


 鋼の錬金術師エドワード・エルリック。アヌビス神と共に立つ雪ノ下雪乃。
 彼等が到着し、ヒースクリフの消滅を見届け、御坂美琴は静かに呟いた。
 まるで目の前の塵が風に飛ばされたような、注目はすれど、興味を抱かないような冷めた瞳だった。

「お前……やりやがったな」

 エドワード・エルリックの代名詞とも呼べる機械鎧の拳が力強く握り込まれた。

「あんな奴、死んでも困らないでしょ。あいつが居なければ、こんなことにはならなかった」

「その通りだ。だけどよ、ヒースクリフが居なければ、此処まで俺達は辿り着けなかった」

 御坂美琴の言葉を一蹴し、彼はまくし立てる。
 この世に失っていい生命などあるものか、意味のない人生などあるものか。

「あいつの知識に俺達は何度だって助けられた。それはエンブリヲだって同じだ、勿論あいつらを許せなんて言うつもりはねえ。
 でもな、目の前に救える生命があるなら、どうして手を伸ばさない。なあ、御坂。俺は嫌なんだ……これ以上、誰かが死ぬのは」

「弱い言葉は聞いててイライラする」

「絵空事を言っている自覚はある。だけどな――甘い事を言っているつもりはねえよ」

 何度、聞いただろうか。
 肉と金属の合わせ音――鋼の錬金術師が掌を合わせた。
 蒼白の錬成光が彼を包み、気付けば機械鎧の腕に刃が付与されていた。

 同時に雪ノ下雪乃もアヌビス神を構える。
 肩で呼吸を整え、弱い心に蓋をし、この瞬間だけは刀身に全てを委ねる。

『これが最期の戦いかもしれねえ。少しの無茶は許せよな』

「最期だからって気を遣うなら、最初からそうしてほしいものね。それと、無茶している自覚はこれまであったのかしら。だとしたら、それは少し驚きね」

『……すいません』










「甘い事は言わない、か。いいわね、それ。
 だったら不意打ちが卑怯だとか、口上の途中に攻めるなんて常識知らずだとか……言いっこ無しだから」









 御坂美琴の焦げた右腕が振るわれた事に気付いたのは全てが終わった後だった。
 鼓膜をも斬り裂くように、大地を抉り、空を割き、世界を揺るがす容赦のない稲妻が地上を迸る。
 誰もが反応出来ず、あまりの不意打ちにアヌビス神さえもが身体を撚る程度にしか動けない事態となり――