「死神の見る夢は、黒より暗い暗闇か?(前編)」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

死神の見る夢は、黒より暗い暗闇か?(前編)」(2018/05/01 (火) 13:36:02) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

216 *死神の見る夢は、黒より暗い暗闇か?(前編)◆ENH3iGRX0Y 死神の見る夢は、黒より暗い暗闇か?(前編) ◆ENH3iGRX0Y :2018/03/20(火) 02:32:30 ID:CXQry2CI0 アンバーの能力は時間制御、実質それは無敵の神に等しい全能と言ってもいい。 はっきり言えば何でもありだ。 時間を止め、その間に他者を殺害することも、望まぬ未来を巻き戻しやり直す事も何でもできる。 『対象を完全排除します。ご注意ください』 だが、今回ばかりは違う。 相対する相手もまた全能だ。正真正銘の不死の力を手にし、イザナミより与えられた力を制限すらなく完全に振るう事が出来る。 この箱庭に於いて、最も神に近い存在と言っても過言ではない。 「残り一発」 デコンポーザーが直撃し広川の上半身が吹き飛ぶ。 原子レベルでの破壊は生身の人間が当たれば、痛いでは済まない。 骨すら残さず、広川の体は下半身だけを残して消滅した。 「死ぬというのは、どうしても慣れないな」 だが、消滅した上半身が再生を始め人間としての形を取り戻していく。 ドミネーターを持つアンバーも決してこれで広川を殺せるとは思ってはいない。 この程度で殺せるのなら、エドワードとアヌビス神の力を借りて時間停止でハメ殺していた。 「どうするんだ。アンバー、君は私をどうやって倒す?」 参加者に支給されたものと違い、アンバーの持つドミネーターはフル充電で三発のデコンポーザーを撃てる。 完全な製品だ。しかし、広川を滅ぼすには至らない。 (イザナミの影響でデコンポーザー判定してるけど、エリミネーターのが良かったな……) むしろ今回のケースに限っては、無駄にオーバキルで燃費の悪いデコンポーザーより パラライザーのが気絶させ無力化させることが出来、無制限。それか、デコンポーザーより威力は下がるが弾数が増えるエリミネーターのがマシなくらいだ。 「どうしようか、困ったなあ」 軽口を叩き、微笑んで見せるアンバーだが心中は穏やかではないだろう。 アンバーの持ち得る全ての力を以ってしても、広川を倒しきる事は出来ない。 イザナミの不死の力はまさに呪いの域にあり、あらゆる方法であっても死へと到達させ得ない。 「ヨシツネ」 ヨシツネの持つ最強のスキル、八艘跳び。 これを真っ向から捌ききれるのは、お父様を含めた参加者の中であってもブラッドレイただ一人を置いては他にはないかもしれない。 アンバーも南米で兵士として活躍はしてきたが、ヨシツネの剣戟を完全に見切る事は難しい。 「危ない危ない」 だが、アンバーは広川の眼前ではヨシツネの動きを完全に超越した。 まさに瞬間移動のような身のこなしでヨシツネをアンバーがあしらっていた。 時間の制御だ。最小限で時間を操作し、攻撃が当たらないギリギリのラインを常に維持し攻撃を避け続けている。 それがこの奇跡のような身のこなしを実現した。 「厄介だな。時間の制御という点では、君は最強の契約者だろう」 制限抜きでも判明した限り、最大でも8秒という制約のあるDIO、一日に一度という限度が定められたエスデス、彼女らを超える長時間の停止を可能とするが本人の力が非力な暁美ほむら。 この三人に比べ、アンバーは時間を自由自在に操作し支配し、掌握できる。 「しかし」 一見すれば三者の時間操作能力者達に引けを取るどころか、圧倒的に勝り優れた能力をアンバーは有している。 「対価の重さがなければだが」 斬撃を避け、華麗にヨシツネの死角に回るアンバーに傷一つなく、息切れもない。 だが紛れもなくアンバーは消耗していた。 彼女の対価である若返りだ。 能力の使用の度、アンバーは若返る。 女性からすれば魅力的な能力だが、当のアンバーからすれば厄介な足枷にしかならない。 適度な使用ならば永遠の若さを保てるものの、過度な使用はアンバーの誕生以前までに遡ってしまう。 つまり、それはアンバーの存在の消滅に他ならない。 遡れる対価が消えてしまえば、対価としてその生を奪われてしまう。 「残された対価で、幾ら耐えきれるかな」 ここに来て、アンバーは短時間で能力の使用を重ねていた。 二度に渡る時間の巻き戻しに加え、黒との対話で一回、更に広川との戦闘では数えきれない。 対価を抑えながら節約して使用しているのだろうが、着実に対価はアンバーの命を削っている。 (賢者の石で何とかカバーしてるけど……長く持たないかも) アンバーは掌で光る赤い石に視線に向ける。 エルリック兄弟が求め、錬金術師が完璧な物質と称賛する宝石。 作成までに多大な人の命を要求する代わりに、使用者に絶大な力を齎すそれはアンバーにも当てはまる。 箱庭の制限により時間制御に制限が課せられた現状でも、数秒の巻き戻しと、一定時間の時間停止ならば可能な程の緩和された。 そして対価の支払いも素で使うより、緩やかにアンバーを若返らせてくれる。 「こっちは一応制限に乗っ取ってやってるのに、そちらは制限一切なしなんて、ちょっとズルくない?」 もっとも相手は更にそれ以上のイカサマと反則を駆使してきているので、優位には立てないが。 「このゲームに拘りなどないものでね。使える手段は何でも使わせてもらうよ」 無数の轟音が響き、アンバーの鼓膜へと木霊する。 その緑の長髪を揺らしながら、戦いが始まってから幾度となく繰り返した同じ動作を繰り返す。 斬撃は虚空を奔り、アンバーは死角をキープし続ける。 一つ違うのは、アンバーの背丈が縮み、以前よりも幼くなったことだけだった。 「じゃ、それ貰おうかな」 広川の不死身はイザナミを召喚したことによる本体への影響だが、ヨシツネを操っているのはあのペルソナ全書によるものだ。 あれを奪うことが出来れば殺せはしないものの、大分楽にはなる。 少なくともイザナミは黒を相手にしている以上、広川本人は死なないだけの無力な一般人だ。 「―――!」 時間を停止させる。今のアンバーが停止を維持できるのはほんの数分程度だが、本を奪うには十分すぎる。 広川へ肉薄しその腕に抱えたペルソナ全書を引っ手繰った。 あまりにも呆気なく奪えたことに、アンバーは訝しそうに広川を凝視しながら距離を置く。 そして、時が再び動き出す。 「ッ!?」 アンバーが若返り、更に幼くなる。 広川は唯一の武器を奪われながらも平然とした態度で佇む。 相対するアンバーは、ペルソナ全書を握る左腕に違和感を覚えていた。 「……そう簡単には奪えないか」 左腕を貫く槍。 アンバーの腕は赤く染まる。 更にペルソナ全書に複数の鋼の鎖が巻き付いていた。鎖は強く固定されアンバーの力では振りほどけそうにない。 「返してもらおうか」 激痛に顔を歪め、緩んでアンバーの手から鎖を手繰り寄せペルソナ全書を回収する。 その広川の背後の空間は歪んでいた。 アンバーを突き刺した槍も、ペルソナ全書を掴んだ鎖も全てはその空間から突如として現れたものだ。 「そんな支給品、あったけ……?」 「これもイザナミが用意してくれたよ。8枚目のクラスカードというらしい」 英雄王ギルガメッシュが振るう王の財宝、それは人類が作り上げた物であればあらゆる原典たる宝具を放つ。 イリヤ達が辿る正史において彼女らに立ち塞がった最強の障害の一つだ。 「まだ、他にも色々残ってたりするの?」 アンバーは苦笑しながら広川へと語り掛ける。 何らかの戦闘手段を用意するのは予測できたが、規模の大きさには驚きを超えて呆れしかない。 お父様が入手を断念したようなものまで、よくイザナミの力を借りたとはいえ用意したものだ。 「アンバー、君を相手に警戒しすぎという事はない」 「ちょっと過大評価なんじゃない?」 「いや。今この瞬間も君が何をしでかすか、ヒヤヒヤしているくらいだよ」 少しは油断なり慢心でもすれば楽なのだが、お父様やエンブリヲのようにそういった隙は全く無い。 それも当然だ。 この男は誰よりも劣り、最弱であった。それ故にあらゆる可能性を考慮し、完璧な布陣を敷いて戦いに臨んでいる。 「凄い執念だね……。そこまでして、人間を間引きたいんだ」 「それはこちらの台詞だよ。あの男の為に、一体どれだけの対価を支払ったんだ」 「さあ?」 アンバーは軽い調子ではぐらかすが、恐らく広川が考えられない程の時間を超えようやくあの男が生存する未来を掴んだ筈だ。 この殺し合いでも時間制御に制限がある上で尚、ヒースクリフや魏志軍を利用しながら上手く誘導したものだ。 「黒は助けよう」 「冗談なんて言えるんだ。少し驚いた」 「イザナミとの契約もある。どちらにせよ、私は黒に危害は加えられない。  手を引け、アンバー。君が命を張るには、奴らの価値は見合わない」 イザナミが黒を求めていることは知っていたが、それをダシにしてくるとは予想外ではあった。 当然アンバーが首を縦に振ることはないが、広川に抱き始めた疑念からアンバーは即答せず会話を続ける。 「どういうこと?」 「あの生存者達は君の対価に見合う価値はないということだ」 アンバーは口を閉ざし沈黙した。 「罠だと思うか? だが良く考えてみろ。私は君を消耗させるだけでいい。  今こうして言葉を交わし、得をしているのは君じゃないか?」 態々言葉巧みにアンバーを翻弄せずとも、攻撃を続けるだけで、アンバーは勝手に対価を支払い消滅してしまう。 しかし、アンバーにとってこの会話はそれを引き延ばす行為であり、先へ行ったエドワード達への時間稼ぎにもなる。 「君の時間操作は有益だ。その力を提供してほしい。  何も君が消滅するまで能力を使えという訳ではない。そちらの都合も鑑みる」 アンバーにとって時間稼ぎになると割り切っても、嫌な言葉の響きだった。 「何故、契約者が生まれたと思う?」 広川の台詞にアンバーは自然と広川を強く凝視した。 契約者という存在の理由、それはアンバーも興味がないわけではない。 「……地球上の誰かがふと思ったのだ……生物(みんな)の未来を守らねば、と……」 広川は、今まで淡々と機械の様に平坦な声で声を発していた だが、この台詞だけは熱が込められ、僅かに広川の肩も震えているように見えた。 「アンバー、君の力は生物界のバランスを守る為に、地球の先を見据える為に使うべきだ。  契約者(きみ)は人間の天敵でなければならない」 広川は様々な世界を見た。その中で思ったのが、契約者とパラサイトの共通性であった。 何の前触れもなく人間から成り代わり、殺人を逃避せず人を殺める存在。 経緯こそ違うが、自らを第一に考え冷静に合理的な判断を下すその姿は契約者もパラサイトも同じではないか? 「私は思う。異能という物が何故生まれたのか、それは人間の天敵たりうる為だと。  私の世界はパラサイトだった。君の世界は契約者というようにだ」 異能という力はどの世界であっても強大であり、人を殺めるに適している。 まるで人を浄化し地球の未来を担う存在であるパラサイトのように。 「違う」 しかし、アンバーは強く否定する。 この時、初めてアンバーの顔から笑顔が消えた。 強い憤怒をその表情に表しながら、アンバーはそれを抑えながら怒りを込めた声を発する。 「契約者(わたしたち)は貴方の言うような殺戮マシーンじゃない。  パラサイトもそう、何かを殺す為だけに生まれる存在なんてない」 契約者もパラサイトも人を愛することがある。 アンバー本人がそうであるように、パラサイトの田村玲子もミギーも誰かの為に散っていった。 広川の言っていることは一方的な押し付けに過ぎない。 自らの持論と理想を、都合よく枠に当てはめているだけだ。 誰が望んで人など殺めているか、契約者もパラサイトも生きる為に他者を殺害しているだけだ。 「私が時間を巻き戻す前に、エドワード君にこの殺し合いの死は全て無価値とか茶番って言ってたよね」 「そうだな」 「貴方にとって、誰かを想うって事はそんなに意味のないことなの」 アンバー自身、自分が感情的になっていることを何処かで冷静に客観的に見えていた。 全身が熱く、心臓の音が耳に付く程、今アンバーはムキになっているということだ。 「当然だ。人を想う前に視野を広め、全てを含めて考えるべきだろう。  我々が住み、共存していく地球(ほし)、最も優先すべきは何か? これがなければ我々は重力という庇護も受けられず、呼吸もままならない。  だが、世界は地球を疎かにし、環境保護も人間を目安にした歪な物だ」 広川はアンバーの感情論を下らないと吐き捨てる。 彼の思想には、人と人の繋がりなど一切ない。重要なのはやはり大局を見据えることなのだ。 如何な素晴らしい愛情が人にあろうとも、その種が住まう母星がなくては意味がない。 ありとあらゆる生命が混在し、共存する世界の存続こそが全てにおいて優先される。 広川は憂いている。 地球の先を。その星に住まう者の一人として。 「似ていると思わないか? この殺し合いも私達を滅ぼせば済む話だろう。思想の違いはあれど、あの箱庭で無意味な殺し合いを重ねる必要などない。  何時だったか、時間稼ぎの為に雪ノ下雪乃もブラッドレイに言っていたな。その真意はともかく。  奴らは自らの尺度を目安にしつまらぬ偽善を掲げ、自ら潰し合い滅んだ」 「好都合じゃない? 貴方の望んだ間引きでしょ」 「あれが間引きに見えたか? 最早戦争だよ。あくまで小規模であったというだけだ。  私は人間を滅ぼしたいのではない。人間という一つの種として、存続したうえで生物のバランスを取り、全ての生物が共存すべきだ。  戦争によって己が種を滅ぼす。それどころか兵器によっては、地球に多大な害すら残す。何という愚かしさ」 決して、人類を滅ぼすことが広川の目的ではない。 バランスの取れた自然界のピラミッドを構築する。その為に程々に数を減少する為に間引きだ。 だが、人間同士が全力で争えばそれ以上のバランスの崩壊を齎してしまう。 例え世界の総人口に比べ、少人数であったにせよこの殺し合いは既に10人を切った。 パラサイトの間引きでは人間によって容易く滅ぼされる。しかし、人間同士の間引きではいずれ種ごと滅び去る事だろう。 「……かもね。けど、それが無価値がどうか決めるのは広川じゃない」 「それが驕りだよ。  地球に寄生し、自己を正当化し美化し続ける害獣……まさしく、寄生獣だな」 広川はそれが気に入らない。 人間を不要に賛歌し、その可能性を見出そうとする現実の逃避に。 一切の解決にもならない。 広川とて自らの理屈の稚拙さに気付かぬ程、教養のない人間ではない。 しかし、最早強行手段でもなければ地球という星は守れない段階にまで来ている。 未来へ残す、生命と自らの子孫達へ渡すべく地球。それらを穢す存在があるのなら、例えその手を血に染めようとも駆除しなければならない。 それが地球に生を与えられ生まれ落ちた霊長の長としての使命なのではないか? 「よくそんな、ただの馬鹿デカい玉に一生懸命になれるよね」 アンバーは退屈そうに溜息を吐いた。 全く理解も共感も出来ないと言いたげに目を細めて、呆れた様子を広川に見せつける。 もしも明日地球が滅びるので、それを何とかするのに協力しろと言われればアンバーも力を貸すだろう。 「こっちは……一人守るだけでも精一杯なのに」 だが、広川の言っていることは何年後の話だ? 百年? いや千年か? とてもではないが、アンバーの知る所ではない。はっきり言って他人事に過ぎない。 「きみだって、動く水分とタンパク質の塊にご執心じゃないか」 こうなることは、アンバーのような予知能力がなかろうと広川には分かっていたことだ。 アンバーは……いや人間は所詮自分主義の生き物である。 普通の生物と違い、考えることの出来る高い知能を持ちながらそれらを自らの為にしか扱えない。 その皮肉には失望の念を込められていた。 「分かりあえないのはお互いさまかな」 轟音が響き、先ほどまでアンバーがいた場所をヨシツネが刀で抉っていた。 「きみは契約者と人間の争いを誰よりも間近で見ていた」 アンバーはありとあらゆる時間を行き帰し、南米戦争という世界大戦規模の戦を生き延びた。 それだけではない。人間がその武力を行使し、契約者という存在を全て抹消しようとしていた為に更なる争いも起きた。 「自らが属する種を滅ぼされる危険性を誰よりも理解したはずだ。人間が如何に増えすぎ、生物のバランスを崩してしまうか……。  だからこそ、多大な犠牲と対価を払ってまで、人間に戦いを挑んだ」 契約者という存在を守るために、黒を死なせない為に途方もなく大きな人間と組織にアンバーは戦い続けた。 その中でアンバーは契約者と人間の諍いは終わらない。否、自らの天敵すらも容易に滅ぼしえる人間という存在の異常さに薄々気付いていた筈だ。 自然という摂理から独立し、その種は減るどころか爆発的な増加を辿り続ける。 その果てにあるのは地球という星と自らの破滅でしかない。 「間引きが必要であることは他ならぬ君が分かっているだろう! 全ての生物の為にも、契約者……そして人間自身の為に―――」  「私は黒の守りたかった世界を守ってあげたい」 アンバーはヨシツネの射程外より姿を見せる。 容姿は更に若返り、対価の支払いの限界はもうすぐそこだ。 「人と契約者の共存……どんなに困難な道でも、きっと誰も犠牲になんかしたくなかったと思うから」 その第三の道は黒にとっての不幸の始まりだ。 アンバーはそれを警告した。その道の先には戦いが待ち受け、また人を殺さなければならなくなると。 「……黒って可笑しいよね……。出会って一年もしないような人達の為に、自分が欲しいもの全部かなぐり捨てるんだよ?」 アンバーがゲートの中心で最後の決断を迫った時、黒は真っ先に東京の住民たちを心配していた。 皆、消えるのか? 南米の時の様にと。 唯一の肉親の妹と銀と過ごす未来も、本当の星空だって取り戻せたのに。 「この殺し合いに至っては、関わって数時間くらいの人達なのに。それでも、戦いの道を選んで……」 その顔にいつもの笑みはない。 ただ、哀愁だけが表情からは垣間見れる。 「ならば、取り戻してやればいい。きみならそれが可能だ」 もしも広川がアンバーならば、その通り黒の望む世界を作り上げていただろう。 そもそもが東京エクスプロージョンも一切の情報を与えない、あるいは偽りの情報で黒を誘導するなりしてそのままエクスプロージョンを引き起こせば良いだけの話だ。 契約者は生き残る。偽りの空は残るが、銀も死なずアンバーも消えない。そしてもう一度妹にも会わせることが出来た。 その世界線ならば、アンバー自身が黒と結ばれることもやりようでは可能だっただろう。 何を犠牲にしてでもあの男を優先し、自らの手に入れる好機は幾らでもあった 彼女が契約者として、合理的に判断するのであればそうすべきだった。 「本当に……そう出来れば、どれだけ楽だったかな」 契約者として、非合理な思考に支配されていたのは他ならぬアンバーが分かっていた。 奇妙な事に広川の方が余程、契約者染みているぐらいに。 何故その目的遂行に至るまでを遠回りし、結果的に結果を望んだものからずらしてしまうのだろう。 黒の幸せを願うのならば、問答無用で事を引き起こせば、自分も死なずに黒もこんな目にはあっていないのに。 「けど……私は……人形じゃない、人間を好きになっちゃったから」 いっそ、人形でも好きになっていれば楽だったのかもしれない。 人形は喋らない。笑いも泣きも怒りもしない。 どんな悪意だろうと善意だろうと、押し付けようが何も感じない。 だが人間は違う。一人一人の意志があり、思う事も感じることも様々だ。 例えそれが善意でも好意でも、当人にとっては必要のないことかもしれない。拒みたいことかもしれない。 だから、こうやっていつも話がややこしくなってしまう。 「少し、お喋りが過ぎたな」 非常に意味のない会話だっただろうと広川は思う。 彼は内心、契約者という存在に惹かれていた。物事を合理的に判断し、不要な感情を持たぬ人間の上位互換。 そんな存在ならば、地球という星の尊さと生物の未来について守らねばならぬ事を分かってくれるのではないかと。 だが、結果は御覧のありさまだ。契約者も所詮は、狭い視野で物事を考える。優先すべきは己自身とその都合だ。 アンバーとの会話も結局、互いの立ち位置と完璧な対立を改めて再認識させただけに過ぎない。 「時間のロスを取り戻さねばならん。即刻きみには退場して貰おうか」 広川はヨシツネを消した。 自らの攻撃手段の一つを手放したことになるが、アンバーはそれを喜ぶどころか悪寒すら感じる。 何時でも能力を行使できるよう広川の動作に注視し、またアンバーも身構えた。 恐らく広川はここから残された切り札を切ってくるのだろう。 それが何かまでは判別が付かないが、アンバーもただでやられる気はない。 こちらにも切り札は残してあるのだから。 勝負は一瞬、シビアなタイミングで練習も出来ないぶっつけ本番だが、必ず成功させなければならない。 ペルソナ全書よりタロットカードが浮かぶ。広川はそれを本を閉じることで叩き潰した。 「―――!?」 刹那、青い光の中から紅い閃光が奔った。 □ 猫と別れてから黒は霧の中を進んでいた。 少し前に御坂かあるいは足立のものか雷音が鳴り響き、上空からの戦闘音が響き渡っていたがそれすらも何も聞こえない。 時間の感覚も鈍くなり、どれだけ歩いたのかも分からない。数分程度か、あるいは数時間も歩いたのか。 普通ならば混乱に陥り、パニックになってもおかしくないが黒は平然としていた。 彼が黒の死神と呼ばれる最強の契約者だからか? それもあるかもしれないが、理由はもっと簡単だ。 ピアノの旋律が黒を導いている。 その曲調は優しい。流れる月光のように。 時折見られる激しい演奏は贖罪の終わりを求め、訴えているかのようだ。 ――――乙女 黒き夜 悲しみの弔い 一人 深き帳に沈む されど 寄り添う月は 白金に満ち 贖いの夜は静かに 去り 黒は組織に所属していた頃、銀が拉致され廃校で再会した時の事を思い出していた。 観測霊の光の中で、涙を流していた彼女の姿を。 「ここは」 舗装されていた道が一変し、更地の様になっていた。 何も残っていない。それこそ塵一つ。 しかし、黒はそこで戦いがあったのだと分かった。 更地の中に所々散らばる白い鎧の破片と、不思議な事にそれだけは完全な形だけを残していた赤いネクタイ。 その二つの品を黒は手に取った。それだけで誰がここで戦い、誰が死んでいったのか分かってしまう。 「杏子、足立」 一つは数々の戦いを経て、ようやく安眠の時を得た竜の鎧の破片だ。正確には鎧というより鱗に近かったかもしれない。 黒が手に取った瞬間、それらは砕け散り風に乗って、何処となく吹いて行ってしまった。 そして赤いネクタイは足立透が巻いていたものだ。 見ると少し伸びていて千切れかけていたことから、正規の使い方ではない方法、例えば誰かの両手に巻き付けたりなどして、拘束に使ったこともあるのだろう。 だが、また回収しご丁寧に首に掛けていた辺り、よほど思い入れがあったのか意外にも服装に気を使っていて、あのヨレヨレのスーツ姿も本人なりのお洒落なのだったかもしれない。 もう今となっては真相は分からず終いだが。 誰にも語られることのない。道化達の戦いはひっそりと終えてしまった。 「…………」 更地に一本のスコップが突き立てられていた。 黒が学院で、穂乃果達と犠牲者を埋葬した時に回収していたものだ。 スコップの下に、少し前に作ったぺリメリの残りが置かれている。 体調のすぐれなかった杏子も向こうならば何も気にせず食べれるだろう。 そしてスコップには赤いネクタイを巻き付けておいた。 奴に対し同情も何もないが、死んだのなら最低限の供養はする良心はくらいはあった。 黒は静かに背を向けその場を去っていく。 人知れずこの世を去った二人の愚者へ、ささやかな手向けを残して。 それからまた暫く歩き続ける。 霧に阻まれた視界の中、黒は躊躇いも迷いもない。 その場所へたどり着けると確信していたからだ。 「―――学院か」 視界の先に一つのシルエットが浮かぶ。 『彼女の希望ですよ』 エコーが掛かった高い声。 外見も白い衣装、長く伸ばした銀髪、男とも女とも取れる整った美顔。 名前が分からなければ、黒は相手が男か女かも分からなかったろう。 「イザナミ」 『フフ……それは私の事ですか? それとも―――』 黒の眼前に広がっているのは、イザナミとその背景にある音乃木坂学院だった。 この殺し合いの中で、最も多くの人間が関わり、惨劇と人の死を見届けたであろう施設の一つだ。 ピアノの音色は学院から響いている。スピーカーを使ったような機械的な方法ではなく、黒が予想もつかないような異能によって響かせているのだろう。 「銀?」 ピアノの演奏が止んだ。 イザナミの横に黒いスーツを着た銀らしき存在が見える。 『彼女からの願いでしてね。貴方と一つになりたいというのは。  死ぬ訳ではありません。夢を見続けることが出来る。貴方が望んだ、全てを』 「断る」 『それは困った。我々が交わした契約が果たせなくなってしまう』 「お前の理屈だ。お前らの契約などどうでもいい」 黒はナイフを取り出し構えていた。全てを隠しながら、白い仮面の下に何を想うのか。 『銀は貴方を一人にしたくない。貴方も一人になりたくはないでしょう?  広川の間引きというのを聞いて、嫌な印象を受けるかもしれないが、私の行う事は人が無意識に望んでいることだ』 「……」 『人は苦しみから逃れようとする。だが、それから逃避する偽りの霧は一度晴らされた』 正史に於いて、イザナミの霧は真実へ到達した者に晴らされた。 人間の可能性を認めさせた上でイザナミは完全敗北したのだ。 『それは人の本当の願いではないと否定されたからだ。では、その否定は本当に正しいのか?』 人間の可能性。それは認めよう。 しかし全ての人間にそれが当て嵌まるのか? 『強者の理屈ではないのか? 弱者の本音はどうだ? 私は全てをもう一度見極めたくなった』 膨れ上がる疑問は行動に変わる。 イザナミは小人に力を与え、後は全ての経過を観察した。 そして殺し合いを見た中でイザナミは一つの解、人の願いを叶えようとする姿を求めていたと考えていた。 『フラスコの中の小人に取り込まれ、その中で聞いた怨嗟の声は救いを求めていた』 救いを求められた時、イザナミはそれを叶えたくなった。 何故なら、イザナミは人々が共有する無意識の"願い"が具現化した存在である。 人が願いを叶えようとする願いを求めたのも、それが己の存在理由であり本能でもあったからだ。 『強者に搾取された弱者達は皆、逃避を選んでいた。そして勝者だけは未来(さき)を望む。  何故だ? 何故全ての願いは遂げられず、選ばれし一握りの者しか望みは得られない? 否、勝者ですら厳密に本当に満足のいく願いを叶えた者などいくらいるのだろうか』 勝負に勝った者だけが勝者とも限らない。 死して尚、自らの欲望を叶えたものもまた勝者ではあるだろう。その逆も然りだ。 勝ちながらにして、願望は遠ざかるだけの者も少なくはない。 最早、如何な手段であっても人の願いを叶えることなど出来ない。 『あらゆる願いが渦巻く中、私はそれを全て叶えられない。全てが正しく、全てが間違いではない。  一つ叶えれば、もう一つを否定してしまう。しかし……たったの一つだけあらゆる存在に共通することがある』 共通する欲望と言っても様々なものがある。極端な話では性欲、食欲、睡眠欲などだ。 だがこれらも元を辿ると一つの物に集約する。 『生存本能。  死だ。全ての人は死を恐れ、逃避している。……ならばそれを取り除く事こそが、人にとっての救いであり、願いを叶える事なのではないか?』 「だから、広川の言う間引きに乗じて人間を殺す……とでも言うつもりか」 『その通り、死に際にある恐怖を私の霧を使い覆い隠せば……死んだあとにはもう何の恐怖も逃避もない。  生きているからこそ、悲劇が起きる。だから、生きてさえなければいい。実に単純な話だ』 黒は舌打ちする。ふざけた救済論だ。 広川も含め、0か1でしか考えられないのだろうか。これ以上の会話は胸糞が悪くなるだけだと黒は判断した。 「もういい。お前の話は十分だ」 ナイフの切っ先をイザナミに向け、黒は宣言する。 「ここで殺す」 エンブリヲ、お父様のような後天的に超越した力を授かった存在とは違う。 目の前にいる正真正銘本物の神の殺害を。 『神を殺すか……クク……フハハハハハハハッ!  良いでしょう。身をもって知るといい。自分が何者に挑んでしまったかをね……』 嘲笑する神は人の姿を脱ぎ捨てる。 光が彼女を包み込み、霧が彼女を中心に渦巻く。 黒のコートが風圧に揺れる。まるで風の砲弾が、黒を黄泉へ続く崖へと蹴落とすかのように。 『さあ、来るがいい。業深き人の子よ!』 空に浮かぶ一体の巨神。 白と赤で統一され、拘束具を巻き付けられた女体とその下半身に人ならざる異形が連結している。 シコウテイザーには及ばないが、その異形はラグナメイル以上の巨体を誇る。 神と自称するだけの事はある。並の人間ならば、一目見ただけで戦意を失ってもおかしくはない。 「お前で三人目だ。自称神の馬鹿は」 だが生憎と神と名乗る連中はもう辟易するほど見飽きていた。 今更、驚きも畏怖もない。 『では、教えてあげよう。私こそが“神”』 決戦の幕開けを雷が降り注ぎ彩る。  黒はワイヤーの伸縮音を鳴り響かせ、イザナミの背後にある学院の端に巻き付け三階の窓へと飛び込んだ。 窓をぶち破り、ガラス片をバラまきながら教室の中を転がり華麗に着地する。 かつての学び舎は見る影もない。整頓された机や椅子は荒れ果て、黒板には亀裂が入っていた。 黒自身は知る由もないが、巨大化したエンヴィーの煽りを受けた為だ。 以前に訪れた時とは違う明らかな変化に、もしも花陽や穂乃果以外のμ'sメンバーが居たのなら、戸惑い困惑したのだろう。 だが黒には感傷に浸る暇も、思い入れもない。 外のイザナミに一瞥をくれ、教室のドアを叩くように開けると、疾走の勢いを殺さぬまま廊下へと飛び出す。 『全く、何を企んでいるのやら』 表情は拘束具の上から一切分からないが、もし顔が見れるのなら嘲るように笑っていることだろう。 やはり人は愚かであり、自らが導かねばならないという使命感に酔いながら。 イザナミは飛び込んだ黒の部屋目掛け雷を飛ばす。 爆音が炸裂し、教室の周りの学院の壁面に亀裂を刻み込む。 雷は教室を貫通しそのまま建物の反対側まで奔り抜け、教室の中にあった設備が音を立てて学院外へと吹き飛ばされていく。 それらの光景を尻目に黒は全速力で廊下を走り去る。 『追いかけっこがお望みなら付き合いましょう』 黒の背後を雷が打ち抜いていく。 先ほどのように学院を構成していた瓦礫片や、机、椅子が飛び散り黒の過ぎ去った後の場所を吹き飛んでいく。 一つ、二つ教室を破壊し黒は突き当りまで追い詰められる。 横の階段を降りようとした際、壁をぶち抜いて雷が階段ごと飲み込んだ。 黒は咄嗟にバックステップで避けていき、崩壊した階段を見下ろしながら階下へと飛び降りる。 「―――ッ」 砕けた壁の断面から見える鉄骨にワイヤーを巻き付け、黒は着地の寸前で勢いを殺し着地に成功する。 間髪入れず放たれた雷を身を屈めてからやり過ごし、荒れ狂う校内を走り続ける。 一切スピードを緩めず、黒は過ぎ去る教室の一部屋一部屋を念入りに横目で確認していく。 背後より迫る雷から逃れ教室内を一瞬で物色する際、一つの教室に人が倒れている姿が見えた。 カーテンが掛けられていたのだろうが、これだけの派手な騒ぎを起こせば碌な重量も持たない布は容易く吹き飛んでしまう。 一人は見覚えがある。島村卯月という僅かだが銀と行動を共にし、イリヤの騒動に立ち会った少女だ。 そして、更にその横で寝転ぶ全裸の少女“達”。島村卯月が引き起こしたとされる惨劇が腐敗臭を漂わせる。 なるほど。確かに、これは死を見慣れた黒が見てもショッキングな光景だ。こんな状況でなければ、言葉を失い暫く硬直していた。 あの二人が対立するのも、無理はないのかもしれない。 そしてもう一人、頭に花を付けた少女が横たわっていた。外見から予測できる年齢や情報交換で得た特徴と、その腕章から白井黒子の知り合いなのだと理解する。 頭の花は無残にも朽ち果てており、彼女の着ている制服は赤く滲んでいた。 同時に雷がその教室を穿つ。 今まで繰り返された光景だが、違うのは一つ。中に四人の人間だった物と一人の人間が居るという点だ。 四つの死体は雷に呑まれ、その腐敗臭と共に骨一つ残さず焼き尽くされ消し飛んでいく。 そのどれもが年頃の少女達だ。醜く腐り果てるよりは、美しさを保ったまま消えた方があるいは幸せだったのか。 瓦礫が吹き飛び、中に設置されていた様々な設備が吹き飛び宙を舞う。 黒はそれらとは逆の方向、雷が放たれた方角へと外に飛び出していた。 身動きの取れぬ空中で器用に体を捻り、懐から取り出したナイフをイザナミへと投擲する。 ナイフは一直線に僅かなブレもなく、イザナミの拘束具の下にある額へと吸い寄せられた。 鈍い音と共に額を刃が割き、頭蓋へと侵入する。その衝撃にイザナミの上体は後方へと反れた。 『お見事』 脳天にナイフが刺さったまま称賛の声を上げ、イザナミは視線を空中の黒へと向ける。 雷が点から降り注ぎ、それらは全て黒へと集中された。 だが次の瞬間、黒は既に伸ばしていたワイヤーを手繰り寄せ、その先に結びつけてある物を雷へと翳す。 雷は黒の腕へ集まり、全てが弾けるように眩い光を放つと消失していく。 『ほう……首輪か』 イザナミが注視して目を凝らせば、黒の手には銀色の輪っかが握られている。 首輪には異能を打ち消す力がある。彼は学院内に未回収の首輪があると推測し、雷を避けながらそれを探索していたのだろう。 目ざとい男だが、この戦いに於いてはこれ以上ない盾になる。 黒はワイヤーを学院の破損し尖った部分へと括り付ける。そこからワイヤーの伸縮を利用し学院側へと吸い寄せられていく。 再び学院内に戻った黒は、そのままイザナミの視界から姿を消す。 「……痺れている」 黒は走りながら、僅かに痙攣する左手を見つめる。 首輪で雷の直撃は殆ど避けたが、僅かに腕に被弾してしまった。 それこそ痺れる程度で済んだものの、当たり所によっては感電死は免れない。 以前、御坂との交戦では電撃に被弾してもダメージはなかった。その為、イザナミの雷もあるいはと考えていたのだが見当違いだったらしい。 もしも無謀にも正面から突っ込めば、黒焦げた死体を晒していたことだろう。 恐らくだがあの雷は雷の形をした、もっと別の何かなのだと黒は推測する。 御坂は黒と足立の電撃を吸収する為に、何らかの方法を用い拒否反応を起こし感電していたが、それとは違う。純粋にあれは電撃に見せた別の攻撃なのだ。 伝承によると、イザナミは黄泉の国で雷をその身に宿していたと言い伝えられている。 これはその伝承にある雷なのだというのか、黒には区別がつかない 『そろそろ、追いかけっこも飽きたでしょう』 イザナミの額のナイフが亀裂が走る。亀裂がより深くなり、耐え切れなくなったナイフは完全に砕け散る。 さてどうしたものかとイザナミは思案した。このまま鬼ごっこを続けるのも良いが、芸がない。 『これはどう防ぐ?』 天上の夜空が煌めく。 星空には見合わぬ雷光は音乃木坂学院を眩く照らし出す。 夜の空に広がる星が、そのまま降り下りたような光の塊は容易く学院ごと黒を滅ぼすことだろう。 メギドラオン。 最高位の万能魔法スキル。 足立透が佐倉杏子と共に滅び去り、鳴上悠がツヴァイフォームの多元重奏飽和砲撃と互角に打ち合うほどの威力を誇る 『何だ?』 メギドラオンが学院に直撃する寸前、突如嵐のような水音が響き渡る。 その水音は地面から轟いていた。強い流れの河が真下にでも引かれているようだ。 音は徐々に大きく明確になっていく。 膨張し続ける水音が臨界点を超えた瞬間、怒号の様な爆音が炸裂した。 学院が動いていた。 イザナミへと迫り、独りでに動き出していたのである。 メギドラオンは学院のあった場所を焼き払い、何もない場所を無意味に更地へと変えた。 学院は砲弾を思わせる高速度でイザナミへと向かう。 人が数百人単位で収容できる施設だ。それが砲弾の如く直撃すれば――― 生身の人間がその周辺で立ち合えば、鼓膜が破れ去るほどの大轟音が轟き渡る。 イザナミは自らに学院が触れる寸前学院の動力源をその目で見た。 『そうか、ブラックマリンを―――』 学院に無数の水が張り付き、ホバーとして機能していたのだ。 お父様戦で黒が手にしたブラックマリン。これは触れた液体を操作する事が出来る。 以前、魏がアカメ達を相手にしたように水道の水を操作した上で学院の内部を把握し、的確にホバーの役割を果たせるよう黒は水を配置していた。 イザナミの雷から逃げ続けていたのも、これの時間稼ぎも兼ねての事だ。 そして当の黒本人はイザナミに学院が被弾する寸前、手前の建物へとワイヤーを括り付け俊敏に飛び移っていた。 地震の様に鳴り響く大音量に黒も耳が痛む。顔を歪ませながら、瓦礫と灰の中に埋もれるイザナミへと視線を向けた。 『―――良く考えた。と言っておきましょうか』 コンクリート片やガラスなど、様々な破片が入り混じった粉塵のなかにイザナミはただの掠り傷すらなく佇んでいた。 雷を一つ落とし余波で粉塵を振り払う。視界が明けていき、周囲の光景が飛び込んでくる。 そして黒が飛び込んだ建物へとメギドラオンを飛ばした。 熱風がエリア内を伝い、イザナミを煽るようにして彼女の拘束具を揺らした。 無論、手は抜いてある。黒は生け捕りにしなければ、契約を果たすことが出来ない。 最も生きてさえいればいいのだから、手足が千切れようが関係はないが。 メギドラオンが巻き上げた砂煙から一つの影が飛び出す。 ワイヤーを動力に振り子のように空中を飛びながら、黒は別の建物の屋上へと着地した。 すかさず雷を落とし、屋上を消し飛ばす。 黒は柵を一飛びで超え、重力に従いながら落下する。 その頭上で落雷し焦げた炭と変わった屋上を眺めながら、ワイヤーを雨どいに巻き付けて身体を支える。 落下し続けていた黒は建物の壁面で停止し、ガラスを蹴破りながら体を滑り込ませる。 常に黒が防戦し続け、ジリ貧で削られ続けている。 こちらが周到に用意した数少ない攻撃手段もあっさり受け止め無傷と来た。 神と名乗る者達とここまで三連戦で戦い抜いたが、今までの自称神とは格違う。 お父様は付け入る隙は多く、何より仲間もいたからこそ運にも助けられたが勝利を収められた。 エンブリヲは制限という枷と同時に、能力を除いた本人の戦闘の素質が皆無に等しい事もあり、連携もあって同じ土俵で戦えた。 しかし奴は、イザナミは彼らの抱えた枷もなくこれといった隙も弱点も存在しない。 広川のように制限なく全力の力を振るえる数少ない存在の一人だ。 何より広川に与えた不死の力を、あの女もまた兼ね備えている。日本神話の伊邪那美をなぞっているかのように。 「……足立のペルソナとも、何らかの関係があるのか」 ふと、奴が時折叫んでいた仮面の名がマガツ“イザナギ”であることを思い出す。 とはいえ、名前だけなら銀の覚醒した姿もイザナミだ。単に名前だけに関連性があっただけの可能性も否定は出来ない。 仮に逆転の鍵だとしても足立透は死んでいる。手札として利用することはもうできない。 建物を光が覆い、黒を照らし出す。 間髪入れず大規模攻撃を連発するイザナミに辛うじて喰らい付いていけるのは、この立体的な環境と黒の戦闘スタイルが噛み合ったお蔭だ。 もしも、雪乃やエドワードを連れてはこうはいかなかっただろう。 一人で来いと言い、わざわざ学院を指定したのは黒にとっては不幸中の幸いでもあった。 「……くっ」 爆風に煽られながら、黒は建物を脱出しワイヤーで落下速度を調節し華麗に着地する。 そしてイザナミへ向けた視線、その眼光が赤く光りランセルノプト放射光が黒を包む。 『何をするかと思えば、御坂美琴の真似か……だが貴方の電撃はその下位互換にあるのを忘れましたか』 イザナミと黒の距離は開いており、御坂美琴の様に電撃を投擲できれば別だが、黒は何を伝わせなければ電撃を直撃させることが出来ない。 物質変換をフルに使いこなせればあるいはそのような真似も可能かもしれないが、机上の空論でありそれだけの能力使用は難しい。 それを分かっていながら、黒を包む青い発光は収まる事を知らない。更に光を増していく。 駄目元で無駄な体力を消耗していることを理解してるのだろうか、イザナミは黒を見下し嘲笑う。 最早、万策尽きたとはこのことだ。 「ああ、そうだ。あの女の猿真似だな」 風の向きが変わった。 イザナミと黒の攻撃で巻き上げられた粉塵、砂塵は戦場の最中であっても風圧に舞い上げられ地面に落下するまでの長い間、浮遊し続ける。 それらが突如として動きを変えたのだ。 最初は風に吹かれるようにフワフワと浮遊し、黒とイザナミの間を彷徨い続ける。 すると動きにキレが増し、渦のようにグルグルと回転を始める。 「磁力の操作を真似るのは3度目だ」 イザナミを中心として砂塵の渦、より正確には砂鉄が様々なガラス破片や微細で鋭利なものを含め回転を行っている。 御坂美琴の操る電撃能力の応用ではあるが、イザナミ程の巨体を囲うほどの磁力を黒は何らかの伝えなしでは発揮できない。 だがそれらの砂塵は湿っていた。僅かにではあるが水分が含まれ、それらが電気を通し磁力を伝えている。 砂塵の渦は竜巻のように勢いを増し、その規模を高める。 砂鉄を初め、微細な粒たちは高速で震動、回転し、チェーンソーのような音を響かせる。粒と粒が擦れ打ち付け合い火花をも飛ぶ。 触れるだけで人は愚か鋼鉄ですら、引き裂かれ八つ裂きにされかねない暴風雨。 それがたった一つの存在へと向けられる。 イザナミを刻み込むように中心へ中心へ徐々に迫り、耳が張り裂けそうな程の甲高い軋みような音と共にイザナミを包み込んだ。 黒の目にはイザナミは既に見えてはいない。それだけの濃い砂塵の層がイザナミを飲み込み、黒の視界を遮っている。 手元を見下ろし、指に嵌めたブラックマリンを見つめる。 イザナミに気付かれぬよう通電用の水分を広げ、砂塵を起こすのはかなりの集中力と繊細さを必要とした。 もしお父様戦で御坂が回収していたブラックマリンを黒に渡していなければ、イザナミを相手に完全に攻めあぐねていたに違いない。 皮肉だがあの女が殺し合いに乗り、魏の死に立ち会わなければこれ程有力な武器は手に入らなかった。 『―――まさか……? そんな小さな力で私を倒せる気でいたと?』 砂塵の中心が光り、砲弾のような風が吹き荒れる。 黒が作り上げた砂鉄の砂塵は一瞬にして吹き飛び、小さな粒が黒へと降り注ぐ。 顔を腕で覆い、それ以外は身に纏っていた服が粒からは守ってくれた。 「また、無傷か」 腕の合間から黒はイザナミを睨む。 これだけの高速で振動する砂鉄の渦をイザナミは傷一つ付けずやり過ごした。 ただ単に硬いだけでも、お父様のような再生力でもない。 まるで最初からなかったことのように、イザナミは平然としていた。 『もう、満足でしょう』 憐れむように。慈悲をくれるように。イザナミは落ち着いた口調で話す。 『貴方は十分戦った。ですが、貴方が振るえる力は人界のものでしかない。  文字通り、存在としての次元が違う』 黒が放つ電撃はゲートより授けられた契約能力だ。 契約を交わし――より正確には白が交わし―――空想としか思えない異能を現実に変える。 黒に限らず、この場に呼ばれた異能者達はその種類と経緯は違えどあらゆる異能を巧みに操り、人の域を超えた存在だ。 だが、それらは人の世界に留まっている程度のものでしかない。 この人の住む世界に囚われている存在では、イザナミには一切通用していない。 恐らく人間の領域内で引き起こされる事象をイザナミは全て無力化している。 例えそれが物理に従った科学であろうが、超常的な異能力であろうが神の域にいるイザナミにとっては些細な事に過ぎない。 「満足したかどうか、それを決めるのは俺だ!」 『何故分からない……。私を消すなど不可能だ』 過去に一人だけ、人の総意すら超えてその神すら退けた男が居たが―――既に彼は敗れ土の下だ。 人の世に満ちる全ての嘘……幾千の呪言を吹き晴らし、真実を射止める究極の言霊。 この世界に於ける真実へと到達しえる者は消えた。 イザナミの敗北は絶対に有り得ない。 広がる光の濁流から黒はワイヤーで吊り上がる。コートの裾を光は焼き、黒が先ほどいた場所を抹消する。 イザナミが放ったメギドラオンを避け、黒は全身からランセルノプト放射光を放つ。 砂鉄が意思を持ったように動きを取り戻し、巨大な球状へと変わる。 砲弾のように砂鉄は放たれ、イザナミの腹部へと直撃した。 『同じ手を―――もうタネ切れか』 イザナミに触れた砂鉄は爆散し、吹き荒れる。 それらをもう一度磁力で束ね、御坂が操るように刃を形成していく。 無数の刃がイザナミを囲う。一秒の誤差もなく同時に刃は振り下ろされた。 『諦めなさい』 天から注がれた雷が砂鉄を消し飛ばし、土煙を上げる。 更に砂鉄を操作し黒はイザナミへと叩きつけるが、それらも全て同様に雷が一瞬にして無へと帰す。 イザナミの声に耳も貸さず、黒は次々と砂鉄を操ってはイザナミへと放つ。 それらは全て無力化され、ただの一つも傷をつけない。 傍から見れば無駄な行為を繰り返し、黒は自暴自棄になったとしか思えない。イザナミも同じくそう考えていた。 紫電が一筋、光る。 刹那、視界を赤く燃え滾る猛煙と轟炎が染め上げた。 『これ、は―――』 条件は揃っていた。 黒が砂鉄を操りながら、宙に巻き上げる。そしてイザナミも自らの力で同じくあるものを吹き散らす。 砂鉄と同じ程度の重量で容易に風に乗ってくれる物質。 それらが起爆剤となり、莫大な規模の爆破を引き起こす現象を。 黒がこの場で出会った強敵、後藤にも使った手の一つ粉塵爆発。 今回は更に後藤の時以上の規模で、黒本人も巻き込まれかねない程の爆発を引き起こしていた。 導火線である黒の電撃が必要な為、イザナミに悟られぬようギリギリの距離で着火し神速の身のこなしでワイヤーを使い離脱する。 服の表面が僅かに焼かれていたが黒は無事爆破から逃れていた。 『何も理解していない』 爆破の規模は凄まじく、周囲の木々や建物を吹き飛ばし更地へと変えていく。 だが、無しか存在しえぬ場所で声が響く。 『こんなモノで私を倒せる気でいたのか』 黒が起こした粉塵爆発は更に大きな爆破により飲み込まれ、消滅していく。 『さあ、次はどうする? どんな手を使う?』 煽るように紡がれるイザナミの声は更地の中心から良く響く。 爆煙越しからも分かる巨大なシルエットは神の偉大さを示し、黒に見せ付けているようだった。 「まだだ……!」 ありとあらゆる手段を用いながらも一向に戦況を引っ繰り返せない。 だが黒の闘志は未だ燃え続け、折れることを知らない。 爆煙の中に混じりながら、気配を顰め黒は疾走する。そしてイザナミの背後へと回り込む。 「まだ、一つだけ試していないことがある」 黒はベルトからワイヤーを引き出し、あろうことかイザナミの首元へと括り付けた。 ワイヤーに引き上げられ大きく跳躍した黒はイザナミの異形の上へと飛び乗る。 イザナミ以上に質量を持った攻撃も、砂鉄を使った大規模な斬撃も、全てを焼き尽くす爆発も。全てが通用せず、神を打ち取るには至らない。 それらは人の持ちうる術の理の中であり、神の域へと踏み入った物ではないからだ。 神を滅ぼすならば、神と同等の力を使うしかない。 だが神すら否定する幻想殺しは開幕の惨劇に斃れた。幾万の真言は霧に包まれ、永遠の迷宮へと封じられた。 イザナミは無敵だ。 「死ね」 黒の手はイザナミの頭部を掴み、万力のように締め付ける。 拘束具の上からでも分かる握力の強さに頭が軋む程だが、その程度では痛みすら感じない。 まさかこれが最後に黒が繰り出した攻撃なのだとしたら、失望というほかない。 しかし予想に反し黒をランセルノプト放射光が包む。 とはいえ見慣れた光景であり、これから行われる事も容易に先読みできる。殺し合いの中で幾度となく彼が使い続けた電撃だ。 『こんなもので―――』 だが電撃は始まりに過ぎない。黒の、BK201の真価は物質の支配かつ電子の掌握にある。 例えそれが神であり人間の手の及ぶ存在でなかったとしても、存在する時点で何らかの物質によって構成されている。 如何なる存在であっても物質である以上、BK201の力で干渉することは可能だ。 無論、神を滅ぼすほどの力を放つことなど黒だけでは無理だ。黒が引き起こせる物質変化は精々が火薬を安定した物質に変える程度に過ぎない。 『何……!?』 逆に言えば黒の力を増幅させる何かがあれば話は別だ。 黒の指に嵌められた指輪、水龍憑依ブラックマリンは水棲の危険種が水を操作するための器官を素材とした、紛れもなく生物を帝具へと加工したものである。 錬金術師の言葉を借りれば、危険種の命を利用して作られた賢者の石とも言える。 ブックマリンを中心にランセルノプト放射光がより濃くなり、黒の力が増幅されていく。 賢者の石は錬金術のみならず、使い手の異能を補助し更なる莫大な力を齎す。黒が首輪を解除した時と同じだ。 過度の集中が黒の脳を締め付けるような痛みで犯していく。 物質変換という、あらゆる万物を思うがままに操る力は人の身には余るものだ。本来の使い手である黒の妹の白ですら、電撃をメインに使用する程に。 例え賢者の石に等しい帝具を利用したとしてもその負担は計り知れない。 「終わり……だ!」 爆ぜて弾けそうな脳内の激痛を耐えながら、黒は能力を最大限に開放する。 ブラックマリンに音を立てて亀裂が刻まれていく。それは黒が力を増せば増す程に深くなり、比例して破壊へと自らを導いていく。 苦痛にもがくイザナミに振り払われそうになるが、黒はその手を離さない。ブラックマリンの亀裂すら視界に入れず、電撃を発し続ける。 『や、やめ――――』 イザナミを包む拘束具が罅割れる。 内から溢れる光に飲まれ、イザナミの巨大な全貌が弾け飛んだ。黒は余波に煽られながら、地面へと打ち付けられる。 何度か地べたを転がりつつ受け身を取り、黒はイザナミの最期を看取る。 同時にブラックマリンは亀裂に耐えきれず、砕け散った。 「……くっ……ハァ……ハァ……」 コートが傷つき、綺麗に揃えられた裾がギザギザな不格好な切れ端と変わる。 吹き飛ぼされた際に左肩を打ち付けたのだろう。痛む肩を抑えながら、黒は光の中で消失したイザナミを見つめる。 虚空しかなく、目の前には何もない。音を立てて砕けたブラックマリンが黒の指から滑り落ちる。 その全てを引き出されたブラックマリンは地面を転がり、更に細かく砕けると塵のようになった。風が吹き、塵は風に乗せられ何処かへと運ばれていく。 「かなり……消耗させられたな」 肩で息をする黒の額には玉のような汗が浮かんでいた。 やはりエンブリヲの指摘した通り、能力の規模に黒の処理が追い付ていないのだろう。 首輪を外した時のような荒業か、流星の欠片と大黒斑のような一定の条件を満たさなければ単独での能力発揮は厳しい。 この先の戦いで当てにするには不確定要素が大きすぎる。 「何処まで戦える……」 体力を鑑みても万全とはいいがたい。 未だ残る強敵たちもそれは同じだが、彼らを全員確実に仕留めきれるともいえない。 足立の脱落をカウントしてもまだ御坂やエンブリヲが生き残っている。 不利は承知の上だ。勝ち目の薄い戦いも、何度も強いられてきた。 だが諦めという気持ちは不思議となかった。 「……待っていろ」 額の汗を拭い疲労が蓄積し、動くのを拒否する体を前のめりに動かす。 先へ行かせた二人を追う為に、仲間をこれ以上誰も死なせない為に。 死神と呼ばれた男は駆け出した。 □ アンバーは何度も繰り返した時間の巻き戻しを行った。 対価の重さこそあれど、能力の行使そのものはさして難しいものでもない。 けれどもアンバーの表情は歪んでいた。 目の前の光景が信じられないと語るばかりに、目を見開き現実を直視する。 「……」 時間の制御という点に於いて、アンバーが失敗するという事はあり得ない。 彼女を縛る制限も賢者の石という補助を用いることで緩和することに成功している。 巻き戻しに限度はあれど、広川の放つ猛攻をいなす程度わけもない。 「安心しろ。時間だけは巻き戻っている」 混乱するアンバーに指摘するように広川は声を発した。 確かに時間は巻き戻っている。それは広川の言う通りアンバーも実感していた。 間合いの距離や、二人の立ち位置など完璧に巻き戻っている。 つまるところ能力の発動は問題なく、能力の行使はこの箱庭に適用されているのだ。 「ガ、……!?」 では、この胸を穿つ激痛は何だというのか? アンバーの口から血が逆流した。口元の端から血が小さな赤い滝を作りだす。 顎を伝い、赤の粒がポタポタと地べたとアンバーのタイツを汚していく。 胸の空洞は赤く滲み、血が溢れだす。出血は収まることを知らず、膨張するかのように円は広がっていった。 アンバーは立つことすら敵わず、前後に揺らぎながら重力に従い頭から下げるように倒れかける。 左足を前に踏み出し、留まるが胸の痛みから膝を折りアンバーは跪くように体制を崩した。 「私は、一つ面白い発見をした」 広川が手にある本を弄びながらアンバーへ見せ付ける。 ペルソナの力を借りることで、不死の他に多彩な攻撃手段を得ているのは知っている事だ。 だがペルソナの力の中で、時間の壁を越えられるものがあっただろうか。 アンバーも対価の使用以外では、広川はこちらを殺すことが出来ないと半ば確信していた。 だからこそ時間稼ぎには適任であると判断した。 「ペルソナとは、心の中のもう一人の自分が具現化した存在だ。しかし、不思議な事に自らの具現化でありながらその姿は主とは似ても似つかぬ存在だ」 足立透や鳴上悠が行使するペルソナはイザナミによって与えられた力であるという事を除いても、里中千枝や天城雪子のペルソナは文字通りもう一人の自分と向き合った末に習得したものだ。 それなのにペルソナの姿は本体と同じどころかかけ離れた部分が多い。 「重要なのは、ペルソナが既存の固有名詞を名乗ることだ。例えばイザナミ、トモエ、ヨシツネ等は日本の神話、英雄の名と同じだ」 広川の横に浮かぶのはヨシツネとは真逆の西洋の白い鎧に身を包んだ長髪の騎士だった。 手に握られた紅蓮の槍は怪しく光り、まさしく呪われた宝具と言えるだろう。 「ペルソナとは一つの分霊であり、ある魔術師たちの言葉を借りるのなら意思を持たぬサーヴァントと言えるのではないか。  もしそうならば、宝具を与えてやれば、彼らはその真名を開放できるのではないか」 新たなに姿を見せたペルソナの正体はアンバーにはすぐに分かった。 クー・フーリン。 アイルランドの英雄であり、武勇とその美貌で知られた存在だ。 ならばそのクー・フーリンが持つ紅い槍の正体も必然的に分かってくる。 呪いの朱槍。 蒼き槍兵が放つ必殺の宝具『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルグ)』に他ならない。 「世界が違えど、同じ英霊の質を持つ……それが劣化したペルソナという形であっても、宝具の担い手としては十分。  結果は見ての通りだ。ケルトが誇る呪いの槍……神話の一説を、この世界に再現してみせた」 あらゆる宝具の原典を所持する八枚目のクラスカード、あらゆる英霊をペルソナという仮面で呼び出すペルソナ全書。 その二つを組み合わせたことで、広川は神話の宝具を全て真名解放し思うがままに操れる。 「これが絶体絶命というやつだな」 広川は血だまりの中のアンバーへとそう吐き捨てる。 当のアンバーはいつもの飄々とした態度は見えず、血の中で苦しみに苛まれていた。 お父様の時は隠し所持していた賢者の石で難を逃れたが、今回ばかりはそうもいかない。 ゲイ・ボルグには不治の呪いが備わっており、賢者の石の使用でも治癒は不可能だ。 貫かれた箇所と併せて鑑みても完全な致命傷であり、アンバーの死は決定づけられた。 またこの槍は真名を解き放ち、一度放たれれば相手の心臓に槍が命中したという因果逆転した結果を作り上げてしまう。 槍が当たったと確定したアンバーが如何に時間を操作し逃れようとも、槍は時間を遡り因果律を操作し、アンバーですら及ばぬ時間改変により必ず心臓へと命中する。 彼女が刺し穿つ死棘の槍を避けえなかったのもこれが原因だ。 「僅かに心臓を逸れたか、やはり担い手の変質に伴い僅かに劣化しているのか……あるいは君の運が思ったより良かったのか?」 必殺の魔槍ではあるが、例外は存在する。 例えば相手がとても幸運だった場合は仕留めきれないこともある。 早々有り得ることではないが。 しかし、不幸中の幸いと言うべきか、アンバーに命中こそしたが即死ではなかった。 少なくともまだ広川の種明かしを聞ける程度には余力はある。 どちらにしろ死ぬのが、僅かに伸びたに過ぎないが。 「―――っ……」 アンバーの手が震える。掌の賢者の石が震えの震動で零れ落ちた。 それを拾おうとしたアンバーの右腕が一瞬にして抹消された。 クー・フーリンの槍が、神速でアンバーの右腕を切断したことにアンバーは気づくのが数テンポ遅れた。 悲鳴になる筈の声はあまりの呆気なさに呟きに終わる。痛みは後からジワリと時限爆弾のように炸裂したが、もがく程の体力もアンバーには残されない。 幼くなったことで低下した体力と、胸を穿たれ出血し失われた大量の血液が彼女の命を蝕んでいく。 跪いた体勢も維持できず、アンバーは血だまりの中に顔から倒れた。 「これは私が預かっておくとしよう」 アンバーの手元から離れた赤の宝玉は広川の足先へと転がり、コツンとぶつかると広川の手に掬われていく。 念には念をという執拗すぎる警戒心の表れでもある。 恐らく仮にゲイ・ボルグを防がれたとしても更に別の手段を、それが無理なら更に……広川は過剰ともいえる手札を揃えながら戦いに赴いたのだろう。 それだけの警戒を重ねながら、誰よりも最弱であった男は最後の勝利者として自らの悲願を果たそうとしている。 『執行モード、デs―――』 左手でドミネーターを構え、広川へ照準し引き金を引く。 音声がナビゲートし対象の破壊を予告するが、その音声は途中で遮られた。 ドミネーターの銃身を槍が貫通し、貫いたままアンバーの手から強引にもぎ取る。 そのまま紫電を漏らしながら、ドミネーターは破損した。 「私はホムンクルスのような失態は犯さん」 モノ言わぬガラクタとなったドミネーターをクー・フーリンは槍を払い引き抜く。 地べたに叩き付けられた文鎮以下の近未来的な鉄屑を踏みつぶし、広川はアンバーの眼前へと立つ。 アンバーの鼻の先には広川の靴先があり、前にも似たような光景を見た覚えがある。 そう、以前はお父様に急襲された時だ。 あの時もかなりの窮地にあったが、それでも生還する術を持ち得た。復帰こそ遅れてしまったが。 (今回ばかりは……無理だなぁ……) どうにもならない。 はっきり言って手詰まりだ。間違いなくアンバーはここで死ぬ。 思えば他殺されるというのはあまり考えたことがなかった。 誰かの為に消えることはあっても、他者による手で命を亡くすのは不思議な感覚だ。 (約束も果たせなかったし) エドワードと交わした謝罪するという契約も白紙にしてしまった。 「どうしようもないな……私って……」 ―――大好きな人に笑顔一つ取り戻してあげられないなんて。 「残念だったな。あの世に行っても、あの男とは会えないとは」 黒が生きてイザナミに捕らえられる以上、アンバーは死して――もし死後の世界があればだが―――そこでも黒と結ばれることはない。 そういった意味を込めた皮肉だったが、果たしてアンバーの耳の届いていただろうか。 頭を潰され、頭蓋が砕け散り血だまりに濡れた白い骨の残骸が散乱する。 肉片も飛び散り、脳ミソが露出しグロテスクな肉の塊が曝け出される。 緑の長髪は乱れ悲惨さを更に彩っていく。 二つの目玉は広川の足元にまで転がっていき、虚ろな瞳が広川を写しだしていた。 「これが長い時を生きた魔女の最期か」 【アンバー@DARKER THAN BLACK 黒の契約者】死亡 [[→>]]
216 [[←>死神の見る夢は、黒より暗い暗闇か?(前編)]] *死神の見る夢は、黒より暗い暗闇か?(前編)◆ENH3iGRX0Y アンバーの能力は時間制御、実質それは無敵の神に等しい全能と言ってもいい。 はっきり言えば何でもありだ。 時間を止め、その間に他者を殺害することも、望まぬ未来を巻き戻しやり直す事も何でもできる。 『対象を完全排除します。ご注意ください』 だが、今回ばかりは違う。 相対する相手もまた全能だ。正真正銘の不死の力を手にし、イザナミより与えられた力を制限すらなく完全に振るう事が出来る。 この箱庭に於いて、最も神に近い存在と言っても過言ではない。 「残り一発」 デコンポーザーが直撃し広川の上半身が吹き飛ぶ。 原子レベルでの破壊は生身の人間が当たれば、痛いでは済まない。 骨すら残さず、広川の体は下半身だけを残して消滅した。 「死ぬというのは、どうしても慣れないな」 だが、消滅した上半身が再生を始め人間としての形を取り戻していく。 ドミネーターを持つアンバーも決してこれで広川を殺せるとは思ってはいない。 この程度で殺せるのなら、エドワードとアヌビス神の力を借りて時間停止でハメ殺していた。 「どうするんだ。アンバー、君は私をどうやって倒す?」 参加者に支給されたものと違い、アンバーの持つドミネーターはフル充電で三発のデコンポーザーを撃てる。 完全な製品だ。しかし、広川を滅ぼすには至らない。 (イザナミの影響でデコンポーザー判定してるけど、エリミネーターのが良かったな……) むしろ今回のケースに限っては、無駄にオーバキルで燃費の悪いデコンポーザーより パラライザーのが気絶させ無力化させることが出来、無制限。それか、デコンポーザーより威力は下がるが弾数が増えるエリミネーターのがマシなくらいだ。 「どうしようか、困ったなあ」 軽口を叩き、微笑んで見せるアンバーだが心中は穏やかではないだろう。 アンバーの持ち得る全ての力を以ってしても、広川を倒しきる事は出来ない。 イザナミの不死の力はまさに呪いの域にあり、あらゆる方法であっても死へと到達させ得ない。 「ヨシツネ」 ヨシツネの持つ最強のスキル、八艘跳び。 これを真っ向から捌ききれるのは、お父様を含めた参加者の中であってもブラッドレイただ一人を置いては他にはないかもしれない。 アンバーも南米で兵士として活躍はしてきたが、ヨシツネの剣戟を完全に見切る事は難しい。 「危ない危ない」 だが、アンバーは広川の眼前ではヨシツネの動きを完全に超越した。 まさに瞬間移動のような身のこなしでヨシツネをアンバーがあしらっていた。 時間の制御だ。最小限で時間を操作し、攻撃が当たらないギリギリのラインを常に維持し攻撃を避け続けている。 それがこの奇跡のような身のこなしを実現した。 「厄介だな。時間の制御という点では、君は最強の契約者だろう」 制限抜きでも判明した限り、最大でも8秒という制約のあるDIO、一日に一度という限度が定められたエスデス、彼女らを超える長時間の停止を可能とするが本人の力が非力な暁美ほむら。 この三人に比べ、アンバーは時間を自由自在に操作し支配し、掌握できる。 「しかし」 一見すれば三者の時間操作能力者達に引けを取るどころか、圧倒的に勝り優れた能力をアンバーは有している。 「対価の重さがなければだが」 斬撃を避け、華麗にヨシツネの死角に回るアンバーに傷一つなく、息切れもない。 だが紛れもなくアンバーは消耗していた。 彼女の対価である若返りだ。 能力の使用の度、アンバーは若返る。 女性からすれば魅力的な能力だが、当のアンバーからすれば厄介な足枷にしかならない。 適度な使用ならば永遠の若さを保てるものの、過度な使用はアンバーの誕生以前までに遡ってしまう。 つまり、それはアンバーの存在の消滅に他ならない。 遡れる対価が消えてしまえば、対価としてその生を奪われてしまう。 「残された対価で、幾ら耐えきれるかな」 ここに来て、アンバーは短時間で能力の使用を重ねていた。 二度に渡る時間の巻き戻しに加え、黒との対話で一回、更に広川との戦闘では数えきれない。 対価を抑えながら節約して使用しているのだろうが、着実に対価はアンバーの命を削っている。 (賢者の石で何とかカバーしてるけど……長く持たないかも) アンバーは掌で光る赤い石に視線に向ける。 エルリック兄弟が求め、錬金術師が完璧な物質と称賛する宝石。 作成までに多大な人の命を要求する代わりに、使用者に絶大な力を齎すそれはアンバーにも当てはまる。 箱庭の制限により時間制御に制限が課せられた現状でも、数秒の巻き戻しと、一定時間の時間停止ならば可能な程の緩和された。 そして対価の支払いも素で使うより、緩やかにアンバーを若返らせてくれる。 「こっちは一応制限に乗っ取ってやってるのに、そちらは制限一切なしなんて、ちょっとズルくない?」 もっとも相手は更にそれ以上のイカサマと反則を駆使してきているので、優位には立てないが。 「このゲームに拘りなどないものでね。使える手段は何でも使わせてもらうよ」 無数の轟音が響き、アンバーの鼓膜へと木霊する。 その緑の長髪を揺らしながら、戦いが始まってから幾度となく繰り返した同じ動作を繰り返す。 斬撃は虚空を奔り、アンバーは死角をキープし続ける。 一つ違うのは、アンバーの背丈が縮み、以前よりも幼くなったことだけだった。 「じゃ、それ貰おうかな」 広川の不死身はイザナミを召喚したことによる本体への影響だが、ヨシツネを操っているのはあのペルソナ全書によるものだ。 あれを奪うことが出来れば殺せはしないものの、大分楽にはなる。 少なくともイザナミは黒を相手にしている以上、広川本人は死なないだけの無力な一般人だ。 「―――!」 時間を停止させる。今のアンバーが停止を維持できるのはほんの数分程度だが、本を奪うには十分すぎる。 広川へ肉薄しその腕に抱えたペルソナ全書を引っ手繰った。 あまりにも呆気なく奪えたことに、アンバーは訝しそうに広川を凝視しながら距離を置く。 そして、時が再び動き出す。 「ッ!?」 アンバーが若返り、更に幼くなる。 広川は唯一の武器を奪われながらも平然とした態度で佇む。 相対するアンバーは、ペルソナ全書を握る左腕に違和感を覚えていた。 「……そう簡単には奪えないか」 左腕を貫く槍。 アンバーの腕は赤く染まる。 更にペルソナ全書に複数の鋼の鎖が巻き付いていた。鎖は強く固定されアンバーの力では振りほどけそうにない。 「返してもらおうか」 激痛に顔を歪め、緩んでアンバーの手から鎖を手繰り寄せペルソナ全書を回収する。 その広川の背後の空間は歪んでいた。 アンバーを突き刺した槍も、ペルソナ全書を掴んだ鎖も全てはその空間から突如として現れたものだ。 「そんな支給品、あったけ……?」 「これもイザナミが用意してくれたよ。8枚目のクラスカードというらしい」 英雄王ギルガメッシュが振るう王の財宝、それは人類が作り上げた物であればあらゆる原典たる宝具を放つ。 イリヤ達が辿る正史において彼女らに立ち塞がった最強の障害の一つだ。 「まだ、他にも色々残ってたりするの?」 アンバーは苦笑しながら広川へと語り掛ける。 何らかの戦闘手段を用意するのは予測できたが、規模の大きさには驚きを超えて呆れしかない。 お父様が入手を断念したようなものまで、よくイザナミの力を借りたとはいえ用意したものだ。 「アンバー、君を相手に警戒しすぎという事はない」 「ちょっと過大評価なんじゃない?」 「いや。今この瞬間も君が何をしでかすか、ヒヤヒヤしているくらいだよ」 少しは油断なり慢心でもすれば楽なのだが、お父様やエンブリヲのようにそういった隙は全く無い。 それも当然だ。 この男は誰よりも劣り、最弱であった。それ故にあらゆる可能性を考慮し、完璧な布陣を敷いて戦いに臨んでいる。 「凄い執念だね……。そこまでして、人間を間引きたいんだ」 「それはこちらの台詞だよ。あの男の為に、一体どれだけの対価を支払ったんだ」 「さあ?」 アンバーは軽い調子ではぐらかすが、恐らく広川が考えられない程の時間を超えようやくあの男が生存する未来を掴んだ筈だ。 この殺し合いでも時間制御に制限がある上で尚、ヒースクリフや魏志軍を利用しながら上手く誘導したものだ。 「黒は助けよう」 「冗談なんて言えるんだ。少し驚いた」 「イザナミとの契約もある。どちらにせよ、私は黒に危害は加えられない。  手を引け、アンバー。君が命を張るには、奴らの価値は見合わない」 イザナミが黒を求めていることは知っていたが、それをダシにしてくるとは予想外ではあった。 当然アンバーが首を縦に振ることはないが、広川に抱き始めた疑念からアンバーは即答せず会話を続ける。 「どういうこと?」 「あの生存者達は君の対価に見合う価値はないということだ」 アンバーは口を閉ざし沈黙した。 「罠だと思うか? だが良く考えてみろ。私は君を消耗させるだけでいい。  今こうして言葉を交わし、得をしているのは君じゃないか?」 態々言葉巧みにアンバーを翻弄せずとも、攻撃を続けるだけで、アンバーは勝手に対価を支払い消滅してしまう。 しかし、アンバーにとってこの会話はそれを引き延ばす行為であり、先へ行ったエドワード達への時間稼ぎにもなる。 「君の時間操作は有益だ。その力を提供してほしい。  何も君が消滅するまで能力を使えという訳ではない。そちらの都合も鑑みる」 アンバーにとって時間稼ぎになると割り切っても、嫌な言葉の響きだった。 「何故、契約者が生まれたと思う?」 広川の台詞にアンバーは自然と広川を強く凝視した。 契約者という存在の理由、それはアンバーも興味がないわけではない。 「……地球上の誰かがふと思ったのだ……生物(みんな)の未来を守らねば、と……」 広川は、今まで淡々と機械の様に平坦な声で声を発していた だが、この台詞だけは熱が込められ、僅かに広川の肩も震えているように見えた。 「アンバー、君の力は生物界のバランスを守る為に、地球の先を見据える為に使うべきだ。  契約者(きみ)は人間の天敵でなければならない」 広川は様々な世界を見た。その中で思ったのが、契約者とパラサイトの共通性であった。 何の前触れもなく人間から成り代わり、殺人を逃避せず人を殺める存在。 経緯こそ違うが、自らを第一に考え冷静に合理的な判断を下すその姿は契約者もパラサイトも同じではないか? 「私は思う。異能という物が何故生まれたのか、それは人間の天敵たりうる為だと。  私の世界はパラサイトだった。君の世界は契約者というようにだ」 異能という力はどの世界であっても強大であり、人を殺めるに適している。 まるで人を浄化し地球の未来を担う存在であるパラサイトのように。 「違う」 しかし、アンバーは強く否定する。 この時、初めてアンバーの顔から笑顔が消えた。 強い憤怒をその表情に表しながら、アンバーはそれを抑えながら怒りを込めた声を発する。 「契約者(わたしたち)は貴方の言うような殺戮マシーンじゃない。  パラサイトもそう、何かを殺す為だけに生まれる存在なんてない」 契約者もパラサイトも人を愛することがある。 アンバー本人がそうであるように、パラサイトの田村玲子もミギーも誰かの為に散っていった。 広川の言っていることは一方的な押し付けに過ぎない。 自らの持論と理想を、都合よく枠に当てはめているだけだ。 誰が望んで人など殺めているか、契約者もパラサイトも生きる為に他者を殺害しているだけだ。 「私が時間を巻き戻す前に、エドワード君にこの殺し合いの死は全て無価値とか茶番って言ってたよね」 「そうだな」 「貴方にとって、誰かを想うって事はそんなに意味のないことなの」 アンバー自身、自分が感情的になっていることを何処かで冷静に客観的に見えていた。 全身が熱く、心臓の音が耳に付く程、今アンバーはムキになっているということだ。 「当然だ。人を想う前に視野を広め、全てを含めて考えるべきだろう。  我々が住み、共存していく地球(ほし)、最も優先すべきは何か? これがなければ我々は重力という庇護も受けられず、呼吸もままならない。  だが、世界は地球を疎かにし、環境保護も人間を目安にした歪な物だ」 広川はアンバーの感情論を下らないと吐き捨てる。 彼の思想には、人と人の繋がりなど一切ない。重要なのはやはり大局を見据えることなのだ。 如何な素晴らしい愛情が人にあろうとも、その種が住まう母星がなくては意味がない。 ありとあらゆる生命が混在し、共存する世界の存続こそが全てにおいて優先される。 広川は憂いている。 地球の先を。その星に住まう者の一人として。 「似ていると思わないか? この殺し合いも私達を滅ぼせば済む話だろう。思想の違いはあれど、あの箱庭で無意味な殺し合いを重ねる必要などない。  何時だったか、時間稼ぎの為に雪ノ下雪乃もブラッドレイに言っていたな。その真意はともかく。  奴らは自らの尺度を目安にしつまらぬ偽善を掲げ、自ら潰し合い滅んだ」 「好都合じゃない? 貴方の望んだ間引きでしょ」 「あれが間引きに見えたか? 最早戦争だよ。あくまで小規模であったというだけだ。  私は人間を滅ぼしたいのではない。人間という一つの種として、存続したうえで生物のバランスを取り、全ての生物が共存すべきだ。  戦争によって己が種を滅ぼす。それどころか兵器によっては、地球に多大な害すら残す。何という愚かしさ」 決して、人類を滅ぼすことが広川の目的ではない。 バランスの取れた自然界のピラミッドを構築する。その為に程々に数を減少する為に間引きだ。 だが、人間同士が全力で争えばそれ以上のバランスの崩壊を齎してしまう。 例え世界の総人口に比べ、少人数であったにせよこの殺し合いは既に10人を切った。 パラサイトの間引きでは人間によって容易く滅ぼされる。しかし、人間同士の間引きではいずれ種ごと滅び去る事だろう。 「……かもね。けど、それが無価値がどうか決めるのは広川じゃない」 「それが驕りだよ。  地球に寄生し、自己を正当化し美化し続ける害獣……まさしく、寄生獣だな」 広川はそれが気に入らない。 人間を不要に賛歌し、その可能性を見出そうとする現実の逃避に。 一切の解決にもならない。 広川とて自らの理屈の稚拙さに気付かぬ程、教養のない人間ではない。 しかし、最早強行手段でもなければ地球という星は守れない段階にまで来ている。 未来へ残す、生命と自らの子孫達へ渡すべく地球。それらを穢す存在があるのなら、例えその手を血に染めようとも駆除しなければならない。 それが地球に生を与えられ生まれ落ちた霊長の長としての使命なのではないか? 「よくそんな、ただの馬鹿デカい玉に一生懸命になれるよね」 アンバーは退屈そうに溜息を吐いた。 全く理解も共感も出来ないと言いたげに目を細めて、呆れた様子を広川に見せつける。 もしも明日地球が滅びるので、それを何とかするのに協力しろと言われればアンバーも力を貸すだろう。 「こっちは……一人守るだけでも精一杯なのに」 だが、広川の言っていることは何年後の話だ? 百年? いや千年か? とてもではないが、アンバーの知る所ではない。はっきり言って他人事に過ぎない。 「きみだって、動く水分とタンパク質の塊にご執心じゃないか」 こうなることは、アンバーのような予知能力がなかろうと広川には分かっていたことだ。 アンバーは……いや人間は所詮自分主義の生き物である。 普通の生物と違い、考えることの出来る高い知能を持ちながらそれらを自らの為にしか扱えない。 その皮肉には失望の念を込められていた。 「分かりあえないのはお互いさまかな」 轟音が響き、先ほどまでアンバーがいた場所をヨシツネが刀で抉っていた。 「きみは契約者と人間の争いを誰よりも間近で見ていた」 アンバーはありとあらゆる時間を行き帰し、南米戦争という世界大戦規模の戦を生き延びた。 それだけではない。人間がその武力を行使し、契約者という存在を全て抹消しようとしていた為に更なる争いも起きた。 「自らが属する種を滅ぼされる危険性を誰よりも理解したはずだ。人間が如何に増えすぎ、生物のバランスを崩してしまうか……。  だからこそ、多大な犠牲と対価を払ってまで、人間に戦いを挑んだ」 契約者という存在を守るために、黒を死なせない為に途方もなく大きな人間と組織にアンバーは戦い続けた。 その中でアンバーは契約者と人間の諍いは終わらない。否、自らの天敵すらも容易に滅ぼしえる人間という存在の異常さに薄々気付いていた筈だ。 自然という摂理から独立し、その種は減るどころか爆発的な増加を辿り続ける。 その果てにあるのは地球という星と自らの破滅でしかない。 「間引きが必要であることは他ならぬ君が分かっているだろう! 全ての生物の為にも、契約者……そして人間自身の為に―――」  「私は黒の守りたかった世界を守ってあげたい」 アンバーはヨシツネの射程外より姿を見せる。 容姿は更に若返り、対価の支払いの限界はもうすぐそこだ。 「人と契約者の共存……どんなに困難な道でも、きっと誰も犠牲になんかしたくなかったと思うから」 その第三の道は黒にとっての不幸の始まりだ。 アンバーはそれを警告した。その道の先には戦いが待ち受け、また人を殺さなければならなくなると。 「……黒って可笑しいよね……。出会って一年もしないような人達の為に、自分が欲しいもの全部かなぐり捨てるんだよ?」 アンバーがゲートの中心で最後の決断を迫った時、黒は真っ先に東京の住民たちを心配していた。 皆、消えるのか? 南米の時の様にと。 唯一の肉親の妹と銀と過ごす未来も、本当の星空だって取り戻せたのに。 「この殺し合いに至っては、関わって数時間くらいの人達なのに。それでも、戦いの道を選んで……」 その顔にいつもの笑みはない。 ただ、哀愁だけが表情からは垣間見れる。 「ならば、取り戻してやればいい。きみならそれが可能だ」 もしも広川がアンバーならば、その通り黒の望む世界を作り上げていただろう。 そもそもが東京エクスプロージョンも一切の情報を与えない、あるいは偽りの情報で黒を誘導するなりしてそのままエクスプロージョンを引き起こせば良いだけの話だ。 契約者は生き残る。偽りの空は残るが、銀も死なずアンバーも消えない。そしてもう一度妹にも会わせることが出来た。 その世界線ならば、アンバー自身が黒と結ばれることもやりようでは可能だっただろう。 何を犠牲にしてでもあの男を優先し、自らの手に入れる好機は幾らでもあった 彼女が契約者として、合理的に判断するのであればそうすべきだった。 「本当に……そう出来れば、どれだけ楽だったかな」 契約者として、非合理な思考に支配されていたのは他ならぬアンバーが分かっていた。 奇妙な事に広川の方が余程、契約者染みているぐらいに。 何故その目的遂行に至るまでを遠回りし、結果的に結果を望んだものからずらしてしまうのだろう。 黒の幸せを願うのならば、問答無用で事を引き起こせば、自分も死なずに黒もこんな目にはあっていないのに。 「けど……私は……人形じゃない、人間を好きになっちゃったから」 いっそ、人形でも好きになっていれば楽だったのかもしれない。 人形は喋らない。笑いも泣きも怒りもしない。 どんな悪意だろうと善意だろうと、押し付けようが何も感じない。 だが人間は違う。一人一人の意志があり、思う事も感じることも様々だ。 例えそれが善意でも好意でも、当人にとっては必要のないことかもしれない。拒みたいことかもしれない。 だから、こうやっていつも話がややこしくなってしまう。 「少し、お喋りが過ぎたな」 非常に意味のない会話だっただろうと広川は思う。 彼は内心、契約者という存在に惹かれていた。物事を合理的に判断し、不要な感情を持たぬ人間の上位互換。 そんな存在ならば、地球という星の尊さと生物の未来について守らねばならぬ事を分かってくれるのではないかと。 だが、結果は御覧のありさまだ。契約者も所詮は、狭い視野で物事を考える。優先すべきは己自身とその都合だ。 アンバーとの会話も結局、互いの立ち位置と完璧な対立を改めて再認識させただけに過ぎない。 「時間のロスを取り戻さねばならん。即刻きみには退場して貰おうか」 広川はヨシツネを消した。 自らの攻撃手段の一つを手放したことになるが、アンバーはそれを喜ぶどころか悪寒すら感じる。 何時でも能力を行使できるよう広川の動作に注視し、またアンバーも身構えた。 恐らく広川はここから残された切り札を切ってくるのだろう。 それが何かまでは判別が付かないが、アンバーもただでやられる気はない。 こちらにも切り札は残してあるのだから。 勝負は一瞬、シビアなタイミングで練習も出来ないぶっつけ本番だが、必ず成功させなければならない。 ペルソナ全書よりタロットカードが浮かぶ。広川はそれを本を閉じることで叩き潰した。 「―――!?」 刹那、青い光の中から紅い閃光が奔った。 □ 猫と別れてから黒は霧の中を進んでいた。 少し前に御坂かあるいは足立のものか雷音が鳴り響き、上空からの戦闘音が響き渡っていたがそれすらも何も聞こえない。 時間の感覚も鈍くなり、どれだけ歩いたのかも分からない。数分程度か、あるいは数時間も歩いたのか。 普通ならば混乱に陥り、パニックになってもおかしくないが黒は平然としていた。 彼が黒の死神と呼ばれる最強の契約者だからか? それもあるかもしれないが、理由はもっと簡単だ。 ピアノの旋律が黒を導いている。 その曲調は優しい。流れる月光のように。 時折見られる激しい演奏は贖罪の終わりを求め、訴えているかのようだ。 ――――乙女 黒き夜 悲しみの弔い 一人 深き帳に沈む されど 寄り添う月は 白金に満ち 贖いの夜は静かに 去り 黒は組織に所属していた頃、銀が拉致され廃校で再会した時の事を思い出していた。 観測霊の光の中で、涙を流していた彼女の姿を。 「ここは」 舗装されていた道が一変し、更地の様になっていた。 何も残っていない。それこそ塵一つ。 しかし、黒はそこで戦いがあったのだと分かった。 更地の中に所々散らばる白い鎧の破片と、不思議な事にそれだけは完全な形だけを残していた赤いネクタイ。 その二つの品を黒は手に取った。それだけで誰がここで戦い、誰が死んでいったのか分かってしまう。 「杏子、足立」 一つは数々の戦いを経て、ようやく安眠の時を得た竜の鎧の破片だ。正確には鎧というより鱗に近かったかもしれない。 黒が手に取った瞬間、それらは砕け散り風に乗って、何処となく吹いて行ってしまった。 そして赤いネクタイは足立透が巻いていたものだ。 見ると少し伸びていて千切れかけていたことから、正規の使い方ではない方法、例えば誰かの両手に巻き付けたりなどして、拘束に使ったこともあるのだろう。 だが、また回収しご丁寧に首に掛けていた辺り、よほど思い入れがあったのか意外にも服装に気を使っていて、あのヨレヨレのスーツ姿も本人なりのお洒落なのだったかもしれない。 もう今となっては真相は分からず終いだが。 誰にも語られることのない。道化達の戦いはひっそりと終えてしまった。 「…………」 更地に一本のスコップが突き立てられていた。 黒が学院で、穂乃果達と犠牲者を埋葬した時に回収していたものだ。 スコップの下に、少し前に作ったぺリメリの残りが置かれている。 体調のすぐれなかった杏子も向こうならば何も気にせず食べれるだろう。 そしてスコップには赤いネクタイを巻き付けておいた。 奴に対し同情も何もないが、死んだのなら最低限の供養はする良心はくらいはあった。 黒は静かに背を向けその場を去っていく。 人知れずこの世を去った二人の愚者へ、ささやかな手向けを残して。 それからまた暫く歩き続ける。 霧に阻まれた視界の中、黒は躊躇いも迷いもない。 その場所へたどり着けると確信していたからだ。 「―――学院か」 視界の先に一つのシルエットが浮かぶ。 『彼女の希望ですよ』 エコーが掛かった高い声。 外見も白い衣装、長く伸ばした銀髪、男とも女とも取れる整った美顔。 名前が分からなければ、黒は相手が男か女かも分からなかったろう。 「イザナミ」 『フフ……それは私の事ですか? それとも―――』 黒の眼前に広がっているのは、イザナミとその背景にある音乃木坂学院だった。 この殺し合いの中で、最も多くの人間が関わり、惨劇と人の死を見届けたであろう施設の一つだ。 ピアノの音色は学院から響いている。スピーカーを使ったような機械的な方法ではなく、黒が予想もつかないような異能によって響かせているのだろう。 「銀?」 ピアノの演奏が止んだ。 イザナミの横に黒いスーツを着た銀らしき存在が見える。 『彼女からの願いでしてね。貴方と一つになりたいというのは。  死ぬ訳ではありません。夢を見続けることが出来る。貴方が望んだ、全てを』 「断る」 『それは困った。我々が交わした契約が果たせなくなってしまう』 「お前の理屈だ。お前らの契約などどうでもいい」 黒はナイフを取り出し構えていた。全てを隠しながら、白い仮面の下に何を想うのか。 『銀は貴方を一人にしたくない。貴方も一人になりたくはないでしょう?  広川の間引きというのを聞いて、嫌な印象を受けるかもしれないが、私の行う事は人が無意識に望んでいることだ』 「……」 『人は苦しみから逃れようとする。だが、それから逃避する偽りの霧は一度晴らされた』 正史に於いて、イザナミの霧は真実へ到達した者に晴らされた。 人間の可能性を認めさせた上でイザナミは完全敗北したのだ。 『それは人の本当の願いではないと否定されたからだ。では、その否定は本当に正しいのか?』 人間の可能性。それは認めよう。 しかし全ての人間にそれが当て嵌まるのか? 『強者の理屈ではないのか? 弱者の本音はどうだ? 私は全てをもう一度見極めたくなった』 膨れ上がる疑問は行動に変わる。 イザナミは小人に力を与え、後は全ての経過を観察した。 そして殺し合いを見た中でイザナミは一つの解、人の願いを叶えようとする姿を求めていたと考えていた。 『フラスコの中の小人に取り込まれ、その中で聞いた怨嗟の声は救いを求めていた』 救いを求められた時、イザナミはそれを叶えたくなった。 何故なら、イザナミは人々が共有する無意識の"願い"が具現化した存在である。 人が願いを叶えようとする願いを求めたのも、それが己の存在理由であり本能でもあったからだ。 『強者に搾取された弱者達は皆、逃避を選んでいた。そして勝者だけは未来(さき)を望む。  何故だ? 何故全ての願いは遂げられず、選ばれし一握りの者しか望みは得られない? 否、勝者ですら厳密に本当に満足のいく願いを叶えた者などいくらいるのだろうか』 勝負に勝った者だけが勝者とも限らない。 死して尚、自らの欲望を叶えたものもまた勝者ではあるだろう。その逆も然りだ。 勝ちながらにして、願望は遠ざかるだけの者も少なくはない。 最早、如何な手段であっても人の願いを叶えることなど出来ない。 『あらゆる願いが渦巻く中、私はそれを全て叶えられない。全てが正しく、全てが間違いではない。  一つ叶えれば、もう一つを否定してしまう。しかし……たったの一つだけあらゆる存在に共通することがある』 共通する欲望と言っても様々なものがある。極端な話では性欲、食欲、睡眠欲などだ。 だがこれらも元を辿ると一つの物に集約する。 『生存本能。  死だ。全ての人は死を恐れ、逃避している。……ならばそれを取り除く事こそが、人にとっての救いであり、願いを叶える事なのではないか?』 「だから、広川の言う間引きに乗じて人間を殺す……とでも言うつもりか」 『その通り、死に際にある恐怖を私の霧を使い覆い隠せば……死んだあとにはもう何の恐怖も逃避もない。  生きているからこそ、悲劇が起きる。だから、生きてさえなければいい。実に単純な話だ』 黒は舌打ちする。ふざけた救済論だ。 広川も含め、0か1でしか考えられないのだろうか。これ以上の会話は胸糞が悪くなるだけだと黒は判断した。 「もういい。お前の話は十分だ」 ナイフの切っ先をイザナミに向け、黒は宣言する。 「ここで殺す」 エンブリヲ、お父様のような後天的に超越した力を授かった存在とは違う。 目の前にいる正真正銘本物の神の殺害を。 『神を殺すか……クク……フハハハハハハハッ!  良いでしょう。身をもって知るといい。自分が何者に挑んでしまったかをね……』 嘲笑する神は人の姿を脱ぎ捨てる。 光が彼女を包み込み、霧が彼女を中心に渦巻く。 黒のコートが風圧に揺れる。まるで風の砲弾が、黒を黄泉へ続く崖へと蹴落とすかのように。 『さあ、来るがいい。業深き人の子よ!』 空に浮かぶ一体の巨神。 白と赤で統一され、拘束具を巻き付けられた女体とその下半身に人ならざる異形が連結している。 シコウテイザーには及ばないが、その異形はラグナメイル以上の巨体を誇る。 神と自称するだけの事はある。並の人間ならば、一目見ただけで戦意を失ってもおかしくはない。 「お前で三人目だ。自称神の馬鹿は」 だが生憎と神と名乗る連中はもう辟易するほど見飽きていた。 今更、驚きも畏怖もない。 『では、教えてあげよう。私こそが“神”』 決戦の幕開けを雷が降り注ぎ彩る。  黒はワイヤーの伸縮音を鳴り響かせ、イザナミの背後にある学院の端に巻き付け三階の窓へと飛び込んだ。 窓をぶち破り、ガラス片をバラまきながら教室の中を転がり華麗に着地する。 かつての学び舎は見る影もない。整頓された机や椅子は荒れ果て、黒板には亀裂が入っていた。 黒自身は知る由もないが、巨大化したエンヴィーの煽りを受けた為だ。 以前に訪れた時とは違う明らかな変化に、もしも花陽や穂乃果以外のμ'sメンバーが居たのなら、戸惑い困惑したのだろう。 だが黒には感傷に浸る暇も、思い入れもない。 外のイザナミに一瞥をくれ、教室のドアを叩くように開けると、疾走の勢いを殺さぬまま廊下へと飛び出す。 『全く、何を企んでいるのやら』 表情は拘束具の上から一切分からないが、もし顔が見れるのなら嘲るように笑っていることだろう。 やはり人は愚かであり、自らが導かねばならないという使命感に酔いながら。 イザナミは飛び込んだ黒の部屋目掛け雷を飛ばす。 爆音が炸裂し、教室の周りの学院の壁面に亀裂を刻み込む。 雷は教室を貫通しそのまま建物の反対側まで奔り抜け、教室の中にあった設備が音を立てて学院外へと吹き飛ばされていく。 それらの光景を尻目に黒は全速力で廊下を走り去る。 『追いかけっこがお望みなら付き合いましょう』 黒の背後を雷が打ち抜いていく。 先ほどのように学院を構成していた瓦礫片や、机、椅子が飛び散り黒の過ぎ去った後の場所を吹き飛んでいく。 一つ、二つ教室を破壊し黒は突き当りまで追い詰められる。 横の階段を降りようとした際、壁をぶち抜いて雷が階段ごと飲み込んだ。 黒は咄嗟にバックステップで避けていき、崩壊した階段を見下ろしながら階下へと飛び降りる。 「―――ッ」 砕けた壁の断面から見える鉄骨にワイヤーを巻き付け、黒は着地の寸前で勢いを殺し着地に成功する。 間髪入れず放たれた雷を身を屈めてからやり過ごし、荒れ狂う校内を走り続ける。 一切スピードを緩めず、黒は過ぎ去る教室の一部屋一部屋を念入りに横目で確認していく。 背後より迫る雷から逃れ教室内を一瞬で物色する際、一つの教室に人が倒れている姿が見えた。 カーテンが掛けられていたのだろうが、これだけの派手な騒ぎを起こせば碌な重量も持たない布は容易く吹き飛んでしまう。 一人は見覚えがある。島村卯月という僅かだが銀と行動を共にし、イリヤの騒動に立ち会った少女だ。 そして、更にその横で寝転ぶ全裸の少女“達”。島村卯月が引き起こしたとされる惨劇が腐敗臭を漂わせる。 なるほど。確かに、これは死を見慣れた黒が見てもショッキングな光景だ。こんな状況でなければ、言葉を失い暫く硬直していた。 あの二人が対立するのも、無理はないのかもしれない。 そしてもう一人、頭に花を付けた少女が横たわっていた。外見から予測できる年齢や情報交換で得た特徴と、その腕章から白井黒子の知り合いなのだと理解する。 頭の花は無残にも朽ち果てており、彼女の着ている制服は赤く滲んでいた。 同時に雷がその教室を穿つ。 今まで繰り返された光景だが、違うのは一つ。中に四人の人間だった物と一人の人間が居るという点だ。 四つの死体は雷に呑まれ、その腐敗臭と共に骨一つ残さず焼き尽くされ消し飛んでいく。 そのどれもが年頃の少女達だ。醜く腐り果てるよりは、美しさを保ったまま消えた方があるいは幸せだったのか。 瓦礫が吹き飛び、中に設置されていた様々な設備が吹き飛び宙を舞う。 黒はそれらとは逆の方向、雷が放たれた方角へと外に飛び出していた。 身動きの取れぬ空中で器用に体を捻り、懐から取り出したナイフをイザナミへと投擲する。 ナイフは一直線に僅かなブレもなく、イザナミの拘束具の下にある額へと吸い寄せられた。 鈍い音と共に額を刃が割き、頭蓋へと侵入する。その衝撃にイザナミの上体は後方へと反れた。 『お見事』 脳天にナイフが刺さったまま称賛の声を上げ、イザナミは視線を空中の黒へと向ける。 雷が点から降り注ぎ、それらは全て黒へと集中された。 だが次の瞬間、黒は既に伸ばしていたワイヤーを手繰り寄せ、その先に結びつけてある物を雷へと翳す。 雷は黒の腕へ集まり、全てが弾けるように眩い光を放つと消失していく。 『ほう……首輪か』 イザナミが注視して目を凝らせば、黒の手には銀色の輪っかが握られている。 首輪には異能を打ち消す力がある。彼は学院内に未回収の首輪があると推測し、雷を避けながらそれを探索していたのだろう。 目ざとい男だが、この戦いに於いてはこれ以上ない盾になる。 黒はワイヤーを学院の破損し尖った部分へと括り付ける。そこからワイヤーの伸縮を利用し学院側へと吸い寄せられていく。 再び学院内に戻った黒は、そのままイザナミの視界から姿を消す。 「……痺れている」 黒は走りながら、僅かに痙攣する左手を見つめる。 首輪で雷の直撃は殆ど避けたが、僅かに腕に被弾してしまった。 それこそ痺れる程度で済んだものの、当たり所によっては感電死は免れない。 以前、御坂との交戦では電撃に被弾してもダメージはなかった。その為、イザナミの雷もあるいはと考えていたのだが見当違いだったらしい。 もしも無謀にも正面から突っ込めば、黒焦げた死体を晒していたことだろう。 恐らくだがあの雷は雷の形をした、もっと別の何かなのだと黒は推測する。 御坂は黒と足立の電撃を吸収する為に、何らかの方法を用い拒否反応を起こし感電していたが、それとは違う。純粋にあれは電撃に見せた別の攻撃なのだ。 伝承によると、イザナミは黄泉の国で雷をその身に宿していたと言い伝えられている。 これはその伝承にある雷なのだというのか、黒には区別がつかない 『そろそろ、追いかけっこも飽きたでしょう』 イザナミの額のナイフが亀裂が走る。亀裂がより深くなり、耐え切れなくなったナイフは完全に砕け散る。 さてどうしたものかとイザナミは思案した。このまま鬼ごっこを続けるのも良いが、芸がない。 『これはどう防ぐ?』 天上の夜空が煌めく。 星空には見合わぬ雷光は音乃木坂学院を眩く照らし出す。 夜の空に広がる星が、そのまま降り下りたような光の塊は容易く学院ごと黒を滅ぼすことだろう。 メギドラオン。 最高位の万能魔法スキル。 足立透が佐倉杏子と共に滅び去り、鳴上悠がツヴァイフォームの多元重奏飽和砲撃と互角に打ち合うほどの威力を誇る 『何だ?』 メギドラオンが学院に直撃する寸前、突如嵐のような水音が響き渡る。 その水音は地面から轟いていた。強い流れの河が真下にでも引かれているようだ。 音は徐々に大きく明確になっていく。 膨張し続ける水音が臨界点を超えた瞬間、怒号の様な爆音が炸裂した。 学院が動いていた。 イザナミへと迫り、独りでに動き出していたのである。 メギドラオンは学院のあった場所を焼き払い、何もない場所を無意味に更地へと変えた。 学院は砲弾を思わせる高速度でイザナミへと向かう。 人が数百人単位で収容できる施設だ。それが砲弾の如く直撃すれば――― 生身の人間がその周辺で立ち合えば、鼓膜が破れ去るほどの大轟音が轟き渡る。 イザナミは自らに学院が触れる寸前学院の動力源をその目で見た。 『そうか、ブラックマリンを―――』 学院に無数の水が張り付き、ホバーとして機能していたのだ。 お父様戦で黒が手にしたブラックマリン。これは触れた液体を操作する事が出来る。 以前、魏がアカメ達を相手にしたように水道の水を操作した上で学院の内部を把握し、的確にホバーの役割を果たせるよう黒は水を配置していた。 イザナミの雷から逃げ続けていたのも、これの時間稼ぎも兼ねての事だ。 そして当の黒本人はイザナミに学院が被弾する寸前、手前の建物へとワイヤーを括り付け俊敏に飛び移っていた。 地震の様に鳴り響く大音量に黒も耳が痛む。顔を歪ませながら、瓦礫と灰の中に埋もれるイザナミへと視線を向けた。 『―――良く考えた。と言っておきましょうか』 コンクリート片やガラスなど、様々な破片が入り混じった粉塵のなかにイザナミはただの掠り傷すらなく佇んでいた。 雷を一つ落とし余波で粉塵を振り払う。視界が明けていき、周囲の光景が飛び込んでくる。 そして黒が飛び込んだ建物へとメギドラオンを飛ばした。 熱風がエリア内を伝い、イザナミを煽るようにして彼女の拘束具を揺らした。 無論、手は抜いてある。黒は生け捕りにしなければ、契約を果たすことが出来ない。 最も生きてさえいればいいのだから、手足が千切れようが関係はないが。 メギドラオンが巻き上げた砂煙から一つの影が飛び出す。 ワイヤーを動力に振り子のように空中を飛びながら、黒は別の建物の屋上へと着地した。 すかさず雷を落とし、屋上を消し飛ばす。 黒は柵を一飛びで超え、重力に従いながら落下する。 その頭上で落雷し焦げた炭と変わった屋上を眺めながら、ワイヤーを雨どいに巻き付けて身体を支える。 落下し続けていた黒は建物の壁面で停止し、ガラスを蹴破りながら体を滑り込ませる。 常に黒が防戦し続け、ジリ貧で削られ続けている。 こちらが周到に用意した数少ない攻撃手段もあっさり受け止め無傷と来た。 神と名乗る者達とここまで三連戦で戦い抜いたが、今までの自称神とは格違う。 お父様は付け入る隙は多く、何より仲間もいたからこそ運にも助けられたが勝利を収められた。 エンブリヲは制限という枷と同時に、能力を除いた本人の戦闘の素質が皆無に等しい事もあり、連携もあって同じ土俵で戦えた。 しかし奴は、イザナミは彼らの抱えた枷もなくこれといった隙も弱点も存在しない。 広川のように制限なく全力の力を振るえる数少ない存在の一人だ。 何より広川に与えた不死の力を、あの女もまた兼ね備えている。日本神話の伊邪那美をなぞっているかのように。 「……足立のペルソナとも、何らかの関係があるのか」 ふと、奴が時折叫んでいた仮面の名がマガツ“イザナギ”であることを思い出す。 とはいえ、名前だけなら銀の覚醒した姿もイザナミだ。単に名前だけに関連性があっただけの可能性も否定は出来ない。 仮に逆転の鍵だとしても足立透は死んでいる。手札として利用することはもうできない。 建物を光が覆い、黒を照らし出す。 間髪入れず大規模攻撃を連発するイザナミに辛うじて喰らい付いていけるのは、この立体的な環境と黒の戦闘スタイルが噛み合ったお蔭だ。 もしも、雪乃やエドワードを連れてはこうはいかなかっただろう。 一人で来いと言い、わざわざ学院を指定したのは黒にとっては不幸中の幸いでもあった。 「……くっ」 爆風に煽られながら、黒は建物を脱出しワイヤーで落下速度を調節し華麗に着地する。 そしてイザナミへ向けた視線、その眼光が赤く光りランセルノプト放射光が黒を包む。 『何をするかと思えば、御坂美琴の真似か……だが貴方の電撃はその下位互換にあるのを忘れましたか』 イザナミと黒の距離は開いており、御坂美琴の様に電撃を投擲できれば別だが、黒は何を伝わせなければ電撃を直撃させることが出来ない。 物質変換をフルに使いこなせればあるいはそのような真似も可能かもしれないが、机上の空論でありそれだけの能力使用は難しい。 それを分かっていながら、黒を包む青い発光は収まる事を知らない。更に光を増していく。 駄目元で無駄な体力を消耗していることを理解してるのだろうか、イザナミは黒を見下し嘲笑う。 最早、万策尽きたとはこのことだ。 「ああ、そうだ。あの女の猿真似だな」 風の向きが変わった。 イザナミと黒の攻撃で巻き上げられた粉塵、砂塵は戦場の最中であっても風圧に舞い上げられ地面に落下するまでの長い間、浮遊し続ける。 それらが突如として動きを変えたのだ。 最初は風に吹かれるようにフワフワと浮遊し、黒とイザナミの間を彷徨い続ける。 すると動きにキレが増し、渦のようにグルグルと回転を始める。 「磁力の操作を真似るのは3度目だ」 イザナミを中心として砂塵の渦、より正確には砂鉄が様々なガラス破片や微細で鋭利なものを含め回転を行っている。 御坂美琴の操る電撃能力の応用ではあるが、イザナミ程の巨体を囲うほどの磁力を黒は何らかの伝えなしでは発揮できない。 だがそれらの砂塵は湿っていた。僅かにではあるが水分が含まれ、それらが電気を通し磁力を伝えている。 砂塵の渦は竜巻のように勢いを増し、その規模を高める。 砂鉄を初め、微細な粒たちは高速で震動、回転し、チェーンソーのような音を響かせる。粒と粒が擦れ打ち付け合い火花をも飛ぶ。 触れるだけで人は愚か鋼鉄ですら、引き裂かれ八つ裂きにされかねない暴風雨。 それがたった一つの存在へと向けられる。 イザナミを刻み込むように中心へ中心へ徐々に迫り、耳が張り裂けそうな程の甲高い軋みような音と共にイザナミを包み込んだ。 黒の目にはイザナミは既に見えてはいない。それだけの濃い砂塵の層がイザナミを飲み込み、黒の視界を遮っている。 手元を見下ろし、指に嵌めたブラックマリンを見つめる。 イザナミに気付かれぬよう通電用の水分を広げ、砂塵を起こすのはかなりの集中力と繊細さを必要とした。 もしお父様戦で御坂が回収していたブラックマリンを黒に渡していなければ、イザナミを相手に完全に攻めあぐねていたに違いない。 皮肉だがあの女が殺し合いに乗り、魏の死に立ち会わなければこれ程有力な武器は手に入らなかった。 『―――まさか……? そんな小さな力で私を倒せる気でいたと?』 砂塵の中心が光り、砲弾のような風が吹き荒れる。 黒が作り上げた砂鉄の砂塵は一瞬にして吹き飛び、小さな粒が黒へと降り注ぐ。 顔を腕で覆い、それ以外は身に纏っていた服が粒からは守ってくれた。 「また、無傷か」 腕の合間から黒はイザナミを睨む。 これだけの高速で振動する砂鉄の渦をイザナミは傷一つ付けずやり過ごした。 ただ単に硬いだけでも、お父様のような再生力でもない。 まるで最初からなかったことのように、イザナミは平然としていた。 『もう、満足でしょう』 憐れむように。慈悲をくれるように。イザナミは落ち着いた口調で話す。 『貴方は十分戦った。ですが、貴方が振るえる力は人界のものでしかない。  文字通り、存在としての次元が違う』 黒が放つ電撃はゲートより授けられた契約能力だ。 契約を交わし――より正確には白が交わし―――空想としか思えない異能を現実に変える。 黒に限らず、この場に呼ばれた異能者達はその種類と経緯は違えどあらゆる異能を巧みに操り、人の域を超えた存在だ。 だが、それらは人の世界に留まっている程度のものでしかない。 この人の住む世界に囚われている存在では、イザナミには一切通用していない。 恐らく人間の領域内で引き起こされる事象をイザナミは全て無力化している。 例えそれが物理に従った科学であろうが、超常的な異能力であろうが神の域にいるイザナミにとっては些細な事に過ぎない。 「満足したかどうか、それを決めるのは俺だ!」 『何故分からない……。私を消すなど不可能だ』 過去に一人だけ、人の総意すら超えてその神すら退けた男が居たが―――既に彼は敗れ土の下だ。 人の世に満ちる全ての嘘……幾千の呪言を吹き晴らし、真実を射止める究極の言霊。 この世界に於ける真実へと到達しえる者は消えた。 イザナミの敗北は絶対に有り得ない。 広がる光の濁流から黒はワイヤーで吊り上がる。コートの裾を光は焼き、黒が先ほどいた場所を抹消する。 イザナミが放ったメギドラオンを避け、黒は全身からランセルノプト放射光を放つ。 砂鉄が意思を持ったように動きを取り戻し、巨大な球状へと変わる。 砲弾のように砂鉄は放たれ、イザナミの腹部へと直撃した。 『同じ手を―――もうタネ切れか』 イザナミに触れた砂鉄は爆散し、吹き荒れる。 それらをもう一度磁力で束ね、御坂が操るように刃を形成していく。 無数の刃がイザナミを囲う。一秒の誤差もなく同時に刃は振り下ろされた。 『諦めなさい』 天から注がれた雷が砂鉄を消し飛ばし、土煙を上げる。 更に砂鉄を操作し黒はイザナミへと叩きつけるが、それらも全て同様に雷が一瞬にして無へと帰す。 イザナミの声に耳も貸さず、黒は次々と砂鉄を操ってはイザナミへと放つ。 それらは全て無力化され、ただの一つも傷をつけない。 傍から見れば無駄な行為を繰り返し、黒は自暴自棄になったとしか思えない。イザナミも同じくそう考えていた。 紫電が一筋、光る。 刹那、視界を赤く燃え滾る猛煙と轟炎が染め上げた。 『これ、は―――』 条件は揃っていた。 黒が砂鉄を操りながら、宙に巻き上げる。そしてイザナミも自らの力で同じくあるものを吹き散らす。 砂鉄と同じ程度の重量で容易に風に乗ってくれる物質。 それらが起爆剤となり、莫大な規模の爆破を引き起こす現象を。 黒がこの場で出会った強敵、後藤にも使った手の一つ粉塵爆発。 今回は更に後藤の時以上の規模で、黒本人も巻き込まれかねない程の爆発を引き起こしていた。 導火線である黒の電撃が必要な為、イザナミに悟られぬようギリギリの距離で着火し神速の身のこなしでワイヤーを使い離脱する。 服の表面が僅かに焼かれていたが黒は無事爆破から逃れていた。 『何も理解していない』 爆破の規模は凄まじく、周囲の木々や建物を吹き飛ばし更地へと変えていく。 だが、無しか存在しえぬ場所で声が響く。 『こんなモノで私を倒せる気でいたのか』 黒が起こした粉塵爆発は更に大きな爆破により飲み込まれ、消滅していく。 『さあ、次はどうする? どんな手を使う?』 煽るように紡がれるイザナミの声は更地の中心から良く響く。 爆煙越しからも分かる巨大なシルエットは神の偉大さを示し、黒に見せ付けているようだった。 「まだだ……!」 ありとあらゆる手段を用いながらも一向に戦況を引っ繰り返せない。 だが黒の闘志は未だ燃え続け、折れることを知らない。 爆煙の中に混じりながら、気配を顰め黒は疾走する。そしてイザナミの背後へと回り込む。 「まだ、一つだけ試していないことがある」 黒はベルトからワイヤーを引き出し、あろうことかイザナミの首元へと括り付けた。 ワイヤーに引き上げられ大きく跳躍した黒はイザナミの異形の上へと飛び乗る。 イザナミ以上に質量を持った攻撃も、砂鉄を使った大規模な斬撃も、全てを焼き尽くす爆発も。全てが通用せず、神を打ち取るには至らない。 それらは人の持ちうる術の理の中であり、神の域へと踏み入った物ではないからだ。 神を滅ぼすならば、神と同等の力を使うしかない。 だが神すら否定する幻想殺しは開幕の惨劇に斃れた。幾万の真言は霧に包まれ、永遠の迷宮へと封じられた。 イザナミは無敵だ。 「死ね」 黒の手はイザナミの頭部を掴み、万力のように締め付ける。 拘束具の上からでも分かる握力の強さに頭が軋む程だが、その程度では痛みすら感じない。 まさかこれが最後に黒が繰り出した攻撃なのだとしたら、失望というほかない。 しかし予想に反し黒をランセルノプト放射光が包む。 とはいえ見慣れた光景であり、これから行われる事も容易に先読みできる。殺し合いの中で幾度となく彼が使い続けた電撃だ。 『こんなもので―――』 だが電撃は始まりに過ぎない。黒の、BK201の真価は物質の支配かつ電子の掌握にある。 例えそれが神であり人間の手の及ぶ存在でなかったとしても、存在する時点で何らかの物質によって構成されている。 如何なる存在であっても物質である以上、BK201の力で干渉することは可能だ。 無論、神を滅ぼすほどの力を放つことなど黒だけでは無理だ。黒が引き起こせる物質変化は精々が火薬を安定した物質に変える程度に過ぎない。 『何……!?』 逆に言えば黒の力を増幅させる何かがあれば話は別だ。 黒の指に嵌められた指輪、水龍憑依ブラックマリンは水棲の危険種が水を操作するための器官を素材とした、紛れもなく生物を帝具へと加工したものである。 錬金術師の言葉を借りれば、危険種の命を利用して作られた賢者の石とも言える。 ブックマリンを中心にランセルノプト放射光がより濃くなり、黒の力が増幅されていく。 賢者の石は錬金術のみならず、使い手の異能を補助し更なる莫大な力を齎す。黒が首輪を解除した時と同じだ。 過度の集中が黒の脳を締め付けるような痛みで犯していく。 物質変換という、あらゆる万物を思うがままに操る力は人の身には余るものだ。本来の使い手である黒の妹の白ですら、電撃をメインに使用する程に。 例え賢者の石に等しい帝具を利用したとしてもその負担は計り知れない。 「終わり……だ!」 爆ぜて弾けそうな脳内の激痛を耐えながら、黒は能力を最大限に開放する。 ブラックマリンに音を立てて亀裂が刻まれていく。それは黒が力を増せば増す程に深くなり、比例して破壊へと自らを導いていく。 苦痛にもがくイザナミに振り払われそうになるが、黒はその手を離さない。ブラックマリンの亀裂すら視界に入れず、電撃を発し続ける。 『や、やめ――――』 イザナミを包む拘束具が罅割れる。 内から溢れる光に飲まれ、イザナミの巨大な全貌が弾け飛んだ。黒は余波に煽られながら、地面へと打ち付けられる。 何度か地べたを転がりつつ受け身を取り、黒はイザナミの最期を看取る。 同時にブラックマリンは亀裂に耐えきれず、砕け散った。 「……くっ……ハァ……ハァ……」 コートが傷つき、綺麗に揃えられた裾がギザギザな不格好な切れ端と変わる。 吹き飛ぼされた際に左肩を打ち付けたのだろう。痛む肩を抑えながら、黒は光の中で消失したイザナミを見つめる。 虚空しかなく、目の前には何もない。音を立てて砕けたブラックマリンが黒の指から滑り落ちる。 その全てを引き出されたブラックマリンは地面を転がり、更に細かく砕けると塵のようになった。風が吹き、塵は風に乗せられ何処かへと運ばれていく。 「かなり……消耗させられたな」 肩で息をする黒の額には玉のような汗が浮かんでいた。 やはりエンブリヲの指摘した通り、能力の規模に黒の処理が追い付ていないのだろう。 首輪を外した時のような荒業か、流星の欠片と大黒斑のような一定の条件を満たさなければ単独での能力発揮は厳しい。 この先の戦いで当てにするには不確定要素が大きすぎる。 「何処まで戦える……」 体力を鑑みても万全とはいいがたい。 未だ残る強敵たちもそれは同じだが、彼らを全員確実に仕留めきれるともいえない。 足立の脱落をカウントしてもまだ御坂やエンブリヲが生き残っている。 不利は承知の上だ。勝ち目の薄い戦いも、何度も強いられてきた。 だが諦めという気持ちは不思議となかった。 「……待っていろ」 額の汗を拭い疲労が蓄積し、動くのを拒否する体を前のめりに動かす。 先へ行かせた二人を追う為に、仲間をこれ以上誰も死なせない為に。 死神と呼ばれた男は駆け出した。 □ アンバーは何度も繰り返した時間の巻き戻しを行った。 対価の重さこそあれど、能力の行使そのものはさして難しいものでもない。 けれどもアンバーの表情は歪んでいた。 目の前の光景が信じられないと語るばかりに、目を見開き現実を直視する。 「……」 時間の制御という点に於いて、アンバーが失敗するという事はあり得ない。 彼女を縛る制限も賢者の石という補助を用いることで緩和することに成功している。 巻き戻しに限度はあれど、広川の放つ猛攻をいなす程度わけもない。 「安心しろ。時間だけは巻き戻っている」 混乱するアンバーに指摘するように広川は声を発した。 確かに時間は巻き戻っている。それは広川の言う通りアンバーも実感していた。 間合いの距離や、二人の立ち位置など完璧に巻き戻っている。 つまるところ能力の発動は問題なく、能力の行使はこの箱庭に適用されているのだ。 「ガ、……!?」 では、この胸を穿つ激痛は何だというのか? アンバーの口から血が逆流した。口元の端から血が小さな赤い滝を作りだす。 顎を伝い、赤の粒がポタポタと地べたとアンバーのタイツを汚していく。 胸の空洞は赤く滲み、血が溢れだす。出血は収まることを知らず、膨張するかのように円は広がっていった。 アンバーは立つことすら敵わず、前後に揺らぎながら重力に従い頭から下げるように倒れかける。 左足を前に踏み出し、留まるが胸の痛みから膝を折りアンバーは跪くように体制を崩した。 「私は、一つ面白い発見をした」 広川が手にある本を弄びながらアンバーへ見せ付ける。 ペルソナの力を借りることで、不死の他に多彩な攻撃手段を得ているのは知っている事だ。 だがペルソナの力の中で、時間の壁を越えられるものがあっただろうか。 アンバーも対価の使用以外では、広川はこちらを殺すことが出来ないと半ば確信していた。 だからこそ時間稼ぎには適任であると判断した。 「ペルソナとは、心の中のもう一人の自分が具現化した存在だ。しかし、不思議な事に自らの具現化でありながらその姿は主とは似ても似つかぬ存在だ」 足立透や鳴上悠が行使するペルソナはイザナミによって与えられた力であるという事を除いても、里中千枝や天城雪子のペルソナは文字通りもう一人の自分と向き合った末に習得したものだ。 それなのにペルソナの姿は本体と同じどころかかけ離れた部分が多い。 「重要なのは、ペルソナが既存の固有名詞を名乗ることだ。例えばイザナミ、トモエ、ヨシツネ等は日本の神話、英雄の名と同じだ」 広川の横に浮かぶのはヨシツネとは真逆の西洋の白い鎧に身を包んだ長髪の騎士だった。 手に握られた紅蓮の槍は怪しく光り、まさしく呪われた宝具と言えるだろう。 「ペルソナとは一つの分霊であり、ある魔術師たちの言葉を借りるのなら意思を持たぬサーヴァントと言えるのではないか。  もしそうならば、宝具を与えてやれば、彼らはその真名を開放できるのではないか」 新たなに姿を見せたペルソナの正体はアンバーにはすぐに分かった。 クー・フーリン。 アイルランドの英雄であり、武勇とその美貌で知られた存在だ。 ならばそのクー・フーリンが持つ紅い槍の正体も必然的に分かってくる。 呪いの朱槍。 蒼き槍兵が放つ必殺の宝具『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルグ)』に他ならない。 「世界が違えど、同じ英霊の質を持つ……それが劣化したペルソナという形であっても、宝具の担い手としては十分。  結果は見ての通りだ。ケルトが誇る呪いの槍……神話の一説を、この世界に再現してみせた」 あらゆる宝具の原典を所持する八枚目のクラスカード、あらゆる英霊をペルソナという仮面で呼び出すペルソナ全書。 その二つを組み合わせたことで、広川は神話の宝具を全て真名解放し思うがままに操れる。 「これが絶体絶命というやつだな」 広川は血だまりの中のアンバーへとそう吐き捨てる。 当のアンバーはいつもの飄々とした態度は見えず、血の中で苦しみに苛まれていた。 お父様の時は隠し所持していた賢者の石で難を逃れたが、今回ばかりはそうもいかない。 ゲイ・ボルグには不治の呪いが備わっており、賢者の石の使用でも治癒は不可能だ。 貫かれた箇所と併せて鑑みても完全な致命傷であり、アンバーの死は決定づけられた。 またこの槍は真名を解き放ち、一度放たれれば相手の心臓に槍が命中したという因果逆転した結果を作り上げてしまう。 槍が当たったと確定したアンバーが如何に時間を操作し逃れようとも、槍は時間を遡り因果律を操作し、アンバーですら及ばぬ時間改変により必ず心臓へと命中する。 彼女が刺し穿つ死棘の槍を避けえなかったのもこれが原因だ。 「僅かに心臓を逸れたか、やはり担い手の変質に伴い僅かに劣化しているのか……あるいは君の運が思ったより良かったのか?」 必殺の魔槍ではあるが、例外は存在する。 例えば相手がとても幸運だった場合は仕留めきれないこともある。 早々有り得ることではないが。 しかし、不幸中の幸いと言うべきか、アンバーに命中こそしたが即死ではなかった。 少なくともまだ広川の種明かしを聞ける程度には余力はある。 どちらにしろ死ぬのが、僅かに伸びたに過ぎないが。 「―――っ……」 アンバーの手が震える。掌の賢者の石が震えの震動で零れ落ちた。 それを拾おうとしたアンバーの右腕が一瞬にして抹消された。 クー・フーリンの槍が、神速でアンバーの右腕を切断したことにアンバーは気づくのが数テンポ遅れた。 悲鳴になる筈の声はあまりの呆気なさに呟きに終わる。痛みは後からジワリと時限爆弾のように炸裂したが、もがく程の体力もアンバーには残されない。 幼くなったことで低下した体力と、胸を穿たれ出血し失われた大量の血液が彼女の命を蝕んでいく。 跪いた体勢も維持できず、アンバーは血だまりの中に顔から倒れた。 「これは私が預かっておくとしよう」 アンバーの手元から離れた赤の宝玉は広川の足先へと転がり、コツンとぶつかると広川の手に掬われていく。 念には念をという執拗すぎる警戒心の表れでもある。 恐らく仮にゲイ・ボルグを防がれたとしても更に別の手段を、それが無理なら更に……広川は過剰ともいえる手札を揃えながら戦いに赴いたのだろう。 それだけの警戒を重ねながら、誰よりも最弱であった男は最後の勝利者として自らの悲願を果たそうとしている。 『執行モード、デs―――』 左手でドミネーターを構え、広川へ照準し引き金を引く。 音声がナビゲートし対象の破壊を予告するが、その音声は途中で遮られた。 ドミネーターの銃身を槍が貫通し、貫いたままアンバーの手から強引にもぎ取る。 そのまま紫電を漏らしながら、ドミネーターは破損した。 「私はホムンクルスのような失態は犯さん」 モノ言わぬガラクタとなったドミネーターをクー・フーリンは槍を払い引き抜く。 地べたに叩き付けられた文鎮以下の近未来的な鉄屑を踏みつぶし、広川はアンバーの眼前へと立つ。 アンバーの鼻の先には広川の靴先があり、前にも似たような光景を見た覚えがある。 そう、以前はお父様に急襲された時だ。 あの時もかなりの窮地にあったが、それでも生還する術を持ち得た。復帰こそ遅れてしまったが。 (今回ばかりは……無理だなぁ……) どうにもならない。 はっきり言って手詰まりだ。間違いなくアンバーはここで死ぬ。 思えば他殺されるというのはあまり考えたことがなかった。 誰かの為に消えることはあっても、他者による手で命を亡くすのは不思議な感覚だ。 (約束も果たせなかったし) エドワードと交わした謝罪するという契約も白紙にしてしまった。 「どうしようもないな……私って……」 ―――大好きな人に笑顔一つ取り戻してあげられないなんて。 「残念だったな。あの世に行っても、あの男とは会えないとは」 黒が生きてイザナミに捕らえられる以上、アンバーは死して――もし死後の世界があればだが―――そこでも黒と結ばれることはない。 そういった意味を込めた皮肉だったが、果たしてアンバーの耳の届いていただろうか。 頭を潰され、頭蓋が砕け散り血だまりに濡れた白い骨の残骸が散乱する。 肉片も飛び散り、脳ミソが露出しグロテスクな肉の塊が曝け出される。 緑の長髪は乱れ悲惨さを更に彩っていく。 二つの目玉は広川の足元にまで転がっていき、虚ろな瞳が広川を写しだしていた。 「これが長い時を生きた魔女の最期か」 【アンバー@DARKER THAN BLACK 黒の契約者】死亡 [[→>死神の見る夢は、黒より暗い暗闇か?(前編)]]

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: