「日常への回帰」(2022/05/22 (日) 21:06:44) の最新版変更点
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*日常への回帰 ◆k97rDX.Hc.氏
それは、何の変哲も無い小学校の授業風景だった。
居眠りをした少年と、彼を叱責して廊下に立たせる教師。
その様子をさも滑稽そうに眺めて笑うガキ大将と腰巾着。
とぼとぼと教室を出て行く少年を、どことなく心配そうな表情で見つめる女の子。
タイムテレビに映しだされているのは、そんな、何の変哲も無い日常の風景だった。
○
次元空間航行艦船アースラによって、あの事件の生存者のほとんどが日常へと帰還した後のこと――
超空間を漂う巡視艇の一室で、ドラえもんは今回の事件の事後処理について説明を受けていた。
主な内容は、今回の事件の容疑者として身柄を拘束されたギガゾンビ、および、同じく重要参考人であるユービックの処遇についてである。
ギガゾンビは死刑に処せられることがほぼ確実だという。
存在抹消刑の適用が見送られたと聞いても、ドラえもんは怒りを感じなかった。
すでに半ば予想し、覚悟を決めていたせいもあるのかもしれない。
ただ、それ以上に。自分も、すでに別れた他の皆も。悪夢のような2日間を抜けてようやく帰りついた先は、あれほど取り戻したいと願っていた日常とはやはり別であり、
そこからは、依然としていくつかの顔が抜け落ちたままであることを思うと、無性に寂しかっただけだった。
唯一の慰めは、ユービックの存在が消されてしまうようなことにならなかったことぐらいだろうか。
そのユービックについては、ギガゾンビからの離反が評価され、寛大な処置がとられることになった。
しばらくは事件の調査に協力させられることになり、行動もかなり制約されることになるだろう。
だが、それさえ終われば、ロボット学校による更正プログラムを通して、未来社会での自立が支援されるのだという。
『これは二人の護送を成功させた後の話だ。本部までの超空間の移動については、私が責任を持つ』
タイムパトロールの隊長は、そう言って説明をしめくくった。
「ぼくは、どうなるんでしょうか?」
「それなんだが……その話をする前に1つ君に説明しておかなければならないことがある」
「なんですか?」
ドラえもんは首を傾げた。
彼自身、自分が最後に残されたのは、時間移動に関する22世紀の法律、航時法を知る者としての扱いによるものだと考えていた。
ギガゾンビとユービックの処遇について聞いた今、これ以上、何かあるとは思ってもみなかったのだ。
「ギガゾンビが存在抹消刑の適用をまぬがれた本当の理由についてだ」
「その話はいいんです。ぼくにとってはどうでもよいことですから」
それは、ドラえもんの偽りない気持ちだった。
もう、のび太くんたちは帰ってこない。それが覆せない結果ならば、そこに至る過程に何の意味があるだろう?
ギガゾンビがどうなろうともはや、彼に対しては何の影響も及ぼすことはないのだ。
そんなドラえもんの様子を見て、隊長はため息をついた。
「気持ちは分からないでもないが、こらえてほしい。これはどうしても必要なことなんだ。
今回の事件同様、存在抹消刑の執行そのものも、20あまりの世界に影響を及ぼしてしまう。このことはすでに説明したと思う。
確かにそれは重大な問題であり、到底無視できるものではない。
しかし、たとえそんな事情がなかったとしても、我々は絶対にその手段をとることはできないのだ」
頭を振ってそう告げると、隊長はテーブルの上の水差しに手を伸ばした。
コップに半分だけ水を注ぎ、それを一気にあおる。
口をぬぐって空のコップを置くと、ドラえもんの目をまっすぐ見つめてこう言った。
「なぜなら。
我々は、我々の世界のギガゾンビをその企てが完遂される前に拘束し、
すでに本部による厳重な監視の下に置いているからだ」
「そんなはずは……だって、ギガゾンビはこの船に……」
あまりに突拍子もない発言に、ドラえもんは絶句した。
理解ができない。一体何を言われたのかが分からない。
しかし、だからこそ頭の中のどこか冷静な部分が働いて、必死で隊長の言葉の意味を探り始めた。
(ぼくたちが捕まえたギガゾンビと、すでにタイムパトロールの元にいるというギガゾンビ。
ギガゾンビが2人?
“我々の”? “我々の世界の”?)
“我々の”。この言葉から、ドラえもんは1つの答えを導き出した。
「……そうか! わかったぞ!
あなたは、あなたがたはぼくがいた世界のタイムパトロールじゃない。
パラレルワールドの、“ギガゾンビが事前に捕らえられた世界”のタイムパトロールなんだ!!」
隊長はうなずいて肯定の意を示した。
「実際、我々も驚いた。
ギガゾンビの身柄を確保してその犯罪を未然に防いだと思っていたのに、その後になって
“もう一人のギガゾンビによる計画継続を示すデータが、超空間のどこかから送信されている”
という事態に直面したのだから」
「で、でもなんでそんなことに? それならぼくの世界のタイムパトロールは!?」
何かがおかしい、何かとても大事なことを見落としている。
そんな焦燥感に駆られてドラえもんは矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「君たちの世界のタイムパトロールはおそらく間に合わなかったのだろうし、決してここには来ない。
来ることはできない」
隊長の冷静な声は、むしろ事態の大きさを暗に示すもののように思われた。
ドラえもんの頭の中に巣食っていた漠然とした不安は、いまや1つの恐るべき可能性として急速にその形をとり始めていた。
「そうだ。セワシくんは、セワシくんはどうなったんですか!? それに、ぼくは、ぼくは……」
唐突に、ドラえもんの脳裏に浮かび上がってくる情景があった。
山野を焼き払い、地を埋め尽くして迫りくるロボット兵の大部隊。メカトピアの鉄人兵団。
だが、彼らは青白い光に包まれて、苦悶の声を上げながら消えていく。あとには1人も残らない。
それは、そんな身の毛もよだつような光景だった。
「なんで、なんでのび太くんがいなくなってしまったのに、ぼくはまだ消えていないんだ!?」
○
彼が元いた世界はどうなってしまったのか? 正確なところは誰にも分からない。
だが、今から時の流れを過去に遡っても、そこは我々の世界にしかつながらない。
我々の世界と彼の世界の間の明確な分岐点を見出すこともできない。
野比のび太のひ孫である野比セワシの手によって、22世紀から20世紀へと送りこまれたドラえもん。
かつて大規模な歴史の改変をもくろんで、それを彼に阻止された23世紀の科学者、ギガゾンビ。
この2人の特異な関係と、“亜空間破壊装置”および“世界統合装置”の働きがこの奇妙な状況を作り出したのだ。
このことは、時の流れを川に例えると理解しやすいだろう。
ギガゾンビの計画が進んだある時点で、その川は彼の世界と我々の世界という2つの支流に分かれてしまった。
これについては、もしもボックスの技術を応用し、ロストロギアを利用した“世界統合装置”の副作用だと考えられる。
その後で、あの2つの装置が、別れた一方の流れからごく一部分だけを隔離した。これが、今回の事件の舞台となった空間だ。
かつて、氷河期の事件の折にもギガゾンビは亜空間破壊装置の完成を目指していたのだという。
それは、外部からの干渉を排除すると同時に、自身を歴史の改変による矛盾から守るためでもあった。
多少の差異があるとは言え、今回の一件でもその点は変わりない。2つの装置は、外部の変化から内部を守る囲いとしても機能した。
それ自体には何の問題もない。他の世界から独立した1個の奇妙な世界が新たに形作られただけの話だ。
ところが、彼の世界のタイムパトロールは間に合わず、野比のび太は元の流れに帰還できなかった。
その矛盾により、彼らの側の支流は流れる場所を大きく変えたか……源流から完全に切り離されて、消滅してしまった。
そして後には、我々の側の流れと、囲いに守られた小さなため池だけが残された。
実のところ、我々にとって真に致命的な歴史の改変がなされた事例はただ一つとして存在しないし、存在し得ない。
そのような改変は、認識すらされないからだ。
興奮状態に陥った彼に水を勧めると、どうにかそんな話を聞ける程度には落ち着いてくれた。
いや、“落ち着いた”のではなく、“虚脱状態に陥った”というべきなのかもしれない。
時折うなずく他は、私の説明をただ黙って聞くばかりだった。
無理もないことだと思う。
彼が過ごしてきた日常は完全に消滅し、もはや帰る場所も無いのだから。
彼自身、我々の世界の野比セワシの世話になることはできないと考えているようだった。
おそらく、事情を説明しなくても、周囲の人々は喜んで彼を迎えてくれることだろう。
だが、そこは“我々の世界の彼”の居場所であって“この場にいる彼”の居場所ではない。
彼の存在そのものが、幸せに日常を過ごしている人々の心に暗い影を落としてしまう。たとえ、彼の世界を襲った出来事について、沈黙を通していたとしても。
『あなたたちの世界のセワシくんや、のび太くんの知らないどこかに行こうと思います』
今後の身の振り方について聞くと、そんなことを淡々と説明してくれた。
ただ、その後で1度だけ、彼が激しい感情をあらわにしたことがある。それは、今後の身の振り方について、私がある提案をしたときのことだった。
「……君は、全てを忘れた方が良いのかもしれない」
その言葉は、空っぽになってしまったぼくの胸にするりと入り込んできた。
「酷なことを言うようだが、中古の子守ロボットが働ける場所というのはそう多くはない。
しかし、故障している箇所を修理して、塗装をやり直せば、君も新品同様の姿になることができる。
モデルとしては22世紀で一般的な猫型子守ロボットだから、就職先には困らないだろう。
工場で記憶を消去してしまえば、これ以上それに苛まれることはないし、新しい環境にもなじみやすい。
全てを忘れて、また一からやり直してはどうかい?」
ぼくは頭をふった。
忘れる? のび太くんのことを? セワシくんのことを?
ドラミを、しずかちゃんを、ジャイアンを、スネ夫を?
ドラえもんズを、先生を、ママを、パパを。あの世界で一緒に過ごした全ての人のことを?
「……忘れる? 全部忘れる?」
忘れれば楽になれるんだろうか? みんな忘れてしまえば、この寂しさはは消えてくれるんだろうか?
新しく、この胸を満たすものを見つけることができるんだろうか?
そうだとしても、本当にそうなんだとしても。
「そんなこと、できるもんか!!」
気がついたら、怒鳴り声になっていた。
太一くんを、素子さんを、士郎くんを、ルイズちゃんを、ヴィータちゃんを。
真紅を、カズマくんを、ぶりぶりざえもんを、ヤマトくんを、アルルゥちゃんを。
劉鳳くんを、セラスさんを、レヴィさんを、ゲインさんを。あの場所で出会い、そして別れた人たちのことを。
最後まで一緒に頑張って、生き残った8人の仲間と有希ちゃんのことを。
なのはちゃんやクーガーさん、最後まで出会えなかった人たちのことを。
それにシグナムやセイバー、水銀燈、峰不二子のことだって。
「ぼくは忘れない、忘れたりなんかしない!!」
ぼくには、もう何も残されていないと思っていた。けれど皆との記憶は、記憶だけは――
「忘れたりなんか……できるもんか」
今はそう思っても、そのうち後悔することもあるかもしれない。
私はそう言って説得に努めたが、彼は頑として譲らなかった。
それは、ある意味当然のことだと思う。
彼は数少ない生き残りなのだ。彼の世界の一員としても、今回の事件の被害者としても。
彼の心と身体に刻まれた記憶を消してしまえば、失われた人々を悼む者は誰もいなくなってしまう。
誰にも省みられない死ほど、哀しいものはないだろう?
だから私は独断で、考えうる最悪の未来について彼に知らせ、ある選択を迫った。
正直なところ、それが正しい行動だったのかは今でも分からない。
そして、彼が最終的にどちらの道を選んだのか。これについても分からない。
話の最後に、私は彼に四次元ポケットを手渡した。
彼がギガゾンビに奪われた道具はすでに消失してしまっている。
だから、ポケットとその中に入っている道具は、竹刀――遠坂凛の世界から持ち込まれたために1度押収された――以外は全てこちらで用意したものだ。
そして、その中には“もしもボックス”も含まれていた。私が迫った選択とは、彼がそれを使うか否かということだ。
彼もその道具の効果はよく知っていたから、私の提案には大分面食らったようだった。
時に誤解されることもあるが、“もしもボックス”は使用者の住む世界を作り変える道具ではない。
見方にもよるが、厳密に言えば異なる2つのパラレルワールド間を行き来できる道具ですらない。
当然、彼の世界の野比のび太の死や、彼の世界に起きたことを覆せるわけではなく、“この場にいる彼”が“他の世界の彼”に成り代われるわけでもない。
“この場にいる彼”が、自分の手で新しい居場所をどこかに探さなければならないこと状況はけっして変わらることがなく、
一方で“もしもギガゾンビが未然に捕らえていたら”という世界の彼が、もう1人の彼としてその記憶を分かち合うだけにすぎない。
普通に考えれば、この道具の使用は、何も知らない“我々の世界の彼”に重荷を背負わせるだけであることは明白で、考慮にすら値しない。
……だが、それも“この場にいる彼”がこのまま存在し続けられればの話だ。
ギガゾンビの作り上げた装置が破壊された今、“この場にいる彼”の存在を保証するものはなにもない。
改変された歴史の影響が、これから“この場にいる彼”に現れるのかどうかは誰にも予測できず、最悪の場合、超空間から出た瞬間にその存在が消えてしまう可能性すらある。
そのことを説明すると、彼も私の意図を理解してくれたようだった。
『すまないがあまり時間の猶予はあげられない。
けれど、その中で君にとって最善の答えが見つけられるように祈っている』
私はテーブルの上に置いてあった帽子を被り直すと、一言そう告げて部屋を後にした。
○
ドアが横に開くと、青タ――いや、ドラえもんがタイムテレビの画面を見つめていた。
俺が部屋に入るのと同時に電源を落としてしまったようで、何を見ていたのかは分からなかったが、酷く真剣な様子だったのを覚えている。
「ユービック。話はもう終わったの?」
俺を連れてきたタイムパトロールの隊員が一礼して部屋を出て行くのを確認した後、ドラえもんはおもむろにそう切り出した。
「今回はあくまで事実の確認と、俺の今後の身の振り方を説明するのが主目的だったらしい。
本部まで帰ったら、本格的な事情聴取が待っているから覚悟しろとたっぷり脅かされた」
「それが終わったら、ロボット学校で勉強するんだって?」
「ああ」
俺が短くそう答えると、ドラえもんは懐かしそうな表情を浮かべてこういった。
「ぼくも、昔あそこで学んだことがあるんだ。先生は面白いし、色々な行事があるし、とても楽しい場所だよ」
「お前がそう言うなら良い所なのだろう。
ただ、元の世界に帰られたグリフィス様の下に参じることができないのは残念だが
――すまない。失言だった」
その時の俺は、グリフィス様が無事にご自身の世界に帰還されたことを聞いて浮かれていた。
浮かれきってしまい、その言葉がドラえもんを傷つけかねないことをすっかり忘れてしまっていた。
……病院の前であいつが涙する姿を、この目でしっかりと見ていたというのに。
だが、なおも謝ろうとする俺を押しとどめて、ドラえもんはこう言ったのだ。
「いいんだよ。ぼくたちは友達じゃないか。
友達が嬉しいと思うことなら、それはぼくにとっても嬉しいことなんだよ」
「友達? 俺を友達と呼んでくれるのか?」
俺は、俺はグリフィス様のためにお前たちを利用しようとした。グリフィス様のことしか考えていなかった。
それなのに、俺のことを?
「あたりまえじゃないか。しんのすけくんやトグサさん、ロックさんや他の皆だって君の事を友達だって思っているはずだよ」
その言葉を聞いたとき、俺はわけもなく嬉しく、同時に、わけもなく苦しかった。
うつむいた俺に、ドラえもんはなおも声をかけた。
「コンラッド……だったっけか。君にだってそういうツチダマの仲間がいたんだろう?」
俺たちツチダマは、あくまで互いを仕事仲間としてしか考えていなかった。
だが、今思えばだ。
いけ好かないところもあったが、共にグリフィス様より名を賜った3人――コンラッド、ボイド、スラン――との間には、
同じものを信じ、同じ理想を追い求めた仲間としてのつながりが、確かにあったのかもしれない。
そのことを告げると、ドラえもんは微笑んで言った。
「じゃあ、これからどんなことが起こっても、彼らのことを忘れないであげていてほしいんだ。
……いつまでも、いつまでも」
その言葉が何を意味するのか、その時の俺にはよく分からなかった。
よく分からなかったが、ただ、うなずいた。
その後、もう少しだけ話しをしてから、俺は再び囚人用の独房へと連れて行かれた。
本部への到着まで、あと1時間。
○
部屋が急に暗くなってきたのに気づき、野比玉子は掃除機をかける手を止めた。
スイッチを切った掃除機をその場に置く。居間の窓を開け、そこから身を乗り出して空を見上げた。
雲が出ている。早朝はむしろ晴れていたくらいなのに、今にも雨が降り出しそうな按配だ。
サンダルをつっかけて庭に下りる。物干し竿にかけられている布団を掴むと、まだ少し湿っていた。
「やだわ。まだお洗濯ものが乾いてないのに……」
玉子はため息をついた。
これでまた仕事が増えてしまう。買い物はのび太に頼んだ方が良いだろうか?
けれど、あの子が帰ってくるまでにはまだ間があるし、土砂降りの中お使いに行かせるのもちょっと可哀想かもしれない。
と、そこまで考えたところで、のび太にはそもそも傘を持たせていなかったことに玉子は気づいた。
「ドラちゃ~ん。ちょっとお願いがあるんだけれど」
「商店街に買物に行って、その後、のびちゃんに傘を届けてきてくれないかしら」
「は~い。わかりました」
大きな声で返事をすると、ドラえもんは窓から顔を引っ込めた。
窓を閉めたのは、雨が降ってきても大丈夫なようにだろう。
学習机から飛び降りてタイムテレビを片付けると、短い脚を動かしてどたどたと部屋から駆け出していった。
誰もいなくなった部屋。そこには何の変哲も無い、日常の風景があった。
ただ一つ、押し入れのふすまに立て掛けられた見慣れぬ竹刀を除いては。
大長編ドラえもん おわり
*時系列順に読む
Back:[[______________]]
*投下順に読む
Back:[[______________]]
|298:[[GAMEOVER(5)]]|ドラえもん|
|298:[[GAMEOVER(5)]]|ギガゾンビ|
|298:[[GAMEOVER(5)]]|ユービック(住職ダマB)|
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*日常への回帰 ◆k97rDX.Hc.氏
それは、何の変哲も無い小学校の授業風景だった。
居眠りをした少年と、彼を叱責して廊下に立たせる教師。
その様子をさも滑稽そうに眺めて笑うガキ大将と腰巾着。
とぼとぼと教室を出て行く少年を、どことなく心配そうな表情で見つめる女の子。
タイムテレビに映しだされているのは、そんな、何の変哲も無い日常の風景だった。
○
次元空間航行艦船アースラによって、あの事件の生存者のほとんどが日常へと帰還した後のこと――
超空間を漂う巡視艇の一室で、ドラえもんは今回の事件の事後処理について説明を受けていた。
主な内容は、今回の事件の容疑者として身柄を拘束されたギガゾンビ、および、同じく重要参考人であるユービックの処遇についてである。
ギガゾンビは死刑に処せられることがほぼ確実だという。
存在抹消刑の適用が見送られたと聞いても、ドラえもんは怒りを感じなかった。
すでに半ば予想し、覚悟を決めていたせいもあるのかもしれない。
ただ、それ以上に。自分も、すでに別れた他の皆も。悪夢のような2日間を抜けてようやく帰りついた先は、あれほど取り戻したいと願っていた日常とはやはり別であり、
そこからは、依然としていくつかの顔が抜け落ちたままであることを思うと、無性に寂しかっただけだった。
唯一の慰めは、ユービックの存在が消されてしまうようなことにならなかったことぐらいだろうか。
そのユービックについては、ギガゾンビからの離反が評価され、寛大な処置がとられることになった。
しばらくは事件の調査に協力させられることになり、行動もかなり制約されることになるだろう。
だが、それさえ終われば、ロボット学校による更正プログラムを通して、未来社会での自立が支援されるのだという。
『これは二人の護送を成功させた後の話だ。本部までの超空間の移動については、私が責任を持つ』
タイムパトロールの隊長は、そう言って説明をしめくくった。
「ぼくは、どうなるんでしょうか?」
「それなんだが……その話をする前に1つ君に説明しておかなければならないことがある」
「なんですか?」
ドラえもんは首を傾げた。
彼自身、自分が最後に残されたのは、時間移動に関する22世紀の法律、航時法を知る者としての扱いによるものだと考えていた。
ギガゾンビとユービックの処遇について聞いた今、これ以上、何かあるとは思ってもみなかったのだ。
「ギガゾンビが存在抹消刑の適用をまぬがれた本当の理由についてだ」
「その話はいいんです。ぼくにとってはどうでもよいことですから」
それは、ドラえもんの偽りない気持ちだった。
もう、のび太くんたちは帰ってこない。それが覆せない結果ならば、そこに至る過程に何の意味があるだろう?
ギガゾンビがどうなろうともはや、彼に対しては何の影響も及ぼすことはないのだ。
そんなドラえもんの様子を見て、隊長はため息をついた。
「気持ちは分からないでもないが、こらえてほしい。これはどうしても必要なことなんだ。
今回の事件同様、存在抹消刑の執行そのものも、20あまりの世界に影響を及ぼしてしまう。このことはすでに説明したと思う。
確かにそれは重大な問題であり、到底無視できるものではない。
しかし、たとえそんな事情がなかったとしても、我々は絶対にその手段をとることはできないのだ」
頭を振ってそう告げると、隊長はテーブルの上の水差しに手を伸ばした。
コップに半分だけ水を注ぎ、それを一気にあおる。
口をぬぐって空のコップを置くと、ドラえもんの目をまっすぐ見つめてこう言った。
「なぜなら。
我々は、我々の世界のギガゾンビをその企てが完遂される前に拘束し、
すでに本部による厳重な監視の下に置いているからだ」
「そんなはずは……だって、ギガゾンビはこの船に……」
あまりに突拍子もない発言に、ドラえもんは絶句した。
理解ができない。一体何を言われたのかが分からない。
しかし、だからこそ頭の中のどこか冷静な部分が働いて、必死で隊長の言葉の意味を探り始めた。
(ぼくたちが捕まえたギガゾンビと、すでにタイムパトロールの元にいるというギガゾンビ。
ギガゾンビが2人?
“我々の”? “我々の世界の”?)
“我々の”。この言葉から、ドラえもんは1つの答えを導き出した。
「……そうか! わかったぞ!
あなたは、あなたがたはぼくがいた世界のタイムパトロールじゃない。
パラレルワールドの、“ギガゾンビが事前に捕らえられた世界”のタイムパトロールなんだ!!」
隊長はうなずいて肯定の意を示した。
「実際、我々も驚いた。
ギガゾンビの身柄を確保してその犯罪を未然に防いだと思っていたのに、その後になって
“もう一人のギガゾンビによる計画継続を示すデータが、超空間のどこかから送信されている”
という事態に直面したのだから」
「で、でもなんでそんなことに? それならぼくの世界のタイムパトロールは!?」
何かがおかしい、何かとても大事なことを見落としている。
そんな焦燥感に駆られてドラえもんは矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「君たちの世界のタイムパトロールはおそらく間に合わなかったのだろうし、決してここには来ない。
来ることはできない」
隊長の冷静な声は、むしろ事態の大きさを暗に示すもののように思われた。
ドラえもんの頭の中に巣食っていた漠然とした不安は、いまや1つの恐るべき可能性として急速にその形をとり始めていた。
「そうだ。セワシくんは、セワシくんはどうなったんですか!? それに、ぼくは、ぼくは……」
唐突に、ドラえもんの脳裏に浮かび上がってくる情景があった。
山野を焼き払い、地を埋め尽くして迫りくるロボット兵の大部隊。メカトピアの鉄人兵団。
だが、彼らは青白い光に包まれて、苦悶の声を上げながら消えていく。あとには1人も残らない。
それは、そんな身の毛もよだつような光景だった。
「なんで、なんでのび太くんがいなくなってしまったのに、ぼくはまだ消えていないんだ!?」
○
彼が元いた世界はどうなってしまったのか? 正確なところは誰にも分からない。
だが、今から時の流れを過去に遡っても、そこは我々の世界にしかつながらない。
我々の世界と彼の世界の間の明確な分岐点を見出すこともできない。
野比のび太のひ孫である野比セワシの手によって、22世紀から20世紀へと送りこまれたドラえもん。
かつて大規模な歴史の改変をもくろんで、それを彼に阻止された23世紀の科学者、ギガゾンビ。
この2人の特異な関係と、“亜空間破壊装置”および“世界統合装置”の働きがこの奇妙な状況を作り出したのだ。
このことは、時の流れを川に例えると理解しやすいだろう。
ギガゾンビの計画が進んだある時点で、その川は彼の世界と我々の世界という2つの支流に分かれてしまった。
これについては、もしもボックスの技術を応用し、ロストロギアを利用した“世界統合装置”の副作用だと考えられる。
その後で、あの2つの装置が、別れた一方の流れからごく一部分だけを隔離した。これが、今回の事件の舞台となった空間だ。
かつて、氷河期の事件の折にもギガゾンビは亜空間破壊装置の完成を目指していたのだという。
それは、外部からの干渉を排除すると同時に、自身を歴史の改変による矛盾から守るためでもあった。
多少の差異があるとは言え、今回の一件でもその点は変わりない。2つの装置は、外部の変化から内部を守る囲いとしても機能した。
それ自体には何の問題もない。他の世界から独立した1個の奇妙な世界が新たに形作られただけの話だ。
ところが、彼の世界のタイムパトロールは間に合わず、野比のび太は元の流れに帰還できなかった。
その矛盾により、彼らの側の支流は流れる場所を大きく変えたか……源流から完全に切り離されて、消滅してしまった。
そして後には、我々の側の流れと、囲いに守られた小さなため池だけが残された。
実のところ、我々にとって真に致命的な歴史の改変がなされた事例はただ一つとして存在しないし、存在し得ない。
そのような改変は、認識すらされないからだ。
興奮状態に陥った彼に水を勧めると、どうにかそんな話を聞ける程度には落ち着いてくれた。
いや、“落ち着いた”のではなく、“虚脱状態に陥った”というべきなのかもしれない。
時折うなずく他は、私の説明をただ黙って聞くばかりだった。
無理もないことだと思う。
彼が過ごしてきた日常は完全に消滅し、もはや帰る場所も無いのだから。
彼自身、我々の世界の野比セワシの世話になることはできないと考えているようだった。
おそらく、事情を説明しなくても、周囲の人々は喜んで彼を迎えてくれることだろう。
だが、そこは“我々の世界の彼”の居場所であって“この場にいる彼”の居場所ではない。
彼の存在そのものが、幸せに日常を過ごしている人々の心に暗い影を落としてしまう。たとえ、彼の世界を襲った出来事について、沈黙を通していたとしても。
『あなたたちの世界のセワシくんや、のび太くんの知らないどこかに行こうと思います』
今後の身の振り方について聞くと、そんなことを淡々と説明してくれた。
ただ、その後で1度だけ、彼が激しい感情をあらわにしたことがある。それは、今後の身の振り方について、私がある提案をしたときのことだった。
「……君は、全てを忘れた方が良いのかもしれない」
その言葉は、空っぽになってしまったぼくの胸にするりと入り込んできた。
「酷なことを言うようだが、中古の子守ロボットが働ける場所というのはそう多くはない。
しかし、故障している箇所を修理して、塗装をやり直せば、君も新品同様の姿になることができる。
モデルとしては22世紀で一般的な猫型子守ロボットだから、就職先には困らないだろう。
工場で記憶を消去してしまえば、これ以上それに苛まれることはないし、新しい環境にもなじみやすい。
全てを忘れて、また一からやり直してはどうかい?」
ぼくは頭をふった。
忘れる? のび太くんのことを? セワシくんのことを?
ドラミを、しずかちゃんを、ジャイアンを、スネ夫を?
ドラえもんズを、先生を、ママを、パパを。あの世界で一緒に過ごした全ての人のことを?
「……忘れる? 全部忘れる?」
忘れれば楽になれるんだろうか? みんな忘れてしまえば、この寂しさは消えてくれるんだろうか?
新しく、この胸を満たすものを見つけることができるんだろうか?
そうだとしても、本当にそうなんだとしても。
「そんなこと、できるもんか!!」
気がついたら、怒鳴り声になっていた。
太一くんを、素子さんを、士郎くんを、ルイズちゃんを、ヴィータちゃんを。
真紅を、カズマくんを、ぶりぶりざえもんを、ヤマトくんを、アルルゥちゃんを。
劉鳳くんを、セラスさんを、レヴィさんを、ゲインさんを。あの場所で出会い、そして別れた人たちのことを。
最後まで一緒に頑張って、生き残った8人の仲間と有希ちゃんのことを。
なのはちゃんやクーガーさん、最後まで出会えなかった人たちのことを。
それにシグナムやセイバー、水銀燈、峰不二子のことだって。
「ぼくは忘れない、忘れたりなんかしない!!」
ぼくには、もう何も残されていないと思っていた。けれど皆との記憶は、記憶だけは――
「忘れたりなんか……できるもんか」
今はそう思っても、そのうち後悔することもあるかもしれない。
私はそう言って説得に努めたが、彼は頑として譲らなかった。
それは、ある意味当然のことだと思う。
彼は数少ない生き残りなのだ。彼の世界の一員としても、今回の事件の被害者としても。
彼の心と身体に刻まれた記憶を消してしまえば、失われた人々を悼む者は誰もいなくなってしまう。
誰にも省みられない死ほど、哀しいものはないだろう?
だから私は独断で、考えうる最悪の未来について彼に知らせ、ある選択を迫った。
正直なところ、それが正しい行動だったのかは今でも分からない。
そして、彼が最終的にどちらの道を選んだのか。これについても分からない。
話の最後に、私は彼に四次元ポケットを手渡した。
彼がギガゾンビに奪われた道具はすでに消失してしまっている。
だから、ポケットとその中に入っている道具は、竹刀――遠坂凛の世界から持ち込まれたために1度押収された――以外は全てこちらで用意したものだ。
そして、その中には“もしもボックス”も含まれていた。私が迫った選択とは、彼がそれを使うか否かということだ。
彼もその道具の効果はよく知っていたから、私の提案には大分面食らったようだった。
時に誤解されることもあるが、“もしもボックス”は使用者の住む世界を作り変える道具ではない。
見方にもよるが、厳密に言えば異なる2つのパラレルワールド間を行き来できる道具ですらない。
当然、彼の世界の野比のび太の死や、彼の世界に起きたことを覆せるわけではなく、“この場にいる彼”が“他の世界の彼”に成り代われるわけでもない。
“この場にいる彼”が、自分の手で新しい居場所をどこかに探さなければならない状況は決して変わることがなく、
一方で“もしもギガゾンビが未然に捕らえられていたら”という世界の彼が、もう1人の彼としてその記憶を分かち合うだけにすぎない。
普通に考えれば、この道具の使用は、何も知らない“我々の世界の彼”に重荷を背負わせるだけであることは明白で、考慮にすら値しない。
……だが、それも“この場にいる彼”がこのまま存在し続けられればの話だ。
ギガゾンビの作り上げた装置が破壊された今、“この場にいる彼”の存在を保証するものはなにもない。
改変された歴史の影響が、これから“この場にいる彼”に現れるのかどうかは誰にも予測できず、最悪の場合、超空間から出た瞬間にその存在が消えてしまう可能性すらある。
そのことを説明すると、彼も私の意図を理解してくれたようだった。
『すまないがあまり時間の猶予はあげられない。
けれど、その中で君にとって最善の答えが見つけられるように祈っている』
私はテーブルの上に置いてあった帽子を被り直すと、一言そう告げて部屋を後にした。
○
ドアを横に開くと、青タ――いや、ドラえもんがタイムテレビの画面を見つめていた。
俺が部屋に入るのと同時に電源を落としてしまったようで、何を見ていたのかは分からなかったが、酷く真剣な様子だったのを覚えている。
「ユービック。話はもう終わったの?」
俺を連れてきたタイムパトロールの隊員が一礼して部屋を出て行くのを確認した後、ドラえもんはおもむろにそう切り出した。
「今回はあくまで事実の確認と、俺の今後の身の振り方を説明するのが主目的だったらしい。
本部まで帰ったら、本格的な事情聴取が待っているから覚悟しろとたっぷり脅かされた」
「それが終わったら、ロボット学校で勉強するんだって?」
「ああ」
俺が短くそう答えると、ドラえもんは懐かしそうな表情を浮かべてこういった。
「ぼくも、昔あそこで学んだことがあるんだ。先生は面白いし、色々な行事があるし、とても楽しい場所だよ」
「お前がそう言うなら良い所なのだろう。
ただ、元の世界に帰られたグリフィス様の下に参じることができないのは残念だが
――すまない。失言だった」
その時の俺は、グリフィス様が無事にご自身の世界に帰還されたことを聞いて浮かれていた。
浮かれきってしまい、その言葉がドラえもんを傷つけかねないことをすっかり忘れてしまっていた。
……病院の前であいつが涙する姿を、この目でしっかりと見ていたというのに。
だが、なおも謝ろうとする俺を押しとどめて、ドラえもんはこう言ったのだ。
「いいんだよ。ぼくたちは友達じゃないか。
友達が嬉しいと思うことなら、それはぼくにとっても嬉しいことなんだよ」
「友達? 俺を友達と呼んでくれるのか?」
俺は、俺はグリフィス様のためにお前たちを利用しようとした。グリフィス様のことしか考えていなかった。
それなのに、俺のことを?
「あたりまえじゃないか。しんのすけくんやトグサさん、ロックさんや他の皆だって君の事を友達だって思っているはずだよ」
その言葉を聞いたとき、俺はわけもなく嬉しく、同時に、わけもなく苦しかった。
うつむいた俺に、ドラえもんはなおも声をかけた。
「コンラッド……だったっけか。君にだってそういうツチダマの仲間がいたんだろう?」
俺たちツチダマは、あくまで互いを仕事仲間としてしか考えていなかった。
だが、今思えばだ。
いけ好かないところもあったが、共にグリフィス様より名を賜った3人――コンラッド、ボイド、スラン――との間には、
同じものを信じ、同じ理想を追い求めた仲間としてのつながりが、確かにあったのかもしれない。
そのことを告げると、ドラえもんは微笑んで言った。
「じゃあ、これからどんなことが起こっても、彼らのことを忘れないであげていてほしいんだ。
……いつまでも、いつまでも」
その言葉が何を意味するのか、その時の俺にはよく分からなかった。
よく分からなかったが、ただ、うなずいた。
その後、もう少しだけ話をしてから、俺は再び囚人用の独房へと連れて行かれた。
本部への到着まで、あと1時間。
○
部屋が急に暗くなってきたのに気づき、野比玉子は掃除機をかける手を止めた。
スイッチを切った掃除機をその場に置く。居間の窓を開け、そこから身を乗り出して空を見上げた。
雲が出ている。早朝はむしろ晴れていたくらいなのに、今にも雨が降り出しそうな按配だ。
サンダルをつっかけて庭に下りる。物干し竿にかけられている布団を掴むと、まだ少し湿っていた。
「やだわ。まだお洗濯ものが乾いてないのに……」
玉子はため息をついた。
これでまた仕事が増えてしまう。買い物はのび太に頼んだ方が良いだろうか?
けれど、あの子が帰ってくるまでにはまだ間があるし、土砂降りの中お使いに行かせるのもちょっと可哀想かもしれない。
と、そこまで考えたところで、のび太にはそもそも傘を持たせていなかったことに玉子は気づいた。
「ドラちゃ~ん。ちょっとお願いがあるんだけれど」
「商店街に買物に行って、その後、のびちゃんに傘を届けてきてくれないかしら」
「は~い。わかりました」
大きな声で返事をすると、ドラえもんは窓から顔を引っ込めた。
窓を閉めたのは、雨が降ってきても大丈夫なようにだろう。
学習机から飛び降りてタイムテレビを片付けると、短い脚を動かしてどたどたと部屋から駆け出していった。
誰もいなくなった部屋。そこには何の変哲も無い、日常の風景があった。
ただ一つ、押し入れのふすまに立て掛けられた見慣れぬ竹刀を除いては。
大長編ドラえもん おわり
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