失われた青春(ブラック・ジャック)

登録日:2022/08/14 Sun 22:47:51
更新日:2022/08/19 Fri 07:31:50
所要時間:約7分で読めます



「失われた青春」は、『ブラック・ジャック』154話のエピソードである。
チャンピオンコミックス旧版19巻、新装版11巻、文庫版16巻他に収録。講談社漫画全集には未収録。
『ブラック・ジャック』の定番である「整形手術」をテーマとした話で、今回は指紋のみならず声紋も変えるなど徹底的に他人に成りすました男の栄光と破滅を描いている。


【あらすじ】

「居間は5キロ先です」
BJは石油ポンプが立ち並ぶ中庭の道を車で走り抜ける。
居間に到着後、専務やシカの首の剥製の案内を受けて、BJは今回の依頼主・ゼット・リングと対面する。
リングはまず、自分の哲学や自慢話から語り始める。
「わしはきみと似とるところがひとつだけある。金が好きなんじゃよ。金がな!」
「およそ手に入る金は1セントも見逃さんことじゃ! その1セントが100万ドルの損をまねくことがある! いいかね先生。これは哲学じゃよ」

「リングさん、世間話よりまずどこが悪いのか聞かせてください」
BJはその話を遮るように、本題であるリングの病状について尋ねる、
「悪い? 悪くないね。どこもいっこうに。しいていえばわしはもう金もうけにつかれた。運動と旅がしたいだけなんだ」

リングの身分になると、外に出るにもお付きがついて回り、探偵に尾行されたりと、どうしても一人でいることができない。
そこでBJの手による整形で若返りはもちろんのこと、指紋や声まで変えて別人になろうと考えたのだ。ただし、1年間の期限付きで、その後はもとに戻すという条件付きで。
BJは「できないことはないが、目玉が飛び出すほど高くつきますぜ」というが、リングは「金はいくらでも払う!!」と受け入れる。


「なあ先生。わしは灰色の青春をおくった。気がついた時はもうまつり上げられてガンジガラメで自由もなくなっていた…… わしはいま一度好きなことをやってみたいんだ」

これにBJも同意。早速手術を開始した……



【登場人物】

おなじみ名医。ゼット・リングの依頼を受けて若返り手術を実行する。手術後もリングと連絡を取りあい、1年後もリングの姿に戻すために手術をしようとしていたが……

おなじみBJのおくたん。今回は入浴中のBJの身支度をしているシーンのみ登場。

  • ゼット・リングブラッドストーン
「石油王」の異名を持つ、一代で財を築き上げた大富豪。広さ2000平方km東京都本土部分全てに相当)の邸宅には石油採掘用のポンプがそこかしこに立ち、居間には(1970年代後半としては)最新鋭の大型コンピューターを秘書代わりに設置している。
BJの手で若返り手術を受けた後は、「ブラッドストーン」の名前を騙って何故かライバル会社へ入社するが、そこには遠大な計画があった……
リング役の演者はおなじみアセチレン・ランプ。

  • アブラハム
ゼット・リング石油のライバル会社「アブラハム石油」の社長。入社以来めきめきと実績を上げるブラッドストーンを評価し、秘書にまで登用するほどの信頼を寄せるが……
演者は東南西北。
















以下ネタバレ
顔面の皮膚の移植から始まり、手術は順調に進んでいく。そして重役宛てのゼット・リングとしての肉声をオープンリールのテープに録音する。

「━━理事会しょくん。私は一年間行先を告げずに旅に出る。だが、るすの間はわしの指示通り事業にまい進しろ。あたらしい石油の油脈をさぐりあてたらすぐさま掘れ。足踏みは許さん。 ━━一年たったらかならず戻る! しょくんの敢闘を期待する。 リング」

この言葉を最後に声も変えることでリングは別人に生まれ変わった……


「アラン・ドロンと郷ひろみと加山雄三と山上たつひこの顔をモデルにさせてもらった」
なんか1人不穏な名前があるが、気にしないでおこう。

完成した顔の上にカツラをつけた、イケメンぶりにリングも満足する。この出来栄えについてリングはBJを「魔法使いといってもおかしかない」とほめたたえる。
さらにリングは『がきデカ』のこまわりの顔になって「なんだかこう姿が若返ると気分までウキウキするぞ」と語る。BJが特殊なホルモンを打ったおかげだった。
「チクショー まえよりわるくなった」

そして、自分がゼット・リングだという証明のために、体をスキャンすることで自慢のコンピューターに手術後のデータを入力する。

BJとリングは、BJの車で外に出ることにした。BJはこれから1年間何をするのか尋ねたが、リングはそいつは言えないと言う。BJにはそのつど連絡するというのみで。
車が門を出る際に、守衛が全く気付かないのを見て、リングは「わしは自由だぞォ」と感激した。それを見たBJが「あなたはもう25歳なんだ。わしというのはおやめなさい」とたしなめる。
そして「1年後にここで」といってリングは去っていった。
BJの「青春か…… リング氏は何をやる気なんだろう?」という疑問を残したままで……

その頃、リングが突然消えたことで残された重役たちが騒いでいた。先のテープと大きな柿を残したまま。つまり柿大きい(書き置き)だ




ゼット・リング失踪のニュースを尻目に、リングは「ブラッドストーン」いう名前でライバル会社の「アブラハム石油」に入社したいと申し出る。(これ以降は「ブラッドストーン」の名で記述する)
ハム・エッグ、雲名警部ら面接した人間はみなブラッドストーンを疑っていたが、彼の石油業界の知識の奥深さに皆唖然とする。
さらに、ブラッドストーンの「ゼット・リング石油より儲けさせて見せます!」というハッタリに押され、採用が決まった。

ブラッドストーンは、入社1か月でゼット・リング石油のお得意先20社をすべてアブラハム石油に引き入れるという快挙を成し遂げる。ゼット・リングとしての商才がここで生きたのだった。
仕事ができておまけにイケメンということで、今やブラッドストーンは男女ともに注目を集める存在となっていた。
その活躍が社長のアブラハムの目に留まり、ブラッドストーンはついに社長秘書に抜擢された。



「役員しょくん! ゼット・リング石油を追いこすのだっ ブチやぶるのだっ ひっくりかえすのだっ」

アブラハムも役員に檄を飛ばす。
いつの間にかブラッドストーンはアブラハムの信頼を勝ち取り、社内の間では「アブラハムの養子になる」とも噂されていた……


ブラッドストーンはBJに電話をかける。一人旅を楽しんでるかという風呂に入ってる最中のBJの問いにブラッドストーンは「けっこうやってる」と答える。
「リングさんは一年間の自由を買ったんだ。高い金でね。せいぜい自由を楽しみなさい」









そして1年の時が流れた。
アブラハムはブラッドストーンに対し、「いずれこのアブラハム石油の幹部になれるだろう」と褒めるが、当のブラッドストーンは「今夜で僕はやめるつもりです」という。
この言葉に驚いたアブラハムは「給料なら倍だす」と引き留めようとするが、ブラッドストーンは冷静な顔で「おくさんはどうしました」とたずねる。
「わしのおくさん? 一年前死んだ。 それが何か?」

「わたしは昔おくさんと愛し合っていたんです。 それを…… あんたがうばって結婚してしまったんだ!! しかも死なせてしまって!!」

かつてゼット・リングには愛し合っていた恋人がいたが、こともあろうにアブラハムに略奪されてしまった。
それ以来、ブラッドストーン=リングにとっては「あんたを殺すと誓った」というほどの復讐の対象となったのである。
しかしお互いに地位ができてしまい、一対一で会えない身分になってしまった。そこで、別人に成りすましてアブラハム石油に入り、二人きりになるチャンスを待ったのである。

「ゼット・リング!!」

ブラッドストーンの正体に気づいたアブラハムはただ震えるばかり。


「今二十年のうらみをはらすぜ アブラハム」

ブラッドストーンはそういうとアブラハムを容赦なく銃殺した……

ブラッドストーンは守衛の前で堂々と本社を立ち去った。
ブラッドストーンは殺人容疑者になるが、当の本人はBJの手でゼット・リングに逆戻りする。かくして「ブラッドストーンという名の人間はこの世に存在しない」ということになる。
これがゼット・リングが考えた計画だったのだ。




約束の場所でブラッドストーンはBJと落ち合う。
BJの「一人旅の味は?」の問いにもブラッドストーンは「ああ 快適だったよ…… 今は早くもとの姿に戻りたい」と手術をせかす。


「わたしはてっきりあんたがこの姿のままでいたいと思ったがね」

ブラッドストーンはリング邸に到着したものの、姿形はもちろんのこと指紋まで変えているために、当然のことながら守衛も専務も誰もブラッドストーンのことをリングと認めてはくれない。しかもアブラハム殺しの容疑者としてブラッドストーンの写真が報じられることで皆追いかえそうとする。
ブラッドストーンは証明のために居間にあるコンピューターを使おうとするが、専務は「あれはもうないよ」と言い放つ。
「な ないとはどういう意味だっ」
「あれはもう解体した」
「リング氏の居間はもうとりこわしたんだ」


「わーーッ」

半年前、居間の下から石油が出たということで、リングの指示通りに居間をコンピューターごと取り壊してポンプを据え付けたのだった。DNA鑑定はもちろんのことデータのバックアップなんて考えられなかった時代の話
自分がゼット・リングだと証明する術を失ったブラッドストーンは追い出されてしまった。


BJが運転する車の中でブラッドストーンはどうしたらいいんだと頭を抱える。BJは「どこかの病院で指紋を戻してから対策を考えたらいい」というが、そんな余裕がないブラッドストーンは空港へ行ってどこかへ飛びたいと指示する。
「なんでそんなにセカセカ急いでるんだね?」
BJがそう尋ねた矢先、車の前方に警官隊が待ち構えていた。

「リングさん……あんた なにをやらかしたんだい」
BJにもブラッドストーンの悪事が知られてしまう。
ブラッドストーンはBJに銃を突きつけ突破するように要求するが、BJはこれを拒否。
ブラッドストーンはなおも助けてくれと懇願するが、BJは「ごめんだね」と切り捨てる。


「せっかく若い顔と姿にしてあげたのに… 失った青春を楽しめば心ゆくまで楽しめたろうに… 殺人のためとは……バカな人だな」

最後の望みの綱であるBJにも見放されたブラッドストーンは車を飛びだして逃げようとしたが、とうとう警官隊によって蜂の巣にされてしまった……


担架で運ばれるブラッドストーンの亡骸の上に、BJは一枚の小切手を置く。


「二回目のぶんだ。おつりだよ」


【余談】

  • もしアブラハム殺害後にゼット・リングに戻れたら……と考える人もいるかもしれないが、事件が大きく報道されればBJがタレコミするだろうし、リングとアブラハムの昔の関係が明らかになれば警察にマークされてしまうだろう。そもそも失踪中のリングにアリバイがあるわけがない。21世紀の現代なら、DNA鑑定もあるので早くにブラッドストーン=ゼット・リングと判明するだろう(それこそBJがデータを提供するだろう)。
    いずれにせよゼット・リングの今後は決して明るくない。

  • なお、BJは復讐のための整形をするのは別に忌避していない*1ので、殺人に拘らずに恋人の敵討ちのためにアブラハムを陥れたいと打ち明ければ全面協力してくれた可能性が高い。

  • ラストのコマの小切手を見ると今回の仕事料は500万ドル(当時では約15億円)と本当に目玉が飛び出すほど高い額を請求していたことがわかる。さすがにここまで高いのは珍しくBJの高額報酬ランキングでも3位にランクインしている。*2
    返却した小切手はあくまで2回目の(元の身体に戻す)分のため、2回目をちゃんと行い1回目の(身体を変える)分を合計していたらもっと凄い額になっていただろう。*3
    • BJはゼット・リングの真意を土壇場まで知らない上に 元の姿に戻りたがらないだろう と想定していたので
      戻る手術の分だけ返金できるようにBJ自身の口座から返金分の小切手を用意していたと考える方が自然。*4
      それだと換金する人が死んでるからBJの懐は痛まない

追記・修正は整形手術で若返りたいと思った人がお願いします。

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最終更新:2022年08月19日 07:31

*1 そもそもリングの裏背景を知らない事もあり、今回BJがリングを見放した理由は殺人に利用された事である。

*2 同じく若返り手術を行った“あるスターの死”も同額受け取ったため同率3位にランクインしている。ちなみに2位は“通り魔”の1000万ドル(日本円で27億円)、1位は“こっぱみじん”の150億円。

*3 ちなみに“あるスターの死”での若返り手術は時間経過と共にも元の年齢に戻ってしまう一時的なものだったのと、依頼人が事故死してしまったのでこちらも2回目の手術はしていない。連載順でも“あるスターの死”→“失われた青春”なので“あるスターの死”での若返り手術を発展させたのが“失われた青春”の若返り手術だったのかもしれない。

*4 小切手は長くても振出から半年程度で換金する前提のもので、振出期限を一年以上に設定する小切手は多くない。今回のケースでもゼット・リングが一年以上の期限の小切手を振出してBJがそれを換金せずに一年後に返せるように保管しておく理由はない。