ふたば系ゆっくりいじめSS@ WIKIミラー
anko2197 お猿さんのおてて
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ankoss
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まりさが『それ』を見つけたのは、ただの偶然だった。
病気で臥せっているおちびちゃんのために、栄養のつく食べ物を探していた時、道端の草薮の中で発見したのだ。
『それ』――ところどころギザギザになっている、薄く小さな銀色の板。
板の端にあけられた穴には紐が通されていて、その先にはお猿さんのおもちゃがくくりつけられていた。
ピカピカときれいな板。そして、表情といい姿かたちといい、何ともゆっくりしたお猿さん。
――おちびちゃんへのおみやげには、さいってきっだよ!
まりさは自慢のお帽子さんの中に、板とお猿さんを入れた。元気をなくしているおちびちゃんも、きっと喜んでくれるはずだ。
おちびちゃんの「おとうしゃん、ありがとうなのじぇ!」という笑顔を想像してまりさは微笑み、気を取り直してごはん探しを再開する。時にぴょんぴょん、時にずーりずーりと道を行く。
元気になったおちびちゃんのお顔、そして、おうちを出るときに「ゆっくりきをつけてね! がんばってね!」と送り出してくれたお嫁さんのれいむのお顔を思い浮かべる。
頑張らなくてはいけない。まりさはお父さんで、一家の大黒柱なのだ。
そんな時だった。
まりさは、一人のお兄さんに声をかけられた。
「いやいや、助かったよ。ゆっくりにも聞いてみるものだなあ」お兄さんは嬉しそうに言った。
「どういたしましてだよ!」
銀色の板とお猿さんは、このお兄さんのものだった。うっかり落としてしまい、ずっと探していたというのだ。
探し物をしているときの心細さ、大変さは、まりさにもよくわかる。いや、今まさに「栄養のある食べ物探し」の真っ最中なので、わかるどころの話ではない。
他人事だが、このお兄さんの喜びはまりさにも伝わってきた。
ちなみにあの銀色の板は『鍵』というもので、あれがないとお兄さんはおうちに入れなくなってしまうのだそうだ。そんな大事なものを落としてしまっては、ますます心細かったはずだ。
「さすがに年がら年中、地べたを這いずり回ってるだけあるな。落とし物探しは、案外ゆっくりの天職かもよ?」
「ゆふう! それほどでもないよ!」
野良生活をしていて人間さんに褒められることなど、無いに等しい。鍵を見つけてあげられて良かったと、まりさは心から思った。
ただ、あのお猿さん――あれをおちびちゃんに持って帰れないことだけは残念だ。ごめんね、おちびちゃん。
そんなことを考えていると、お兄さんがぽつりと言った。「じゃあ、まりさにお礼をしてあげないとな」
「ゆゆっ? おれい?」
「ああ。助けてもらった時は、相手にお礼をしなくてはならない。人間の世界では常識なんだ」
「ゆっくりりかいしているよ!」それはゆっくりの世界でも常識だ。
「だから、まりさにお礼を――」お兄さんはお猿さんをじっと見つめて言った。「うん、そうだな。お礼として、三つのお願いを聞いてあげるよ」
「ゆゆっ? みっつのおねがい?」
「そう。三つの……ああ、三つってわかるか?」
お兄さんが首をかしげる。
「わかるよ!」まりさは胸を張った。「いち、に、さん、たくさん! 『みっつ』は『さん』のことだよ!」
「正解。へえ、まりさは賢いな」
「ゆふふっ!」
また褒められてしまった。こんなに褒められるのは久しぶりだ。
「ということで、三つのお願いだ。さあ、どうする?」
なんということだろう。人間さんがまりさのお願いを聞いてくれるという。
まりさの野良ゆん生、こんな夢のようなことがあっていいのか?
突然の好機に、まりさは動揺した。「ゆっ! ゆゆ、ゆっくりかんがえさせてね!」
気を落ち着けるためにそうは言ったが、考えるまでもなく一つめのお願いは決まっている。もちろん、病気のおちびちゃんの治療だ。
まりさには難しいことだが、人間さんには容易い。おちびちゃんにオレンジジュースさんを注いでもらえればそれで事は足りる。
あるいは、お医者さんに連れて行ってもらってもいいだろう。そこはお兄さんに任せよう。
そして、二つめ。
あのお猿さんのおもちゃ。お兄さんはあれを譲ってはくれないだろうか。
鍵というのはあの銀色の板の部分であって、お猿さんは無くても関係ないらしい。
それならばあるいは、譲ってもらえるかもしれない。持って帰れれば、おちびちゃんにも喜んでもらえる。
最後の、三つめの願い。
普通の野良ゆっくりならば、ここで「かいゆっくりにしてね!」とでも言うところだろう。しかし、まりさはその言葉を簡単に口にすることができない。
なぜなら、まりさとツガイのれいむは、元・飼いゆっくりだったからだ。
飼い主である人間さんにペットショップから買われ、かわいがられ、そして捨てられた。すべて人間さんの都合だ。まりさたちの気持ちなど、そこにはまったく関係なかった。
まさに天国から地獄。万が一にでもあんな思いをすることになるのなら、飼いゆっくりなどには戻りたくない。
それに、慣れれば野良生活も悪くないものだ。
同じ境遇のゆっくりたちと互いに助け合い、ゆっくりと生きていく。確かに辛いことは多いが、それでも充実した毎日を送っている。
しかし、とまりさは思う。
あの楽しかった飼いゆっくり生活。あの頃に戻りたいと思わされることもしばしばあって――
「はい! シンキング・タイム終了ー!」
そんなお兄さんの声が、まりさの思考を断ち切った。
「ゆ、ゆゆっ? おにいさん、どうしたの?」
「いや、おまえ結構長いこと考えてたぜ? ということで一つめのお願い、『ゆっくりかん考えさせてね』は終了だ」
「ゆっ? ……ゆええっ!?」
「はい、二つめのお願いはどうする? んん?」
「お、おにいさんっ!!」まりさは慌ててまくしたてる。「『ゆっくりかんがえさせてね』はそいういういみじゃないよっ! だからちょっとまってね! ちょっとまってね!」
「オッケー。『ちょっと待つ』よ。これで二つ。あ、二回言ったのはカウントしないでおいてやるよ。はい、で、最後のお願いは?」
「ゆがーん!」
取り付く島も無い。
「おにいさんっ! ちょっとまっ……」
「ん?」
「なななな! なんでもないよっ!」
危なかった。もう下手なことは言えない。三つもあったお願いは、すでにあと一つになってしまったのだ。
ならば、そのお願いは決まっている。
「ゆふう!」と息を吐いて気を落ち着ける。ここから先は一言一句、間違えるわけにはいかない。
「おにいさん……。まりさは、さいごの、おねがいを、ゆっくり、いうよ」
「よし。言ってみろ」お兄さんが鍵をもてあそびながら言った。やけに楽しそうに見えるのは、まりさの気のせいではないだろう。
「……まりさは、むこうのこうえんに、まりさと、れいむと、おちびちゃんと、さんにんで、ゆっくりくらしているよ」
「公園? ああ、あそこか。野良ゆっくりの溜まり場になってるよな。野良にしては“できた”連中がそろってるとかで、近隣住民も黙認してるとかなんとか」
「ゆっ。まりさのおちびちゃんは、びょうきで、くるしんでいるんだよ。いたいいたいって、あさもよるもないてばかりいるんだよ。とってもとっても、かわいそうなんだよ」
「ふんふん。そりゃあ、おめでとう」
反射的に「ゆっくりだまってね!」と口走りそうになるのを、まりさは必死でこらえた。
「……だから! おにいさん! おちびちゃんを――」
助けてね、と言おうとした所で、突然お兄さんが叫んだ。「ゆっくりしていってね!」
まりさの、ゆっくりの本能が、瞬時にご挨拶を返す。「ゆっくりしていってね!」
そして次の瞬間、不思議に思う。
「ゆっ?」
何でお兄さんはいきなりご挨拶をしたんだろう。まりさが話している途中だったのに。
当のお兄さんは、まりさを見ながらニヤニヤしている。
まりさには今のご挨拶の意味がわからなかった。だから考えて考えて――まりさはようやく気付いた。「ゆああああああっ!?」
何のことはない。お兄さんに嵌められたのだ。
「三つめのお願いは『ゆっくりしていってね!』、と。ありがとう、ゆっくりさせてもらうよ。――で、三つのお願いはこれで終了ね」
何が起こったのだろう。何を言っているのだろう。
「まりさは欲がないなあ。結局、おまえには何の得にもなっていないじゃないか」
「ち、ちがうよっ! ちがうよっ! 『おちびちゃんをたすけてね』っていおうとしたんだよ!! あとあとっ! そのおさるさんのおもちゃもほしかったんだよ! おちびちゃんのおみやげにしようっておもったんだよ!!」
「じゃあしっかりそう言ってもらわないとなあ。え? なに? この猿が欲しかったわけ?」お猿さんのついた紐をぷらぷらと揺さぶり、お兄さんは悪びれずに言った。
「だって、だって! おにいさんがいじわるしたからっ! まりさのおねがいをきいてくれないからっ!」
そんなまりさの必死の抗議に、お兄さんは耳を貸してくれない。お兄さんはあらぬ方向――いや、まりさのおうちがある方向を見ながらいった。
「向こうの公園に住んでるんだよな? それじゃあ、お邪魔させてもらおっかなあ。お願いされちゃったから、ゆっくりしていくよ」
「まっでね! まっでね!」
まりさは焦った。このいじわるなお兄さんをおうちに行かせるわけにはいかない。おうちで何をされるかわかったものではない。
「ゆっぐりまっでよおおおおっ!!」
「待ってあげないよ」お兄さんは事も無げに言う。「三つのお願いは、もう聞いちゃったからな」
そしてお兄さんはニヤリと笑い、歩き始めた。まりさのおうちの方角へと。
「奥さんと、それから病気のおちびちゃんに、よろしく言っておかないとね! じゃあな、まりさ! ははははっ!」
「ゆわあああああっ! やべでええええっ!! いっちゃだべええええええ!!」
叫びながら、まりさも必死に後を追う。いくら一生懸命に跳ねても、お兄さんのスピードに追いつけないのはわかっているが、それでも追わなくてはならなかった。
家族を守らなくてはならない。まりさはお父さんで、一家の大黒柱なのだ。
「まっでっ!! まっでよおおおお!! ゆええええええん!!」
どんなに泣き叫んでもお兄さんは待ってくれないし、どんなに飛ぶ跳ねてもお兄さんとの距離は縮まらない。
いじわるなお兄さんがまりさのおうちに向かっている。そこで何をしようというのか。
まりさの頭に浮かぶのは、最悪の事態ばかりだ。きっとおうちは破壊され、れいむとおちびちゃんは――。
「どぼじでこんなこどにいいいいいっ!?」
三つのお願い――あの夢のような提案を受けた時、こんなことになるなんて考えもしなかった。
まるで飼いゆっくりだった頃、野良ゆっくりになるなんて考えもしなかったように。
天国から地獄。
まりさはあの絶望感を再び味わっていた。
「おにいざっ……! まっでっ……! おうぢにいがないで……っ! おでがいだがら……っ!」
すでに見えなくなったお兄さんに向かって、まりさはもう何度めかもわからないお願いをし続けた。
「――というわけで、おにいさんがおちびちゃんをなおしてくれたんだよ! おれんじじゅーすさんはすごいね! ゆっくりしているね!」
「ゆっくちしているのじぇ! ゆっくち! ゆっくち! おかげでまりしゃもげんきになったのじぇ!」
れいむとおちびちゃんの話を、まりさは呆然と聞いていた。
全速力で帰宅して疲れているのもあるが、この状況が信じられなかったのだ。
病気で寝込んでいたおちびちゃんが元気になっている。
さらにおうちの隅には、まりさが出かけるまではなかった、おいしそうな食べ物の山。
おうちも家族も無事なのだ。むしろ事態は好転していた。
「きいているの、まりさ! おにいさんは『かぎのおれい』だっていっていたよ! 『まりさがかえってきたらいっしょにたべてね』だって!」
「ゆ? ゆう……」
間違いない。
あのお兄さんがおちびちゃんを治療してくれた上で、食べ物を置いていってくれたらしい。
なぜそんなことを?
それは今れいむが教えてくれた。「鍵のお礼」だ。
まりさにはわけがわからなかった。
あの「三つのお願い」でまりさをいじめた、ゆっくりしていないお兄さん。
でもそれはまりさの勘ちがいで、実はとてもゆっくりしたお兄さんだったのだろうか?
「しょうだ! おとうしゃん、みちぇみちぇ! あのおにいしゃん、まりしゃにこんなゆっくちしたものをくれたのじぇ!」
「ゆっ! そ、それはっ!」
おちびちゃんが誇らしげに見せたもの。それは、あのお猿さんだった。
お兄さんの鍵につけられていた、ゆっくりしたお猿さんのおもちゃ。
まりさが欲しいと言ったから、おちびちゃんにあげたいと言ったから、お兄さんがおうちに置いていってくれたのだ。
これで確信した。あのお兄さんは、とってもゆっくりした人だったのだ。少し、いや、とってもいじわるではあったけれども。
――おにいさん、ありがとうね……! ありがとうね……!
「ゆ、ゆええ……」
まりさは感極まって泣いてしまった。れいむとおちびちゃんに気付かれないように、声を押し殺し、お帽子さんのつばで目元を隠しながら。
「ゆっ! それじゃあ、おとうさんがかえってきたからごはんにしようね! きょうはごちっそうっだよ! おにいさんからもらったごはんをたべようね!」
「ゆわーい! ゆっくち! ゆっくち!」
二人はまりさの涙に気付かなかったようだ。
「むーしゃむーしゃしゅるのじぇ! そだちざかりのきゃわいいまりさが、たくっしゃんっむーしゃむーしゃしゅるのじぇ!」
そう言いながら、真っ先におちびちゃんが食べ物――飼いゆっくり時代にも見たことのない、とてもきれいな食べ物――の山に顔を突っ込んだ。
瞬間、苦しそうに咳き込むおちびちゃん。「ゆげっ! ゆげっ! これ、どくはいっちぇるのじぇええっ!?」
まりさは苦笑した。病み上がりだというのに急に食べたから、体が受け付けないだけだ。
あんなゆっくりしたお兄さんが毒の入った食べ物を置いていくわけがないではないか。
「ほらほら、おちびちゃん! そんなにがっついたら、めっ! だよ!」
(了)
作・藪あき
病気で臥せっているおちびちゃんのために、栄養のつく食べ物を探していた時、道端の草薮の中で発見したのだ。
『それ』――ところどころギザギザになっている、薄く小さな銀色の板。
板の端にあけられた穴には紐が通されていて、その先にはお猿さんのおもちゃがくくりつけられていた。
ピカピカときれいな板。そして、表情といい姿かたちといい、何ともゆっくりしたお猿さん。
――おちびちゃんへのおみやげには、さいってきっだよ!
まりさは自慢のお帽子さんの中に、板とお猿さんを入れた。元気をなくしているおちびちゃんも、きっと喜んでくれるはずだ。
おちびちゃんの「おとうしゃん、ありがとうなのじぇ!」という笑顔を想像してまりさは微笑み、気を取り直してごはん探しを再開する。時にぴょんぴょん、時にずーりずーりと道を行く。
元気になったおちびちゃんのお顔、そして、おうちを出るときに「ゆっくりきをつけてね! がんばってね!」と送り出してくれたお嫁さんのれいむのお顔を思い浮かべる。
頑張らなくてはいけない。まりさはお父さんで、一家の大黒柱なのだ。
そんな時だった。
まりさは、一人のお兄さんに声をかけられた。
「いやいや、助かったよ。ゆっくりにも聞いてみるものだなあ」お兄さんは嬉しそうに言った。
「どういたしましてだよ!」
銀色の板とお猿さんは、このお兄さんのものだった。うっかり落としてしまい、ずっと探していたというのだ。
探し物をしているときの心細さ、大変さは、まりさにもよくわかる。いや、今まさに「栄養のある食べ物探し」の真っ最中なので、わかるどころの話ではない。
他人事だが、このお兄さんの喜びはまりさにも伝わってきた。
ちなみにあの銀色の板は『鍵』というもので、あれがないとお兄さんはおうちに入れなくなってしまうのだそうだ。そんな大事なものを落としてしまっては、ますます心細かったはずだ。
「さすがに年がら年中、地べたを這いずり回ってるだけあるな。落とし物探しは、案外ゆっくりの天職かもよ?」
「ゆふう! それほどでもないよ!」
野良生活をしていて人間さんに褒められることなど、無いに等しい。鍵を見つけてあげられて良かったと、まりさは心から思った。
ただ、あのお猿さん――あれをおちびちゃんに持って帰れないことだけは残念だ。ごめんね、おちびちゃん。
そんなことを考えていると、お兄さんがぽつりと言った。「じゃあ、まりさにお礼をしてあげないとな」
「ゆゆっ? おれい?」
「ああ。助けてもらった時は、相手にお礼をしなくてはならない。人間の世界では常識なんだ」
「ゆっくりりかいしているよ!」それはゆっくりの世界でも常識だ。
「だから、まりさにお礼を――」お兄さんはお猿さんをじっと見つめて言った。「うん、そうだな。お礼として、三つのお願いを聞いてあげるよ」
「ゆゆっ? みっつのおねがい?」
「そう。三つの……ああ、三つってわかるか?」
お兄さんが首をかしげる。
「わかるよ!」まりさは胸を張った。「いち、に、さん、たくさん! 『みっつ』は『さん』のことだよ!」
「正解。へえ、まりさは賢いな」
「ゆふふっ!」
また褒められてしまった。こんなに褒められるのは久しぶりだ。
「ということで、三つのお願いだ。さあ、どうする?」
なんということだろう。人間さんがまりさのお願いを聞いてくれるという。
まりさの野良ゆん生、こんな夢のようなことがあっていいのか?
突然の好機に、まりさは動揺した。「ゆっ! ゆゆ、ゆっくりかんがえさせてね!」
気を落ち着けるためにそうは言ったが、考えるまでもなく一つめのお願いは決まっている。もちろん、病気のおちびちゃんの治療だ。
まりさには難しいことだが、人間さんには容易い。おちびちゃんにオレンジジュースさんを注いでもらえればそれで事は足りる。
あるいは、お医者さんに連れて行ってもらってもいいだろう。そこはお兄さんに任せよう。
そして、二つめ。
あのお猿さんのおもちゃ。お兄さんはあれを譲ってはくれないだろうか。
鍵というのはあの銀色の板の部分であって、お猿さんは無くても関係ないらしい。
それならばあるいは、譲ってもらえるかもしれない。持って帰れれば、おちびちゃんにも喜んでもらえる。
最後の、三つめの願い。
普通の野良ゆっくりならば、ここで「かいゆっくりにしてね!」とでも言うところだろう。しかし、まりさはその言葉を簡単に口にすることができない。
なぜなら、まりさとツガイのれいむは、元・飼いゆっくりだったからだ。
飼い主である人間さんにペットショップから買われ、かわいがられ、そして捨てられた。すべて人間さんの都合だ。まりさたちの気持ちなど、そこにはまったく関係なかった。
まさに天国から地獄。万が一にでもあんな思いをすることになるのなら、飼いゆっくりなどには戻りたくない。
それに、慣れれば野良生活も悪くないものだ。
同じ境遇のゆっくりたちと互いに助け合い、ゆっくりと生きていく。確かに辛いことは多いが、それでも充実した毎日を送っている。
しかし、とまりさは思う。
あの楽しかった飼いゆっくり生活。あの頃に戻りたいと思わされることもしばしばあって――
「はい! シンキング・タイム終了ー!」
そんなお兄さんの声が、まりさの思考を断ち切った。
「ゆ、ゆゆっ? おにいさん、どうしたの?」
「いや、おまえ結構長いこと考えてたぜ? ということで一つめのお願い、『ゆっくりかん考えさせてね』は終了だ」
「ゆっ? ……ゆええっ!?」
「はい、二つめのお願いはどうする? んん?」
「お、おにいさんっ!!」まりさは慌ててまくしたてる。「『ゆっくりかんがえさせてね』はそいういういみじゃないよっ! だからちょっとまってね! ちょっとまってね!」
「オッケー。『ちょっと待つ』よ。これで二つ。あ、二回言ったのはカウントしないでおいてやるよ。はい、で、最後のお願いは?」
「ゆがーん!」
取り付く島も無い。
「おにいさんっ! ちょっとまっ……」
「ん?」
「なななな! なんでもないよっ!」
危なかった。もう下手なことは言えない。三つもあったお願いは、すでにあと一つになってしまったのだ。
ならば、そのお願いは決まっている。
「ゆふう!」と息を吐いて気を落ち着ける。ここから先は一言一句、間違えるわけにはいかない。
「おにいさん……。まりさは、さいごの、おねがいを、ゆっくり、いうよ」
「よし。言ってみろ」お兄さんが鍵をもてあそびながら言った。やけに楽しそうに見えるのは、まりさの気のせいではないだろう。
「……まりさは、むこうのこうえんに、まりさと、れいむと、おちびちゃんと、さんにんで、ゆっくりくらしているよ」
「公園? ああ、あそこか。野良ゆっくりの溜まり場になってるよな。野良にしては“できた”連中がそろってるとかで、近隣住民も黙認してるとかなんとか」
「ゆっ。まりさのおちびちゃんは、びょうきで、くるしんでいるんだよ。いたいいたいって、あさもよるもないてばかりいるんだよ。とってもとっても、かわいそうなんだよ」
「ふんふん。そりゃあ、おめでとう」
反射的に「ゆっくりだまってね!」と口走りそうになるのを、まりさは必死でこらえた。
「……だから! おにいさん! おちびちゃんを――」
助けてね、と言おうとした所で、突然お兄さんが叫んだ。「ゆっくりしていってね!」
まりさの、ゆっくりの本能が、瞬時にご挨拶を返す。「ゆっくりしていってね!」
そして次の瞬間、不思議に思う。
「ゆっ?」
何でお兄さんはいきなりご挨拶をしたんだろう。まりさが話している途中だったのに。
当のお兄さんは、まりさを見ながらニヤニヤしている。
まりさには今のご挨拶の意味がわからなかった。だから考えて考えて――まりさはようやく気付いた。「ゆああああああっ!?」
何のことはない。お兄さんに嵌められたのだ。
「三つめのお願いは『ゆっくりしていってね!』、と。ありがとう、ゆっくりさせてもらうよ。――で、三つのお願いはこれで終了ね」
何が起こったのだろう。何を言っているのだろう。
「まりさは欲がないなあ。結局、おまえには何の得にもなっていないじゃないか」
「ち、ちがうよっ! ちがうよっ! 『おちびちゃんをたすけてね』っていおうとしたんだよ!! あとあとっ! そのおさるさんのおもちゃもほしかったんだよ! おちびちゃんのおみやげにしようっておもったんだよ!!」
「じゃあしっかりそう言ってもらわないとなあ。え? なに? この猿が欲しかったわけ?」お猿さんのついた紐をぷらぷらと揺さぶり、お兄さんは悪びれずに言った。
「だって、だって! おにいさんがいじわるしたからっ! まりさのおねがいをきいてくれないからっ!」
そんなまりさの必死の抗議に、お兄さんは耳を貸してくれない。お兄さんはあらぬ方向――いや、まりさのおうちがある方向を見ながらいった。
「向こうの公園に住んでるんだよな? それじゃあ、お邪魔させてもらおっかなあ。お願いされちゃったから、ゆっくりしていくよ」
「まっでね! まっでね!」
まりさは焦った。このいじわるなお兄さんをおうちに行かせるわけにはいかない。おうちで何をされるかわかったものではない。
「ゆっぐりまっでよおおおおっ!!」
「待ってあげないよ」お兄さんは事も無げに言う。「三つのお願いは、もう聞いちゃったからな」
そしてお兄さんはニヤリと笑い、歩き始めた。まりさのおうちの方角へと。
「奥さんと、それから病気のおちびちゃんに、よろしく言っておかないとね! じゃあな、まりさ! ははははっ!」
「ゆわあああああっ! やべでええええっ!! いっちゃだべええええええ!!」
叫びながら、まりさも必死に後を追う。いくら一生懸命に跳ねても、お兄さんのスピードに追いつけないのはわかっているが、それでも追わなくてはならなかった。
家族を守らなくてはならない。まりさはお父さんで、一家の大黒柱なのだ。
「まっでっ!! まっでよおおおお!! ゆええええええん!!」
どんなに泣き叫んでもお兄さんは待ってくれないし、どんなに飛ぶ跳ねてもお兄さんとの距離は縮まらない。
いじわるなお兄さんがまりさのおうちに向かっている。そこで何をしようというのか。
まりさの頭に浮かぶのは、最悪の事態ばかりだ。きっとおうちは破壊され、れいむとおちびちゃんは――。
「どぼじでこんなこどにいいいいいっ!?」
三つのお願い――あの夢のような提案を受けた時、こんなことになるなんて考えもしなかった。
まるで飼いゆっくりだった頃、野良ゆっくりになるなんて考えもしなかったように。
天国から地獄。
まりさはあの絶望感を再び味わっていた。
「おにいざっ……! まっでっ……! おうぢにいがないで……っ! おでがいだがら……っ!」
すでに見えなくなったお兄さんに向かって、まりさはもう何度めかもわからないお願いをし続けた。
「――というわけで、おにいさんがおちびちゃんをなおしてくれたんだよ! おれんじじゅーすさんはすごいね! ゆっくりしているね!」
「ゆっくちしているのじぇ! ゆっくち! ゆっくち! おかげでまりしゃもげんきになったのじぇ!」
れいむとおちびちゃんの話を、まりさは呆然と聞いていた。
全速力で帰宅して疲れているのもあるが、この状況が信じられなかったのだ。
病気で寝込んでいたおちびちゃんが元気になっている。
さらにおうちの隅には、まりさが出かけるまではなかった、おいしそうな食べ物の山。
おうちも家族も無事なのだ。むしろ事態は好転していた。
「きいているの、まりさ! おにいさんは『かぎのおれい』だっていっていたよ! 『まりさがかえってきたらいっしょにたべてね』だって!」
「ゆ? ゆう……」
間違いない。
あのお兄さんがおちびちゃんを治療してくれた上で、食べ物を置いていってくれたらしい。
なぜそんなことを?
それは今れいむが教えてくれた。「鍵のお礼」だ。
まりさにはわけがわからなかった。
あの「三つのお願い」でまりさをいじめた、ゆっくりしていないお兄さん。
でもそれはまりさの勘ちがいで、実はとてもゆっくりしたお兄さんだったのだろうか?
「しょうだ! おとうしゃん、みちぇみちぇ! あのおにいしゃん、まりしゃにこんなゆっくちしたものをくれたのじぇ!」
「ゆっ! そ、それはっ!」
おちびちゃんが誇らしげに見せたもの。それは、あのお猿さんだった。
お兄さんの鍵につけられていた、ゆっくりしたお猿さんのおもちゃ。
まりさが欲しいと言ったから、おちびちゃんにあげたいと言ったから、お兄さんがおうちに置いていってくれたのだ。
これで確信した。あのお兄さんは、とってもゆっくりした人だったのだ。少し、いや、とってもいじわるではあったけれども。
――おにいさん、ありがとうね……! ありがとうね……!
「ゆ、ゆええ……」
まりさは感極まって泣いてしまった。れいむとおちびちゃんに気付かれないように、声を押し殺し、お帽子さんのつばで目元を隠しながら。
「ゆっ! それじゃあ、おとうさんがかえってきたからごはんにしようね! きょうはごちっそうっだよ! おにいさんからもらったごはんをたべようね!」
「ゆわーい! ゆっくち! ゆっくち!」
二人はまりさの涙に気付かなかったようだ。
「むーしゃむーしゃしゅるのじぇ! そだちざかりのきゃわいいまりさが、たくっしゃんっむーしゃむーしゃしゅるのじぇ!」
そう言いながら、真っ先におちびちゃんが食べ物――飼いゆっくり時代にも見たことのない、とてもきれいな食べ物――の山に顔を突っ込んだ。
瞬間、苦しそうに咳き込むおちびちゃん。「ゆげっ! ゆげっ! これ、どくはいっちぇるのじぇええっ!?」
まりさは苦笑した。病み上がりだというのに急に食べたから、体が受け付けないだけだ。
あんなゆっくりしたお兄さんが毒の入った食べ物を置いていくわけがないではないか。
「ほらほら、おちびちゃん! そんなにがっついたら、めっ! だよ!」
(了)
作・藪あき