ふたば系ゆっくりいじめSS@ WIKIミラー
anko2377 夜桜の下で(後編)1/2
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ankoss
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『夜桜の下で(後編)1/2』 29KB
不運 仲違い 同族殺し 群れ 捕食種 希少種 自然界 独自設定 完結編 以下:余白
『夜桜の下で(後編)』
*希少種注意
*俺設定注意
*チート注意
三、
「はじめまして。 ゆかりはゆかりよ。 ゆっくりしていってね」
相変わらず綺麗なゆっくりだ、とゆかりは思った。思わず溜息をつきそうになってしまう。月夜に照らされていた白雪のよう
な皮は、間近で見ると触れれば溶けて無くなってしまいそうな錯覚さえ覚える。そよ風になびく桜色の髪は陽光に照らされその
美しさを際だたせていた。
さて……どこから話をしたものか、そんなことを考えながらゆかりがゆゆこへと視線を向け直して身構える。そのときだった。
「こぼねー♪」
ゆゆこの笑顔。流石のゆかりもこの笑顔には虚を突かれてしまった。思考が止まる。嬉しそうなゆゆこの屈託のない笑顔には、
一切の敵意が感じられない。天真爛漫。その形容がピタリと当てはまるほど、ゆかりには目の前の美ゆっくりがはしゃいでいる
ように見えた。呆気に取られたゆかりは二の句が継げない。ゆかりは戸惑いを隠せなかった。本当にこのゆっくりが、一連の騒
動を引き起こした黒幕なのだろうか。しかし、ここまでの状況を整理し判断するとなれば、その延長線上には必ずこのゆっくり
が乗っているはずだ。気を取り直す。ゆかりはまだ何のアプローチもかけていない。まずは問いただす必要があるのだ。もちろ
ん、素直にゆかりの望む答えを喋ってくれるかの保証はないのだが。
「こぼねっ!」
ゆゆこの“言葉”にゆかりが目を丸くする。このとき、ゆかりは初めて知った。目の前にいるゆっくりの名前が“ゆゆこ”で
あるということ。そして、同じゆっくりとして“挨拶”ができるということ。
ゆゆこは基本的に“こぼね”としか喋ることができない。もちろん、人間がゆゆこの言葉を聞いてもその意味を理解すること
は不可能だ。しかし、ゆっくり同士であれば会話が成立する。そして、こういう一つの単語でしか言葉を発することができない
ゆっくりは、満足な語彙を持たない代わりに一芸に秀でた何かを持つという特徴があるのだ。
えーき種。「しろ」か「くろ」としか喋れない代わりに、知識と判断力に優れ、群れを非常に高いレベルで治める圧倒的な統
率能力を有する。
めーりん種。「じゃおおん」としか喋れない代わりに、非常に頑丈な皮を持ち、その圧倒的な防御能力の前にはれみりゃ等の
捕食種であっても、簡単に食い破ることはできない。
ふらん種も、最強の捕食種であり「しね!」としか喋れない印象を持つが、最近のゆっくり研究の成果では、教え込めば言葉
を話すくらいまではできるようになるようだ。
ゆゆこ種は、特異な狩りのスタイルが一芸に秀でた特技であると言える。言語障害というペナルティを負わずに高い能力を持
つゆかりは、そういう意味ではゆっくり界の頂点に近い位置づけにあると考えられるだろう。ゆゆこは“ゆかりに会えて嬉しい”
と笑っていた。それから、少し恥ずかしそうに目を伏せ、ゆかりが想像もしなかった言葉を口にしたのである。
“ゆゆことお友達になってほしいわ……”と。
ゆかりはと言うと、もう完全にゆゆこのペースに呑まれてしまっていた。独特の雰囲気を持つゆゆこ。おっとりとした口調は
まるで周囲の時間の流れさえも遅くしているかのようだった。そのゆゆこの顔が少しだけ曇る。いつまでも返事をしてくれない
ゆかりに少し悲しさを感じたのだろうか。ゆゆこは、ゆかりにしか分からない言葉で「駄目かしら……?」と上目遣いに尋ねた。
「だ、だめなんてひとこともいっていないわ……っ!」
瞬間、桜が満開になったような笑顔をゆかりに向けるゆゆこ。
(なんなのかしら……ちょうしがくるってしまうわね……)
それでも悪い気はしなかった。不思議な感覚である。事件の黒幕としてゆゆこを追い詰めたつもりであったが、ゆゆこは逃げ
出すどころかゆかりに向かって歩み寄ってきた。予想外の出来事だったのだ。ゆゆこを問い詰め、蝶々と病気の関係性をハッキ
リさせる。そして、その行為をゆゆこにやめさせる。場合によっては武力行使も持さない覚悟でここへ来た。それなのに。
「ゆゆこは……ふしぎな、ゆっくりね……」
「こぼね……?」
“不思議とはどういうことかしら? ゆゆこはいつだって普通よ?”と、小首を傾げるような仕草でゆかりに“言葉”を返す。
ゆかりは思わずクスクスと笑ってしまった。戸惑うゆゆこが頬を染めながら「こぼねー……」と呟く。ゆかりはそんなゆゆこに
笑みを向けながら、「ごめんなさいね」と言葉をかけた。ゆかりも、ゆゆこも、ゆっくりにしては奥ゆかしいゆっくりである。
親愛の証と称して安易に頬を擦り寄せ合ったりしない。もちろん、会ったばかりですーりすーりにまで発展するゆっくりはほと
んどいないのだが。
ゆかりはゆゆこと“友人”になった。時が二匹を抱き、共に過ごす時間が多くなれば“親友”と呼び合うに相応しい関係にな
っただろう。ゆゆこはそれをゆかりに求めていたかも知れない。しかし、ゆかりは自分たちがそういう間柄になる前にどうして
もゆゆこに確認しておかなければならないことがあった。すなわち、ゆゆこと事件の関連性の確認である。いや、事実証拠はゆ
かりの双眸に焼き付けられているのだ。ゆっくりを死の病に至らしめる蝶々は間違いなくゆゆこと関係があるだろう。だが、ゆ
かりはここへ来て新たな疑問にぶつかってしまうことになる。どうしてもゆゆこがそんな残虐な捕食種に見えないということだ。
少しだけ情が移ったというのもあるかも知れない。それでも……それを差し引いてもなお、ゆかりにはゆゆこが事件の黒幕には
見えなかったのだ。
(ゆゆこが……ゆっくりをねらうゆっくりだなんて……、ゆかりにはおもえない……。 じゃあ、どうして……ちょうちょさん
はゆゆこのちかくにあつまるのかしら……? どうして、ちょうちょさんをたべたゆっくりは、みんなびょうきにかかって、え
いえんにゆっくりしてしまうのかしら……?)
繋がりかけた糸が最後の最後で上手く繋がらない。昨夜の一件からしても、ゆゆこは間違いなく捕食種である。それでは。
(……どうして、ゆゆこはゆかりをたべようとしないのかしら……?)
それだけではない。ゆゆこはゆかりに「友達になってほしい」とまで言ったのだ。ゆゆこにとって、自分は捕食の対象ではな
いと言うのだろうか。ゆかりの思考回路でも正解に近しい答えを導き出せそうになかった。ゆかりがゆゆこを見つめる。見つめ
られたゆゆこは少し照れた表情を浮かべながらチラチラとゆかりを見つめ返した。ゆかりが深呼吸をする。意を決してゆゆこに
自分の疑問の全てを投げつけた。
「ゆゆこ……。 どうしてもりのゆっくりたちをびょうきにさせて……えいえんにゆっくりさせてしまうの……?」
「……こぼね……?」
きょとんとした表情のゆゆこをゆかりが真剣な眼差しで見据える。ゆゆこは戸惑っていた。ゆかりの言葉に。ゆかりの視線に。
「…………?」
ゆかりにはゆゆこが戸惑う意味が理解できなかった。ゆゆこがそっと唇を動かす。
“ゆかりが何を言っているのか……ゆゆこには理解できないわ”
ゆゆこは確かにそう言った。今度はゆかりが戸惑いを隠せなくなる。黒幕はゆゆこではないのか。では、あの蝶々は一体なん
だというのか。すっかり黙り込んでしまったゆかりに、ゆゆこが静かに語り始めた。それは、ゆゆこの長い長い話。ゆかりはゆ
ゆこの言葉を一語一句漏らさぬよう聞き入っていた。
ゆゆこが悲しげな表情で言葉を発するたび、ゆかりは心の奥が締め付けられるのを感じる。気がついたら、自然と涙が溢れて
いた。なんと悲しいゆっくりなのだろう、と。
ゆゆこ自身ですら理解できていなかったゆゆこの事をゆかりは読み取ってしまったのだ。あるいは、ゆかりだからこそ読み取
ることができたのか。無言で静かに涙を流すゆかりを見てゆゆこは心配そうにゆかりの顔を覗き込んだ。ゆかりは“大丈夫よ”
とゆゆこの動きを制し、遠くの空を眺めた。
「ゆゆこ。 ゆかりは、ゆゆこのともだちよ」
「……っ! こ、こぼねっ!!」
「これからは、いっしょにごはんさんをむーしゃむーしゃしましょう」
「こぼねっ!」
「これからは、ゆかりといっしょに、かりをしましょう」
「こぼねっ!!」
「ゆかりが、ゆゆこに“かりのしかた”をおしえてあげるわ」
「こぼね……?」
“狩りの仕方なら知っているわ”と、ゆゆこがゆかりに疑問を投げかける。ゆかりは目を細めて顔を横に振った。ゆゆこが小
首を傾げるような仕草をする。
「ちがうわ、ゆゆこ。 ゆゆこがやっているのは、かりなんかじゃない……」
ゆかりの言葉にいよいよもってゆゆこが困惑の表情を浮かべた。ゆゆこにはゆかりの言っていることが一つも理解できない。
それでも、ゆゆこはゆかりの語りに聞き入っていた。
「ごはんさんはね……ゆかりもそうだけど、みんな、いっしょうけんめいさがしてたべるのよ……? ゆゆこは、“ごはんさん
をさがしてたべるのが、たいへんなことだ”とかんがえたことがあったかしら……?」
無言で顔を横に振るゆゆこ。そうだろう。ゆゆこにとって、“狩りは簡単なこと”なのだ。ゆかりが自分に何を教えようとし
ているのか、理解できなかった。その気持ちを汲み取ったのか、ゆかりはまたクスリと笑って見せる。それから、ゆかりはあん
よの下に生えている雑草に歯をあてがうと、それを咥えてブチブチと引きちぎった。ゆゆこはその様子を目を丸くして見つめて
いる。ゆかりは雑草を咀嚼し、それを飲み込んで見せた。
「むーしゃむーしゃ、それなりー……。 ……ゆふふ」
それから、文字通り苦笑いを浮かべて味の感想を述べる。ゆゆこはそんなゆかりの様子を見て、頭がおかしくなってしまった
のではないかとさえ思った。ゆゆこの中の世界で、そこらに生えている雑草は食べ物などではない。それに口をつけようなどと
一度たりとも思ったことはなかった。そもそも。ゆかりは、自分に“それなりの味”しかしない雑草を食べさせようと言うのだ
ろうか。ゆゆこは少しショックを受けたような表情に変わり、ゆかりを静かに見つめていた。
「くささんは、おいしくないけれど……。 “いつでもたくさん”たべることができていいわね……。 ええ。 すこしもおい
しくはないけれど」
「こ、こぼねっ! こぼねっ!!」
「そんなものをたべなくてもいい……かもしれないわね。 でも、ゆゆこ? ほんとうにたべるものがなくなってしまったとき……
ゆゆこは、それが“おいしくない”というりゆうだけでむーしゃむーしゃしないのかしら……?」
ゆかりはまるで小さな子供を諭すかのような口調で続けた。
「いま、ごはんさんをむーしゃむーしゃしなければ、えいえんにゆっくりしてしまうかもしれない……というときでも、ゆゆこ
はくささんをむーしゃむーしゃしない……?」
ゆゆこはおろおろとした様子であんよの下の雑草とゆかりを交互に見つめる。ゆかりは笑った。
「たべてごらんなさいな? おいしくはないけれど、むーしゃむーしゃすることはできるはずよ。 ……あ、ほんとうにおいし
くはないから」
「こ……こぼね……」
ゆゆこが恐る恐る雑草に口をつける。それから意を決したようにぎゅと目をつぶり、その勢いで雑草を口の中にいれた。口を
むぐむぐと動かすたびに険しい表情になるゆゆこ。“むーしゃ、むーしゃ、それなり……”と暗い面持ちに変わる。よほど美味
しくなかったのか、ゆゆこの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「ゆゆこ? じゃあ、こんどはこれをむーしゃむーしゃしてごらんなさい?」
そう言いながら、ゆかりは傍らに生えていたキノコを一つむしるとそれをゆゆこの目の前に置いた。ゆゆこはと言うと先の雑
草の一件ですっかり警戒してしまっているのか、なかなかそれを口にしようとしない。それでも、“友人”の言葉を疑いたくは
なかった。その一心でゆゆこはキノコを口の中に入れたのである。先ほどと同じように目をギュッとつぶり、咀嚼を繰り返した。
いつまでたっても、苦みが口の中を襲ってこない。ゆゆこはまずそれに驚いて目を開いた。目の前にはニコニコ笑っているゆか
りの姿がある。それから、どうしてわからないが、口の中一杯に幸せが広がっていくのを感じた。味も悪くない。それどころで
はなく、純粋に食べ物として美味しい。
「こ……ぼ、ね……っ」
ゆゆこは泣いていた。ゆゆこ自身、自分がなぜ泣いているのか理解できないのだろう。自身の流した涙をゆかりに見せぬよう、
反対を向き体全体を小刻みに震わせる。ゆかりには、ゆゆこの涙の理由が分かっていた。それは、苦くて美味しくない雑草を食
べた後に、美味しいキノコを食べたことによる味の優劣のせいではない。もっと、単純で……大切なことだ。
「おいしいでしょう……? しあわせーな、きぶんになれるでしょう……?」
「こぼねっ! こぼねっ!!」
「どうしてか、わかるかしら……?」
「こぼね……」
ゆかりの問いかけにゆゆこは静かに顔を横に振った。ゆかりが微笑む。ゆかりはゆゆこの質問に答えないまま、自分もキノコ
を一つむしって口の中に入れた。その様子をゆゆこが見つめている。
「むーしゃむーしゃ、しあわせーっ……」
ゆかりはゆゆこに先の質問の答えを聞かせた。食べ物を食べて一番幸せと感じるとき。それは、なかなか手に入らないような
美味しい物を食べた時ではない。ゆかりはゆゆこを見つめて微笑んだ。
「だれかと……じぶんのたいせつなかぞくや、ともだちと……いっしょにごはんさんをむーしゃむーしゃするからよ……」
その言葉を聞いた瞬間、ゆゆこが思わず身震いした。春風が二匹の間を吹き抜ける。柔らかな風に抱かれたゆかりの姿は、ゆ
ゆこにとって一種の神々しさを感じるほどに輝いて見えた。同じ時を過ごし、同じ物を食べ、同じ幸せを感じる。それは、ゆゆ
こが“これまで経験したことのない事”であった。
「どうかしら……? ゆゆこがむーしゃむーしゃしたきのこさん……。 ゆゆこがこれまでむーしゃむーしゃした、どんなたべ
ものよりも……おいしいとはおもわなかったかしら……?」
「こぼねっ!!」
力強く頷くゆゆこ。ゆかりが嬉しそうに笑みを浮かべて見せた。
「ゆゆこ?」
「こぼね?」
「これからは……ゆかりといっしょにごはんさんをむーしゃむーしゃしましょう。 ぬけがけをしてはだめよ……? ゆかりが
しっているごはんさんをぜんぶゆゆこにおしえてあげるわ。 だから、あしたもここにおいでなさい」
「こぼねっ!!」
“ゆっくり理解したわ”とゆかりに伝えるゆゆこ。ゆかりは静かに笑うと、ゆゆこの頬に自分の頬を擦り寄せた。ゆゆこが頬
を赤らめ、うっとりとした表情に変わる。それはゆかりも同じで、頬を朱に染め小さく唇を動かした。
「すーりすーり……しあわせ……」
「こぼね~……」
親愛の証。この時をもって、ゆかりとゆゆこは“唯一無二の親友”となったのだ。ゆかりは、ゆゆこの事が良くわかる。ゆゆ
こと別れてから茂みの中を這って移動する間、ゆかりはずっと様々なことを考えていた。
ゆかりとゆゆこは“本質的には同じ悲しみ”に縛られたゆっくり同士だったのだ。だからこそ、ゆかりはゆゆこを放っておけ
なかったし、ゆゆこは初めて会ったばかりのゆかりの意思を受け入れた。しかし、それゆえに気づいてしまったこともある。蝶
蝶による病気。あの病気に感染してしまったゆっくりは助からない。ゆかりは黒幕を追い詰めれば、病気を治す方法がわかるか
も知れないと思っていた。だがそれは思いこみに過ぎなかったのである。病気の治療法は、ゆゆこ自身にもわからないのだろう。
ゆかりがあんよを止める。そして後ろを振り返った。巨木の下にゆゆこはいない。自分の住む場所へと戻ったのだろう。そのま
ま視線を少しずつ上に向ける。巨木の枝には、開きかけた桜の蕾がたくさん春風に揺れていた。気の早い桜は既に開花し、霞が
かったような薄桃色のヴェールで巨木を覆い始めている。ゆかりはしばし、その光景に目を奪われていた。
「きれいね……。 まるで、ゆゆこみたいだわ……」
無意識にそんなことをつぶやき、ゆかりは一匹で顔を真っ赤にした。キョロキョロと周囲を見渡す。誰にも聞かれていないこ
とを確認したゆかりは、前へと向き直り、それから小さく微笑んだ。
疾病者と感染者は、一番大きな巣穴を作っていたゆっくりのおうちの中に隔離された。その中には、幼馴染四匹組のまりさも
含まれている。監視者によるこの行動をありすとぱちゅりーは制することができなかった。群れは完全に二分されたのである。
「ゆん……やぁ……おきゃーしゃん……れーみゅ……しんじゃうにょ……?」
「だいじょうぶだからねっ! おかあさんがついてるよっ! ゆっくり! ゆっくりだよぅ……っ!」
全身を震わせて怯える赤れいむの質問に答えることができるゆっくりは一匹もいなかった。隔離された疾病者及び感染者たち
は、互いに身を寄せ合い少しでも恐怖を紛らわせようと必死だ。この身を寄せ合ったゆっくりたちのうち、誰が一番初めに死ぬ
のだろうか。隔離場所のゆっくりたちはそんなことを考えながら片時もゆっくりできぬ時間を過ごしていた。
そんな中、まりさは自分の体に僅かながら異変を感じ始めていた。視界がぼやけるのだ。目を細めてようやく視界を取り戻し
たかと思えば、今度は周囲にもやがかかったような錯覚を起こす。心なしか体調も優れない。妙に喉が渇き始めた。それから、
あんよを動かすのも億劫になってきた。全身が重く感じる。まりさは、冷や汗をかき始めた。今の自分の状態に心当たりがあっ
たのだ。
(……れいむ……っ)
まりさの番であるれいむ。病気に感染して、死んでしまったれいむの……あの最期の日の昼時。体調不良を訴え、巣穴の奥で
ずっと休んでいたれいむと、今の自分がそっくりなのだ。まりさは誰にも悟られぬように唇を震わせた。悶絶して死んでいった
ゆっくりたちの姿が走馬灯のように瞼の裏を駆け抜ける。自然と目に涙が溢れてきた。
死ぬ。これから、死ぬ。
今まで味わったことのないような苦しみに、叫び声を上げながら。誰にも助けてもらえずに。死ぬのだ。恐怖と寒気でまりさ
はガタガタ震え始めた。うずくまり、額を巣穴の地面に押しつける。その様子を見た他のゆっくりたちがまりさの周囲に集まっ
てきた。
「ま、まりさ……っ」
「どうしたの……? くるしいの……?」
「…………よぉ……」
まりさが蚊の鳴くような声で呟く。
「……こわい……よぉ……っ!!」
ただそれだけの言葉。それだけでまりさの恐怖はあっという間に周囲のゆっくりたちに飛び火した。互いの顔を見合わせて歯
をカチカチ鳴らして震え出す。ここにいるどのゆっくりもが理解しているのだ。これから自分に起こるであろう出来事。あの苦
しみ抜いて死んだゆっくりたちの記憶だけが脳裏に蘇る。
「しにたくない……しにたくないよぉ……っ!!!」
当たり前の感情。隔離されたゆっくりたちは自分たちの置かれた境遇を呪った。どうして、自分たちがこんな目に遭わなけれ
ばならないのか。どうして誰も自分たちを助けてくれないのか。自分たちの命はどうなってもいいと言うのだろうか。恐怖と悲
しみは臨界点を突破し、感染者たちに新しい感情を生み出させた。
「……まりさたちを……たすけてくれないゲスなゆっくりは……」
まりさが口を開く。周囲のゆっくりたちが生唾を飲み込んだ。どのゆっくりも目が据わっている。瞳から滲み出る負の感情が
あっという間に感染者たちを浸食してしまった。
「せいっさいっ……してやるよ」
そう言ったあと、まりさが口元を歪める。感染者たちは、まりさが何をしようとしているのか直感で悟った。逆転の発想であ
る。監視者たちは、感染者に直接手を下すことはできない。何匹かのゆっくりたちが静かに笑った。それは勝利の笑み。余りに
も無意味な、勝利の笑みである。
「いままで……みんな、なかよくやってきたんだもんね……」
「れいむたちばっかりこんなおもいをするのは、ふこうへいだよね……」
「わかるよー……。 みんなも、ゆっくりりかいしてくれるんだねー……」
くぐもった声と声が反響し合って絡み合う。正気の沙汰ではなかった。いつ、どのタイミングで死ぬかわからない処刑台の上
の罪人たちが全員笑っているのである。まりさが先頭に立つ。その後ろにずらりと感染者たちが並んだ。全員が同じになればい
い。同じ、感染者に。そうすればまたみんなで仲良くすーりすーりできる。互いに憎み合う必要がなくなる。堕ちた大義名分の
元に感染者たちが一つになった。群れの全てのゆっくりを感染者にすべく。
「まりさ……? だいじょうぶ……? みんなもしっかりしてねっ! ゆかりがきっとこのびょうきをなおすほうほうをみつけ
てくれるわ」
ありすが感染者たちの巣穴に入ってきた。幼馴染にかける言葉にはなけなしの優しさが含まれている。だが、その感情に気付
くゆっくりはただの一匹もいなかった。まりさは、俯いたままありすに気付かれぬよう下卑た笑みを浮かべ小さく呟く。
「……だいじょうぶなのぜ……」
「そう? ならよかったわ。 びょうきだったら、なおせないわけが――――」
「ありすも、いっしょにびょうきになるのぜっ!! そうすれば……みんな、みんな……だいじょうぶなのぜっ! だいじょう
ぶなのぜっ!! だいじょうぶなのぜぇぇぇぇッ!!!!!!」
まりさがありすを押し倒す。刹那、驚愕の表情を浮かべるありす。ありすの上でまりさはゲラゲラと笑っていた。視点の定ま
らぬ瞳。だらしなく開かれた口からは涎がだらだらと垂れている。ありすは自分が感染してしまったことよりも、そのまりさの
顔が恐ろしくて恐ろしくて仕方なかった。
「い……いや……」
自然としーしーが漏れ出す。そのしーしーであんよが濡れているにも関わらずまりさは高笑いをしてみせた。
「これで、ありすもみんなとおなじゆっくりになれたのぜぇぇぇぇッ!!!!!!」
「あ……ぁあ……っ!!!」
ワンテンポ遅れてありすが自分の置かれた状況に気付く。震えが止まらない。ありすはまりさに……感染者に触れてしまった
のである。歯をカチカチと鳴らしながら無言で涙を流すありすを見て、まりさが頬をすり寄せた。
「なかなくてもいいのぜ……まりさが、すーりすーりしてあげるから……へいきなのぜ……? こわくないのぜ……?」
「い……ッ、いやあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ありすの絶叫は洞窟の入り口を貫き、外にまで響き渡った。それが、全ての始まりだったのである。感染者たちは一斉に洞窟
の外へと飛び出した。最初から監視者たちの言いなりになる必要などなかったのだ。嬉々とした邪悪な笑みを浮かべ、感染者た
ちが獲物を視界に入れるべく両の目玉をギョロギョロと動かす。何もかも忘れていた。いや、上書きされたと言ったほうが正し
いのかも知れない。感染者たちは、群れのゆっくりたちに迷惑をかけてはいけないという意思のもと、甘んじて隔離を受け入れ
たのだ。しかし、恐怖は簡単に感染者たちの心を蝕んでしまった。感染者たちは、今回の病気よりももっと恐ろしい心の病気に
感染してしまったのだ。
異常な雰囲気に気付いたのか数匹のゆっくりたちが巣穴から飛び出してくる。それが最初の犠牲者だった。次々と感染者たち
が群れのゆっくりに飛び掛かる。
「ゆわぁぁぁぁぁッ?!! どぼじでごんな゛ごどずる゛の゛おおぉぉぉぉぉぉぉ!!???」
「ゆっくりしていってねっ!! ゆっくりしていってねっ!!! ゆふふ……ゆふふふふふふふふふふふふふふ……!!!!!」
「わからないよーーーー!!! やめるんだねぇぇぇぇぇ!!!!!」
「すーりすーりすーりすーりすーり……し、ししししししし……しあわせええええええええええええええええッ??!!!」
狂気。それ以外の何物でも感情が辺り一面に広がっていく。悲鳴。冷たい夜の闇を切り裂き新たに感染者となったゆっくりの
心を抉る。巣穴の中から飛び出してきたせいで、けっかいっ!も外れてしまっているおうちがほとんどだ。感染者たちは我先に
とその巣穴の中に飛び込んでいく。
「ゆ……ゆんやあああああ!!!!!!」
「ちびちゃぁぁあぁぁああぁんッ!? どぼじでこんな……や、やめてねっ! じぶんがなにをしているかわかってるのっ?!
ゆっくりおちついて……ゆぎゃあああああああああああああああ!!!!!!!!」
「むきゅー!! やめてちょうだいっ!!! やめてちょうだいっ!!! ぱちゅはびょうきになってしにたくないわっ!!!」
「どおしてそんなにいやがるの……っ?! いつもはあんなになかよくしてたでしょうっ!? ちっともとかいはじゃないのね
っ! これで、また、みんな、なかよく、できる、のよ?」
幼馴染四匹組最後の非感染者となったぱちゅりーが巣穴の奥でガタガタ震えていた。他のゆっくりたちよりも若干反応が遅れ、
かつ巣穴の外で何が起こっているかをいち早く察してしまったぱちゅりー。叫び声を上げることはできない。群れの友達のれい
むに張ってもらったけっかいっ!だけがぱちゅりーの命綱だった。
(どぉして……どぉして……こんなことになってしまったの……? ゆかり……おねがいよっ! たすけてちょうだい……!!)
泣き続けるぱちゅりーに幼馴染のありすの声が届いた。
「みんなあぁぁぁ!!! ゆっくりおちついてねっ!!! びょうきはなおせるかもしれないのよっ!? ゆかりが……ゆかり
がきっと、びょうきをなおすほうほうをみつけてかえってきてくれるわっ!!! だから……もう、こんなゆっくりできないこ
とはやめてえええええええええ!!!!!」
「ゆっくり……できないこと? それは……まりさたちが、やっているっていいたいのかぜ?」
もう一匹の幼馴染の声。ぱちゅりーに戦慄が走る。
(ありす……っ!! ありすは、まさか……っ!!!!)
「ありすも、みんなとおなじびょうきになったわっ!!! こわいのはありすもいっしょよっ!!! でも、じぶんたちがこわ
いとおもってることを……ともだちにもおなじおもいをさせるなんて、とかいはじゃないわっ!!!!!」
「いつも、みんなでやっていることをやっているだけなのぜええええええええええ!!!!」
「ゆ゛げぇ゛ッ!!??? な、な゛にを……ゆぁ……っ!!! や、やめ……」
「ゆっくりできないありすは、せいっさいっ!してやるよっ!!!!」
「ま、まりざッ?! え゛ぎゅっ!!??? ど……どがいはじゃぎゅべぇッ?!!」
「ま、ままま……まりさは、まりささささは……ッ!!! ありすを……ずっとずっと……と、ととと、ともだちだとおもって
いたのに、ひどいんだぜええええっへへへへぇあぁぁぁ!!!!!!」
「ゆ゛ぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!!!!!!!!!!!!! ……もっど、ゆっぐり……じだが、た……」
「ゲスなありすは、まりさが……せいっさ……ゆぎぃぃぃぃぃッ??!!!」
ぱちゅりーが無言で涙を流しながら目を伏せる。幼馴染のありすが殺されてしまった。幼馴染のまりさに殺されてしまった。
思考回路が停止していく。どうして?どうして?わからない……何もわからない、と心がギシギシと音を立てて軋む。それから
気が狂ったようなまりさの絶叫が長い時間響き渡った。発症、してしまったのだろう。こんなにも無数の音が重なり合い、響き
渡る夜は今夜が最初で最後だろう。ぱちゅりーはゆっくりと理解した。この群れのゆっくりが全員、死んでしまうことを。そし
て、自分もまた同じ運命を辿るのだろうと。れいむ、ありす、まりさ。仲良しだった三匹が死んで自分も死んでしまわない訳が
ない。春の訪れを喜び笑いあったついこの間の出来事が、まるで前世の記憶だったかのように掠れて消えていく。
「だれが……わるかったのかしら……どうして……こんなことになってしまったのかしら……。 みんな、なかよく……ゆっく
りできていたのに……」
呟くぱちゅりーの脳裏にゆかりの姿がちらつく。そのとき、ぱちゅりーは自分の中で疑念が沸き起こるのを感じた。ゆかりは
こう言っていたはずだ。“今までなかったことが起こったのは、今まで会ったことのない何か”のせいではないかと。凍りつい
たような表情になるぱちゅりー。どうだろうか。それならば、合点がいってしまう。ぱちゅりーは自分の出した結論にすがりつ
いてしまったのである。考えるのを放棄したぱちゅりーの出した“答え”。それは余りにも狂気に満ち満ちたものだった。
「ゆかりの……せいじゃ……ないのかしら……?」
群れに病気が蔓延してから……あるいは、その前。変化はもう一つあったのだ。ゆかりが群れにやってきたこと。群れのゆっ
くりにとっても、ゆかりの存在は“今まで会ったことのない何か”であるとは言えまいか。巣穴の外からゆっくりたちの悲鳴が
聞こえてくる。恐怖と死のオーケストラは終局を迎えることを知らないかのように続いた。ぱちゅりーが何かを決意したような
目つきであんよを巣穴の外へと動かす。
「つたえなきゃ……ぱちゅたちには……ほかにするべきがあることを……むれの、みんなに……っ!!」
盲信し、猛進するぱちゅりー。自らけっかいっ!を取り払い、狂気に包まれた夜の空気にその身を預ける。ぱちゅりーの視界
に映った光景は地獄絵図のようだった。群れの仲間が仲間を追いかけまわす。凄まじい形相で跳ね続ける感染者の姿は鬼気迫る
ものがあった。
ああ、違うのよ……自分たちの……“本当の敵”は別にいるはずなのよ、とぱちゅりーが自分に強く……“強く”言い聞かせ
てあんよを進める。盲信は確証に変化していき、やがてそれは強固な自信へと姿を変えてみせた。
「むきゅ……きゅきゅ……」
狂ってしまった群れ。敵と味方に分かれてしまった群れ。昔は仲が良かった群れ。どうすれば敵と味方に分かれないのだろう
か。それは簡単なことだ。二分してしまったゆっくりたち、双方にとって“共通の敵”を作り出すこと。ぱちゅりーは無意識の
うちにその閉ざされた道を選び出してしまっていたのだ。極限状態のぱちゅりーに、最早まともな思考は残されていない。ぱち
ゅりーの描いたシナリオはぱちゅりーの中で完璧な形で完結しているのだろう。
まるで熱に浮かされたかのような表情で群れの中央へとあんよを少しずつ進める。傍らにまりさとありすの死骸があった。ま
りさはこれまで病死してしまったゆっくり同様、苦悶の表情を浮かべたまま固まってしまっている。ありすは死骸から表情を読
み取ることができないほど、ぐちゃぐちゃの状態にされていた。執拗に踏みつけられたのだろう。幼馴染のまりさに。ぱちゅり
ーが二匹を見つめて囁いた。
「むきゅ……だいじょうぶよ。 ぱちゅたちが、ゆかりをせいっさいっ!して……かならず、かたきをとってあげるわ……」
「ゆゆっ! あんなところにぱちゅりーがいるよっ!!」
感染者のれいむがその視界にぱちゅりーを捉えた。一斉に周囲に集まってくる感染者たち。ぱちゅりーはじりじりと自分に迫
る感染者たちを見て不敵な笑みを浮かべた。一瞬、感染者たちがたじろぐ。これまで自分たちは絶対的な蹂躙を繰り返していた。
群れのどのゆっくりもが自分たちに怯え、泣き叫び、許しを請い、そのどれもを受け入れずに自分たちの思うままに扱ってきた。
それなのに、目の前のぱちゅりーは一体どういうことだろうか。四方八方を感染者に囲まれたぱちゅりーに逃げ場はない。
「むきゅ……。 みんな、ぱちゅたちは……どうしてびょうきになってしまったのか……しりたくないかしら?」
「ゆっへっへ。 そんなことだれにもわからないよ。 ぱちゅはばかだね。 みんな、わからないからいっしょになるんだよ。
だから、ぱちゅもはやく……」
「いつからだったかしらね……? みんながこんなびょうきにかかるようになってしまったのは……」
「わからないよー。 そんなこと、どうだっていいんだねー」
「ゆかりがきてから……じゃ、ないかしら?」
「「「「??!!!」」」」
感染者たちが動きを止めた。ぱちゅりーはそれを見逃さない。強靭な意志を秘めた瞳で感染者たちを射抜いてみせた。
「ゆかりが……このむれにびょうきをもってきたんだとしたら……。 やっぱりびょうきをなおすほうほうはゆかりがしってい
るにちがいないわ……?」
「ゆゆぅ……」
「それなのに、みんなはいったいなにをしているの? まずはゆかりをつかまえるのがさきなんじゃないかしら? それから、
“どんなことをしても”ゆかりからびょうきをなおすほうほうをききだして……。 このむれをこんなにゆっくりできなくさせ
たゆかりは……せいっさいっ!をしないといけないわ……」
「ほんとうに……ゆかりが、ぜんぶ、わるいの……?」
「はっきりとはわからないけれど……それいがいになにかげんいんがかんがえられるかしら? このむれは、ぱちゅたちのおか
あさんがちびちゃんだったころから、つづいているむれよ? そして、いままでこんなことはいちどもなかった。 ……ゆかり
がこのむれにやってくるまでは」
感染者たちがざわつき始める。そのうちの何匹かがぱちゅりーの言葉を呑んだ。群れのゆっくりたちにとっては、ゆかりこそ
が唯一の“今まで会ったことのない何か”に他ならない。そして。
「ゆかりをみつければ……れいむたちのびょうきもなおるかもしれないよっ!!」
魔法とも言える言葉。感染者たちがその矛先をゆかりへと向けるには十分なものだった。
「ゆかりをさがすよっ!!!!!」
「ゆっ、ゆっ、おーー!!!!!!」
ぱちゅりーは笑みを浮かべた。昔の群れに戻った、と。みんなが助け合って……仲良くしていた頃の群れに戻った……。自分
が戻したのだ……と。ぱちゅりーが頭上に浮かぶ月を見上げて笑った。
「むーきゃっきゃっきゃっきゃっ!!!!」
狂ってしまったぱちゅりーが笑う。ゆっくりは環境の変化に追い付けない。自分の身に何が起こったのかわからず、数秒硬直
してしまうことがあるほどに。群れの変化、自分の変化。何もかもについていけないのだろう。善と悪。正と誤。その全てが入
り混じって混沌とした感情を生み出していく。
「ゆかりーーー! どこぉぉぉ?!」
「ゆっくりしないででてきてねっ! びょうきのなおしかたをおしえてねっ! そしたらせいっさいっ!してあげるよっ!!」
ガサガサと音を立てながら草の茂みをかきわけてゆかりを探す群れのゆっくりたち。その途中、病気が発症して力尽きるゆっ
くりもいたが、それに気付く仲間は一匹もいない。皆、血走った目で何かに憑りつかれたようにゆかりを探し回っていた。昨夜
と違い月を覆う厚い雲はない。だが、そう簡単にゆかりを見つけることはできないだろう。ぱちゅりーがニヤニヤと笑った。そ
してわざと“既に何処かに隠れているであろう”ゆかりに聞こえるように声を張り上げる。
「ゆかりーーー!! はやくでてきてちょうだいねっ!!! ぱちゅたちがこまっているのよぉぉぉぉ!?? むきゅきゅ……
むきゃきゃ……っ!!!」
ぱちゅりーの不気味な笑い声だけが穢れた空気を纏う夜の闇を縫い付けていく。
草の茂みの“隙間”からそれまでの一部始終を覗いていたゆかりは静かに目を伏せた。またか、と。それからゆかりが力なく
笑って見せる。
(やっぱりゆかりは……おなじゆっくりとかかわってはいけないのかしら……?)
狂信者と化した森のゆっくりたち。そこにかつての温厚な群れの面影はない。ゆかりがどこにいるかを探し当てるため、草を
枝を引き千切って這いずり回る魔物。枝木を除去する際に咥えた口の端から餡子が漏れ出すゆっくり。自分が枝によって皮が傷
つけられていることにも気づいていないのだろう。
(どうして……いつも、こうなってしまうのかしら……?)
ゆかりの存在。もたらす知識。それは群れにとって大きな財産となる。だが、同時に弊害をも生み出すのだ。知恵は、その知
恵を行使する力のある者がもって初めて本来の意味を成す。ゆかりの思考能力や、知識。それは他のゆっくりたちよりも永く生
きてきたからこそ扱うことのできる代物なのだ。ゆかりと行動を共にした時間の長かったぱちゅりー。ぱちゅりーはゆかりが長
年の経験で培った判断材料という最も重要な部分を欠落させた状態で、ゆかりの真似事をした。それは粗悪なゆかりの劣化品。
中途半端な知識は群れを静かに滅びへと導き始めていたのだ。
*『夜桜の下で(後編)2/2』へ続く
不運 仲違い 同族殺し 群れ 捕食種 希少種 自然界 独自設定 完結編 以下:余白
『夜桜の下で(後編)』
*希少種注意
*俺設定注意
*チート注意
三、
「はじめまして。 ゆかりはゆかりよ。 ゆっくりしていってね」
相変わらず綺麗なゆっくりだ、とゆかりは思った。思わず溜息をつきそうになってしまう。月夜に照らされていた白雪のよう
な皮は、間近で見ると触れれば溶けて無くなってしまいそうな錯覚さえ覚える。そよ風になびく桜色の髪は陽光に照らされその
美しさを際だたせていた。
さて……どこから話をしたものか、そんなことを考えながらゆかりがゆゆこへと視線を向け直して身構える。そのときだった。
「こぼねー♪」
ゆゆこの笑顔。流石のゆかりもこの笑顔には虚を突かれてしまった。思考が止まる。嬉しそうなゆゆこの屈託のない笑顔には、
一切の敵意が感じられない。天真爛漫。その形容がピタリと当てはまるほど、ゆかりには目の前の美ゆっくりがはしゃいでいる
ように見えた。呆気に取られたゆかりは二の句が継げない。ゆかりは戸惑いを隠せなかった。本当にこのゆっくりが、一連の騒
動を引き起こした黒幕なのだろうか。しかし、ここまでの状況を整理し判断するとなれば、その延長線上には必ずこのゆっくり
が乗っているはずだ。気を取り直す。ゆかりはまだ何のアプローチもかけていない。まずは問いただす必要があるのだ。もちろ
ん、素直にゆかりの望む答えを喋ってくれるかの保証はないのだが。
「こぼねっ!」
ゆゆこの“言葉”にゆかりが目を丸くする。このとき、ゆかりは初めて知った。目の前にいるゆっくりの名前が“ゆゆこ”で
あるということ。そして、同じゆっくりとして“挨拶”ができるということ。
ゆゆこは基本的に“こぼね”としか喋ることができない。もちろん、人間がゆゆこの言葉を聞いてもその意味を理解すること
は不可能だ。しかし、ゆっくり同士であれば会話が成立する。そして、こういう一つの単語でしか言葉を発することができない
ゆっくりは、満足な語彙を持たない代わりに一芸に秀でた何かを持つという特徴があるのだ。
えーき種。「しろ」か「くろ」としか喋れない代わりに、知識と判断力に優れ、群れを非常に高いレベルで治める圧倒的な統
率能力を有する。
めーりん種。「じゃおおん」としか喋れない代わりに、非常に頑丈な皮を持ち、その圧倒的な防御能力の前にはれみりゃ等の
捕食種であっても、簡単に食い破ることはできない。
ふらん種も、最強の捕食種であり「しね!」としか喋れない印象を持つが、最近のゆっくり研究の成果では、教え込めば言葉
を話すくらいまではできるようになるようだ。
ゆゆこ種は、特異な狩りのスタイルが一芸に秀でた特技であると言える。言語障害というペナルティを負わずに高い能力を持
つゆかりは、そういう意味ではゆっくり界の頂点に近い位置づけにあると考えられるだろう。ゆゆこは“ゆかりに会えて嬉しい”
と笑っていた。それから、少し恥ずかしそうに目を伏せ、ゆかりが想像もしなかった言葉を口にしたのである。
“ゆゆことお友達になってほしいわ……”と。
ゆかりはと言うと、もう完全にゆゆこのペースに呑まれてしまっていた。独特の雰囲気を持つゆゆこ。おっとりとした口調は
まるで周囲の時間の流れさえも遅くしているかのようだった。そのゆゆこの顔が少しだけ曇る。いつまでも返事をしてくれない
ゆかりに少し悲しさを感じたのだろうか。ゆゆこは、ゆかりにしか分からない言葉で「駄目かしら……?」と上目遣いに尋ねた。
「だ、だめなんてひとこともいっていないわ……っ!」
瞬間、桜が満開になったような笑顔をゆかりに向けるゆゆこ。
(なんなのかしら……ちょうしがくるってしまうわね……)
それでも悪い気はしなかった。不思議な感覚である。事件の黒幕としてゆゆこを追い詰めたつもりであったが、ゆゆこは逃げ
出すどころかゆかりに向かって歩み寄ってきた。予想外の出来事だったのだ。ゆゆこを問い詰め、蝶々と病気の関係性をハッキ
リさせる。そして、その行為をゆゆこにやめさせる。場合によっては武力行使も持さない覚悟でここへ来た。それなのに。
「ゆゆこは……ふしぎな、ゆっくりね……」
「こぼね……?」
“不思議とはどういうことかしら? ゆゆこはいつだって普通よ?”と、小首を傾げるような仕草でゆかりに“言葉”を返す。
ゆかりは思わずクスクスと笑ってしまった。戸惑うゆゆこが頬を染めながら「こぼねー……」と呟く。ゆかりはそんなゆゆこに
笑みを向けながら、「ごめんなさいね」と言葉をかけた。ゆかりも、ゆゆこも、ゆっくりにしては奥ゆかしいゆっくりである。
親愛の証と称して安易に頬を擦り寄せ合ったりしない。もちろん、会ったばかりですーりすーりにまで発展するゆっくりはほと
んどいないのだが。
ゆかりはゆゆこと“友人”になった。時が二匹を抱き、共に過ごす時間が多くなれば“親友”と呼び合うに相応しい関係にな
っただろう。ゆゆこはそれをゆかりに求めていたかも知れない。しかし、ゆかりは自分たちがそういう間柄になる前にどうして
もゆゆこに確認しておかなければならないことがあった。すなわち、ゆゆこと事件の関連性の確認である。いや、事実証拠はゆ
かりの双眸に焼き付けられているのだ。ゆっくりを死の病に至らしめる蝶々は間違いなくゆゆこと関係があるだろう。だが、ゆ
かりはここへ来て新たな疑問にぶつかってしまうことになる。どうしてもゆゆこがそんな残虐な捕食種に見えないということだ。
少しだけ情が移ったというのもあるかも知れない。それでも……それを差し引いてもなお、ゆかりにはゆゆこが事件の黒幕には
見えなかったのだ。
(ゆゆこが……ゆっくりをねらうゆっくりだなんて……、ゆかりにはおもえない……。 じゃあ、どうして……ちょうちょさん
はゆゆこのちかくにあつまるのかしら……? どうして、ちょうちょさんをたべたゆっくりは、みんなびょうきにかかって、え
いえんにゆっくりしてしまうのかしら……?)
繋がりかけた糸が最後の最後で上手く繋がらない。昨夜の一件からしても、ゆゆこは間違いなく捕食種である。それでは。
(……どうして、ゆゆこはゆかりをたべようとしないのかしら……?)
それだけではない。ゆゆこはゆかりに「友達になってほしい」とまで言ったのだ。ゆゆこにとって、自分は捕食の対象ではな
いと言うのだろうか。ゆかりの思考回路でも正解に近しい答えを導き出せそうになかった。ゆかりがゆゆこを見つめる。見つめ
られたゆゆこは少し照れた表情を浮かべながらチラチラとゆかりを見つめ返した。ゆかりが深呼吸をする。意を決してゆゆこに
自分の疑問の全てを投げつけた。
「ゆゆこ……。 どうしてもりのゆっくりたちをびょうきにさせて……えいえんにゆっくりさせてしまうの……?」
「……こぼね……?」
きょとんとした表情のゆゆこをゆかりが真剣な眼差しで見据える。ゆゆこは戸惑っていた。ゆかりの言葉に。ゆかりの視線に。
「…………?」
ゆかりにはゆゆこが戸惑う意味が理解できなかった。ゆゆこがそっと唇を動かす。
“ゆかりが何を言っているのか……ゆゆこには理解できないわ”
ゆゆこは確かにそう言った。今度はゆかりが戸惑いを隠せなくなる。黒幕はゆゆこではないのか。では、あの蝶々は一体なん
だというのか。すっかり黙り込んでしまったゆかりに、ゆゆこが静かに語り始めた。それは、ゆゆこの長い長い話。ゆかりはゆ
ゆこの言葉を一語一句漏らさぬよう聞き入っていた。
ゆゆこが悲しげな表情で言葉を発するたび、ゆかりは心の奥が締め付けられるのを感じる。気がついたら、自然と涙が溢れて
いた。なんと悲しいゆっくりなのだろう、と。
ゆゆこ自身ですら理解できていなかったゆゆこの事をゆかりは読み取ってしまったのだ。あるいは、ゆかりだからこそ読み取
ることができたのか。無言で静かに涙を流すゆかりを見てゆゆこは心配そうにゆかりの顔を覗き込んだ。ゆかりは“大丈夫よ”
とゆゆこの動きを制し、遠くの空を眺めた。
「ゆゆこ。 ゆかりは、ゆゆこのともだちよ」
「……っ! こ、こぼねっ!!」
「これからは、いっしょにごはんさんをむーしゃむーしゃしましょう」
「こぼねっ!」
「これからは、ゆかりといっしょに、かりをしましょう」
「こぼねっ!!」
「ゆかりが、ゆゆこに“かりのしかた”をおしえてあげるわ」
「こぼね……?」
“狩りの仕方なら知っているわ”と、ゆゆこがゆかりに疑問を投げかける。ゆかりは目を細めて顔を横に振った。ゆゆこが小
首を傾げるような仕草をする。
「ちがうわ、ゆゆこ。 ゆゆこがやっているのは、かりなんかじゃない……」
ゆかりの言葉にいよいよもってゆゆこが困惑の表情を浮かべた。ゆゆこにはゆかりの言っていることが一つも理解できない。
それでも、ゆゆこはゆかりの語りに聞き入っていた。
「ごはんさんはね……ゆかりもそうだけど、みんな、いっしょうけんめいさがしてたべるのよ……? ゆゆこは、“ごはんさん
をさがしてたべるのが、たいへんなことだ”とかんがえたことがあったかしら……?」
無言で顔を横に振るゆゆこ。そうだろう。ゆゆこにとって、“狩りは簡単なこと”なのだ。ゆかりが自分に何を教えようとし
ているのか、理解できなかった。その気持ちを汲み取ったのか、ゆかりはまたクスリと笑って見せる。それから、ゆかりはあん
よの下に生えている雑草に歯をあてがうと、それを咥えてブチブチと引きちぎった。ゆゆこはその様子を目を丸くして見つめて
いる。ゆかりは雑草を咀嚼し、それを飲み込んで見せた。
「むーしゃむーしゃ、それなりー……。 ……ゆふふ」
それから、文字通り苦笑いを浮かべて味の感想を述べる。ゆゆこはそんなゆかりの様子を見て、頭がおかしくなってしまった
のではないかとさえ思った。ゆゆこの中の世界で、そこらに生えている雑草は食べ物などではない。それに口をつけようなどと
一度たりとも思ったことはなかった。そもそも。ゆかりは、自分に“それなりの味”しかしない雑草を食べさせようと言うのだ
ろうか。ゆゆこは少しショックを受けたような表情に変わり、ゆかりを静かに見つめていた。
「くささんは、おいしくないけれど……。 “いつでもたくさん”たべることができていいわね……。 ええ。 すこしもおい
しくはないけれど」
「こ、こぼねっ! こぼねっ!!」
「そんなものをたべなくてもいい……かもしれないわね。 でも、ゆゆこ? ほんとうにたべるものがなくなってしまったとき……
ゆゆこは、それが“おいしくない”というりゆうだけでむーしゃむーしゃしないのかしら……?」
ゆかりはまるで小さな子供を諭すかのような口調で続けた。
「いま、ごはんさんをむーしゃむーしゃしなければ、えいえんにゆっくりしてしまうかもしれない……というときでも、ゆゆこ
はくささんをむーしゃむーしゃしない……?」
ゆゆこはおろおろとした様子であんよの下の雑草とゆかりを交互に見つめる。ゆかりは笑った。
「たべてごらんなさいな? おいしくはないけれど、むーしゃむーしゃすることはできるはずよ。 ……あ、ほんとうにおいし
くはないから」
「こ……こぼね……」
ゆゆこが恐る恐る雑草に口をつける。それから意を決したようにぎゅと目をつぶり、その勢いで雑草を口の中にいれた。口を
むぐむぐと動かすたびに険しい表情になるゆゆこ。“むーしゃ、むーしゃ、それなり……”と暗い面持ちに変わる。よほど美味
しくなかったのか、ゆゆこの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「ゆゆこ? じゃあ、こんどはこれをむーしゃむーしゃしてごらんなさい?」
そう言いながら、ゆかりは傍らに生えていたキノコを一つむしるとそれをゆゆこの目の前に置いた。ゆゆこはと言うと先の雑
草の一件ですっかり警戒してしまっているのか、なかなかそれを口にしようとしない。それでも、“友人”の言葉を疑いたくは
なかった。その一心でゆゆこはキノコを口の中に入れたのである。先ほどと同じように目をギュッとつぶり、咀嚼を繰り返した。
いつまでたっても、苦みが口の中を襲ってこない。ゆゆこはまずそれに驚いて目を開いた。目の前にはニコニコ笑っているゆか
りの姿がある。それから、どうしてわからないが、口の中一杯に幸せが広がっていくのを感じた。味も悪くない。それどころで
はなく、純粋に食べ物として美味しい。
「こ……ぼ、ね……っ」
ゆゆこは泣いていた。ゆゆこ自身、自分がなぜ泣いているのか理解できないのだろう。自身の流した涙をゆかりに見せぬよう、
反対を向き体全体を小刻みに震わせる。ゆかりには、ゆゆこの涙の理由が分かっていた。それは、苦くて美味しくない雑草を食
べた後に、美味しいキノコを食べたことによる味の優劣のせいではない。もっと、単純で……大切なことだ。
「おいしいでしょう……? しあわせーな、きぶんになれるでしょう……?」
「こぼねっ! こぼねっ!!」
「どうしてか、わかるかしら……?」
「こぼね……」
ゆかりの問いかけにゆゆこは静かに顔を横に振った。ゆかりが微笑む。ゆかりはゆゆこの質問に答えないまま、自分もキノコ
を一つむしって口の中に入れた。その様子をゆゆこが見つめている。
「むーしゃむーしゃ、しあわせーっ……」
ゆかりはゆゆこに先の質問の答えを聞かせた。食べ物を食べて一番幸せと感じるとき。それは、なかなか手に入らないような
美味しい物を食べた時ではない。ゆかりはゆゆこを見つめて微笑んだ。
「だれかと……じぶんのたいせつなかぞくや、ともだちと……いっしょにごはんさんをむーしゃむーしゃするからよ……」
その言葉を聞いた瞬間、ゆゆこが思わず身震いした。春風が二匹の間を吹き抜ける。柔らかな風に抱かれたゆかりの姿は、ゆ
ゆこにとって一種の神々しさを感じるほどに輝いて見えた。同じ時を過ごし、同じ物を食べ、同じ幸せを感じる。それは、ゆゆ
こが“これまで経験したことのない事”であった。
「どうかしら……? ゆゆこがむーしゃむーしゃしたきのこさん……。 ゆゆこがこれまでむーしゃむーしゃした、どんなたべ
ものよりも……おいしいとはおもわなかったかしら……?」
「こぼねっ!!」
力強く頷くゆゆこ。ゆかりが嬉しそうに笑みを浮かべて見せた。
「ゆゆこ?」
「こぼね?」
「これからは……ゆかりといっしょにごはんさんをむーしゃむーしゃしましょう。 ぬけがけをしてはだめよ……? ゆかりが
しっているごはんさんをぜんぶゆゆこにおしえてあげるわ。 だから、あしたもここにおいでなさい」
「こぼねっ!!」
“ゆっくり理解したわ”とゆかりに伝えるゆゆこ。ゆかりは静かに笑うと、ゆゆこの頬に自分の頬を擦り寄せた。ゆゆこが頬
を赤らめ、うっとりとした表情に変わる。それはゆかりも同じで、頬を朱に染め小さく唇を動かした。
「すーりすーり……しあわせ……」
「こぼね~……」
親愛の証。この時をもって、ゆかりとゆゆこは“唯一無二の親友”となったのだ。ゆかりは、ゆゆこの事が良くわかる。ゆゆ
こと別れてから茂みの中を這って移動する間、ゆかりはずっと様々なことを考えていた。
ゆかりとゆゆこは“本質的には同じ悲しみ”に縛られたゆっくり同士だったのだ。だからこそ、ゆかりはゆゆこを放っておけ
なかったし、ゆゆこは初めて会ったばかりのゆかりの意思を受け入れた。しかし、それゆえに気づいてしまったこともある。蝶
蝶による病気。あの病気に感染してしまったゆっくりは助からない。ゆかりは黒幕を追い詰めれば、病気を治す方法がわかるか
も知れないと思っていた。だがそれは思いこみに過ぎなかったのである。病気の治療法は、ゆゆこ自身にもわからないのだろう。
ゆかりがあんよを止める。そして後ろを振り返った。巨木の下にゆゆこはいない。自分の住む場所へと戻ったのだろう。そのま
ま視線を少しずつ上に向ける。巨木の枝には、開きかけた桜の蕾がたくさん春風に揺れていた。気の早い桜は既に開花し、霞が
かったような薄桃色のヴェールで巨木を覆い始めている。ゆかりはしばし、その光景に目を奪われていた。
「きれいね……。 まるで、ゆゆこみたいだわ……」
無意識にそんなことをつぶやき、ゆかりは一匹で顔を真っ赤にした。キョロキョロと周囲を見渡す。誰にも聞かれていないこ
とを確認したゆかりは、前へと向き直り、それから小さく微笑んだ。
疾病者と感染者は、一番大きな巣穴を作っていたゆっくりのおうちの中に隔離された。その中には、幼馴染四匹組のまりさも
含まれている。監視者によるこの行動をありすとぱちゅりーは制することができなかった。群れは完全に二分されたのである。
「ゆん……やぁ……おきゃーしゃん……れーみゅ……しんじゃうにょ……?」
「だいじょうぶだからねっ! おかあさんがついてるよっ! ゆっくり! ゆっくりだよぅ……っ!」
全身を震わせて怯える赤れいむの質問に答えることができるゆっくりは一匹もいなかった。隔離された疾病者及び感染者たち
は、互いに身を寄せ合い少しでも恐怖を紛らわせようと必死だ。この身を寄せ合ったゆっくりたちのうち、誰が一番初めに死ぬ
のだろうか。隔離場所のゆっくりたちはそんなことを考えながら片時もゆっくりできぬ時間を過ごしていた。
そんな中、まりさは自分の体に僅かながら異変を感じ始めていた。視界がぼやけるのだ。目を細めてようやく視界を取り戻し
たかと思えば、今度は周囲にもやがかかったような錯覚を起こす。心なしか体調も優れない。妙に喉が渇き始めた。それから、
あんよを動かすのも億劫になってきた。全身が重く感じる。まりさは、冷や汗をかき始めた。今の自分の状態に心当たりがあっ
たのだ。
(……れいむ……っ)
まりさの番であるれいむ。病気に感染して、死んでしまったれいむの……あの最期の日の昼時。体調不良を訴え、巣穴の奥で
ずっと休んでいたれいむと、今の自分がそっくりなのだ。まりさは誰にも悟られぬように唇を震わせた。悶絶して死んでいった
ゆっくりたちの姿が走馬灯のように瞼の裏を駆け抜ける。自然と目に涙が溢れてきた。
死ぬ。これから、死ぬ。
今まで味わったことのないような苦しみに、叫び声を上げながら。誰にも助けてもらえずに。死ぬのだ。恐怖と寒気でまりさ
はガタガタ震え始めた。うずくまり、額を巣穴の地面に押しつける。その様子を見た他のゆっくりたちがまりさの周囲に集まっ
てきた。
「ま、まりさ……っ」
「どうしたの……? くるしいの……?」
「…………よぉ……」
まりさが蚊の鳴くような声で呟く。
「……こわい……よぉ……っ!!」
ただそれだけの言葉。それだけでまりさの恐怖はあっという間に周囲のゆっくりたちに飛び火した。互いの顔を見合わせて歯
をカチカチ鳴らして震え出す。ここにいるどのゆっくりもが理解しているのだ。これから自分に起こるであろう出来事。あの苦
しみ抜いて死んだゆっくりたちの記憶だけが脳裏に蘇る。
「しにたくない……しにたくないよぉ……っ!!!」
当たり前の感情。隔離されたゆっくりたちは自分たちの置かれた境遇を呪った。どうして、自分たちがこんな目に遭わなけれ
ばならないのか。どうして誰も自分たちを助けてくれないのか。自分たちの命はどうなってもいいと言うのだろうか。恐怖と悲
しみは臨界点を突破し、感染者たちに新しい感情を生み出させた。
「……まりさたちを……たすけてくれないゲスなゆっくりは……」
まりさが口を開く。周囲のゆっくりたちが生唾を飲み込んだ。どのゆっくりも目が据わっている。瞳から滲み出る負の感情が
あっという間に感染者たちを浸食してしまった。
「せいっさいっ……してやるよ」
そう言ったあと、まりさが口元を歪める。感染者たちは、まりさが何をしようとしているのか直感で悟った。逆転の発想であ
る。監視者たちは、感染者に直接手を下すことはできない。何匹かのゆっくりたちが静かに笑った。それは勝利の笑み。余りに
も無意味な、勝利の笑みである。
「いままで……みんな、なかよくやってきたんだもんね……」
「れいむたちばっかりこんなおもいをするのは、ふこうへいだよね……」
「わかるよー……。 みんなも、ゆっくりりかいしてくれるんだねー……」
くぐもった声と声が反響し合って絡み合う。正気の沙汰ではなかった。いつ、どのタイミングで死ぬかわからない処刑台の上
の罪人たちが全員笑っているのである。まりさが先頭に立つ。その後ろにずらりと感染者たちが並んだ。全員が同じになればい
い。同じ、感染者に。そうすればまたみんなで仲良くすーりすーりできる。互いに憎み合う必要がなくなる。堕ちた大義名分の
元に感染者たちが一つになった。群れの全てのゆっくりを感染者にすべく。
「まりさ……? だいじょうぶ……? みんなもしっかりしてねっ! ゆかりがきっとこのびょうきをなおすほうほうをみつけ
てくれるわ」
ありすが感染者たちの巣穴に入ってきた。幼馴染にかける言葉にはなけなしの優しさが含まれている。だが、その感情に気付
くゆっくりはただの一匹もいなかった。まりさは、俯いたままありすに気付かれぬよう下卑た笑みを浮かべ小さく呟く。
「……だいじょうぶなのぜ……」
「そう? ならよかったわ。 びょうきだったら、なおせないわけが――――」
「ありすも、いっしょにびょうきになるのぜっ!! そうすれば……みんな、みんな……だいじょうぶなのぜっ! だいじょう
ぶなのぜっ!! だいじょうぶなのぜぇぇぇぇッ!!!!!!」
まりさがありすを押し倒す。刹那、驚愕の表情を浮かべるありす。ありすの上でまりさはゲラゲラと笑っていた。視点の定ま
らぬ瞳。だらしなく開かれた口からは涎がだらだらと垂れている。ありすは自分が感染してしまったことよりも、そのまりさの
顔が恐ろしくて恐ろしくて仕方なかった。
「い……いや……」
自然としーしーが漏れ出す。そのしーしーであんよが濡れているにも関わらずまりさは高笑いをしてみせた。
「これで、ありすもみんなとおなじゆっくりになれたのぜぇぇぇぇッ!!!!!!」
「あ……ぁあ……っ!!!」
ワンテンポ遅れてありすが自分の置かれた状況に気付く。震えが止まらない。ありすはまりさに……感染者に触れてしまった
のである。歯をカチカチと鳴らしながら無言で涙を流すありすを見て、まりさが頬をすり寄せた。
「なかなくてもいいのぜ……まりさが、すーりすーりしてあげるから……へいきなのぜ……? こわくないのぜ……?」
「い……ッ、いやあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ありすの絶叫は洞窟の入り口を貫き、外にまで響き渡った。それが、全ての始まりだったのである。感染者たちは一斉に洞窟
の外へと飛び出した。最初から監視者たちの言いなりになる必要などなかったのだ。嬉々とした邪悪な笑みを浮かべ、感染者た
ちが獲物を視界に入れるべく両の目玉をギョロギョロと動かす。何もかも忘れていた。いや、上書きされたと言ったほうが正し
いのかも知れない。感染者たちは、群れのゆっくりたちに迷惑をかけてはいけないという意思のもと、甘んじて隔離を受け入れ
たのだ。しかし、恐怖は簡単に感染者たちの心を蝕んでしまった。感染者たちは、今回の病気よりももっと恐ろしい心の病気に
感染してしまったのだ。
異常な雰囲気に気付いたのか数匹のゆっくりたちが巣穴から飛び出してくる。それが最初の犠牲者だった。次々と感染者たち
が群れのゆっくりに飛び掛かる。
「ゆわぁぁぁぁぁッ?!! どぼじでごんな゛ごどずる゛の゛おおぉぉぉぉぉぉぉ!!???」
「ゆっくりしていってねっ!! ゆっくりしていってねっ!!! ゆふふ……ゆふふふふふふふふふふふふふふ……!!!!!」
「わからないよーーーー!!! やめるんだねぇぇぇぇぇ!!!!!」
「すーりすーりすーりすーりすーり……し、ししししししし……しあわせええええええええええええええええッ??!!!」
狂気。それ以外の何物でも感情が辺り一面に広がっていく。悲鳴。冷たい夜の闇を切り裂き新たに感染者となったゆっくりの
心を抉る。巣穴の中から飛び出してきたせいで、けっかいっ!も外れてしまっているおうちがほとんどだ。感染者たちは我先に
とその巣穴の中に飛び込んでいく。
「ゆ……ゆんやあああああ!!!!!!」
「ちびちゃぁぁあぁぁああぁんッ!? どぼじでこんな……や、やめてねっ! じぶんがなにをしているかわかってるのっ?!
ゆっくりおちついて……ゆぎゃあああああああああああああああ!!!!!!!!」
「むきゅー!! やめてちょうだいっ!!! やめてちょうだいっ!!! ぱちゅはびょうきになってしにたくないわっ!!!」
「どおしてそんなにいやがるの……っ?! いつもはあんなになかよくしてたでしょうっ!? ちっともとかいはじゃないのね
っ! これで、また、みんな、なかよく、できる、のよ?」
幼馴染四匹組最後の非感染者となったぱちゅりーが巣穴の奥でガタガタ震えていた。他のゆっくりたちよりも若干反応が遅れ、
かつ巣穴の外で何が起こっているかをいち早く察してしまったぱちゅりー。叫び声を上げることはできない。群れの友達のれい
むに張ってもらったけっかいっ!だけがぱちゅりーの命綱だった。
(どぉして……どぉして……こんなことになってしまったの……? ゆかり……おねがいよっ! たすけてちょうだい……!!)
泣き続けるぱちゅりーに幼馴染のありすの声が届いた。
「みんなあぁぁぁ!!! ゆっくりおちついてねっ!!! びょうきはなおせるかもしれないのよっ!? ゆかりが……ゆかり
がきっと、びょうきをなおすほうほうをみつけてかえってきてくれるわっ!!! だから……もう、こんなゆっくりできないこ
とはやめてえええええええええ!!!!!」
「ゆっくり……できないこと? それは……まりさたちが、やっているっていいたいのかぜ?」
もう一匹の幼馴染の声。ぱちゅりーに戦慄が走る。
(ありす……っ!! ありすは、まさか……っ!!!!)
「ありすも、みんなとおなじびょうきになったわっ!!! こわいのはありすもいっしょよっ!!! でも、じぶんたちがこわ
いとおもってることを……ともだちにもおなじおもいをさせるなんて、とかいはじゃないわっ!!!!!」
「いつも、みんなでやっていることをやっているだけなのぜええええええええええ!!!!」
「ゆ゛げぇ゛ッ!!??? な、な゛にを……ゆぁ……っ!!! や、やめ……」
「ゆっくりできないありすは、せいっさいっ!してやるよっ!!!!」
「ま、まりざッ?! え゛ぎゅっ!!??? ど……どがいはじゃぎゅべぇッ?!!」
「ま、ままま……まりさは、まりささささは……ッ!!! ありすを……ずっとずっと……と、ととと、ともだちだとおもって
いたのに、ひどいんだぜええええっへへへへぇあぁぁぁ!!!!!!」
「ゆ゛ぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!!!!!!!!!!!!! ……もっど、ゆっぐり……じだが、た……」
「ゲスなありすは、まりさが……せいっさ……ゆぎぃぃぃぃぃッ??!!!」
ぱちゅりーが無言で涙を流しながら目を伏せる。幼馴染のありすが殺されてしまった。幼馴染のまりさに殺されてしまった。
思考回路が停止していく。どうして?どうして?わからない……何もわからない、と心がギシギシと音を立てて軋む。それから
気が狂ったようなまりさの絶叫が長い時間響き渡った。発症、してしまったのだろう。こんなにも無数の音が重なり合い、響き
渡る夜は今夜が最初で最後だろう。ぱちゅりーはゆっくりと理解した。この群れのゆっくりが全員、死んでしまうことを。そし
て、自分もまた同じ運命を辿るのだろうと。れいむ、ありす、まりさ。仲良しだった三匹が死んで自分も死んでしまわない訳が
ない。春の訪れを喜び笑いあったついこの間の出来事が、まるで前世の記憶だったかのように掠れて消えていく。
「だれが……わるかったのかしら……どうして……こんなことになってしまったのかしら……。 みんな、なかよく……ゆっく
りできていたのに……」
呟くぱちゅりーの脳裏にゆかりの姿がちらつく。そのとき、ぱちゅりーは自分の中で疑念が沸き起こるのを感じた。ゆかりは
こう言っていたはずだ。“今までなかったことが起こったのは、今まで会ったことのない何か”のせいではないかと。凍りつい
たような表情になるぱちゅりー。どうだろうか。それならば、合点がいってしまう。ぱちゅりーは自分の出した結論にすがりつ
いてしまったのである。考えるのを放棄したぱちゅりーの出した“答え”。それは余りにも狂気に満ち満ちたものだった。
「ゆかりの……せいじゃ……ないのかしら……?」
群れに病気が蔓延してから……あるいは、その前。変化はもう一つあったのだ。ゆかりが群れにやってきたこと。群れのゆっ
くりにとっても、ゆかりの存在は“今まで会ったことのない何か”であるとは言えまいか。巣穴の外からゆっくりたちの悲鳴が
聞こえてくる。恐怖と死のオーケストラは終局を迎えることを知らないかのように続いた。ぱちゅりーが何かを決意したような
目つきであんよを巣穴の外へと動かす。
「つたえなきゃ……ぱちゅたちには……ほかにするべきがあることを……むれの、みんなに……っ!!」
盲信し、猛進するぱちゅりー。自らけっかいっ!を取り払い、狂気に包まれた夜の空気にその身を預ける。ぱちゅりーの視界
に映った光景は地獄絵図のようだった。群れの仲間が仲間を追いかけまわす。凄まじい形相で跳ね続ける感染者の姿は鬼気迫る
ものがあった。
ああ、違うのよ……自分たちの……“本当の敵”は別にいるはずなのよ、とぱちゅりーが自分に強く……“強く”言い聞かせ
てあんよを進める。盲信は確証に変化していき、やがてそれは強固な自信へと姿を変えてみせた。
「むきゅ……きゅきゅ……」
狂ってしまった群れ。敵と味方に分かれてしまった群れ。昔は仲が良かった群れ。どうすれば敵と味方に分かれないのだろう
か。それは簡単なことだ。二分してしまったゆっくりたち、双方にとって“共通の敵”を作り出すこと。ぱちゅりーは無意識の
うちにその閉ざされた道を選び出してしまっていたのだ。極限状態のぱちゅりーに、最早まともな思考は残されていない。ぱち
ゅりーの描いたシナリオはぱちゅりーの中で完璧な形で完結しているのだろう。
まるで熱に浮かされたかのような表情で群れの中央へとあんよを少しずつ進める。傍らにまりさとありすの死骸があった。ま
りさはこれまで病死してしまったゆっくり同様、苦悶の表情を浮かべたまま固まってしまっている。ありすは死骸から表情を読
み取ることができないほど、ぐちゃぐちゃの状態にされていた。執拗に踏みつけられたのだろう。幼馴染のまりさに。ぱちゅり
ーが二匹を見つめて囁いた。
「むきゅ……だいじょうぶよ。 ぱちゅたちが、ゆかりをせいっさいっ!して……かならず、かたきをとってあげるわ……」
「ゆゆっ! あんなところにぱちゅりーがいるよっ!!」
感染者のれいむがその視界にぱちゅりーを捉えた。一斉に周囲に集まってくる感染者たち。ぱちゅりーはじりじりと自分に迫
る感染者たちを見て不敵な笑みを浮かべた。一瞬、感染者たちがたじろぐ。これまで自分たちは絶対的な蹂躙を繰り返していた。
群れのどのゆっくりもが自分たちに怯え、泣き叫び、許しを請い、そのどれもを受け入れずに自分たちの思うままに扱ってきた。
それなのに、目の前のぱちゅりーは一体どういうことだろうか。四方八方を感染者に囲まれたぱちゅりーに逃げ場はない。
「むきゅ……。 みんな、ぱちゅたちは……どうしてびょうきになってしまったのか……しりたくないかしら?」
「ゆっへっへ。 そんなことだれにもわからないよ。 ぱちゅはばかだね。 みんな、わからないからいっしょになるんだよ。
だから、ぱちゅもはやく……」
「いつからだったかしらね……? みんながこんなびょうきにかかるようになってしまったのは……」
「わからないよー。 そんなこと、どうだっていいんだねー」
「ゆかりがきてから……じゃ、ないかしら?」
「「「「??!!!」」」」
感染者たちが動きを止めた。ぱちゅりーはそれを見逃さない。強靭な意志を秘めた瞳で感染者たちを射抜いてみせた。
「ゆかりが……このむれにびょうきをもってきたんだとしたら……。 やっぱりびょうきをなおすほうほうはゆかりがしってい
るにちがいないわ……?」
「ゆゆぅ……」
「それなのに、みんなはいったいなにをしているの? まずはゆかりをつかまえるのがさきなんじゃないかしら? それから、
“どんなことをしても”ゆかりからびょうきをなおすほうほうをききだして……。 このむれをこんなにゆっくりできなくさせ
たゆかりは……せいっさいっ!をしないといけないわ……」
「ほんとうに……ゆかりが、ぜんぶ、わるいの……?」
「はっきりとはわからないけれど……それいがいになにかげんいんがかんがえられるかしら? このむれは、ぱちゅたちのおか
あさんがちびちゃんだったころから、つづいているむれよ? そして、いままでこんなことはいちどもなかった。 ……ゆかり
がこのむれにやってくるまでは」
感染者たちがざわつき始める。そのうちの何匹かがぱちゅりーの言葉を呑んだ。群れのゆっくりたちにとっては、ゆかりこそ
が唯一の“今まで会ったことのない何か”に他ならない。そして。
「ゆかりをみつければ……れいむたちのびょうきもなおるかもしれないよっ!!」
魔法とも言える言葉。感染者たちがその矛先をゆかりへと向けるには十分なものだった。
「ゆかりをさがすよっ!!!!!」
「ゆっ、ゆっ、おーー!!!!!!」
ぱちゅりーは笑みを浮かべた。昔の群れに戻った、と。みんなが助け合って……仲良くしていた頃の群れに戻った……。自分
が戻したのだ……と。ぱちゅりーが頭上に浮かぶ月を見上げて笑った。
「むーきゃっきゃっきゃっきゃっ!!!!」
狂ってしまったぱちゅりーが笑う。ゆっくりは環境の変化に追い付けない。自分の身に何が起こったのかわからず、数秒硬直
してしまうことがあるほどに。群れの変化、自分の変化。何もかもについていけないのだろう。善と悪。正と誤。その全てが入
り混じって混沌とした感情を生み出していく。
「ゆかりーーー! どこぉぉぉ?!」
「ゆっくりしないででてきてねっ! びょうきのなおしかたをおしえてねっ! そしたらせいっさいっ!してあげるよっ!!」
ガサガサと音を立てながら草の茂みをかきわけてゆかりを探す群れのゆっくりたち。その途中、病気が発症して力尽きるゆっ
くりもいたが、それに気付く仲間は一匹もいない。皆、血走った目で何かに憑りつかれたようにゆかりを探し回っていた。昨夜
と違い月を覆う厚い雲はない。だが、そう簡単にゆかりを見つけることはできないだろう。ぱちゅりーがニヤニヤと笑った。そ
してわざと“既に何処かに隠れているであろう”ゆかりに聞こえるように声を張り上げる。
「ゆかりーーー!! はやくでてきてちょうだいねっ!!! ぱちゅたちがこまっているのよぉぉぉぉ!?? むきゅきゅ……
むきゃきゃ……っ!!!」
ぱちゅりーの不気味な笑い声だけが穢れた空気を纏う夜の闇を縫い付けていく。
草の茂みの“隙間”からそれまでの一部始終を覗いていたゆかりは静かに目を伏せた。またか、と。それからゆかりが力なく
笑って見せる。
(やっぱりゆかりは……おなじゆっくりとかかわってはいけないのかしら……?)
狂信者と化した森のゆっくりたち。そこにかつての温厚な群れの面影はない。ゆかりがどこにいるかを探し当てるため、草を
枝を引き千切って這いずり回る魔物。枝木を除去する際に咥えた口の端から餡子が漏れ出すゆっくり。自分が枝によって皮が傷
つけられていることにも気づいていないのだろう。
(どうして……いつも、こうなってしまうのかしら……?)
ゆかりの存在。もたらす知識。それは群れにとって大きな財産となる。だが、同時に弊害をも生み出すのだ。知恵は、その知
恵を行使する力のある者がもって初めて本来の意味を成す。ゆかりの思考能力や、知識。それは他のゆっくりたちよりも永く生
きてきたからこそ扱うことのできる代物なのだ。ゆかりと行動を共にした時間の長かったぱちゅりー。ぱちゅりーはゆかりが長
年の経験で培った判断材料という最も重要な部分を欠落させた状態で、ゆかりの真似事をした。それは粗悪なゆかりの劣化品。
中途半端な知識は群れを静かに滅びへと導き始めていたのだ。
*『夜桜の下で(後編)2/2』へ続く