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 古代 - (2007/10/20 (土) 15:31:50) の編集履歴(バックアップ)


古代(文明の登場から476年の西ローマ帝国滅亡までとします)


BC3000年前後

チグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミア地方に、どこからともなく「黒い頭の人々」と呼ばれる民族がやって来て定住する。彼らシュメール人により、この地に人類最初の高度な文明が築かれる。

BC1946年

メソポタミアの都市国家ウル(現在のイラク南部)に、アブラハムという人物が生まれる。旧約聖書記述によれば、成長したアブラハムに唯一神ヤハウェが啓示を授け、カナン(ヨルダン川西岸。現在のパレスチナ)に行くことを命じる。アブラハムは一族を従えてカナンへと旅立つ。

カナンを目指す途中一時的に住み着いたハランで、アブラハムの父テラが亡くなる。そこで再びアブラハムの前に神が現われ、「私の示す地に行くならば、お前を“大いなる民”の先祖としよう」と約束する。

我汝を大いなる国民となし、汝をめぐみ、汝の名を大いならしめん。…我は汝を祝福する者を祝し、汝を呪う者を呪わん。天下のもろもろの宗族、汝によりて幸いを獲ん(旧約聖書)

アブラハムは妻サラ、甥ロトらとともに再びカナンへと旅立つ。その途中でロトの家族が一行から離れ、ソドムに移住する。アブラハムは75歳の時、長い旅の果てに約束の地カナンに辿り着く。

多くの子孫を与えられる約束だったが、アブラハムとその妻サラの間にはなかなか子ができなかった。焦ったアブラハムは、女奴隷ハガルを妾とし、ハガルとの間に男子イシュマエルを成す。(この子イシュマエルが、アラブ人共通の先祖とされる。)

BC1847年

ロト一族が移り住んだソドムは、人々の性道徳が乱れきった背徳の都だった。
ソドムはエラムの王ケドルラオメルによって掠奪に遭い、ロト一家もエラムの捕虜となる。これを知ったアブラハムは、神にロト救出を請願する。神はそれを聞き入れるが、同時に堕落しきったソドム、そしてゴモラの二大都市をこの世から消し去ると決意する。
                             ジョン・マーティン作「ソドムとゴモラ」
神の意志は実行され、天の「硫黄の火」によって両都市は跡形もなく消滅。ロトと2人の娘は脱出に成功するが、ロトの妻が「塩の柱」になってしまう。その後、父と娘2人は洞窟に潜んで暮らしていたが、ある日、姉妹が共謀してロトを酒に酔わせ、ともに父の子を妊娠する。

BC1846年

アブラハムが100歳の時、サラとの間にようやく一人息子イサクを授かる。この結果、イシュマエルとその母ハガルは追放される。(このイサクがユダヤ人の先祖とされる。従ってアラブ人とユダヤ人、そしてユダヤ教から分派したキリスト教徒は、元を辿ればアブラハムという同一の先祖に辿り着く。彼を「大いなる民の先祖にする」という神の約束は、このようにして果たされたことになる。)

BC1806年

イサクと妻リベカの間に、二番目の息子としてヤコブが誕生する。

リベカは長男エサウよりヤコブを溺愛。家督はエサウが継ぐはずだったが、相続の儀式(祝福)では、年老いたイサクの目が見えないことを利用してヤコブに祝福を受けさせる陰謀を企て、これに成功する。

エサウの怒りを買ったヤコブは、彼の殺意を恐れ、伯父(リベカの兄)ラバンのもとへ亡命する。

後に神の勅命により「イスラエル」と改名。

BC1676年

ヤコブ(別名イスラエル)の一族、食料飢餓でエジプトへ移住。

BC1500年前後

エジプトを支配していたヒクソス人が駆逐されると、イスラエル12支族はエジプト人の奴隷となる。

BC1290年

モーセが奴隷階級で苦しんでいたイスラエル12支族をエジプトから集団脱出させる。
モーセがシナイ山で「神との契約(旧約)」を成立させ、ここに明文化された「ヘブライ教(原ユダヤ教)」が確立される。


BC1100年前後

モーセの後継者であるヨシュアがリーダーとなって、パレスチナ侵略を開始。
獲得した土地を各支族ごとに分割統治する。
士師のもとで、イスラエル民族史は200年の暗黒時代に入る。

BC1020年

サウル王、初代イスラエル王としてイスラエル12支族の統一を図るが、失脚。
代わって羊飼いのダビデが第2代イスラエル王として君臨し、イスラエル12支族の統一に成功。「イスラエル統一王国」確立。

BC963年

ソロモンがエルサレムで第3代イスラエル王となる。
新都エルサレムに「ソロモン神殿」建築。

BC925年

ソロモンの後継者をめぐって「イスラエル統一王国」が大分裂。
イスラエル10支族は「北イスラエル王国」(首都サマリア)を樹立し、残りの2支族は「南ユダ王国」(首都エルサレム)を樹立。

BC722年

「北イスラエル王国」がアッシリア帝国によって滅ぼされる。
エフライム族を中心とするイスラエル10支族は捕囚され、そのまま消息を絶つ。

BC587年

「南ユダ王国」が新バビロニア王国によって滅ぼされる。
ユダ族を中心とするイスラエル2支族は捕囚され、不滅と言われた「ソロモン神殿」は崩壊。

BC538年

新バビロニア王国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシア帝国のキュロス2世は、寛大な宗教政策により、イスラエル2支族の祖国帰還を許す。
ソロモン第二神殿の建設開始。

BC520年

ユダヤ州第2代総督ゼルバベル、ソロモン神殿の再建に着手。

BC515年

「ソロモン第二神殿」の再建工事完成。
以後、イスラエル2支族、祭司の指導による神政共同体を形成。

BC444年

「モーセ五書(トーラー)」正典化される。
イスラエル2支族は「新ユダヤ教」を確立させる。

BC330年

アレクサンダー大王がアケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼし、オリエント古代史終幕。
アレクサンダー大王はイスラエル2支族を重用するが、アレクサンダー大王の死後、その後継を巡って帝国は大分裂。
パレスチナ地方はエジプトのプトレマイオス王朝とシリアのセレウコス王朝の覇権争いの影響をまともに受けるようになる。

BC167年

セレウコス朝シリアのアンティオコス4世・エピファネスは、ユダ州とサマリア州の全面的なギリシア化を宣言し、エルサレムを完全制圧。
エピファネスはソロモン第二神殿にゼウスの偶像を置き、ユダヤ人にゼウス崇拝を強要。そして反抗するユダヤ人を徹底的に弾圧。
8万人のユダヤ人が虐殺され、4万人が捕囚となり、更に4万人の女・子供が奴隷として売り払われた。
エピファネスの横暴さに憤慨したハスモン家のマタテヤ(マカベヤ一族)、ユダヤ独立運動を開始する。

BC143年

マカベヤ一族のシモンはユダヤの独立に成功(政治的独立)。
シモンの孫アリストブロスがハスモン朝の独立祭司王国を開く。
しかし内部抗争が絶えない。

BC64年

ローマ帝国、シリアを征服し、ユダヤの内部抗争に介入。
ユダヤのハスモン朝は短期間で終わり、ローマの属州シリアに組み入れられる。

BC37年

エドム人ヘロデがローマ帝国の庇護のもとに、“ユダヤの王”として33年間エルサレムを統治(ヘロデ王朝)。
ヘロデはユダヤ人に皇帝礼拝を強要し、ソロモン第二神殿を大改築。

BC4年頃

イエスがマリアとヨセフの長男として、ベツレヘムの馬小屋で生まれる。
“ユダヤの王”として君臨していたヘロデ王は「ユダヤの救世主誕生」の噂を耳にすると、それを阻止するために実子殺しを強行。
それを恐れたイエスの両親は、イエスを連れてエジプトに逃れる。
ヘロデ王の死と同時に、イエスと両親はナザレ村に帰ってきて、イエスはナザレ村で少年時代を過ごす。

AC6年

ローマ帝国がパレスチナを直接支配。ユダヤは属州になる。

30年頃

4月7日の午前9時、ゴルゴタの丘でユダヤ青年イエスの公開処刑が始まる(午後3時に息を引き取る)。
イエスは生前の予告通り、3日目に死より疵り、弟子たちの前に復活した体をもって現われたという。
その後40日間、弟子たちを導いた後、天上の父のもとへ昇天したという。

38年

ローマ帝国支配下のアレクサンドリアで、「ディプロストーン破壊事件」が起き、全市にユダヤ人の血が流れた。

66年

ユダヤの地の統治者の暴虐をきっかけに「熱心党(ゼロテ党)」というユダヤ人レジスタンスグループがローマの守備隊を襲い、ユダヤ人とローマ軍は本格的な戦い(ユダヤ戦争)を開始。
ローマ帝国内のほとんどのユダヤ人は武装蜂起し、ユダヤ人の独立を試みた。
しかし皇帝ネロは、将軍ウェスパシアヌスの大軍を派遣し、ユダヤ人の大反乱を制圧(紀元68年)。
ティトゥス将軍がエルサレムを完全制圧(紀元70年)。
エルサレムは「嘆きの壁」を残し、徹底的に破壊された。
この戦争のユダヤ人犠牲者数は60万人とも100万人ともいわれている。

73年

5月、967名のユダヤ人が7カ月も眥城し続けていた難攻不落の要塞「マサダ」を、8000ものローマ帝国軍が総攻撃。追いつめられたユダヤ人は、2人の老婆と5人の子供を残し、全員自害。

132年

ユダヤ人による最後の反乱(バル・コフバの反乱)。
これをもってユダヤ独立戦争は事実上終結し、ローマ帝国は「ユダヤ州」を「シリア・パレスチナ州」に変名。
皇帝ハドリアヌスがユダヤ教を徹底的に弾圧、大迫害の開始。
ユダヤ人の離散(ディアスポラ)が本格的に始まる。
ユダヤ人の運命はローマ帝国からパルティア王国に移る。

226年

パルティア王国を征服したササン朝ペルシア帝国は、パルティアの手になる「エクシラルク制度」をユダヤ人の自治的な亡命政府として認める。
ササン朝ペルシア帝国のユダヤ人学者は「アモライーム」と呼ばれ、「ゲマラ」の基礎をつくる。

313年

コンスタンティヌス大帝がミラノ勅令でキリスト教を公認。
ビザンティン帝国(東ローマ帝国)がパレスチナを支配。

315年

コンスタンティヌス大帝がユダヤ人の自治を制限する最初の勅令を出す。
その中で大帝はユダヤ人を「あの恥ずべき一派」と表現。

339年

コンスタンティヌス大帝がキリスト教徒とユダヤ人との婚姻ならびに、ユダヤ人がキリスト教徒の奴隷を所有することを禁止。



※『赤い盾』とヘブライの館にある年表をたたき台として使用させていただいております。