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*雑記:文或と近代もろもろ、152 ***4月28日めも。 リアルタイムは6月10日、『菊池寛文学全集』の第2巻読んだのでまとめです、まあ戦後数年目の文藝春秋の出版というと「戦後処理のほとぼりが冷めたんだね」みたいなシニカルな反応になるわけですが。 (公職追放の最中だった死後直後には追悼特集すら出来なかったからな! 中でたった一人だけ平然と薄い関係の中で随筆送ってくれたのが志賀さん、社史に載ってた、翌月号にはそれを見たのか恒藤さんも送ってくれました、芥川の一高時代の親友ね。) (おかげで正気に戻れたのかその後志賀さんが特別な作家になってるけど、私も普通に感動したよ、内容かなり薄いけどあんな薄い関係でそんな危ない橋を渡ってくれるなんてプラスポイントにしかならん…。)   ええとなんだ、話がズレましたが、この巻は短編集1で23本載ってましてだいたい『真珠夫人』の前くらいまでに雑誌に載せてた小説じゃないかな。 正直詳しくないけど、この時代の「歴史小説」ってあんまり数がないみたいだし、どういうニュアンスで載ってたんだかよくわからないんだよね。 裁判ものとか犯罪小説とか、他で扱われているのを見たことがないものの、同時代の人が特に珍しいものとして扱ってないし、文壇作家たちの書いた探偵小説としてもカウントされてないから近い作品があったんじゃないかとは思うんだけどねー。 ただ中央公論の瀧田さんのところで、菊池さんの作品を見て文壇作家たちに依頼をした、みたいな文章は見たことあるんだよね、どこで見たか忘れたけど、かなり簡易な書き方だったので多分源泉は他にあると思うし引き続き捜索。 あ、探偵実話とは別物かと思います、あれゴシップ系の事件ものなので。 ***4月29日めも。 『菊池寛文学全集』の短編集1、だいたい大正8年くらいまでじゃないかな? 「身投げ救助業」、ところでこれ私、学校で読んだことがあるんですけども、先生はなにを考えて選んだの?! みたいなこと友人に言われたものの(先生が選んだ作品って思ったぽい)、なにしろ東海育ちなので教科書の可能性もまあうん。 自殺者の心理とか、誰に聞いたんだよめっちゃリアルじゃねぇか話。 オチもなんというか、なんというんだろうねこれ。 多分一番不思議なのが後味悪いって思わない部分だな、話は老婆が家の近くの自殺者の続出するスポットで大活躍するうち、だんだん楽しくなってくるみたいな内容です。 この時点で嫌な予感がするのが読み方として正しいと思う。 「三浦右衛門の最後」、いつも余計な語りがほとんどない菊池さんの作品らしからぬ、妙にびっしりと書き込まれた話なんだけども、なにが書いてあるのかというと当時の標準的な生活とか倫理観とか。 どこで掲載されていたのかわかりませんが、読者への信頼が高い雑誌だと思う。 命ぎたないの結構!! 以上の内容がない。 このみっしりした書き込みが必要かというと、必要な気はする。 さすがに上流者向けの作品だなぁ、と思わないでもない。   「悪魔の弟子」、そこまで純粋さに拘らんでもええがな話。 菊池さん本人を暗示する話がたまにありますが、どうなんだろうな、しかし若干ということだとあるような気もするんだよなぁ、多少なら皆あるよ。 友人が死ぬかもしれない時に、その特別な親友として扱われたら興奮…するよね…うん。 ***4月30日めも。 菊池寛文学全集の第2巻、そういや忘れてたけど作品数は23です数えた。 「ゼラール中尉」、これいろいろ前後の情報を組み合わせると佐野さんて人ではないかと思うんだけどね、あれです、マント事件の人。 ぶっちゃけて菊池さんにキツく当たる人って珍しいので、彼くらいしかいないっぽいんだよね、ただこの性格、他人に悪し様に罵られるわけでもなく、付き合わないとわからん辺りがこう、他の諸条条件とも合致してるしさー。 周囲からは非常に良く見えているが、同行している時に自分の好みに全て突き合わせる、好みを通そうとすると狂人扱いされるみたいな感じの人で。 なんか気付くと友人が離れる人ってねぇ、うん…。 最期のシーン、やっぱりなんか近いことあったんだろうか、それともそれはそれで作品としてまとめるためだっていう可能性もあるよね。   「ある敵打の話」、基本的に菊池さんて自分が武士の家系のためか仇討ちを行う人視点に寄ってることが多いと思うんですけども。 その視点に寄ると一番望むことは、仇が嫌なやつであってくれ!! でしょうかね…、優しいよな菊池さん、ところが菊池作品の敵役ってもう解脱かなんかしてるみたいな枯れ切って仏みたいになった状態で出てくるんだよ…。 嫌がらせだよな、どう考えても嫌がらせだよな!? 「病人と健康者」、これはドラマチックになってるけど病人にとって健康に人間が辛いってことはあるよねってだけな話な気がする。 そういや久米さんとこには毎日通ってたらしいね菊池さん(スペイン風邪の時)。 ***5月1日めも。 菊池寛全集の第2巻、そういや『短編集』は全3巻ぽいです。 「盗みをしたN」、当人の実録ぽい雰囲気の作品とちょっとだけ似てるんだけど、ここに出てくる手記って正直なんか元になったものがあるんじゃないのかなぁ…。 どう考えても真面目な人物なのに他人の目の前で盗むってなんなんだよ?! という疑問点からしてちょっと独特だよなー、と思わないでもないんですが、そういや隠す気のない盗癖って佐野さん(マント事件の人)のところでも語られてたな。 「恩を返す話」、恩を返したくて追い回す男と恩を売ったと思いたくなくてなんとなく逃げ回ってる男の話なんですが。 生涯掛けないで適当な時点で飲みにでも行け!!! なんかこれも元になった話とかあるのかもね、そしてそれは解決したんじゃろ。 あ、これも時代小説です、大正6年くらいからちまちま書いてるみたい。   「死者を嗤う」、これはさすがに当人か他の人かわからないながらなにか元があったんでしょうね…いや、見た目を細かく書き込んでいるから実際に見たのかもしれないなぁ。 (ちまちま示されているけど、菊池さんの記憶力はあまり重要ではない部分に関しても発揮されるのが強みみたいなところがあるしねー。) なかなか水死体が上がらない、だが、それを周囲が楽しんでいる、そもそも自分だってその場にいる、何度も引き上げようとして何度も沈む間に、映画において行われていたような面白いシーンを思い出すし、周囲も爆笑している。 だが、引き上げられた途端、周囲もその好奇心を満たしたのか恥じたのか散会する。 それだけのことなのに人間社会を切ったみたいな作品なんだよなぁ。 ***5月2日めも。 菊池寛文学全集の第2巻収録作品、現在9作品まで終わり。 「大島が出来る話」、この短編に関しては確か菊池さんが成瀬くんとこのお母さんの思い出として書いた的なことを言っているのでほとんど信じていいんじゃないのかな。 ところで松岡さん(新思潮第4次)の本読んでたら家を出ようとしたら友人を紹介しないと家を出さないと言われて松岡さんがこの成瀬家に行ってるんですが、夜になるとメイドたちがたんまり食事を運んできたとか、菊池さんが奥さん連れて来ないんですよぉぉ! と松岡さんに泣きついてたりとか。 なんかそれを念頭に置くとイメージ変わる感じですかね。 貧しいお家なのに時事新報に勤める頃にはぷっくぷくに膨らんでたのはそのせいか…。 ぶっちゃけ、溺愛されていたのだろうとしか読めなかったのですが、この作品に、その辺を全く書き込んでおらず夫人の高潔さばっかり語ってる辺りがいかにも菊池節。 おうおうあと、やたらといろんなもの貰ってんのに成瀬夫人以外に感謝しないってどういう了見だよ、とかもいい感じですね。 この夫人くらいに周囲全部に恩恵を施す人でないと認めない、と。 場外乱闘がやかましくなっております、いい話だと思います、素直に読めない。   「若杉裁判長」、3作品ずつ詰め込んでいたんですが、次がちょっと長い予定なのでここを2作品にするんですが、この作品はなんとなくモデルが複数いるのかなー、という気もしないでもないですね。 若杉裁判長を揶揄してるというわけでもないのが特徴的。 犯罪被害者になると加害者への物の見方は変わるよなぁ、的なお話。 ***5月3日めも。 菊池寛文学全集の第2巻の収録作品、えーと、あと残り11作品? 「無名作家の日記」、正直比較的早くから作品名は聞いていたもののなんだかんだと読むのを先延ばしにしていまして、おかげで読んだ時点で菊池さんとか芥川がモデルだと思える余地がなかったんだよね、いやだってこれ、確かに全部似たような設定で実際に起こったことではあるんですけども。 芥川と菊池さんが学生時代に交流もなかったとか(菊池さんに高圧的なのは佐野さんぽいのよね、芥川とか佐野さんが学校から追い出された時に親友の恒藤さんに喜びの手紙送ってた、多分、菊池さんサイドの級友が多かったせいだろうね)。 芥川が小説で漱石さんに認められたのは菊池さんが『新思潮』に参加したよりずっとあととかまあ全体的にそういう感じですね、あ、出来事は確かに似てます、順番が全くっていうかほぼ狂ってるので因果関係が全く違うんだよな…。 そもそも新思潮に参加したあとに創作を始めたので、同人誌に自分を呼ばないなんて! みたいな案件すらないみたいなんだよね。 書いたら書けたみたいな話を時々してるのでそこ見てると特に創作を書くような青年ではなかったことは語ってますよ。 じゃあこの作品がなにかというと、設定の改変しすぎなので友人たちにはフィクションってわかるようにしたのかもなー、と、仕事仲間の人らはちょくちょく心配していたみたいですね、なんで悪役を芥川に振ったんだろうね?   「敵の葬式」、そんなに深く考えなくてもいいよそんなに。 つか、欧州ものなのになんか妙に武士の世界と変わらんよな菊池さんの話。 ***5月4日めも。 菊池寛文学全集の第2巻、あれどっかで4作品書いてたぽい。 「忠直卿行状記」、確かにこういう心理あるよなと思うものの、ぶっちゃけるとここまで完璧に自己分析出来てたらなんかしらの機会に正気に返っただろ?! と考えてしまうので減点。 菊池作品にはたまにあるけど、理屈は完璧なんだけど理知的すぎてなんか変パターン。 抑圧を受けている側としての心理としては完璧なんだけども。 しかして、自分がなにもかも優れていると思い込んだまま成長した時に、手を抜きやすくなった、と笑い話を聞いてしまった時の心情とその直後の狂乱までは完璧でしたかと…、そこで心情描写を終えておいたほうが良かったかもね…。   「父の模型」、前後時代の作家たちが描く夫婦像の中で主要な問題点がまずない辺りで雰囲気は似ていても別物だなとしみじみ。 奥さんは旦那を支援出来るほどの実家金持ち、旦那も負けずと数年で稼ぐようになってった、浮気なんて疑うほど男女出入りがお互いになく、娘さんが生まれると不細工さのどことどこがミックスされるか怯えるという。 赤ん坊が可愛く思えないなんてのもこの時代は仕方ないものがあるしなぁ。 隣の家の娘さんの描き方がシニカルではあったものの、やっぱり、どうにも間違っているとは言い切れない、責任持てないとまできちんと考える夫婦なんだよなぁ。 「青木の出京」、マント事件の人だとこの作品の場合には明言されているようなんですが(まだ見てない、実は久米さんもこの再会の時に一緒にいたらしくて触れてた)、ぶっちゃけ庇い損てやつな気もする、隠せよせめて!? くらいしか感想が…。 ***5月5日めも。 菊池寛文学全集の第2巻、あと6作品か、んー、どうしよ。 「恩讐の彼方に」、第1巻のほうで戯曲版も収録されていたんですが、主な改変ポイントはお坊さんの掘り進む脇で引いては返す村人たちのシーンかもなー、てか、正直なところこれは両方のバージョンを知ってるほうがいい作品かもなぁ。 村人たちが彼のなにを信じていなかったかというと、途中で諦めるだろうってことだろうと思うんだよね、ぶっちゃけ、掘り進んでること自体は見てたわけだしさ。 ただ、やっぱりこう、信じたり信じなかったり、あるよね。 むしろ一年かそこらですっかりと真剣になってしまった仇討ち者の青年のほうがよっぽど腹が座ってるとも言えるというか。 まあでも、だからこそリアリティがあるんだろうな、40年分の。 「盗人を飼う」、働いている女中以外、全員が彼女が盗みをやることを知っている上で女中がだんだん信頼を寄せて来る辺りこう、なんとも…。 なんで隠さないのっていう反応から女中さんには不可解なのかもしれないなぁ。   「葬式に行かぬ訳」、どう見ても上田敏氏のことなんですが(無名作家の日記にも出て来たし)、それがはっきりわかるようになっているにも関わらずS博士! 地味にこの作品を書いたことに気が咎めているわけでしょうか。 個人的には、貧乏なので金が出せませんごめんなさい、が正解だったかなと思うんですがなにもかも嫌になることはあるよなぁ、そしてその時に言い訳が欲しいのもわかる、怖いのがほぼ数年後に出してることだよバレんだろ?! ただ菊池さん、漱石さん由来の同人誌見せられると普通に触れにくいと思う。 ***5月6日めも。 菊池寛文学全集の第2巻、あと3作品です、ここにまとめてしまおう。 「我鬼」、ところでラストに芥川が出てくるのですが、なんか嫌な雰囲気になってるのはあれか、無名作家の日記のせいか。 ただわりと頻繁と彼の俳号を聞かれるシーンに居合わせてることまで書いてる気が。 前に里見のとんちゃんの日常における懺悔みたいな作品見たことあるんですが、あまりに文体が荘厳過ぎてなんか変、と思ったことがあり。 こういうばさばさした文体がやっぱり向いてると思いますが。 ぎゃーやっちまったぁぁぁぁ!! 感はわかる、正直わかる、世の善人の人たちは須らく身に覚えがあるでしょうね…、善人しかわからないんだよなこの気持ち。 「藤十郎の恋」、これも戯曲版が第1巻に収録されているんですが。 途中経過というより展開が微妙に違う感じ、というか、このモノローグ満載の内容は舞台においては再現難しいんじゃないのかなぁ。 ぶっちゃけまして不倫の恋はしてみないとわからない、というのは芸術家における典型的な言い訳みたいなものなんですが、それをやらない時点で藤十郎はまともな人なんだよね、だがしかし、不倫したほうがマシだわこれ、みたいな内容になってるんだよな。 女はこの屈辱に耐えられずに死ぬべき! みたいなところで菊池さんは拘ったらしい、菊池さん、なんでいつもそっち視点なの、なんでいつもそっち視点なの。   「ある抗議書」、作品としては大変に面白いんですが抗議書としては哲学みたいな領域にまで踏み込んでしまい(揶揄じゃなくリアル哲学)、どうなんでしょうと言われてもどうなんでしょうとなるんだけども、どうなんだ実際。 ***5月7日めも。 ところで『菊池寛文学全集』第2巻、あ、作品は全部終わりました、解説が小林秀雄さんだったんですけどね、正直菊池さんとの関係はよく知らないよなんか周辺にいる若者って感じだし、文藝春秋の社員が先輩扱いしてるし、別の出版社にいるはずではってなるのになんの説明もないし、まあ他所の社員他にもいっぱいいるけどね? いやあれ、面白いことをいくつか言っていたんですが、菊池さんの年表にも書いてあるような里見のとんちゃんとの論争があるんだわ。 まず作品の面白さと価値とは、的な論文があり、とんちゃんの反論を受けてほとんど同じ内容を再掲したと彼は語っているんですが。 要するに菊池さんは読み手視点で、一般大衆がどう受け取っていたのかという話をしていたのにとんちゃんが作家としての心構えとして返して来たみたいなの。 ただこれはわりと本質を突いた指摘であって、要するに菊池さんて人はいつもナチュラルに読み手視点だったんだよあの人は。 だって書く人の信念とかわりとどうでもいいじゃん読む分には! ただまあ、ノウハウまでに落とし込めれば進展もあるかなって意味では興味があったんだろうし、とんちゃんの議論に答えたのも多分そういうニュアンスだと思うんだよね。   んで、菊池さんがとある作品やジャンルを嫌いであっても、それを楽しんで読む人ら見る人らは馬鹿にしていなかったというのも面白い。 作家にはざくざく刺すのに公の場では言わないって多分これだよな、確かに。 あと新劇がイプセン、ハウプトマンから始めたの正気? その前段階の面白い劇へのカウンターだぞあれも良かった、いやん書ききれない。 (文或と近代もろもろ、152) #list_by_tag(文或と近代もろもろ,100,sort=pagename)
*雑記:文或と近代もろもろ、152 ***4月28日めも。 リアルタイムは6月10日、『菊池寛文学全集』の第2巻読んだのでまとめです、まあ戦後数年目の文藝春秋の出版というと「戦後処理のほとぼりが冷めたんだね」みたいなシニカルな反応になるわけですが。 (公職追放の最中だった死後直後には追悼特集すら出来なかったからな! 中でたった一人だけ平然と薄い関係の中で随筆送ってくれたのが志賀さん、社史に載ってた、翌月号にはそれを見たのか恒藤さんも送ってくれました、芥川の一高時代の親友ね。) (おかげで正気に戻れたのかその後志賀さんが特別な作家になってるけど、私も普通に感動したよ、内容かなり薄いけどあんな薄い関係でそんな危ない橋を渡ってくれるなんてプラスポイントにしかならん…。)   ええとなんだ、話がズレましたが、この巻は短編集1で23本載ってましてだいたい『真珠夫人』の前くらいまでに雑誌に載せてた小説じゃないかな。 正直詳しくないけど、この時代の「歴史小説」ってあんまり数がないみたいだし、どういうニュアンスで載ってたんだかよくわからないんだよね。 裁判ものとか犯罪小説とか、他で扱われているのを見たことがないものの、同時代の人が特に珍しいものとして扱ってないし、文壇作家たちの書いた探偵小説としてもカウントされてないから近い作品があったんじゃないかとは思うんだけどねー。 ただ中央公論の瀧田さんのところで、菊池さんの作品を見て文壇作家たちに依頼をした、みたいな文章は見たことあるんだよね、どこで見たか忘れたけど、かなり簡易な書き方だったので多分源泉は他にあると思うし引き続き捜索。 あ、探偵実話とは別物かと思います、あれゴシップ系の事件ものなので。 ***4月29日めも。 『菊池寛文学全集』の短編集1、だいたい大正8年くらいまでじゃないかな? 「身投げ救助業」、ところでこれ私、学校で読んだことがあるんですけども、先生はなにを考えて選んだの?! みたいなこと友人に言われたものの(先生が選んだ作品って思ったぽい)、なにしろ東海育ちなので教科書の可能性もまあうん。 自殺者の心理とか、誰に聞いたんだよめっちゃリアルじゃねぇか話。 オチもなんというか、なんというんだろうねこれ。 多分一番不思議なのが後味悪いって思わない部分だな、話は老婆が家の近くの自殺者の続出するスポットで大活躍するうち、だんだん楽しくなってくるみたいな内容です。 この時点で嫌な予感がするのが読み方として正しいと思う。 「三浦右衛門の最後」、いつも余計な語りがほとんどない菊池さんの作品らしからぬ、妙にびっしりと書き込まれた話なんだけども、なにが書いてあるのかというと当時の標準的な生活とか倫理観とか。 どこで掲載されていたのかわかりませんが、読者への信頼が高い雑誌だと思う。 命ぎたないの結構!! 以上の内容がない。 このみっしりした書き込みが必要かというと、必要な気はする。 さすがに上流者向けの作品だなぁ、と思わないでもない。   「悪魔の弟子」、そこまで純粋さに拘らんでもええがな話。 菊池さん本人を暗示する話がたまにありますが、どうなんだろうな、しかし若干ということだとあるような気もするんだよなぁ、多少なら皆あるよ。 友人が死ぬかもしれない時に、その特別な親友として扱われたら興奮…するよね…うん。 ***4月30日めも。 菊池寛文学全集の第2巻、そういや改めまして作品数は23です数えた。 「ゼラール中尉」、これいろいろ前後の情報を組み合わせると佐野さんて人ではないかと思うんだけどね、あれです、マント事件の人。 ぶっちゃけて菊池さんにキツく当たる人って珍しいので、彼くらいしかいないっぽいんだよね、ただこの性格、他人に悪し様に罵られるわけでもなく、付き合わないとわからん辺りがこう、他の諸条条件とも合致してるしさー。 周囲からは非常に良く見えているが、同行している時に自分の好みに全て突き合わせる、好みを通そうとすると狂人扱いされるみたいな感じの人で。 なんか気付くと友人が離れる人ってねぇ、うん…。 最期のシーン、やっぱりなんか近いことあったんだろうか、それともそれはそれで作品としてまとめるためだっていう可能性もあるよね。   「ある敵打の話」、基本的に菊池さんて自分が武士の家系のためか仇討ちを行う人視点に寄ってることが多いと思うんですけども。 その視点に寄ると一番望むことは、仇が嫌なやつであってくれ!! でしょうかね…、優しいよな菊池さん、ところが菊池作品の敵役ってもう解脱かなんかしてるみたいな枯れ切って仏みたいになった状態で出てくるんだよ…。 嫌がらせだよな、どう考えても嫌がらせだよな!? 「病人と健康者」、これはドラマチックになってるけど病人にとって健康な人間が辛いってことはあるよねってだけな話な気がする。 そういや久米さんとこには毎日通ってたらしいね菊池さん(スペイン風邪の時)。 ***5月1日めも。 菊池寛全集の第2巻、そういや『短編集』は全3巻ぽいです。 「盗みをしたN」、当人の実録ぽい雰囲気の作品とちょっとだけ似てるんだけど、ここに出てくる手記って正直なんか元になったものがあるんじゃないのかなぁ…。 どう考えても真面目な人物なのに他人の目の前で盗むってなんなんだよ?! という疑問点からしてちょっと独特だよなー、と思わないでもないんですが、そういや隠す気のない盗癖って佐野さん(マント事件の人)のところでも語られてたな。 「恩を返す話」、恩を返したくて追い回す男と恩を売ったと思いたくなくてなんとなく逃げ回ってる男の話なんですが。 生涯掛けないで適当な時点で飲みにでも行け!!! なんかこれも元になった話とかあるのかもね、そしてそれは解決したんじゃろ。 あ、これも時代小説です、大正6年くらいからちまちま書いてるみたい。   「死者を嗤う」、これはさすがに当人か他の人かわからないながらなにか元があったんでしょうね…いや、見た目を細かく書き込んでいるから実際に見たのかもしれないなぁ。 (ちまちま示されているけど、菊池さんの記憶力はあまり重要ではない部分に関しても発揮されるのが強みみたいなところがあるしねー。) なかなか水死体が上がらない、だが、それを周囲が楽しんでいる、そもそも自分だってその場にいる、何度も引き上げようとして何度も沈む間に、映画において行われていたような面白いシーンを思い出すし、周囲も爆笑している。 だが、引き上げられた途端、周囲もその好奇心を満たしたのか恥じたのか散会する。 それだけのことなのに人間社会を切ったみたいな作品なんだよなぁ。 ***5月2日めも。 菊池寛文学全集の第2巻収録作品、現在9作品まで終わり。 「大島が出来る話」、この短編に関しては確か菊池さんが成瀬くんとこのお母さんの思い出として書いた的なことを言っているのでほとんど信じていいんじゃないのかな。 ところで松岡さん(新思潮第4次)の本読んでたら家を出ようとしたら友人を紹介しないと家を出さないと言われて松岡さんがこの成瀬家に行ってるんですが、夜になるとメイドたちがたんまり食事を運んできたとか、菊池さんが奥さん連れて来ないんですよぉぉ! と松岡さんに泣きついてたりとか。 なんかそれを念頭に置くとイメージ変わる感じですかね。 貧しいお家なのに時事新報に勤める頃にはぷっくぷくに膨らんでたのはそのせいか…。 ぶっちゃけ、溺愛されていたのだろうとしか読めなかったのですが、この作品に、その辺を全く書き込んでおらず夫人の高潔さばっかり語ってる辺りがいかにも菊池節。 おうおうあと、やたらといろんなもの貰ってんのに成瀬夫人以外に感謝しないってどういう了見だよ、とかもいい感じですね。 この夫人くらいに周囲全部に恩恵を施す人でないと認めない、と。 場外乱闘がやかましくなっております、いい話だと思います、素直に読めない。   「若杉裁判長」、3作品ずつ詰め込んでいたんですが、次がちょっと長い予定なのでここを2作品にするんですが、この作品はなんとなくモデルが複数いるのかなー、という気もしないでもないですね。 若杉裁判長を揶揄してるというわけでもないのが特徴的。 犯罪被害者になると加害者への物の見方は変わるよなぁ、的なお話。 ***5月3日めも。 菊池寛文学全集の第2巻の収録作品、えーと、あと残り11作品? 「無名作家の日記」、正直比較的早くから作品名は聞いていたもののなんだかんだと読むのを先延ばしにしていまして、おかげで読んだ時点で菊池さんとか芥川がモデルだと思える余地がなかったんだよね、いやだってこれ、確かに全部似たような設定で実際に起こったことではあるんですけども。 芥川と菊池さんが学生時代に交流もなかったとか(菊池さんに高圧的なのは佐野さんぽいのよね、芥川とか佐野さんが学校から追い出された時に親友の恒藤さんに喜びの手紙送ってた、多分、菊池さんサイドの級友が多かったせいだろうね)。 芥川が小説で漱石さんに認められたのは菊池さんが『新思潮』に参加したよりずっとあととかまあ全体的にそういう感じですね、あ、出来事は確かに似てます、順番が全くっていうかほぼ狂ってるので因果関係が全く違うんだよな…。 そもそも新思潮に参加したあとに創作を始めたので、同人誌に自分を呼ばないなんて! みたいな案件すらないみたいなんだよね。 書いたら書けたみたいな話を時々してるのでそこ見てると特に創作を書くような青年ではなかったことは語ってますよ。 じゃあこの作品がなにかというと、設定の改変しすぎなので友人たちにはフィクションってわかるようにしたのかもなー、と、仕事仲間の人らはちょくちょく心配していたみたいですね、なんで悪役を芥川に振ったんだろうね?   「敵の葬式」、そんなに深く考えなくてもいいよそんなに。 つか、欧州ものなのになんか妙に武士の世界と変わらんよな菊池さんの話。 ***5月4日めも。 菊池寛文学全集の第2巻、あれどっかで4作品書いてたぽい。 「忠直卿行状記」、確かにこういう心理あるよなと思うものの、ぶっちゃけるとここまで完璧に自己分析出来てたらなんかしらの機会に正気に返っただろ?! と考えてしまうので減点。 菊池作品にはたまにあるけど、理屈は完璧なんだけど理知的すぎてなんか変パターン。 抑圧を受けている側としての心理としては完璧なんだけども。 しかして、自分がなにもかも優れていると思い込んだまま成長した時に、手を抜きやすくなった、と笑い話を聞いてしまった時の心情とその直後の狂乱までは完璧でしたかと…、そこで心情描写を終えておいたほうが良かったかもね…。   「父の模型」、前後時代の作家たちが描く夫婦像の中で主要な問題点がまずない辺りで雰囲気は似ていても別物だなとしみじみ。 奥さんは旦那を支援出来るほどの実家金持ち、旦那も負けずと数年で稼ぐようになってった、浮気なんて疑うほど男女出入りがお互いになく、娘さんが生まれると不細工さのどことどこがミックスされるか怯えるという。 赤ん坊が可愛く思えないなんてのもこの時代は仕方ないものがあるしなぁ。 隣の家の娘さんの描き方がシニカルではあったものの、やっぱり、どうにも間違っているとは言い切れない、責任持てないとまできちんと考える夫婦なんだよなぁ。 「青木の出京」、マント事件の人だとこの作品の場合には明言されているようなんですが(まだ見てない、実は久米さんもこの再会の時に一緒にいたらしくて触れてた)、ぶっちゃけ庇い損てやつな気もする、隠せよせめて!? くらいしか感想が…。 ***5月5日めも。 菊池寛文学全集の第2巻、あと6作品か、んー、どうしよ。 「恩讐の彼方に」、第1巻のほうで戯曲版も収録されていたんですが、主な改変ポイントはお坊さんの掘り進む脇で引いては返す村人たちのシーンかもなー、てか、正直なところこれは両方のバージョンを知ってるほうがいい作品かもなぁ。 村人たちが彼のなにを信じていなかったかというと、途中で諦めるだろうってことだろうと思うんだよね、ぶっちゃけ、掘り進んでること自体は見てたわけだしさ。 ただ、やっぱりこう、信じたり信じなかったり、あるよね。 むしろ一年かそこらですっかりと真剣になってしまった仇討ち者の青年のほうがよっぽど腹が座ってるとも言えるというか。 まあでも、だからこそリアリティがあるんだろうな、40年分の。 「盗人を飼う」、働いている女中以外、全員が彼女が盗みをやることを知っている上で女中がだんだん信頼を寄せて来る辺りこう、なんとも…。 なんで隠さないのっていう反応から女中さんには不可解なのかもしれないなぁ。   「葬式に行かぬ訳」、どう見ても上田敏氏のことなんですが(無名作家の日記にも出て来たし)、それがはっきりわかるようになっているにも関わらずS博士! 地味にこの作品を書いたことに気が咎めているわけでしょうか。 個人的には、貧乏なので金が出せませんごめんなさい、が正解だったかなと思うんですがなにもかも嫌になることはあるよなぁ、そしてその時に言い訳が欲しいのもわかる、怖いのがほぼ数年後に出してることだよバレんだろ?! ただ菊池さん、漱石さん由来の同人誌見せられると普通に触れにくいと思う。 ***5月6日めも。 菊池寛文学全集の第2巻、あと3作品です、ここにまとめてしまおう。 「我鬼」、ところでラストに芥川が出てくるのですが、なんか嫌な雰囲気になってるのはあれか、無名作家の日記のせいか。 ただわりと頻繁と彼の俳号を聞かれるシーンに居合わせてることまで書いてる気が。 前に里見のとんちゃんの日常における懺悔みたいな作品見たことあるんですが、あまりに文体が荘厳過ぎてなんか変、と思ったことがあり。 こういうばさばさした文体がやっぱり向いてると思いますが。 ぎゃーやっちまったぁぁぁぁ!! 感はわかる、正直わかる、世の善人の人たちは須らく身に覚えがあるでしょうね…、善人しかわからないんだよなこの気持ち。 「藤十郎の恋」、これも戯曲版が第1巻に収録されているんですが。 途中経過というより展開が微妙に違う感じ、というか、このモノローグ満載の内容は舞台においては再現難しいんじゃないのかなぁ。 ぶっちゃけまして不倫の恋はしてみないとわからない、というのは芸術家における典型的な言い訳みたいなものなんですが、それをやらない時点で藤十郎はまともな人なんだよね、だがしかし、不倫したほうがマシだわこれ、みたいな内容になってるんだよな。 女はこの屈辱に耐えられずに死ぬべき! みたいなところで菊池さんは拘ったらしい、菊池さん、なんでいつもそっち視点なの、なんでいつもそっち視点なの。   「ある抗議書」、作品としては大変に面白いんですが抗議書としては哲学みたいな領域にまで踏み込んでしまい(揶揄じゃなくリアル哲学)、どうなんでしょうと言われてもどうなんでしょうとなるんだけども、どうなんだ実際。 ***5月7日めも。 ところで『菊池寛文学全集』第2巻、あ、作品は全部終わりました、解説が小林秀雄さんだったんですけどね、正直菊池さんとの関係はよく知らないよなんか周辺にいる若者って感じだし、文藝春秋の社員が先輩扱いしてるし、別の出版社にいるはずではってなるのになんの説明もないし、まあ他所の社員他にもいっぱいいるけどね? いやあれ、面白いことをいくつか言っていたんですが、菊池さんの年表にも書いてあるような里見のとんちゃんとの論争があるんだわ。 まず作品の面白さと価値とは、的な論文があり、とんちゃんの反論を受けてほとんど同じ内容を再掲したと彼は語っているんですが。 要するに菊池さんは読み手視点で、一般大衆がどう受け取っていたのかという話をしていたのにとんちゃんが作家としての心構えとして返して来たみたいなの。 ただこれはわりと本質を突いた指摘であって、要するに菊池さんて人はいつもナチュラルに読み手視点だったんだよあの人は。 だって書く人の信念とかわりとどうでもいいじゃん読む分には! ただまあ、ノウハウまでに落とし込めれば進展もあるかなって意味では興味があったんだろうし、とんちゃんの議論に答えたのも多分そういうニュアンスだと思うんだよね。   んで、菊池さんがとある作品やジャンルを嫌いであっても、それを楽しんで読む人ら見る人らは馬鹿にしていなかったというのも面白い。 作家にはざくざく刺すのに公の場では言わないって多分これだよな、確かに。 あと新劇がイプセン、ハウプトマンから始めたの正気? その前段階の面白い劇へのカウンターだぞあれも良かった、いやん書ききれない。 (文或と近代もろもろ、152) #list_by_tag(文或と近代もろもろ,100,sort=pagename)

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