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*雑記:文或と近代もろもろ、155 ***5月28日めも。 リアルタイムは10月6日です、だいぶすっぱりと時間が空いたね、『文豪とアルケミスト』のキャラ言及、2019年度版です、ええとあれ【坂口安吾】。 文学関係を調べ始めた頃は評価が高かったんですよ。 なんでもかんでもちゃんと記録を残してくれてるなー、と。 全然知らないことに関してもべらべらと事情を付け加えてくれてることに気付いてから「高い」評価ではなくなっています、ただね、よくよく読んだら最初から実際に知ってるわけではないってことを断ってるんだよね彼…!! 証言者として尊重されてるのがあかんってだけだよな、正直あと、同時代の噂って意味では価値もあるんだろうしね、だが罠かこれは、となったところまでは仕方ないよね。 まああれ、噂だけでも残ってるとありがたいとか普通にあるからな(他の資料を探す時のヒントになるので、無名の関係者は書き変わらないとか探し方があるんだ)。   で、ざっくり、現時点で戦後派としてカウントされるまでの安吾氏の経歴はよくわかりません、『文藝春秋』で書いてるらしいとかデータでなんとか探せるとかそんな感じなんですが、さすがに「菊富士ホテル」に出入りしてるので文士としてのデビュー時期のほうが間違ってる可能性もないのよね。 菊富士ホテルってのは初期の文士村みたいな場所なので。 なんというかすでに名の知れた人たちもいるんだよ、文士が稼げるようになるのは菊池さんの活躍以降なので(著名人なので長期滞在が安くして貰えるとかそういう特例のあるホテルだったみたい、多分一種のプチパトロン)、ある意味で過渡期の人だろうなとは察しも付くんだけどねー、まあ今後の課題かにゃ、この時期。 ***5月29日めも。 文アルのキャラ言及2019年版、無頼派の年齢順で【太宰治】、ところでこの無頼派ってのはあくまでも出版社の事情によって付けられたアイコンのようなものであるらしく、同じく無頼派とカウントされていた評論家さんが「それはそれで商業事情だから構わないが、評論に使うとは筋違いだ」みたいなことを言ってまして、文藝春秋の次期社長が「でも一定の共通点はあるように思うんだよね」って返してたんですけどね。 なんかしらの共通点があるっちゃああるよね。 端的に言うと自然主義と同じくらいの共通点はあるんじゃないかな、時期とか。 明治末も特別だけど、戦後も文化的な意味で特別だからなぁ…。 新時代に呼応した中から目立つ作家を選んだらそりゃ似てても不思議はないよね。   とりあえずあれ、太宰は戦後の高額納税者ランキングに入っているので、まあまあ、純文学作家としては珍しいっていうか、確かあと谷崎しかいないんじゃなかったっけか、とはいえ、通俗作家で純文学書いたこともないって人もそんなにいないけど。 (そもそも純文学作家でも純文学書いてないけど、通俗作家ってどっちかというと誉め言葉って思ってるよ、通俗小説書いても売れないとそう呼ばれないしなー。) ぶっちゃけ、太宰なんかは一旦ブームに近いような時代を経て、だいぶ研究としては落ち着いてるんじゃないかな? ただ、戦後派作家たちの扱いがちゃんと定まっているかというと微妙なところはあるかもなぁ。 最近たまに見る、誰にも認められなかった無頼派たちってイメージとかさぁ、安吾とか芥川賞の選考者、全員出版社との関係みちみち、天下取るぞの勢いよ?! あ、そういう意味では天下は取れなかったけども、可哀想…かしら、失礼じゃないかなぁ…。 ***5月30日めも。 文アルのキャラ言及の2019年版、えーと、32人目の【織田作之助】です、戦後のデビューでいいんだっけ? とりあえず『文藝春秋』の社史に彼の短編の載った記憶とか書いてあるの覚えてるんだけど…。 いや待て、芥川賞のどっかで選考に入ってたね確か。 なんかこの辺が曖昧なので毎回思い返してるような気もするな、そもそも無頼派全体がいまいち記録にない時代ってのもあるかもねー。 具体的に言うとあれ「文学史」っていう体裁なのに同人誌のことしか語られないみたいなやつ、単純に通俗小説と時代小説と探偵小説を省きたいってだけなんだと思うんですが、もののついでに商業雑誌に載ってる純文学作品まで諸共に葬り去ってるみたいで…。 なんでそんなことになったんだか今の私にはまだ妄想寄りの推測しか出来ない…。 例えば総合誌である『改造』の掲載数のトップとナンバー2が利一くんと川端なんですけどね、利一くんが「業界から消えた」って認識してる人がいらっしゃるレベルなので…、オダサクの憧れの人とか利一くんみたいなんだけど(記録読んでると全集とか眺めてるし思いっ切り触れてる)、志賀さんと会話を交わしたことがある、てことのほうが重要な人が多いんだろうな…。 志賀さんはわりといつものように新人さん御用達みたいな雑誌におられるみたいです、なんでいつもそういう雑誌にいるのか、菊池さんの出世作直前からずっとだあの人。   まあいろいろ脱線したけど、ことほど左様に混乱しまくった認識をされている時代に登場した作家のことがまともに把握出来るわけがないみたいなニュアンスが伝わると幸いです、というかたまには情報入るけど信用出来ないんだよなんか…。 ***5月31日めも。 文アルのキャラ言及2019年、【横光利一】くん、ところで前に戦犯呼ばわりされてたんですけどね(かなり揉めたやつ、三好くんと菊池さんと一緒のやつ)、あれ、長いこと曖昧にしか触れないようにしていたんですが、よくよく改めて考えてみて「非常に強く非難されていた」という事実はあったように思うんですよね。 で、なんでかと冷静に考えてみると戦時組織において幹部クラスだったのって利一くんと三好くんくらいしかいないんですよね、若手というか現役作家の中では…。 つまり、「俺が権力を奪うんだ!」という信念を抱いた方にとっては利一くんを責める以外の選択肢はなかったということになるんだよね、多分だけど。 まあそういう意味ではがっつり発表しまくってる菊池さんも責められててもいいんだけど、いや彼の場合、作家で直接国から話をされてたのが菊池さんくらいしかいないので(あとは出版社の人たちが話をしてた)、まあうん、さすがに責任を取るのも仕方ないだろうし非難もあるだろう。   ただ、その「非難の声の大きさ」をそのまま戦犯だから! という解釈をしたのは普通に人としてあかんと思うよ、私の推測も証拠はないけども、年上の戦時組織の人らが他にもたっぷりいて、ちまちま公職追放という措置をされていたことを聞いても「特別な戦争責任がある」と認識すべきではないということだけは通じると思うんだよね…。 まあ、指名されたけど出てこれなかったのが露伴先生で、自然主義から2人とか白樺から数人とか、昭和20年が終戦なんですよ、なんで明治時代の作家がこんなに多いの?! とかいろんな疑問を感じ取って欲しい出来れば。 なんか無頼派と続けて変な内容になったけどまあいいか! ***6月1日めも。 文アルのキャラ言及2019年版、【川端康成】なんですが、とりあえず戦後の編集さんの本を読んでいたら(いやなんかの新聞連載橋渡し会社の社長だっけ、まあ似たようなもんだ)、ぎゃー! 川端康成ー!! みたいな扱いを受けていたのが忘れられないところがあります、文藝春秋から読んでると戦後もわりと普通の人なんだけどな。 あとなんかで話をしていたら国際親善に参加してきましたみたいなことをわりと普通のこととして語っていたりとか、一言で言うと「他に並ぶ作家が全くいない」状態みたいなんだよね…、普通の地位って感じじゃない。 もっと年上の作家も残っているにはいるんですけども、良いとか悪いとかじゃなくて公の場に出てこないんだよね、純文学作家たち。 菊池さんが文壇のトップグループに入った時もまあそんな感じ、ぎりぎり白鳥さんだけは出てきてくれてるんだけど(鏡花もいたよ)、菊池さんがいろいろな業界事案に対応するようになると押し付けていった…というか。 菊池さんが業界トップ扱いなのも、それなりの部分がちゃんと働くからっていう気もしないでもないんだよな、まあ、実務はいくらでもいる身内に投げてるけどさ、なんだかんだと最後まで完遂されるからね…(記念碑作ったり文士ビル作ったりペンクラブの海外本部を迎えてたり)。   その系の働く作家って意味だと、他の面子が戦争で壊滅してしまった…のではないかと、白鳥さんもさすがにお歳だしな…(でもインタビューとか出てくれるよ、白鳥さんの次が安吾とか見ると年齢わかる人には間の世代の抜けっぷりが伝わると思う)。 いろんな意味で寂しかったろう、なぁとはしみじみ(自殺する前傍目にやばめ…)。 ***6月2日めも。 文アルのキャラ言及、2019年、【直木三十五】なんですけども、えーと、来たのいつだっけなんかもう記憶が曖昧だけど、確か前にこれを書いた時点ではまだお迎え出来てなかったような記憶は薄っすらある! ところでなんかゲームに来る前には「ファシズム作家」みたいなことがやたらと語られてたんだけども(ていうかファッショと借金の話しかなかった感じ)、今となるとすっかり優先順位が低い…借金に関してはまあ低くないか。 ただ直木さんの借金って事業のものっぽいからなぁ。 若干生活が贅沢ってのもあるみたいだけど、正直想像してたほどでもなかったというか、そもそも「最初のパトロン」が女遊びを教えてたのね…、えーと、これがプラトン社の時代なので売れるまでにそこまで何年も掛かってないし、編集の仕事はかなり出来る人のようなのでやっぱりメインは事業資金ぽいなぁ…。 菊池さんに共同名義で自動車を買わせたみたいですが、いやうん、あの、直木さんの家に菊池さんの仕事場があったみたいだからいいんじゃないのかな…。 そもそも菊池、直木、文藝春秋の3分割で権利があって文藝春秋が家賃払ってたっていう、関係からして複雑っぽいので即座に判断するものでもなさそうかなー、と。   で、その事業に関しては、こう、なんだろう、お堅い。 高踏趣味ってやつではないかと思うんですが、例えば鴎外さんのそれに通じるようななんか学術寄りの域というか、映画なんかもどうも日本には早いのではないかという段階に進んでるとしか…(画像の構図に拘ってる感じ、映画ってまだほとんどが舞台をそのまま撮ったみたいな時代だよマジで)、その辺ちゃんと把握されてるかな…無理かな。 ***6月3日めも。 文アルのキャラ言及、2019年、【吉川英治】さん、あれだ、このページに関しては大衆文学と「純文学」というものの定義の曖昧さみたいなことを語ろうと思って人物を選んでいたつもりだったんですけどね、なんか先に無頼派にしたのがあかんかったのかなぁ、わりとなんか「純文学じゃない」っていう境界線の作家揃いっていうか、そもそもそこに階級があるのかないのか最近わからなくなってきてるんだよね。 いや、昔吉川さんの本で読んでたんだけど、大衆作家さん(吉川さんの場合は時代作家さんね)との付き合いがないような、純文学作家と付き合ってるようなんですけど、という感じに語られてたんですけどね。 残念ながら志賀さん以外の作家さんは多分文藝春秋の飲み会で出会ってた感じでした、志賀さんはさすがに違うような気もするけど(というか志賀さんと吉川さんの接点ってどこなんだろうね、なんか家訪ねてたのは何度か読んでる)。   が、時代作家と付き合ってない、時代作家同士が結構ぺったり寄り添ってるってのはイメージじゃなくて実情っぽいんだよね、大衆文学史で読んでても事情がいまいち途切れずに何人かに跨って出てくる感じだし。 んで多分、純文学作家とは住居地から違う感じなんじゃないかなー。 あと、家のサイズがどうも違うみたいな気もしないでもない…。 ちょっと評判のいい作品が書けたからって頑張って家建ててしまったの! とか可愛く言ってんじゃねぇっていう気持ちにさせられたものです(口調はこうではないけど物言いが可愛かった、家っておま)、時代作家の扱いって純文学サイドから見ないとどんなもんなんだろうね、軽く扱われてるらしき様子はない気がするんだけども…。 ***6月4日めも。 文アルのキャラ言及の2019年版、【中里介山】さん、あれですねー、この人は確かちょっと有名な(「大衆小説」って言葉の出所が不明なんだよね、でも編集さんレベルだと誰それの宣伝文句だよー、という話が残ってるみたいなのでそのうち見付かるかな…、次見たら記録します…)、自分は大衆作家ではないっていう随筆があるらしいんだけども、まあ、この人の場合はジャンルよりもはるかに昔から書いてるし、ちょっと見ただけでも講談とは別物っぽいよね。 (講談ってのはあれ、歴史もの題材でべらんめぇ口調みたいな感じで語るやつ。) ただあらすじ読んだ限りでは時代ものの通俗小説の構造をしてるように見えるし、そういう意味では円朝さんなんかの作品とは受け取られ方は大差なかったんじゃないかな…(落語家さんなんだけどなんでか講談筆記扱いされてる、文字で読めるし長編も書いてて新聞で連載してる、あれです、四迷さんと山田美妙さんの「言文一致」のもとになったって人)、珍しいかったどうかは同時代評価を見ないとなんともなぁ。   が、まあうん、新講談からちょっと進歩したかどうかの時期に一緒にしないでくれ、自分の作品のほうが高級だ、と言うのはもう別に…もとになった講談がシンプルだからな…(これは当てずっぽうだけじゃなく口頭で語られる庶民向けがそんなややこしい内容だとそもそも無理があるんだよね…紙芝居みたいなもんだったんじゃないかな)。 しかし吉川さんだとか直木さんみたいな資料を多用した体裁の歴史小説に対してそういう物言いをしたかったのかどうかも、やっぱり当人に聞かないとわからないよね…。 ところでこの人、硬派記者さんなんですね、平民社との関係も出て来たりとか、作家との付き合いとかあるのかね…春秋社くらいしか付き合いなさそう。 ***6月5日めも。 文アルのキャラ言及、2019年っていちいちいらないよね(なんか略しにくくて)、えーとあれ、夢野久作さん、ところで『ドグラ・マグラ』のせいなのか私の若い頃にはサブカル御用達の作家さんだったんですけどね。 あれだ澁澤龍彦とかあんな感じの辺りと同列…、民俗学の誰それとか何々説とかそういうのもあったなぁ。 ゲームに出てきまして、あー、全然時代違うっぽいわー、とサブカルの自由さに思いを馳せていたんですが、しかし文学ジャンルと違って妙な付属の評価とか付いて来ずにただただ作品とせいぜいそれに付随するイメージだけ取り上げるのって悪くもないよな…。 で、彼がたまに政治の本に出てくるフィクサーの息子だということとか、実は乱歩さんより年上なんだよねー、みたいなことはお聞きしたものの、どうもジャンルごとの印象がいまいち散乱していてわかりづらいというか、えーと、だから『新青年』がなんの後身だっけもう一つの博文館の雑誌までそれに引き摺られてたとかそんな話で…。 そもそもその当時の探偵小説に関しては海外の翻訳ものしか載せていなかったとか、翻訳の探偵小説も大正中期くらいに復活したものって言われてたり、いや、かつてあった探偵小説は翻案だよあれとか、全部載ってた本がばらけてるんですよね…。 西鶴の裁判小説がどうのって話もあったよなぁ。   なーんか日本の探偵小説って黒岩涙香、んで乱歩ってかっ飛んであとはそこからしか語らないみたいなことになってるんですけども、夢野さんて微妙に冒険もの(涙香)に近いような異常精神(乱歩)に近いようなみたいな曖昧な立ち位置だよね。 まあ単独で評価されるのもわからんでもないかな、当人にとってどうかは知らんけど。 ***6月6日めも。 文アルのキャラ言及2019年、【江戸川乱歩】でこれで39人分ですね。 ところで日本の探偵小説って「売れた」のははっきり涙香さんからなんですけどね、あの人どうも政治目的の書き手さんらしく、同じシリーズを同じ政党で別の新聞社の皆と別け合って、とかやってるのでさっぱり商売意識というものがなく。 それ以前の探偵小説というのはどうも事件記事の合間から自然発生したのかあんまりちゃんと追えないらしく…。 なにが言いたいかというと乱歩さんが読んだ本の範囲が狭いんじゃなかろうか…みたいなことなんですが、だって裁判小説とか知ってたら「現実と探偵小説を絡めるなんて良識に欠ける」的なこと言わないよね?! となるんだよね…。 いや、探偵小説の本の1冊で菊池さんの裁判小説が紹介されてまして、青年たちには結構な話題だったと読んでいたのでひぃ、とあとで気まずくなかったかしらね…。 (いや探偵実話のことだと思うけどね、デマの温床なんだよあれ…。)   で、日本の探偵小説は政治集客目的の人たちが先にいるだけでそのあとは翻訳すら途絶え、まあホームズ物のような読みやすい作品が現れたために需要が出来たものの、日本人作家の作品は乱歩さんが切り開いたって言ってもいいらしく。 ちょっとコミュニティが閉塞的になっちゃったんじゃないのかなぁ、と傍目には心配なんだよね、上の本でも出てきていた冒険実録系の話が他の探偵小説の本でさっぱり出てこない辺りとかなんというか…。 涙香さんが政党寄りとか新聞経営してたんだよんとかそういう話もされてないし、前の世代の人すらも乱歩さん寄りの見方してないかなぁ、と、ううん…。 (文或と近代もろもろ、155) #list_by_tag(文或と近代もろもろ,100,sort=pagename)
*雑記:文或と近代もろもろ、155 ***5月28日めも。 リアルタイムは10月6日です、だいぶすっぱりと時間が空いたね、『文豪とアルケミスト』のキャラ言及、2019年度版です、ええとあれ【坂口安吾】。 文学関係を調べ始めた頃は評価が高かったんですよ。 なんでもかんでもちゃんと記録を残してくれてるなー、と。 全然知らないことに関してもべらべらと事情を付け加えてくれてることに気付いてから「高い」評価ではなくなっています、ただね、よくよく読んだら最初から実際に知ってるわけではないってことを断ってるんだよね彼…!! 証言者として尊重されてるのがあかんってだけだよな、正直あと、同時代の噂って意味では価値もあるんだろうしね、だが罠かこれは、となったところまでは仕方ないよね。 まああれ、噂だけでも残ってるとありがたいとか普通にあるからな(他の資料を探す時のヒントになるので、無名の関係者は書き変わらないとか探し方があるんだ)。   で、ざっくり、現時点で戦後派としてカウントされるまでの安吾氏の経歴はよくわかりません、『文藝春秋』で書いてるらしいとかデータでなんとか探せるとかそんな感じなんですが、さすがに「菊富士ホテル」に出入りしてるので文士としてのデビュー時期のほうが間違ってる可能性もないのよね。 菊富士ホテルってのは初期の文士村みたいな場所なので。 なんというかすでに名の知れた人たちもいるんだよ、文士が稼げるようになるのは菊池さんの活躍以降なので(著名人なので長期滞在が安くして貰えるとかそういう特例のあるホテルだったみたい、多分一種のプチパトロン)、ある意味で過渡期の人だろうなとは察しも付くんだけどねー、まあ今後の課題かにゃ、この時期。 ***5月29日めも。 文アルのキャラ言及2019年版、無頼派の年齢順で【太宰治】、ところでこの無頼派ってのはあくまでも出版社の事情によって付けられたアイコンのようなものであるらしく、同じく無頼派とカウントされていた評論家さんが「それはそれで商業事情だから構わないが、評論に使うとは筋違いだ」みたいなことを言ってまして、文藝春秋の次期社長が「でも一定の共通点はあるように思うんだよね」って返してたんですけどね。 なんかしらの共通点があるっちゃああるよね。 端的に言うと自然主義と同じくらいの共通点はあるんじゃないかな、時期とか。 明治末も特別だけど、戦後も文化的な意味で特別だからなぁ…。 新時代に呼応した中から目立つ作家を選んだらそりゃ似てても不思議はないよね。   とりあえずあれ、太宰は戦後の高額納税者ランキングに入っているので、まあまあ、純文学作家としては珍しいっていうか、確かあと谷崎しかいないんじゃなかったっけか、とはいえ、通俗作家で純文学書いたこともないって人もそんなにいないけど。 (そもそも純文学作家でも純文学書いてないけど、通俗作家ってどっちかというと誉め言葉って思ってるよ、通俗小説書いても売れないとそう呼ばれないしなー。) ぶっちゃけ、太宰なんかは一旦ブームに近いような時代を経て、だいぶ研究としては落ち着いてるんじゃないかな? ただ、戦後派作家たちの扱いがちゃんと定まっているかというと微妙なところはあるかもなぁ。 最近たまに見る、誰にも認められなかった無頼派たちってイメージとかさぁ、安吾とか芥川賞の選考者、全員出版社との関係みちみち、天下取るぞの勢いよ?! あ、そういう意味では天下は取れなかったけども、可哀想…かしら、失礼じゃないかなぁ…。 ***5月30日めも。 文アルのキャラ言及の2019年版、えーと、32人目の【織田作之助】です、戦後のデビューでいいんだっけ? とりあえず『文藝春秋』の社史に彼の短編の載った記憶とか書いてあるの覚えてるんだけど…。 いや待て、芥川賞のどっかで選考に入ってたね確か。 なんかこの辺が曖昧なので毎回思い返してるような気もするな、そもそも無頼派全体がいまいち記録にない時代ってのもあるかもねー。 具体的に言うとあれ「文学史」っていう体裁なのに同人誌のことしか語られないみたいなやつ、単純に通俗小説と時代小説と探偵小説を省きたいってだけなんだと思うんですが、もののついでに商業雑誌に載ってる純文学作品まで諸共に葬り去ってるみたいで…。 なんでそんなことになったんだか今の私にはまだ妄想寄りの推測しか出来ない…。 例えば総合誌である『改造』の掲載数のトップとナンバー2が利一くんと川端なんですけどね、利一くんが「業界から消えた」って認識してる人がいらっしゃるレベルなので…、オダサクの憧れの人とか利一くんみたいなんだけど(記録読んでると全集とか眺めてるし思いっ切り触れてる)、志賀さんと会話を交わしたことがある、てことのほうが重要な人が多いんだろうな…。 志賀さんはわりといつものように新人さん御用達みたいな雑誌におられるみたいです、なんでいつもそういう雑誌にいるのか、菊池さんの出世作直前からずっとだあの人。   まあいろいろ脱線したけど、ことほど左様に混乱しまくった認識をされている時代に登場した作家のことがまともに把握出来るわけがないみたいなニュアンスが伝わると幸いです、というかたまには情報入るけど信用出来ないんだよなんか…。 ***5月31日めも。 文アルのキャラ言及2019年、【横光利一】くん、ところで前に戦犯呼ばわりされてたんですけどね(かなり揉めたやつ、三好くんと菊池さんと一緒のやつ)、あれ、長いこと曖昧にしか触れないようにしていたんですが、よくよく改めて考えてみて「非常に強く非難されていた」という事実はあったように思うんですよね。 で、なんでかと冷静に考えてみると戦時組織において幹部クラスだったのって利一くんと三好くんくらいしかいないんですよね、若手というか現役作家の中では…。 つまり、「俺が権力を奪うんだ!」という信念を抱いた方にとっては利一くんを責める以外の選択肢はなかったということになるんだよね、多分だけど。 まあそういう意味ではがっつり発表しまくってる菊池さんも責められててもいいんだけど、いや彼の場合、作家で直接国から話をされてたのが菊池さんくらいしかいないので(あとは出版社の人たちが話をしてた)、まあうん、さすがに責任を取るのも仕方ないだろうし非難もあるだろう。   ただ、その「非難の声の大きさ」をそのまま戦犯だから! という解釈をしたのは普通に駄目じゃないかな…、私の推測も証拠はないけども、年上の戦時組織の人らが他にもたっぷりいて、ちまちま公職追放という措置をされていたことまでは調べるとわかるしね、「戦時組織では特別な地位ではなかった」とは通じると思うんだ…。 まあ、指名されたけど出てこれなかったのが露伴先生で、自然主義から2人とか白樺から数人とか、昭和20年が終戦なんですよ、なんで明治時代の作家がこんなに多いの?! とかいろんな疑問を感じ取って欲しい出来れば。 なんか無頼派と続けて変な内容になったけどまあいいか! ***6月1日めも。 文アルのキャラ言及2019年版、【川端康成】なんですが、とりあえず戦後の編集さんの本を読んでいたら(いやなんかの新聞連載橋渡し会社の社長だっけ、まあ似たようなもんだ)、ぎゃー! 川端康成ー!! みたいな扱いを受けていたのが忘れられないところがあります、文藝春秋から読んでると戦後もわりと普通の人なんだけどな。 あとなんかで話をしていたら国際親善に参加してきましたみたいなことをわりと普通のこととして語っていたりとか、一言で言うと「他に並ぶ作家が全くいない」状態みたいなんだよね…、普通の地位って感じじゃない。 もっと年上の作家も残っているにはいるんですけども、良いとか悪いとかじゃなくて公の場に出てこないんだよね、純文学作家たち。 菊池さんが文壇のトップグループに入った時もまあそんな感じ、ぎりぎり白鳥さんだけは出てきてくれてるんだけど(鏡花もいたよ)、菊池さんがいろいろな業界事案に対応するようになると押し付けていった…というか。 菊池さんが業界トップ扱いなのも、それなりの部分がちゃんと働くからっていう気もしないでもないんだよな、まあ、実務はいくらでもいる身内に投げてるけどさ、なんだかんだと最後まで完遂されるからね…(記念碑作ったり文士ビル作ったりペンクラブの海外本部を迎えてたり)。   その系の働く作家って意味だと、他の面子が戦争で壊滅してしまった…のではないかと、白鳥さんもさすがにお歳だしな…(でもインタビューとか出てくれるよ、白鳥さんの次が安吾とか見ると年齢わかる人には間の世代の抜けっぷりが伝わると思う)。 いろんな意味で寂しかったろう、なぁとはしみじみ(自殺する前傍目にやばめ…)。 ***6月2日めも。 文アルのキャラ言及、2019年、【直木三十五】なんですけども、えーと、来たのいつだっけなんかもう記憶が曖昧だけど、確か前にこれを書いた時点ではまだお迎え出来てなかったような記憶は薄っすらある! ところでなんかゲームに来る前には「ファシズム作家」みたいなことがやたらと語られてたんだけども(ていうかファッショと借金の話しかなかった感じ)、今となるとすっかり優先順位が低い…借金に関してはまあ低くないか。 ただ直木さんの借金って事業のものっぽいからなぁ。 若干生活が贅沢ってのもあるみたいだけど、正直想像してたほどでもなかったというか、そもそも「最初のパトロン」が女遊びを教えてたのね…、えーと、これがプラトン社の時代なので売れるまでにそこまで何年も掛かってないし、編集の仕事はかなり出来る人のようなのでやっぱりメインは事業資金ぽいなぁ…。 菊池さんに共同名義で自動車を買わせたみたいですが、いやうん、あの、直木さんの家に菊池さんの仕事場があったみたいだからいいんじゃないのかな…。 そもそも菊池、直木、文藝春秋の3分割で権利があって文藝春秋が家賃払ってたっていう、関係からして複雑っぽいので即座に判断するものでもなさそうかなー、と。   で、その事業に関しては、こう、なんだろう、お堅い。 高踏趣味ってやつではないかと思うんですが、例えば鴎外さんのそれに通じるようななんか学術寄りの域というか、映画なんかもどうも日本には早いのではないかという段階に進んでるとしか…(画像の構図に拘ってる感じ、映画ってまだほとんどが舞台をそのまま撮ったみたいな時代だよマジで)、その辺ちゃんと把握されてるかな…無理かな。 ***6月3日めも。 文アルのキャラ言及、2019年、【吉川英治】さん、あれだ、このページに関しては大衆文学と「純文学」というものの定義の曖昧さみたいなことを語ろうと思って人物を選んでいたつもりだったんですけどね、なんか先に無頼派にしたのがあかんかったのかなぁ、わりとなんか「純文学じゃない」っていう境界線の作家揃いっていうか、そもそもそこに階級があるのかないのか最近わからなくなってきてるんだよね。 いや、昔吉川さんの本で読んでたんだけど、大衆作家さん(吉川さんの場合は時代作家さんね)との付き合いがないような、純文学作家と付き合ってるようなんですけど、という感じに語られてたんですけどね。 残念ながら志賀さん以外の作家さんは多分文藝春秋の飲み会で出会ってた感じでした、志賀さんはさすがに違うような気もするけど(というか志賀さんと吉川さんの接点ってどこなんだろうね、なんか家訪ねてたのは何度か読んでる)。   が、時代作家と付き合ってない、時代作家同士が結構ぺったり寄り添ってるってのはイメージじゃなくて実情っぽいんだよね、大衆文学史で読んでても事情がいまいち途切れずに何人かに跨って出てくる感じだし。 んで多分、純文学作家とは住居地から違う感じなんじゃないかなー。 あと、家のサイズがどうも違うみたいな気もしないでもない…。 ちょっと評判のいい作品が書けたからって頑張って家建ててしまったの! とか可愛く言ってんじゃねぇっていう気持ちにさせられたものです(口調はこうではないけど物言いが可愛かった、家っておま)、時代作家の扱いって純文学サイドから見ないとどんなもんなんだろうね、軽く扱われてるらしき様子はない気がするんだけども…。 ***6月4日めも。 文アルのキャラ言及の2019年版、【中里介山】さん、あれですねー、この人は確かちょっと有名な(「大衆小説」って言葉の出所が不明なんだよね、でも編集さんレベルだと誰それの宣伝文句だよー、という話が残ってるみたいなのでそのうち見付かるかな…、次見たら記録します…)、自分は大衆作家ではないっていう随筆があるらしいんだけども、まあ、この人の場合はジャンルよりもはるかに昔から書いてるし、ちょっと見ただけでも講談とは別物っぽいよね。 (講談ってのはあれ、歴史もの題材でべらんめぇ口調みたいな感じで語るやつ。) ただあらすじ読んだ限りでは時代ものの通俗小説の構造をしてるように見えるし、そういう意味では円朝さんなんかの作品とは受け取られ方は大差なかったんじゃないかな…(落語家さんなんだけどなんでか講談筆記扱いされてる、文字で読めるし長編も書いてて新聞で連載してる、あれです、四迷さんと山田美妙さんの「言文一致」のもとになったって人)、珍しいかったどうかは同時代評価を見ないとなんともなぁ。   が、まあうん、新講談からちょっと進歩したかどうかの時期に一緒にしないでくれ、自分の作品のほうが高級だ、と言うのはもう別に…もとになった講談がシンプルだからな…(これは当てずっぽうだけじゃなく口頭で語られる庶民向けがそんなややこしい内容だとそもそも無理があるんだよね…紙芝居みたいなもんだったんじゃないかな)。 しかし吉川さんだとか直木さんみたいな資料を多用した体裁の歴史小説に対してそういう物言いをしたかったのかどうかも、やっぱり当人に聞かないとわからないよね…。 ところでこの人、硬派記者さんなんですね、平民社との関係も出て来たりとか、作家との付き合いとかあるのかね…春秋社くらいしか付き合いなさそう。 ***6月5日めも。 文アルのキャラ言及、2019年っていちいちいらないよね(なんか略しにくくて)、えーとあれ、夢野久作さん、ところで『ドグラ・マグラ』のせいなのか私の若い頃にはサブカル御用達の作家さんだったんですけどね。 あれだ澁澤龍彦とかあんな感じの辺りと同列…、民俗学の誰それとか何々説とかそういうのもあったなぁ。 ゲームに出てきまして、あー、全然時代違うっぽいわー、とサブカルの自由さに思いを馳せていたんですが、しかし文学ジャンルと違って妙な付属の評価とか付いて来ずにただただ作品とせいぜいそれに付随するイメージだけ取り上げるのって悪くもないよな…。 で、彼がたまに政治の本に出てくるフィクサーの息子だということとか、実は乱歩さんより年上なんだよねー、みたいなことはお聞きしたものの、どうもジャンルごとの印象がいまいち散乱していてわかりづらいというか、えーと、だから『新青年』がなんの後身だっけもう一つの博文館の雑誌までそれに引き摺られてたとかそんな話で…。 そもそもその当時の探偵小説に関しては海外の翻訳ものしか載せていなかったとか、翻訳の探偵小説も大正中期くらいに復活したものって言われてたり、いや、かつてあった探偵小説は翻案だよあれとか、全部載ってた本がばらけてるんですよね…。 西鶴の裁判小説がどうのって話もあったよなぁ。   なーんか日本の探偵小説って黒岩涙香、んで乱歩ってかっ飛んであとはそこからしか語らないみたいなことになってるんですけども、夢野さんて微妙に冒険もの(涙香)に近いような異常精神(乱歩)に近いようなみたいな曖昧な立ち位置だよね。 まあ単独で評価されるのもわからんでもないかな、当人にとってどうかは知らんけど。 ***6月6日めも。 文アルのキャラ言及2019年、【江戸川乱歩】でこれで39人分ですね。 ところで日本の探偵小説って「売れた」のははっきり涙香さんからなんですけどね、あの人どうも政治目的の書き手さんらしく、同じシリーズを同じ政党で別の新聞社の皆と別け合って、とかやってるのでさっぱり商売意識というものがなく。 それ以前の探偵小説というのはどうも事件記事の合間から自然発生したのかあんまりちゃんと追えないらしく…。 なにが言いたいかというと乱歩さんが読んだ本の範囲が狭いんじゃなかろうか…みたいなことなんですが、だって裁判小説とか知ってたら「現実と探偵小説を絡めるなんて良識に欠ける」的なこと言わないよね?! となるんだよね…。 いや、探偵小説の本の1冊で菊池さんの裁判小説が紹介されてまして、青年たちには結構な話題だったと読んでいたのでひぃ、とあとで気まずくなかったかしらね…。 (いや探偵実話のことだと思うけどね、デマの温床なんだよあれ…。)   で、日本の探偵小説は政治集客目的の人たちが先にいるだけでそのあとは翻訳すら途絶え、まあホームズ物のような読みやすい作品が現れたために需要が出来たものの、日本人作家の作品は乱歩さんが切り開いたって言ってもいいらしく。 ちょっとコミュニティが閉塞的になっちゃったんじゃないのかなぁ、と傍目には心配なんだよね、上の本でも出てきていた冒険実録系の話が他の探偵小説の本でさっぱり出てこない辺りとかなんというか…。 涙香さんが政党寄りとか新聞経営してたんだよんとかそういう話もされてないし、前の世代の人すらも乱歩さん寄りの見方してないかなぁ、と、ううん…。 (文或と近代もろもろ、155) #list_by_tag(文或と近代もろもろ,100,sort=pagename)

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