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維新公債(明治) - (2014/07/18 (金) 00:10:11) の1つ前との変更点
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*維新公債
という呼び名を拝借してきたんですがこの呼び方でいいんだろうか…。
大雑把に明治22年までに発行された明治政府による公債が10種類とのことで記録しておきます。
(外債はちょっと心当たりあるけど整理公債ってなんじゃらほい? この10種類とは別になってる。)
新、旧、秩禄、金禄、旧神官配当禄、金札引換、金札引換無記名
ここまでが動乱の直接の処理のため。
で、こことちょっと違う性質のものが起業、中山道鉄道、海軍。
まあなんというか未来がある内容ではあるね。
金禄の文字ぽちぽち間違えてたやっべぇww
秩禄公債と金禄公債は共に武士制度の解体のために作られた一時金制度みたいなものですね。
要するに秩禄ってのが江戸時代の士族&家族への家禄(支配する土地を持つ権利や世襲の給料を貰う権利みたいなやつ、給料は米で支給)と維新功労者への賞与を合わせたもののようですね。
て、これ自体が戦争の後処理っぽい概念だなぁw
秩禄公債(明治6年)と金禄公債(明治9年)がどう違うものかずっとわからなかったんですが、ああ、秩禄公債は家禄の返還をした士族に支給されてて、金禄公債が強制的に奉還させたものへの保障だったんですね。
性質も違うんだろうけど一番の違いはそこやろね、要するに人数だよね。
旧神官配当禄(明治11年)と共に要するに失業&退職手当みたいなものと表現されていましたが。
新・旧公債は藩の財政を引き継ぐに当たって明治政府が発行したもので明治6年。
てか私、秩禄公債を明治6年、金禄公債を明治9年って認識してるんですが、証券史の本では明治7年と、えーと明治9年だったり10年って書かれるな…、発行開始年かこれ…?
納得出来たら書き直しますが、まあ今の時点で詳しく説明してたところの年号で。
てか、それだと新・旧公債も年号が一般的でもないのかも、まあいいや、おいおい!
この中で当然、金禄公債が最大のものだったようですね。
まあ士族身分の一斉開放だもんなぁ。
(秩禄公債と違ってかなりまとまった金額だったみたいだし。)
どうも秩禄公債の時点でだいぶ値崩れしたり身を持ち崩すなんてことになっていたので、そのためにいくつか制限付けていたようですが。説明されているのを読む限りでは政治の問題というよりは、経済or金融的事情って感じ。
国立銀行の資本金の払い込みに使われたってのはわりとあちこちで聞くよね。
あと外債が明治3年に九分利付外国公債。
これは鉄道史では最初のエピソードとして有名な英人ネルソン・レーが勝手に公債にしてしまったという鉄道敷設目的のものです。
(秘密裏に資金調達してくれる、という名目で高利を受け入れていたんですが、公債にするのならば直接やったほうがいい、ということで話が拗れました)(一応レーには個人資産家の心当たりはあったみたい。)
同じく英国のオリエンタル銀行が間に入ってレーとの契約は破棄してくれたよー、公債は続行。
明治6年に七分利付外国公債、両方ともロンドンにて募集発行されましたが。
どうも後者は秩禄公債のための資金集めで「用途がよくわからん」とあちらの経済誌で言われてたそうです。
鉄道資金の時もなぁ、鉄道ならなんとかって話だけど流用しようって腹だったみたいだしなぁ。
てか、変な山師に引っ掛かったって言われてましたが(約束は破られたけど犯罪ってほどでもない)、もともと付き合いのあったオリエンタル銀行を通した借款だとそんな使い方するのは無理だったって判断してた可能性もあるのかも…。
*維新公債
という呼び名を拝借してきたんですがこの呼び方でいいんだろうか…。
大雑把に明治22年までに発行された明治政府による公債が10種類とのことで記録しておきます。
(外債はちょっと心当たりあるけど整理公債ってなんじゃらほい? この10種類とは別になってる。)
新、旧、秩禄、金禄、旧神官配当禄、金札引換、金札引換無記名
ここまでが動乱の直接の処理のため。
で、こことちょっと違う性質のものが起業、中山道鉄道、海軍。
まあなんというか未来がある内容ではあるね。
金禄の文字ぽちぽち間違えてたやっべぇww
秩禄公債と金禄公債は共に武士制度の解体のために作られた一時金制度みたいなものですね。
要するに秩禄ってのが江戸時代の士族&家族への家禄(支配する土地を持つ権利や世襲の給料を貰う権利みたいなやつ、給料は米で支給)と維新功労者への賞与を合わせたもの、なんだって。
て、これ時点で戦争の後処理っぽい概念だなぁw
秩禄公債(明治6年)と金禄公債(明治9年)がどう違うものかずっとわからなかったんですが、ああ、秩禄公債は家禄の返還をした士族に支給されてて、金禄公債が強制的に奉還させたものへの保障だったんですね。
性質も違うんだろうけど一番の違いはそこやろね、要するに人数だよね。
旧神官配当禄(明治11年)と共に要するに失業&退職手当みたいなものと表現されていましたが。
新・旧公債は藩の財政を引き継ぐに当たって明治政府が発行したもので明治6年。
てか私、秩禄公債を明治6年、金禄公債を明治9年って認識してるんですが、証券史の本では明治7年と、えーと明治9年だったり10年って書かれるな…、発行開始年かこれ…?
納得出来たら書き直しますが、まあ今の時点で詳しく説明してたところの年号で。
てか、それだと新・旧公債も年号が一般的でもないのかも、まあいいや、おいおい!
この中で当然、金禄公債が最大のものだったようですね。
まあ士族身分の一斉開放だもんなぁ。
(秩禄公債と違ってかなりまとまった金額だったみたいだし。)
どうも秩禄公債の時点でだいぶ値崩れしたり身を持ち崩すなんてことになっていたので、そのためにいくつか制限付けていたようですが。説明されているのを読む限りでは政治の問題というよりは、経済or金融的事情って感じ。
国立銀行の資本金の払い込みに使われたってのはわりとあちこちで聞くよね。
あと外債が明治3年に九分利付外国公債。
これは鉄道史では最初のエピソードとして有名な英人ネルソン・レーが勝手に公債にしてしまったという鉄道敷設目的のものです。
(秘密裏に資金調達してくれる、という名目で高利を受け入れていたんですが、公債にするのならば直接やったほうがいい、ということで話が拗れました)(一応レーには個人資産家の心当たりはあったみたい。)
同じく英国のオリエンタル銀行が間に入ってレーとの契約は破棄してくれたよー、公債は続行。
明治6年に七分利付外国公債、両方ともロンドンにて募集発行されましたが。
どうも後者は秩禄公債のための資金集めで「用途がよくわからん」とあちらの経済誌で言われてたそうです。
鉄道資金の時もなぁ、鉄道ならなんとかって話だけど流用しようって腹だったみたいだしなぁ。
てか、変な山師に引っ掛かったって言われてましたが(約束は破られたけど犯罪ってほどでもない)、もともと付き合いのあったオリエンタル銀行を通した借款だとそんな使い方するのは無理だったって判断してた可能性もあるのかも…。