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三菱財閥(旧) - (2014/08/02 (土) 10:13:26) の編集履歴(バックアップ)


三菱財閥(旧)


日本には財閥は存在しないよー、という指摘をたまに見ますが。
そうっすね、「財閥」というのがそもそも定義が曖昧ってのはあるかなー。
(日本以外でもそうなんだけど、要するに他称って認識のほうがいいかも。)

完全に定義を満たしてるのがそもそも三井と三菱しかないんだよね、と言われると、想定したよりちょっと少ないかな。

わりと有名な戦後のGHQの「財閥解体」の指定15企業の一つでまあ現在は資本関係ありません。
それも途中で朝鮮戦争があって中断しちゃったんだけどね。
だから他でもあるけど、一旦三菱以外の名前を名乗っていたところも結構あったりします。
(分割されていたところなんてのもぽちぽちありますねー。)
まあでも、三菱の場合はあんまり戦前とグループ企業の付き合い方そんなに変わってないかも。
どういう理由かわからないけど、ワンマンだったのがいい方向に出てる感じ。

三菱の当主がいたのは戦前のみで初代が岩崎弥太郎。
2代目、というか三菱を財閥として立ち上げたのがその弟の弥之助。
弥太郎の子の久弥が3代目、4代目が2代目弥之助の子の小弥太、でこの人の時点で戦後に財閥解体を迎えました。

弥太郎のイメージが強いかもだけど、この人の時代には主に海運のみで、その三菱商船が共同運輸ってライバル会社とやりあってる時に弥太郎が病死。
結局それもあったのか三菱商船と共同運輸が合併することになって日本郵船が誕生(現存)。
一応ここも三菱の関係会社としては数えられてるんですけどね(少なくとも共同運輸側の資本関係の三井との関係はあんまりないというか)。

弟の弥之助は海運から他の業態へと転換しまして、コンツェルンを作りました。
これがだいたい三井のコンツェルン化の少しあとで明治末から大正初めくらいまでの時期ですねー。

あ、三菱商船ってのは三菱が持ってた商船学校の名前であって実際の会社名は別です。
どっかでこの呼び方してたんでそれを真似てます、正直時々改名してるから面倒なんだもん…。
私はこの三菱商船関係の記述は三菱銀行の社史で触れていたものが基準の見解になってます、三菱本社のと見方がだいぶ違うんだけど、ほぼリアルタイム感覚で語ってたんですよね。
(三菱銀行はその母体である三菱合資じゃなくて、なぜかこの三菱商船が持ってた「三菱為替」を前身と位置付けていまして、確かにその時代の資料もあったんだよね。)
三菱ってどうして身内だろうがさくっと刺すんだろうね?