*工部省 明治3年にエドモンド・モレル(英)の建策にて作られる。 他の説もあったようですが、こっちのがそもそも旧来説だよね。 大雑把に民部省の一部機関が移管されて事実上の鉄道建設を請け負いまして。 (というより、鉄道が大規模だったために独立したほうが都合よかったみたいです。) 明治18年に廃止されて、主に逓信省と農商務省に分割されたってあるよ(Wiki先生とこに)。 ていうかやってることが実務に近いので結構あちこちと管轄がぶつかるっぽい。 どちらかというと明治初期の頃に数少なかった建設がわかる専門家を一時的に一箇所に集中させておく必要があったって認識すべきなんじゃないかなと。ただ、初期の頃はやっぱりレベル高くないかも。 大蔵省の造幣局もここに属するって話があったようですがこっちは取り止め。 政治的な問題で語られてますが、少なくともあっちは技術的な意味で自前でやってけたって前提はあると思うよ。 ここから明治4年に工部大学校が作られてこれは現在も東京大学工学部として残ってるみたい。 教育とか組織での建設とかそういうものを固めるための過渡的な機関だったのかもねー。 (この学校は同じく廃止の時点で文部省に移管だってさ、あちこちに散ってるね。) あと、大蔵省と民部省の権限争いみたいなところから、とりあえず技術部門は独立させておこうみたいなのもあったっぽい。 独立前後には長州派vs薩摩派って認識していいのかなぁ…。 このあとくらいから、結構ごたごた関係が錯綜してくからわかりにくくなります。 で、この工部省もどっち派とも関わるし、案外どっちとも揉める時は揉める。 創設時点では長州寄りではあるみたい。まあ開明派って呼ばれてたのがそっちみたいだしね。